はてなキーワード: 大学病院とは
わいは自動車のドア枠で頭を打ってから、ごく普通の語彙がものすごくつまるようになったのと短期記憶がものすごく入らないようになった
・町のたしか脳神経内科のAクリニックにいったら他の患者さんほぼ認知症ぽいやつだった やべえとこきちまった
・長谷川式認知症なんとかよりちょっと進んだアレをやって「なんにもないとおもうけどいちおう脳波とりましょう」っつって別の大病院で脳波とってもっかいAにもどる(2ヶ月くらいかかった)
・「じょは?がてんかんかもしれないんで大学病院に紹介状かきます」でB大学病院(スタートからかなりかかっとる)
・B病院でたしかMRIとかホルモン検査のための血を最初にとって、やっぱ側頭葉てんかんじゃね?と脳波を半年に一度の検査とてんかん薬で数年すごす。
発作が一度も無いので自動車運転解禁されるまで不便だったし薬聞いてるのかわからん。
でも老化でもでてくるし大きな症状がないのでやっぱりきいてなさそうなてんかん薬のみつづけ。
ちなみに二日に4錠のはずが3錠くらい。二日に一回わすれとる。減らんw
あと生活リズムをちょっともどせる状況になってぼーっとするほうは多少マシにはなってきた(頭ぶつける前後ずっと急に起こされる夜勤みたいなことしてた)
33歳。女。発達障害(自閉スペクトラム症・ADHD)と双極性障害2型。ただし、この話に理解のある彼くんは登場しないので、安心して読んでほしい。
父は、一流企業を定年退職した後、趣味で一流大学や一流大学院に通っている。私なんかを養ってくれている。
しかし私が、私を含む社会的弱者、例えばホームレスなどに同情的な発言をしてしまうと、「お前は馬鹿だからパヨクに騙されてるんだ!」と怒鳴り散らす。選挙になると、私を選挙会場に連れていき、この候補に投票しろと命令する。
母は、私が発達障害で、理想的な娘ではなかったため、統合失調症になり、自殺した。母には毎日、よく殴られ、よく蹴られていた。
悲しかったのは、高3の夏に、両親が、私が飼っていた水色のマメルリハインコを殺してしまったことだ。鳥籠を室外機の上に置いて蒸し焼きにした。同じ高校のみんなが旧帝大の医学部を目指している中、MARCHの文系でさえ危うかった私を勉強させるためだと言っていた。日付だって覚えている。2008年7月19日だ。それまでは、親の人間性を信じていた。親に殴られたり蹴られたり死ねと言われたり自殺しろと言われたりしても、いくらなんでも小さな小鳥の命まで粗末に扱うとは思っていなかった。
B型作業所に通っていたが、去年の5月から就労移行支援に通うことになった。職員に、障害者雇用で働くには何が何でも週5フルタイムで動かなければいけないと言われて、夜眠れなくてふらふらでも、レッドブルやモンスターエナジーなどのエナジードリンクを何本も飲んで通ってきた。
月〜金曜日は就労移行支援、土曜日は基本情報技術者の講座に通った。
去年の10月に基本情報技術者には受かった。今はJava SE Bronzeの勉強をしている。
実は、去年の6月頃から咳がひどく、咳の勢いで吐いてしまうので、去年11月にようやく病院に行った。すると、町の内科、市民病院、大学病院と、病院がどんどんランクアップし、肺の腫瘍が見つかり、全身麻酔で肺の腫瘍を切除されるはめになってしまった。2月下旬に良性か悪性かの告知がある。
何がいけなかったのかと考えれば、全部がまずかった気がして、どこから手を付けたらいいのか分からなくなる。良性でも悪性でも、今後どう動くか考えなければならない。
良性だったら、このまま就活をがんばって、障害者雇用でどこかの企業に雇われること。障害者雇用の相場を考えるとかなり無茶な話だが、手取り14万円以上もらうこと。東京都の精神障害者の生活保護費がそれくらいと聞いた。それさえあれば生活できる。
悪性だったら、どうしようかな、生活保護でがんの治療って受けられるのだろうか。
たくさんの反応ありがとう。力になった。
病院には早く行った方が良かった。幸い、PET-CTの結果、全く転移はしていないそうだ。
基本情報のこと、認めてもらえて嬉しい。本番でRAID0とRAID1を間違えるという初歩的なミスをしてしまったけど、なんとか合格できたよ。
2年前に別の増田に書いた、超有能な相談支援専門員とはまだ繋がっているし、今の就労移行の職員も、親身に話を聞いてくれる。また、オンラインカウンセリングでいい公認心理師を見つけて、定期的に話を聞いてもらっている。
あと、精神障害でも障害基礎年金をもらいながら働けるの?身体や知的の人だけだと思ってた。本当なら、生きることが完全に怖くなくなるなぁ。
看護師が世の中に必要な職業なのは知っているし、感謝はしてるけど
世の中で聞く「看護師は勉強が沢山必要!ミスが許されない準医者的立ち位置!」みたいな言説の傍らで
看護師の多くが勉強苦手・記憶力や思考力があんまりなさそう・保育園の先生よりちょっとマシ、みたいなのが多いのがとても謎。。
そして忙しいと言ってる割りに、夜職兼業してたり遊びまくったりしていて、ホントに忙しいの?と思ってしまう。
「つらさ」の大半が上司部下の人間関係で、欝で消えていく人で「業務自体がつらい」はあまり聞かない、
正直「看護師」という職業を神聖視したい自分の感情が色々邪魔しているだけで、8割方業務効率化がされてない分野な気がしてならない。
実際どうなの?
最近ADHDと診断されたから、ならばADHDとの併存も比較的多いASDもあるんじゃないかと思って
「自分ではASDの要素もあると思うんですけど、先生はどう思われますか」
って聞いたのよ。
アトピー仲間みたいなので苦い思い出を話す。自分がわりとトラウマになってることがあって。
あるとき、顔にとんでもない皮膚症状が出て大学病院で診てもらうことになったわけ。
で、とんでもない症状だったから、最初は助教が診てくれてたのに途中から教授が診ることになったわけ。
でさ、患部にステロイド塗れって言われてるから、受診の日もいつものようにステロイド塗っていったら、教授が「うわぁ、ベッタベタだな!」とか心底嫌そうに言ってきたわけよ。
そこで初めて「あれ、もしかして皮膚科受診日は薬を塗ってない状態で診てもらうもんなのか??」って気付いたの。アホでしょ。
それで次の受診日は何も塗らずに行ったら、その教授が「前回はグッチャグチャで訳わからなかったけど、まあ少し良くなってきてるね」って言ってきて。
教授って立場は誰にも忖度しなくていいから、人によっては本音がダダ漏れになるんだなと。
つまり、性行為するときも皮膚科診察に行く時と同じように軟膏は塗らなくていいんだと思う。
自分、大学病院で採血を通算100回くらい受けてきたけど「何かしびれありますか?」って言われたことないな……
「気分が悪くなったら言ってくださいね」(血管迷走神経反射対策だと思う)と、採血後に「何か血液をサラサラにするお薬とか飲まれてますか?」「(アルコールを含んだ脱脂綿の上を)ギュッと抑えててください」「丸い絆創膏で大丈夫ですか?」「5分くらい強く抑えててください」というのは必ず言われる
「注射器が入って何かに当たってる」というのもちょっと分からないなぁ……
採血ではなく皮下注射とか筋注とかだと、そういう感覚があるのかな?
それと、細かいことだけど看護"士"じゃなくて看護"師"だよね
自分は大学病院の採血センターで採血するからいつも臨床検査技師さんが担当だわ
TERFさんは「ごくわずかな」トランスして後悔して「でとらんす」している事例を好んで広めようとしていますけど、その一方で(おそらく「でとらんす」とは比較にならないくらいの多くの事例の一つとして)、きちんとした大学病院にかかってきちんとした医療を受けることができた少女の事例ですよん。
=========================
12年前、心と体の性が異なる性同一性障害(GID)のため、体は男ながら女児として小学校に入学した兵庫県播磨地方出身の優さん(18)=仮名=が、高校まで女子生徒として生活し、この春卒業、就職した。小中高と「心の性」で受け入れられた全国初の事例とみられる。優さんは、GIDの治療指針に影響を与えたほか、同様の子どもに対する学校の配慮が全国的に広まるなど、社会の理解が浸透するきっかけとなった。優さんは「周りの助けでここまで来られた。カミングアウトした友達にも理解してもらい、大変感謝している」と話している。
1歳のころからスカートやぬいぐるみが大好きだった優さんは、5歳のとき、体の性への拒否感が強くなり、ほとんど食事をとらなくなった。そのため母親が医師の助言に従い、女児として小学校に入学できるよう教育委員会に依頼し、認められた。トイレや身体測定も女児扱い。2006年に神戸新聞が報じた際、幼い子どもである点や、ほかの生徒に知らせない状態での異例の受け入れなどに賛否両論が噴出したが、中学、高校でも同様の配慮が教育委員会などで引き継がれ、女子の制服で生活した。
治療面では、小学6年生で第二次性徴が始まり、思春期の体の変化を一時的に止める「抗ホルモン剤」を全国で初投与された。身体面の男性化が抑制され、精神的苦痛が軽減。主治医の康純(こうじゅん)・大阪医科大准教授は「副作用はまったくなく、思春期の患者特有のホルモン療法への焦りがなかった」と振り返る。日本精神神経学会は、優さんを契機に、心の性に合わせて体を変える「ホルモン療法」の下限年齢を、条件付きながら1 8歳から1 5歳に引き下げた。優さんは高校入学直前に女性ホルモンを始め、すでに体は女性化している。
今年2月の高校卒業式。母親は、優さんが学校生活を終えることについて「一般のお母さんと同じ気持ちだと思う。こんなに大きくなってくれてありがとう」とかみしめるように語った。4月には県南部の肉牛牧場に就職。牧場主は「性同一性障害だから心配したというのは特になかった。取引先にも連れて行くが、特に性別について聞かれることもない」という。
周囲の配慮に包まれ、学校生活を終えたが、体への違和感は続いている。高校2年の秋には「お風呂に入っていると、(ホルモン療法で)胸も出てきたのに男でもあるから中途半端でキモい」と話し、「女友達にうそをついている感じがする」とこぼしていた優さん。就職して間もなく4カ月。「将来は(性別適合)手術をして戸籍の性別を変えたい」と話している。
現状の、勤務医は薄給・当直長時間労働の下積み奴隷で、開業したら楽で青天井に儲かる
という構造を維持してるんだよね?
患者側としては最初から大きな病院で診てもらった方が安心なので、小さな町医者は潰して大病院や大学病院に統合してほしい。
爺さんが近所のヤブ医者に「ただの痔ですね」と誤診されて、後で大学病院で直腸癌と診断された時には手遅れだった恨み忘れてないから。最初から設備と専門医の揃った大病院で全部の患者を受け入れる体制にしてくれ。
医者は、大病院の経営者を除いて、開業できなくして全部サラリーマン勤務医にしてほしい。それと医学部の定員ももっと増やせ。
お医者さんの方だって、親の病院を継ぐ予定でなければ、一生勤務医で年収の上限は1,500万ぐらいだけど、工場みたいに8時間×3人の完全三交代制で、開業せずとも人間らしい生活ができる方が良くないか?
都内在住だけど大体は満たすよ。
→△Google Map上では車で30分だけど、実際はちょっと厳しいとは思う。
→◎徒歩圏内
・山や海へ徒歩やチャリで行ける
→○散歩ではちょっと厳しいけど、ジョギングなら竹芝まで時々行く
→◎余裕
→◎余裕
・専門店、美味しい飲食店、気の利いたカフェへ徒歩やチャリで行ける
→◎余裕
・スーパーが徒歩圏でかつ地域の生鮮食品と輸入食材を取り扱っている
→○近所のタワマンの下のスーパーにお世話になってる。地域の生鮮食品はないな…。
・県産の野菜、肉、肉加工品(水飴とか使っていないちゃんとしたソーセージ・ベーコン・ハム)、チーズ(チーズ工房で作ったやつ)が買える