そうするとみるみるうちにブクマやらツイートやらがついていって
ブコメで文才があるとか、文章が読みやすくてよいとか、そんな風に持ち上げられて
実のところ、そんなことをしている場合ではなかったし、文才だってそんなにあるわけじゃない。
だが反響を得てしまうことで、その魔力に取りつかれてしまった。
それでそんな経験をして以来、自分はこのネタは行ける!と思い。
そして、ついに自分が前からいたジャンルでうんこネタを発表してしまった。
誰しも手を付けたくはないが、それでいて手垢にまみれたネタなのに。
これがはてなほどではないにせよ、一部の人にそれなりに受けてしまったから始末が悪い。
うんこというある意味万能のツールによる力なのはわかっていた。
なんでもないところにうんこがある、それだけで面白い人には面白いのである。
それに、うんこで受けるということが一種の快感につながっていたんだと思う。
自分はそのジャンルではうんこネタを発する以外は凡庸なもので、
それ以外のネタは発表しても他の凡庸なものと同じように流される(凡庸だもの)。
うんこネタに依存してそればっかりやるようになるのは時間の問題だったわけか。
しばらくして、Googleでうんこともう一つある検索ワードを入れると
トップを自分のコンテンツで埋め尽くしてしまうようになってからというもの、
快感は薄れ、うんこネタにしかやる気や興味がむかない自分に怒りがわいてくるようになった。
なぜうんこなのか、と。趣味にしても他にもやりたいことがあるだろうと。
だが、うんこの魔力は凄まじい。
これを書いている今ですらどのようにうんこネタを披露しようか考えている。
常日頃の思考からうんこを排除するのは困難になってきて苦痛はさらに深まる。
うんこをした時すぐ流さず観察し、挙句の果てにカメラで写真に収めてしまったりする。
うんこにまつわるWebサービスを作ろうと専門外の勉強を始め、
どうすればリアルなうんこを3Dプリントできるか思索を巡らせる。
その度を越えた時間資源の投資の末に文字通りのうんこコンテンツが出来上がるのだ。
うんこに代わるネタがあればいいのだろうが、あれほどのインパクトを上書きするようなものが見当たらない。