はてなキーワード: 資本家とは
そら他人のこと書いてる風で自分自身のこと書いてる創作だからな。反対だろ
というか、資本家の方が強いのだから元増田に限らず反対でいいよ
しかし、冗談みたいに思うかもだが、ブクマカやブクマカを兼ねている増田は、職場で泣くのは当たり前とか無断欠勤とかやってるからな
そういうのが職場にて良いとされている日本社会みたいなので、元増田みたいのがいてもいいんじゃないですか、べつに
闇深ブクマカ:職場で泣くのは当たり前!配慮しろ!子育て中の人のサポートをしない人は辞めて自営業しろ!媚びて早く結婚するのは無能の戦略!私は発達障害だからー
▼関連増田:話し合いの途中で泣いちゃう人への対処、どうすればいいの?
https://anond.hatelabo.jp/20230426081719#
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230426081719
あと再放送
声を荒げるのと同じく、泣くだけでハラスメントという常識をインストールしてもろて
フツーの人はどういう時に自分が泣くかは自覚的になって防ごうとするんだわ
防げないなら対面は避けてテキストに切り替えるんだわ
つか『俺の時代は拳だって飛んできた』みたいな昭和の体育会系化石マウンターや頑固ラーメン屋オヤジ自営業者ならともかく、
繊細な生きづいちゃん・くんなのに『仕事で感情を見せるのを是』としているブクマカとブクマカを兼ねている増田が多すぎてビビり散らかしてますわ
2016年にムサ・アル・ガルビがニューヨークに初めて来たとき、彼が最も気づいたのは「人種化されたカースト制度」の存在でした。その制度のもとでは、「使い捨ての召使い」が「あなたの家を掃除し、あなたの子供の世話をし、あなたの犬を散歩させ、調理済みの食事を配達する」のです。
この「使い捨ての召使い」は、その仕事に対して「わずかな報酬しか得られず」、ほとんどが黒人やヒスパニックで構成されており、サービスを受ける側はほぼ白人ばかりでした。しかし、誰もこのことに言及せず、「これが普通の社会のあり方だ」と考えられていました。
アル・ガルビが描写しているのは、超富裕層の集まるアッパー・イーストサイドや、億万長者たちのたまり場であるスカーズデールではありません。彼が在籍していたのはコロンビア大学であり、「人種カースト制度」で利益を得ていたのは同級生たちでした。その多くは社会正義について声高に語っていましたが、自分たちの生活を支えている社会階層の底辺の人々のニーズにはほとんど無関心でした。
4年後、同じ学生たちの多くがBlack Lives Matterの抗議に参加しました。アル・ガルビは、彼らがニューヨークのアッパー・ウェスト・サイドのブロードウェイで、同じ場所を共有している「靴も持っていないホームレスの黒人男性たち」に気づかないままデモをしているのを見ました。抗議者たちは「Black Lives Matter」と主張しながら、ホームレスの人々が使っていたベンチを占拠していて、どうやら目の前の「黒人男性たち」には関心がないようでした。
このように、社会正義を求めて活動するリベラルな学生たちの信念と、周囲にある現実の不正義への無関心を示す行動との間にある絶え間ない不一致により、アル・ガルビはその矛盾を理解するために本を書くことを決意しました。『We Have Never Been Woke』はアメリカで出版されたばかりで、間もなくイギリスでも出版される予定です。アメリカの選挙の背景を理解するための有用な出発点の一つとして、この本が挙げられます。なぜなら、選挙の物語は、アル・ガルビが感じた不一致に気づく人々と、それに気づかないか、気づこうとしない人々の分裂という観点からも見ることができるからです。
コロンビア大学の活動家たちが周囲の目に見える不正義を無視している中で、なぜ彼らは社会正義の言葉を採用したのでしょうか?言い換えれば、現実の不正義や不平等が無視される世界で、その言葉はどのような役割を果たしているのでしょうか?これらは、学生時代のアル・ガルビが悩んだ疑問であり、その本の核心をなしています。
彼の答えは、社会正義の言葉、すなわち「ウォークネス」は、実際には社会正義を目的としたものではなく、むしろ特権の階段を上り続けたいが、自分たちがエリートであるとは見られたくないエリート層を結びつけるイデオロギー的な接着剤の役割を果たしているというものです。
「ウォーク」という言葉自体は、あまり有用な言葉ではなく、分析よりも軽蔑の意味で使われることが多いものです。アル・ガルビはこの点を認識しており、侮辱として使われることを避け、定義することさえ拒んでいます。彼にとって重要なのは、この概念が実際に支持者や批判者によってどのように利用されるかです。
アル・ガルビは、「象徴的資本家」の闘争こそがウォークネスを理解する鍵だと主張しています。「象徴的資本家」とは、シンボルやレトリック、イメージやナラティブ、データや分析、アイデアや抽象概念を扱う専門家、つまり作家や学者、芸術家や弁護士、美術館のキュレーターや技術専門家を指します。この社会階層は、エリートの中で自身の地位を固め、すでにそこにいる他者を押しのけるために、社会正義の言葉を利用して地位と「文化資本」を蓄積しようとしています。彼らの闘争は、貧しい人々や弱者のためにエリートと戦っているように見せかけながら、実際にはエリートの内部での闘争なのです。
これは単なる皮肉や偽善ではないとアル・ガルビは主張しています。象徴的資本家たちは、自分たちの社会的役割についての神話を構築し、それによって不平等や不正義を助長しながらも、公正や平等を信じていると本気で思い込んでいます。この神話は多くの社会機関や権力者によって受け入れられています。その結果、社会正義の言葉は「不平等を正当化し、覆い隠す」ことに役立ち、エリート層がそのエリートとしての地位を強化し続けるのを可能にし、それはしばしば本当に脆弱で、疎外され、貧困に苦しむ人々の犠牲の上に成り立っているのです。
この議論の多くの側面は、例えば文化理論家のキャサリン・リウや哲学者のオルフェミ・タイウォによって以前から表現されてきました。リウは、プロフェッショナル・マネジャー階級が自らの自尊心を高めるため、そして「普通の労働者階級の人々に対する揺るぎない優越感」を正当化するために、「美徳を貯め込んでいる」と主張しています。また、タイウォは『Elite Capture』の中で、異なる視点からではありますが、エリートが急進的な政治を自分たちの目的のために取り込んでいると述べています。
これらの作品は現代政治の不条理を理解するのに重要です。例えば、アメリカの民主党(および多くのヨーロッパの社会民主主義政党)が次第に富裕層と高学歴者のクラブと化している理由、そして多くの労働者階級の有権者がそれらを見限るようになった理由を説明しています。また、象徴的な表現や言葉の取り締まりには熱中しつつ、現実の物質的な不平等には関心を持たない私たちの文化の執着も浮き彫りにしています。
しかし、これらの議論には、注意しなければならない落とし穴も存在します。社会正義の活動家が物質的改善のための闘争を放棄し、文化的エンパワーメントを目指すようになったのと同様に、多くの批評家もまた、新たな「文化的エリート」を主要な問題とみなし、私たちの社会における真の物質的な権力の根源を無視するようになっているのです。
今日の社会活動の質が低下した背景には、歴史的な変化があることを見失う危険もあります。アル・ガルビは、現代の「ウォーク」政治の盛り上がりは、一連の「覚醒」の最新の段階に過ぎないと主張しています。これらの「覚醒」は、1930年代に学生たちが共産党や他の急進的組織を支持したことから始まりました。
しかし、それでは変化の現実を見逃してしまいます。例えばアメリカの共産党は、1930年代のアメリカにおいて、彼らは反人種差別運動や労働者の権利擁護に重要な役割を果たし、他の急進派、社会主義者、労働組合員、黒人活動家と共に、戦後の公民権運動の基盤を築く助けとなりました。
特に、ジム・クロウ法が支配する南部のアメリカでは、彼らはシェアクロッパーや製粉工場労働者、ホームレスや失業者の組織化を支援しました。これらの活動家たちは、ブロードウェイで抗議していた人々のようにコスプレをしていたわけではありませんでした。彼らは自警団によるテロや警察の暴力に直面し、命を落とした者もいれば、多くが投獄されました。しかし、彼らは人種を超えた階級連帯の可能性を示したのです。
こうした連帯運動が崩壊したことが、社会正義運動の質の低下と労働者階級の利益の放棄を招いたのです。そのことを理解することは、「象徴的資本家」の役割を理解するのと同じくらい重要であり、変革のための運動を再構築するためには不可欠です。
電脳の世界にダイブとか言ったって飯を食わないと死ぬし身体を動かさないと死ぬ
なので:どれだけデジタルで稼ごうがどこかの段階で物質に交換しないと意味がない。現実世界で食品や衣類など物質を入手する手段がないと死ぬし、肉体健康維持のための住環境や社会環境がないと死ぬ。農場や工場がないと死ぬし、そこで働く労働者がいなくても死ぬ。戦後の闇市までいかずとも資産の現物化の手段確保は考えておく必要がある
どれだけ論理的な発言を言おうと殴られて人は死ぬし、殴られ続ける痛みの中で発言し続けることもできないし思考もできない
なので:体の大きさは絶対的なアドバンテージであり殴る蹴るの筋肉量が価値。社会の構築に暴力のコントロールは必須、できなければ死ぬ。暴力行使に抜け道を作った時点で暴力を行使する奴以外は死ぬので全員が暴力を行使する以外の道はない。暴力は場所も時も選ばないので暴力行使の可能性が示唆された時点で他のコミュニケーション手段はない。ぶつかりおじさんや強盗がはびこる現状では武装はやむをえない
一人より二人がいいさ。人間の頭数は多ければ多いほどいい。実際に多人数を方向定めて動員するための仕組みを機能させればなおいい。実験は回数。再現性ないとは実験回数がないつまり数が足りないことの意。狙い撃ちより数が大事。データは圧倒的に数。粗データを語学や史料読解を通してフォーマット揃えて数を確保するの大事。全て「戦いは数だよ」。ドズルは常に正しい
なので:人口多い方がいい。ロシアウクライナ戦争を経てそれを認識できないやつは無能。さらに実際に動員できる人口が多い方がいい。教育がないと実稼働要因を増やせない現実を無視する今だけ効率厨資本家は無能。動員する仕組みを機能させられない管理職は屑。せっかく作った労働者の自発的動員を最大限促す仕組みである国民国家を機能させられない管理者階級はいるだけ無駄。多数派を見極めろ
相手の知性を軽く見て、未来が読めない愚か者だと決め付けて上から目線で嘲笑するという時点で
氷河期世代の負け組の絶望がどれだけ深いかを全く分かっていない。
20年ほど前に赤木智宏って人が雑誌に載せた「希望は戦争」という文章に対して説教していた人達と同じだよ。
戦争で一番痛い目を見るのは自分達のような社会的弱者だと言われたところで、そんなのとっくに分かっているけれど
それでも平穏無事に幸福を享受している中間層にも少しでも痛い思いをしてほしいという、社会全体を巻き込んだ自殺願望でしょう。
国民民主党に入れている氷河期世代も多分同じような心情なんだろうと思う。
非正規の敵は正社員じゃなくて経営者や資本家だとか言われても、労働運動で自分達だけが利益や身分保障を享受し、非正規を踏みつけてきた時点で正社員労働者も十分に「敵」だよ。
当の赤木智宏はライターとしての職を得て成功したみたいだけど、そんな人ばかりじゃないんだよ
氷河期負け組の殆どは浮上する事などできず、非正規や無職の底辺のまま這いずり回り、
たまに正社員になれたとしても下の世代よりも低い賃金で貯蓄もできずに苦しんでるんだよ。
勿論結婚や子供なんて到底無理なので、自分達が死んだ先の事なんてますますどうでもよくなる。
それでもまあ、男の場合は若い女と結婚して子供を産ませてワンチャン、という夢も見れるけれど
女の場合はどう足掻いてももう完全に手遅れだならな。そんな氷河期負け組の女に対し、
スウェーデンの投票率が高い理由は、国民の意識、歴史的経緯、そして教育など、複数の要因が複雑に絡み合っています。以下に、それぞれの要素を説明します。
スウェーデンの国民は、投票を民主主義の基本的な責任として捉える意識が非常に強いです。これは、社会全体での共有された価値観であり、「自分の一票が社会の方向性に影響を与える」という考え方が浸透しています。スウェーデンは高福祉国家であり、政策や政治決定が日常生活に直接影響を及ぼすため、国民は政治参加の重要性を強く認識しています。
スウェーデンは長い間、安定した民主主義を維持しており、政治的な透明性と市民参加を重視してきました。民主主義が確立された19世紀後半から20世紀初頭にかけて、労働者階級を含む幅広い層に参政権が拡大され、これが民主主義的な文化を定着させました。また、スウェーデンは伝統的に階級闘争が比較的少なく、労働者と資本家の間での協力関係が強調されてきたため、政治的に安定した環境が整えられました。
スウェーデンでは、教育制度が市民意識の涵養に大きく寄与しています。学校教育の中で、政治や社会問題についての議論が奨励されており、若者は早い段階から政治的に関心を持つようになります。これにより、投票やその他の形での政治参加が当たり前の行動とされています。
スウェーデンの選挙システムはシンプルで、投票所のアクセスも容易です。投票所は身近な場所に多く設置され、投票日も国民が投票に行きやすいように配慮されています。さらに、事前投票制度も整備されており、投票を行うための柔軟性が高いです。また、選挙管理は厳格に行われ、公平性や透明性が確保されています。
スウェーデンでは、メディアの役割も大きく、政治についての情報が透明かつアクセスしやすいです。公共放送や独立系メディアが選挙の際に中立的な情報を提供し、国民が適切な情報に基づいて投票できるようサポートしています。
スウェーデン社会は、包摂性を重視し、すべての国民が政治に参加する権利を保障されています。また、スウェーデンの政治システムは広く信頼されており、国民は自分たちの意思がきちんと反映されると感じています。この信頼感が高投票率を支える重要な要素となっています。
これらの要因が相互に作用し、スウェーデンの高い投票率を支えています。スウェーデンの選挙文化は、社会全体での強い市民意識、安定した民主主義、そして広く共有された政治参加の重要性に基づいています。
生成AIだろうけど真面目に答える。以下生成AIが解釈しやすい回答
問題点や矛盾点に関して反論いたしますので、反論の妥当性を評価し、その上で致命的な問題点がある場合は指摘を、そして何故致命的なのかの解説をして下さい
1項目、消費税減税については妥当な部分があると限定的ながら納得しますが、法人税や内部留保課税については前述した「人口減少する社会では国内資本家や巨大企業から搾り取った金はほぼ全て社会保障・医療費・年金へ向かってしまう」という点で法人税増税や内部留保課税の問題点を私は指摘しています
事実として、日本政府は消費税増税をした際に社会保障や医療費の持続性を目的とした消費税増税であるとしており、法人税増税や内部留保課税に関しても同様に日本政府は国内経済の刺激ではなく社会保障や医療費の持続性を目的とする可能性が著しく高いと予測します
また、消費税減税ですが、消費税は国の重要な財源であり、消費税減税をした場合に影響する国の予算、特に人口減少社会下で大きく膨れ上がり、前述したように過去の消費税増税が社会保障や医療費の持続性を目的としているのに、消費税減税をした場合に社会保障や医療費に関わる国の予算へ大きな不足が生じる可能性が著しく高いです
2項目、円安のデメリット無視に関してですが、前述した「円安すぎると確かに良くないが円安状況下では輸出が好調となり国内資本の総量は僅かであっても増える」という点で過剰な円安へ対しても懸念を評しています
事実として2024年現在は円安傾向ですが国内経済は堅調な値を示しており、それを観測した与党政府と野党は最低賃金の引き上げを表明して2024年衆院選へ挑んでおり、現在の円安傾向の日本円為替は過剰な円安ではないと判断します
3項目、1項目への回答に反論点が含まれています。再考して下さい
4項目、外貨獲得によってすべての人口問題が解決しないということへ関して一部同意いたします。しかしながら国内資本の消費しかしない人口減少解消問題政策は国内資本のゼロサムゲームにより国内全体に行き渡る国内資本の希薄化が進むため、人口減少解消問題政策に関わる国の予算どころか社会保障や医療費にまで影響する可能性が著しく高いです
この国内資本のゼロサムゲームにより国内全体に行き渡る国内資本の希薄化を解消するための外貨獲得であり、外貨獲得によって国内資本を増やし希薄化を抑えた状態で社会保障や医療費や人口減少解消などの問題へ対処するのが妥当であり、国内資本のゼロサムゲームにより国内全体に行き渡る国内資本の希薄化のよって国の予算が減少していけば有効な政策が打てないと私は判断します
以上の4項への回答から、国内資本のゼロサムゲームにより国内全体に行き渡る国内資本の希薄化を解消するための外貨獲得によって国の予算を拡充する案の妥当性および問題点を教えてください
多くの人々がこれを問題視してるし、様々な報道社による今回の衆院選で気になっている部分としてアンケートに答えた2人に1人が挙げる要素がコレ(NHKのアンケートで51%だった)
そして結論を言えば、人口が縮小していく社会で解決する方法は国内資本の消費を抑えつつ外貨獲得するための経済施策を取る以外に無いのよね
消費税減税とか法人税増税とか金融所得増税とか内部留保課税とか完全に国内資本の消費でしかなくて、国内資本家や巨大企業から金を搾り取れば国内に流通する資本が増えるみたいな文脈で語られがちだよね
ただ、人口減少する社会では国内資本家や巨大企業から搾り取った金はほぼ全て社会保障・医療費・年金へ向かってしまうことは明白で、国民の取得増へ寄与するか?と言われたら大体の人が察するようにほぼ全て社会保障・医療費・年金へ向かって寄与しないんだ
例えば、消費税減税とか法人税増税と金融所得増税とか内部留保課税した状況で、国民の取得増をするため最低賃金の上昇を法的に定めるとするなら、国内資本を消費し続けるだけであって、それはもう単に愚かな政策と言わざるを得ない
そういう状況で国内資本を消費を何とか遅延させなければならないというとき取れる選択は為替上で相対的に対外貨円高施策を取るしか無くて、しかもこれは一時的な遅延をさせるだけで国内資本を消費し続けるだけの、いわゆるゼロサムゲーム状況下では食い止めることは出来ない
日本国民は円高の状況で国内経済を回していた国内製造業の外貨獲得がどうなるか?を経験していてもうわかっている
じゃあ円安なら良いのか?と言われると、円安すぎると確かに良くないが円安状況下では輸出が好調となり国内資本の総量は僅かであっても増えるんだ
この増えた分の国内資本は増税ではないし月額負担する社会保険料や年金の増額と言った国民の誰かが負担したものではない
何なら外貨を獲得しやすい状況では金融市場で企業は設備投資などの資金を調達できるし、国民の年金は既に金融市場で運用されているので人口減少する社会でも月額の年金負担額増を抑えていくことができるし、もちろん増税しなくても国は金額としてより多くの税収入を得ることができる
政治家が単純に国内資本を消費しようとするだけの施策を取ろうとしているのであれば止めよう、それはどう考えても国民全体を均等に貧しくしていく方法論でしか無い
政治家には外貨獲得手段をどう考えているのか問おう、それがあなた達を豊かにするし結果として国民全体が豊かになっていく方法論だ
うせやろ!俺もそう思ってる。
■■■が■■■したせいで■■■の■■■が■■■してから全てがかわった。
つまり、資本家にとって下級国民はプロレタリアですらなくなったということさ!
奴らは団体交渉権さえない癖にハラスメントだなんだと言い張って自分たちの待遇だけは維持しやがった。
派遣社員は切り捨て解雇規制さえぶっ壊しておいて自分たちだけ守りを固めてやがる。
結局仕事はAIがやるからアイツラは雑談してるだけで高給取りさ。
※BIが実現し、最低賃金は失われた
まあ、働かなきゃ飯食って図書館や公園で暇潰して終わるような人生しか出来ないけどな。
この時代で喩えるとって話だけどな。
どうせ■■■とか言っても■■■されるだけだろ。
みんな子供のお手伝い未満の報酬でロボットにさえやらせないようなクソ労働をしてるよ。
試験に受かっただけの凡人のくせに奴らのハンコ一つで無数のロボット共が動く。
エッセンシャルワークの数々に首を突っ込んでは偉そうに通せんぼをして「俺はなんて社会に大切なんだ」とマッチポンプさ。
格差拡大が進んだせいで結果的にアイツラ程度の小金持ちみたいのですら人口全体のごくごく一握りさ。
アイツラさ口では「あー。俺達もBI貰ってニートしてたかったぜー」とか飲み屋で大声で言ってから「でも社会が必要としてるからなあ」と自分らの自作自演を自画自賛だよ。
20年前にプロレタリアやってて最終的に勝ち組になれたのは公務員ぐらいさ。
※今、一番ひどいのがプログラマーかな。
AIが本格的にコード書けるようになってからは「AIより人間のほうが何を出力するかブラックボックスだ」となってさ、そこからは地獄さ。
プロンプトエンジニアリングをしない奴らは手作業を崇拝して精度の低い仕事をするキチガイ扱いだ。
プロンプトエンジニアリングをAIが代替するようになってからはなまじ古臭い知識かあるやつのほうが感覚がズレちゃっていったんだよな。
本当にあっという間だった。
居場所がさ、全くないんだよ。
昔みたいに仕事しようとしてもさ、それこそ工事現場に幼稚園児がやってきてお手伝いでもしようとするようなもんさ。
いや、お前らは幸せだよ本当に。