はてなキーワード: 一朝一夕とは
それから数週間こなしていって、「これは異動になりそうだな」と悟る。
案の定、『人手不足だから』『若いから』ということで異動になり
これまでとは全く仕事をやるようにはなった。
同時に全社的なプロジェクトにも放り込まれたのだが、これがしんどい。
大量のマニュアルを読んで改善に向けて意見しろと言われたのだが
そもそも実務すらまだしたことないぺーぺーだから、そんなに建設的な提案はできないのに
甘えだとは承知の上だし、勿論勉強はし始めたが、そう一朝一夕に把握できるわけではないので、もうちょっと待ってほしい。
ここしばらく、自分のキャリアプランの中では想定だにしていなかった出来事に、日々齷齪している…。
あぁー早く前の部署に戻りたい。
おばさんには胸がある。
そりゃ若いときと比べればいささか垂れてしまってはいるけれども、ちゃんと熟した実はついているし、ぷるぷる感も変わらない。
張りがあった方がいい?
そんなことを言うならおばさんの胸を枕にして寝てみろ。
ほっぺたから伝わるこの上ないやわらかさが熟睡をさそうことだろう。
おばさんには技術がある。
そりゃ若いときと比べれば初々しさは廃れてしまっているけれども、はじめての日から今日まで積み重ねた経験は、一朝一夕に得られる代物ではない。
若くなきゃ立たない?
そんなことを言うならおばさんの前で目をつむって仰向けになってみろ。
驚いて目を開けるころにはもうお前は果てていることだろう。
おばさんには度胸がある。
そりゃ若いときと比べれば恥じらいの色は褪せてしまっているけれども、数々の試練を乗り越えて得た精神力は、どんな敵に対しても敗北を知らない。
俺の体は触らせない?
そんなことを言うならおばさんと一緒に旅行に行ってみろ。
お前のベッドにはいつの間にかおばさんがいて汚い体をすみずみまで綺麗にしてくれているだろう。
ああ、おばさんよ。
どうしてあなたは私をこうまで惹きつけるのか。
私の愛を、どうしてあなたは受け止めてくれないのか。
ああ、おばさんよ。
おばさんよ。
私自身はヌルオタでありオタクに特別な嫌悪感を覚えている人種ではないが、また一人称が「私」だからって女だというわけではないのだが(笑)、
前々から1つオタク共に問い詰めたいほどの疑問を感じる所があった。異様にMが多いのである。日本男児情けないぞと言われてはやウン十年であるが、ちょっとそれとこれとは事情が違う。
一般人におけるドM男児の占める割合など比べものにならぬくらい、オタク男性の中でM属性を持つと判断される言動をとる人間が多いのである。
あまりにも顕著な社会現象であるためこの主張に異を唱える人も居ないだろう。それくらい多い。これは何故なのか。本当に何故なのか。
ところで、俺自身の性的嗜好(性癖という言葉は間違った日本語なので注意されたい)はどちらかというとサディストであり、古き良きSM文化にシンパシーを感じる人間でもあり、
努力家をドM扱いしたり安直な攻撃性をドS扱いしたりして茶化すやうな昨今の軽々しいSM文化には金太郎飴のように苦り切った顔をすることの連続である。
また、人間誰しも両面性を持つのだという人間観の持ち主でもあるから、特定の人間がSかMかの判断は簡単には行えないことも弁えているつもりだ。
しかしながら、基本的には男性は公衆の場ではSのほうがジェンダーとして自然であって、M男性を全否定までしないけど、
あまりそんな性的嗜好を前面に出すのはダサいし気持ち悪いから、プライベートなプレイとしてこっそりやっててくれないかなと思っているような偏った思想の持ち主でもあるので、
このドMオタクの問題をまこともって由々しき問題と捉えているわけだ。
それはそうと、このようにS嗜好をカミングアウトすると、即座に次のような典型的なツッコミが入れられるのが我が国のネット社会では通例となっている。
すなわち、「女性に対する苦手意識、ならびに男性としてのコンプレックスがあって、また現実に女性からまともに相手にされなかったり、酷い仕打ちを受けたトラウマ体験があったり
するから、なんとか優位に立ちたくてS妄想を繰り広げているのではないか?また、世の男性どもにSを期待するのも、女性へのいわば報復の一環ではないのか?」。
とまあこのような反応はごく自然である。というのも、トラウマと報復、苦手意識と正当化といった心理構造自体は、S男性という枠組みに限定されることなく、社会の至る所で見られ猛威を振るっており、
その暴力装置にびくびくと震えながら、疑心暗鬼に過ごしているのが現代人の諸相だからだ。したがって、安直にそのような認定をする気持ちはよく分かっているつもりだ。
しかしまあ、結局のところ性的嗜好は公に理解されるべきものではないし、理解を求めるものでもないと思うので、拙者は正当化することなくただS嗜好であると事実を述べるのみでござる。
とまあ今の話は余談であるが、本論と関係した部分もあって、基本的に性的嗜好はプライベートな性格を持つべきものであるが、
その性的嗜好とある程度関わりのあるジェンダーというシロモノは、これは公的な性質を持っておる。ここに矛盾が生じるわけである。
つまり、安易にお前はSだのMだの認定したり、くだらないSM談義でもりあがったりし、挙句の果てには俺はSまたはMなんだぜとばかりに公共の場で言動をとる。
そのようなことがジェンダー文化という名のもとに正当化されている気持ち悪い現代社会だなあ、とニヒルな顔で斜に構えながら厨二的に思うわけである。
でだ。オタクは空気が読めないと言われてきたが、それは一般人と価値観の異なる部分があるため、どうしてもわかり合えない部分があるのだ、という類いの擁護を繰り出すことはできた。
しかしながら、公共の場でドM自慢と言えるほどのアピールをしてしまうことには、ちょっと擁護をしかねる。
これと関連してバカ自慢、無知自慢という現象も昨今急速に広がりを見せている。バカや無知のフリをすれば批判されにくく、一定のある種の社交性を獲得することができる。
厳しいアスファルトジャングルにおけるその生存戦略は分からないでもない。しかしそこまでするかという話である。
元来女性社会においてはそのような文化があった。周知のとおり、女が女に言う可愛いは建前である。水面下では激戦が繰り広げられているのだが、表面上は謙遜して譲り合う。それが日常だった。
男性社会ではそのような文化は考えにくかった。男性は見栄と強がりの文化と言える。面と向かって相手を論難し、俺のほうが強いぜと威張る。結局大人になっても50歳になっても、形を変えるだけでその本質は変わらない。
孔子も60歳を耳順とした。これはどう考えても学問どうこうの話ではなく男性特有の一般的性質である。
それがどうよ。今では男性でもオタクに限定すればありえないくらい卑屈なのが多い。そう、卑屈なのである。
近年誤解が右肩上がりに蔓延しているが、本来的にはマゾヒズムと卑屈さはさほど関係がない。卑屈さというのは性格の問題であって、本人がどう足掻こうと常に卑屈なわけである。一朝一夕には変わらないし誤魔化せない。
しかしマゾヒズムやサディズムというのはあくまでプライベートな嗜好であって、外面的な性質(社会的性格や容姿)からそのような嗜好が形成されるケースはあるにせよ、さほど直接的な関係がないのである。
偉そうな社長で秘書にもブイブイ当たってるからってSであるとか、痩せていてクリクリした目をした男だから気弱そうに見えるだけなのにそれだけでMであるとか、
そういう安直な扱い加減は、もはや本来のサディズムやマゾヒズムとは全くの別物だということを理解してほしい。
そこで俺は本来のSMのことはサディズム、マゾヒズムと専門的に言い回し、現代の国際社会に蔓延る本来のSMとは似て非なるSMのことは世間と同じようにS、Mと呼んでいる。
この用法に従うと、極度に卑屈だからってマゾヒスト認定するのは抱腹絶倒のナンセンスなことであるが、ドM認定するのは全然オッケーということになる。
これでもう分かったと思う、オタク男性にドMが気持ち悪いくらい多い理由が。これはもう文化大革命と言えるほどの逆らいがたいIT社会のビッグウェーブなのである。
ジョン・タイターも2000年問題に挙げ、クレイ研究所も事態の深刻さを鑑みてミレニアム問題として提起した。それほど、事態は深刻なのである。
今は1日10錠くらいのメンヘラ向けお薬を飲んでいる。パキシルとかそういうやつ。薬漬けの生活になって3ヶ月くらい経つか。
今も朝起きるのは大変だ。いつも大体7時間くらい寝ていたのだけど、今は眠りが浅いせいか同じ時間寝ても眠気がとれない。結局頑張って目覚ましを止めるのだけど、その後必死に体を起こそうとするのだけど、眠気が勝るのと起きるのが嫌だという気持ちに負けて二度寝してしまう。また、眠りが浅くて1時間から2時間おきくらいに目が覚めてしまって、起きる気力も無いけど眠れないときもある。
薬を飲む前だって、起きるときにどうしても眠い日はあったはずだ。そのうちの僅かな回数は二度寝をやらかして寝坊して会社に遅刻してしまったりというときはあったのだけど、それでも多くの場合は我慢して起きて遅刻することなく会社に行っていたはずだ。
別に朝起きることだけではないのだけれど、仕事のこととか、普段生活していて過剰に考えすぎてしまっているのではないかと思う時はある。会社の人たちはそんなことは言わないけども、実際はお前のような精神の弱いやつは早く辞めてしまえと思っているのかもしれないとか。僕に関係している人たちは、みな僕のことを早く死んで欲しいとか消えて欲しいとか思っているのだろうとか。日によってまちまちだ。というか大体そういう考えが浮かぶとそんな気、つまり自分は早く死んだほうがいいんじゃないのかという気になってくる。この文章を書いてるときもそうだ。
とにかく、自分が病気だから朝起きれないとか死ねと思われていると感じているのか、それとも元々朝が苦手で生きることに対して自信のもてない性格なだけなのか、どちらなのかが分からない。病気のせいであれば、今のように薬を飲み続けながら安静にするしかない。でも、それが単に朝が苦手で自分に自信がないというただの性格によるものであれば、自助努力でなんとかする以外にない。けれども今の自分にそれがどうにかできる自信なんてないしもうホント社会生活なんてできそうにないから何処かの山の奥深くにでも行って霞を食っているくらいしか、今後自分が歩む選択肢はない気がする。
三つ子の魂百まで、ではないけども一朝一夕で自分の甘えきった性格が直るとも思えない。一歩一歩、何十年もかける覚悟で性格を直していくしかないのだろうか。でもそれじゃ結局ゴミみたいな性格のままで一般社会に居座り続けることになるし、死んだほうがよさそうだ。どうしたらいいんだろうか。
http://getlife.hateblo.jp/entry/2014/02/06/030300
こういう無知なおっさんが居るから、日本のIT業には魅力がないのだよなぁ、という印象
自分はプログラマというよりは、どちらかというと研究で飯を食ってる非SIのエンジニア
このブログの著者のおっさんが言うところの、プラスアルファは手に入れてる側ではあるんでしょう
普通のプログラマであることでは、差別化が出来ないと考えたからこそ様々な挑戦を繰り返し
基本的には、実装スキルのない人間の設計などはものの役に立たない、という所は同意して貰えるだろうけど
逆に、コーディング以外の技術、例えば無知なおっさんが例にだしてるデータサイエンティストであれば
統計だの機械学習の学術的な知識、体系だって勉強してきた数学力がなければ、まともな設計はできない。
各アルゴリズムがどんな計算をしていて、どの程度の計算量を要求し、どの程度の資源を求めるか、誤差はどうか、
負荷はスケールアウト出来るのか、他にいい手法は存在しないか、といった知識は一朝一夕には手に入らない
実際のコードをイメージしながら、各モジュール群を適切に設計し運用するには、どちらかでは不足がある
つまりコーディングスキルを含めた言語などの道具への理解と、それを使った技術力、そして経験は不可分のもので
揃ってやっと1人前の”プログラマ”と呼べる。そういう人間だからこそ、高給取りになれる。
プログラマ=コーダという認識は、プログラマという職業や技術を軽視しすぎている人間に見られる
結局のところ、プログラムを書く人(=コーダ)ではなく、プログラムを使ってビジネスが出来る人(≠コーダ)が生き残るって面では日米大差ありません。
ちっちゃい商売で食えてることがこの人の自慢なんだろうけど、これこそが日本のSierがゴミな理由だ
世の中にどんな技術があり、どんな研究が進んでいて、何が出来て、何が出来ていないのか?
それを知らない人間が良くこういうことを言う、顧客のニーズを汲み取れるだけでビジネス(笑)が生まれるとかないでしょ
例をあげると、海外ではCADのソフトの研究開発は盛んだけど、もう国内では殆ど生き残ってない。
国内には世界的な自動車メーカーがあれほどあるにも関わらず、CADソフトは国内には著名なソフトがない
こういう例には枚挙にいとまがない。日本のゲーム企業は世界的だがそこで使われている、ツールやらレンダラは海外製だし
SIerお得意のビジネス(笑)を生み出す、クラウド、分散コンピューティング関係でも、OpenMPIなど海外製だ
GitもMercurialも海外で生まれているし、OpenCVを初めとした画像認識ソフトやその技術も海外で生まれている
カメラによる画像認識で車や人を判断してブレーキする車は日本で作られるが、その根幹を為すアルゴリズムは
海外の研究者やらエンジニアが作っている訳だ。広大の栗田先生など一部例外はあるけれど。
それぞれ、SIerが言うビジネス(笑)なんか比較にならないほどの市場規模を持っているのに、それらを無視してビジネスとはなんだろうか?w
電機・機械系では、研究開発が盛んで、技術と儲けることは不可分なのに、IT業界だけはどういうわけか
ビジネスとは技術を何一つしらない無知なおっさんが作るものであるらしい
本物のプログラマにとっては、全く魅力がない、そんな業界な訳だ
お客からしたら技術の中身なんかぶっちゃけどうでもいいんです。JAVA で書こうが、Cで書こうが、COBOLで書こうが、そこに価値の本質はないから。
道具というのは、それを適切に選択して使ってこそ価値がある。
フランスではOCAMLが普及しているが、なぜだか考えたことがあるか?
何を選択すればコストが抑えられるかをすら考えたことすらない
言語なんかなんでも一緒?w
なるほど、鋸でなくともノミでも木は切れるだろうなw
切断面の美しさやかかった時間などは客には関係ない、切れてさえいればいいかw
お客にとっては技術などは確かにどうでもいい、しかし、それを上回る製品がないという前提だ
どうやって世界と伍して戦う?
どうやって他の製品を上回る?
微々たる使い勝手の差などは、技術力の差の前では圧倒的に無力だということは
データベースはオラクルだのSQLに依存し、製品ではSAPなどに完敗を喫し続けているSIerこそ理解すべきだろう
本当にビジネスを作る、というのが、技術と不可分なのは言うまでもない。
もちろん、その技術にはコーディングスキルも含まれている、という当たり前の話です。
オッサン論法でいけば、SIerがサービスとして提供するものと、同一の機能を持った製品との間の明確な区分など
客には存在しない。どっちのほうが凄くて安いか、だ。
そんで、もう、そういう勝負に負けまくってるのがSIer、技術で勝てないから安さで勝負するために
オフショアに必死になったり、ブラック企業化してプログラマを潰しては、ますます技術力とサヨナラしていってるね
http://anond.hatelabo.jp/20140206172641
普通は「IT系」って企業の一部門だし実際日本でも自動車メーカーやら電機メーカーやらゲーム会社やら内部でプログラマーを雇用して国際的な成果も上げてる企業なんていくらでもあるんですよね。
全くだな。
技術力をもった企業やエンジニアがフィーチャーされるべきなんだが、例えばゲーム屋だと
プロデューサーだのディレクターだのが表に出て学生のあこがれの対象になるし、
他もプロマネが表に出てくる事が多いので、文系職の比重の高さが問題なんでは・・・みたいな方向になるよな
大手でもホンダ、ソニー、日立など、研究部門が成果を上げている、中規模でもデンソーとか良い企業もあるし
小さい会社だと、先日googleに買われたシャフトとか、CADのラティスとか、モーションポートレイトなど、固有技術で食ってる会社もある
↑全くその通りだと思う。
その通りなんだけど、ボッチが辛いとかブサメンだからとか何とか言ってる人(達)って
多分、自己の価値基準の確立が出来ずに来ちゃった人なんだと思うんだよね
だから、外部の価値基準に迎合すんなって言っても、無理なんだと思う
それでそれなりの年齢まで来ちゃってると、いまさら「自己の価値基準の確立」なんて言われても、一朝一夕にできるわけもないだろうし。
どこかの増田が言ってたけど、「宗教」なんかが案外ベストアンサーなんじゃないかって気がするんだよな
とりあえず、「価値基準」は与えてくれるわけで。
「価値基準」をともにする「仲間」も。
何事もそうだけれど、継続は力なりだ。
継続とは、継ぎ続けることだ。
何か目的を持って、同じ事を続ける。
それを毎日続けると大きな力となる。
筋肉のある身体を作りたいと思ったとする。
それを1年間毎日続けるとすると、
一万回を超えて腕立て伏せをすることになる。
継続は力なりだ。
文章を書くことも同じ事が言える。
面白い文章が書きたいと思ったとする。
ならば書けばいい。
一日に400字の文章を1年間書き続けたとすると、
140000字の文章を書くこととなる。
全く何も書かない状態と、
140000字の文章を積み上げた後とでは、
相当の力の差が出ると思う。
実のある何かを手に入れたい時は、
細かな実績を継続して積み上げることだ。
一朝一夕でそれは出来ない。
実のある何かに大きさを求めるならば、
また、早く実のなる事を求めるならば、
継続する細かさを拡大することだ。
単純な話だ。
継続が力となる事を信じよう。
そして継続する事を磨こう。
大体うなづける。親がほったらかしすぎ。
まさにそれだ。何も工夫せず、子供のことを考えず「子供なんてこんなもの」と子供の持つ能力すら否定している昨今の親。
「私が悪いんじゃない、子供が悪いことした。こどもは分別がつかない。だからしかたない」
といって親の責任自体何もわかっていなかった親。
子供が投げたもので他人が怪我をしても、「子供のしたことで、親である自分の責任は無い」とかいって、せいぜい小額の金を出して誤魔化すんだろう。
やられたほうはたまったもんじゃない。
しゃれになってない。その胡椒瓶が彼らの目に当たって失明したら?
いくら金をかけても取り返せないものがある。
だから子連れの近くは危ない。もちろん自分の身は自分で守る(子連れ優遇の店は極力さけている)けれども、いいかげん、「子供のやることだから」とか、ふざけんな!と思う。
躾は一朝一夕に出来ないとわかってるけれども、だとしてもだ。全くやらないで、「子供は猿だから」とほったらかすのはやめてくれ。
いわくアイツは○○大学を出たのにプライドばっかり高くって真面目に仕事をしない、覚えが悪い、コミュニケーション能力が低い。
真面目で素直でやる気が人材を、自社で真っ白から育てるのが最高!
いくつも面接を受ける必要のある最近の就活は、「負けた感」を抱かせがちです。
特に高い学歴を持っている人物は「もっと上」を目指していたかもしれません。
経験の積み重ねは一朝一夕では買えないので、自社の事を知り尽くした人材は得難いものだとも思います。
これ実体験として感じる事なんですが「中の人」向けのモノってどんどん外からやって来た人には使いにくくなるんですよね。
人間の慣れはすごいモノなので、どんなに使いにくいモノでもそれが日常的に使うものなら不自由なく使えるようになっていってしまうのです。
特に真面目で素直でやる気のある人は、しっかりメモを取って頭と手で覚えていくでしょう。
アレを知っているのはAさんで、あの資料はどこそこに在って、独自の手続きCを踏んで……
外の人から見たらちんぷんかんぷんなものがドンドン出来てきて、それを皆で粛々とやるわけです。
バッドノウハウをどんどん作って、どんどんそのノウハウを身に着けていき、無駄なことを効率的にこなす組織が出来上がっていくわけです。
そういった組織で新しい人ができることは何もありません。誰にでもできる雑用をやりながら少しづつ先輩からそのノウハウを学んでいかざるを得ないのです。
・冷静に考えれば不味いよ腐ったしくみ
新しい人が慣れるまでに時間がかかる仕組みがよくない事は明らかです。だって、新人が「仕事」をできるようになるための時間が増えて、その分の労働力が無駄になるわけですから、単純な損失です。
そして、もっと不味いのはこの腐ったしくみは、一度腐ると腐る一方になりがちだという事です。
なぜか、
そこにいる偉い人たちはその仕組みに慣れ親しんできたわけで、何年もかかってそのノウハウを身に着けたのです。
そうすると、そのノウハウを捨てる事には無論抵抗があります。その上、いくら便利な仕組みでも、転換にはコストがかかります。
そうして、腐ったしくみを維持すると、どんどん転換は困難になって、その腐った仕組みを真面目に苦労して身に着けて来た人が増えていくのです。
その組織の中でしか評価されないような仕事ばかり身に着けるのは労働者にとってももちろんリスキーですが、会社にとっても恐ろしい事です。
まず無条件に教育コストが掛かる。人材の代替が出来ないから長時間労働化が進む。
組織は腐り続けても人は成長し続けられませんし、もっとも成長する若いうちに腐った環境への適応を求められるからです。
実は、見方を変えると、彼らがおかれている環境の方が腐っていたということはありませんか?
コンビニ店長が野菜を売る側としての苦悩を吐露していたのでちょっと思った事を書いてみる。
運用でミスがあったことが発覚した場合、責められるべきは運用であって理論に問題があるかどうかは
慎重に調査しなければ分からないと理解している人たちが多い。
じゃあ、辺鄙な村の中だけではなくもっと広い日本全体に視野を広げてみてはどうだろう?
全く別件だけど「うちらの世界」に通じるものがあるかもしれない。
政治、学問、そういった小難しい世界を「別世界」と認識してる人だって沢山いる。
その人たちにとっては、運用者も設計者も理論構築した学者も全て「あっちの世界」の住人だ。
そしてその「あっちの世界の人たち」が「安全だ」と言っていたはずの原発が事故を起こした。
そうすると「あっちの世界の人たち」に対する信用は失われる。
運用者への信頼も、設計者への信頼も、理論構築した学者先生への信頼も全て失われる。
それが「放射脳」だと罵られる人たちの今の状態だ。
その信用出来なくなった「あっちの世界の人たち」が「この野菜は原発と同じ県で採れたけど安全です」といくら必死に説明しても無駄だ。
そう簡単に信用し直すことなんてできない。だって以前にその口から発せられた「安全」は嘘だったから。
「うちらの世界」の住人からしてみればオオカミ少年が必死に助けを求めているように見えているんではなかろうか?
「何言ってんだよお前、この間嘘ついたばっかりじゃねぇか」って思うんではないだろうか?
そういう人たちに一朝一夕に信用してもらおうってのがそもそもの間違いだと思う。
信用できる人たちが黙って信用してあげればいいんだよ。
「放射脳」といくら蔑んだところで、北風と太陽の北風と同じだ。それはどんどん「うちらの世界」の人たちの
態度を硬化させ、信用回復を遅らせるだろう。
じゃあ、その信用を回復するにはどうすればいちばん早いのか?
でも、「あっちの世界の人たち」はそれが無理であることも分かっている。
かといって、地道に信頼回復を待ってもいられない。
とりとめのないチラシの裏としてはきだしてみる
本来の業務とは違った業務内容だったので、平日の帰りと同じくらいに帰宅したけど、ヘトヘトだった。
だいたい平日は、朝8時半くらいに家を出て、10時から夜の8時〜9時くらいまで会社で、家には9時〜10時くらいにはかえってくる。
土曜日もそんな感じで9時前には家に帰った。
俺は28歳で、嫁(26歳)と結婚してもうすぐ1年。付き合い始めてもうすぐ5年になる。
2〜3日に1回はセックス(というか、結婚したので子作り)してるし、嫁好きだし、身体が欲しいと思うことも多い。
疲れた日にすると、別に勃たないことはないのだけど、挿入後に、最後まで続かないことが多い。体力がないのかもしれない。俺の身体をたくさん愛撫してくれたとしても、疲れていて気分が乗らなくて、普段は気持ちいいことも気持ちよくない。だから、俺が嫁を喜ばそうとして、嫁が乗ってきたとしても、そういうときのセックスはすごい事務的に思ってしまって、個人的にはすごい嫌いだ。それに嫁がその気になってしまったあとに、いざとなって途中で萎えてしまうのも申し訳ない。
もっとリラックスしてのんびりできる時に、お互いを求めあいたい。その方がお互いにものすごい気持ちいいはずなのに、と思っている。
いくとかいかないとか、そういうの関係なしにして、セックスをする行為そのものをもっと二人で楽しむことをちゃんと考えるべきだったのかな、、、と思う日曜日のお昼。昨日は無理でも今晩は楽しめるのになぁと思ってはいても、その時の彼女の気持ちに応えることが重要なんだろうけど、どうしたらいいものか。
かといってすごいテクニックがあるわけじゃないし、俺はこうしてくれると気持ちいいよ、とかやさしく教えたとしても、それを少しでも言われた嫁は「私よくわかんないんだもん!」と涙目になる。俺は二人で楽しみたいと思っていて、俺は決してそんな風に思ってもいないし口にも出していないのに、嫁には「なんでできないの?」と言われているように思うそうだ。そんなこと思う必要ないでしょ、、と言っていて慰めてると、なんかセックスのいい気分が台無しになる。みたいなことも今まで何度かあった。
俺が勃たないのは自分に魅力がないからとか言われるし、そんなことないのに。
若いんだから勃たないことないでしょ、気持ちの問題じゃないの、とかも言われる。
そういうこと言われるのは余計に悩んじゃうよ。。
亜鉛とマカのサプリメントは毎日飲んでるし、体力はあってこしたことないしつけなくちゃな・・・。
俺だって嫁にもっと気持ちよくなってもらいたいし、二人でもっとセックスを楽しみたいのになぁ。
うーん。
わかります。私も断るのヘタクソだし、断ることにすごくストレスを感じるので。
私も元増田さんのように、もうどうにも我慢ならない!!という時は「今日は自分だけのための日」というのを設けて、誰のためにも何もしません。
もしこうやって時々ガス抜きすることでこれからもやっていけそうだと思うなら、旦那さんにそう宣言して、気が済むまで好きなことだけされると良いと思います。何も言わないでただ失踪?してしまうと旦那さんが心配されるでしょうから、せめて行き先と、帰宅予定を伝えておいたほうが良いと思います。
もし、根本的に解決したいと思うのであれば、残念ながら(あなたや私が「断ることができない」自分を変えることがとても難しいのと同じように)旦那さんは一朝一夕には変わらないので、断ることであなたが背負うことになるストレスと、ハイハイとやってあげることであなたが背負うことになるストレス、どっちがましか、という選択をすることになると思います。あなたの精神状態が限界であることを旦那さんに伝え(たぶん、あなたが多大なるストレスを受けていること、旦那さんは想像もしていないような気がします)、何ができて何ができないか明確に伝えることをおすすめします。もし、平日の夜に疲れて帰宅してご飯を作るのがいやだ(そして作り置きをするのもいやだ)と思うのでしたら、1) 旦那さんに作ってもらう 2) 旦那さんに買ってきてもらう 3) あなたが何か買って帰るのいずれか、もしくはこれらの組み合わせを駆使して、あなたのストレスを最小化すればいいように思います。そして、その状態を「ふたりにとっての当たり前のこと」と既成事実化してしまいましょう。現状では、「あなたがひとりでなんとかすること」が旦那さんにとって当たり前になってしまっているので、これを変えましょう。現状の慣性力は絶大なので、「現状を変えようとすること」は最初のうちはお互いにストレスや苦痛を感じるかもしれませんが、しんどいのは慣れてしまうまでだ、と割り切ればよいのではないでしょうか。
もし、これを試してみた結果、「やっぱり、我慢してでも自分が全部つくったほうがましだ」と思うのであれば、「自分の選択の結果として、自分が全部つくる」状態をまた選択しなおせばよいのだと思います。旦那さんにやらされていると思うから不満に思うのであって、自分の意思で選択して、自分が全部つくるのだ。と思えるようになれば、少なくとも今よりはストレスが少なくなるのでは…と期待します。
うちも状況は似たようなものですが、「旦那のつくる食事は口にあわない。だったら自分の口に合うものを自分で作ろう」と思うようにしています。もちろん、作りたくないときはすぐ食べられるものを買って帰りますし、旦那に買ってきてもらうこともしばしばです。それすらも面倒なときはふたりで一緒にでかけたり、また、時々は女友達と外食したりもします。そうやって時々は自分で自分を甘やかしつつ、自分(と旦那さん)にとって快適な状態が作り出せるといいですね。
結婚1年目、そこまでではなかったけれど、その逆に近いパターンでした。
(妻は専業主婦で一緒に学生時代に作ったボランティア団体やっています、それと家事のやり方の違いが主な火種)
僕の方が家事は一切やらなくなって、別の事も重なってメンヘルまで行って抗不安薬3か月くらい服用するに至り、
お互いその件について問題意識をもって、解決したいと思っていて、たまには冷静に話しができるのであれば、1年くらいすれば双方ある程度あきらめたり、言い方に慣れたり、仕事分担するようになって妥協すると思う。
それまでにあなたのメンタルがもちそうか、だんなの配慮がどのくらいありそうかかで、離婚まで考えるべきかどうかかなぁ。
それで、同棲の時からその片鱗が全くなかったとすれば、ちょっと旦那ずるいよとは思うけれど。
起業って色々なリスクとっているから、ともすればお金も人もついてこなくなって社会から放り出される可能性もあるわけだし。
あなたに仕事のパートナーとしても期待していたんだと思いますが、それは一朝一夕には無理でしょう。
それ以外でうまくいかない点は手紙でも書いて相手の気持ちを確認してみては?
あまり辛ければ両親や祖父母に相談したり、たまに実家帰ったり、旅行いったり、お金払ってでも相談できるところ探してみるといいよ。
起業家経営者さんだそうなので、本当は主婦やってほしいわけじゃないんじゃなくて、
お互いバリバリ働いて家事は家政婦でも週2でやといたいとか言っていませんでした?
僕も一緒に自分より仕事できない人と仕事していると、仲がいいほどついお前ダメだと本音を言いがちなので、
家事を含めて仕事はきっちり分担してあらかじめ要件をある程度きめておいて(仕事ですから)するのが吉だと思います。
特に家事は要件がはっきりしない随意契約なので、相手の負担を考えずにずるずると追加で頼みがち。
要件以外は以前のように下手で頼むようには旦那さんの友人から旦那にアドバイスしてもらえると多少は効き目があるとおもいます。
まぁこんなの旦那は仕事で忙しいのに無理だとおもいますが。それくらい細かいことがたくさんあると認識してもらえればいいかな。
あと、家事については色々機械化や外注化を促進して、悪いのは機械のせいにしてしまえたらいいなとおもっています。
ネット通販の定期便とか、洗濯乾燥機とか、食器洗い機とか、掃除ロボとか、クリーニングとか、ダスキンとかいろいろ活用してください。
まぁ、パッと見、仕事の自分よりできなさっぷりのイライラと家事のやり方の違いとで不満が蓄積しているのだと思いますが。
言い方をもう少し優しくいって欲しいものですよね。
何が困ったかって、自分は「具体例を挙げて」説得するのが苦手だなと。
自分がやってきた研究とか、大学生活や趣味で頑張ってきたこととかを人に伝えるには、具体例を挙げるのが効果的なわけなんだけど、自分は面接のような場でそれを挙げるのが苦手。
というのは、エントリーシートみたいに文字に書くならまだ何とかなる。研究のことならば、あらかじめ「この問題は実際にはどういう意味があって…」と整理しておく。自身のことであれば、自分の行動記録を時系列で思い出したり、いざとなれば写真とかTwitterとかの記録を引っ張り出してきて、それを元に思い出す。
でも面接だと、「具体例が数秒から十数秒で頭に浮かぶ」必要がある。エントリーシートで書いたことならまだ対応できるけど、そうでないものが来たらアウト。慌てふためいてしまう。
例えば「あなたが大学その他で活動してきて、リーダーシップを発揮した出来事を教えて下さい」ってのが来て困った質問の一つ。あとあと考えてみれば「事前に考えておけば答えられる話だった」と思ったのだが、このときは適当に答えるしかできなかった。
何が問題なのかって、自分は普段から具体例にはあまり興味を持たなくて、一般的な話を中心に頭にしまってるってのが理由なんだろうなあ、と思った。例えば、「昨年秋の旅行は、●●をして遊んだことと、●●の食事がおいしかったこと」の●●の部分がすぐに思い出せなかったり、忘れてしまってることが多いとか。でもいつ旅行に行ったとかどんな場所に行ったとかそういうのはちゃんと覚えてる。
「普段の思考において、具体例にあまり興味を持たない」ってのが致命的になるとか今まで考えてもなかったよ。でもだからと言って一朝一夕に解決できる話でもないし。どうしよう。
うつつを抜かしているのも、困難に直面できないせいで現実逃避を図っているにすぎない。
物事をぶち壊したり、台なしにしたりするには、手腕ではなく腕力があれば十分だ。
バカであろうと粗野であろうと、何も困りはしないのである。
キレて逆上した連中は、ものの三十分もあれば、すべてをメチャクチャにしてしまう。
これを埋め合わせるには、
英知と先見性を持った者たちが、百年にわたって熟慮を重ねても足りない。
従来のシステムの過ちや弊害は、誰の目にもハッキリと映るため、
たいした頭がなくとも容易に批判できる。
ましてや絶対的な権力を握っているのであれば、ひとこと指示を出すだけで、
それらの過ちや弊害をなくすという名目のもと、
システム全体をぶち壊すことができるだろう。
かかる姿勢は怠慢にしてせっかちであり、
横着を好みつつ何かせずにはいられない。
はたせるかな、新しいシステムをつくり上げる際にも、
議会は困難に直面しようとしなかった。
物事をこれまでと正反対にするのも、安直さにかけては、
すべてをぶち壊すのといい勝負である。
問題点を指摘されたところで
「とにかく一度やらせてみよう」という雰囲気さえつくることができたら、
あとは事実上、誰にも邪魔されることなく、やりたい放題やれることになる。
対象的なのが、システムを維持しつつ、同時に改革を進めていくやり方である。
新たな要素がつけ加えられる。
ここでは大いに知恵を働かせなければならない。
システムの各側面について忍耐強く配り、
従来の要素と新しい要素を
どう組み合わせたらいいかを決めることが求められるのだ。
「いまのシステムには飽き飽きした」と軽率に見切りをつけたがったりもするので、
こんな反論が寄せられるかもしれない。
「それでは遅すぎる。議会の偉大さは、普通なら長い歳月かけて達成される事業を、
成果があがるまで何年も待たねばならない。」
むろん、そうだろう。そうあるべきなのだ。
その一つは、変化が起きているとは思えないほどペースが緩慢な点にほかならない。
慎重に用心深く作業を進めるのが賢明であることは、大工や職人も承知している。
われわれはレンガや木材を扱っているわけではない。
ひどく悲惨な結果を招くことになるだろう。
平気で改革を進めていくことこそ、
偉大な政治家の条件だと見なされているらしい。
だが、私の考えはまったく異なる。
真の政治家たるもの、温情あふれる心をもっていなければならない。
そのような人物は祖国と同胞を愛しつつ、
おのれの能力をつねに疑ってかかる。
到達すべき目標をとっさに把握する才覚をもっていたとしても、
実際の行動においては一歩一歩じっくりと進んでいく。
政治を良くしていくには、人々の心をまとめあげねばならないものの、
これは一朝一夕にはできない。
力任せに押し切るより、我慢強く気長に頑張るほうが、
「フランス革命の省察/エドマンド・バーク (1790年刊行)」訳 佐藤健志
これ以上の橋下批判は聞いたことがない。
急進的な改革は上手くいかない、やるなら徐々に行うべきだ。
後はどういう失敗の仕方になるか。
橋下が改革を成し遂げられず失敗するか、改革をやり遂げた結果、フランス革命のように全体主義を呼び込んで失敗するか。
後者なら目も当てられない
http://anond.hatelabo.jp/20130108184235
上手くいかない原因は作り方まで母親の真似をしている事じゃないかな。
最近料理をせざるを得なくなった俺だが母親の作り方の真似をしても大抵は上手くいかないぞ。
料理上手の中年女性というものは目分量と感覚、そして経験が非常に優れているんだが、それを一朝一夕で我らが真似できるようなもんじゃないし、彼女たちに説明をもとめても非常に曖昧な感じの応えしか帰ってこなくて参考にはならんぜ。
俺はまず料理を作りたいと思ったら、母に聞くのではなく、その料理のきちんとしたレシピを参照してまず作ってみる事から始める。
きちんとしたレシピというのは、クックパット等コミュニティ系のレシピサイトではなかなか難しいので(あれはある程度料理に慣れた人が見るサイトだ。結構怪しいレシピも多い)定番として今日の料理のサイトをおすすめしておく。
http://www.kyounoryouri.jp/ あるいはブックオフにでも行って、100円のコーナーからよさそうなレシピ本を手に入れるというのも悪くない。(レシピ本は古くても問題ないから始めは新品を買う必要は無い)
そうして一般のレシピを使って作った料理は、食べてみるとたしかに美味しいが母の味とは違うと言う事になるだろう。そこから微調整して目指す味に仕上げればいいのさ。
作る過程まで真似をしようとしないこと。
料理の上手な母親も、おそらくこう言うまずレシピをみて、作っているうちに自分の好みの味に仕上げていくという過程を経ているはず。徐々に完成させているのだから、いきなり彼女が自ら作る事において洗練し完成させた手法を真似しても、他人が履き慣らした靴を履くようなもんで、形が合わなくて上手くいかないのも当然だよ。
その他にテクノロジーに頼ると言うのも手。
たとえば牛すじビーフシチューは煮るのが大変だ。それだけでくたびれてしまう。こういう時は保温調理鍋(シャトルシェフなど)や圧力鍋のようなものを使ってしまう。
上手く切れなければスライサーや大型ピーラーを使うとかそう言う事だ。
これも一部の慣れた人を見ているとなかなか違う道具を使ってみようという気にならないのでおすすめ。
Amazonのキッチンストアを見て回るだけでいろいろなアイデア料理器具があって料理を楽にしてくれる。
と言う点で、特に増田さんは一人暮らしだということだから、保温調理以外にも使えてスペースが節約でき、保温調理中絶対に焦げる心配がなく放置できると言う点でシャトルシェフがおすすめ。
ただしシャトルシェフはどうしても保温力を高めるためにある程度量を作らないとならないから、そこはいろいろと工夫がいるかもね。
なお肉類は一度火力設定を間違えて硬くなってしまうとその後いくら煮込んでも柔らかくならない。一度間違えたのを長く煮ていると「柔らか」と言うより「煮崩れ」状態になっておいしくなくなる。
肉を煮るときは焼き目をつけて控えめ火力で、魚は逆に強めの火力で身を引き締めた方が美味しく仕上がる。レシピにもよるけど。