はてなキーワード: 合理主義とは
考察は非常に面白いけどでもたぶん違う、なぜ違うと思うのかを書く。
まず彼はトップレベルの合理主義者だ、カットマンで知られてるし3重国籍だし結婚生活も長続きしない。愛が理解できない人にしか持ちえない能力をいかんなく発揮して人生を謳歌してる。元増田の考察の原点は愛だ、それはただ元増田がゴーンを愛してるからであり愛を理解してる点で合理主義者を理解出来ないだろう。彼はフランスも日本も愛してない、愛を持ってないからだ。ただただ合理的に世の中を動かすことに情熱を持って生きてる人だ。そう、最後の結論では元増田の考察と一致する可能性がある、だから面白いけどたぶん違うと思った。日産が日本企業として生きるべきかフランス傘下として生きるべきかなんてのは経営首脳陣にしかわからない、ゴーンはどう判断してどう行動したんだろうね。
まだ未消化のや未放送のが多いがひとまず。
あくまで1話の感想なんで、2話以降どうなってるかは関係なし。
特に気に入ったのは◎、まあまあ気に入ったのは○。
<あらすじ>
インスタントラーメンを発明するらしい。
<感想>
15分では特に良いとも悪いとも。
アラサー安藤サクラは役柄の18歳に見えるとまでは言わないにせよ年齢不詳な感じに頑張っているが、姉のアラフォー内田有紀は素で下手すると安藤サクラより年下に見えるくらい年齢不詳なので、なんだか不思議な感じになっている。
<あらすじ>
<感想>
一人芝居の分量が多い分、説明ナレーションを多用したり、主人公の推理の酷さを本編内でツッコまず予告でメタ的にツッコんだり、かと言って一人芝居を貫くわけでもなく……ならずっと二人芝居にした方が無理がなかったんじゃ。
<あらすじ>
王子様キャラの男達が伝説の王子の座を競う現代逆ハーレムものってことでいいのか?
<感想>
逆ハーレムに興味なくても楽しめる程度にきちんと馬鹿馬鹿しい。
1話のメインの王子の、死んだ母親から酷い夫の代わりに理想の王子として育てられたという設定はグロテスクな呪いに思えたが、作り手は自覚的っぽく、ヒロインについて心酔する母の生まれ変わりかもなどと多くの女性が引くであろう台詞まで彼に言わせてるあたり興味深い。
14人の王子のドミノ倒しみたいな壁ドンのアイキャッチは絵的には面白いが、王子の、延いては女性の好みの多様性の否定に思える。
<あらすじ>
ざわざわ賭け麻雀。
<感想>
麻雀がわからないとやっぱりもどかしさがあるのと、人生を賭けたドキドキとかべつに味わいたくないなぁというのと。古川雄輝の役も、思い上がった若者が鼻っ柱を折られてスッキリという役割なのだろうがあまり酷い目にあってほしくない。おかやまはじめの追い詰められた小市民役はハマっていたが。
<あらすじ>
<感想>
下世話な面白さは『ブラックリベンジ』同様。夏恋(字面込みで憶えやすい役名だ)って女優がスキャンダルの餌食にならなかったのは都合が良すぎだが。整形前のヒロインの松本まりかの熱演もいいが、悪役平岩紙の「しろなんて言ってないよぉ」「夏恋、頑張って」の言い方がツボ。
<あらすじ>
<感想>
出来あがった実写作品(とあれで言えるかはわからないが)よりも制作過程のアレコレがメインで、テレ東一連の人気役者を使ったドキュメンタリー風ドラマっぽいな。……このシリーズ、わざとらしくて苦手。
『ガラスの仮面』でキャストにド素人集めて上手くいく話があったけど、やっぱり素人は素人だと思った。
<あらすじ>
<感想>
主題歌が『オトナ高校』と同じ高橋優っていいのだろうか。こちらの暗さの方が彼に合っているかもしれんが。
シリアスな分、非現実的な設定が飲み込みづらい。いや、現実にあの法案が通ることはなくても、本音では肯定しちゃうような政治家は結構いそうではあるが。
主人公に真面目に申し上げておくと、恋愛できなくても欠陥品ではないし、合コンの女は酷いが、劣等感を埋める為に結婚を強いられる社会を望むのは相手のことを考えてなくてアウト。
<あらすじ>
だめんずぶったぎってすっきり。
<感想>
うーむ、原作から大きな改変はないけど、原作の面白さが再現されてるかは微妙な感じがする。「もうちょっと聞いて貰えます?」って、ほんと、何故もうちょっと聞かずに話の流れを止めたのだろう。あと現実感がないとすっきり感も薄れるという点で、コメディ的な誇張も注意が必要だと思った。
<あらすじ>
<感想>
原作の海外ドラマは知らない。織田裕二が少々ダーティなのだが、準主役的な子分の中島裕翔もぶっとんだ設定かつ強かさも気の毒さも欠いた微妙な問題児で、感情移入のやり場に困った。
<あらすじ>
<感想>
仕事の能力が低いからといって恋を成熟させる資格がないわけではないが、しかしヒロインを応援したくなる要素が恋敵が悪女であることくらいしかないのはつらい。
<あらすじ>
<感想>
やたら地味な企画だが、『ざんねんないきもの事典』のヒットあたりからの企画だろうか。まったりと楽しくはある。あの宿題は調べるなと言われてもみんなネットで調べちゃうだろうと思ったが。あと動物行動学+人間ドラマって自然主義的誤謬っぽくなりそうと思っていたが、1話は童話のうさぎと亀って動物行動学と関係なかった。
<あらすじ>
高校じゃなく中学の教師と生徒と恋愛もの……って今までにあったっけ?
<感想>
センセーショナルに思われそうな題材だが、パスワードが盗まれたりとかボヤ騒ぎが起きたりとか、高尚ぶらず普通にセンセーショナルな作りであった。
夏川結衣が池谷のぶえと紛らわしい感じになっているのは役作りだろうか(年相応なだけではあるが)。
<あらすじ>
<感想>
会話劇としてクスリとくるところはあったものの脚本の妙を感じるまでには至らず。男二人の髪型被りに意味はなかったんだな。
<あらすじ>
恋人も社長も同僚も営業先も両親もみんないっぺん母ちゃんの腹の中からやり直してきな!!とぶち切れられない理性の人。
<感想>
いや父親は死んでるし母親は縁切ってるし会社も最後に少し救いが見えたが、それにしてもヒロインの境遇のしんどさに震える。救いが見えたと言ってもタイトルからしてどこまでヒロインが戦えるかわからんし。ぐいぐい引き込まれたのはさすがの野木脚本で、今クールの本命だろうという予想はクオリティ的には全く裏切られてないけど、次回以降の視聴率は大丈夫か。いやここで脱落する方が後味悪いからみんな見続けようぜ。
<あらすじ>
<感想>
主人公に珍名を付けようと思いながら小鳥遊というド定番を選ぶ思考回路の謎。
初回の題材が痴漢冤罪なのはいいとしても、自称被害者は真面目な女子大生「と見せかけて実は」ホステスで金目当ての狂言でしたって世間のバイアスに全乗っかりだな。次回予告でもハニートラップなんて文字が踊ってたのはまあ、次回を見てからコメントすべきかもしれないが。
<あらすじ>
『Pure Soul』とその韓国リメイクの『私の頭の中の消しゴム』は憶えてるがその日本リメイクの『私の頭の中の消しゴム』というのが思い出せないが本作はべつにリメイクじゃない。
<感想>
合理主義的な松岡昌宏と婚約する戸田恵梨香も合理主義っぽいが、癒し系のムロツヨシにほだされていくのかな……と思いきやムロツヨシは捻くれてて、なのによくわからんけど戸田恵梨香が菊地・獣・凛子もびっくりの理性のなさでムロツヨシに突っ走ってて理解不能だったのだが、あれはひょっとしてアルツハイマーの症状として理解不能な感じなの? それとも単に大石脚本のヒロインだから理解不能なの?(『コントレール』の肉食系で済ませられないヒロインを思い出した)
<あらすじ>
大変旨~私は忘れる君を。
<感想>
婚約破棄、小説家、長谷川朝晴、そして忘却……って紛らわしいけどアルツハイマーものではなく、グルメものというあまり興味のないジャンルだが、たしかに美味しそうだし、グルメ以外のパートのコミカルな演出も効いている。
別に今の日本の原子力を肯定してるのは科学主義者じゃないぞ。強いて言えば経済合理主義者だな。「直近の金銭的コストが火力や太陽光よりマシ」以外の理由なんてないだろ。科学で言えば、予算さえ出るなら原子力である必要なんかないよ。文脈ちょい無茶すぎるわ。
科学主義と単に言う多くの場合ポジティブなイメージで語られることはない。
科学主義は科学絶対主義や科学原理主義、科学万能主義、科学崇拝主義、科学教などという別名もあるように、科学に対して盲信・狂信的な思考や行動・言論を指すからだ。
科学主義は唯物論・経験論・合理主義・理性主義・実証主義などを備えた考え方で、対論として挙げられるべきは、それらの主義・論と対比される主義・論である。
科学主義者に取ってみれば、よく揶揄されるディストピア論へ対しても「正しく科学が運用されるとディストピアになり得ない」「科学の評価基準は科学である」と解釈するため、そもそも科学主義者の心理の中に「科学の誤った運用によるディストピアは存在しても科学によってディストピアは生じ得ない」とされている。
誤解されがちなのは「科学主義は冷淡で感情を考慮しない」だが、科学主義者にとってみれば「感情も科学によって判定し得るもの」であるため、本当に誤解でしかない。
昨今の日本では東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故によって原子力技術の運用について懐疑的な言論が目立つが、科学主義者は懐疑論を科学の参考にしても懐疑論によって原子力技術の運用をやめない。
科学主義者に取ってみれば万物の根源力たる原子力の究明や実証主義的な運用は言ってみれば聖書・宗教原典の一編の作成へ非常に親しいものであるため、その手は止まるはずがない。
科学主義者は言う「原子力技術を人類は扱いきれないのではない。人類がまだ科学を知らないだけだ」と。
それはコモンズの問題。社会を維持するためには様々な物が必要で、そのひとつがコモンズ。社会参加者の行動規範もあたえるし、法や制度にまで落とし込まれていない福祉とか地域社会の維持とかもコモンズに寄りかかっている。「みんなが当然だと思ってるから機能している無形のインフラ」はおおよそコモンズ。
もちろん町内会やPTAのように徐々に時代とそぐわなくなる慣習やコモンズもあるんだけど、公園がきれいなのも、人気のラーメン屋に行列ができるのも、コモンズのおかげ。
これがあるからみんなが快適に暮らせているわけなんだけど、これって参加者がそれぞれに行動自制や労力を持ち寄ってるから維持されてるわけ。コモンズによって生きていられるのだから、その維持には全員参加で貢献しなければならない。
日本は比較的恵まれてて豊かな先進国なのだけど、その居心地の良さはコモンズが強力であることが背景にある。悪い方面で評すれば同調圧力だけど、良い方向に評すれば謙虚で几帳面な生活文化があるから。金払ったんだから俺らはお客様だぞー! なんてサッカースタジアムにうんことゲロ撒き散らかしたりはしない。
んでまあ、コモンズは前出したように「みんなが心地よく過ごせるという利益を得ているんだから、みんなも維持に貢献しましょうね」って理屈で動いてるんだけど、それを、子どもに言い含めるように理屈抜きで感情駆動にした表現が「日本は良い国、愛そうぜ」ってものだ。
だから、本質的には愛情は必要ない。愛情なくただコモンズの維持に貢献すればいい。でもそれって普通の人間の精神には難しい。参加コミュへ「参加している意識」が必要で、必要ならば愛着心とか向上心とかあったほうがずっと楽で、多くの場合まっとうだ。愛国心はそこまで必要じゃないけれど、社会貢献は必要だ。
「法に反しない範囲であるのならば暗黙の前提や協定であるコモンズなんて破ってもOKだ」という人間がいるけれど、じゃあ、彼らはコモンズから利益を得ていないかというと、得ている。秩序ある社会の利益は万民にとって有益だから。なので、そういうことを言う人は「社会維持観点でのフリーライダー」だとみなされる。
近年、経済的に厳しさを増す中で、ベンチャー企業のオーナーの発言などが合理主義に偏りすぎて、この種の「コモンズに対する搾取」方向になったりして炎上する(法的には無罪なんだから何言っても/何やっても良いだろう系)。また移民が増えれば、彼らは日本旧来のコモンズ維持の習慣なんかは学習していないわけだから、当然日本のコモンズへ貢献しない(でも清潔や安全や信頼ベースの商習慣などの利益は得る)。そういう光景が日常化して、世間でも、コモンズの維持に敏感になってきているように思える。日本的に言うと「これだから他所者は信用できない」だ。
愛国心を求めるような言説はその文脈に従って理解されるべきだと思う。要するに大事なのは地域社会の心地よさなんだから、そこに参加して貢献すればそれでいいだけだ。
2018/06/10 13:44 追記
なんかブコメいっぱいつけてもらったんで、補足を追記。上記の生地は裏返しても成立する。つまり「国を愛する精神を声高に叫んでも、地域社会の維持に貢献しなければコモンズ的にはタダ乗り」。素人Web論壇みたいなのが花盛りで、そういう「愛国心だけをさけぶひと」が可視化されちゃったのも不幸なことだと思う。公共の場所はきれいに使う、列の割り込みはしない、軽挙妄動せず災害に備えて準備する、子どもがかけだしたら安全に注意する。別に大した話じゃないのに愛国なんとかで締め付けるのは窮屈。良い文化は捨てる必要ないよ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
19世紀の頃いわれた「ロマンスは死んだ」とかが、それにあたるな。
ロマンスとは何かについて語っていてはキリがないので、ここでは「騎士道」などの「合理主義的ではない思想」程度の認識でいてくれ。
騎士そのものは形骸化し、文学などで語られることのほうが多くなっていた時代だから、そういった考えが出てくることは不自然じゃない。
この「ロマンスは死んだ」を誰が言っていたかまでは確証がないのだが、当時のイギリスの思想家の本に「ロマンスは死んだと言う人がいる」と書かれている箇所がある。
しかし、その著者自身は「ロマンスは死んだ」という説に否定的な態度をとっているが。
現代、騎士そのものについて言えることはないが、騎士道についてどうかというのは、私が語るまでもないだろう。
「死んだ」と言われて、それでも生き残ったものは「死んだ」と言われなくなる、ということだ。
まあ、本当に死んだものは「死んだ」とすら言われない、言ったとして大衆の耳には届かないという可能性もあるが。
いずれにしろ、少なくとも今のところは、ストーリーはまだ死んでいないということになるな。
むしろ他の国のほうが、この手の問題には熱視線が向けられているかもな。
Windowsみたいなのが普及していない、まだ映像メディアがVHSのころからファンサブってものがあったくらいだから。
翻訳の良し悪し云々の前に、字幕をつけることすら個人では困難だった時代だ。
それでも、一部の熱狂的なオタクは金と時間をかけ機材を揃えて字幕を打ち込み、それが無理なら翻訳した小冊子をつけるという荒業まで使って、当時はまだ狭かったオタクの村社会の中で作品を楽しんだり普及に努めたのだ。
非公式かつ違法であることを重々承知な上ではあったと思うが、当時は日本の多くの作品がローカライズされない、されたとしても大幅な改変をされることが多々あったからな。
どうしても見たい、或いはしっかりと楽しみたいならば、企業をアテにするのではなく自分たちでどうにかしたほうが良かったわけだ。
現代においては、(少なくとも昔よりは)公式もローカライズを積極的に行うようになった。
昔よりも容易く字幕を打ち込み、世界に発信することが可能になったからだ。
更に言えば、公式のローカライズは多くが“不甲斐なかった”というのもある。
近年の話だと、それなりに力を入れているとされるアトラスですら、「ペルソナ5」の翻訳は不評の声が多かったのが有名か(ゲーム内容そのものは好評だったが、それ故に不満が募るのだろうな)。
もちろん、そんなファンサブですら酷い翻訳は珍しくなかったし、ニュアンスの違いで意見が割れることも多々あったが。
公式、非公式問わず、そういった翻訳がネタにされやすいのは世界共通なので、画像検索すればいくつか出てくると思うぞ。
英語をかじった程度の私ですら、明らかに変な英訳だって分かるレベルだから安心したまえ。
このあたりの話を語っていたら、いくら文字数制限があっても足りないので、「どの時代も翻訳とオタクは面倒な存在」という雑な結論で締めくくらせて貰おう。
例えばブラックホールの実際の現象なんて実験しようがないのに理論上の話だけで研究が進んでる
この場合に悪魔の証明を言及したところで理論上の学問として先行してるんだから何の意味もない
今手元にある裏付けされた理論と結果で先行してるんだから現実的じゃないのは前提だから
それに追い付くために現実を変化させるというのを物理学や数学や情報工学や医学はやってきたわけ
恐ろしく精密な仮定の針が合わさったジェンガが科学を発展させてんの
今この文章読んでる中で今のアメリカの核開発が仮想空間の中での実験なんて知ってるやついないでしょ
大気中、地中、水中、宇宙空間での実験を禁止したけど、コンピュータ上での実験は禁止してない
真理は現実の中だけにあるわけじゃないの
単にできることしかやらないだけなの
それを解決するために不変的な性質を確認していって間違いが起こらず時代背景に左右されない真理に到達しようという学問が
哲学を学ばない、理かいしていないはてなーたちがいくらうわべや表層で主観問題を語ったところで全部無駄
そんなものは主観問題で塗りつぶしの聞く答えであって恒久的な解決策から程遠い
ただの間違い、その場しのぎでしかない
>「ドリーム」おすすめ。邦題でなんやかんやあったけどストーリーはまじで面白い
この助言を頼りに無名の戦士・増田は映画の深淵を歩いていたが、落下死した。
とんでもない。
具体的にいうとトイレが分けられてる、
ポットが分けられてる、
図書館が使わせてもらえない、
大学で学ばせてくれない、
昇進させてくれない、
この程度。
なんか登場人物たちが有能故に各々勝手に解決して勝手に助かった。
主役の職場問題なんてヒステリー起こして「正直すまんかった」みたいな雰囲気になって解決。
俺を殺したいのか。人権侵害です!
まあ白人に侮蔑発言を言わせまくるとそれはそれで問題起きるんだろうな。
でもそれならこんな映画作んなよ。
そうだよ。
NASA博物館とかでこの映画流してればいいんじゃないですかね。
良いよ。
わざとらしくもない。
むしろ演技がうまいからこそ話が面白くないのが際立ってしまってたよ。
これがジャニーズ主演の邦画ならお遊戯を見に来た微笑ましい感覚になれたのに。クソ!
うん。
話に盛り上がりが2つあって、
でもそこまでインパクトがない。
大した伏線もないし優秀なスペックで解決したみたいな話でしかない。
まあ、実話なんてそんなもんだよね。
最後にコーヒーを指し入れしてできた書類を上司に渡してたくらいか。
黒人差別を訴えたいのか、
女性差別を訴えたいのか、
仲間の大切さを訴えたいのか、
合理主義を訴えたいのか、
何ひとつ大きな主張にならないまま終わった。
実話に忠実にしたからこうなったのか、
そうとも限らない。
ところどころ面白かったところもある。
昔の映像がところどころ使われているのも
ただそれをピックして観に行くべきだとは口が裂けても言えない。
「アカ(ソ連)に立ち向かうために、黒人と白人で分けて考えずに団結して立ち向かおう!」
この辺りに差別が根本的になくならない理由がギュッと詰まってる。
これがドリームが最も言いたかったことなんじゃないかと今ではそう考えている。
この冷戦より引きずったままの思想差別によって引き起こされるということを
努々忘れるなかれというのがドリームの警告だったのではないか、と。
これが事実だとしたらこの映画は相当計算されて作りこまれている。
アメリカ人たちが気づかない本当の暗黒のような差別がこの映画には潜んでいる。
なにせ、その思想差別の果てに殺し合いの道具を開発しているのが、
そして今現在も、それは続いている。
全く持って、ハッピーエンドではなかった。
てっきり
結果こそ全てであり
その結果には肌の色は関係がないので
故に差別をしない。
みたいなNASAの完全合理主義思想で差別撤廃を訴えかけるのかと思っていたら
東の果ての異国の地に住む黄色いチンパンはスクリーンを前に恐怖に慄いた。
俺が肌が黒いだけで不当な差別を受けているならこの映画に共感できて感動したかもしれない。
でも俺は肌が黄色いし黄色いことで不当な差別も受けたことが無いので全く共感できないし、
面白くもなかった。
なのでドリームは☆5つで採点すると、3.5かな。
素直にダンケルク観に行けばよかったです。
日本社会が日に日に衰退していくのが明らかすぎて辛い。
あらゆる領域で途上国と思ってきた国々に横並びどころか抜かれるまでになった。
日本人は非合理的なことでもステレオタイプによって、思考抜きで正しいと盲信する。
政治家は政治家で、誰も未来に対しての政策を取らない。もう政策がバカすぎて絶望しか感じない。
いつまでも医療期間に金をばらまき、老人の寿命を引き伸ばすことに今なお大量の税金を使い、健康寿命そのまま、死に損ないを大量生産し、少子化を無視だ。
少子高齢化をどんだけ進めたいんだよ。俺が日本を内部から破壊するなら、今の政治家がやっていることと同じことをする。
ちょっと洗脳してしまえば、この少子高齢化は意図的であることを隠せるからね。
自民もカスだが、希望も負けじとカスだ。能無しだが金への執着が強い人しか政治家を志さない日本は終わってるよ。
2050年には日本は崩壊すると言われていたが、それどころか2040年ですら怪しいらしいじゃないか。
それでも政治家はせっせに老人の靴をなめて票を稼ぐ。
この先予測されることは、平均年齢が若く人口増にある国は内需に頼ることができるが、日本は真逆。あと数年足らずで2人に1人が50歳以上という異常事態だ。
内需は絶望的、さらにもう既に国際競争力はない。日本って世界で最も未来のない国なんじゃなかろうか?
つまりこの先、仕事も社会保障もなくなる日本で生き抜くということは、既に資産をつくりあげた資産家だけ。
こんな地獄のような国ができあがるくらいなら、ヒトラーみたいな非人道的だが超合理主義人間に日本を立て直してもらいたい。
極限状態において、それもやむを得ないよね。
馬鹿の書いた文なので読みづらさと論考の浅さはご勘弁。
なんとか読み取って言わんとすることを拾って書き直してくれる人が現れることを祈って・・・。
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すなわち、署名活動のメッセージを受け取る相手が、参政権と関わりのない企業等であること。
署名を受け取るまでもなく消費者の意見がまとまり、企業等に伝わっていることがある。
後者は、法的に意味を持っていない場合に署名活動が持つ効果、「消費者の意見をまとめ伝える」ことが既にされている状況を示す。
特に後者は、SNS時代の現代において起こるようになり、また起こりやすい状況である。
分かり易い例で言えば、SMAPの存続、解散撤回を求める署名運動やけものフレンズ、たつき監督の存続署名運動がある。
どちらの例も、署名がどれだけ集まろうと法的強制力はない。その意味に限れば、署名活動は無意味である。
しかし、実際、SMAPしかり、けもフレしかり、無意味であるのに署名活動がされている。
何故だろうか。
ではその意味とはなんだろうか。
前述の通り、署名活動が無意味であると全員が認識していれば、そもそも署名が集まることはない。
つまり、署名活動の参加者は、単に無意味な活動だとは思っていないのである。
そしてもう1つが、「システムとして無意味だと分かっていてもやる」という儀礼的、感情的な活動参加の可能性である。
後者の儀礼的、感情的参加の可能性は、法的に意味がある場合の、本来の署名活動に倣ったパフォーマンスのようなものだろう。
「無意味だと思っていてもやる」 この儀礼的感情的参加による何かしらの影響が、署名活動の意味となっている可能性がある。
ここで、一旦「何かしらの影響」の検討は棚上げし、
冒頭で無意味と説明した状況かつ、消費者が署名活動に意味があると考えて参加している前提で、
はじめに個人によるネット主導や、ファンクラブのような集団主導で署名活動が動き出す。
すると、署名活動中にはネットニュースになったりテレビに取り上げられたりされ、活動はヨリ認知される。
この様子は、ときにテレビや雑誌などのマスメディアで流されることもある。
なるほど、署名活動によって、『世間に意味があると思われている「署名活動」』の情報が広がっているのだ。
企業の単なる動静でもなく、消費者群の大きな潮流でもなく、「署名活動」の情報が伝播しているのだ。
これにより、「署名活動」がされたぞ、○○万人も署名したんだぞ、企業はどう動くんだ?という見方がされる。
「署名活動」がされたという見方、法的強制力のある場合に倣った見方がされている。
そう、参加するほうも儀礼的なら、世間の見方も同様に儀礼的見方がされるのだ。
すなわちこれは、法的強制力とは直接関係のない、社会による風潮であり、勝手なルールなのである。
””署名に意味がある→署名が集まる→世間やマスコミが注目する→企業が注目され、圧がかかる→有意義”” なのだ
加えて言えば、署名による圧により企業が動けば、署名に意味があるという最初の要素に立ち返り、署名活動は自己循環する。
「署名に意味がある」という定義だけが世間に残り、自己循環の度に、署名と意味の関係は強くなる。
ただ厄介なことは、「署名に意味がある」という定義は、参政権に基づいた署名も、企業への署名も、同じ定義を共有して考えられてしまっていることだ。
これが、法律と社会の風潮との誤差になっており、度々、「署名は無意味だ」と言われる原因ともなっている。
この流れは、血液型性格診断と似ている。
血液型性格診断は、科学的に全く根拠がないとされている。しかし、実際はA型が几帳面であるとかO型はガサツであるとか、よく耳にする言葉である。
幾度となく科学的に否定されようと、その声が絶えることはない。
それはおそらく、実際に血液型と性格が一致していることが多いからなのであろう。
なぜ一致してしまうのだろうか。
科学的理由ではないところに、根拠を求めるとすれば、個人の心理や社会にあるだろう。
全く勝手な推測だが、例えば「A型は几帳面だ」と周囲の人間が思っており、
そのように言っていれば、言われた方は暗示が働き、几帳面として振舞うように個人の性格が方向付けられてしまうのではないだろうか。
全ての人間が周囲からの情報で性格が決定づけられるとは当然考え難いが、それでも多少の影響はあるだろう。
人間の生物的根拠とは無関係に、社会的、心理的作用として、血液型と性格が因果関係を持つこともあるのである。
だからこそ、血液型性格診断そのものの科学的根拠はないという、ただその一点で血液型性格診断を否定するのは浅はかではないか。
そして、本文の主題に立ち返り、換言すれば、
署名活動そのものの強制力だけで無意味と切り捨てるのは浅はかであるということ。
「意味がある」という前提が意味のないことを意味あるものにしてしまうパワーがあるということが言えるだろう。
簡単に言ってしまうのはもったいない。社会の不思議なパワーを、今こそ使いこなすべきではないか。
PS.
つらつらと、署名活動を応援するようなコメントを書いてきたけれど、どちらかと言えば私は活動否定派です。
単にこうしろああしろ等と、感情と風潮に訴えるだけの署名には効果を感じません。
というのも、なんというか現代の合理主義的社会関係に見合ってないからです。
かと言って、不買運動を起こすなんてのは、ホトトギスを殺してしまうようでスマートじゃない。
だから、その間を取って、「ユーザーの意見聞かないと、これこれ買うの辞めますよ」って署名を集めるのはどうでしょう。