はてなキーワード: 一部の人とは
人工知能学会誌の表紙に女性形のヒューマノイドが部屋の掃除をしている絵が採用されたことで、女性差別だの女性蔑視だのと議論が噴出している。
しかし、多くの心ある方々が学会誌を擁護してくれているそうで心強くある。
ああいう表紙にして、実際に売上が伸びたという事実以上に強い擁護はない。
このリンクから人工知能学会のサイトへ飛べるので、そこから購入手続きをしてもらえれば幸いである。
http://www.ai-gakkai.or.jp/journals_of_jsai/
では、以下にこの件が女性差別でない理由をまとめていく。
ネット上の発散しがちな議論を一本にまとめたつもりだが、個人的な解釈の違いからくる間違いが含まれるかもしれないことは断っておく。
まだロボットは人間の決定に文句を言う権利を持っていないが、この絵に差別を感じられるのは当事者であるロボットだ。
つまり、この絵にどのような意味が込められていようとも人間の女性への差別には当たらない。
これに女性差別を感じるならば、それはロボットを人間だと曲解した上での議論である。
実はロボットだったとしても、外見がここまで女性的である以上言い訳にすぎないのではないか、という言い分も理解できないこともない。
だが、仮に絵の中のロボットが腰にケーブルをつけているだけの人間の女性だったとしても、そこに差別的な表現を読み取るのは難しい。
批判しているようなごく一部の人を除いて、この絵を見た時のリアクションは
「あ、かわいい子が掃除サボって本読んでる・・・あれ、これロボットなの!?」
数十年後の未来、なんの変哲もない日常生活の中に浸透した人工知能の姿を読者に届けるという目的に合致している。
女性の品性を貶めよう、人権を侵害しよう、男性と同じ権利は与えないようにしよう、といった、差別を助長しようという意図がないのは明らかである。
おそらく問題視されているのは差別ではなく、古くからある偏見が強化される恐れだろう。
例えばこの絵を見た人は
「XPのサポート終了にすら対応できない日本人は技術革新についていけず、遠い未来においてもほうきで掃除する」
「なんだって!日本にはこんなかわいい掃除ロボがいるのか!俺の国には太ったババアしかいない!ファック!」
といった偏見を強化される恐れがある。
(なぜか問題視されているのは最後の一つだけであるが・・・特に3番目の例は今後深刻な話になっていくだろう。日本人は損しないかもだけど)
それは確かに問題なので、断り書きの一つもつける必要があるだろう。
「たばこの吸い過ぎは健康を害する危険性があります」っていうのと同じ程度に。
ドラマの最後にだって「この物語はフィクションです」みたいな断りを入れる。
今回の場合は、
「表紙絵の女性はロボットであり、いかなる人種、個人に対する差別、偏見を助長する意図はありません。また、表紙絵の中で使われている技術や生活用品は現在あるものを基準に描かれており、未来の技術の発展の様子を予測するものではなく、このような女性形ロボットは未だ開発途中であり一般家庭に普及しているわけではありません。」
といった断り書きを小さく裏表紙の隅にでも書き込むべきだった。
そういった怠慢への批判は甘んじて受けるべきだと思うし、今後生かされていって欲しいと思う。
ここから先は生産性のない議論になるので読み飛ばしてもらっていい。
一言で言えば、自分の姿にコンプレックスを持っている人が、そのコンプレックスを刺激されて爆発したというだけの話なのだから。
今回騒いでいる人は、社会正義のために声を上げているのではなく、とにかく不快になったという人の方が多く目につく。
目立った批判を集めて一つにまとめるとこうなる。
「なにこれキモッ!
男の女を支配したいって欲求むき出しじゃん!
家事なんて、そんな底辺の女がする仕事なんて私はしたくないし、私はそんな底辺女とは違う。
これで『女性はかくあるべき』なんて偏見が助長されたらますます仕事がしづらくなる。
汚らわしい。
私は絶対そんな、男に媚びるような女にはならない。
そんな都合のいい女いるはずないのに、今度は人工的に作るとか言い出しやがった。
男の欲望の思うがままにされるためだけの女性が人工的に作られるなんて、同じ女性として気が狂いそうになる。
それを日本の人工知能研究の主流と取られかねない場に乗せるなんて、死ねエロ猿ども!
なんの反論もございません。
全員がそうとは言わないまでも、確かにそういう流れは存在すると思う。
だが、それは差別ではない。
男性の性欲についての話だ。
おしとやかで従順で決して逆らわないようプログラムされていて家事炊事で甲斐甲斐しく世話をやいてくれる女性が好きだと言って、なぜ女性全体を差別していることになるんだ!
不快になった人は単にお前は俺の好みの女じゃない、と言われただけだと気づけ。
学会誌の表紙でそんな恥ずかしいカミングアウトをするなという批判はその通りだ。
「私はこんな風潮は間違っていると思う!個人的に嫌いだ!」
しかし、実際には個人的な不快感でしかないものを差別という絶対的な社会悪と結びつけて主張している。
しかも主張の内容は男性に性欲を持つなという、無茶苦茶なものだ。
そんな主張、そのまま出しても鼻で笑われるだけだ。
だから差別という、絶対反論できないお題目を掲げて主張するのだ。
自分の力ではなく、他人の力におんぶで抱っこで議論をしようというのだ。
俺はそんな卑怯者に払う敬意など持ちあわせていない。
もちろん女性蔑視などしていないが、そういった卑怯な女性ははっきりと軽蔑する。
だいたい、女性側が専業主婦にひどい差別意識を持っていない限り、こんな主張は出ないのだ。
これは述語論理を使えば数学的に証明できるのではないだろうか。
一方、普通の男性は専業主婦に差別意識を持っていないから、何が問題なのか分からない、そもそも問題など存在しない、と思うわけだ。
一体どちらが差別主義者か。
もし、彼女らの専業主婦への差別意識が、自発的に生まれたものではなく人から刷り込まれたものだとしても、
それはこの絵を書いた人や表紙に採用した人ではなく、あなたにそう言った人に直接言ってくれ!
まず単なる個人の不快感を差別という文脈で語るのが許せないというのは先に述べた。
それに加えてこの件のおかしなところは、仮に表紙絵のロボットが性奴隷に従事させられていたとしても人間の女性に被害者は一人も居ないということなのだ。
これは「非実在青少年の人権」などという存在しない権利をもって、言論の自由を制限しようとした表現規制へと直結する流れだ。
そんなロボットを作りたいと願うのも、当然自由だ。
なぜなら、それにより女性の権利はまったく損なわれないからだ。
にも関わらず、これを差別だなんだと、表現規制をかけたり、無意識の差別、つまり考えることすら規制しろとか言う人すらいる。
それを表現しないなら、内心の自由として憲法でも保証されている。
その自由を脅かすのは、まさに人権侵害だ。
歴史に汚点を残して1000年経っても記録に残るぞ。
だいたい、差別と言っても、身の回りの人物から家事を強制されるとか、そんなもんだろ。
そんなの個人の話し合いで解決しろよ。
なんのために口がついてんだ。
そこを差別問題として取り上げて、もしなんらかの法規制が行われたらどうなると思うのか。
個人と個人の間にある、個別の問題にまで規制が踏み込むことになったら、どうなるのか。
最終的に行き着く先は「少子化対策のために20代の夫婦は毎週3回セックスすること」なんて法律で規定されるような社会だ。
本当にそんな社会になっていいのか?
いいという人が国民投票で2/3を超えたらそれに従おう。
しかし、そうじゃないだろう。
本当にそんな世の中になったらみんなが不幸になるだろう。
ならば戦うしかない。
http://anond.hatelabo.jp/20131227145434
↑のブクマ
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20131227145434
http://anond.hatelabo.jp/20131227150528
http://anond.hatelabo.jp/20131227195049
家事って卑しいの?
http://anond.hatelabo.jp/20131227201943
フェミはつまり、オタクが「自分の思い通りにはならない存在で気にいらない」わけだ
http://anond.hatelabo.jp/20131227220739
地球上のすべての土地を削り取って海に投げ込むと陸地は無くなって海だけになるという。つまり山の総量よりも海の深さの総計(海の容量)の方が大きいということだ。
一つの例え話なのでこれが事実であるかはどちらでもいい(たぶん事実だけど)。
もしくは以下のような仮定をしてみる。。
予算に限りのあるNPO、例えば貧しい人に食料を配布するNPOだとしよう。そのNPOが一部の人だけに支援をするのは不適切だからと支援の対象者を世界の全員に広げたら支援は一食分にも満たずに結局は一人も救えないことになる。一人ひとりには取るに足りない金額でもかき集めれば何かを成し得るという募金の考え方の真逆になってしまう。
世界は少しずつ改善されており、建前と現実に食い違いはあるものの着実に民族や宗教、性別やジェンダーでの差別を減らす方向に向かっている。
奴隷はいなくなり、軍人ですらも拷問されない権利があり、病気や障害などで働けない人、そもそも働く気のないような人ですらも生きることは保障されていたりもする。
今では子供向けギャグマンガでうっかり男の子同士がキスしちゃったりしたときに「オエー!気持ち悪い!」なんて言っている描写を見ると、同性愛者の人は気分を害していないだろうか?なんて余計な心配をしてしまうぐらいに世界は「配慮」に満ち溢れている。
もちろん国や地域や社会階層などで進行・浸透の度合いは違うけれど、少なくとも日本の属する西側先進国の間ではあらゆるマイノリティに対しての配慮を進め、平等な社会を実現することを目標としているように見える。
貧困や差別は無い方がいいに決まってる。貧困にまつわる問題を解決するためには貧困層以外の全員がなんらかの負担をしなければならない。それはある程度は税金と言う形で実現されている。
差別をなくすためにも何らかの負担は必要だ。上に挙げた例のようにゲイやオカマ、デブ、ハゲ、チビに嫌な思いをさせないためには程度の低いジョークを止める程度の負担で済む。もっと根深い差別に対しても同様で、差別される側が深く傷つく代わりに、差別していた側が広く浅く少しだけ何かの負担をすればいい。それは金銭的、精神的な負担だったりもしくは歴史的背景を学ぶことだったりといろいろな事が必要だとは思うけれどつまりはマイノリティが抱え込まされている負の財産を大勢でちょっとずつ負担するという募金のような考え方になるんじゃないかと思っている。
2012年ごろに月刊アフタヌーンで連載していた「勇者ヴォグ・ランバ」という漫画で以下のようなセリフがあった。正確には覚えてないので印象に残った部分の要約みたいになってしまうがこんな感じだ。
「世界から奴隷がいなくなったので今まで奴隷がやっていたような労働を一般の人が少しずつやるようになった。世界から戦争を無くしたいならば一般の人を含めた全員が今まで軍人がやっていたような作業をやらなければならない。」
続きで語られる具体的な部分は覚えていないが、つまりは戦争を無くすという大きな変革を成し遂げるためには全員がそれなりの負担をする(主人公は為政者側なので「負担をさせる」が正しいが)覚悟が必要。覚悟も無しにきれいごとを言っても意味が無い。という会話だったと思う。
誤解の無いように書いておくと、ここで言う「軍人がやっていたような作業」とは人を殺して回ることなどではなく、もっと精神的な部分だったと思う。この辺で揚げ足を取られるのは本意ではないので意図を汲んでいただけると幸いです。
現実に話を戻すと、少人数の重病の人の治療費をみんなの保険でカバーすることは可能だと思う。日本の人口の2%程度に生活保護を支給するのもまだ大丈夫だろう。でもこれは日本と言う裕福度の平均値が高い閉じた社会だから可能なだけであって、先の二例だけであってもこれを世界中に広げることは不可能だ。
全ての先進国が食事の選択肢を減らし、贅沢をしないように、残飯が出ないように、とがんばればアフリカで飢えてる人を全員救ってもまだ余るらしい。じゃあやりますか?「それ(アフリカ)とこれ(先進国)は別」というのが現在出ている答え。これについては特にコメントしない。
食料やお金なら多少は分けてあげてもいいという人もいるかもしれない。じゃあ平和を少し分けてあげることはできますか?過度な貧困地域や犯罪多発地域を無くすために世界で広く貧困と犯罪を引き受けてあげますか?
(貧困が減れば犯罪も減るかも知れないので、それらの総量は常に一定ではないかもしれないけどここでは無視する)
今は世界の都会でもいわゆる危険なエリアに行かなければそこそこ安全だけれども、広く薄く貧困と犯罪を引き受けるというのは、全員が常にそこそこの犯罪リスクにさらされながら生きるという事になるのではないかと思ってしまう。全員が「負担」として十分な警戒心と自己防衛の知識と技術を持たなければならなくなるのではないだろうか。
先進国の豊かな暮らしは、貧困や犯罪や差別や不衛生やその他の負の財産を途上国やマイノリティに負担してもらう事でなりたっている。
みんなの理解や努力で負の財産自体を減らしたり消滅させたりすることが可能な部分もあるとは思う。
全ての人を救おうとした結果に待っているのはすべての人の不幸なんじゃないだろうか。
おれの考え方がおかしいのかもしれない。みんなこの辺にどう整合性を付けているか気になる。
トラバにあるように、まずは自分の生活が大事。遠くの誰かより身近なペットが心配。というのは理解できるし自分もたぶんそういう人間だと思う。
しかし目が届きにくいからと言って遠くの問題から目をそらすのは人間としてあまり程度の高くない行いにも思える。100年前ならいざ知らず今はインターネットやマスメディアなどで多くの情報を得られ、一般人でもその気になれば世界のほぼどこにでも行ける時代だ。なのに「遠くの事は知りません」という態度が(個人としてではなく社会として)正しいのかはわからない。
じゃあ何をどこまですればいい?そもそも今のまま差別や不公平をなくして行けば良くなるのか?もしかして良くしてるつもりがみんなで袋小路に突き進んでるのではないのか?と疑問がつきない。というのが現状。
トラバもブコメもあんまりついてないのに追記ばかりしてもしょうがないのだけれど、どうも意図がうまく伝えられてないようなので書き足す。
身近 VS 遠く という軸も気になる部分の一つではあるのだけどそれが主題ではないのです。
社会は確実に「遠くの知らない誰か」や「昔なら無視していいと考えられていたマイノリティ」に配慮する方向に向かっています。だからと言って身近な人やマジョリティに死ねとかは誰も言っていない。全員が幸せになるために、現状不幸せな人が幸せラインに立てる方策を模索しているわけですよね。
だけど「全員が幸せ」っていうのは実現可能なのか?それは「全員が少し不幸せ」になるのではないか?と言っているのです。
10の人、5の人、マイナス10の人、いろいろいると思います。(誰がどういう基準で判断するのかは置いといてください。定量化が目的ではなく、ただの表現ですから)
全員の幸せを目指した時にせめて3とか4で落ち着けばいいけれど、結局全員がマイナス7とかになるんだとしたら悲しい結末ですよね。会社で言うならば使えない社員やアルバイトにも平均的正社員と同じ待遇を与え、障害者雇用も推し進めてたら潰れてしまったということになるんじゃないの?差別や不平等は無くした方がいいとは思いながらも、差別や不平等があるからこそ今の生活があるのだとしたら、差別や不平等を無くさない方がいいんじゃないのか?でもそれは被差別者の人権を考えるともうありえない選択肢になっている。つまり社会は沈没に向かっているということになるのではないか?
というのがメインテーマです。
いろいろ意見をいただけてうれしいです。今後も考える材料にしたいと思います。より有益な意見をもらえるように以下に気になったコメント等に返事します。これ以降、コメント等への返事については「追記」とか区切らずに追記しちゃいます。
そもそも幸せかどうかって以前に命が保証されてない生活を送っている層もあるわけで、食料や医療の問題と、差別やマイノリティの問題を同じステージで考えるのは無理があると思うよ
だけども、基本的には同じだと思っています。
命が保障されていない人たちを救うために自分たちの命の保証度を引き下げる事をどう考えるか?
差別されている人を差別から自由にするために自分たちの自由が減ることをどう考えるか?
一個一個を見ると「やるべき」に思えるけど、それらをすべて推し進めた先には暗い未来が待ってる気がする。結局は誰かを犠牲にしないと生きていけないのか?という疑問です。
歴史上、農耕社会成立以降に被搾取者や非差別者がいなかった事はありません。彼らの犠牲なしに人間は社会を維持できるのか?犠牲のない社会とはどんな社会なのか?そこに自分は暮したいのか?今の暮らしを維持するために誰かを犠牲にし続けるのか?結局は「遠くの被差別者よりも身の回りが大事だから」と言って物質的精神的搾取を続けるのか?わからないことだらけで困っています。
わかりやすい説明をありがとうございます。
富の問題に関しては少なくとも良い方向に向かってるんですね。なんか安心。
そんなアタリマエのこと言われても…建設現場で現場作業員が設計をしてるとでも???
うぬ、現場作業員を馬鹿にしてるな?現場の方が、きちんと資格がなきゃそもそも触ってもいけないものがたくさんある。
だれでも試験対策、だけして取る無意味な情報系資格ではない。そもそも資格だけ持ってても、それ全部忘れてたら結局自分たちの命の危険に関わることだからきちんとしてる。
作業員はその作業をきちんと理解してなかったら出来ないのは当たり前だろ。
但し、現場作業員ってのは実際目に見えて動いてなきゃ無能、ってすぐわかるし、間違えて組めば簡単に他人がリカバー出来るもんでもないが、
えんじにあ()だと何もやってなくてもすぐにはばれないし、間違えた所で簡単に他人がカバーしてしまうこともある。
なんでそう、ぷろぐらまとかえんじにあとか、はてなーは異常に持ち上げるかな?20年くらい前は、確かに一部の人しか扱えないものだったし、
マシンスペック的にも如何にきちんとしたコードを書いて更にソフトでハードの限界を超える様な事をやってたわけだが、
この記事を書くキッカケになったのは、こちらの方が書かれた記事を読んでから。
http://anond.hatelabo.jp/20130517213002
そしてこの記事を書いた目的は、自分がアフィリエイトに携わった約10年間の軌跡を記すことと、
読みづらい文章ですが、興味があれば読んでみてください。
私がアフィリエイトに出会ったのは今から約11年前、当時はブログやSNSなんて媒体はメジャーではなく
個人が情報発信するには、ホームページ作成と呼ばれる特殊な技術を持った一部の人間だけが、それを
許されていた時代です。
当時の私は、どこにでもいる中小零細企業の正社員で、Webの知識など皆無、当然
ホームページを作成する技術や知識すら持ち合わせていませんでした。
しかしそのアフィリエイトの存在を知ってから約1年後、当時勤めていた会社の部長と折り合いが悪くなってから
「こんな会社やめて、もっと大きく成功してやる!」そんな漠然と、フワッとした
野心、野望、甘え、現実逃避を当時25歳位の私は抱いていました。
そしてその当時、常に私の心の奥底にあったのが、アフィリエイトの存在でした。
たいした資本を必要とせず、個人で月収50万、実力次第では月収100万も夢ではない。
「ひょっとしたら、俺にも出来るかも。」
「もし俺にも出来たら、俺の人生は大きく変わって、ビッグに成功できるかも!」
そんな甘ったるい思考を持っていた事を今でも覚えています。
部長との折り合いが悪くなって、すぐ私は当時勤めていた会社を退職し、
派遣社員として、工場勤務の職を得て新しいスタートを切ることになります。
もちろん、その工場の仕事がしたかったから働き始めた訳でなく、
アフィリエイトで稼ぎ独立して成功していく為の、とりあえずの日銭稼ぎの仕事と
割り切って仕事をしていました。
当然、当時はアフィリエイト報酬は月に1000円も稼げていませんが、とにかく勉強し、
ホームページビルダーと呼ばれるソフトを使い、何とかサイトを完成させるまでの
スキルを身につけることができました。
しかし、そのスキルとアフィリエイトで稼ぐスキルはまるで別物。
サイトを作り上げるスキルは日々上達しても、ASP(アフィリエイト・サービス・プロバイダ)の
それでも、絶対にアフィリエイトで生計を立てる。
絶対にこれで人生を変えてやる!
そんな、狂った思考を持ち続け突っ走っていました。
当時まだ26歳だったと思います。
昼間は工場で働きながら、そして空いた時間はすべてアフィリエイトで金を
稼ぐ為だけに注ぎました。
そして今でこそ分かるのですが、私は当時働いていた職場での人間関係を積極的に築こうと
しませんでした。
なぜなら、私の心のどこかで、この仕事はそのうち辞める仕事、俺はお前達とは違う。
そういった思考を持ち続けていたので、私は意識的に人との関係を避けるようになったのだ思います。
もし仮にココでアフィリエイトに挫折していたら、まだ人生の選択肢は多く残されていたのですが、
不幸にもアフィリエイト報酬が右肩上がりになってしまいました。
厳密に言うとアフィリエイトではなく、アドセンス報酬だったのですが、月に30万以上を
稼ぐ月が続いてしまいました。
私の交友関係が狭まるのと比例して、今まで稼いだことのないようなカネを稼げるようになりました。
当時28~29歳位の話です。
アドセンスで稼ぎ続ける日々はそう長くはありませんでした。
当時のアドセンスは、クリックさせさえすれば、ある程度の報酬が見込めましたが、
それが通用しなくなったのです。
アドセンス報酬はガタ落ち、アフィリエイト報酬もほとんどありませんでした。
当時、私は個人事業主としてアパートの一室でアフィリエイト事業をしていたのですが、
アドセンス報酬に頼って生計を立てていたので、報酬が減ることはイコール、死を意味します。
「何とかしないと。どうにかしないと。」
心は不安と焦りで一杯でした。
ココで真剣に自分の人生を考えればよかったのに、やはり私の当時の思考は偏っていたので、アルバイトを再開し
その金と少ないアドセンス報酬で生計をたて、今度はアフィリエイト報酬目的でサイトを作り続けていました。
もう気付かなければいけないのに。
しかし当時の私はまだそこまで考えられない短絡的で無計画な男でした。
そして何とかして、この業界で生きていく。
それが、俺の道。
まともに、働いて微々たる金を稼ぐなんて、俺には出来ない。俺には無理。
そんな人生まっぴら御免。
こういった思考を持ち続けていたのです。
当時私が30歳位の話です。
アルバイトをしながら、アフィリエイトで何とか生計を立てる日々は続きます。
しかし、状況は好転し、ネット上ではPPC広告を使いアフィリエイト報酬を得る手法が流行り、
広告費30万突込みアフィリエイト報酬60万~70万程、月に稼ぐことに成功します。
驚くほど稼げる。簡単に稼げる。
凄すぎる世界でした。
日に5万以上のアフィリエイト報酬を得るのも珍しくなく、私は有頂天になりました。
昼間は好きな所へドライブに出かけ、好きな所へ旅行へ行き、日々の生活が怠惰になっていました。
朝は起きたい時に起き、仕事!?(アフィリエイト)は気が向いた時にやり、寝たい時に寝る。
嫌なことは一切しない。
煩わしい人間関係とは無縁。身の丈以上の金を稼いで自由に生きていました。
きっと私の心は気づいていたのだと思います。
足がしっかり地についていないことを。
しかし、私の思考はそれを否定する。
そんな事はない。
コレが俺の道。コレがコレが......。
当時私は31歳~32歳だったと思います。
私は主にサイトアフィリエイトに力を注ぎ、安定して50万~80万程度の報酬を
稼ぐことに成功していました。
金を稼げているうちは、まだ心は安定しているのですが、やはり常に不安があり、
次へのステップ(商売)を考えていたのですが、一歩が踏み出せない。
なぜなら、私にそういったアドバイスをしてくれる同僚、友人、先輩もいませんでしたし、
どこか、何となく金を稼いできた。
そんな自分に自信が持てなかったのかもしれません。
例えば大工の見習いが地道に頑張り、一人前になり工務店を構える、
そういった背景が私にはなかったのだと思います。
ただ何となく、感覚的にアフィリエイトに取り組み、そして金を稼いでいたのだと思います。
成功する為に金を稼ぐ。
私の成功は金を稼ぐこと?
なぜその仕事をして金を稼ぐのか?
もちろんココまで全て自分が撒いた種ですので誰にも文句は言えません。
ただただ自分の考えの甘さに恥ずかしいだけです。
そして2012年グーグルのアップデートが入り、全ては転落へと向かいます。
当時私が35歳の話です。
アフィリエイト報酬は急降下、何とかしなければ、何かしなければ。。。。
もう関わりたくない。二度とこんなモノに自分の人生を預けたくない。
そんな強い想いがあります。
厳しいとは分かっているが、就職し自分の人生を再起動させるしかない。
分かっています。どの選択肢を選んでも厳しい。死ぬほど厳しい。
でもココでもう一度頑張らないと、私には未来はない。
そしてWeb系(デザイナー、CSSやHTMLコーディング)の仕事に応募。
イラストレーターやフォトショップ、プログラムなどが組める訳ではありません。
もちろん、簡単なホームページは作れますが、私自身が自分をWebデザイナーではないことを自覚しています。
しかし、とにかく何かしなければ。
職を転々としていると指摘され、一つ一つ、退職理由を突っ込まれる。
みな若い....。
今まで煩わしい人間関係を嫌がっていた自分が、一から自分の居場所を築くことが
面接官が一通り施設を案内してくれた後、優しく私にこう言いました。
「現時点であなたを正社員として雇うのは厳しい。ただ、うちにはキャリアアップ制度が
あるから、アルバイトとして2年もしくは3年働いてもらい、あなたがうちに貢献できる人材なら、
正社員の道もあるよ。でもだからと言って、かならず正社員として雇用するとは断言できない。」と。
そして、もう一つ見せ付けられた事実。
思考や外見、その他色々なことが堅くなって柔軟性が無くなって来ていること。
心療内科にいくと、うつの症状が出ていますね。と言われ薬を処方される。
しかし、悪いことばかりではありません。
アフィリエイト報酬が0円になったかと言うと、そうではなく、まだ月に7万~10万程度は
見込めるということ。(二度とこの報酬に頼る生き方はしませんが)
もう一つ、過去の職場で取得した工場系や運送系で使える資格を保有していること。
焦ってはいけない。でも急がなければいけない。
自分をしっかり見つめ直し、どうのように今後生きていくか、どの業界でプロになるのか、
それを考えて考えて考え抜いて答えを出そうと思います。
コレまでの約10年間、よくココまでデタラメに生きてこれたと思います。
それまでも、かなりデタラメに生きてきたので(職歴転々)、ある意味私の人生自体がギャンブルのように
なっていました。
しかし今回、自分が自信を失うという一件があり、自分を見つめ直す良いキッカケになりました。
まだ36歳で自分自身の性格、適正なども含め、言葉では言い表せない色々な事に気付けて良かったと思っています。
そして何より、前向きに地道に頑張っていく決意が出来ました。
大切なことは、自分が何をしたいのか。もしくは、どんな風に生きたいのか。
何なら出来るのか。何なら社会に貢献できるのか。
そしてその道でプロを目指すということ。
"金を稼ぐと言うことは、その道のプロになると言うことだ。"
以上。
今更そんな前時代に崩壊した家族システムをもってこられても…。
ただ“生きる”だけならそりゃ年収300万でもできるさ。
今の日本は「生きていける」は前提で、その上で「自由に生きる」にシフトしてる。
自由に生きるには武器がいるし、その武器を手に入れるのは金がかかる。
それって本当に原因なのだろうか?
たしかに一人目は少し心配したけど、出産の補助もでるし地域によっては医者代もかからない。
金銭ではそんなに困ることはないと思う。
まあ、三人四人は大変だろうけど。
それよりもわたしの経験で辛かったのは二人の時間がまったくなくなること。
夫婦で住んでいたので親は遠くて子どもも慣れてないから預けられないし、
子どもの大変さを実感すれば、とてもじゃないけど悪くて友人知人には預けられない。
ご近所付き合い、いいほうだけどご近所さんにも預けるのは申し訳ない。
今は幼稚園なので割とゆとりがあるけど、そのときはとにかく辛かった。
もう、その経験はしたくないと思ってる。
その他時間がとれなかった理由はもろもろあるけど
やっぱり親が近くにいる人が多いなって思った。
ヤンキ―気質な人が多いから若いうちに生まれるのもあるかもしれないけど。
とにかく大変だけど預かってって言えるのは親だけかなあ。
ケースバイケースだろうけど、そうわたしは思いました。
初めて書いてみたけど、文章になってるかな。
僕は、はてなブックマークコメントするやつの「人格者ぶってる感」を感じると複雑な気持ちになる。
ツイッターで見かける「理想の彼氏」とか言っちゃってるような二次絵を見る感覚で、寒い。
「記事の良し悪し」を判断するための材料の1つとしてブコメをたまに見るんだけれど、
ブコメの常連ほど、はてなスター目当ての「人格者ぶってる発言」をしている。
コメント総数が多ければ多いほど「人気コメント」に入ってない。
数打ちゃ当たるけど、本当の意味で「人気コメント」になれないのが「人格者ぶってる人」だろう。
「あの人、まだブコメしてる。ずっとこんなことしてるのを想像すると悲しいな。」
と思われてるぜ?
見る人から見りゃあ、本当になんか悲しいんだよ!
「いつまでこんなことしてるんだろう…」って。
そうするとみるみるうちにブクマやらツイートやらがついていって
ブコメで文才があるとか、文章が読みやすくてよいとか、そんな風に持ち上げられて
実のところ、そんなことをしている場合ではなかったし、文才だってそんなにあるわけじゃない。
だが反響を得てしまうことで、その魔力に取りつかれてしまった。
それでそんな経験をして以来、自分はこのネタは行ける!と思い。
そして、ついに自分が前からいたジャンルでうんこネタを発表してしまった。
誰しも手を付けたくはないが、それでいて手垢にまみれたネタなのに。
これがはてなほどではないにせよ、一部の人にそれなりに受けてしまったから始末が悪い。
うんこというある意味万能のツールによる力なのはわかっていた。
なんでもないところにうんこがある、それだけで面白い人には面白いのである。
それに、うんこで受けるということが一種の快感につながっていたんだと思う。
自分はそのジャンルではうんこネタを発する以外は凡庸なもので、
それ以外のネタは発表しても他の凡庸なものと同じように流される(凡庸だもの)。
うんこネタに依存してそればっかりやるようになるのは時間の問題だったわけか。
しばらくして、Googleでうんこともう一つある検索ワードを入れると
トップを自分のコンテンツで埋め尽くしてしまうようになってからというもの、
快感は薄れ、うんこネタにしかやる気や興味がむかない自分に怒りがわいてくるようになった。
なぜうんこなのか、と。趣味にしても他にもやりたいことがあるだろうと。
だが、うんこの魔力は凄まじい。
これを書いている今ですらどのようにうんこネタを披露しようか考えている。
常日頃の思考からうんこを排除するのは困難になってきて苦痛はさらに深まる。
うんこをした時すぐ流さず観察し、挙句の果てにカメラで写真に収めてしまったりする。
うんこにまつわるWebサービスを作ろうと専門外の勉強を始め、
どうすればリアルなうんこを3Dプリントできるか思索を巡らせる。
その度を越えた時間資源の投資の末に文字通りのうんこコンテンツが出来上がるのだ。
うんこに代わるネタがあればいいのだろうが、あれほどのインパクトを上書きするようなものが見当たらない。
なんだか違和感があるのです。
なんでそんなしょーもない嘘をついたんだろう。
意図的というより、都合よくナチュラルに嘘をつくタイプかしらん。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080810
ちきりんは「古き良き時代の日本企業」で働いた後、極端にアグレッシブな人事制度をもつ米系の投資銀行でも働いたことがあります。
転職前には「そのうち日本企業も年功序列や終身雇用を維持できなくなる。だったら早めに欧米的な組織環境に慣れておいた方がいいよね。」と思っていました。
けれど実際に外資系企業で働いてみてわかったのは、「こんなに高いプレッシャーの下で楽しく働けるのは、ごく一部の人達だけだ。大半の人はこんなところでは力が発揮できないだろうな・・」ということでした。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0907/23/news018.html
ちきりん 私は普通に大学を卒業し、大手の金融機関で働いていました。しかしそこを退職し、外資系の投資銀行で働こうと思ったのですが、その会社は日本の大学を卒業した人を相手にしていなかった。米国の大学を卒業していないと、「最終学歴を満たしていないわよ」といった雰囲気。
「じゃあ私も海外に留学しよう」ということで、27歳から2年間、海外で過ごすことに。そして日本に戻って来て「また金融機関で働くか……」と考えたのですが、当時はバブル経済がはじけたばかり。これから“落ちていく”業界を選ぶよりも「違ったところのほうがいいかな」と思い、今は畑違いの外資系で働いています。
●1986年 – 1991年 日興證券 引受本部(当時)勤務
●1991年 – 1993年 University of California at Berkeley, Haas School of Business (MBA)
●1993年 – 2010年 McKinsey and Company, Japan 勤務
・1993年 - コンサルタント(Associate, Engagement Manager)
横増田自身ならともかく他人の画像を転載してこの手のコメント求めるのってどうかなーと思うよ
ちゃんと画像転載の許可は得たのかなと疑問に思うのでこの人についての感想はノーコメント
言葉を選んで答えるならアニメやゲームで得られる幸せは所詮現実逃避の幻想の中の幸せに過ぎない
異性に認められて仕事して社会に受け入れられてこそ初めて周囲の「期待値」を満たせて自分を認められるわけで
それが努力しても満たせないという人々の苦しみは他の事に逃避しても「ポジティブ」を押し付けられても癒されない
「異性に異物としてではなく異性として認識されたい」「世間に受け入れられたい」この二つは本能に根ざす「願い」だから
努力してもこの願いが人格云々以前に知的能力的に叶えられない人生に煮詰まったクラスタの一部の人達が右や左やマイノリティにもチラホラいて
TLに災厄をもたらしたり特定の人物に何年間も粘着したり、誹謗中傷で「目立つが勝ち(誰か相手して)」という考えを持っていたり、botで嫌がらせしたり
そういう傾向が見受けられる
「ポジティブ」な生き方なんて押し付けられてもこの手のネットでくすぶらざるを得ない人達にとっては紙の上に描いた餅を「喰え、喰って黙れ」と無理矢理
口の中に押し込もうとされているようなもので精神的に抑圧される苦痛しか与えないってことです
ポジティブなこと言う方は「私、良い事言ったーはい、愚痴はおしまい(ニコニコ)」で済むんだろうけどね
長年生きてきて世の中の人々に軽い気持ちで「無能」「不必要」だと言われ続けハートにヒビが無数に走っている人にとっては傷に熱湯を浴びせられるような
もので苦しくてもがきも暴れもするだろうさ
その光景を見て「愚か」だと笑うことも「頑張れば希望がある」なんて言葉で誤魔化すこともできない
これ タタールステーキ。タタール人のステーキとは名前が付いているけど ハンバーグステーキとか
なんとなくついていて 厳密な定義がない(定義して公布されていない)用語に対して、偽装という言葉を使うのは
いくらなんでも、おかしくね?
ジュースと言ったら果汁100%みたいな定義があればいいけどさ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9
ヒレのステーキなら ヒレ以外は入らないけど。
月曜の朝からこんな話で申し訳ないんですけど。
まぁみんな大好きセックスの話なんですけどね。
僕も例には漏れずセックスが好きで、まぁ割と貞操観念的な概念は
ぶっ壊れてると思うんで、何の抵抗もなく色んな人とセックスできる訳です。
僕がセックスを好きな理由としては、性欲由来の部分もあるんですけど、
濃密なコミュニケーションとして、好きっていう理由が大きいです。
セックスとか、キスの仕方で本当に人間性がでるじゃないですか。
その人を深く理解できるような気がして、濃密な時間を共有できるような気がして、
女性の初めてのセックスっていうものは、それはそれは大切なものでしょうから、
痛かったり、気持ち良くなかったりするっていうこともあるらしいじゃないですか。
まぁ本心を言えば、面倒臭いってい最低な気持ちもありますけど。
とにかく、僕の価値観で言うと、処女の方セックスをするよりは、
で、ここからが本題なんですけど。
処女の方って意外と多いじゃないですか。可愛い人でも、可愛くない人でも。
で、そーゆー人達って、すごく勿体無いと思うんです。
セックスの喜びって、万人に平等に与えられるべきだと思うんです。
他人との関わりの中で自分を知って、それで生涯のパートナーを見つければいいと思うんです。
で、処女のままで年齢を重ねてしまうと、どんどん厳しくなるじゃないですか。
いやまぁ15歳黒髪清純美少女が処女って、それはそれでいいですよ。
でも、20歳を越え、30代になり、40を意識しだすとけっこー厳しいじゃないですか。
年齢を重ねても処女ってことはどちらかと言うとモテない方の女性じゃないですか。
いわゆる喪女さんじゃないですか。違う人も居るんでしょうけど。
ある程度の大人の付き合いになると、ベッドの上でのなんやかんやも、
立派なその人を構成する要素一つの要素じゃないですか。
そこで全くの初心者ですっていうよりは、
少しばかしの経験は、あった方がいいじゃないですか。
でも処女崇拝してるヤツなんて、自分に自信のない童貞野郎ばっかりですからね。
と、まぁ偏見はこの辺で。
とにかく、女性もある程度の年齢を重ねるなら、
ある程度の性経験を積んでる方がいいですよって話です。
でもね、そんなのはすごくモテる一部の人にだけ許される贅沢なんだよ。
どちらかと言うとモテてる人達ですら、基本的には叶わなかったことなんだよ。
初めてのセックスが悪い思い出でも、その後のセックスがずっと悪いものなんてことないですから。
貴女の周りでヒドい初体験をした人が、みんな今でも哀しいセックスをしてる訳でもないでしょう?
初めてのセックスで、その人のこれからのセックスが決まってしまうなんて、
そんな残酷な話はないでしょう。そんな話は絶対に認めたくない。
何かで聞いた話なんですけど、確かに少女マンガだっけな。
女の子にとって大事なのは初めての人じゃなくて、最後の人らしいです。
それってすごく素敵な話じゃないですか。失敗しても何度でもやり直せるじゃないですか。
そんな風であって欲しいと、僕は信じているんです。
その上でですね、女の子ってだいたい相手を選ばなければセックスできるじゃないですか。
だいたいの男の子は相手を選ばなければできるって訳でもないですからね。
余談だけど、女の子はセックスは気軽にできるけどイチャイチャは気軽にできないから、
きっとそれが貴女の為になる。年を取るとどんどんどん詰まりになる。
ちゃんと好きな人と付き合って、そーゆーことはしたい?
はぁ?甘えんな。
今までろくにそーゆーことができなかったから今のお前が居るんだろ。
社会に出たら結果を出してないってことは努力してないってことだ、覚えとけ。
今までサボってたツケが回ってきたんだよ。そこは我慢しなさい。
王子様を待つのも悪いことじゃない。でも王子様はお姫様のところに迎えに来るんだよ。
鏡見てみ?あんたお姫様じゃないっしょ?だから王子様は来ない。わかる?
とにかく、処女を拗らせてる方がなるべく早くセックスを楽しめる日が来る事を願ってます。
あくまで慎み深く。性に関してはあくまで秘め事ですから。
帰ろうとしたら、PMに呼び出されて
『余裕があるなら、他の人の仕事も手伝ってほしい。』
『周りの人の進捗が遅れたら、結局は自分のところに行くよ』
『チームで仕事をしてるという意識を持って。もっと周りを見て』
という旨をつらつらと言われた挙句、
進捗をIPメッセンジャーで報告するように、と約束させられた。
一日、リスケしてくれとお願いしたのは
自分からだが、それを盾にどうして愚痴愚痴言われないといけないんだろう。
スケジュールは実のところ、火の車です、なんて一度でも大きな声で言ったか?
そりゃ仕事していたら部屋の片隅でPM含めた一部の人たちがやばい、やばいと言ってるのが
丸聞こえだったが、スケジュール遅延をミーティングで話してない以上、
聞いてないふりをするのが空気を読むことじゃない。