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はてなキーワード: ルーとは

2020-07-05

anond:20200705055231

 消毒液のシャワーやばいと思うが。揮発したのを吸い込んだりり目や口に入ったりしたら毒だと思うんだが、一体どんな消毒液を使っているのやら。プール塩素くらいのもんだろうか。記憶いか話を盛ってるかっていう気がするな。

 しょっちゅう人が行方不明はある。大体はタバコ休憩に出ている人。トイレ休憩の人もいる。作業場を出れば作業服は脱ぐものだし、用を済ませて作業服を着て一から毛髪や埃など異物の除去をして手洗い消毒、をすると、ちょっとトイレおしっこくらいの用事でも、持ち場に戻るまで最短二十分くらいかかる。タバコ休憩なんか喫煙自体に5分~10分かけてるからもっと帰ってくるの遅い。各部門、どこも最短人数で回していれば、一人が持ち場を離れるだけでてんてこ舞い、手の空いた人をよそから引っ張って来ることはある。

 腐った臭いのするほどの不衛生とは……私はあまり考えられないが、同じ会社工場でも衛生管理がだいぶ違ってたりはするみたい。私は昔、食品工場品質管理部にいたので、出張で他社の工場を見たこともあるけど、掃除せずに休憩に行っちゃうみたいな所はあったね。その工場内でもまた部門によって綺麗・汚いの差がある。HACCP認定されてるとことか認定取ろうとしてる所は、パーフェクトではないにしろ、目に見えた汚さはないだろう。

 ブコメみたら、食中毒の原因菌以外には無頓着だというようなコメがあったけど。食品工場普段微生物検査では、食中毒の原因菌の特定までは普通やらんだろう。ルーチンは一般生菌(雑菌色々)、大腸菌群(一般生菌の中でも大腸菌の仲間に属するやつ)、黄色ブドウ球菌の三種類の検査で、これは作業者作業場器具が清潔に保たれているか監視するためにしている検査で、食中毒の原因を特定するものではない。この三つの細菌検査クリアすれば安全は保たれているとみなされる。

【2000件突破記念】これまでに投稿された「今日知った言葉」の一覧 (1/2)

anond:20180124172014 の続きから

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詳細はこちからhttps://anond.hatelabo.jp/c/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%A8%80%E8%91%89

anond:20200702130241

一時のはてなブログブームは手軽にアフィリエイトができるという触れ込みが大きく作用していた。

からはてなブログクリエイターライター)に支持された時期があったどうかについて疑問がある。ぱっと見は簡素であるものの、変なところがごてごてでもっさりしていて取り回しの悪いあのサービスを気軽に使ってみようと思う人はそんないないのでは?

ブログ情報発信という発想自体Web2.0時代ぽく古臭い。本気でライティングをやりたいのならオウンドメディア寄稿するし、そこまでのモチベーションがない大多数はnoteTwitterにささっと投稿して終わる。

アメーバはてブロのような個々のユーザに重点を置き、プラットフォームとしてコンテンツ流動性が低い旧態依然ブログサービスにもはや魅力なんてない。

notemediumユーザの垣根を横断してコンテンツを閲覧できる。また画一的デザインフラットな視座を閲覧者に与えることを助けている。つまり逆に言えばnoteユーザであれば不特定多数の目に晒されそれだけ注目される機会があるということだ。

そしてnoteはそのプレーンデザインゆえに利用者雑記位置づけで適当に書き散らしてもいいようなハードルの低さがある。メイン活動の片手間に議事録ネタ帳としてつかっている人も多いだろう。

はてブロnoteに比べプラットフォームとしての力は弱い。ブログスペースをユーザに貸し出すだけで、ユーザコンテンツの注目を集めるためにはTwitterはてブ等外部でのバズが必要だ。閲覧者もそのページを読むときにそれがはてなブログかどうかなんて別段気にしていない。アメーバだろうがライブドアだろうがどうでもいいというのが今現在一般的感覚だろう。

そのくせ自分の城とするにははてブロ不自由だ。はてブロユーザだけを意識した利点のない上部バーと目障りな広告。なぜかprevがないページャ。だらしなく下に伸びるアーカイブモジュールに、妙なシンプルさが却って見づらい注目記事/最新記事モジュールデフォルトだとどうでもいい情報をでかく記載してくるアバウトページ…pro会員になってこういうところをちまちま直すなら、tumblrを使ったりWordPressを導入した方が手っ取り早くてデザインもすっきりしたものができる。

気軽に書くにはハードで本気でメディアを作るには不自由で取り回しが悪いサービスというのがはてブロであり、そんなサービスを盛んに活用するクリエイターはもはや殆どいないのではないか

話は変わるがクリエイターと呼べる水準にいない奴が幅きかせて嫌われたのが互助会騒動だった。

カレールーと残り物で作ったカレーで1200円とる店が乱立し、しかも呼び込みがしつこくてうざかったみたいな。悪いことしてないかもしれないけどそりゃ嫌われるわな。

2020-07-04

anond:20200704103714

望んでるのはルーティーンタスク効率化であって、最終的な判断自分責任でやるからなにも問題ない。上の例で言えば、そういうサービスのが出て実際に困るのは、情報の囲い込みや情報収集の面倒さでこれまで利益を得てきた業者だけだろう。タスクは違うけど例えばサクラチェッカーなんかはそれ。

2020-07-03

ピッチピッチ、チャップチャップ、ランランルー

オイオイ通天閣、赤なっとるやん!!

・・・そうおもて見てたら🌈カラーやったわ

2020-07-01

完全にケトフルーで息をするのもかったるい

でも頭は冴えてる

身体ヒエヒエ7月だというのにゾクゾクする

はやくケトエンジン回り始めてくれ〜

2020-06-28

きのう久々に本気でセックスしたせいで、ひどい筋肉痛になってしまった

日頃ルーティーンでやってる自重筋トレよりキツかったのかもしれない

最中はいけてしまったが。

こんなに頑張ったのに、あすけんの運動登録欄にはセックス関連の消費カロリーが載っておらず、虚しい

2020-06-25

公費による海外出張でのルーティーン

・まだ日本では未公開の映画を見ながら機内サービスビールで喉を潤す

・用務先のイベント会場にチェックインしたあとは頃合いを見計らって抜け出しホテルで休憩

バンケット時間になったら会場に舞い戻る

イベント日程はまだまだ続くが、毎朝30分ぐらいだけ会場に顔を出して来てますアピール

空港・用務先間の移動用に公費で確保したレンタカーで同僚と観光地巡り

ショッピングモール家族や同僚へのお土産適当に見繕う

前田ハウス前田さんからありがたいお話を拝聴する ← New!

・まだ日本では未公開の映画を見ながら機内サービスビールで喉を潤す

2020-06-22

anond:20200620124348

テレワークでひと段落ついて、ぎゅうにゅう飲もうと思ってデスク離れてれいぞうこに向かったら、居間ソファのうえのいつものところに老ねこが寝ているので、ちょっと背中を撫でたらしかめっ面を見せて、でもとりあえずこっち見て声に出さないにゃあをやってくれるので、まずほっぺたを親指でぐりぐりとさせていただくと気安くゴロゴロと喉を鳴らしてくれるので、そしたらお腹に顔を突っ込んでひたいとしっぽの付け根を撫でながらお腹匂いかいだ後に、おでこおでこをくっつけてぐりぐりすると、またちょっと声に出さないにゃあをやるので、ああ、歳をとって口が臭くなったなあと思って、離れ側にもう一度ほっぺたをぐりぐりしてからぎゅうにゅうを飲んでデスクに戻って仕事の続きをする。そんなルーチン。

サクラノートは確かに短いしゲームらしいゲームな場面もほとんどない雰囲気ゲーだけどクソではないと思うのよ。まあラブデリック好きのひいき目はある。

2020-06-21

間違って食べたものが嫌いになるってあるあるなんだな

友人が小さい頃チョコレートだと思って固形カレールー丸齧りしてから今に至るまでカレーが苦手って言ってたんだけど、

俺も小さい頃チーズだとおもって石鹸丸齧りしたことあって未だに石鹸食えない。

ルーギャグ漫画もどきを見ると、ギャグ漫画舐めてんのかなと冷静に思ってしまう。

2020-06-20

anond:20200620184917

機械人間真心なんて分からないとか言っちゃうタイプ

すべての産業ソフトウェアアルゴリズムで書き換えられる可能性があらゆる書籍で予見されてるのに?

そんな巷の状況においても、少し勉強すれば手が伸びるかもしれないのに「俺には関係ない」「これでいいのだ」でずっとクソみたいなルーチンやって、割食ったら「おれは真面目にやってたのになぜなんだ」とか言っちゃうんだろ?

不誠実そのものじゃないか

ルーティーン仕事

慣れた仕事

考える余裕があるという事は、怠けではなくとても重要な事。

新しい事があっても、ルーティーンベースに考えて受けられそうなら受けるし、

無理そうなら他に回すというのがジャッジできる体制と言うのはとても素晴らしい事。

その状況から出て初めて分かる大切さ。

2020-06-17

濃い麦茶はノンアルビールに増田スマルービル案のはゃ値義務行こ(回文

アメリカコロナ流行るとヒヨコを買ってきて育てるって話し、

その後そのヒヨコってそろそろ成鳥になってる頃だと思うんだけど、

まりそう言うことなのかしら?

ヒヨコ行方が気になります

おはようございます

午前中は事務所にいない方が、

優雅に二時間が過ごせる気がして

ある意味有意義ねって思ったわ。

今日今日でまた午前中から

なんやかんやで、

うそ事務所お茶ほうじ茶から麦茶に変えたところで

なんか季節の変わり目だなぁーって思っちゃったりもするわ。

大きなヤカン麦茶パック1つだけしか使わないのって、

麦茶がなんだか風味豊で芳醇な感じがしない。

まりは薄いってこと。

贅沢に1回沸かすごとに麦茶パック2つは使いたいところね。

薄い麦茶と濃い麦茶って好みもあると思うし、

私はちょっと濃いめの麦茶ティーが好みね。

こちらの方だと香ばしさがより感じられるし、

私1回やってみたいんだけど、

麦茶パック10パックぐらい作って

超濃い麦茶を作って炭酸で割ると、

普通にノンアルコールビールなっちゃうんじゃないか?って夏休み自由研究にしたいぐらいなんだけど、

結局これはまだだれも成し遂げていない偉業じゃない?

子ども夏休み自由研究にもいかが?ってネタ提供したいわ。

でも子どもノンアルコールビール醸造することに成功しても、

うーん!ビールに近いですな!って

そもそもとしてビールを飲んだことない人からして

果たしてノンアルコールビールの味のテイストを味わって判定することが出来るのかしら?

そう思ったわ。

より近いビールに近づくように私も、

夏休み暇だったら研究できたら研究するわ。

うふふ。


今日朝ご飯

目玉焼きが挟まった特製ベーコンレタストマトサンド

これは美味しいわ!値段相応以上のニトリビックリするぐらいのスケール

正にアメリカン!

アメリカのそういうベーコンレタストマトサンド食べたこと無いけど。

そのぐらい心が豊かになる感じで朝からリッチな気分に。

わずハンバーガーをスタンディングスタイルで食べるときに片手を壁に付けてテリーマン食いしたいところよ。

デトックスウォーター

たまには蕎麦湯ウォーラー飲みたいけど、

普通乾麺蕎麦茹でた後のゆで汁は塩分いか

飲んじゃうと後でもの凄くノドが乾くから気を付けてよ!

ちゃん蕎麦湯にもできるお蕎麦です!ってのはわざわざパッケージにも書いてあったりするから

ちゃんとしたもの蕎麦湯として召し上がって欲しいわ。

関東蕎麦湯置いてるところが多いんだけど、

あんまりここら辺のお蕎麦屋さんでは調子に乗ってオヤジ蕎麦湯!ってイキりまくり禁止貼り紙がお店にしてあって笑ったわ。

そんな蕎麦湯への憧れもちょっとあることを表明したく、

今日ピンクグレープフルーツウォーラー

レモン炭酸で割ったシュワッと舌で弾けて消える

爽快ウォーラー今日も決まりよ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

anond:20200617082824

言わないよ!

人のこと神とか言う人嫌いって思ってヒキ貫いてたのに同人人生○十年で初めてリア友になれた神なんだ😭

こんなルーチンだけ繰り返すババアになってまでそんな現状から予測も付かない人間関係に陥るとは正直思いたくもないよ…

anond:20200616172723

そこまで余計なもの入れたがる割に市販ルーで作ってるのが謎。素直にスパイスで作ればいいのに。コリアンダークミンカルダモンターメリックカイエンあたりがあれば取り敢えずはいけるぞ。

水少なめというのは(多すぎるのに比べれば)そこまでネックにならないような気がする。とにかく玉ねぎをしっかりメイラード反応させさえすれば何とかなるような気がする。

2020-06-16

anond:20200616172723

増田市販ルーを使ってパッケージに書いてあるレシピ通りに作って食わせればいい

完全に調和の取れた市販ルーには余計なアレンジなど不要なのである

夫の作るカレーがおいしくない(追記あり)

書いてしまった。そう、おいしくないんだよなー

まずくはないけど、おいしい!ともならない

料理できる人なのでそこまで変なアレンジはしてないはずなんだけど、ローリエコンソメは入れすぎてる気がする

先日チャツネを入れたときは甘みがすごいんだけど、あとから辛さがくるので素直においしいと言えず「不思議な味だね」と言ってしまった

というか、ルーカレーなのでチャツネ的なものは既に入っていると思うので、「チャツネは次から入れないでほしいな」と伝えた

週一でカレーハヤシライスを作ってくれるんだけど、ハヤシライスも同じような作り方をしてしま

見た目も匂いもおいしそう。でも、食べると思った味と違っているので、何が原因なんだろう…と考えながら食べてしま

週一でまずくはないけど、おいしい!とはならないものが出てくるのは地味にストレスで、昨日のカレーは「またか…」と思って、がっかりが顔に出てしまっていたと思う

わず「水が少ないし、コンソメ入れてる?濃い気がする」と言うと、「次から普通に作ったほうがいいかな…」としょんぼりしていた夫を見て少し申し訳ない気持ちになったものの、ぜひ普通に作ってほしい

いろいろチャレンジしたい気持ちは分かるけど、毎週はつらい

6/17追記

コメント読んで、そうそう、レシピ通りのカレーがおいしいよねと思った

飴色玉ねぎ入れたり、食べる前にガラムマサラ入れたりは以前私も試してみて、普通が一番だなぁと

あとちょっと話題がズレてしまうけど、普段は私が作っていて、献立かばなかったり週末帰りが遅くなったときカレーにしようと思っているところに、夫が「今週はまだカレー出てきてないから作るね!」と作ってしまうので、いざというときのお助けメニューを取られた感もある

コメントにもあったけど、スパイスじゃなくルーカレーなのは私も不思議に思ってる。チャツネとか出てきちゃう辺りが特に

でも、夫がスパイスカレー作りに手を出してしまうと、しばらく「スパイスカレーを作ろうとした何か」が食卓に出てきそうなので言わないようにしてる

隠し味が隠れてないとか、足し算しか料理できない人とか、まさにそうです

来週は普通カレーだといいな…

2020-06-15

anond:20200614234248

こういうのって「そういうもの」だと思って、ルーチン的に予定のやり取りとかすれば、どっかで楽しくなる瞬間があるよ

2020-06-14

anond:20200614202943

IDEべったりの最近の若者はロクに英語も書けんのか

https://www.google.com/search?q=corutine&nfpr=1

あ、結構あるな気にしなくていいぞ


Kotlinのコルーチンは仰る通りなかなか便利で高性能である

書かなくていいってステキだよねやっぱ

2020-06-13

親父の一番長い日がフォールーーつバスケット元ネタ?と思って聞いてみたらイルカなごり雪っぽいなってほうがでかすぎた

2020-06-11

BEEF / BEMANI Sound Team "牛"

\モー🐄/ワーッツアップ🤷🏿‍♀️さぁ、始めようか👋牛🐂 is 王者👑仮初めの玉座💺炭火と化する🔥パンチライン👊横射、ビープスレスレお前👈とのビール🍺チェーッケダウン⤵️格がちゃう🙅‍♂️ぜイーチ🤪牛🐃のバイブス📵in 神戸city🕌日々の退屈🙄猛抗議🖕🏻してィ、新譜の先の行く末はBEEF🐮アー目指してる✋等級💥A5wanna be⁉️そのときお前は、冥土⚰かなC😭俺🤗採食🥒サーロイン🥩神戸が俺のレケゼッタン(?)お前👈埼玉都民💃舌先三途🗡ネギ塩ターン🦃俺達BEEF!🐮生まれ年!🐮卯年!🐮カゴにはキープ!🐮偉大な肉たち🍖🍖🍖にREST IN PEACE⚰俺達BEEF!🐮霜降り肉!🐮肥え立つMEAL!🐮苦節なBEEF!🐮聞かせて👂みせるぜ🌝魂の叫び🤩say モー🐄 \モー🐄/ say モンモンモン🐃🐄🐂\ モンモンモン🐃🐄🐂/ sayモモン🍑モモンモン🐂ッンモンモ🍑 \ モモン🍑モモンモン🐂ッンモンモ🍑/桃🍑モモモモ❓も桃🚅も桃のうち!🏘northern🍁モー🐄モー🐄いいよ‼️YOU🤛たちwished🙏wack😹なMC🎤付焼きはRESTART🤴🏽一種のWAR💸それぞれNEEDSがいる🙋‍♂️WORK OUTファット🥓な肉す?が🍖いい?\カチャ/NO❎抜け出した✌︎よく見りゃ、お前バッファロー✋食肉談義👨‍👩‍👧‍👦にゃ、向かない🐄🐂🙅‍♀️バッキャロー!何も子牛の🐮時はあったろう‼️売れ気味馬車🚘品性を🍆語ろう👍黒船来航🛥光る雷光⚡️でも、なんだかんだ和牛最高✨✨✨✨

✨✨✨✨\yeah…/俺のルーサンダー⚡️但馬プライド😡ビーフ🐮だ和牛魂🔥1,2,三田!!!!!!!!

死んだ猫の重みを知る人へ

 この世界人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である

 数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。


 この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに分けられる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である

 どんな記憶忘却可能性を含んでいて、それがいか尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである

 とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるものだ。例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類だ。

 これから話す記憶は――意外だと思われる人もいるかも知れないが――恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は(少なくとも僕にとっては)、一度忘れしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要記憶ではないということになる。

 あるいは、死んだ猫の重みを人生最後まで引きずっていく人もいるのかもしれないけれど、僕がこの世界からいなくなる時に、多分、死んだ猫の記憶は僕の傍にはいない。


 人生というのはタフなもので、多くの場合予断を許さない。例えば、猫は前触れなく死んでしまう。そこに救済は存在しない。

 猫は突然死ぬ

 重要命題である

 だからこそ、我々はタフにならなければならない。タフな(きつい)人生に耐える為には、我々自身精神的にタフにならなければならないのである

 して、タフな人生を生き延びるために重要資質とは何だろうか?

 僕が思うに、恐らくそれは一種判断能力である。つまり重要もの重要でないもの区別する為の判断能力である

 この世界において、重要もの重要でないもの比較すれば、前者は圧倒的に少なく、後者は圧倒的に多い。これは考えるまでもなく当然のことである重要ものが我々の前に際限なく溢れ返っているのであれば、我々の人生もっと救済に満ちたものになる筈だからだ。でも、現にそうなってはいない。人生における重要事物は泥の中の砂金と同じである。それは、恐らくは多くの人が感じていることだろうと思う。

 そう、我々が人生を全うする為にもっと重要能力は、数少ない重要物事出会った際に、その重要出来事を迷わず掴み取る能力なのである

 タフな人生を本当に生き切る人間に備わっている素質は、恐らくはそれだ。彼らは汚泥の中の砂金を迷わず掴み取り、幸運の女神の前髪を毟り取らんばかりに握る。僕も、そういう人間になろうと日々心掛けてきた。この世界に溢れ返る物事の中に、ほんの僅かに存在している、かけがえのない事柄。あるいは、溢れ返る人々の中に存在している、かけがえのない人々。そういう人(もの)に出逢えば、できるだけそれを失わまいとしてきた。

 人物だけではない。記憶に関しても同様の態度を取ってきた。

 我々の心の中には無数の記憶存在している。その多くは、断言するに無意味記憶に過ぎない。病院記憶体育館記憶商店街記憶――はっきり言って、その殆ど無駄記憶だ。重要記憶というものは一握りしか存在していない。

 我々の人生には限りがある、その限られた人生の中で、無意味記憶無意味な情愛を注ぐことだけは避けなければならない。情愛を注ぐべき人を選び、情愛を注ぐべき記憶を選別すること――自分にとって重要ものを、重要でないものの中から選び抜くこと――それが本当に大切なことなのだ。だから、我々は、警戒しなければならない。一見重要であるように装っておきながら、実際には全く我々の人生無意味事物……そういうものへの執着を捨てなければならないのである

 書いていて思うが、幾分このような視点には屈折の気配がある。勿論、それは自分でも分かっている。でも、やはり我々の人生は貴重なものであり、貴重でないものと触れ合うことで、その輝きを鈍らせる必要はない――そういう視点が一抹の正しさを備えていることも、また事実なのだ

 はっきり言おう。

 これから語る記憶は、決して僕の人生重要ものではない。むしろ、どうでもいいものなのだと。

 

 大した記憶ではない。

 道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。

 その肉体の損傷は一見して分からなかったが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っていた。既に絶命していた。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの運転手ゆっくりと車を走らせていた。つまり道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。

 猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉運動はとっくに停止している。

 僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を自転車に乗って通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見ていた。

 通り過ぎる。

 川沿いの道を走り、こじんまりとしたアパートに辿り着く。駐輪場自転車を停め、アパートの裏手へと回り込むと、階段を上った。

 階段を上る度に、カンカンと乾いた金属音がこだまし、やがて僕は二階の自室の前へと辿り着いていた。

 鍵を開け、扉を開け、自室へと体を滑り込ませる。

 薄暗いアパートの自室はひんやりとしている。

 猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートル距離があって、僕はあらゆる意味当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン手袋を取り出した。

 再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートル距離時間はそれほど掛からず、辿り着いた時にも猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。

 僕は歩道自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に轢かれる心配のない路端へと引きずった。

 そう、引きずったのである

 抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。猫の頭部がごろりと動いた。

 猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレン手袋に付着した。

 そこには愛情は無い。僕の人生残留するべき温かい思念というもの存在していない。

 だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミング忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。

 僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである

 猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである

 ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。

 僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。

 初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路中間辺りから続く夥しい血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、たまに、盗み見るように視線を向けた。本来当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。

 やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。

 彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。


 やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車だった。

 この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフ二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。

 僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレン手袋を処理した後で、日常ルーチンへと戻っていった。


 多分、この記憶は僕の人生残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が死んだ猫の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。

 しかし、それはあくま一般的な教訓に限っての話だ。僕個人の、個人的な教訓に関しては、少しばかりはあるかもしれない。


 多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタルな――欠くことのできないほど重要な――部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情記憶であり、誰かから愛情記憶である

 そういうものを欠くと、我々のバイタルな部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。

 とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。

 これまで僕が延々と語ったこ記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。

 でも、と思うのだ。

 この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。

 記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者記憶の方が圧倒的に多い。この世界殆ど記憶後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。

 それでも、と僕は思う

 その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。

 僕の記憶の中で息をしている。

 猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。

 多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。

 僕が猫のことを忘れ去るその時を。

 じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。

2020-06-10

ご飯をよそう増田仕事1日日医と後試打州間ウソよをンは後(回文

おはようございます

最近ずっとマスクしてるから

マスクしてるからファンデーション使わない問題いかしら?

というかさ、

今日は大忙しよ。

お友だちのキッチンカーのお手伝いというか、

私はひたすらバックヤードご飯をよそっていた作業を今の今までやってたところよ。

もう一段落したので、

私はお役目終了!

憧れのキッチンカーの中のキッチンでと思ったけど、

私は事務所の奥で一升炊きの炊飯器と格闘していたご飯担当係だったので、

憧れのキッチンカーとは無縁の作業ではあったわ。

から今日はもうお仕事終了よ!

なんかご飯をよそおい続けて続けて

ピタッとと言ってもまぐれだけど

狙って量ったグラムぴったりにあうと嬉しいわね。

技極めたーって感じで。

達成感よ!

衛生のゴム手袋を外したら汗がじゃーって出てきたかビックリ仰天よ!

こんなに水出んのかよ!って

今日はそんなご飯よそい仕事に達成感を覚えたてのところなので、

くたくただから今日はもうこの辺にしておくわ。

今日はきっとルービーが美味いわ!

ではでは。


今日朝ご飯

トマト野菜サンドね。

リピ中のリピのお気に入りサンド

デトックスウォーター

漬けて作って置いた塩レモン炭酸割りして作る

特製塩レモンウォーラー

塩分も摂れるわ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

死んだ猫の重みを知る人へ

 この世界人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である

 数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。


 この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに大別できる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である

 記憶というもの原理的に忘却可能性を含んでいて、それがどんな尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである。とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるのだ。

 例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類の記憶だ。

 これから話す記憶は、恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は、恐らくは一度忘れしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要記憶ではないということになる。


 タフな人生を生きようとする人間功罪の常で、僕は重要記憶とそうでない記憶峻別することができる。多くの場合その判断は極めて正確だ。

 僕は自分にとって重要物事とそうでない物事を多くの場合峻別できると思っているし、何よりも、自分にとって重要人間とそうでない人間峻別できると思っている。そこが功罪なのである人間自分にとって重要人間とそうでない人間並置し、比較し、時に冷徹判断する。いざという時に切り捨てることのできる人物と、そうでない人物を頭の中の整理棚に分類する傾向がある。とは言え僕は冷酷な人間を自認してる訳ではなくて、基本的に分け隔てなく親切に接することをモットーにしてるのだけれど。それでも、自分にとって大切な人物とそうでない人物は分けて考えなくてはならないと考えている。

 さて、そんなこんなでこ記憶は恐らく僕の人生においてそこまで重要記憶ではないと、僕ははっきりと峻別している。


 大した記憶ではない。道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。

 その肉体の損傷は一見して分からないが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っている。既に絶命している。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの車はゆっくりと車を走らせていた。つまり道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。

 猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉運動はとっくに停止している。

 僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見た。

 さて、帰宅する。薄暗いアパートの自室はひんやりとしている。

 猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートル距離があって、僕はあらゆる意味当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン手袋を取り出した。

 再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートル距離時間はそれほど掛からず、辿り着いた時には猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。

 僕は歩道自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に引かれる心配のない路端へと引きずった。

 そう、引きずったのである

 抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。

 猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレン手袋に付着した。

 そこには愛情は無い。僕の人生残留するべき温かい思念というもの存在していない。

 だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミング忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。

 僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである

 猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである

 ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。

 僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。

 初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路中間辺りから続く血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、偶に、盗み見るように視線を向けた。本来当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。

 やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。

 彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。


 やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車であった。

 この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフ二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。

 僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレン手袋を処理した後で、日常ルーチンに戻っていった。


 多分、この記憶は僕の人生残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が猫の死体の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。

 しかし僕自身にとっては多少の教訓と呼ぶべきものはある(どっちだよ)。


 多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタル部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情記憶であり、誰かから愛情記憶である

 そういうものを欠くと、我々のバイタル部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。

 とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。

 これまで僕が延々と語ったこ記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。

 でも、と思うのだ。

 この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。

 記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者記憶の方が圧倒的に多い。この世界殆ど記憶後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。

 それでも、と僕は思う

 その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。

 僕の記憶の中で息をしている。

 猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。

 多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。

 僕が猫のことを忘れ去るその時を。

 じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。

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