はてなキーワード: 学術とは
学術系新書とは、いわゆる岩波新書とかちくま新書とか、装丁のフォーマットが決まっていて
アレが、ブックオフの一部の店舗で、なんということか、ジャンルごとに並んでいる店がある
ジャンルって例えば「心理」とか「健康」とか「歴史」とか「スポーツ」とか「ビジネス」とか
これがもうめちゃクソ見づらい
あの細い(薄い)背表紙にこまこまとタイトルが書いてある新書というものは、フォーマットが揃っていないとこれほど見づらいものかと
しかもジャンルって、まず客からしたら、そもそもこの新書の棚の中に、どういうジャンルが設定してあるのかがわからない
医療と健康は別の見出しなのだろうか、医療と精神医療は別の見出しだろうか、精神医療の他に「こころ」なんてジャンルもあったりする?
棚の上のわかりやすいところに書いてもいない、本と本の間に挟まってる見出しを見るしかない
ジャンルの設定もわからなければ、当然、探している本がどのジャンルに入っているのかわからない
通常の単行本だってそうといえばそうだけれど、新書は何しろ薄い、タイトルが見づらい、それがぎゅっと棚に挟まっているところがそうなっていたら
なんであんなアホなことしてるんだろう
15歳のとき、ベル・フックスの「フェミニズムはみんなのもの―情熱の政治学」を読み、それが私のバイブルになった。そこに書いてあったフェミニズムの説明を読んだだけで、それが世界を変えるとわかった。地元の図書館にかろうじてあったフェミニズム書籍コーナーに潜り込むや否や、 牟田一恵や田嶋陽子の世界に浸りこんだ。私が進学先の大学を選んだ理由は、その時すでにTwitterで名を馳せていた北村紗衣先生が教鞭をとっていたからだし、ジェンダー論の授業があるからだった。大学を出て最初についた仕事では社内セクハラの撲滅に従事し、プライベートでもTwitterや消費者運動を通じて、男女差別と戦ってきた。ほぼ十年、このために使った時間は知れない。
何が言いたいかというと、フェミニストを名乗れる人間がいるとしたらそれは自分だということ。九州の田舎で育った孤独なティーンエイジャーにとって、フェミニストの冒険譚を読むのは震えんばかりの興奮だったし、目を見開かされる思いだった。周囲にこんな人は見た事がなかったけれど、ネットを通して自分と似たような人が他にいるとわかって希望が生まれた。大学に通い始めてからは、フェミニストでいることにひねくれたプライドをもつ人を他にも何人か発見した。けれどそれはまだ珍しかったし、社会の主流な考え方からはすっかり外れていた。だから、なぜせっかくそれなりの企業に就職した自分が、社内恋愛の末の寿退社ではなく、男受けの悪い反セクハラ活動に血道を上げているのか、誰も本当にはわかっていなかったし、私はフェミニストだと言うと、ほとんどの人が眉をしかめた。月日を経て、私は同じ志を持つ仲間の輪を少しずつ広げた。職場、教育、そしてマンガアニメなどの趣味の世界。それぞれの世界で活動する私たちを、フェミニズムが互いに引き寄せた。そんな仲間の助けがあったから生き延びる事が出来た。けれど仲間を探すのは難しかった。私たちはまだ、社会の中で傍流だったのだ。
でもこの十年、状況は様変わりした。映画やドラマはフェミニズムに則って制作されるのが当たり前になった。アナ雪や逃げ恥を通じフェミニズムは恥ずかしがらずに誰もが楽しめるものになった。
そして、たぶん一番重要なのは、今やフェミニストはカネを、そして権力や地位をも持っているということだろう。世界で一番大きな、そして一番勢い良く成長している企業は女性に配慮し、女性を雇っている。日本の大企業や省庁も女性差別をやめ敬意を示すようになった。強い女性はかっこいい。私たちは勝ったのだ。
そして、そこに問題がある。私たちは未だに自分達が反乱軍かのように振る舞っているけれど、今やフェミニズムは帝国だ。十年前までは私たちはおおむね正しく、批判は的外れで間違っていた。だから他人に耳を貸さない私たちの習性は深く根付いている。それどころか、フェミニストに向けられた批判をスクラムを組んでやりかえすのが絆を深めるためのちょっとしあ儀式になってすらいる。今までは誰かの批判を攻撃するのも、かつては大したことではなかった。一握りのフェミニズムに親和的な人以外にそうした論考が読まれる事はなったからだ。そんな内なる声も、今や大きな問題になっている。フェミニストが本当の権力を振りかざしているからだ。キズナアイやラブライブのポスターへの攻撃、宇崎ちゃんのポスターにまつわる献血ボイコットは、フェミニストの私にとって恥ずべき出来事だった。けれど恐ろしいのは、その暴力的な振る舞いが、フェミニスト界隈に常在する何かと同じ感じがすることだ。それでいいという空気があることだ。ただ驚くしかない。その空気はあっという間に、誰かが大切に育ててきた営みを、無造作に叩き潰すほどに膨張した。ファミリーマートのような主流の大企業ですら、私たちの突きつけた理不尽な圧力に巻き込まれている。今や私たちは、「自分を反乱軍だと思い込んでる帝国軍」なのだ。
だから「日本は未だ後進的な男性社会で、私たちフェミニストはそれに反抗するレジスタンスであり、いつの日か勝利するだろう」みたいな、フェミニスト界隈の通奏低音はすごく違う感じがする。たしかに私たち女性は、かつては家父長制にいじめられたり、大企業に無視されたりしていた。でもそれは、私たちにカネも力も無かった頃の話だ。今や私たちには権力があり、日本の資本主義社会は私たちを標的にするのではなく仲間とみなすのにやぶさかでない。20年前の男性社会は私たちをお茶くみや家庭に押し込めようとしていたけれど、今や私たちが仕事に学術に家庭に多くの選択肢を持つ一方で、文句も言わずに黙々と経済的な後ろ盾になってくれている。
フェミニズムの愛すべき要素の一つに、共感や連帯を大切にするという価値観がある。誰かが泣いている時、証拠や事実検証は、大抵役に立たない。いの一番に、「私もあなたのために怒りたい」と表明し、それを実行しなければ社会は変わらないのだと、痛い目に遭いながら学んできた。これはフェミニズム界隈を通底するルールだ。誰かが被害を表明すれば、ただちに飛んでいって守り合う。客観的なデータに基づく結論は、提示するのに時間がかかるし決まって歯切れが悪い。だからスピードと攻撃力が高い「お前は差別主義者だ。私は傷ついた」と言い切る思い切りが習慣になる。
なのに、フェミニストが自分たちの共感の埒外にある人々へ示す冷酷さには、思わず目を丸くしてしまう。知りうるほとんど全てのフェミニストが、自分より年収の低い男性や、性的魅力に乏しくオタク文化に逃げている(と見なしている)男性を嘲笑し、あるいはそういった言説を窘めもしない。逆に高学歴、高収入な男性や、容姿に優れるなど性的魅力が豊富なタイプは、あらゆるレトリックを用いて養護し、倫理的なお墨付きを与える。収入、学歴、容姿。共感で駆動するフェミニズムは、これら男性のステータスに対してどこまでもプリミティブな接し方をする界隈だ。フェミニズムが世間を席巻し、プレイヤーの絶対数が増えるにつれ状況は悪くなっている。
解決策を知っているというつもりはない。けれどどこかで何かが間違っていると意識することはできる。現に私より若い世代では、女性たちの間ですらフェミニズムへの忌避感が広がっていると感じている。しかし私たち現役フェミニストは、フェミニズムを忌避する女性に対してどんな態度をとってきただろう?ここで口にするのも憚られる、卑劣な言葉を投げつけては、仲間内での連帯を高めてきたのではないか?こう想像するのはおかしな事だろうか――この深く根付いたクソっぷりが、若い世代を遠ざけているのでは?
あたりを見回すと、私たちが育ててきたフェミニズムが、自由への革命から威圧的な権力へと姿を変えたのがわかる。私たちは確かに素晴らしいものを生み出した。けれど私たちは不注意で、普通の人々を傷つけないための安全策を怠った。私たちは不注意で、未来のフェミニストたる多くの若者たちを成長の各段階で追い出してしまった。私たちは不注意で、世界をアップデートしたとき失うものがある人を気にかけなかった。いい目を見る人のことをだけを考えていた。(だいたい自分達のような人々だ。)
古い世代の連中より高潔でありたいと、いつも願っていた。けれど蓋を開けてみれば、力不足ゆえに無害なだけだった。体に染み付いた被害者意識は、私たちがいじめ行為に至る際の非道な言い訳と成り果てた。
だから言いたい。フェミニズムは終わりにしよう。フェミニズムは素晴らしいことを色々してきたけれど、今のフェミニズムは歪んだ復讐心と暴力衝動に駆り立てられる怪物だ。まともな答えは、これを終わらせてもっと良い何かを作り出すことしかない。
もっと良い何かとはどんなものだろう?私たちが攻撃したラブライブには希望を感じる。私たちが巻き込むのに失敗した若い世代の女性をはじめから取り込んでいるからだ。どんな未来が来るにせよ、私たちは良き人物になることを重視する必要がある。今までよりずっと。
弱さへの憎悪と、強いものへの阿諛追従は終わらせなければいけない。これはフェミニズムとあまりにくっつきすぎている。だからこの星からフェミニズムを消し去るしか、確かな方法はないと思う。
最低でも県外とか、そんなたいした話じゃねーだろ。
口蹄疫だって誰も防げなくね?自民だってどうにもならんかっただろ。
中国の漁船がぶつかったの隠したとか、ささいなことやろそんなもん。
モリカケとか、ほんとしょうもないわ。だからなんだ?って感じ。
レールに乗っかったつもりで漫然とドクターまで進み、オーバードクターになってしまったとしたら戦略ミスだろう
左派が支配的な日本の大学で左派に従順なボスの下で徒弟をやってたなら、金儲けなんか考えちゃだめで、准教授、教授と昇進していく以外のキャリアパスは提示してくれない
ポストがないやつは負けたから指導的地位につけなかった、あとは平等な労働者として汗水たらして働くのがあるべき姿と思われているのかもしれない
社会ではなくて自分が報われるために、金儲けにつながるテーマを見つけて就職ができるかは自分次第ということになる
目端のきくやつはとっくに留学してるだろう
アメリカでphdの待遇がいいのは産学協働、産軍協働にお金が回ってくるってことなのに、左派アカデミズム(学術会議とかね)はそれを拒否するんだから、お金が回ってくるわけがない
「XX民主党」・・・ 自由民主党、立憲民主党、国民民主党 のことを指してます。
この人らって、「相手を納得させるために、自分の意思をロジカルに表現しようとする習慣」
が欠如しているように見える。これってなんなんだろう。なぜなんだろう。と、考えています。
論理性の無さの具体例がコレ。
https://note.com/edanoyukio0531/n/n5fab565585bc
提案内容の良し悪しは僕には分からないが、立論のしかたが超イケてない。
枝野なんて政治家のなかではかなり頭いい方(僕よりも全然頭イイはず)なのに、これですよ。
冒頭で、台湾やNZうまくいってるよね、参考にできるよね と始めています。
本当は冒頭は「各国がコロナに苦しむ中、NZや台湾では感染封じ込めに概ね成功し、経済も順調に回復しています」とかの方が
うまく行っている理由が、ゼロコロナを目指して「徹底的な感染の封じ込めに取り組んだ」ことが奏功、
としている。これはさすがに雑すぎるだろう。
ゼロコロナを目指すことは、原因ではなくて、結果なのだろうに。
というのも。そもそも はじめから Withコロナを目指す国なんて いるわけがない。
仕方なく Withコロナでいかにして国民生活を回していけるか考えているわけですよね。
ゼロコロナを目指しさえすれば、ゼロコロナが達成できる、だったらパンデミックなんて起こってない。
んじゃ、なぜ台湾やNZではゼロコロナが達成できてるんだろうか?
この問いを立て、彼らのやっていることを分析し、日本も真似よう! まあそういう筋立てになるべきですよね。
ところがこの問いに対する答えは、「台湾とNZは島国!日本も同じ島国だからできるはずだ」で終わっているw
おいおい。
こんなふんわりした掛け声から、どう具体的な対策はが生み出されるかというと
台湾やNZの成功との関連性が全く見えない、3つのプランが唐突に出てきておわり。
なにこの「ぼくの考えたさいきょうのたいさく」。
なんとも、極めて残念な立論だと思うのですね。
たとえ提案内容が正しく、丹念に検討されたものだったとしても、それを納得させるための論理が破綻している。
これじゃ誰も立ち止まって聞いてくれやしないっすよ、残念極まりない。
なんでこんなことに、なってしまうのでしょうか。
僕が思うに。「自分の意見を、違う意見の持ち主に納得させようとする」
という良い大人なら、極めて日常的に行われる営み、XX民主党の人たちには欠如しているのではないか。
本来は選挙で勝つための王道っていうのは、自分の意見を、異なる意見をもつ有権者に訴えて、
ほおアイツの言うこともモットモだ、と思わせること(小泉純一郎なんかはそれだな)。
野党であればなおのこと、その戦略に頼らざるを得ないはずなんだが
XX民主党は与野党とわず、全員この試みを放棄して、次の戦略をとっている。
そうして票を集めるために、最初から結論を多数派意見に合わせようとするから、論理がおざなりになる。
論理がおざなりになるということは、大変深刻だと思うのですね。
「結論が正しければ正しいんだ」「連合の意見と一致したからこれがいいんだ」
で政策を決められると、困る。なぜか。
結論に至るプロセスがブラックボックス化されると何が問題かというと、
状況の変化に対して政策を柔軟に変えることができなくなる。
政策の前提となるINPUTに変化があれば、それは政策変更のトリガになるべきなのに
どのようなINPUTから政策が立案されているか可視化されていないと、その変化を検知できない。
かくして1945.8.15まで戦争が続けられる、と、まあこれは飛躍ですが
この問題が、自民党だけでなく、すべての XX民主党の政策立案で共通してんだよな。
この構造を変えるには、まずは人を全取り換えしてみるしかなさそうな気がしてます。
少なくとも中長期的な影響についてはわからんと学術誌でも指摘されとる
そこんとこはギャンブルやな
https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMp2034438
>But this abbreviated development timeline provides little opportunity to identify potential adverse events such as joint pain, anaphylaxis, or neurologic conditions such as encephalitis, transverse myelitis, or Guillain–Barré syndrome that might occur in the longer term or that are rare enough that they probably won’t be discovered until the vaccine is distributed to a substantial portion of the public. Vaccine-related adverse events would especially burden low-income people, who have limited financial resources to obtain medical care, weather any resulting job loss, and pursue compensation and who are disproportionately non-White.
そこもどうなんだろうね。
査読してたけど、あんなの適当だぞ。学術的価値とかそんな大層なことを考えてはいない。
物理で言えば Physical review のフルペーパー辺りまでは適当で割となんでも OK。
Nature や姉妹紙や Physical review Letters あたりなら厳選するけどこれも学術的価値ってより流行りもあるからな。
物理学で Ph.D. を取ってドロップアウトして、しかしそれでもなおも文筆を続けている者として。
正直、現代においては査読の立ち位置があんまり良く分かっていない。勘違いして欲しくないけれど、要らないとか価値が落ちたとか言いたいのではない。
査読でアカデミズム的価値が担保されるとか絶対に嘘ですし。そもそも良い論文は良いし、その良さは適切な教育を受けた者なら分かる。グレゴリーベレルマンのかの論文はアカデミズム的価値がないとでも言うのだろうか。そうでなくとももはや arXiv 的なものに注目が移っている趨勢において、学術的価値の担保として査読が必須であるというのは欺瞞を孕んでいると感じる。査読って性善説ですしね。
査読がなんで必要か?って言うと、研究費を貰うためとかポストを得るためとかそういうあれなんですよね。指標が必要だから指標を作っているってだけ。
そして分野を限らずに査読や賞の価値ってここ10年で本当に変化したと思う。少し前までにはマスコミュニケーションが大きな部分を占めていてその紙面はいつも限られていたから、査読や賞というものが必要だった。それを通過してはじめて紙面にスペースを割くことができた。でも今は学術論文なら arXiv があるし、小説や詩なら note やなろうに投稿すればいいし twitter でもいいし、もっと言えばどんなものでも Amazon Reading で自力出版すれば良い。費用負担がないから自費出版ですらないのだ。
幸運がどうこうではなく、歴史に学ばないだけでは?感。ヤクルト飲んでろ。あと鉄とっておこう
[四季報 ONLINE] ヤクルトが大幅反発、「乳酸飲料がうつ病予防・治療に有効」と (2016/06/10)
ヤクルト本社(2267)が大幅反発した。11時02分現在、前日比220円(4.14%)高の5530円と東証1部の値上がり率上位20位以内に食い込んだ。
9日に国立精神・神経医療研究センター神経研究所との共同研究で、腸内の善玉菌が少ないとうつ病リスクが高くなることを世界で初めて明らかにしたと発表し、好感された。そのうえで、乳酸菌飲料やヨーグルトなどのプロバイオティクスの摂取がうつ病の予防や治療に有効な可能性があるとしている。
43人のうつ病性障害患者と57人の健常者の腸内細菌について、善玉菌のビフィズス菌と乳酸かん菌の菌数を比較したところ、うつ病患者がビフィズス菌、乳酸かん菌がともに一定以下であることが判明したという。
日本の精神科医ってものすごくレベル低そう・世界からクソ遅れてそうって偏見持っているけど
日本にはヤクルトがあるし食品メーカー(健康食品)も強いので研究費が降りるのだろう
脳腸相関が科学的に説明できるようになってきています
○ 脳腸相関とは?
機能性消化管疾患の患者さんを診療していて気づくのですが、おなかの症状だけでなく、眠れない、落ち着かない、頭痛、食欲がない、意欲がない、などの精神神経症状を訴えられる患者さんがたくさんおられます。
腸のせいで脳に影響しているのか、脳のせいで腸に影響しているのか難しい悪循環になっているように思えます。「脳腸相関」として医学的には以前からよく知られた現象として有名です。
これまで、便が軟らかくなりやすい下痢型の過敏性腸症候群の患者さんに対しては、「ストレスが原因ですから、生活などのライフスタイルを見直すことが重要です」といった説明をすることが治療の出発だったわけです。ところが、最近の研究によりこのような脳腸相関をある程度科学的に説明することが出来るようになってきました。
過敏性腸症候群の病態においては、腸内フローラの異常、短鎖脂肪酸などの腸内環境の異常により、腸から脳への信号伝達に異常が生じているようです。
消化管内腔の粘膜細胞に刺激が加わると、この信号は迷走神経下神経節を介して延髄孤束核へ、また、脊髄後根神経節を介して視床、皮質へ伝えられると考えられています。これが内臓知覚といわれるものです。この内臓知覚には消化管壁内に存在している内在性知覚ニューロンからの信号も関係していると考えられています。
特に、この内在性知覚ニューロンの情報伝達にはセロトニン3受容体(5-HT3受容体)が関与していると考えられており、過敏性腸症候群の下痢型の治療薬として5-HT3受容体の拮抗薬が著効することが証明され、臨床応用されています。腸内細菌のなかで神経伝達物資であるγアミノ酸(GABA)を産生する菌があることも確認されています。
この菌が少ない子どもは、行動異常、自閉症などになりやすいとされています。自閉症の子どもに対して腸内環境の改善による治療が試みられています。
ストレスの実験モデルとしてラットの脳室内にCRFを注入するモデルがあります。ストレス下で脳から腸へのシグナルの最初は視床下部の室傍核から分泌される副腎皮質刺激ホルモン放出因子(CRF)です。このCRFは、下垂体前葉の副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)分泌を刺激し、ACTHは副腎皮質からの糖質コルチコイド分泌を刺激し、ストレスに対して適応する様々な生体反応を起こします。いわゆる視床下部-下垂体-副腎軸(HPA軸)といわれるストレス応答です。さらにCRFは下部消化管(結腸)の運動亢進を起すとされ下痢型過敏性腸症候群のモデルとして使用されています。
こういったCRF投与によるストレス負荷を受けた腸管では、平滑筋刺激による運動亢進だけでなく、腸内の細菌叢にも変化が生じるようです。脳内のストレスが腸管に何らかのシグナルを送り、細菌叢に働きかけているようです。ラットの実験ですが、CRFを注入する前にラットに水溶性食物繊維を前もって投与しておくと、この腸管運動亢進が抑制されることも見いだしています。つまり、様々なストレスに対して腸管内からのアプローチが可能になってきているのです。
私たちが脳で幸せを感じるもとになる「幸せ物質」のひとつがセロトニンなのです。このセロトニンが脳内で正常に作用すると、ヒトは前向きな気持ちを保ち、幸せを実感し、健康ですごせるとされています。
セロトニンが不足すると、怒りやすく、時間が経過してもそれを抑えられなくなり、キレやすくなるようです。
実は、このセロトニンは腸管で作られているのです。さらに、このセロトニンの生成に特定の腸内フローラが関与することが明らかになりました。
無菌マウスの血中セロトニン濃度が通常環境で飼育されているマウスに比較して低濃度であり、無菌マウスは落ちつきがなくなるようです。
このようなマウスを普通の環境に戻したり、乳酸菌などを投与すると、マウスは落ちつきを取りもどします。子どもの脳の発達には腸内細菌の働きが大変重要であるようです。
腸内細菌にはカラダにとってよい作用をする有用菌(善玉菌)と悪い作用をする悪用菌(悪玉菌)が競り合ってすんでいます。この種類の多くは7歳ぐらいまでの生活で決定されるようですが、その後も腸内細菌の種類、量は多くの因子の影響を受けています。図を見てください。現状で私が考えている重要な因子を並べてみました。
有用菌を増加させるために最も重要なものが食物繊維です。特に水溶性の食物繊維が大事です。
大便の80%は水分で、残りの20%は剥がれた腸粘膜細胞、食べ物のカス、腸内フローラです。「バナナ便」と言われるような健康な大便のためにはいろんな対策が必要です。
重要なポイントは、大腸で「発酵」といわれる反応を上手く導き出すことで、この発酵反応には、材料としての食物繊維と主役の有用菌の存在が必須なのです。ところが困ったことに、日本人の食物繊維の摂取量は年々減少して、最近の調査によると、成人の1日当たりの食物繊維の摂取量は男女ともに15gほどに低下しています。
10代、20代では10g前後と極めて少なくなっています。食物繊維を多く含む食材としては、野菜、芋類、キノコ類、海藻類、豆類などがありますが、洋食の普及と共にこういった野菜の摂取が減少しています。
玄米から精白米にする過程で食物繊維は6分の1程度に減少してしまいます。現在の日本人は平均で5〜10gの食物繊維不足と考えられます。発酵食品は世界各地で昔から食卓に並んできました。
日本でおなじみの納豆、酢、みそ、しょうゆ、日本酒、漬け物、ヨーグルトはすべて発酵食品です。これらの発酵食品の製造には、カビ、酵母、細菌などの微生物、いわゆる発酵菌の働きが必要です。
もっとも重要な作用は、このような発酵菌が腸内フローラを有用菌に変化させることと考えられています。ポリフェノールにより腸内細菌の有用菌が増加することも分かってきました。
太陽化学株式会社:食と健康Lab>学術コラム>脳腸相関が科学的に説明できるようになってきています
そうなんだよな。
こういう議論も学術誌でされてるのにワクチンスキーはまったく触れないからな
>開発スケジュールの短縮により、関節痛、アナフィラキシー、脳炎、横断性脊髄炎、ギラン・バレー症候群などの神経学的疾患など、長期的に発生する可能性のある有害事象や、ワクチンが一般大衆に配布されるまで発見されない可能性の高いまれな有害事象を特定する機会はほとんどありません。
2009年半ばに,ヒトパピローマウイルス (HPV) ワクチン「実証プロジェクト」が,シアトルを拠点とする非政府組織であるProgram for Appropriate Technology in Health (PATH) により, Indian Council of Medical Research (ICMR) およびAndhra PradeshとGujaratの州政府と協力して実施された。これらのプロジェクトは、Bill and Melinda Gates Foundationから資金提供を受けている。使用したワクチン、ガーダシルとサーバリックスは製造会社からPATHに寄付されました。この例では、グラクソ・スミスクラインとメルクシャープとDohme (MSD) 。これらのHPVワクチンは、アンドラプラデシュ州のKhammam地区およびグジャラート州のVadodara地区の約23,000人の10歳から14歳の少女に投与された。
これらのプロジェクトは、七人の部族の少女が死亡し、プロジェクトの非倫理的な設計と実施に市民社会グループが強く反対したことを受けて、2010年に保健家族福祉省 (MoHFW) によって中断された。プロジェクトの実施における「不正疑惑」を調査するため、調査委員会が設置された。委員会の報告書 (1) は、参加者の権利と規制手続きにいくつかの違反があったという主張には同意したが、責任を負わなかった。また、そのような裁判の許可と実施に関与した者は罰せられるべきだという勧告についても、沈黙を守った。明らかな違反の証拠があったにもかかわらず、調査はプロジェクトに関与したすべての者の責任を免除した。
プロジェクトの手続き上および倫理上の欠陥を深刻な観点から捉え、第72回保健・家族福祉議会常任委員会は最近調査を実施し、「ヒトパピローマウイルス (HPV) ワクチンを用いた研究の実施における不正の疑い」 (2) に関する報告書を2013年8月30日にラジャ・サブハで発表した。この報告書(以下第72回報告書という) (2) は、インドにおけるHPVワクチン試験の違反に常に注意を喚起してきた多くの声とキャンペーンを明確かつ包括的に擁護するものである。第72回報告書は、2009年にPATHによって同国で実施されたHPVワクチン 「実証」 プロジェクトが非倫理的であることを認めている。
最近、女性差別がネタ切れしてきたので、大学で一生懸命研究して、「森羅万象を女性差別にこじつけるためのメソッド」を研究しています。
尚、この研究を男性たちに知られたり反論されたりするのはムカつくので、女子大内部に学会を招くなどして癒着し、その学会内でこっそりと発表しています。
まあ、女性と名誉女性だけで構成されていて男性の進入できない聖域内部に学会を招き、そこで学術論文を発表するというのは「反証可能性」から逃げる行為であって、科学や学問にあってはならない不正です。どうか内密にお願いします(笑)
医科系大学が女子減点入試を行っていたことが表に出たとき、マスコミも社会学者だけでなく、一般の男性までもが「女性差別だ」「どうして女性ばっかり可哀相な目に!」「俺たち男は反省しなきゃ」と大騒ぎしていましたね。おつむの弱い男性のみなさん、フェミニストにすっかり騙されてくれてありがとうございます笑笑
ほんと男ってのはバカな生き物ですね笑笑だって男子だって割と不遇な目にあっているんですよ?(笑)大阪電気通信大学は女子加点入試をしていたし、名古屋工業大学は確か今でも女子専用の推薦枠とかあったと聞いています。女子学生専用の奨学金を実施している大学もあります。誰も騒いでくれないから、誰も知らないってだけで笑笑 孤独ですね、男って(笑)
私たちが「女性差別だけ騒いで、男性差別は無視する」という「道徳と心の不正」を続けていたら、頭の弱い男性たちはあたかも「世の中は女性差別に溢れている」と勘違いしてくれる笑笑何て愉快な話なんでしょう。
でもそれだけじゃないんです笑
最近の心の弱~い男性たちは、私たちにでっちあげられた偽りの罪悪感に耐えかねて、自ら進んで女性に搾取されに来てくれている笑笑
管理職の4割以上を女性にする目標だったり、女性優先雇用だったり笑笑アメリカのバイデン大統領なんか、「副大統領は女性に限定する」と言ってくれましたね笑
おバカな男たちを悪者扱いして叩きまくった結果、可哀相な彼らは、「如何に女性のために犠牲になれるか」を競い合って、女性に有利な条件を提示してくれるようになりました笑笑
まるで、自らメスに食べられに来るオスのカマキリみたいですね笑笑笑笑
地位は馬鹿(と書いて「だんせい」と読む(笑))から搾取するに限ります笑笑
まあ、いくら男性とは言っても、一定数は自分の頭で考えることのできる方もいらっしゃいます。でもそういう方たちは、とりあえず「ネトウヨ」とか「ミソジニー」とか罵っておけば、いつか心が折れて黙ります笑笑
頭は女性と対等でも、メンタルと共感力は女性に到底及ばないんですね笑笑
最後に、あまりにも男性が可哀相なので、ヒントを出しておきますね笑笑
いいですか?