はてなキーワード: 学術とは
純粋数学や理論物理や計量経済学以外の分野の学術論文を読んで、定義や議論を展開するために使用されている数式が、少し何かを参照すればそこそこわかる、自分でも書ける、くらいであれば数学を道具として使いこなせてるって言えると思います
学術だったらドイツ語オススメ。向こうは大学が無償で留学しやすく、アカデミックな環境も充実している。史料や現在の出版物も多いし、得られる情報も多く質が良い。
現地の人とコミュニケーションして商売したいなら、オススメ順に中国語、ロシア語、スペイン語。どれをとっても、C1とれれば食っていくのに困らないんじゃないか。ロシア語できれば旧共産圏のコミュニケーションには全く困らない。イスラエルでも通じる。
菅首相の息子、東北新社社員の菅正剛氏が総務省幹部官僚を高額接待したとして国会で集中論議されている。追及する野党議員はかつての大蔵省官僚接待汚職事(いわゆるノーパンしゃぶしゃぶ)件以来だと糾弾する。週間文春記事には秋本芳徳・情報流通行政局長が菅正剛とみられる男性から賄賂を受け取り頭を下げられ見送られている姿の写真が掲載され、あろうことか録音された会話内容が公開された。これにより、秋本局長は虚偽答弁の疑いが強まりNHKにおいても全国ニュースで再三これが取り上げられている。また内閣広報官の山田真貴子氏も高額接待がなされた。山田真貴子氏といえば、NHKのニュース番組にて菅首相に日本学術会議の任命拒否問題について明確な説明を求めた件について、電話にて圧力をかけた疑いが報道されている。
私はある基礎科学分野に従事するいわゆる任期付き研究者である。基礎的な学問は社会にとって役に立たないとされ、安倍・菅政権下では徹底的に蔑ろにされてきた。大学では裁量にゆとりのある国交金を急速に減額させられており、競争力のない大学は弱体化の一途をたどり、就職支援学校となり下がった。大学の経営に竹中平蔵のような政権与党のお友達も浸み入ってきた。菅首相は国会にて大学研究者による"国会"ともよべる日本学術会議を既得権益と糾弾した。このように書くと、アンチ自民のように思われるが、私は世代的にはちょうど民主党政権下で行われた事業仕分けによって、危うく大幅予算削減にあいかけた日本学術振興会にて特別研究員として従事していたこともあり、その流れをくむ立憲民主や国民民主は支持できない。維新・ファーストは論外。いわゆる任期付き研究者の救済指針を明確にし、また露頭に迷う高学歴ワーキングプアを大量輩出した大学院重点化を失策として反省する旨を述べている日本共産党を支持する。党員ではない。国会中継はいつも見ている。支持政党を宣言できるのは現実・インターネット含めておそらくはてなアノニマスダイアリーだけであり、感謝申し上げたい。
以下は個人的な分析に基づくものである。ほぼ無根拠に等しく随筆に過ぎない点を詫びたい。また全くまとめるつもりもなくとりとめもなく書いている。
安倍・菅を支持せざるを得ない人とはどのような人たちか。(1) 政府系予算にてほぼ直接首をつながれ自民党を支持せざるを得ない人々、(2) アベノミクスによって益を得た大企業・あるいは傘下企業に就職した人々・あるいはその親族・配偶者、(3) カルト的に安倍・菅なるものを狂信する信者、である。
(1) には学校や役所など税金によって経営されている機関に勤める非正規雇用職員が多数含まれる。たとえば学校であれば常勤・非常勤講師、役所であれば派遣委託金も税金から。そして私のような大学に勤める任期付き教員、ここでは他にも触れられない多数の人たちもいる。
(2) 大学はもはや多数学生にとっては就職予備校に過ぎず、3年生になればインターンに参加するのはもはや常識と化している。学生が卒論や修論にかける時間など研究室に配属された全体の時間からすればほんの一部に過ぎない。実験やフィールドワークが重要な分野にとっては学生の研究活動・成果は重要な資源であり、全く無視することなどできない。リーマンショックにて極端に就職率が下がった時代に大学院に一時避難しその後企業の状況が良好となり一般就職した優秀な学生も多くいた。彼らが研究室・分野に残したレガシーは未だ活用されているし、彼らの中には今戻ってきても通用するであろう人もいまだ多数いると思っている。あれ以降、そのような時代は訪れていない。もしかしたら、新型コロナで不況になってしまった今、再び大学院は一時避難先となるかもしれないが。
アカデミックに身を置く私から見れば、安倍・菅はどうやら学問というか大学に対してコンプレックスというか憎しみに近いような感情を抱いている点はもはや間違いないだろうということが推察される(安倍氏はかつての家庭教師や大学時代の恩師からもダメ出しされている。)。非常に優秀な人たちが何だかよくわからないこと(基礎的な学問)にエネルギーを費やすことが無駄にしか見えないのかもしれない。こうした感情は多くの国民がシンパシーを感じているという点は見逃せない。日本学術会議の任命拒否問題はこれまで国会が定めてきた法の解釈に反するという一点が本質であるにも関わらず、問題は菅によってすり替えられた。つまり、学術会議の在り方に問題があると指摘し(既得権益だそうだ)、これになんと国民の半数以上がそうだと思っているとの世論調査が出た。(問題のすり替えという点が実にアンチアカデミックらしい思考だという皮肉も込めたい。)(ところで、全く非論理的あるいは違法ともいえる手段は安倍・菅政権で何度も取られてきた。安倍氏が自身の公職選挙法・政治資金規正法違反による逮捕を恐れ、当時の鑑定の守護神でもあった東京地検検事長黒川氏を違法に定年延長させようとしたのもそうだ。)
国民には学問が何か役に立つものだとは信じている人はそれほど多くないのが実情である。そんな20年も30年も時間をかけなければ芽が出るかもわからないことに税金を費やすくらいなら苦しい自分たちを救ってほしいのである。これが実情。だからアベノミクスのおかげで就職できたお子さんを持つ親御さんや祖父母さんは安倍を支持せざるを得ないだろう。個人的には東日本大震災のような日本に深刻なダメージを与えた地震や津波といったことを研究しているような地質学・地震学・あるいは地球流体といった分野や、ここ毎年のように繰り返される豪雨や台風による被害を予見するための気象学といった分野に、ごく少数の研究者しかかかわっておらず、むしろ次から次へと研究室が畳まれている深刻な事態に誰も何も言わない(言えない)ということに、絶望以外の感情が持てないというのが率直なところである。あるNHK特番で東北を襲った過去の津波から教訓を得ようとする名誉教授の先生が自らフィールドワークで沿岸を歩いて地層を見ていると聞いたときは膝から崩れるような思いになった。(当然だが津波や地震の研究者がいないわけではないと思っている。)これらの分野は地学の1分野とされ、役に立たない理学の一分野とされている。国民の大多数がこんな見方だろう。これ程に基礎学問を蔑ろにする政権がイノベーションだの科学技術立国などのたまうのだから滑稽極まりない(ちなみに私はもっと無駄であろう分野の研究者である)。いずれにせよ、大学院博士課程で教育を受け学位をディフェンド(審査だから自分の主張を守るのだそうだ)することが一流企業に就職する最低ラインと正しく認識されているアメリカ合衆国・ヨーロッパ・中国や台湾には追いつくことは二度とないだろう。一生彼らが最先端で開発するスマートフォンなどの端末やウェブ技術を使い続ければよいと思う。自動車だけが最後の砦になるのだろう。それもいつ世界の最先端から取りこぼされるのか。
トランプ政権の4年で良心を失ったことを顧み、バイデンを選んだアメリカが心底羨ましい。強いネガティブを避けるためにバイデンが選ばれた、という向きも否定できないが。やはり自分たちでリベラル(自由と平等)を勝ち取るという気概は失われていないと感じた。そしてアメリカのリベラルには非常に豊富な経験がある。この点が日本とは大きく異なる。日本が自民党を拒むときは、いつも不況だった。バブル崩壊後・リーマンショック。そして新型コロナでも非常に怪しいわけだが。このような積極的でない背景による政権交代しかなく、自分でドライブする準備が出来ていない野党が突然与党になってもなかなかしんどいのである。民主党政権はうまくいったとは言えない。国民も自分たちでリベラル的なものを獲得してやろう、という気概は持てないのである。何より、経済的・精神的にゆとりが持てず、いつ派遣先から切られるかもしれない恐怖と不安、巨大な大企業に庇護されているという虚栄ともいえる安心感が強く、社会全体を根幹から支えようとか社会的弱者や虐げられてきた人たちに目を向けようとか、つまり社会福祉や学問・教育に社会として注力して、たとえ遠回りであっても国全体の再生を目指そう、という気にはなれないのである。自分には介護対象の親や祖父母がいるから、とか女性であるとか、小さな子どもがいるとか、それらと家庭の経済状況を計りにかけている人もいなくはないだろうが。なにせ、かくゆう私も任期付きでいつ首を切られるかわからない立場である。そんな者が来年度予算の財源を握る政権与党を支持しないで大丈夫なのか、と思われそうだが、全くの事実。実は私も政権与党に首根っこをつかまれている人間の一人に過ぎない。だが、ここは増田。私がどこの誰かなど特定することもできない。だから、これから数十年先の日本が絶望的状況でしかないと言っているのだ。目を覚ませ、国民よ。
内容の問題じゃなくて「論文を撤回しろ!」とか「あの教授をクビにしろ!」とか「学術誌は掲載を拒否しろ!」とか「この大学に慰安婦像を建ててやる!」とか、そういう未開な所業が個人レベルを遙かに超える規模で行われていて、さらにそれを是とする空気に満ちている事に対する困惑や失望が元増田の主旨だろう。
そういう行いが当のアメリカ人達の目にどう映るのか、という視点すらないのはあまりにも危険だよ。
おりしもアメリカはリベラル政権が発足したばかりなのに、恫喝で研究者の口を塞ごうとする動きが野放しになってるのは極めてまずい状況。
だよな
「ラムザイヤー教授の論文、そのまま掲載されない」 ケンブリッジ大学学術誌
http://world.kbs.co.kr/service/news_view.htm?lang=j&Seq_Code=78275
海外の日本史学者5人もラムザイヤー氏の論文を批判 「証拠を提示できていない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b8e588db39f9d2938229bdf04dbb7ab8e84e658a
ラムザイヤー論文の件で、韓国人の反応を見ていて、そう思った。
査読付き学術誌や国際会議に論文を通す作業が簡単ではない事は研究に従事したことがあれば誰にでも分かることだ
学術誌にもランクがあるので通りやすい、通りにくいの差は、当然ある。だが、査読付きであれば、迂闊な論文は同業者のダブルブラインドチェックで通さない。
つまるところ、査読付き学術誌に掲載されるという事は、複数の場合によっては10人以上からなる査読者の多数から、掲載するに値する業績であるし
少なくとも学問を冒涜する嘘もない事を認められたという意味でもある。
査読付き学術誌に掲載された論文に対しては、同質の研究で反証するのが正しい戦い方だ。
政治闘争にもちこんで、権力に訴えて、論文を取り下げさせるのは学問に対する冒涜であるし、文化のない土人の業というしかない。
韓国の騒ぎ方を見ていて、こいつらに学問なんて無理なんだ、理性で判断する事は無理なんだ、と思うに至った。
韓国にはまともな研究者すらいないのだろうか。居たとしても、集団洗脳された国民に学問とはそういうものではない、とは言えないのかもしれんが。
論文に対して研究ではなく感情的な声で対抗しようとする。なんとも情けない国だし、もうとてもじゃないが、何が彼らにとっての正しさの基準なのかも理解できないよ。
タイトルの通り。筆者は高校の教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テストの方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやすく解説していきたい。
わかりやすくとはいえ、大学入試の古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典の知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。
問題や解説・予備校の分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。
https://www.toshin.com/kyotsutest/
https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/
https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf
以下は教員仲間とのディスカッション用メモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。
まず、第三問の古文。
センター試験から変わると事前に予想された、複数の文章や会話形式の選択問題はなかった。
本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章の入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。
・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。
・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの。
これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ「文学的な文章の鑑賞」つまり「作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。
・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。
・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常のことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念「無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)
・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。
・また、過去の試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力を古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である)
これだけでも十分すごいが、続いて漢文。
こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通のテーマの文章ふたつの出題である。
・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題。
・とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。
・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。
・漢詩の押韻の知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題。しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。
・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。
・文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補は「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。
・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。
・しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのである。しかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。
受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり、受験生の心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。
・よって受験生は文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程を要求される(というよりも問題側から誘導されてゆく)という問題の構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である。
このように、古文・漢文ともに「受験生に思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生の思考を多角的なものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。
また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題の誘導する深い思考に対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路が設計されている。学力を測る目的の大学入試問題としても適切である。
センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報を多面的・多角的な視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術的知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育の現場から、惜しみない賛辞を送りたい。
・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう。自分にとっても、いろいろ考える機会になった。
・別記事で「古典を義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。
https://anond.hatelabo.jp/20210222160532
この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……
古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています。
古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります。
・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすくしました。
こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくまで論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。
よくある誤解だけど、国語の入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情・センス」ではなく「論理」になっています。
もしかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。
石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分の現代文指導の根本にある本です。
解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。
解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典の学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います。
これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数の問題でも非常に数学のエッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。
新共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問のエッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています。実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。
今回の共通テストはセンター試験の名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃんと多角的な思考力を問う内容になってる!
そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさらに進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすいものになっています。
それもあるし、これを見た高校の先生は「知識だけでなく、学問的な思考の方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります。
大学入試改革は、高校入試改革の嚆矢としての役割を持っているので、この方向性は国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います。
古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来の人達に私達の心情とか踏まえて歴史を理解して欲しいって思うもん。
こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います。
今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンターや共通テストが良問であるとされる所以ですね。
これの何が面白いのか?
お察しの人も多いだろうが、2020/11/23に読売が口火を切ったスクープ、「【独自】安倍前首相の公設秘書ら、東京地検が任意聴取…「桜を見る会」前夜祭の会費補填巡り(読売新聞オンライン)」が始まる直前だからだ。11月の頭頃には総理退陣時の体調不良などどこ吹く風で、「安倍前首相 憲法改正「もう言い訳は通用しない」 野党を牽制 - 産経ニュース」などと大変ゴキゲンだったご様子なので落差が激しい。
◆石原伸晃のTwitterも、退院報告があった1/31で止まっている。もう退院後1週間以上はたったが、まだご恢復なさってないのだろうか。2/1や2/9には衆院本会議があったが、ご出席遊ばされたのだろうか。
◆橋本岳のTwitterも、2020/2/20の次のツイートがほぼ最後で、その後は4/22の、三月のライオンの羽海野先生×忽那先生の #てをあらおう イラストツイートだけだった。2/20がどういう日かというと、かの有名な「清潔ルート・不潔ルート」写真の弁解を長々とされた日である。政治家先生も精神的ダメージを受けるとTwitter引退されるのかな?
と思ったら、なんと2021/2/9にツイートを再開された模様。山田太郎議員のツイートをRTされておられる。昼見たときはなかったのに!なかったのに!
https://twitter.com/RibbonChieko/status/1358611720327942144 をRTなさる。
https://twitter.com/arimoto_kaori/status/1357869063398039552
有本 香 Kaori Arimoto@arimoto_kaori
【有本香の以読制毒】池上彰さん、もっと勉強してください 「トランプ氏は人権問題に関心がなかった」発言…虚偽の疑い濃厚、放送法違反か
https://twitter.com/minoru_kiuchi/status/1357629197594755079
城内実 (Kiuchi Minoru)@minoru_kiuchi
自民党外交部会「元慰安婦等による訴訟に関する判決に対する非難決議」ベルリン市ミッテ区におけるいわゆる少女像設置など、ドイツに向けての情報発信の必要性もあることから、独訳版も作成。
https://twitter.com/kanke_ichirou
https://www.jimin.jp/member/100555.html
何時の写真やねん
あんまり学術的なことは詳しくないのでいろいろ指摘くれると嬉しいです。
わたしは20代なのでコロナにかかっても多分死にませんが、人生の楽しみの6割くらいは食べることで、2割は自分磨きなので、嗅覚・味覚障害や髪の毛が抜ける症状、後遺症が怖く、なんとかかからずにいけないかなぁと考えています。どんなに気をつけても確率で感染し発症し、確率で後遺症が残るものなのは理解していますが、テレワークでほとんど外に出ないし、オフラインで人と会話することもあんまりないので、現状は確率的には低い方だと思います。
ところで、コロナの収束には集団免疫の獲得が必要だと聞いたことがあります。そうなると、結局はみんなかからないといけないということになりますか?極論を言えば、医療崩壊が起こっても沢山の人がコロナにかかりまくった国が最も早くコロナが収束するということですよね?オーストラリアみたいに新規感染者0に抑え込んだ国は、長期的な目で見れば失敗ということですか?多くの国でコロナが収束すれば、必ず昔のように国を跨ぐ人の流れは戻りますが、コロナは完全にはなくならないので、オーストラリアは遅れてコロナ禍が訪れるのでしょうか?
質問ばかりになってしまいました。疑問をまとめると、結局は集団免疫を獲得するために、結局自分もどのかのタイミングでコロナにならないと昔のような生活は望めないのでしょうか?
ワクチンと集団免疫獲得の関係はありますか?今回のワクチンによって、発症率が有意に低下するという報告を見ましたが、これは今回のワクチンは、重症化を防ぐだけではなく、集団免疫の獲得にも寄与していると受け取るのは妥当でしょうか。
聞いてばかりですみません。英語も読めず、論文も読めず、何を読めば正しいのかもわからず、とりあえず人に聞くばかりで申し訳ないのですが教えてもらえると幸いです。
森だからこの際何でも言ってやれみたいなノリでそういうこと口走ってる輩が立憲の議員含めているわけだけど、なんだか勇み足のような気がする
だってこれが別の公益財団法人の自分の党派のお仲間だったら、菅が難癖付けて辞めさせようものなら「権限もねえくせに黙ってろ」って学術会議のアレみたいにギャアギャア言うのわかりきってんじゃん
それも今森辞めさせたくてウズウズしてる奴らがだよ?
まずはじめに、このエントリーで性的マイノリティを差別するつもりはない。
でも、自分自身の偏見にはびっくりするほど気付けないものなので、嫌な予感がする人は読まない方がいいと思う。
性的マイノリティって、身も蓋も配慮もなくぶっちゃけてしまえば、生物学的には非合理的な存在だ。だって繫殖ができないからね。
だけど、じゃあ野生動物には同姓愛者やトランスジェンダーはいないんだろうか?
と、ふと思った春休みの昼下がり。
例えば同姓愛で言うと、オスだけの環境で飼育するとゲイになる個体がいる。大学で飼っているオスヤギはもうヤる気満々でマウントを取って腰を振っていた。物凄く気まずかったのを覚えている。あなたはヤギの陰茎の形を知っているか……
他にもオス猫が同居のオス猫にマウントをとる事例もある。YouTubeで検索したら結構あるんじゃないだろうか?
メスだけの環境でオス化する個体もあるようだ。先々週あたりの「ダーウィンが来た!」でオス化したカブトムシの話があったと思う。
この辺りで増田は「ネクロフィリアかつゲイのカモ」の話を思い出した。
詳細がわからなかったのでググってみた。
世にも奇妙な検索履歴の爆誕である。面白いのでこのままにしておこうと思う。
調べによると「ガラスに激突死したオスのマガモに別のオスが75分間に渡って性行為を試みていた」という研究でイグ・ノーベル賞を受賞している。なるほど、何となく知っていたのはこのとき話題になったからだと思う。75分も頑張っていた謎のマガモくんには感心するが、話が飛んで行ってしまうので自重する。
気になった人は「カモ 死姦」で検索してほしい。一緒にトンデモ検索履歴を保持しようぜ。
じゃあトランスジェンダーも野生にいるのか? と言うと、いるんだけども話がちょっとややこしくなる。主に当事者への配慮的に。
どういうことかと言うと、トランスジェンダーになる原因がわかっているからだ。
この話をしてヒトのトランスジェンダーにも原因があるとか、治せる病気なんじゃないかとか、そういう雰囲気になるのは困る。困るので、完全に学術的な話だと思って聞いてほしい。本当に他意はない。
実は、ラットは人為的にトランスジェンダーを作ることができる。出典はこちら。https://www.brh.co.jp/publication/journal/024/ss_3.html
実験動物や家畜では「脳の性分化」が報告されている。身体の性とは別に、脳が性ホルモンによってオス化・メス化する現象だ。マウス・ラット・ハムスターのほか、ヒツジでも確認されていて、普通は脳と身体の性は一致する。
で、一般的にはこの「脳の性分化」は胎児期に起きる。ところがラットだけは生まれてからも性分化の期間が続いていて、オスの子ラットに女性ホルモンを、メスの子ラットに男性ホルモンを注射すると、脳の性別は身体の性別とは逆になるらしい。
メス化したオスはメスに求愛をしなくなる。逆にオス化したメスはメスに求愛をするし、オスにマウントを取られても交尾姿勢を取らなくなる。
もちろん、これらの事例を前提にして性的マイノリティに言及するのはリスキーだし、配慮に欠ける。
ヒトでそういう研究があるとは聞いたことがないし、まさか赤ちゃんに性ホルモンぶち込んでみるわけにもいかない。当事者だって、あなたに遺伝的異常やホルモン異常があるかもしれないから調べさせてくださいね、などと言われたら不快だろう。
そういうことがあるのかもしれないと知ってわくわくするのは、それこそマイノリティな派閥だろう。
邪な意味ではほんとにないんだけど、学術的に興味があるだけなんだけど、いやほんとにすみません。このエントリー全部わくわくしながら書いてるけど、そういうつもりではないです本当に。
このままだと性的マイノリティ当事者に会ったときに以上のような話をしかねなかったので、匿名の場所を借りて発散したかったのだ。ああすっきりした。
性的マイノリティがいるのはヒトだけじゃないんだし(マイノリティを迫害する社会構造を持っているのは人間くらいかもしれないが)、いくら生物学的には非合理的だったとしても、やっぱり多様性のひとつとして認識できるような人間でありたいよね。
ヒトなんて非合理的に生きていく生き物なんだし。ていうか完全に合理的に生きられるなら日本は超少子高齢化に苦しまなくて済んでるし。払った年金ってどうなるのかなあ……