2017-09-26

無意味署名活動の意義 ~署名自己循環~

馬鹿の書いた文なので読みづらさと論考の浅さはご勘弁。

なんとか読み取って言わんとすることを拾って書き直してくれる人が現れることを祈って・・・

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署名活動無意味だ」

ただし、署名活動無意味になる状況は限られている。

すなわち、署名活動メッセージを受け取る相手が、参政権と関わりのない企業であること。

署名を受け取るまでもなく消費者意見がまとまり企業等に伝わっていることがある。

前者は、法的に署名運動意味を持っていないこと。

後者は、法的に意味を持っていない場合署名活動が持つ効果、「消費者意見をまとめ伝える」ことが既にされている状況を示す。

特に後者は、SNS時代現代において起こるようになり、また起こりやすい状況である

分かり易い例で言えば、SMAPの存続、解散撤回を求める署名運動けものフレンズたつき監督の存続署名運動がある。

どちらの例も、署名がどれだけ集まろうと法的強制力はない。その意味に限れば、署名活動無意味である

しかし、実際、SMAPしかり、けもフレしかり、無意味であるのに署名活動がされている。

何故だろうか。

その理由は当然、「意味がある」からであろう。

ではその意味とはなんだろうか。

前述の通り、署名活動無意味であると全員が認識していれば、そもそも署名が集まることはない。

まり署名活動参加者は、単に無意味活動だとは思っていないのである

ここで大きく2つの心理が考えられる。

1つは、意味があると思い、署名活動に参加している可能性。

そしてもう1つが、「システムとして無意味だと分かっていてもやる」という儀礼的、感情的活動参加の可能である

後者儀礼的、感情的参加の可能性は、法的に意味がある場合の、本来署名活動に倣ったパフォーマンスのようなものだろう。

無意味だと思っていてもやる」 この儀礼感情的参加による何かしらの影響が、署名活動意味となっている可能性がある。

ここで、一旦「何かしらの影響」の検討は棚上げし、

冒頭で無意味説明した状況かつ、消費者署名活動意味があると考えて参加している前提で、

活動の流れを簡単検討する。

はじめに個人によるネット主導や、ファンクラブのような集団主導で署名活動が動き出す。

すると、署名活動中にはネットニュースになったりテレビに取り上げられたりされ、活動はヨリ認知される。

署名が集まると、嘆願書企業に提出される。

この様子は、ときテレビ雑誌などのマスメディアで流されることもある。

なるほど、署名活動によって、『世間意味があると思われている「署名活動」』の情報が広がっているのだ。

企業の単なる動静でもなく、消費者群の大きな潮流でもなく、「署名活動」の情報が伝播しているのだ。

これにより、「署名活動」がされたぞ、○○万人も署名したんだぞ、企業はどう動くんだ?という見方がされる。

署名活動」がされたという見方、法的強制力のある場合に倣った見方がされている。

そう、参加するほうも儀礼的なら、世間見方も同様に儀礼見方がされるのだ。

すなわちこれは、法的強制力とは直接関係のない、社会による風潮であり、勝手ルールなのである

署名意味がない→署名が集まらない→無意味 でもなく

署名に法的強制力がない→無意味 でもなく

””署名意味がある→署名が集まる→世間マスコミが注目する→企業が注目され、圧がかかる→有意義”” なのだ

加えて言えば、署名による圧により企業が動けば、署名意味があるという最初の要素に立ち返り、署名活動自己循環する。

署名意味がある」という定義けが世間に残り、自己循環の度に、署名意味関係は強くなる。

ただ厄介なことは、「署名意味がある」という定義は、参政権に基づいた署名も、企業への署名も、同じ定義を共有して考えられてしまっていることだ。

これが、法律社会の風潮との誤差になっており、度々、「署名無意味だ」と言われる原因ともなっている。

この流れは、血液型性格診断と似ている。

血液型性格診断は、科学的に全く根拠がないとされている。しかし、実際はA型几帳面であるとかO型はガサツであるとか、よく耳にする言葉である

幾度となく科学的に否定されようと、その声が絶えることはない。

それはおそらく、実際に血液型性格が一致していることが多いからなのであろう。

なぜ一致してしまうのだろうか。

科学理由ではないところに、根拠を求めるとすれば、個人心理社会にあるだろう。

全く勝手な推測だが、例えば「A型几帳面だ」と周囲の人間が思っており、

そのように言っていれば、言われた方は暗示が働き、几帳面として振舞うように個人性格が方向付けられてしまうのではないだろうか。

思い込み自己暗示の力である

全ての人間が周囲から情報性格が決定づけられるとは当然考え難いが、それでも多少の影響はあるだろう。

人間生物根拠とは無関係に、社会的心理的作用として、血液型性格因果関係を持つこともあるのである

からこそ、血液型性格診断のもの科学的根拠はないという、ただその一点で血液型性格診断否定するのは浅はかではないか

そして、本文の主題に立ち返り、換言すれば、

署名活動のもの強制力だけで無意味と切り捨てるのは浅はかであるということ。

意味がある」という前提が意味のないことを意味あるものにしてしまうパワーがあるということが言えるだろう。

署名活動無意味だ」

簡単に言ってしまうのはもったいない社会不思議なパワーを、今こそ使いこなすべきではないか

たつき監督。がんばれ。

PS.

 つらつらと、署名活動応援するようなコメントを書いてきたけれど、どちらかと言えば私は活動否定派です。

 署名活動をするなら、もうひと工夫するべきだと考えています

 単にこうしろああしろ等と、感情と風潮に訴えるだけの署名には効果を感じません。

 というのも、なんというか現代合理主義社会関係に見合ってないからです。

 かと言って、不買運動を起こすなんてのは、ホトトギスを殺してしまうようでスマートじゃない。

 だから、その間を取って、「ユーザー意見聞かないと、これこれ買うの辞めますよ」って署名を集めるのはどうでしょう

 すぐに不買に動くわけじゃないから、企業も損をせずに対応を決められる上に、ちょっと意見の強さは増すし。

 うーむ。でもこれじゃまるでゲームを取り上げるお母さんのやり口だな・・・

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