はてなキーワード: 十倍とは
私も痴漢集中してあったの人生で一番太っててメイクも覚えてない変な服ハマってた時だったよ
服は良いと思って着てたけど太ってる自覚はあったから誰でもいいんだなあと思ったしこの人私が声あげたら人生半ば終わるのによくやるなあと思ってたよ
今みたいに痴漢冤罪も叫ばれてない時だったしそこまで賭ける価値あるか私触る事にいや私じゃなく尻を触る事に人生賭けてんのかなって
むしろ何か哀れというか興味深い部分もあって少なくとも私よりはいい体してかわいくてエロいおねえちゃんがいる風俗とかじゃ満たせない何かがあるんだろうなこの人にはって
満員電車で尻触ったあと同じ線だったのか降りて次の空いてる電車まで付いて来て横座って腕組んで隠した手で乳触って来た事もあったんだけど
うわーやべえなこいつとは思うんだけど怖いとは思った事ないのはたぶん触られる事を自分への性的な害だと思えてなかったからかもしれないなと今思ったよ
変な言い方だけど別に触られてもどうでもいいというか
こんな小太り(良い様に言っている)をわざわざ選ぶの?本気で???とは思ったんだけど自尊心が低いとかじゃなくむしろ自分でも頭おかしいと思うぐらいに変なとこで高すぎなきらいがあって触られたところで自分の嫌だという感情が動く存在にさえ思わなかったというか
痴漢の人には悪いんだけどその瞬間存在として一気に凄い下に見ちゃうというか蟻に足はわれた方が何十倍も寒気するというか
相手はそれで性的快感得てるんだろうけどこっちはそうじゃないしというかいいんですかそれでも本当にというか
当事者意識があんまりないというか考えちゃうんだよ何で尻がいいんだろう隠されてるからそこに性的な要素を見出すのかなとか性的とされてるから触る時に尻を選んで触るのかなこっちがただ尻撫でられてるなとしか思ってなくてもそれでもいいのかな本人はそう思ってないからいいのかなとか
私に害を為せるような価値のある存在って認識じゃなかったんだと思う
すごい言い方だし若干自分でも引いてるけど
満員電車も男性の横に座るのも何の抵抗も無かったしそこに痴漢を想起自体しなかったんじゃないかな当時
電車って場所を痴漢と結び付けなかったというか電車に乗ったから満員だから起こったんじゃなくそこにいた個人がやろうと思ってやったから起きたみたいな
友達は普通に道歩いてて前から来た自転車にすれ違いざま胸触られたしそもそも起こる時にはどこでも起こるでしょって感じだったのもあったのかも
電車に痴漢て存在がいるっていうか誰かがたまたま電車で痴漢したのに当たったみたいな
どこにでもいるだろうしどこであうかも分かんないし隕石と同じというかその理不尽さを諦めて受け入れてるというか
鳥の糞みたいなというか鳥の糞の方が嫌なレベルだよ
私小型犬怖くて友達の家のミニチュアダックスに絡まれた時はいい大人なのに鳥肌立って涙出て変な笑いが止まらなかったし映像見てるだけでも足がゾワゾワガクガクすんのね
痴漢にはそういうのが全く無かったんだよ
それは私には犬が意思疎通できないされるがままでしかない何を考えてるかよく分からない何をしてくるか分からない想像する事も出来ない存在で痴漢はただ尻と胸を触る事に人生を賭けてまでしないと性的に解消できない癖を持ってしまった哀れなクソだったからなんだけど
ちなみに犬の事は今も考えただけで鳥肌が立って鼓動が早まっているよ
でもたぶんでんしゃのれないのはそういう感覚なんだろうなとは思う
お母さんにまずは全部言った方がいいと思うよ
ショックだったけど友達にわざと明るく連絡した事も先生に話して少し救われた事も自分じゃ冤罪に思われるかもって思った事もそれでお母さんに言われて傷付いた事もたぶん少し悔しかった事もでんしゃのれないことも全部
出来るなら一緒に駅乗るまで来て貰っても電車乗って貰って受験に付いて来て貰ってもいいしタクシー呼んで貰ってもいいしして欲しい事も遠慮とかせず全部言った方がいいよ
良い答えが返ってこなくても適当に流されても落胆しないですぐに女性専用車東京はあんまりわかんないけど色んな線調べて把握して遠回りでも何でも他の交通機関も検討して情報量で攻めるんだよ
何にも無い日に朝とかすごい早起きしてガラガラの電車にチャレンジするのもいいよ
でんしゃにのれない今の気持ちからのれない電車のれない時間に車両に場所にって自分で少しずつ確認してできるとこからまた慣れてくんだよ
でんしゃのって嫌な事とでんしゃのれなくて嫌な事のれて良い事細かい事まで気持ちも全部ちゃんと手書きでメモでもノートでもコピー用紙でも箇条書きにしてのって良い事何度も読み返してそれ持って駅行ってそこでも読んででんしゃのって別に何も起こらないで降りてその後までの自分をリアルに何度も想像するんだよ
痴漢にあって相手を突き出すシミュレーションをバリエーション豊かに想像してもいいよボコする想像でも誰かが助けに入ってくれてそっから恋が生まれるような突飛なやつでもいいよ実際には出来なくてもいいんだよ
良い想像する時やでんしゃのれて良い事を考えてる時には必ず同じ曲聴いて駅でもそれ聴くといいよ
一方的な怖さより腹立たしさ敵意を勝たせてクソが!!!何でおまえに今後訪れるかもしれない幸せを奪われなきゃいかんのだ!!!!というマインドにするといいよ
冤罪扱いとか怖かったり満員電車で見当つけられなかったりするかもしれないけどそれはあなたが優しかったり気が引けてしまっているだけで痴漢より常に優位な立場にいるのには変わらないよ
私の小型犬のと同じで一度怖い目あったと思ったら頭で分かってても無理なのはそうだと思うけどかぼちゃと思えじゃないけど対象への概念の理解を変える事でマシにはなるよ
自分にショックを与える存在がそこに待ってるんじゃないんだよそれはそういう生態の生き物で意図なんかなくあってもそれはこっちを認識さえしてないただ目の前のものに寄っていくだけの存在って思うのもいいよ
私は小型犬を不規則に動く意志を持たない肉の塊で犬ではないと心で唱え無になるように自己暗示をかけるよ
無になれる事を自信にその場に行くんだよ
書いてて小型犬の動きを想像して私は今恐怖で涙を浮かべて息が荒くなっているよ
痴漢は小型犬じゃないから動きも目的も予想つくしやろうと思えば振り払う事も睨み付けて意思を伝える事も何より痴漢本人も含めてみんな痴漢がクソだって分かってるのが大きいよ
小型犬は誰もそう思ってないからどうにもできないし人として振り払う事も何もしようがないのに不意に屋内含め満遍なくどこにでもいるから無になるしかないよ
アスファルトをうつ小刻みな足音が向こうから近付いてくる幻聴が聞こえるよ
きっとどうにかなるよ
受験頑張ってね
今、部外者として一番退屈しないウォッチ案件が、海外産の安いパーツにシールを貼り、自作と称して原価の数十倍で売った「魔法具メルト」である。
あくまでも眺めているだけなので、最終的に誰がどうなろうが知ったことではないのだが、ある傍観者から見えたこの事件の一面を記そうと思う。
・処女→画像などにメルトの所業をまとめてツイートし、メルトを炎上させた人。
・夢乃→メルトから石を買ったが壊れてしまい、返金要望に応じてもらえずにいた女の子。処女に壊れた石の画像を提供した。
・ツバメ→石を売ってる人。メルトに素材や写真を提供している。
自分が見たものはツイッターだけなので、この目で、この耳で確認したものは一つもない。その上で、上記は大体事実だと認識をしている。
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極論してしまえば、ハンドメイドは「材料を集めて良い感じに組み立てたものを作品とする」ものなので、メルトがハンドメイドをやっている、はまあわかる。
「他のハンドメイド作家の苦労を云々」と言っている外野は、アイデア勝負のこの世界で、「みんな苦労してるんだからお前もちゃんと苦労しろよ」みたいなトンチキなことを言っている感もある。ハンドメイドは閃いた者勝ち、やった者勝ちだ。楽をする手法を編み出して量産するのもアリだろう。問題はそこではないと個人的には思う。
ただ、嘘は良くない。
しかも、自分の作品を好きになってくれて、お金を出して欲してくれる貴重な人間に対しての嘘だ。その人の好意や信念に対する裏切り行為である。
めちゃくちゃいいものです!と言っておきながら、二足三文の紛い物を掴ませてるんだとしたら、それはまあ、普通の悪徳商法に他ならない。
そして、「ハンドメイド界隈はそういう悪徳商法が普通だ」と思われたら、それが一番大問題だろう。だから、この話が本当だったら、ハンドメイドを愛し、ハンドメイドに生きる者たちは、自分たちの居場所が危険にさらされてしまう。彼らが怒るのは無理もない。
勿論悪徳商法の被害者だって怒る。事実を知り、お金を払う価値がないと思ったら尚更だ。
しかし嘘さえつかなければ、あるいは嘘のような奇跡が存在しなければ、こんなことは起きないだろう、とも思った。
・何がまずかったのか
これは色々ある。
仮にメルトの証言が真実だったとして、その中に「明確に潔白を証明できる」ものが一つもないのもまずい。本人がそれを分かっていなさそうなのもまずい。余罪が出てくるのもまずい。RTキャンペーンを放置したとか。
しかし本当に何より、絶対に確信を持ってまずいと断言できるものがある。
サウンドノベルをやっている人達が、たまに面白半分で「これを選んだら絶対にバッドエンドに行き着くだろうな」という選択肢を選びまくることがあるが、素でそれをしているとしか思えないほど、「よりによって……!!」という最悪の対応を選んでいるのがメルトのツイッターである。
問い合わせしてきた人へのリプライや突然のお知らせ、全てに「他人の神経を逆撫でする力が宿っている」と言わしめるレベルの対応をしており、これを見て中立から「こいつは敵だ」と認識したギャラリーもかなりいると思う(自分も案件の真偽はさておき、ツイッターを見てこいつはヤバいと思った)。
在りし日の名言を借りるなら「物売るってレベルじゃねーぞ!」である。
この辺りは百聞は一見にしかずと言う通り、気になるようであればメルトのツイッターを一読してほしい。
これは些事だが、敵に回した相手がまずい、というのも個人的に感じた。
ツイッター上での行動スピードが速すぎる、どんなツイートの裏も素早く特定しにいく、他の味方との連携も取れている、よく鍛えられた暇人である。
もしこういう人に「炎上させてやる」と思われたら、自分が潔白でなければ、腹を括ってアカウントを消そうと思い至るかも知れない。
・ツバメ氏
彼の登場で、事態がすこしややこしくなった。というのは、メルトの発言が「100%嘘というわけではない」ことが彼の証言から伺えるからだ。
これは「虚言癖メルトはヤバい」という切り口で火の手を上げてきた人達にはやや重大なことだろう。あくまでも中立という立ち位置を守ろうとする慎重な語り口もあり、ツバメ氏を被害者に仕立て上げられなくなってしまったからだ。
その後も色々なアカウントに対し「物事の良し悪し」のみを軸として語り、メルトを断罪しないよう思慮深い返信を繰り返しており、彼自体はとても賢い人物だと感じる。
彼の「間違いが起きれば因果関係によって結果は出るでしょう」という言、とても深い。
・訴訟
もしこの一連の内容が嘘なのでない限り、メルトが訴えに行ったら逆に敗訴だと思うのだが、先に弁護士などに勝てる見込みなどを相談しなかったのか?と疑問を抱いてしまった。
いずれにしろ、どちらかが燃え尽きるまで目が離せなさそうな案件である。
メルト、次に商売をするときは販売担当スタッフを雇った方が良いのではないだろうか。可能であればクレーム対応のプロが良いと思う。
それとともに、オークションサイトにそのチケットが販売されている件数が増加している。
そんな中コンサートの感想をツイッターで見ていると、激戦であるにも関わらずすべての公演に参加している者が数名でてくる。
いくら友人の協力があったとしても、ツアー全て当選するのは明らかにおかしい。
きっとこの人は転売されたチケットを購入しているのではないだろうか。
オークションサイトを見ると通常の何倍の値段に跳ね上がっていても売買が成立しているものがある。
どんなに金を払っても行きたいファンがいる限り、こういった事は無くならないだろう。
転売をする側の対策は各チケット会社やイベント会社ごとに対策をとっているが、結局無くならないのが現状だ。
それよりも不正行為をしてでも行きたいファン側の方を対策した方が早いのではないだろうか。
たとえば、チケットの抽選が終わった後、キャンセルされた席や見切れ席立ち見席は一般販売が行われるが、
これを公式が何席かオークション形式で販売すれば良いのではないだろうか。
通常のオークションサイトでは転売ヤーが儲かるが、この場合チケット代が何十倍に膨れあがっても公式にお金が入ることになる。
公式が行うことで、転売ヤーから高額でチケットを購入するものは激減するのではないだろうか。
個人的にはチケットは当選したら譲渡一切不可、都合が付かなかったら空席にする以外の方法が無いという方が、無駄に抽選に参加する者がいなくなって助かるんだけどね
「住み慣れた環境で」なぞといって、病院へ行かずに「家にいたまま医療が受けられる」とお年寄りをそそのかし、医師が高齢者宅を訪問して診療をする「在宅医療」なるものを勧めるむきがあるらしい。だがこんなものは一部医療機関のために役人と医師会がつくりだした医者のためのシステムである。
まず、医療が受けられるというのがウソである。ただ医師の資格を持っている者が来たからと言って「医療を施す」ということにはならない。実際は、費用はバカ高いが、やることは外来で受ける診察と同じようなものだ。いやもっと悪い。病院なら詳しい検査をしたり、具合の悪い箇所があれば、専門医の診断を受けることは可能だろうが、「在宅医療」ではできない。しかも費用は外来診察の何十倍である。今時の医師はオールラウンドプレイヤーなどいない。彼らは画像診断など、客観的な検査結果に基づいて判断を下すことは、ある程度はできるが、患者をちょっと見て、話したりしただけで診断ができるような医師は、まずいない。風邪と誤嚥の区別もできないようなのもいる。
高額な医療費を取るくせに、それに見合った医療行為などない、というよりできやしない。ただやって来て、誰にでもできるようなことしかしない。体温・血圧を測ったり、聴診器をあてたり、その程度だ。しかも簡易測定器でやっている。そんなもので正確な測定ができるとでもいうのか。
ちょっと様子を聞いて、せいぜい10分ぐらいで帰る。これだけで何万円という医療費が支払われるのである。仮に半分を経費として差し引いたとしても、時給換算で10万円ぐらいになる。ぼったくりもいいところだ。医療費が1割負担の高齢者を対象にしたものだからこそ成り立つ、楽に金儲けをしたい「医師」のためのシステムである。
1年365日、1日24時間対応しており、高額なのは当たり前というようなことらしいが、実際は電話しても出ないことだってあるし、すぐ来てくれと言っても、すぐ来るわけではない。来たとしても緊急の場合は役に立たない。何もしないし、できやしない。本当に具合が悪くなった時には病院へ行かせるべきなのに、それもせず、抗生剤を処方して終わり、なんていうことが横行しているのである。そして高齢者が死ぬと在宅医療医に「香典」が転がり込むのである。
家族から「どうも様子がおかしい」というような連絡を受けて、高齢者宅を訪問する。こういう医師連中は「この高齢者はもうすぐ死にそうだ」と思ったら、そのまま付き添って看取るようなことはしないで、抗生剤を打ったり、点滴を施したりという程度のことをして、そそくさと引き揚げるのである。そして家族から死んでしまったのではないのかという連絡がきてから再び来るのである。実際の死亡時刻から何時間経っていようが構わない。彼らが高齢者宅に行って確認した時を死亡時刻にするのである。死因は碌に確認もせず「老衰」で片づける。そうすることで彼らにはより多くの金銭が転がり込むからである。
死亡した日に2回行くと「診療費」と「看取り加算」の両方が請求できるのである。これが医師がいる間に息を引き取ってしまうと「看取り加算」しか取れないのである。だから死にそうだと見極めたら、一旦引き揚げるのである。さらに「ターミナルケア加算」などという法外な金を請求する。死ぬ2週間以内に一度でも診察していれば請求できるのである。彼らは月2回来ることになっているのだから、たいていの場合は「ターミナルケア加算」が受け取れるようになっているのである。
かくして高齢者が死ぬ度に15~6万円の「香典」が在宅医療医に支払われるのである。今まで月2回、たったの10分程度、高齢者宅に行くことで6~7万円ぐらいの報酬を得ていたのに、死んでしまえば貰えなくなる。だから2、3ヶ月分の収入は保証してやるから、その間に次の金蔓を探せ、ということなのだろう。何から何まで医師のための制度なのである。
病院に通っていた人が、高齢になり通うのが困難になったから、通っていた病院の医師を派遣し、いくらか割増の料金をとるというのなら、まだ理屈に合う。だが「高齢者在宅医療」を専門にやっている医者など、高額な医療費目当てにやっているようなのばかりだ。なにしろ開業の費用など、ほとんどかからないのだ。診療室を用意する必要もないし、医療器具をそろえる必要もない。「高齢者の専門医」を自称しながら「吸引器」も持っていない、看護師を使わずに主婦のパートに助手をさせる、なんていう「先生」がいるのだ。金が惜しくて看護師を雇わず、吸引器も購入しない。目の前に痰がからんで苦しんでいる高齢者がいても「吸引器がないから」と言ってほったらかし。こんなのに来られたって役に立つわけがない。
彼らは「交通費」と称して金をとるが、実費以上の金を巻き上げて平然としている。ある高齢者の家に行くのに1キロしか走っていなくても、20~30キロは優に走れるぐらいの燃料費をぼったくる。彼らが高齢者から「交通費」名目で受け取った金で、彼らや家族のレジャーのためのガソリン代が賄えるようなら、これは詐欺に匹敵する犯罪だろう。
目の前にコインパーキングがあっても利用せず、平然と路上駐車をする。「往診中」と貼り出して。コインパーキングを利用したら、患者に料金を請求する者もいる。交通費を取っているのにである。
とにかく「金」のことしか頭にないような「医師」が、高齢者宅を訪問して診療するという「高齢者在宅医療」を専門にしているのである。
「高齢者在宅医療」とは、年寄りは病気になっても治療を受けさせず、そのまま自宅で死なせる、というものなのである。そして「訪問診療」をしている医療機関にはお金が入るシステムなのである。もちろん我々が払っている健康保険料から支払われる。
もう九十歳も越えたような年寄りを生きさせるのに治療を施す必要はなし、何もせずほっといて自宅で死なせるのがよい、というのがこの国の支配者たちが考えていることなのだ。
しかし医師にはしっかり儲けさせるようにしているのである。この国の医療制度は国民のためのものになっていない。
はっきり言う。人は寿命の尽きるまで生きる権利がある。人の寿命は年齢によって決められるものではない。百歳でも百二十歳でも何歳であっても、まだ寿命が尽きる時が来ていなければ、病気になったり、怪我をしたり、具合が悪くなったときには医療に携わる人たちは治すことに全力を傾けなければいけない。それをせずに「もう死んで当然の年だから治療をしてやる必要がない」とばかりに、まだ寿命の残っている人間をほったらかして死なせることがあるなら、それは「殺人」であり、そのようなことをしている者に医師たる資格はないのである。
医師と呼べるに値しないような連中が「高齢者在宅医療」に群がっている。目当ては高額な医療費である。たった10分で数万円転がり込むのである。死ねばさらに高額な香典を手にする。金目当ての藪医者のための制度である。国や厚労省に本気で医療費を抑えようという気があるなら、「高齢者在宅医療」制度など真っ先にぶっ潰さなければいけないものである。
出張の帰り、4時間ほど時間が空いたのでちょうど映画を一本見れるなと思い立った。話題沸騰のボヘミアンラプソディを見るか、映像が凄いと職場のオタクが口から泡を飛ばして褒めていたドラゴンボールでも見るか、そう迷いながら映画館を探しているうちに、何だか面倒になってやめた。面倒になったというのには2つ理由があって、1つは映画を見てるときに上司から電話が入ると面倒だという事、もう1つは映画に1800円払う価値があると自分を説得する事。アフターファイブとはいえ旅費は会社持ちなのにそこで遊んでいるというのはどうにもバツが悪い。映画に1800円払う事への悩みは別の方向にタチが悪い。家に変えればアマゾンプライムやBSでいくらでも映画が見れるし、なんなら今日はさっさとホテルに入って寝だめでもして家に戻ってから映画は見ればいい。そう考えると1800円がとても高く感じる。劇場の音響は確かに凄い。画面の大きさも何十倍だろう。だが見る気にならない。月の小遣いが20000円の身からすれば遊興費として1800円を貯めるには3日弱かかる。3日分の小遣いをぶつける相手として、映画館で映画をみるという行為はいまいちコスパが悪いようにしか感じ取れないのだ。配信で見ればタダとまではいわずともせいぜい500円、その倍の金を上乗せしてまで得られるものにそこまでの価値はあるのだろうか。我ながらケチくさい話だが、映画を見ようとするといつもそういったことが頭をよぎって見るのをやめてしまう。いっそ4DXや爆音上映ぐらいになれぱ、家では絶対に味わえないから見る気にもなるのだが、それでもなお評判を調べてめちゃくちゃ評判がいいことをようやく確認してからの事だ。評判を見ることで疲れたり満足してやめることもある。大抵の映画は3年待てばテレビで見れてしまう、そう考えながら感想と睨み合うと熱がみるみる引いていく。映画館で映画を見るのは難しい。勢いがいる。たかが1800円が払えない。いつの間にかそうなっていた。
トランスジェンダー当事者だけど、別に活動家というわけではなくて、一般市民として生きているので、今更話題になっていることを知った。この記事で、当事者がデータを元に性犯罪の発生率が〜とか、他の増田で女の立場から男性の肉体が怖いとか、色々と言ってるけど、銭湯について語ると、そもそも、トランスジェンダー当事者は、完成度が上がるまで銭湯なんか行かないんだよ!完成度が上がらなかったら、銭湯なんて諦めてるんだよ!だから、一目見て「ウーン」と思われるようなトランスジェンダーは浴場にほとんど存在しないんだよ!
松浦大悟さんの「女湯に男性器のある人を入れないのは差別」論への疑問
この記事を書いた人は、感情論にしないように、データとか提示してそれらしく書いてるけどさ。当事者たちはこの記事読んで俺みたいに思ってるんじゃない?この記事に、以下の記述があるけれどもこれに限るんだよ。
ほとんどのトランスジェンダーは薄氷を踏む思いで自分が他者からどのような性別で見られているのかを気にし、周囲に気をつかい、ときには自分自身の外見を憎んだりして過ごしています。
俺個人の感覚で書くから、当事者でも違う人もいると思う。けど、これが俺の心の叫びだよ。
当事者が一番自分の体の状態のことも、周りの目でどれだけ自分が希望する性別に見えてるのかも良く知ってるんだよ。初対面の友達にどちらに思われるか、仕事のお客さんにどう反応されるか、トイレに入って変な顔されないか、常に完成度を計算して生きてるんだよ。健康診断なんかさ、ヒゲとか生えちゃってても、まだ性別変えてないから本当は女の服着なきゃいけないんだよね。けど、周りの人がビビっちゃうから、病院と相談して服の色も変えてもらってたし、他の女性が怖がらないように婦人科検診とかも裏口から入って、周りを怖がらせないように頑張ってるのよ。海外旅行なんかも大変なんだよ?毎回入国審査で別室行きだからなー。そしてあらゆる試験を乗り越えて、「これは98%いける!!!」みたいな状態になってから、初めて銭湯にチャレンジするんだよ。俺達にとっては、銭湯は「卒業試験」なんだよ!
俺が体を変更し始めて一番最初に意識したのが「全てが終わるまでは銭湯はおあずけかー。もしくは一生おあずけかー。」なんだよね。色々と変更処理が終わっても、確実にいける自信がつくまで5年間は銭湯おあずけだったよ!公衆浴場には、男も女もどちらにも絶対入れなくなるから、旅行先の家族風呂で喜びを噛み締めてたよ!常識的に考えて、「俺、男っすから!」って言って、さすがにおっぱいついたまま男湯に入れるはずないだろ!そんな絶対騒ぎになって、自分が傷つくことだけのことをするか!今、俺の旧知以外の知り合いたちは、俺のことを普通に男と思ってるけど、一緒にプール行っても、下ネタ話しても、銭湯行っても、全くバレてないんだよ。俺はちんこつけてないけど、毛が半端なくモジャモジャだから、絶妙なタオルさばきで違和感なく隠してれば、気付かないんだよな。一緒に銭湯行ったやつらに普通に「子供まだ作らないの?」って素で聞かれるから、これはさすがにちんこがないとは思ってないとは思うのよ。いやー、思い返せば、トイレデビューよりも、夢見た合コンよりも、銭湯デビューが本当に嬉しかった。番台に立ってちゃんと男用の鍵をもらえて、その時点ですごくすごく嬉しくって、何のトラブルもうるさい視線も受けずに銭湯を出たとき「卒業だ」って本当に自信がついた瞬間だった。
ぶっちゃけ、卒業試験に挑めるような子だったら、みんなタオルの後ろにちんこついてても全然気づかないと思うんだよ。あと、手術なしで性別変更するように法律が変更になっても、普通の当事者だったら、完成度低いうちに銭湯なんて絶対入る気にならんって!周りがテンパるようなことをすると、ほんまに自分が傷つくから、絶対入れんって!!!銭湯についての気持ちが熱すぎて、つい銭湯についてばっかり話したけど、トイレとか更衣室とか、もーなんかホントにややこしくてごめんって思ってるよ。とりあえず多目的〇〇とかを用意してくれれば、大概なんとかなるし、他の色んな人も使えるから、大変恐縮ですがよろしくおねがいします。2020年にはもう戸籍変更したトランスジェンダー1万人くらいになるご時世だからさ( http://blog.rany.jp/?eid=1252523 )。 戸籍をまだ変更してない人らも、戸籍変更する人の何倍か何十倍もいるだろうし、気付いてないだけで、絶対みんなすれ違いまくってるんだけど、完成度が高いなら透明で誰にも気づかれないんだよな。でも俺はこの穏やかな日常を壊したくないから、このまま透明で湯船に浸かっておくことにするよ。
ZOZOタウンの社長が実施したツイッター上でのイベントがきっかけで大変盛り上がっている
あのツイートをリツイートしなかったことを誇り、リツイートした人を見下すマウントツイートの多いこと多いこと
彼らはあれが宣伝だと気付いているのかな?
まさか前園氏の前後のツイートも見ずに叩いている情弱ではないよな?
金配布という字面につられただけではないよな?
そっちの方がよっぽど「金のことしか頭にない奴」だぞ?
前園氏はあのイベントの終了直後、ZOZOタウンの割引クーポンのリンクをツイートしていた
非常に手軽だ
このクーポンの宣伝方法がもしテレビCMや新聞、街中の広告だったら?
客は検索という手間を越えなければならない
この手間が無いというだけで、宣伝としての効果はとんでもなく上がる
更に、前園氏はこのクーポンツイートの前に、当選者へのDM送信状況をツイートしている
「まだ終了の報告が無いから自分にも来るかもしれない」という期待で
そこに宣伝を打てば、目に触れる数は何十倍、何百倍にも膨れ上がる
そもそも宣伝というのは基本的に「数撃ちゃ当たる」ものだ(もちろん層を絞って狙い撃つ戦略の上で)
100人の目に触れて1人が買ってくれれば御の字
そんなことは分かった上で批判している人
立派な大和魂だ、カッコいいな
彼らはSNS金配りをリツイートした人達を乞食と見下して満足感を得ている
彼らにとってリツイートした人達は農民か、それ以下の存在、自分はそれらよりも上だと思い込んでいるのだろう(乱立している信憑性ゼロのSNS金配りに飛びつく人達は、そう思われても仕方ないが)
殿にはなれないんだ
殿のために、例え貧しくても耐えてその命を捧げるのだ
汗水流して必死に稼いだお金だけが綺麗で正しいと思っている、現代の武士たち
さて、自分より下だと思う存在を見て自分を慰めている悲しさに気付いているだろうか
どうせ励みにするために見るなら、下より上の方が良いと私は思うな
「自分より安い給料で長時間働いている人もいるんだから、自分はまだマシだ、頑張ろう」
と
「自分より高い給料で労働時間が短い人がいるんだ、もっと上手くやれるかもしれない」
なら、どっちが良いかな?
まあ、これも人それぞれの環境や立場や価値観によって変わるのだろう
ところで、どうも違和感があるなと思ったら、ZOZOタウンの社長は「前園氏」ではなく「前澤氏」だった
前澤さん、大変失礼いたしました
しかし、この程度の薄っぺらい記憶しか残せない低脳な私ですら、ZOZOタウンの名前をハッキリと覚え、500円クーポンの存在を知った
この投稿は誰かの目にとまるだろうか?
と揚げ足を取られるだろうか?
その人はこの程度の文量すら読めない忍耐力の持ち主かな?
ただ私の文章が下手なだけかな?
簡潔に、分かりやすく伝えることに、広報に携わる人達は時間と労力を割いている
とりあえず、私は10万でも100万でも良いから、苦労せずお金を入手したい
泡銭として使うための泡銭が欲しい
だから私は前澤氏の宣伝に群がった人を馬鹿にするつもりはないし、なんなら自分も参加者だし、参加したことを見ず知らずの誰かに馬鹿にされていたとしても後悔しない
さて、今回の件で金のことしか頭にないのは誰だろう?
全員か?
しばらく前、とあるソシャゲ会社の経営者とひょんなことから食事をご一緒させていただいたのだけど、その時に彼が言った言葉が印象的だった。
その時ちょうど世間では射幸心を煽るようなガチャが問題化していて、ちょっと意地悪な気持ちで
と質問してみたのだった。
すると、彼はおだやかに
「うちはガチャはやりません」
「ガチャをやれば簡単に売上は十倍以上になると思いますが、それでも自分の子供に遊ばせたくないようなゲームは作りたくないじゃないですか」
「アイテム課金はありますけど、お金を払ったら払った金額相応の何かが必ずプレイヤーの手元に残るようにしています」
といったことを話してくれた。
自分はソシャゲにはまったく興味がなくて、ザブザブお金を使わされるようなゲームばかりと思っていた。なんというか、なかなか立派な心意気でゲームを作っている会社もあるのだと、なんだか感じ入ってしまった。
「ボクの娘も息子も、うちのゲームの大ファンですよ。夢中で遊んでくれています」
人に胸を張って誇れる、自分の子供が遊んでくれることを喜べるなんて素敵な仕事だなと思った。
俺は納得していない。誰か論破してくれ。
でもそれだとサングラスも視野角が狭まって危険性が増すだろう。何故禁止しない?
音が聞こえずに運転するのは危険だ。それはわかる。とてもわかる。
しかし何故車は窓を開けない?開けてないと音が聞こえないぞ。危険だぞ。
ましてやカーオーディオをかけながら運転など言語道断だ。救急車両の音も聞こえづらくなる。危険だ。大変危ない。
このあたりをすっきりさせてくれないと、自転車でイヤホンをつけるのが危険と言われても全く納得できない。
ようするに批判者は、何も考えず空気で批判しているだけにしか思えないので、俺がイヤホンをつけることを
止めることが出来ない。誰か俺を納得させてくれ。
リスクと便益のトレードオフだからね。危険性だけ見るなら車も自転車も廃止すべきじゃ。毎年どんだけ人が死んでるか。
わかる
みんな真面目に答えてくれてありがとう。とても嬉しいです。
ちなみに、車・バイクの免許を持っていてそっちにも乗ってます。
カーステ聞きながら助手席の嫁と会話したりしながらも、これはおかしいなーと思ってる。
車と自転車を比較するのは、そもそも車のほうが危険だろう。死者数がそもそも違う。自転車が加害者になって歩行者が死ぬのって年間20人くらいだろ。全然スケールが違う。殊更危険が叫ばれすぎているように思う。
http://www.iatss.or.jp/common/pdf/publication/iatss-review/41-2-03.pdf (22ページ参照)
どう考えても車のほうが危険で、自転車は他者が危険というよりはむしろ自分が死ぬリスクが増えるからイヤホンは辞めておけっていうように思える。これなら納得できる。
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音楽を聞きながら運動しないでいると肥満による健康リスクが上がって、むしろ寿命は縮む。
退屈も嫌だしな。
オーディオブックで学べない人生の機会損失による危険性も上昇する。所得が下がると寿命は縮む。
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>自分は自動車、自転車、バイクすべて日常的に乗っているので以下考察。
納得です。ありがとう。
これ、車にも同じ事を言いたい。窓を開けて運転すべきだと!
>教習所では基本的に視覚情報からの認知、判断で安全確保できるように訓練を受ける。
>これは正解っぽいが、元増田はどう思ってる?
少し納得できるんだけど、やはり車のほうが加害リスクは超絶に危険なので
車には免許があるんだからと同じ扱い以下なのは納得しかねる。本当に危険な事よりも危険に見える事を世の中が重要視しているようにしか思えない。死者数で言えば少なくとも数十倍以上加害しうる危険な運転が免許があるから、十分で自転車こそ気をつけろは納得感が薄い。
自転車のイヤホンごときを注意するなら、統計上物凄く危険な車の運転はもっと細心の注意を払うべきだ。
本音を言うとカーステも規制する必要はない。同時に自転車のイヤホンも規制する必要はない。リスクよりも便益が勝るからだ。
思考停止のこういう奴こそ、社会の害悪。根源を問わずして正しい道は見えてこない。ソクラテス的な常識を問うそもそもの問をしない奴がいるからこそ、勝てもしない戦争はするしブラック労働は止まらない。
話が逆。図書館が紙書籍を著作権処理なしに貸与/複写できる方が例外的な措置。
図書館の存在が許されているのは当たり前の話では全くない。「図書館&本」というのは
特殊な存在なのに、それを普通のこととして「他の分野に広められないか」と考えるのは
前提のはき違えなのだ。
図書館が著作権処理抜きに、購入するだけで貸与/複写が可能なのは、著作権法に
図書館に関する貸与権と複写権の例外規定が定められているから。
時事報道の写真や教科書収録文学等の無許諾使用規定などと同じく、あくまで著作権法上に
明文化して「著作者の権利を制限する荒業」をやることで成立しているのが図書館なのだ。
例外の荒業だから「図書館内で」「貸与権、複写権に限り」と適用範囲を限定されている
わけで、荒業の適用範囲を拡張しよう、というのは「他の分野に広めれられないの?」
という単純な話では全くない。
例えば、ネット経由電子書籍貸出は著作権法では公衆送信権規定になるから例外規定の対象外。
「図書館館内で、備え付け端末にて電子書籍閲覧」なら例外規定の範疇と思われるが、
通信を利用する「ネット図書館」では例外規定が無い以上、普通に著作権処理が必要に
なってくるのだ。
「ネット貸出し」をやってる図書館も稀にあるが、それは電子書籍の各著作権者/社と
再貸与の個別契約を結んで著作権処理をした上でやっているのであって、電子書籍全般に
これをやろうとしたら、各自治体の図書館予算は十倍でも済まないだろう。
「ネット図書館」は「図書館という法的特別措置の範囲」をはみ出てしまう以上、
青空文庫が著作権切れ作品しか扱っていないのと同じ理由にぶち当たってしまうのだ。
確かに「電子書籍は教育上欠かせないインフラだ」という認識に立てば、
「電子書籍を図書館では紙書籍と同じ扱いとできるよう法改正せよ」と国会へ要求するのは
社会教育法の精神に鑑みても、それ自体は決しておかしな主張ではない。
但しその法改正というのは、図書館法、学校図書館法、国立国会図書館法、といった各特別法と
その施行令の改定だけでも非常に大がかりな話になり、更に根拠法の本丸として著作権法が
あるわけだ。
著作権法で「図書館で電子書籍」実現のために改正が必要な部分は、図書館がらみの31条だけでなく、
公衆送信権規定自体や、「所有でなくレンタル」という電子書籍の性格なんかも絡んでくるので
かなり広範。こうなると図書館/電子書籍出版関係者だけでなく、様々な利害関係者が絡むうえ、
公益の考量も非常に複雑になる。つまり誰もが今や問題があることは認めているのに、
利害が絡み過ぎて身動きが取れなくなっている「著作権法をめぐる戦線」に正面から突撃が