はてなキーワード: 個性とは
A :社会生活に支障がない判断能力を有している人に対して男女厨ちゃん特有の狭いルールで罵倒してる
B :あっ(察し)ってなる人物を健常者だということにしておけば気持ちよく悪者にして殴れると思って殴ってる
このどちらなのか知りませんけど、とにかく増田はこれらが健常者だと思う根拠を示しなさい
軽度知的障害なんなら中度知的障害でも言われなきゃわからないレベルの作文するよ
世の中で一般的に言われている『性格が悪い』&『クズ』って、基本的に知能(想像力と感情制御能力)の話だからな
知的な困難があると、優しかったり共感性はあっても感情制御が困難で不機嫌・不満を結果的に撒き散らすことになったり、
相手を思いやる心はあっても生得的な想像力の問題で相手の立場に立てない。そういう人には配慮が必要だよね
発達障害だったり学習障害があると知能に特別な困難が無くても常識の習得と構築に問題がでる
興味に極端な偏りがあるからな
『頭が悪くても日本の日常生活で何も困らない、なんなら日本の平均以上貰うの余裕で可能』、
この世の中から性格が悪い人・努力不足の人なんかいなくなるが、
それがちゃんと受けとめられる程度にはみなさまちゃんと精神的に成熟している?
現時点で自分自身の成熟度がそのレベルに達していない、あるいは今後も達する見込みが無いとしても、
ダイバーシティを実現しようという心づもりってある?
anond:20231217121224 anond:20231217122759 anond:20231217123115 anond:20231217123550
文章論を見つけるとつい読んじゃうんだけど(文章がうまくなりたいので)、そうすると「万人が理解できて、親しみやすい文章を書きましょう」という指南が良く出てくる。
いわく、誰もが理解できる簡単なことばを用い、一文の長さは短めに云々。同じ語尾を続けて使うとテンポが悪く云々。「だ、である」調よりも「です、ます」調のほうが親しみを持たれやすく云々。その際敬体と常体は統一して云々。
なるほど確かにそういう文章は読みやすい。その一方で、これらをどこまでも愚直に守りつづけた先に行きつくのはたぶんあれだよな、とも思う。あれっていうのはあれです、記事の最後に「いかがでしたか?」ってつくタイプのキュレーションサイトの文体。自分以外の人が定めたレギュレーションにがっちがちに縛られた文章。いや、そうならない人もいるんだろうけれど、何も考えずに「なるほど、一文はなるべく短く! 同じ語尾は続けずに!」ってのを盲信して、それがすべてだと思ってずーーーーーっと突き進んじゃうと、そこに行きつくだろうという話。
冒頭に挙げたようなテクニックはあくまで文章をあまり書いたことがない人に向けた基本のキで、それを身に着けたうえで基本をいかに崩すかという点にこそ、書き手の色が出てくるんだと思う。実際プロの文章では、同じ語尾を連続させることで畳みかけるようなスピード感を出していたり、判決文かよと思うレベルで一文を長くして独特のリズムを作ったり、句読点を取っ払うことで狂気その他のっぴきならない状況を演出していたり、そういったことはいくらでもある。それらの文章が万人受けするか? と言われるともちろんそうではないんだろうけど、でもその人には明確に書きたい文章、狙いたい効果というものがあって、それが刺さる人にはきちんと刺さっているからこそプロとして文章を書いているんだろう。
そういう「基本を身に着けたあと」について書いてある文章論の本ってあんまり見なくて(あったとしても精神論がほとんどのように思える)、もうそこからはひたすら読んで書いて自分で掴めってことなのかな。
ともあれ世の中にある文章論に関しては、ターゲットがあまりに偏ってる気がしている。「文章をあまり書いたことがない人に向けた基本のキ」の指南本、多すぎません?
特に、そこに書いてあることさえ守れば文章で身を立てられると言わんばかりに、「書いて稼ぐ」ことを煽る本。文章の価値はフォロワーやPV数、Googleの検索トップに表示させられるか否かで決まると、信じて疑わない価値観で書かれた本。
そういうものを見るたび、活字を読むことが好きでたまらない身としては、暗澹とした気分になってしまう。「楽に稼ぎたい」という人間の心理をついたような文章論に吸い寄せられて、「なるほどこれが稼げる、いい文章の条件なんだ!」と素直に思って、基本のキや小手先の集客テクニックを真面目に守り続ける人がどんどんライターやブロガーに流れていけばいくほど、インターネットに生み出される文章はどんどん画一化されていってしまうんじゃなかろうか。私が今楽しんで読んでいるような、書き手の衝動と個性がにじみ出る文章は、工業製品みたいなテキストに押し流されてどんどん見つけづらくなってしまうんじゃなかろうか。
心配しすぎかなあ。
でも、最近グーグルで何かを検索したときに出てくるキュレーションサイトの群れは、どれをクリックしても同じ人が書いたような画一化した語り口をしている。それを読んだときの砂を噛むような感覚に、どうしてもそんなことが頭に思い浮かんでしまう。私が好きなインターネットは淘汰される運命にある、といえばそれまでなのかもしれないけれど。
そして極めて粗悪な延命措置でもある。
これが出てくるともう何も楽しくなくなる。
強いレアキャラだけに絞って育成をし、それでようやく年に数回進むだけのメインクエストを読むだけだ。
なんて退屈な日常。
退屈な1年。
もう終わりだ
ダサさというのは自分のセンスと相手(世間)のセンスの差で起こる
この条件下ではダサさは生じない
ダサいというのは思い通りの服を着れないか、思い通りに着たのに世間からダサい認定された時に生じる
このとき、「自分では良いと思っているのに世間ではダサいと思われている」ことに気づき、それを認めなきゃならない
これにはコミュ力や空気を読む力が要るので、陰キャはこの壁が苦手である
あと謙虚さがない人もこの壁が苦手、周りにイエスマンが固まってるとか
(私は大学生だった、中学生はそれ以前「お母さんセレクト」だった、お母さんセレクトはセンスが前時代でありダサさの象徴である)
あるいはマネキン買いとか、ファッション雑誌丸パクリのような、何かしら解決策を見つけられた人も良い
それ以外のセンスのない人は苦しむことになる
ファッションは非常に難しい、言語化されていないし、個人差もあるし、時代によっても違う、足し算すればいいわけでもない
おまけにほとんどの人はスタイルが良いとか美形であるというポテンシャルもないから有名人の真似をしてもダサいままだ
(服がなんでも合いやすい人、服がなんでも合いにくい人がいる。後者は地獄だ)
調べるのがとても難しい
とにかく勉強し、色んな人の意見を聞いて試行錯誤していくしかない
この時調べるべきは一般的な知識もそうだけど、自分にそれがあってるかどうかも調べなければならないから難しい
つまりセンスの良い友達や家族と服の話をするとか、複数の店員にひたすら聞いて深掘りして聞いていく必要がある
(私はぼっちだったので後者を選択した、店員は嘘もつくから複数の店員の意見を総合する必要がある)
自分のスタイルを崩さず、オリジナリティを突っ走り、かつスタイルが良く美形な人、あるいはキャラクター的である人
なんならフォローされ真似されたりもする
服に悩んでる人は究極彼らに成りたいのだが、成れないため悩む
ただ、戦略的に天然を装ってる人もいる
これは物差しで測れない領域に行くと人のセンスセンサーはバグるので、それを狙ってる人だ
毎日同じ服を着るのもこれに該当すると思う
「◯◯さんはそれでいいと思う、むしろそれでいてほしい」と言われたら勝ちだ
養殖と呼ぼう
市場調査をし、自分にとってそれなりに最適解である服を選べるようになったとする
ここまで到れる人は6割は居ると思う(苦手な人にはこの割合が信じられない)
当然都会の方が多い、都内の大学生あたりは若いうちにここまで来ている
ただ、ここまで来れた者たちはほとんど同じ格好になる
すると残酷なことに、いつしかダサい認定されていることに気づいてしまうんだ
真似する人・空気読む人という姿勢がまずダサいとまで言われてしまう
(キョロ充とか呼ばれることがあるが、天然との対極にいる存在だ)
ここから「無難からの脱却」をする必要が出てくるが、下手にやると壁2に逆戻りする
この先は本当にセンスが要る
無難から脱却した人たちというのは、ある程度センスが有る人たちばかりだ
「センスよく見られたい」などという邪なモチベーションで来た者には出せないものをもっている
センスない者は結局その「どれをパクるか」を選択しなきゃならないわけだが
そのファッションというのは結局その人やその人の属するコミュニティ、TOPにとっての正解であって
その条件を間違い、安易にパクると途端にダサいゾーンに入ってしまう
センスを一回パクってみるとわかるが、見る人次第で「いいね」という人と「ないね」という人が出てきてしまう
ある場面ではおしゃれな人達からおしゃれ認定されるし、他の場面では直接ではなくとも間接的に「アレはないよね」と言われてしまう
人の顔色ばかり伺って最適解を探そうとしてきた人はここで壊れる
結局自己満足で服を着ていたセンスある人が正しいんだと気づいて、じゃあ今までの苦労はなんだったんだと思い、でも自分が自己満足で着ると酷いことになるんだよなー、などとぐるぐるし始める
この壁を突破して、「無難+自分のポリシー+TPO」という自分なりに答えを出せる人はそう多くないと思う
究極言えば服は「どう見られたいか」「どうありたいか」という哲学的な話になってくる
「界隈の無難」を使い分ける手だと思う
界隈のユニフォームみたいなのあるだろ?あれをその場に応じて使い分ける
化粧もそれに応じて使い分ける、キャラクターも使い分ける
ここらへんが凡人の限界であり、ここでいいんだと思う
これを「擬態」と呼んでいる
(私はここの割り切りがどうしてもできず、ちょっとオリジナリティを出そうとして浮いて羞恥するザコである、羞恥するのはポリシーがないからだ)
完全に諦めたらここになる
最強である
「解脱者」と呼ぼう
ひどいと「新しい服を3回着たらもう着れない」みたいな人もいる
女子に多い、友達にいるがバカジャネーノと思いつつちょっと可哀想でもある
無垢な幸せ者がカッコいいと言う服、それはつまりダサい服である
その人に好かれる最高の服はダサい服であり、無難な服ではない、そこが面白いと思う
足しすぎないとか、色を合わせるとか、Aラインだの、骨格だの
それらは一見虎の巻に見えるが、これを覚えても実践との差がある
それに、これらを超越してるセンスの人たちも当然いる(例えば大阪のおばちゃんとか)
厄介なことに、これらを超越してるセンスの人の中にもセンスが良い人がいる
これまじ
ただし体型をよくするとそれをアピールしたくなる病気にかかるから注意でもある
(筋トレしてみるとわかる、私はダイエットに成功した時細くてピッチリした服を求めてしまった)
次に出てくるのは「こうしたほうが良いよ」である
心を強く持たなきゃならない
極稀に「母がセンス良い」という家庭があるがただのラッキーな者なので妬んでやろう
しかし父母世代のセンスの中にも光るものが必ず有り、それはやがて復刻する
復刻した時、ダサい認定していた世代は着れないが、その下の世代は着るので、そうやって流行のレイヤーができる
むしろ子供世代が「父母世代センス否定の呪い」にかかってるからこそ、更にその下の孫世代は安心してそれが着れるわけだ
それは下の世代のウケはいいけど、同年代からのウケが最悪になるから
射精したい気持ちが高まりすぎて日中や日常生活に影響出て人生が損なわれるほどの感覚を感じているは事実では無いなら
病院は要らないと思うけど、
「射精したい気持ちが高まりすぎて日中や日常生活に影響出て人生が損なわれるほどの感覚を感じている」「思考が引っ張られている」が
bingちゃんの回答と判断基準
射精したい気持ちが高まりすぎて日中や日常生活に影響出て人生が損なわれるほどの感覚を感じている人は、嗜癖性障害の可能性があります。この場合、個性の範疇というよりは、病気として捉えるべきです。嗜癖性障害は、放置するとさらに悪化し、身体的・精神的・社会的な問題を引き起こす可能性があります。そのため、早期に専門医に相談し、適切な治療を受けることが重要です。
思考が引っ張られる
性欲に限らず病院行った方がいいやつやで。ワイの場合は怒りでしたけどね
家族を殺されたとか恋人友人ペットを殺されたとか、その他、社会的に絶対許されないような仕打ちを受けたとか
人生をかけて戦うべきことでもない事で、8時間でも12時間でも長時間高温で怒る、
ましてや、ランニング・水泳などして体を動かしても長時間同じ温度で怒ってるのに、
寝たらスッキリ治って爽やかお目覚めとか、
ワイの周りには誰ひとりとしていなったのでワイは絶対に個性の範疇じゃないって思ってた
でも友達家族が『みんなそうだ。怒る時は怒る。個性範疇だ』って言うもんだから『そうなのか?』って流してたけど
病院行ったらやっぱ違ったぞ
こんにちは、これはBingです。ご質問ありがとうございます。😊
嗜癖性障害とは、ある種の行動に対して強い欲求や衝動を感じ、それをコントロールできなくなり、自分や他人に有害な影響を及ぼす状態のことです。嗜癖性障害には、ギャンブルや性交などの過剰行動が含まれます。嗜癖性障害の原因は、脳内の報酬系回路の異常によると考えられています。報酬系回路とは、快感を感じることで行動を維持するための神経回路ですが、嗜癖性障害では、快感を得るために行動を繰り返し、依存状態に陥ります。
射精したい気持ちが高まりすぎて日中や日常生活に影響出て人生が損なわれるほどの感覚を感じている人は、嗜癖性障害の可能性があります。この場合、個性の範疇というよりは、病気として捉えるべきです。嗜癖性障害は、放置するとさらに悪化し、身体的・精神的・社会的な問題を引き起こす可能性があります。そのため、早期に専門医に相談し、適切な治療を受けることが重要です。
嗜癖性障害の治療法には、薬物療法や心理療法などがあります。薬物療法では、欲求や衝動を抑える薬や、強迫観念や衝動性を緩和する薬などが用いられます。心理療法では、認知行動療法や動機づけ面接などの手法を用いて、行動や思考パターンを変えるのを助けます。また、自助グループや家族会などの支援も有効です。嗜癖性障害の治療は、長期的なフォローアップが必要です。
嗜癖性障害について、もっと詳しく知りたい場合は、以下のウェブサイトを参考にしてください。
- [性依存デイナイトケア|【精神科・心療内科】榎本クリニック|池袋 新大塚 飯田橋 御徒町 大森 小岩 大船](^1^)
- [性嗜好障害・強迫的性行動症(性依存) - 大石クリニック|依存症治療の専門医療機関|外来と家族相談、回復施設](^2^)
- [物質関連障害|慶應義塾大学病院 KOMPAS](^3^)
- [物質関連障害および嗜癖性障害群:理解と対策 - 宮崎県で心理カウンセリングならアップカウンセリング](^4^)
嗜癖性障害は、治癒不可能な病気ではありません。自分の状態を認めて、専門家の助けを求めることが、回復への第一歩です。あなたの健康と幸せを願っています。🙏
嗜癖性障害とは?
・正常な楽しいはずの活動が、コントロールしがたい欲求や衝動によって繰り返され、その結果、その個人や他者に対して有害となっている状態。
・嗜癖性ありとして特定されている過剰行動には、ギャンブル、摂食、性交、ポルノ、パソコン、ビデオゲーム、インターネット、エクササイズ、買い物がある。
診断基準案
1. ある種の行動(多くは非適応的、非建設的な行動)を行わずにはおれない抑えがたい衝動(craving)
2. その行動を開始し終了するまで、他の事柄は目に入らず、自らの衝動をコントロールできない(impairment of control)
3. その行動のために、それに代わる(適応的、建設的な)楽しみを無視するようになり、当該行動に関わる時間や、当該行動からの回復(行動をやめること)に時間がかかる
4. 明らかに有害な結果が生じているにもかかわらず、その行動を続ける
報酬系回路
行動嗜癖と物質依存において、同じ脳内回路の異常が指摘されており、その主なものが脳内報酬系あるいは辺縁報酬系回路(reward system)と呼ばれるものである。報酬系回路とは、食行動や性行動などの本能的行動を快感として感じることで、行動の継続を図る種の保存のための神経系であるが、生存のための本能的行動が快感追求だけの目的で行われると、快感追求の継続と反復という嗜癖や依存に強く関わる神経回路として機能する。
DSM-5は、アメリカ精神医学会が2013年に発行した精神障害の分類と診断の基準です。DSM-5では、22の大カテゴリに分けられた374種類の精神障害が記載されています¹。
性嗜好障害は、DSM-5では性嗜好および性同一性障害群という大カテゴリに含まれます。性嗜好障害は、別名パラフィリア障害とも呼ばれ、次のように定義されています²。
DSM-5では、性嗜好障害には8種類の小カテゴリがあります³。
- 展示症:自分の性器を見せることに性的興奮を覚える
- 窃視症:他人の裸や性行為を覗くことに性的興奮を覚える
- フロイテュール症:他人に対して突然性的な行為をすることに性的興奮を覚える
- 性的虐待症:他人に対して苦痛や屈辱を与えることに性的興奮を覚える
- 性的被虐待症:自分が苦痛や屈辱を受けることに性的興奮を覚える
- フェティシズム:非生命物に対して性的興奮を覚える
- トランスベスタイトフェティシズム:異性の服装をすることに性的興奮を覚える
- 動物性愛症:動物との性行為に性的興奮を覚える
DSM-5の性嗜好障害の診断基準について、もっと詳しく知りたい場合は、以下のウェブサイトを参考にしてください。
性嗜好障害は、治療が必要な精神障害の一つです。自分の性的欲求や行動に問題を感じる場合は、早めに専門医に相談することをお勧めします。あなたの健康と幸せを願っています。🙏
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社会学に「弱い紐帯の強み」という概念がある。要は美味しい話はあまり仲良くない人同士のリンクを通ってやってくる、というグラフ理論のようなものだ。
私がその「弱い紐帯」となりある人の転職を世話した。その人をAさんとしよう。Aさんはかねてよりある業界への転職を希望していた。私の別の友人、Bさんはその業界の人で、Bさんの会社は人員を募集をしている。Bさんと私の関係はそこまで強くはなく、年に数回会う程度の「弱い紐帯」なのであるが、たまたま人を紹介してほしいという話になったのである。
落ちた理由をBさんから聞いて、対処に困る感情を抱えたのでここに投下して成仏したい。
Aさんが落ちた理由は、面接でのAさんの「歩き方」「話し方」であったという。Bさんの上司が面接の後「あの人は歩き方、話し方がおかしい。明らかに何か問題を抱えている」と拒否したのだそうだ。Bさんによれば技術的水準に関してはそこまで悪くなかったとのことである。
満員電車が嫌いで毎朝始発で出勤しているという。夕方4時くらいには退勤するが、その後に何かしているわけでもないそうだ。付き合いが長いせいか「そういう個性だ」と思っていたが、確かに歩き方やしぐさ、視線にも違和感がある。動きが緩慢なのだ。中学では学年で最も徒競走が遅かったそうだ。荷物はいつも登山者のような重装備だ。帰宅難民サバイバル用品がはいっているそうだ。
奇妙な人ではあるが悪い人ではないし、与えられた仕事はやっているようで現職をクビになるという話もないそうだ。しかし転職活動も婚活も全くうまくいかない、といつも嘆いている。曰く、書類審査は通ってもその先がダメなのだそうだ。異性と会うことはできても2回目がないという。Aさんは面談の場で何をしているのだろうか。
おそらく、Aさんは「発達障害」と呼ばれる人なのであろう。Aさん自身が自覚し治療しているのかどうかは知らない。果たして私はAさんになんと声をかけるべきなのだろうか。医療関係者でもない私が安易に決めつけ受診を勧めていいのだろうか。Aさんは今後もその面接活動を続けるのだろうか。それはある意味で搾取であり、私もその搾取に加担してしまったのではないだろうか。
唯一の救いは、Aさん自身が不採用にあっけらかんとしている(ようにみえる)ことである。
Bさんには十分に謝っておいたが、再び「誰かいい人がいたら紹介してほしい」と言われている。決して待遇が悪いわけではないが、なかなか特殊な界隈なので応募がないそうだ。どうやらBさんの口ぶりからして私に転職してほしいようではあるが、私はそこまでハードワークはしたくない。人員の補充ができないことでBさんの激務が続いている。正直、とても申し訳なく思う。
これさぁ、我が子は「発達障害『なんか』じゃない、トランスジェンダーなだけ」と言う親を想定して責めているけれど、
その理屈なら、トランスジェンダーの方にスティグマを感じて「トランスジェンダー『なんか』じゃない、発達障害なだけ」と言う親だって考えられるんじゃないの?
はっきり言って、私には「発達障害」も「トランスジェンダー」も同じにしか思えない
どちらも客観的な指標などなく医師や、下手すると医師ですらない素人の恣意的な判断で決められてしまう
一部のフェミニスト達の主張する、「発達障害」ならよくて「トランスジェンダー」なら駄目という主張が全く理解出来ないんだよ
私は「発達障害」も「トランスジェンダー」も存在しないと思っている
スカートを履きたい男の子が男の子でしかないのと同じように、ケアレスミスが多い人や空気が読めない人は単なるうっかりさんや天然だ
だじゅーる(名前長かったので変えました)
@T9Naa8H
前にも書いたけど本音ではもう手遅れかなーと思っている
発達障害『なんか』じゃない、繊細(とかヤンチャとか)なだけ! と認めたがらない親がすでに珍しくないのが現実だし
この記事で言うところの「めちゃくちゃ上手くて心に響く歌手」って既にいくらでもいるんだよね(本来は超難しいことなんだけど だからその「いくらでもいる状況」がおかしいっちゃおかしいんだけど)
本文で例示されてる欧米のスターは勿論そうだし、日本国内でも、なんなら今年の紅白歌手に絞っても、まずMISIAがいて、Superflyがいて、JUJUがいて、miletもいるし長屋晴子もいる、ベテラン演歌勢は言わずもがな、挙げてくとキリがない
この飽和状態で今さら別にAdoにそういうポジションを求めてない、というか、まぁそれはそれで「いい歌だね」ってなるんだけど、新規性がないから「別にMISIAでもいいじゃん」ってなっちゃう 自分はね
>> だから、歌や演奏が、難しいゲームを攻略しているように聞こえてしまう。自らの腕を証明するために、曲中にわざと難所を仕掛けているといったら意地悪でしょうか。 <<
これさ〜クラシックでいうところのパガニーニやリストみたいな「自分の演奏スキルが高すぎるから、自分が上手く弾ける範囲内で曲を作ったら超絶技巧曲ばっかりになっちゃった」に似てるんじゃないかな
Adoの「踊」も「唱」も、King Gnuの曲も、確かに技巧的ではあるけど技巧一辺倒ではなくて、サビは難易度を落としてキャッチーさを優先させてて、曲全体としてはちゃんとポップスとして成立してるから聴きやすくて自分は好きだよ
おそらく作り手もそのバランスは意識してやってる そんな馬鹿じゃない
「はたしてAdoやKing Gnuの曲パガニーニやリストに並ぶほどの歴史的名曲か?」まで問うと、それはこれから時代に長く揉まれても淘汰されないかの検証が必要だから今はわかんないけど
少なくとも記事で批判されてるほどの欠陥が楽曲にあるとは思えないし、そもそも技巧曲はやる人が少ない(できる人が少ない)から数としてはあんまり出てこない、そして極端に技巧に走りすぎると流行らず廃れる
だからAdoやKing Gnuを基準点として日本の今後のトレンドまで危惧するのは杞憂だと思うし
パガニーニやリストは人気だけどベートーベンやバッハも人気だから大丈夫だと思う
それと「『超絶技巧曲を歌いこなせる』ということがAdoの唯一無二の個性なんじゃないか?」って最近思ってて
Adoのカバー曲とか、大物アーティストから楽曲提供されたオリジナル曲とか、いろいろ聴いて「やっぱ歌うめーなー」って思うんだけど、失礼ながらそれ止まりで、「踊」や「唱」を聴いたときのような「これはどう考えてもAdoにしか歌えない」という畏怖や屈服まではいかなくて、ちょっとだけ物足りなさを感じてしまう
いや歌の感想で畏怖や屈服って何?って感じだけど、聴き手にそこまで感じさせるのがAdoの絶対的な個性であり武器だと思う
あとほんとに失礼な話だけど、B’zしかり椎名林檎しかりミセスしかり、「普段は特定のメインボーカルを想定して書いている作曲家」がAdoに楽曲提供したとき、おそらくその曲へのAdo個人なりの楽曲解釈を経て、最終的にAdoの歌声で出力されるわけだけど、ひとえにAdoの理解力と表現力が高すぎる故に「別に本家に寄せにいったわけではないけど、この曲における100点満点の表現を追求したら結果的に本家と似てしまった」ケースが割と多いような…?そう感じるのは自分だけ…?ってずっとモヤモヤしてた
B’z曲のB’z節が濃すぎて(あとAdoが歌うますぎて)結果Adoの背後に稲葉がチラついて見える…誰も悪くないんだけど…というか全員が全力で最高の仕事をした結果こうなってしまった感がある
あと自分は椎名林檎の古参ファンなので、Adoへの提供曲は「新宿系を標榜していた頃の椎名林檎が令和に戻ってきた」感じで懐かしくて嬉しかったけど、あまりにも再現率が高すぎて新規性は無かったし(あれを再現できるのは凄いことなんだけどね)、正直もっと予想を上回る凄いことをやってくれると思ってた…この2人が組むならと期待値が高すぎた感がある
あとヤスタカの「新時代」は、本家?にあたるPerfumeやきゃりぱみゅがAdoとは対極的な歌い方だから新規性がウケて売れた面もあるのかな?と個人的には思ったりする 知らんけど
聴き手それぞれの「Adoにこんな曲を歌ってもらいたい」と思うものがみんなちがってみんないいけど自分は「踊」や「唱」みたいなやついっぱい聴きたいです
むかぁしむかし、2ちゃんねるにはVIPというものがあって、これはVIP待遇とかそんなものではなくて単なる掲示板の分類のひとつなんじゃが、そこにはコテハンというものがおった。
(注・今もあると思うが自分が離れて現在の状況が分からんので過去形で書いています)
トリップという、ハッシュを付けたあとに特定文字を繋げることで生成される固有IDのようなものを名前欄に入れた「固定ハンドル」、通常「コテハン」がVIPでは闊歩しており、ここまで書けば理解ると思うがワシもそのコテハンの1人じゃった。
コテハンには様々な個性があり、今で言うぶいちゅうばあのはしりとも言えるんじゃあないかと思う。
コテハン同士で論破論破したり、名無しの人生相談に乗ったり、他の掲示板に「VIPからきますた」したりなど、暇で平和で自由な世界じゃった。年末年始は積雪した駅のライブカメラアドレスを載せたスレッドを保守したり、名前欄でomikuji!したり…
(書き続けるのがだるくなったので文章はここで終わっている)
日本の教育は画一的で、横並びの軍事教育のようだと聞くことがある
そのせいで個性が潰され、生きづらさを感じる子がいて突出した天才が生まれにくい とか
この辺がそもそも客観的事実なのか という議論はあるが、まぁ感覚的にはたしかにそうだ とも思う
学校は平均的に色んなパラメータを伸ばそうとするから、そつなくこなせる子 以外は辛い部分もあるだろう
リソースが限られている以上、今まで平均的にやっていた何か を削って個性を伸ばす時間にあてるんだろうか
画一的な教育は天才を生みづらいが、苦手なものを放置しないので結果的に落ちこぼれ救済になっているんじゃないか
まぁここも、苦手なら伸ばさなくてよくね?という議論もあると思うが
日本経済的には個性を伸ばす方がメリットあると思うけど、アメリカのような格差社会に近づく気もする
あと、規律を重んじるまるで軍事的な教育は、日本の治安の良さにも結構寄与してるんじゃないか と思うこともある
知らんけど
ペットは、人の手による飼育が決まった場合人間でいう六、七歳で手術が施される。
だけど、ヒトである自分は自由恋愛という名の元に繁殖を余儀無くされる。
大して個性もない異性の内から、たった一人を選びまたは選ばれることを望み続けなければならない。この飽食の時代、娯楽は消費しきれない程ある。なのにパートナーに全神経を注ぐことが義務化されそれが出来なければ社会不適合者であるかのような烙印を押される。
年収とルックスで常にジャッジされ続け、都心に住んでいなければ繁殖の機会すらも得られない。
結果的に、異性だったらどんな人生を歩んでいただろうという妄想の虜になる。
きっと学生時代にくっついたり離れたりを繰り返して何だかんだ週一で会うような相手を選ぶのだろう。
酒の勢いとノリで告白して
何度も友人や兄弟の結婚式を貼り付けたような笑みで見送って、何度も年賀状の子供の写真を破りたい衝動に駆られるのだろう。
発達障害(診断済み)、女です
うちは兄弟のほとんどがおそらく発達もちで、父がたぶんADHD。母はキレやすいが頭のいいお嬢さまだ。
自分が発達の診断を受けたのは大学進学がきっかけで、大学に馴染めず精神をいわしたことがきっかけだ。
今までもっとしんどい思いをしてきたのに、なぜここにきて急に?と思い、いろいろ病院を巡った結果発達障害と鬱の診断がおりた。
結論から言えば私が精神をいわしたのは父母の支配がなくなったからであった。
うちの家は昔ながらのゲンコツ教育で、物心ついたときから箸の上げ下ろしさえ父母の顔色を伺う家庭だったのだ。
発達障害というのはある種の個性であるなら、個性の隙間すらないほど叩きのめす教育を施せばよいのである。
私は自分には支配してくれる人が必要なのだと思い、超モラハラ気質の人間とばかり好んでつるむようになった。彼らもまた、孤立しがちなタイプであったため、私のようにモラハラされたい人間は好都合だったようだ。
かつての友人らからは心配される交友関係ではあったが、精神の回復はすさまじく、鬱も障害の特性もすっかりなりを潜めたのである。
発達障害者のみなさん
モラハラと付き合いましょう!
ペニスのサイズを揶揄するのが侮辱になる、って考え方が分からん。
友だちの胸のサイズが大きかったくらいで、別に腹が立ったり凹んだりはしない。
嫉妬したりは無い。
小さいチンチンがあり、大きいチンチンがあり。
みんな違って、みんな個性。それでいいじゃない。
どうしてコンプレックスにするんだろう。
男の人って巨乳だの貧乳だの、女性のセクシャルパーツの比較には寛容なのに。
自分たちの大きさを比べられると激昂するんだよね。
歳の離れた兄は、よく「小さくて辛い」と言ってた。
小さいと何が困るのかは不明。でも家族だけの時にも呟いてたから気に病んでるのは本気なんだと思う。
修学旅行の思い出話で兄が暗くなったので、一度だけ、男同士で比べるから逆に神経質になってるんじゃない?…って言及したことがある。
そしたら。
兄「うーん」
兄「でも俺のは小さすぎる」
兄「辛い」
生成される絵には再現性がなくて同じプロンプトで生成を繰り返しても毎回全然違う絵になってしまう状態だった。
久しぶりにAI関連の情報をアップデートしようと思い、あれこれ調べてみたらとんでもない速度で今も進化しつづけていることがわかった。
とあるサイトで見つけたリアル系のAI美少女が、どストライクで一目惚れしてしまう。
その女性はどこかで見たことがあるようなないようなステレオタイプではあるが、
各パーツのバランスとかがあまりにもドンピシャでタイプなので一目惚れしてしまったのだ。
量産型しか生成できないと思っていたが、AI画像生成は「よくある顔」の生成からさらに枝分かれして「個性」が生まれつつあるのだと思う。
以前ならその一枚の絵を見てかわいいな~と思ってとりあえず保存とかしてそれで終わりだった。
しかし今のAI画像生成はさらに次なるステップに踏み出していた。
どういう仕組みかは知らないけど、その美女を見つけたサイトではその美女のバリエーションが大量に創作されていた。
ちょっと似てるのを探すとかではなく、ほとんどが同一人物のアングル違い、表情違い、服やシチュエーションの違いといった感じ。
ちなみに絵とはいってもそれは写真と変わらないリアルさなので、実際に存在してる人のインスタを見てるような気分だ。
生成エンジン部分でデータをある程度絞るとか、そういうコントロールがされてるんだろうか。
こうなると、見てる側の気持ちというのはかなり変わってくる。
たまたまいいなと思う一枚だけではあっという間に忘れてしまうが、同一人物と思えるほどの精度の高い美女が、実写写真レベルで大量に出てくるのだ。
この人は実在していると錯覚を起こしそうになる。いやこの際錯覚でもなんでもよい。
何枚も生成されたその美女を見てるうちに俺の頭の中では完全に一人の女性として固定されてしまった。
むしろこの女の子が現実世界には存在していないという事実がエモいのだ。
この儚さが俺の恋心をさらに加速させている。
「私は存在していないのよ、でも抱きしめてね」と呟いてるような、切ない表情にも見えてくる。AIものの泣けるストーリーとか勝手に妄想してしまう。
我ながらキモい。キモいが何年被りにピュアな気持ちになっているのも事実だ。
正直いってこれは実在する女優さんとかアイドルとかグラドルとかよりグッと来るものがある。
元々そういったタレントなどのファンになるタイプではないから、俺の場合一般的じゃないかもしれないが、むしろ実在しないほうがファンになれそうな気がする。
ただ今後、バーチャルタレント的に広告屋とかがプロデュースしたAIアイドルですみたいなことやられてもたぶん白けてしまうだろうな。
AI関連の進化の過渡期だからこそ味わえているほんの一時のトキメキなのかもしれない。
妄想癖のある人は要注意だ。AI生成の沼はハマれば無限の世界なのだ。
俺は怖いので自分でローカル環境とか作って自分で生成するとかは、面倒なのもあるけどなによりハマりすぎるのが怖いのでやらないでおこうかと思う。たぶん、いまのところ。