ZOZOタウンの社長が実施したツイッター上でのイベントがきっかけで大変盛り上がっている
あのツイートをリツイートしなかったことを誇り、リツイートした人を見下すマウントツイートの多いこと多いこと
彼らはあれが宣伝だと気付いているのかな?
まさか前園氏の前後のツイートも見ずに叩いている情弱ではないよな?
金配布という字面につられただけではないよな?
そっちの方がよっぽど「金のことしか頭にない奴」だぞ?
前園氏はあのイベントの終了直後、ZOZOタウンの割引クーポンのリンクをツイートしていた
非常に手軽だ
このクーポンの宣伝方法がもしテレビCMや新聞、街中の広告だったら?
客は検索という手間を越えなければならない
この手間が無いというだけで、宣伝としての効果はとんでもなく上がる
更に、前園氏はこのクーポンツイートの前に、当選者へのDM送信状況をツイートしている
「まだ終了の報告が無いから自分にも来るかもしれない」という期待で
そこに宣伝を打てば、目に触れる数は何十倍、何百倍にも膨れ上がる
そもそも宣伝というのは基本的に「数撃ちゃ当たる」ものだ(もちろん層を絞って狙い撃つ戦略の上で)
100人の目に触れて1人が買ってくれれば御の字
そんなことは分かった上で批判している人
立派な大和魂だ、カッコいいな
彼らはSNS金配りをリツイートした人達を乞食と見下して満足感を得ている
彼らにとってリツイートした人達は農民か、それ以下の存在、自分はそれらよりも上だと思い込んでいるのだろう(乱立している信憑性ゼロのSNS金配りに飛びつく人達は、そう思われても仕方ないが)
殿にはなれないんだ
殿のために、例え貧しくても耐えてその命を捧げるのだ
汗水流して必死に稼いだお金だけが綺麗で正しいと思っている、現代の武士たち
さて、自分より下だと思う存在を見て自分を慰めている悲しさに気付いているだろうか
どうせ励みにするために見るなら、下より上の方が良いと私は思うな
「自分より安い給料で長時間働いている人もいるんだから、自分はまだマシだ、頑張ろう」
と
「自分より高い給料で労働時間が短い人がいるんだ、もっと上手くやれるかもしれない」
なら、どっちが良いかな?
まあ、これも人それぞれの環境や立場や価値観によって変わるのだろう
ところで、どうも違和感があるなと思ったら、ZOZOタウンの社長は「前園氏」ではなく「前澤氏」だった
前澤さん、大変失礼いたしました
しかし、この程度の薄っぺらい記憶しか残せない低脳な私ですら、ZOZOタウンの名前をハッキリと覚え、500円クーポンの存在を知った
この投稿は誰かの目にとまるだろうか?
と揚げ足を取られるだろうか?
その人はこの程度の文量すら読めない忍耐力の持ち主かな?
ただ私の文章が下手なだけかな?
簡潔に、分かりやすく伝えることに、広報に携わる人達は時間と労力を割いている
とりあえず、私は10万でも100万でも良いから、苦労せずお金を入手したい
泡銭として使うための泡銭が欲しい
だから私は前澤氏の宣伝に群がった人を馬鹿にするつもりはないし、なんなら自分も参加者だし、参加したことを見ず知らずの誰かに馬鹿にされていたとしても後悔しない
さて、今回の件で金のことしか頭にないのは誰だろう?
全員か?