はてなキーワード: 一朝一夕とは
たぶんこれが現代の日本社会で最も周囲にアレコレ無神経なおせっかいを言われず、こじらせ系にならずに済むルート。
しかし一見平凡な女の幸せに見せて、ものすごく難しいルート。1回目の人生では入り口すら見つけられない人多数。
とにかくハードモード。人生3周目じゃないとクリアできそうもない。
高校生くらいの年齢の時からこのルートを目指して計画的に行動しているか、ものすごい強運が要る。実際はここに書ききれないほど多くの条件、つまり人格や個人的理由、感情やタイミングなどが加わってくる。そういう個々人の事情をすべてをまるっと無視して「これが女の幸せでしょ」とひとくくりに言われてしまうのは、さらっと受けながすにはなかなかに重たいのだ。心が弱っている時には特に堪える。
補足:
上記は私が直接言われたこと、私の女友達から聞いた愚痴、結婚出産育児系の掲示板で散見された情報を元に独断と偏見を持って書いた内容です。
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ブコメを受けての追記です:
夜中に書きなぐった文章が起きたらホッテントリ入りしていたのでギャー!となりました。色々な角度から多くのコメントを頂き、ありがとうございます。
ちなみにお察しの通り、ほぼ何一つ、私自身はこのルートを攻略できていません。
「世間体ばかり気にして大丈夫か?」「幸せとは」というコメントも頂きましたが、あくまでこれは「世間の言う通りにしたらこうなる」というシミュレーションです。理想通りに結婚しても、離婚分岐ルートも往々にしてあるので、ライフプラン、本当に難しいですよね。
「恋愛至上主義♪ワタシの結婚」「バリキャリ!高学歴女性のための結婚」「人生1回きりだもン!好きなことやって楽しむぞ結婚★」「困難を乗り越え運命の国際結婚」などひとりひとりの人生と価値観で、数えきれないルートがありますし、幸せとは自分の尺度でしか測れないと思っています。が、世間の言葉を受け流すにしても、さらっとかわせるコミュ力とメンタルの強さは一朝一夕には身につかないものです。傷つきながら僕らは大人になるのです。
それにしても、ブコメ欄でいろいろな方のご意見や人生を垣間見れました。ありがとうございました。
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ちなみに、あまりに無理ゲーなので、こじらせまくって1年ほど前にひとり結婚式をやったのでした。
ごめんなさい。
職場の同僚なり上司なりがどういう人でどういうものが好きなのかを調べる。
たぶん元増田のオタクな感じというのは、自分の興味に従って動いているからではないかと読める。
映画やドラマを好きになるのではなくて、映画やドラマを媒介にして、周囲の人たちと会話をする。
会話の中で、たとえば監督や関連作品の話題を出せるのならそれは元増田の武器になる。
逆に、元増田はあまり気にしていないようなことを相手は着目しているかもしれない。
個人的に感じるのは、「普通の人」はひとつの話題を続けることはしない。
映画の話をしていたはずなのに、
女優の話になり、
CMの話になり、
関連商品の話になり、
・・・、
と転々と展開していくような気がする。
自分はそういう会話に慣れるのがものすごく難しかった。(今でも対応できていないと思う)
一朝一夕で変われるようなことでもないと思うけど、
同僚や上司、取引相手の人たちが興味を持ちそうなことを考えてみてはどうだろう。
http://b.hatena.ne.jp/questiontime/20150730#bookmark-261039199
麻酔医が足りないというブクマが多いけど、多くの人が無痛分娩を選択するようになれば、麻酔医の供給も増えるのでは。/確かに分娩は病気じゃないが、保険適用できなくても費用補助は必要だと思う。
無知過ぎて空いた口が塞がらない。
麻酔科医だけではなく医師全般が不足していて、それは一朝一夕に解決出来るようなことではない、
って数年前のはてなだと皆の常識だと思ってたけど。医師不足の記事がしょっちゅう炎上してたし。
(まあこんな記事が出てしまうくらいだから、マスコミでもまだまだ認識してない人もいるみたいだけど)
ついでに産科医不足はそれ以上の常識だよね。無痛分娩は勿論麻酔科医だけではなく産科医の仕事も増えるけど、産科医にそれを許容できる暇がある施設はそりゃ少ないだろう。
ブコメ見てるとそれすら分かってないのが多そうだけど。
あと出産育児一時金42万貰えるのも知らないらしき人多数。
はてなの医師ブロガーも飽きたんだか何だか知らんけどそういうの書かなくなったしな。なとろむせんせなんかすっかり似非科学の人になっちゃったし。
でも麻酔科医不足のせいだろ的な突っ込みも多いのを見ると、知識が二極化してるんだろうな。
知らない人は本当に知らないし、知ってる人はかなり知ってる、という。
ホントに自分を変えたいと思ったら読んでみてください。disられるの承知で書きます。
僕も昔は引きこもり気味で、コミュ障で、いない歴=年齢の童貞で、、、、それはもうひどい有様でした。
しかし、今はそうではないです。だいぶ変われました。
自分を変えたいと思っていても、結局みんななんだかんだ自分が好きなんです。
だから、こんなことを書いても、そんなことしたくねーよ、と言われるのは目に見えているのですが、本当に困っている人のために書きます。
自分を変えたいと思っていても、結局は自分が好きなので、何か失うのは怖いし、そもそも変化自体こわいし、そこに対して後ろ指さされるのも怖いし。
だから、今出来る範囲で、無理なく、自分を変えたいと思っている人が多いというか、変えたいと言っても所詮思想レベルであって、行動レベルに落ちてこないのです。
自分を変えるためには、環境を変える、ことが手っ取り早く確実です。
人は一旦コミュニティに属してしまうと、そこに「キャラ」「カテゴリ」が付けられ、それを変えようともがいても、「頑張ってる痛いやつ」くらいにしか思われません。
一朝一夕で変われるものではないから、尚更です。だから、一旦今いる環境から抜けることも考えてみてください。
周りの環境、人付き合いが閉鎖的な人。これはマジでチャンスです。その後ろ指さされる、ということが無いのですから。
人が変われるための、単純で確実な方法。
それは「こだわりを捨てること、そのために自分と真逆のことをしてみること」です。それでブレーキが外れます。
髪が長いなら短くします。落ち着いた感じなら多少チャラついてみます。
草食系非モテコミュ障チェリーボーイだった男子だった僕が何をしたか。簡単にいえば、「DQN化」です。
それはメガネを外し、髪を短くしてひげを生やしワイルドな感じにして、タバコを吸い始めました。
どこの中学生だ、って感じですよね。笑
でも、俺は「良い子」でいることが多かったので、社会から逸脱しないことが価値でしたし、それをしないことがアイデンティティーでした。自分が「まとも」であることが。
それは教師である親から刷り込まれた部分が大きかったと思うのですが、そこの期待を守ることが処世術でした。
ですが、そうはいきません。自分がない人間は、自己主張できない人間は、淘汰されます。
であるから、親に縛られていた、自分で制限をかけていた「こだわり」を少しずつ壊していきました。
浴びるほど酒飲んでみたり、タバコ吸ってみたり、パチンコ行ってみたり、店員に対して横柄な態度を取ってみたり、、、。
「悪いことをすると気持ちが良いです」。。。。。。笑
とまでは言いませんが、小さな反抗期ですよね。これは本当に大事だと思ってます。
親の言うことが絶対であり、親を神格化していた(親を絶対的に正しいと思って疑うことをしなかった)自分に、それ以外の価値観が与えられるのですから。
これをした結果、親を客観視出来るようになり、やっぱり正しい部分もあるし、でも間違っている部分もあるのだな、と思えるようになりました。
親以外もそうです。判断する自分、コギト・エルゴ・スム的自我が確立されたのです。
僕はいわゆる真面目系クズでしたが、これらの人に当てはまる特徴として、発達段階で言う「早期完了」の状態にあることが挙げられると思います。
最初は虚勢です。対人恐怖、視線恐怖、身体醜形障害ありましたから。痛いです。でもどんどんその横柄な態度が、揺るぎなく胸を張って歩ける自信へと変化していきました。
声も当然張れるようになります。自分を知らないでほしい→自分はこんなに変わったんや、自分のこと知ってや!と変わります。
逆を行くことによって、「自分」では絶対に手に入れられない気付き、感覚を得ることが出来ます。
これが飛躍的な自己改善をもたらし、自己認識を変え、成長を促進します。別にずっとDQNでいるわけではありませんよ。
こうして自己主張すること、人を客観視して冷静に見ることで自分を確立した結果、冒頭に上げた状態から脱することが出来ました。
だから、何か出来るようになりたい時、変わりたい時、それが出来るのが当然の状態をイメージ出来るような自分を演じてみること、これが大事だと思ってます。
「こう言ったら相手はこう思うだろう」っていう考えが足りないから喧嘩とか起きるって思うんだけど、どうかな?
と、教えられていないのだろうか?
それとも、「こう言えば、この言い回しで言えば、相手は確実に傷つくだろう」って、思いながら言葉を発しているのかな?
「私、あの人に嫌われてるから!超最悪!」とか言った友人がいたけれど、
よく話を聞けば、相手に会った当初に「言ってることがめんどくさいから適当に相槌打ってるwww」とか、
「まったく話し合わない!」とか、言ってる。
そんな事をしているから嫌われるのだと気づかないのだろうか?
人との関係作りは一朝一夕で出来るものじゃないのに、よく相手も知りもしないで、知ろうともしないで、
そもそも、自分が嫌ってしまえば、相手にも嫌われるのが当たり前だと思う。
その考えはないのだろうか?
「私は嫌いだけど、相手からは嫌われたくない」と思っているのだろうか?
もしそう思っているのなら、なんて傲慢なことなのかを知るべきだと思う。
私のこんな考えは、
「人の顔色ばかりを伺っている」と言ってしまえば、そうなのだろうけど、
無駄な諍いを起こして、いい気持ちはしないのが普通だろう?と思うのだけれど、違うのだろうか?
少年漫画のように、その諍いで友情やらなんやらが深まるのだろうか?
でも、そんなことは稀だろう。
ネットの世界でなら、現実でストレスが溜まっているのだろうか?と思う。
もう少し考えて言葉を発してみたらどうだろうか?
新聞読む人間から、新聞読まない人間を見ると、やっぱり頭悪いな~、と実際、色んなところで思うよ。
一つ一つの物事の判断、物事の見る目、行動、とかに必ず新聞読んでないなって分かるし、
この人は、この程度だなと感じる。
というか、少し話をしたら、この人あんまり賢くないな~と感じて、
色々知っていくと、新聞全く読まない人だったという感じ。
新聞を読むっていうのは、昨日今日仕入れた雑学的な情報ではなく、
思考の深さとか、読みの深さとか、
緻密性だったり、本質を理解する力だったり、そういうものを築き上げるもので、
仕事を手際よく、スピード早く終わらせたり、そんなところに現れるのではなくて、
人生の重大な選択を迫られたときに、賢い選択ができると言うところに現れる。つまり人生をダイレクトに形作る。
想像してみてほしい、
思考の深さ、緻密さ、物事の見る目、本質への理解、思考の結果である行動、言葉。
これらは少し話したら、すぐわかるもので、
言葉一つ一つににじみ出てる。
これらが劣っていと、頭が悪いと感じるのは当然だし、
ろくな判断は下せないだろう、と感じても仕方がない。
責任ある重要な立場(物事を判断するリーダーや経営層)になるならば、
思考の深さがないのは致命的で、部下を死なせるのなら、
やめた方がいい。
うんこする人間から、うんこしない人間を見ると、やっぱり可愛いな~、と実際、色んなところで思うよ。
一つ一つの脱糞の判断、周囲の見る目、トイレ行動、とかに必ずうんこのしてなさが現れるし、
この人は、可愛いなと感じる。
というか、少し話をしたら、この人可愛いな~と感じて、
色々知っていくと、うんこを全くしない人だったという感じ。
人間の尊厳、価値観の根っこになっている哲学的なものだからね。
思考の深さとか、読みの深さとか、
緻密性だったり、本質を理解する力だったり、そういう可愛さからも築き上げるもので、
うんこは瞬間瞬間の排便の処理に現れるのではなくて、
うんこを手際よく、スピード早く終わらせたり、そんなところに現れるのではなくて、
人生の重大な選択(緊急の便意)に迫られたときに、漏らすことができると言うところに現れる。つまり人生をダイレクトに形作る。
想像してみてほしい、
うんこの硬さ、臭さ、見る目、本質への理解、漏らした結果である行動、言葉。
これらは少し話したら、すぐわかるもので、
言葉一つ一つににじみ出てる。
これらが無いと、うんこしないと感じるのは当然だし、
可愛いだろう、と感じても仕方がない。
やめた方がいい。
例えば、うんこしない新人を「可愛い系w」といって、目の敵にしている美少女は、はっきりいって美少女の器じゃない。
自慰する人間から、自慰しない人間を見ると、やっぱり頭悪いな~、と実際、色んなところで思うよ。
一つ一つの物事の判断、物事の見る目、行動、とかに必ず自慰のしてなさが現れるし、
この人は、この程度だなと感じる。
というか、少し話をしたら、この人あんまり賢くないな~と感じて、
色々知っていくと、自慰を全くしない人だったという感じ。
思考の深さとか、読みの深さとか、
緻密性だったり、本質を理解する力だったり、そういうものを築き上げるもので、
仕事を手際よく、スピード早く終わらせたり、そんなところに現れるのではなくて、
人生の重大な選択を迫られたときに、賢い選択ができると言うところに現れる。つまり人生をダイレクトに形作る。
想像してみてほしい、
思考の深さ、緻密さ、物事の見る目、本質への理解、思考の結果である行動、言葉。
これらは少し話したら、すぐわかるもので、
言葉一つ一つににじみ出てる。
これらが劣っていと、頭が悪いと感じるのは当然だし、
ろくな判断は下せないだろう、と感じても仕方がない。
責任ある重要な立場(物事を判断するリーダーや経営層)になるならば、
思考の深さがないのは致命的で、部下を死なせるのなら、
やめた方がいい。
読書する人間から、読書しない人間を見ると、やっぱり頭悪いな~、と実際、色んなところで思うよ。
一つ一つの物事の判断、物事の見る目、行動、とかに必ず読書のしてなさが現れるし、
この人は、この程度だなと感じる。
というか、少し話をしたら、この人あんまり賢くないな~と感じて、
色々知っていくと、読書を全くしない人だったという感じ。
思考の深さとか、読みの深さとか、
緻密性だったり、本質を理解する力だったり、そういうものを築き上げるもので、
仕事を手際よく、スピード早く終わらせたり、そんなところに現れるのではなくて、
人生の重大な選択を迫られたときに、賢い選択ができると言うところに現れる。つまり人生をダイレクトに形作る。
想像してみてほしい、
思考の深さ、緻密さ、物事の見る目、本質への理解、思考の結果である行動、言葉。
これらは少し話したら、すぐわかるもので、
言葉一つ一つににじみ出てる。
これらが劣っていと、頭が悪いと感じるのは当然だし、
ろくな判断は下せないだろう、と感じても仕方がない。
責任ある重要な立場(物事を判断するリーダーや経営層)になるならば、
思考の深さがないのは致命的で、部下を死なせるのなら、
やめた方がいい。
読書する人間から、読書しない人間を見ると、やっぱり頭悪いな~、と実際、色んなところで思うよ。
一つ一つの物事の判断、物事の見る目、行動、とかに必ず読書のしてなさが現れるし、
この人は、この程度だなと感じる。
というか、少し話をしたら、この人あんまり賢くないな~と感じて、
色々知っていくと、読書を全くしない人だったという感じ。
思考の深さとか、読みの深さとか、
緻密性だったり、本質を理解する力だったり、そういうものを築き上げるもので、
仕事を手際よく、スピード早く終わらせたり、そんなところに現れるのではなくて、
人生の重大な選択を迫られたときに、賢い選択ができると言うところに現れる。つまり人生をダイレクトに形作る。
想像してみてほしい、
思考の深さ、緻密さ、物事の見る目、本質への理解、思考の結果である行動、言葉。
これらは少し話したら、すぐわかるもので、
言葉一つ一つににじみ出てる。
これらが劣っていと、頭が悪いと感じるのは当然だし、
ろくな判断は下せないだろう、と感じても仕方がない。
責任ある重要な立場(物事を判断するリーダーや経営層)になるならば、
思考の深さがないのは致命的で、部下を死なせるのなら、
やめた方がいい。
読書する人間から、読書しない人間を見ると、やっぱり頭悪いな~、と実際、色んなところで思うよ。
一つ一つの物事の判断、物事の見る目、行動、とかに必ず読書のしてなさが現れるし、
この人は、この程度だなと感じる。
というか、少し話をしたら、この人あんまり賢くないな~と感じて、
色々知っていくと、読書を全くしない人だったという感じ。
思考の深さとか、読みの深さとか、
緻密性だったり、本質を理解する力だったり、そういうものを築き上げるもので、
仕事を手際よく、スピード早く終わらせたり、そんなところに現れるのではなくて、
人生の重大な選択を迫られたときに、賢い選択ができると言うところに現れる。つまり人生をダイレクトに形作る。
想像してみてほしい、
思考の深さ、緻密さ、物事の見る目、本質への理解、思考の結果である行動、言葉。
これらは少し話したら、すぐわかるもので、
言葉一つ一つににじみ出てる。
これらが劣っていと、頭が悪いと感じるのは当然だし、
ろくな判断は下せないだろう、と感じても仕方がない。
責任ある重要な立場(物事を判断するリーダーや経営層)になるならば、
思考の深さがないのは致命的で、部下を死なせるのなら、
やめた方がいい。
ピボットテーブルとマクロって初心者が一朝一夕で覚えられる訳ないから
普通初心者ないし基本操作が出来る程度というと、ピボットテーブルとマクロは出来ません
という事にならないだろうか。
入社してみて、ピボットテーブルって何ですか?とかマクロの使い方が分からないです。
最近は「VBA使える?」とかある程度専門的な質問に変わりつつあるし、面接前パソコン試験を受けさせて
程度を調べるという方法が増えつつある。
恐らく、皆パソコン基本操作できまぁす!と回答していざ入社してみたら、基本操作の程度が「ワードは文章と引用文献の注付けられるだけ」、
「エクセルはテンプレートに文章を入れる、ちょっとした表計算・表作成が出来るだけ」という意味合いが強く、
結果、実はパソコンの基本操作すらままならない事実に直面しているのではないか。
文章は下手だけど精一杯書いてみます。そんなことをしてしまうくらいには苛立ったということで、その理由と詳細。
読みにくい文で長々と個人的な感想を述べますし、「スポーツとか知らんけどイケメンが出るから見てる」みたいな人は不快になること請け合いなのでホント読まないでください。ちなみに全部「フィクションだから」で片付けられます。理由の間は平常語。
理由①:一日全力でレースしたくらいでへばってしまう田所さんの打たれ弱さ
書いておいてなんだけどこれはまぁいい。俺は未経験者だから実際のロードレースのことなんて知らんし、心肺に負担がかかって力が出せなくなることもあるだろう。俺も一応ボートっていうレース競技をしていたから分からんでもない。
でもそれにしても回復が遅すぎる気はするし、鳴子がピンピンしてるところからも田所さんのトレーニング不足、もしくは体作りのミス(短距離特化すぎる)を感じる。自転車レースという長距離競技をする上でどうかと思う。
理由②:一日目の中間とったくらいで「俺の仕事は終わった」とか抜かす田所さんの驕り
作中で散々明言されているが、自転車レースはチーム競技だ。っていうか自転車レースはよく知らんのだけど、あんだけ言われてる以上少なくとも弱虫ペダルという作品の世界ではそうなんだろう。
そんな中で、3日通して行われるレースの、たった1日の、それも中間ポイントで一番になったくらいで仕事をした気になるというのはどうなのか。中間ポイントに大きな価値があるにせよ、このセリフはその後2日ともそこそこのスピードで走りきれた(少なくともチームに付いていくくらいはできた)奴の言うセリフだと思う。
一日目がどれだけ早くてもその後がボロボロでは他のチームにプレッシャーはかけられないだろう。グリーンゼッケンが泣くぞ。
どうでもいいけど2日目の田所さんには「過去に偉大な成績を残し一時は注目を浴びるが、その後全く奮わず周りから置いていかれる」ということで日ハムの某選手と通じるものがあるように感じる。合掌。
理由③:こんなポンコツ状態の田所を待ち、さらに彼を連れて大集団を抜き先頭に合流できるとほざく主人公・小野田坂道の驕り
これが一番の理由。小野田くん、君は何様だ?
多分小野田くんの言い分としては、田所さんの前を走ってペースを作り、かつ空気抵抗をなくしてやればスピードが上がり追い付くことができるというものなんだろうが、フラッフラでまともに走ることすらままならない人の空気抵抗がなくなったところで何がどう変わるというのか。小野田くんもまとめてペースダウンして、貴重な戦力を失うのが関の山だ。現実では。
あと田所さんはスプリンターだから登り(現在のステージ)じゃ本来の力が発揮されないそうで、泣きっ面に蜂。巻島さん十分夢見がちやがな。
それにこれはインターハイを本気で戦っている他のチームを侮る、馬鹿にするということでもある。
他のチームも皆インターハイに向けて総北に負けない過酷な練習を乗り越えてきたんだろうし、みんなそれぞれに優勝を目指して頑張っているわけだ。君の行為は彼らのプライドを踏みにじることだと理解しているか小野田くん?
そもそも君は数ヶ月前まで自転車によく乗ってるだけのオタクだったはずだ。そんなドシロウト状態から一朝一夕で力をつけた君が、インハイクラスの猛者たちを病人引っ連れてゴボウ抜きできるはずがあるか。もっと謙虚になれメガネ。一日目の百人抜きは目を瞑ったがもう我慢ならんぞ。
スポーツ漫画である以上しょうがない部分もあるのかもしれないが、この作品は根本的にそういう「主人公無双」で「モブチームを軽視する」傾向が顕著であるように感じていて、そこが非常に気に食わない。
理由④:そんな状況なのに小野田くん待つ。追い付くと言う。挙句、歌う。
これは…まぁいいや。うん。こいつらレース中めっちゃ喋るし。ストイックにレースする頭文字D的な魅せ方もあったとは思うんですけど。
奈良県民は怒っていいと思う。
③はほぼただの愚痴になっちゃいましたが、まぁこんな理由で弱虫ペダル33話は見ていてかなり胃がムカムカする思いをしました。
前述のように一応自分もレース競技に携わっていた身なので、こういう作品にはいろいろと思うところはあります。モブもモブなりにそれぞれ思いを持ってインターハイに参加している、インターハイとはその思いがぶつかる場所であるということをもう少し汲んでほしいですね。
まぁ立ち止まった小野田くんを抜かしたモブは馬鹿にしやがってと憤るよりは普通に喜んでましたけどね。自転車乗りのプライドとは一体。
末筆になりますが、自分は弱虫ペダルという作品がとても好きであること(登場人物に魅力があるし、主要キャラの思いは有り余る程伝わってくるし、鳥海浩輔)、自転車レース未経験者なので何かと的外れなことを言っている可能性は十分あること、上記のようなポイントは確かに嫌だけどそれでも見ちゃうような魅力的なアニメであることの三点は明記しておきます。以上。
それから数週間こなしていって、「これは異動になりそうだな」と悟る。
案の定、『人手不足だから』『若いから』ということで異動になり
これまでとは全く仕事をやるようにはなった。
同時に全社的なプロジェクトにも放り込まれたのだが、これがしんどい。
大量のマニュアルを読んで改善に向けて意見しろと言われたのだが
そもそも実務すらまだしたことないぺーぺーだから、そんなに建設的な提案はできないのに
甘えだとは承知の上だし、勿論勉強はし始めたが、そう一朝一夕に把握できるわけではないので、もうちょっと待ってほしい。
ここしばらく、自分のキャリアプランの中では想定だにしていなかった出来事に、日々齷齪している…。
あぁー早く前の部署に戻りたい。
おばさんには胸がある。
そりゃ若いときと比べればいささか垂れてしまってはいるけれども、ちゃんと熟した実はついているし、ぷるぷる感も変わらない。
張りがあった方がいい?
そんなことを言うならおばさんの胸を枕にして寝てみろ。
ほっぺたから伝わるこの上ないやわらかさが熟睡をさそうことだろう。
おばさんには技術がある。
そりゃ若いときと比べれば初々しさは廃れてしまっているけれども、はじめての日から今日まで積み重ねた経験は、一朝一夕に得られる代物ではない。
若くなきゃ立たない?
そんなことを言うならおばさんの前で目をつむって仰向けになってみろ。
驚いて目を開けるころにはもうお前は果てていることだろう。
おばさんには度胸がある。
そりゃ若いときと比べれば恥じらいの色は褪せてしまっているけれども、数々の試練を乗り越えて得た精神力は、どんな敵に対しても敗北を知らない。
俺の体は触らせない?
そんなことを言うならおばさんと一緒に旅行に行ってみろ。
お前のベッドにはいつの間にかおばさんがいて汚い体をすみずみまで綺麗にしてくれているだろう。
ああ、おばさんよ。
どうしてあなたは私をこうまで惹きつけるのか。
私の愛を、どうしてあなたは受け止めてくれないのか。
ああ、おばさんよ。
おばさんよ。
私自身はヌルオタでありオタクに特別な嫌悪感を覚えている人種ではないが、また一人称が「私」だからって女だというわけではないのだが(笑)、
前々から1つオタク共に問い詰めたいほどの疑問を感じる所があった。異様にMが多いのである。日本男児情けないぞと言われてはやウン十年であるが、ちょっとそれとこれとは事情が違う。
一般人におけるドM男児の占める割合など比べものにならぬくらい、オタク男性の中でM属性を持つと判断される言動をとる人間が多いのである。
あまりにも顕著な社会現象であるためこの主張に異を唱える人も居ないだろう。それくらい多い。これは何故なのか。本当に何故なのか。
ところで、俺自身の性的嗜好(性癖という言葉は間違った日本語なので注意されたい)はどちらかというとサディストであり、古き良きSM文化にシンパシーを感じる人間でもあり、
努力家をドM扱いしたり安直な攻撃性をドS扱いしたりして茶化すやうな昨今の軽々しいSM文化には金太郎飴のように苦り切った顔をすることの連続である。
また、人間誰しも両面性を持つのだという人間観の持ち主でもあるから、特定の人間がSかMかの判断は簡単には行えないことも弁えているつもりだ。
しかしながら、基本的には男性は公衆の場ではSのほうがジェンダーとして自然であって、M男性を全否定までしないけど、
あまりそんな性的嗜好を前面に出すのはダサいし気持ち悪いから、プライベートなプレイとしてこっそりやっててくれないかなと思っているような偏った思想の持ち主でもあるので、
このドMオタクの問題をまこともって由々しき問題と捉えているわけだ。
それはそうと、このようにS嗜好をカミングアウトすると、即座に次のような典型的なツッコミが入れられるのが我が国のネット社会では通例となっている。
すなわち、「女性に対する苦手意識、ならびに男性としてのコンプレックスがあって、また現実に女性からまともに相手にされなかったり、酷い仕打ちを受けたトラウマ体験があったり
するから、なんとか優位に立ちたくてS妄想を繰り広げているのではないか?また、世の男性どもにSを期待するのも、女性へのいわば報復の一環ではないのか?」。
とまあこのような反応はごく自然である。というのも、トラウマと報復、苦手意識と正当化といった心理構造自体は、S男性という枠組みに限定されることなく、社会の至る所で見られ猛威を振るっており、
その暴力装置にびくびくと震えながら、疑心暗鬼に過ごしているのが現代人の諸相だからだ。したがって、安直にそのような認定をする気持ちはよく分かっているつもりだ。
しかしまあ、結局のところ性的嗜好は公に理解されるべきものではないし、理解を求めるものでもないと思うので、拙者は正当化することなくただS嗜好であると事実を述べるのみでござる。
とまあ今の話は余談であるが、本論と関係した部分もあって、基本的に性的嗜好はプライベートな性格を持つべきものであるが、
その性的嗜好とある程度関わりのあるジェンダーというシロモノは、これは公的な性質を持っておる。ここに矛盾が生じるわけである。
つまり、安易にお前はSだのMだの認定したり、くだらないSM談義でもりあがったりし、挙句の果てには俺はSまたはMなんだぜとばかりに公共の場で言動をとる。
そのようなことがジェンダー文化という名のもとに正当化されている気持ち悪い現代社会だなあ、とニヒルな顔で斜に構えながら厨二的に思うわけである。
でだ。オタクは空気が読めないと言われてきたが、それは一般人と価値観の異なる部分があるため、どうしてもわかり合えない部分があるのだ、という類いの擁護を繰り出すことはできた。
しかしながら、公共の場でドM自慢と言えるほどのアピールをしてしまうことには、ちょっと擁護をしかねる。
これと関連してバカ自慢、無知自慢という現象も昨今急速に広がりを見せている。バカや無知のフリをすれば批判されにくく、一定のある種の社交性を獲得することができる。
厳しいアスファルトジャングルにおけるその生存戦略は分からないでもない。しかしそこまでするかという話である。
元来女性社会においてはそのような文化があった。周知のとおり、女が女に言う可愛いは建前である。水面下では激戦が繰り広げられているのだが、表面上は謙遜して譲り合う。それが日常だった。
男性社会ではそのような文化は考えにくかった。男性は見栄と強がりの文化と言える。面と向かって相手を論難し、俺のほうが強いぜと威張る。結局大人になっても50歳になっても、形を変えるだけでその本質は変わらない。
孔子も60歳を耳順とした。これはどう考えても学問どうこうの話ではなく男性特有の一般的性質である。
それがどうよ。今では男性でもオタクに限定すればありえないくらい卑屈なのが多い。そう、卑屈なのである。
近年誤解が右肩上がりに蔓延しているが、本来的にはマゾヒズムと卑屈さはさほど関係がない。卑屈さというのは性格の問題であって、本人がどう足掻こうと常に卑屈なわけである。一朝一夕には変わらないし誤魔化せない。
しかしマゾヒズムやサディズムというのはあくまでプライベートな嗜好であって、外面的な性質(社会的性格や容姿)からそのような嗜好が形成されるケースはあるにせよ、さほど直接的な関係がないのである。
偉そうな社長で秘書にもブイブイ当たってるからってSであるとか、痩せていてクリクリした目をした男だから気弱そうに見えるだけなのにそれだけでMであるとか、
そういう安直な扱い加減は、もはや本来のサディズムやマゾヒズムとは全くの別物だということを理解してほしい。
そこで俺は本来のSMのことはサディズム、マゾヒズムと専門的に言い回し、現代の国際社会に蔓延る本来のSMとは似て非なるSMのことは世間と同じようにS、Mと呼んでいる。
この用法に従うと、極度に卑屈だからってマゾヒスト認定するのは抱腹絶倒のナンセンスなことであるが、ドM認定するのは全然オッケーということになる。
これでもう分かったと思う、オタク男性にドMが気持ち悪いくらい多い理由が。これはもう文化大革命と言えるほどの逆らいがたいIT社会のビッグウェーブなのである。
ジョン・タイターも2000年問題に挙げ、クレイ研究所も事態の深刻さを鑑みてミレニアム問題として提起した。それほど、事態は深刻なのである。
今は1日10錠くらいのメンヘラ向けお薬を飲んでいる。パキシルとかそういうやつ。薬漬けの生活になって3ヶ月くらい経つか。
今も朝起きるのは大変だ。いつも大体7時間くらい寝ていたのだけど、今は眠りが浅いせいか同じ時間寝ても眠気がとれない。結局頑張って目覚ましを止めるのだけど、その後必死に体を起こそうとするのだけど、眠気が勝るのと起きるのが嫌だという気持ちに負けて二度寝してしまう。また、眠りが浅くて1時間から2時間おきくらいに目が覚めてしまって、起きる気力も無いけど眠れないときもある。
薬を飲む前だって、起きるときにどうしても眠い日はあったはずだ。そのうちの僅かな回数は二度寝をやらかして寝坊して会社に遅刻してしまったりというときはあったのだけど、それでも多くの場合は我慢して起きて遅刻することなく会社に行っていたはずだ。
別に朝起きることだけではないのだけれど、仕事のこととか、普段生活していて過剰に考えすぎてしまっているのではないかと思う時はある。会社の人たちはそんなことは言わないけども、実際はお前のような精神の弱いやつは早く辞めてしまえと思っているのかもしれないとか。僕に関係している人たちは、みな僕のことを早く死んで欲しいとか消えて欲しいとか思っているのだろうとか。日によってまちまちだ。というか大体そういう考えが浮かぶとそんな気、つまり自分は早く死んだほうがいいんじゃないのかという気になってくる。この文章を書いてるときもそうだ。
とにかく、自分が病気だから朝起きれないとか死ねと思われていると感じているのか、それとも元々朝が苦手で生きることに対して自信のもてない性格なだけなのか、どちらなのかが分からない。病気のせいであれば、今のように薬を飲み続けながら安静にするしかない。でも、それが単に朝が苦手で自分に自信がないというただの性格によるものであれば、自助努力でなんとかする以外にない。けれども今の自分にそれがどうにかできる自信なんてないしもうホント社会生活なんてできそうにないから何処かの山の奥深くにでも行って霞を食っているくらいしか、今後自分が歩む選択肢はない気がする。
三つ子の魂百まで、ではないけども一朝一夕で自分の甘えきった性格が直るとも思えない。一歩一歩、何十年もかける覚悟で性格を直していくしかないのだろうか。でもそれじゃ結局ゴミみたいな性格のままで一般社会に居座り続けることになるし、死んだほうがよさそうだ。どうしたらいいんだろうか。
http://getlife.hateblo.jp/entry/2014/02/06/030300
こういう無知なおっさんが居るから、日本のIT業には魅力がないのだよなぁ、という印象
自分はプログラマというよりは、どちらかというと研究で飯を食ってる非SIのエンジニア
このブログの著者のおっさんが言うところの、プラスアルファは手に入れてる側ではあるんでしょう
普通のプログラマであることでは、差別化が出来ないと考えたからこそ様々な挑戦を繰り返し
基本的には、実装スキルのない人間の設計などはものの役に立たない、という所は同意して貰えるだろうけど
逆に、コーディング以外の技術、例えば無知なおっさんが例にだしてるデータサイエンティストであれば
統計だの機械学習の学術的な知識、体系だって勉強してきた数学力がなければ、まともな設計はできない。
各アルゴリズムがどんな計算をしていて、どの程度の計算量を要求し、どの程度の資源を求めるか、誤差はどうか、
負荷はスケールアウト出来るのか、他にいい手法は存在しないか、といった知識は一朝一夕には手に入らない
実際のコードをイメージしながら、各モジュール群を適切に設計し運用するには、どちらかでは不足がある
つまりコーディングスキルを含めた言語などの道具への理解と、それを使った技術力、そして経験は不可分のもので
揃ってやっと1人前の”プログラマ”と呼べる。そういう人間だからこそ、高給取りになれる。
プログラマ=コーダという認識は、プログラマという職業や技術を軽視しすぎている人間に見られる
結局のところ、プログラムを書く人(=コーダ)ではなく、プログラムを使ってビジネスが出来る人(≠コーダ)が生き残るって面では日米大差ありません。
ちっちゃい商売で食えてることがこの人の自慢なんだろうけど、これこそが日本のSierがゴミな理由だ
世の中にどんな技術があり、どんな研究が進んでいて、何が出来て、何が出来ていないのか?
それを知らない人間が良くこういうことを言う、顧客のニーズを汲み取れるだけでビジネス(笑)が生まれるとかないでしょ
例をあげると、海外ではCADのソフトの研究開発は盛んだけど、もう国内では殆ど生き残ってない。
国内には世界的な自動車メーカーがあれほどあるにも関わらず、CADソフトは国内には著名なソフトがない
こういう例には枚挙にいとまがない。日本のゲーム企業は世界的だがそこで使われている、ツールやらレンダラは海外製だし
SIerお得意のビジネス(笑)を生み出す、クラウド、分散コンピューティング関係でも、OpenMPIなど海外製だ
GitもMercurialも海外で生まれているし、OpenCVを初めとした画像認識ソフトやその技術も海外で生まれている
カメラによる画像認識で車や人を判断してブレーキする車は日本で作られるが、その根幹を為すアルゴリズムは
海外の研究者やらエンジニアが作っている訳だ。広大の栗田先生など一部例外はあるけれど。
それぞれ、SIerが言うビジネス(笑)なんか比較にならないほどの市場規模を持っているのに、それらを無視してビジネスとはなんだろうか?w
電機・機械系では、研究開発が盛んで、技術と儲けることは不可分なのに、IT業界だけはどういうわけか
ビジネスとは技術を何一つしらない無知なおっさんが作るものであるらしい
本物のプログラマにとっては、全く魅力がない、そんな業界な訳だ
お客からしたら技術の中身なんかぶっちゃけどうでもいいんです。JAVA で書こうが、Cで書こうが、COBOLで書こうが、そこに価値の本質はないから。
道具というのは、それを適切に選択して使ってこそ価値がある。
フランスではOCAMLが普及しているが、なぜだか考えたことがあるか?
何を選択すればコストが抑えられるかをすら考えたことすらない
言語なんかなんでも一緒?w
なるほど、鋸でなくともノミでも木は切れるだろうなw
切断面の美しさやかかった時間などは客には関係ない、切れてさえいればいいかw
お客にとっては技術などは確かにどうでもいい、しかし、それを上回る製品がないという前提だ
どうやって世界と伍して戦う?
どうやって他の製品を上回る?
微々たる使い勝手の差などは、技術力の差の前では圧倒的に無力だということは
データベースはオラクルだのSQLに依存し、製品ではSAPなどに完敗を喫し続けているSIerこそ理解すべきだろう
本当にビジネスを作る、というのが、技術と不可分なのは言うまでもない。
もちろん、その技術にはコーディングスキルも含まれている、という当たり前の話です。
オッサン論法でいけば、SIerがサービスとして提供するものと、同一の機能を持った製品との間の明確な区分など
客には存在しない。どっちのほうが凄くて安いか、だ。
そんで、もう、そういう勝負に負けまくってるのがSIer、技術で勝てないから安さで勝負するために
オフショアに必死になったり、ブラック企業化してプログラマを潰しては、ますます技術力とサヨナラしていってるね
http://anond.hatelabo.jp/20140206172641
普通は「IT系」って企業の一部門だし実際日本でも自動車メーカーやら電機メーカーやらゲーム会社やら内部でプログラマーを雇用して国際的な成果も上げてる企業なんていくらでもあるんですよね。
全くだな。
技術力をもった企業やエンジニアがフィーチャーされるべきなんだが、例えばゲーム屋だと
プロデューサーだのディレクターだのが表に出て学生のあこがれの対象になるし、
他もプロマネが表に出てくる事が多いので、文系職の比重の高さが問題なんでは・・・みたいな方向になるよな
大手でもホンダ、ソニー、日立など、研究部門が成果を上げている、中規模でもデンソーとか良い企業もあるし
小さい会社だと、先日googleに買われたシャフトとか、CADのラティスとか、モーションポートレイトなど、固有技術で食ってる会社もある
↑全くその通りだと思う。
その通りなんだけど、ボッチが辛いとかブサメンだからとか何とか言ってる人(達)って
多分、自己の価値基準の確立が出来ずに来ちゃった人なんだと思うんだよね
だから、外部の価値基準に迎合すんなって言っても、無理なんだと思う
それでそれなりの年齢まで来ちゃってると、いまさら「自己の価値基準の確立」なんて言われても、一朝一夕にできるわけもないだろうし。
どこかの増田が言ってたけど、「宗教」なんかが案外ベストアンサーなんじゃないかって気がするんだよな
とりあえず、「価値基準」は与えてくれるわけで。
「価値基準」をともにする「仲間」も。