はてなキーワード: クルーガーとは
最近のエンジニャーはコードを書く量が減ってきている代わりにコーディング以外に求められるものが…、
20代、30代で、人生見切った!みたいなのとか、人として技術者として大切なこと、みたいなのでも、
アラフォーになってもよく分からんものだし、多分、死ぬまでこの世界の真理みたいなのは分からんのだよ
どこかのカ○トみたいに軽々しく真理とか言うなよと
というか、今の自民党政権って大臣とかで世界各国でカ○ト認定されてる組織と関係ある人何人かいるんだけどええんか?
というか、○イリスの人事が29歳というのは、賢さではなくて体力ではないだろうかと思ったり
営業は飛び込みだの成績のみで評価だのあるから体力だと思うけど、人事や事務職で体力を評価する企業というのはやっぱり微妙な気がする
ドラゴン桜の転職版のエンゼルバンクでも化ける人材の話があったけど、30前後ぐらいで社内で化けた人材を観察してきた経験があるかとか疑問
技術は若い方が逆に飛び抜けた才能があるかもしれないけど、人事は長年の観察や経験がプロフェッショナルとして評価されるべきだと思う
でも、近年は若い段階で、俺は人生を見切った!みたいなことを喋り出す奴が多いので、そういうものなのかもしれないけど…
まず、コンピュータゲームがほとんど巷に存在しない時代にPongが登場すれば、そりゃみんなゲームにワクワクしたはず
アメリカにアーケードゲーム筐体だってそのものがない時代なんだから
だからスティーブ・ウォズニアックだってApple IだのIIだのでPongの実装はやっていたはず
それもスティーブ・ジョブズは売りにしてたはずだ
Pongが動作すると、次はブロック崩し(Breakout)が作れる
プログラミングのコツの一つは他人のプログラムを改変することだ
Pongが動くなら、そこからドットやドットの塊をVRAMに描画することは可能だと気付くだろう
でも、単なる壁打ちや対戦ゲームだったPongのゲーム性を大きく変えることになる
日本のゲーム企業タイトーは、このブロック崩しをインベーダーゲームに「再々」発明した
これも実現可能であることは誰でも分かるが、ゲーム性を大きく変えることはある種の発明だと思う
ちなみに、孫正義はタイムマシン商法が得意で、このインベーダーゲームをアメリカに輸出し大儲けした
相変わらず、左から右、右から左に他人のものを移動して儲けるのが上手い(いや、本心から褒めてるんですよ
インベーダーゲームでは、ブロックは上から段々と降りてくることになる
また、ブロックが左右に動く、UFOは高速に動く、手前のバリケードがありドット単位で破壊される
プログラミングのコツの一つである、他人のコードを改造する、は本当に素晴らしい再発明を起こしてくれる
Pong → ブロック崩し → インベーダーゲーム → ギャラクシアン → ゼビウス → グラディウス → 斑鳩だの東方だの弾幕避けだの何だの
に繋がっていくわけだが、
この矢印での「パラダイムシフト」の段差が高いほど、ゲームに対するワクワク感が増すと自分は考える
つまり、ギャラクシアンのようなグラフィックからゼビウスが登場したときは、
安っぽい言葉で形容するなら一大センセーションというかエポックメイキングという感じだったわけだ
しかし、今の時代、2Dシューターにそんなにワクワクはあるだろうか?
というか、マニアでない奴が口を挟むな、と言うぐらいタコツボ化しているように思うのだが、
寧ろ、様式美とかお約束が守られてることがプレイヤーの安堵感につながる
2Dシューターができれば3Dシューターが作れるのも自明である
ただ、マシンのグラフィクスの能力が低かった時代にはリアルタイムでの3次元CGの実現が難しく、
アメリカではベクタースキャン、つまりオシロスコープやブラウン管テレビの走査線方式が主流だった時期もあったが、
アメリカではワイヤーフレームの3Dゲームが実現していた時代、日本はファミコンに向かっていた
自分にはハードウェアによるスプライトに固執し、束縛され過ぎているかのように今からすると思える
一方、ファミコンのスプライトの数はMSXと比べると段違いであったが、
ファミコンは2Dスプライトベースのゲームだけを前提としていた
つまり、ファミコンでブレゼンハムのアルゴリズムによる直線を引くとか困難だったのではないだろうか
自分はファミコンの開発はよく知らないのだが、ファミコン版のテグザーは酷すぎると思った
MSXの方がファミコンよりもトータルのグラフィック性能が劣るにも関わらず、
こうやってだらだら書き連ねてみると、
つくづくワクワクするのは何だってアーリーアダプターの段階であって、
そのあと結婚だって何だって倦怠期?ワクワクが減少する時期がやってくるのである
何もない状況にパラダイムシフトを起こす何かがやってくるとワクワクするのであるならば、
乳児はこの世界の何もかもにものすごくワクワクしていると思われる
乳児でなくなると、この世界の変化しないものは常識として脳に定着して、つまらないものにさえなる
でも、若ければまだまだ体験していないことはあるわけだ
若ければギャラクシアン → ゼビウスがどれだけスゴかったかなんて知らんし、俺も知らんw
でも、ギャラクシアンより先にゼビウス見た世代だけど、凄いなあとは思ったんだよな
だって、自分の場合はギャラクシアンを飛び越えてゼビウスだったんだから
逆にギャラクシアンの方を後から知って、古臭いゲームだなー、レトロだなーと思ったんだから
(ただ、ギャラクシアンの曲線的な軌道はゼビウスなんかより凄い発明に思うんだが。整数演算なんだよね?
ただ、レトロレトロとバカにする人はプログラマーでないとかなんだろうけど、
ゼロからコード書くって、何もないところから作ることを考えさせられるわけで、
それはゲームのプログラムを書くならば、ゲームの基本のPongから考えさせられることになる
例えば、ゲームプログラムを書くときSDLとかSFMLみたいなライブラリは使うかもしれないけど、
自分も何か新しいゲーム開発のライブラリとかフレームワークとか検証するときは、
から始めて、次に倉庫番、簡単なブロック崩し、テトリスを実装するとかやることにしている
そこで開発の大まかな進行とかフレームレートとか、色々分かってくるわけだ
ジョン・カーマックがどこで語ってたのか忘れたけど、最近のFPSは完全にMOD開発になっていて、
そのMOD開発の費用はどんどん膨らんでいっていると言ってた気がする
つまり、レベルエディットとかキャラクターだアイテムだとか、そういうコンテンツの緻密な開発だけが進んでいる気がする
GTAみたいなゲームもFPSとかで培った技術の集大成にすぎない
可視領域をどう区切るか?遠くの建物にLODを使うか?インポスターを使うか?とかそういったゲームエンジンの話は、
マシンパワーの向上やUnityなどのゲームエンジンの登場であまり議論する意味がなくなってきている感がある
もっとも、Unityなり導入すれば簡単に作れるという話ではないと思う
思うが、もうゼロからチマチマCのベクトル計算のコードを書く時代ではなくなっているのは確かだろう
カーマックはその高騰するMOD開発をマインクラフトは意図的に安価にしたと言ってた気がする
つまり、マインクラフトであれば子供でもゲームを改造する体験ができるようになる
それはマインクラフトの開発者であるnotchがそういうゲーム開発に対する思想を持っていたからだ
私はnotchはシンプルなものを積み上げるのが好きなように思っている
ただ、jsdo.itだかに投稿していたソフトウェアレンダリングのコードは北欧のメガデモっぽさがあって、
読もう読もうと思って未だに読んでいないことを今思い出した
文章書き直す気がないまま、だらだら書いてみたが、読み返して自己分析するに、
まず、ゲーム開発でなくてもそうだが、
まず何かがあって、それをコピー改造した何かが生まれる、この連続で物事は進化していく
手塚治虫があって、それを高橋留美子がコピー改造して新しい漫画が生まれ、
次に若い漫画は高橋留美子の漫画をコピー改造して、また新しいものが生まれていく
開発する側も消費者もワクワクするのは、この改造して新しい何かが生まれる、守破離の離のインパクトであろう
黎明期はその離のインパクトが大きいが、どんどんそのインパクトは小さくなっていく
そして、ありふれたものが溢れるようになっていく
これが成熟期と言える
しかし、その成熟期に溢れるものは様式美であり、お約束であり、マンネリズムである
あの時代は3DOが先行したがコケたり、ドリキャスも登場してコケたり、面白い時代だったのである
ただ、今の時代にああいう群雄割拠というか、戦国時代というか、そういう活気がゲーム業界にあるようには思えない
VR元年って毎年言ってない?というツッコミは分からんでもないが、まだまだVRは伸びると思う
物体を触れないなんてのはまだまだVR市場が伸びる余地があるということだと思っている
あと、FPSみたいに走るゲームだと自分も走るのか?ということになるけど、うーん、ルームランナー方式はなあ…
あと、これも自分は専門でも何でもないので、
というか、この文章自体がダニング=クルーガーなのは認めざるを得ないわけだけど、
敵というかNPCというか、今の時代だったら高度な汎用性のある人工知能をゲームでも実現するべきだと思うわけで、
そうすれば当然、同じセリフを延々と喋るドラクエの村人みたいなのは笑い話にしかならなくなる
ゲーム内に高度な人工知能が実現すれば、それらと会話したり、それらとマルチプレイと同様の感覚の連携プレイが可能になる
今までと同じことを繰り返しててもワクワクしないし、
まず、幸福とはなんぞや?
という話から始めることになるわけだが
これはこれで正解がない問題に思える
ブコメには当然、
みたいな文字列が並ぶし、まあ、自分も大喜利としてそう書きたくなる気持ちは山々なのだけど、
でも、俺はこういう科学的な探求はすごくいいと思うんだよなあ
幸福=〜です!
そこからスピリチュアルな話を展開するとか、微妙な論文を持ってきて、さも科学的な話に見せかける
ライフハック!って感じであるw(これもゴミみたいな用語になってしまったよなあ
でも、日立の幸福度の研究はそういうものではないように思っている
例えば、社内で人の移動する量が多いほど幸福感が高まるのではないか、という仮説が出てくる
ここで短絡にこれを結論にしてはならない
移動するほど幸福なら、キャノンの座らせない工場とか滅茶苦茶社員は幸福ということになる
個人的に考えても、そうなるようには思えない
ただ、社員が社内を移動した量、というパラメータは当たり前だが計測しなければ見えない数字だ
(計測するためには会社のセキュリティーカードのデータ、Bluetoothのビーコンを持たせて位置推定をするのもありだと思う)
計測しないで、地頭だのコミュニケーション能力だの言い始め、こうすべき、という結論を持ってくる
疑似相関だろうが因果関係が不明だろうが、まず仮説にはたどり着かなければならない
幸福とはなんぞや?という正解があるんだかないんだか分からんテーマに、
日立のこの研究はまったく間違ってない、科学的考察として非常に正しい展開だ
データも取らんで、なんとなくこうなんじゃないの?で語るのが寧ろダニング=クルーガー的だろう
ただ、データから短絡に疑似相関を正解にしたりするなら、本当にディストピアであって、
ブコメに書かれているような皮肉の対象としては適切なんだと思う
自分もブコメに自信を持ってそう書くだろう(https://www.youtube.com/watch?v=bK95lWHl7js
そういえば、部下を上司の相性で決めていい、みたいな話が増田に前にあった気もするが、
自分なりに科学的に考えるなら、そんなもん、何の実験も検証もしてないのに分からん、としか言いようがない
これも、相性とはなんぞや?という話になってぼやけてしまうが、
自分なりに考えるなら、とりあえず相性はなんとなくでもいい、10点満点中何点というアンケートでもいい
いや、本当は良くないが、相性と会社の業務遂行能力が比例するのかの問題を優先したいので、敢えてそうするわけだ
会社の多くの中間管理職に協力してもらい、相性の数値データを取る
そういう蓄積をせめて数年やってから、上司は部下を相性でセレクトしていい、というならまだ理解できる
それから人同士の関係というならグラフ理論にも持っていきやすいのではないだろうか
Googleなどの検索エンジンのページランクみたいなものである
有向無向グラフ、隠れマルコフなど色々な数学的要素が頭に浮かびやすい
という繰り返しもないのに、
寧ろ、そういう努力を怠って、科学的な話もヒューマンな話も安易に結論を語るなよwなんか最近の世の中病んでるよなあ…
痩せないとなあ
まあ人生(の勝ち組や負け組)や地頭をダニング=クルーガーで語るべきではないは言い過ぎなのかなあ
人生勝ち組だろうが負け組だろうが、運を実力と勘違いしてる輩はダニング=クルーガーみたいなものなのかもしれないけど
でも地頭でググって曖昧な定義の次に東洋経済wが出てくる時点で、あー、痛い人の使う単語としか思えない
オカルトっぽいというか
地頭の定義も「学校では習わない論理的思考とコミュニケーション能力」って、もっと定義が曖昧になっていくw
(というか、学歴コンプレックスにも似た、こういう学問をバカにして悦に入る人がビジネスの世界は多いの何なの?
多分、社会的な成功と学歴とか学術的頭の良さは関係ないから、そう思いがちなのだと推測はするけど
そりゃ、関係ないわなwと自分でも思うわけだが、それを攻撃的な話に持ち込むのが解せない
勉強なんてするより地頭とコミュニケーション能力、というのは要は、上司や老人を敬えとか大衆に迎合しろとかの言い換えに過ぎないし、
まあ、大衆に迎合しろとか、上司や老人は敬えとか、世渡り上手になれというのは理解はできる
だったら、そう言えばいい
まわりくどいんだよ
というか、まわりくどく言わないとならない後ろめたさがあるんだろ?)
論理的思考は知能検査でも繰り返せばいいのかもしれんが、コミュニケーション能力はどう探求すればいいんだ?
「おまえのコミュニケーション能力の探求や理解は浅はかだな。ダニング=クルーガー現象に陥ってないか?」
とか語るべきものなのか?
正解がないものに、さも正解があるかのように語るとか、
何か変なことが多すぎる
正解はないのだけど、探求し続ける、という姿勢ならまあ正しい
本当に、地頭だのコミュニケーション能力というものを探求し続けるという人がいるならそれはそれで素晴らしいんでないの?
俺はまったく興味ないけど
地頭だのコミュニケーション能力だの語りだす輩とイケハヤの親和性は高くて、
イケハヤ@仮想通貨大好き on Twitter: "「科学的とはどういうことか」を考えさせられますね~。ぼくは「外から流れてくる数字や言説を信じず、まずは自分の体で試して、確認すること」が科学的だと思うかな。そこから探求が始まるわけですから。自分のことばで語れるようになります。"
科学的である、というのは疑い続けることだし、そのためには仮説を立てて検証する、を永遠に繰り返すことだと自分は考えている
つまり、科学的であるというのは「永遠の知的好奇心による探求の旅」である
地頭だのコミュニケーション能力だの人間力だの老人力だの、いい加減にしろ
まあ、内心思うだけで言わんけどな
意味が曖昧な言葉を作って、何かを語った気になるって、江戸しぐさと似てるよなあ
ウソでも悪いことは言ってないからいいだろ、って、そりゃ駄目だろ
言葉遊びで、俺うまいこと言うなあ、うん、みたいなノリで聴衆を納得させるみたいなのってどこから来たんだろう
元々は富裕層向けのサロンだったわけだし、あれ登壇するために発表する側が大金払ってたりするわけで、
TEDは英語の勉強になるし、比較的まともな人はいい話することもあるけど、
時代はまったく違うんだけど、大衆が求めてるものとしての結論がそこに向かってる気がする
はー、ほんと不愉快だ
人間力、老人力とかと同じで、ビジネス誌などで定義が曖昧な言葉で話を誤魔化そうとするオッサンが使いがちなのが嫌い
次に地頭という定義が、社会的価値観において最適な振る舞いを取れるかどうか、ということであるならば、
そんなもんに正解はない
そういう話にダニング=クルーガー云々を当てはめるのはまったく適切ではないと考える
それは、俺は人生の真理や法則を見極めた、みたいなものであって、
まあ、そういうことを言う人がダニング=クルーガーに陥っているとも言えなくもないが、
photoshopで作ったpsdのwebデザインを渡されて、フロントエンド担当がHTML/CSSコーディングしてるんだけどどうなのこれ?
そういう職場もある
客に見せるデザインカンプの方が先に必要なことも多々あるのでは
最近はFigmaのようなWebページやモバイルアプリなどのUIデザインのツールが多くある
それをそのPhotoshopのようなデザインカンプ作成に使うのはありだと思う
というか、こっちの方がデータがXMLやJSON形式だったりするので、デザインからそのままコードに落とし込みやすい
Figmaでネイティブのデスクトップアプリさえデザインして一発で落とし込む試みをGitHubで開発している人もいる
上述したとおり、デザインカンプのことですね
いきなりHTML/CSSを書くと、後から抜本的な調整が不可能になる
プログラミングも同じで、かなり書いてから、やっぱあれナシだから、みたいなのは嫌なので
それをなんか知らないけど、普段使わねーphotoshop開いてルーラー出して、
自分も馬鹿げていると思うこともあるが、そもそも社内研修やスクールでそう教えてるところもある
自分もそう教えられたときがあって、その場では嫌々ながら教えられたやり方で課題をこなしたりしてた
ここで逆らっても意味ないなあ、と思ったので
客なり講師なりを全否定するなら、そこに自分がいる意味がなくなっちゃうよなあ、とも思ったので
正直、そういう場合はちょっと揉めることが多いのだけど、仕方がないですね
仕様等の客の話を聞きながら勝手に自分の中で、あのライブラリやあのフレームワーク使えば楽勝だろう、と思っていると、
後々になってその前提としていたライブラリやフレームワークでは実現が難しい仕様を喋りだしたりすることもある
今の会社含めて2社しか経験してないので、一般的かどうかは判断できないが、前職ではHTML/CSSまでデザイナーの人が書いてたぞ
そういう職場もある
Zeplinは知らないけど、ツールにクソコードを吐かれるのはよくあるので、そこは相談するしかないのかなあ
相談するだけ無駄なケースも多いので、転職するとか、仕事自体を蹴ってしまうことも考えるべきかも
現に生きてけないで🍣
本来はこうでしょ?
(中略)
今になって思い返しても、自分のやり方の方が正しかったんじゃん、やっぱアホだろあれは、
と思うこともあるけど、世の中そんなもんなのでなんとも言い難い
決定権が自分にないと当然無理だし、フリーランスで決定権が持てても今度は仕事が小さくなるし
それは偏見
例えば、音声のスペクトル、声門とかを画像編集ソフトでプレビュー、加工することもなくはない
もっとも、それ専用のアプリ使った方がいいのは言うまでもないが
自分は普段はPhotoshopを使ってないけど、PSはJavaScriptなどでプラグインが書けるはずだし、
といっても、何でもPhotoshop同様、何でもExcelの世界で、Excelで仕様書とかあんたバカァ?とは思う
(中略)
これもやんわり、なんとかなりませんか?みたいに言うぐらいしかできない気がする
でも、意見するだけで攻撃的になる人もいるので、転職案件なのかもなあ
そもそも何でもかんでもwebページをポスターみたいに着飾るんじゃねーよ
ランディングページならともかく、よく使うwebアプリを着飾るんじゃねーよ、開発もしにくい、使いにくいしでまったく良いこと無い
それは客が要求するのもあるんで
大抵Craigslist, Hacker News くらいのデザインで十分なんだよ
フロントエンドエンジニアみたいな肩書でドヤってる人を見るとウンザリする
いっそJavaScriptなくした方がいいんじゃないかとさえ思うときがある
Webブラウザのタブごとに動作しているわけで、ブラウザが重くなる原因の1つだと思うし、
ブラウザ上でしか動作しないJavaScript書いて人生を消費したくない
でも、本当に?
「お前がつまらない人間になっただけ」という返しがお約束ではあるのだけど、ダニング=クルーガーって誰でも起こりうる現象であって、
例えば、何かを学び始めた最初は驚きの連続だったりするので、理解できるたびに「俺は悟った!」みたいに思いがち。
そのあと倦怠期とでもいうか、理解したことが増えるにつれ驚きが減少して退屈になる。
仕事とかでもそう。
最初は知らないことを知ると、クソ仕事でも知らない世界を知ると楽しいこともあるんだけど、
覚えていくと本質は単なるクソなので、それしかフォーカスされなくなっていく。
ただ、倦怠期であっても進み続ければ、またグラフは上昇していき、今度は緩やかに面白くなっていくこともありうるのだから、
つまらないと思うようになったら、無理せず、だらだら続ける。
絵師・字書き・音楽制作者など全てにおいて、ネットで活躍する趣味クリエイターの伸びない奴の特徴を書いておく。
これは男性向け女性向け、全年齢エログロ、百合豚腐女子、老若男女あらゆる属性において同じだ。
「SNSなんだから好きな事呟くべき」という大義名分において、悪口・愚痴・政治的発言に至るまで好き放題喋るヤツ。
好きな事呟くという自由を盛大に掲げつつも、その結果敵を作ったり幻滅されたりすることが伴う事を知らない。
「SNSで好き勝手呟く」と「大衆にウケる」は基本的に両立しない。好き勝手呟いてるように見えるあの人だって色々考えているのだ。
大丈夫だ安心しろ、これを言ってる人間はだいたいクオリティが良くない。良かったことがない。
「自分的には上手く出来た」と「人から見て上手いと思われる作品」は別物なのだ。ちゃんと勉強しよ。
「それお前しか楽しくないやつじゃね?」という作品ばかり創る人。
いや、創るのは構わない。むしろ自分の需要にこそ最も強くお応えするべきで、この世にないものこそ創るべきかもしれない。
でもそれと「伸びる」を両立させるのは極めて難しい。何故なら「伸びる」とは、大勢に需要がある事だからである。
簡単に言えば広報の失敗。タイトル・サムネイル・SNS運用・導線整備などで盛大に失敗している。
イラストはクオリティが良ければ直観的に伸びる為、一旦別のページにアクセスしてもらう必要がある漫画・音楽・動画に多い。
細部や機材に手間をかけてるのに、知識と技術はあるのに、なんで伸びないんだ……とダークサイドに堕ちがち。
セルフプロデュースって知ってる?
母は承認欲求が満たされないまま老けていった。
母は本当に何もできない人だった。頭が悪いし、専業主婦なのに家事は出来ないし、不器用なので大抵の事は人よりも下手。性格も良いとは言えない。
故に家族を含めた周囲からの評価も、あまり良いものではなかった。
それでもレイク・ウォビゴン効果とダニング=クルーガー効果の典型例である彼女は、自分が何故か優れていると信じて疑わない。
もしくは分かっていて目を背けているか。
「自分はすごい人間だ」「しかし誰も褒めてくれない」が発生したとき、人はおかしくなってしまう。
自分は狂気の始まりに気が付いて、なるたけ母を褒めるようにしてみた。今日の服が似合ってるとか、珍しく家事をした日には称えたり。
しかし母はそれでは全く満足しなかったようで、自分の褒め言葉を嬉しくなさそうに一蹴して、インターネットというものに目を付けた。
まずいつもネットで見ているブロガーに憧れて、ブログをやり始めたいと言い出したのが昨年だった。
しかしながらどうやらアクセスがほぼ0だったようで、モチベはすぐに消し飛んだ。
次にSNSを始めたいと言い出し、Twitterを始めたが、やはり誰からも相手にされなかったようですぐに終わった。
詳しく聞いたところ、自分が映るのは嫌なので、死ぬほど寝起きが悪い増田弟がなかなか起きずに暴れてる寝起き映像でも撮って大儲けしたいとのこと。
ツッコミどころが多い。まず肖像権の侵害だし、タレントでも何でもない一般人の増田弟が布団でうずくまっている映像、一体誰が面白いんだそれは。
しかも自分は映りたくないのに人は勝手にアップロードするっておまえ、
をオブラートに包んで伝えたところ、なら猫なら流行るだろうから猫を飼おうと言い始めた。
自分の承認欲求のために猫を飼おうとするな。動物愛護団体さんこっちです。
しかも驚くべきことに、自分は愛にあふれていて倫理観もあると思っているらしい。怖すぎる。
最近増田でオタクのお気持ち長文を読んでいると、みんなよくやっていると思う。
めんどくせえなとか思わなくもないけど、少なくとも母の1億倍マシだと思う。
自己研鑽をしているか、しようとしていてしきれていない自分を知り、
オタクたち、辛いことはあるだろうが、時々吐き出しながらどうかたくましく生きて欲しい。
そしてどうか脳が衰えてもこういう老け方をしませんように。と願うばかりだ。
ダニング=クルーガー効果(ダニング=クルーガーこうか、英: Dunning–Kruger effect)とは、能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い評価を行ってしまう優越の錯覚(英語版)を生み出す認知バイアス。この現象は、人間が自分自身の不適格性を認識すること(メタ認知)ができないことによって生じる[1]。
ダニング=クルーガー効果とは、能力や成績が低い人ほど自らのそれに対して過大評価を行い、自信にあふれるという認知バイアスのこと。自身の能力の客観的な認識、メタ認知ができないことによって生じる。一方、能力や成績が高い人ほど自らのレベルを低く評価するようになる。
能力や成績が低い人は自身の能力の客観的な認識ができず、また他人の能力も正しく測ることができない。ただし、自分の能力を自覚し、短所を改め長所を伸ばすといった取り組みを重ねることで、その認知バイアスから逃れることができるとされる。
能力の低い人は、ただ何かをする能力が低いというだけでなく、自分の能力の程度を
把握する能力も低いのです。このため、仕事のできない人ほど自分の仕事に自信を持っているようにみえるという不思議な現象が起きてしまうのです。物事を理解する能力の低さが自己認知も妨げるため、自分の能力が低いという事実にも気づかないのです。また、このような人は努力を怠ってしまうため、仕事でも何でも成長が止まってしまい、自己と周囲との評価にさらなるギャップが生じます。
https://anond.hatelabo.jp/20200408182618
こんなところで書いてないで本人に直接言えばいいのに。
ただし話聞いてるようで右から左に抜けていくようだけど。
その場で丁寧に返答してるからって話が通じてるとは思わない方がいい。
れんほーとかの話をしちゃうのは
そのくらいしか思いつかなかっただけだからあんまりいじってはいけない。
あの人の奇行についてはほぼすべての原因が
・親と同居せずに親の金で一人暮らしをさせてもらえるという圧倒的な経済保障による危機圏の欠如(才能のない太宰治状態)
・社会経験の圧倒的な不足とADHDの悪魔合体により衝動を抑えるなどのSSTの絶望的な不足(もはや手遅れレベル)
・ベンチマークとなる他人がそばにいない(いても目をそらして自分より下ばかり見ようとする)によりもたらされるダニングクルーガー効果
の3点で説明できるから、健常者の常識を当てはめて人格攻撃をするのはやめて差し上げろ。
悪気がなくてもああいう振る舞いをしてしまう悲しい生き物なんだ。
あの人なりに必死に生きてるんだよ。