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2023-01-11

anond:20230107232634

椎名林檎東京っぽいというのがようわからん彼女の描く東京虚構っぽいと思うけどなあ

あのアルバム聞いて浮かぶのはむしろ福岡

相対性理論品川ナンバーはあれ、東京でも離島だよね?

2023-01-09

anond:20230109134833

ポルトガルじゃねーよポーランドだよ! ポルトガルでひとしきり検索しちゃったじゃねーか!!

spotifyだと"muji BGM26"で検索して出てくるアルバム一曲目だな。

関係ねーけどSpotify、相変わらず検索ボックス日本語入力できねーの、なんとかならねーのかと。

2023-01-08

現代ファミリー記録カメラの最適解はスマホ+デジイチ+360°カメラ

スマホのみユーザーにはバカバカしい構成に思えるが・・・

1人のカメラ好きとしてスマホ利便性は物凄く良い。
何なら総合力としてはデジイチ(レンズ交換式ミラーレスデジタル一眼カメラ)や360°カメラは著しく劣ると個人的には評価している。
最近スマホカメラの画質は非常に良くなったと痛感するし、カメラ好きだからと言って常にデジイチを構えているわけではなく、何なら日常的な利用頻度はスマホカメラが最も高い。

ただやはり、カメラ専用機にはカメラ専用機の強みがあるのもまた事実で、この強みを知ってしまうとスマホカメラ日常的な撮影から入学式などの式典、アミューズメント施設での思い出記録までカバーできるなどとは口が裂けても言えない。
スマホはやはり総合力が高いだけであって、カメラ専用機シチュエーションに合わせ特化できる仕様カメラ専用機の強みであると言える。

レンズ交換式ミラーレスデジタル一眼カメラ運用

従来方式レンズ交換式デジタル一眼レフカメラ(一眼レフ)の規模縮小がカメラ業界でも決定的となったことはカメラファン界隈では「ついにこの時が来てしまたか・・・」と様々な想いが巡っている。
後継となるデジイチミラーレスと呼ばれるレンズ交換式ミラーレスデジタル一眼カメラは今後プロシーンであってもどんどん普及していくことだろう。

ファミリー記録カメラレンズの基本は35mm前後〜50mm前後カバーできるズームレンズ

いわゆる標準画角と呼ばれるフルサイズ換算35mm前後〜50mm前後(APS-C換算23mm前後〜33mm前後)をカバーできるレンズを常にデジイチへ装着しておいてシチュエーションに合わせズーム活用して撮っていくのが良い。
可能ならばレンズ内蔵の光学手ブレ補正機能が付いているものが望ましい。

レンズ選択肢保育園幼稚園の年中を境目に変わる

子供が生まれからカメラに目覚める親は少なくないが、これからカメラを購入しようと考えているならば自分の子供が保育園幼稚園の年中(4歳前後)へ至っているかどうかで実は変わる。

これ何故かと言うと行動の活発さ、というかワンパクに遊ぶようになると移動距離と速度が変わるからなのだ
イメージやすいところで言うと、生まれたばかりの新生児ハイハイ程度しかできない乳幼児フラフラと歩くことしかできない離乳食前後幼児カメラで捉えるのは簡単、当たり前ながら物理的にそう動かないので撮りやすい。

しかし年中くらいに達すると知能と同時に運動能力もそこそこ向上しはじめてカメラで追うのがちょっとずつ大変になってくるのだ。
駆け回るし、ジャングルジムみたいなのに登ったりするし、キックバイク自転車へ乗れるようになったりする。

まり自分の子供があまり動かない年齢ならばじっくり撮影できることが多いため、レンズズーム機能必要がなく、それならばお昼寝などの暗いシチュエーションでも明るく撮影できたり、背景が美しくボケるズーム機能の無い単焦点レンズ選択したほうが安上がりなのだ。親が近寄るのでズーム機能使わないからね!
逆に子供が活発に動くようになった年齢ならば様々なシチュエーション対応できるようにズーム機能があったほうが都合良く、ズーム機能が無い単焦点レンズだと困ることが増えてくる。

例えばサードパーティレンズとして定番SIGMA単焦点レンズズームレンズの双方の販売価格確認すると、その両方とも約5万円からライナップしているがF値と称されるどれだけ明るく写せ、そしてボケるか?という数値を見ると同価格帯では単焦点レンズの方が有利だ。
暗いことの多いお昼寝シーンやお誕生日会でケーキに灯るロウソクを吹き消すシーンなどでは明るく写せる単焦点レンズを使いたいだろう。暗かったらそもそも写らななかったりノイズが物凄く乗るわけだし。
カメラのボディ本体が約10万円からライナップされている現状を考慮すると、レンズ1本を追加で約15万円、子供の成長に合わせて利用シーンを考慮レンズ選択することで安上がりにカメラを始められるというのはカメラ購入で失敗したくない入門者として知っておきたい情報だ。

写真動画デジイチで撮る

スマホでも同様のことが出来るものの多くの人が経験しているだろうが暗い場所スマホ動画を撮るとノイズが物凄く乗る。
それは最新のiPhoneだろうがPixelだろうがXperiaGalaxyとか関係がなく、ナイトショット機能が搭載され始めたとは言え今度は物凄くブレるのだ。

この原因はスマホカメラへ搭載されるレンズの明るさとイメージセンサーの面積にあり、最近スマホカメライメージセンサーは1インチ面積を持つこともあるがレンズ交換式カメラの入門機へ採用されやすAPS-Cサイズイメージセンサーは1インチセンサー比較して約1.7倍もの物理的な面積の差がある。
イメージセンサーの面積が大きいということはそれだけ受光できる面積を稼げるということであり、単位時間あたりの受光量も増やせるということだ。
それはどういうことか?と言えば、ソフトウェアや近年流行AI撮影データを補完する部分を少なく出来るという意味であり、ノイズというのは撮影データの補完へ失敗した粗が出た結果なので、APS-Cサイズセンサーなどを持つレンズ交換式カメラは暗い場所でも明るく綺麗に撮りやすいことへ繋がる。

ただ撮れていれば良いのであればスマホカメラでも良い。しか子供の表情をハッキリと残し綺麗に撮りたいのであればデジイチの強みが発揮できるのだ。
綺麗に撮りたいという需要子供の節目節目に起こるものだし、レジャーなど特別な日でも望まれることだろう。

デジイチは明るく撮れるし背景もボケてエモい動画が作れる。
何ならカメラ向けの外付けマイクとかも販売されているので発表会での合唱とかも高音質で撮れたりもする。
こういうの考えると沼になる。

結局、運動会や発表会はどうしたら綺麗に撮影できるのか?

カメラに目覚めた親ならば必死になるイベント代表である運動会や発表会。
筆者の経験から結論を示そう。

フルサイズ換算100mm前後〜450mm前後(APS-C換算70mm前後〜300mm前後)のズームレンズが最低限必要

気をつけて欲しいのは"最低限"という部分だ。
このズームレンズ選択というのはかなり環境依存するもので、子供が通っている保育園幼稚園学校施設の広さによって変わってくる。
しかしながら経験則上、フルサイズ換算で100mm前後〜450mm前後未満のズームレンズじゃ絶対に倍率が足りないというのは断言できる。
スマホなんてもっての外だ。倍率足りないしブレるしデジタルズームで画質が粗くなる。

理想を言うならフルサイズ換算50mm前後〜300mm前後、フルサイズ換算150mm前後〜600mm前後カバーできるズームレンズが2本あると幸せになれるだろう。
ただし予算がそこそこ必要なので多くの人はフルサイズ換算100mm前後〜450mm前後ズームレンズを選んでおけば何とかなる可能性が高い。
スマホやフルサイズ換算35mm前後〜50mm前後ズームレンズで何とかしようとすると間違いなく米粒のようにしか子供が写せないのでこういう機材での撮影絶対に避けるべきだ。誰も幸せにならない。

子供相手をしつつデジイチをどう携帯し運ぶか

これはカメラを始めた親ならば誰しもがぶつかる難問である
しかしこれも筆者はある程度解決している。

伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップキャプチャースタイルクイックリリースだ。

伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップとして代表格は「DIAGNL Ninja Camera Strap」、キャプチャースタイルクイックリリース代表格として「PeakDesign Capture」が存在する。
ただしこれらは代表格なだけあって比較的高価な部類のカメラアクセサリーであり互換品やインスパイアされた製品が多数存在するので予算不安があるならば互換品やインスパイア製品で良いだろう。

筆者のオススメは「HAKUBA スピードストラップ」と「FALCAM F38 Quick Release system for shoulder strap」だ。
伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップは移動するときストラップを縮めてカメラブラブラと振れないようにするもので、子供が急に駆け出しても対応しやしやすくなる。撮影するときはサッとストラップを伸ばして撮影へ移行できる。
キャプチャースタイルクイックリリースカメラ本体を直ぐに三脚へ取り付けられるクイックリリースプレートを活用して身体へ身に着けられるようにしたもの。FALCAM F38 Quick Release system for shoulder strapはカメラショルダーストラップへ取り付けられるキャプチャースタイルクイックリリースで瞬時にカメラを取り出したり仕舞い込んだり出来て子供への対応が迅速に出来る。

今まで手持ちで移動したり、いちいちカメラカバンから取り出していた親御さんが居るなら劇的に子供対応が楽になるカメラアクセサリーなので導入を強くオススメするぞ。

子供撮影で侮れないカメラトップハンドル

カメラアクセサリーにはトップハンドルというもの存在する。形状の詳細はググってくれ。
ググった人はわかるだろうが、つまりカメラを運び構えやすくするハンドルなのだがコレがまた子供撮影特に動画撮影で非常に役立つ。

スマホであっても既に子供動画撮影した経験のある者ならばわかるだろうが、親よりも身長の低い子供撮影する場合は中腰とならなければいけないシーンが多発する。
しかカメラトップハンドルがあるとカメラの上部から握る形となるので腰への負担が物凄く軽減されるのだ。
たいていの人は素直に両手を下へ降ろすと手のひらは自分の膝の高さになるけれどカメラトップハンドルは手を降ろすだけで自然に膝の高さで撮影可能となる。

いや本当にカメラトップハンドルを使ってみないと理解してもらえないのだろうけれど仰々しい見た目となる代わりに圧倒的な撮影のし易さが手に入る。
シャッター動画撮影開始はスマホリモートコントロールアプリBluetoothリモコンを使うと容易に切れる。

ちなみにカメラアクセサリーとしてケージリグを導入するとカメラトップハンドル選択肢が広がる。

圧倒的な情報記録量360°カメラ

まだまだ平均一般人へは普及していないと言って良い360°カメラ事実として360°カメラ情報記録量はヤバい
データバイト量が多いという意味ではなく、360°全周を撮影してしまうために撮影者の表情から周囲の環境まですべて画像動画として収めるので、その場の空気感と言うか何と言うかあらゆるものが記録されるのだ。
これまでのカメラは前面の風景撮影すると撮影者の表情なんてわからなかった。

別に360°すべてを残さなくとも良い。例えば巨大なモニュメントがあるとするだろう、巨大なモニュメント全体像写真として収めるにはある程度は巨大なモニュメントから離れて撮影する必要があるけれど360°カメラは全周を撮影するため通常のカメラよりも接近して撮影できてしまう。それを後からトリミングする。
例えば巨大なクリスマスツリーとか大鳥居とかシンデレラ城とか、通常のカメラを使っている他の観光客よりも近くで撮影できるのだ。近いので他の観光客が写したい風景身体で隠してしま可能性も低くなる。当然ながら子供と一緒に巨大なモニュメントを収められる。

動画撮影でも強い。近年の360°カメラアクションカムとしての機能も有するため手ブレにも強く。アミューズメント施設子供四方へ駆け回るようなアトラクションとかでも子供を見失わず記録できてしまう。
迷路とか、四方にあるボタンを素早く押せとかボールがいっぱい入ってるトランポリンとか、そういうアトラクション360°カメラによる動画撮影は本当に強い。
しかも後から欲しい範囲だけ切り出して360°じゃない動画にも出来る。子供だけを収め続けている動画とか作れるわけだ。

防水ケースへ360°カメラを納めればプールでも海でもスキー場でも活用可能で、今まで通常のカメラでは撮影しにくかった環境や固定された画角では収めにくかった環境でも思い出の記録が可能なので360°カメラの登場は本当にカメラ於いてテクノロジカルシンギュラリティと言って差し支えないと思われる。

いつか子供アルバムデータを使いたいと言う日のために

それが学校の発表会なのか、友人との遊びなのか、結婚式なのかわからないが、いつかそんなことを言い始める日が来るのかもなと考えて日々撮りためている。

生後1日目から出せる、笑った顔も泣いた顔も、成功したときも失敗したときも出せる。
99.999%が親のエゴでやってることだけれど、それでもいつかもしかしたらと子供が言い出す日を今か今かと思って待っている。

2023-01-07

ぼざろの音楽って懐かしくない?

10年前にタイムスリップしたのかと思うくらい、とても耳馴染みのある感じだった。

アルバム通してめっちゃ良いし、「転がる岩」のボーカルは大変素晴らしいと思う。チャート上位でも良いでしょ。

アジカン世代(雑くくり)とボカロアニソンに影響を受けてきた自分めっちゃ刺さるし、シューゲやドリームポップの雰囲気もその時代感がある。

今のオルタナもこんな感じのバンドが多いのかな?

2023-01-03

母が重い、35歳女の脱出

2023年1月1日、私は限界を迎えて、東京ホテルを予約した。元々3日から予約していたのだけれど、1日からに変更した。実家で絶え間なく続く母の愚痴に耐えられなかった。



子どもの頃のまま、中1のときに貼ったアヴリル・ラヴィーンポスターこちらを見つめる部屋で荷物をまとめていると、ドアから父がその様子を覗く。


「どこ行くの?」

今日から東京に行こうと思って」

「3日からじゃなかったっけ」

「やっぱり今日からにしようと思って。いろいろやることがあるし」

「そう」


しばらくするとまた父が来る。

「なんで行くの? お母さんが泣いてるから理由を教えて」

泣くのか……少しは想像してはいたけれど。

仕事とか渡航準備の関係があるから

「そう…」


父は去ってしばらくすると、今度は母と登場した。

ユニクロの縞模様のフリースを着た母は、部屋にはいると、ドアの前で正座をした。その後ろで、灰色のだるだるのパジャマを着た父が立っている。

私はベッドに座って、ポーチ化粧水を詰めているところだった。


「なんで?」

悔し泣きのような顔で、正座をした母が言う。


仕事とか渡航準備あるから、やっぱり早めに行こうと思って」

「なんで? 私がなにか悪いこと言った? なにがだめだったか、教えてください」

正座した上半身ゆらゆらと前に屈ませながら、母が泣いている。


「いや、別に……」

「教えてください。私があなた子供の頃からしていた所業が悪かったのはわかっています。謝ります。ごめんなさい。でも、言われないとわからないんです。私ばかなので」


正座ゆらゆらと頭を下げる母。泣いて頭を下げる親を上から眺めるなんて、最悪だ。自分が本当に人でなしのように思える。


これが嫌でこれまで距離をとってきたんだったなというのと同時に、これが予想できたとしても最悪のタイミングで拒絶をしたかったんだとも思う。


「5秒ごとにネガティブなことを言われるのに、疲れただけだよ」

ネガティブなことってなに? 教えてよ」

「どれというより、本当に息を吐くように言ってるから、一度録音してみたら…」

「そのときに言ってよ。言われないとわからないよ」


母の涙声の語気が強くなる。本当にわからないのだと思う。それは2人で暮らす両親の習慣なのだ


***


母は父の一挙手一投足に文句を言い、ときに声を荒げる。父はかなり雑で無神経なほうなので、文句を言いたくなるのもわかるときはあるけれど、母の謎のこだわりに沿っていないかったり、さっき母が自分で言ったことを忘れていたりという理由での文句も多い。

煮物を真ん中から食べたとか、思っていたのと違うお皿を使っているとか。


文句を言うとき、母は私のほうをちらりと見る。一緒に文句を言ってほしいという合図だ。祖母ご近所さん芸能人を悪く言うときも一緒だ。


子どもの頃は、これに必死賛同していた。賛同したほうが、家庭内平和だし、「やっぱり父に似て鈍臭くて雑」と言われたくなかった。私は母のなかにあるお皿のルールを覚えて、完璧対応できるのが、誇らしかった。


母の文句合理的ではないと気付いたのは、中学生になった頃だろうか。反抗期を迎えた私は、母の「ちらり」に反応しないことにした。子どもの頃の癖もあるから、反応しないのには一定のパワーがいる。


20年ほど経つのに、未だに母は私の賛同を待っている。目を逸らすと、「冷たい」「つまらない」と残念そうに言うこともある。私は私で、いまだに反応しないのには、パワーを使う。



母は自分にも、ネガティブ言葉を投げかける。料理の味付けが薄かった、もっとこうすればよかった、失敗した……。「そんなことないよ」「おいしいよ」と父はすかさず言う。「心にもないことを」と母が言う。


私も基本的には「おいしいよ」と言って、自分が実際に食べたいと思う以上に食べる。実際にそんなにまずいと思うことはない。おいしいことも多い。絶対に言えないけれど、もっとこうしたらおいしいのにな、夫だったらここはもっと丁寧につくるなと思うことはある。



母と父は2人っきりで、ずっとこの関係を続けているから、自然なのだろう。父は天然で人の話をよく聞かないタイプだし、何十年も家庭を放棄して母に苦労をかけてきた負い目もあるのだろう。なにより退職して、今かまってくれるのは、母しかいない。


そうして自然に任せると、5秒ごとに母が、父の批判か、フォロー待ちの自分批判をすることになる。


「そうだそうだ」と母に賛同しているときは、楽だった。そういうものだった思っていたから。でも、なんだかおかしいなと気づいてからは、食事3回分、24時間くらいが限界らしい。


最近は、夫や弟夫婦帰省することが多く、彼らがいたから、なんとか耐えられていた。

弟の奥さんや夫を気遣う体で、物理的に距離をとれたし、外の目がある手前、母のネガティブも多少減る。

彼らは空気を読むタイプなので、波風を立てない形で、母をなだめ、父へのフォローもできる。弟と私が、そういう伴侶を共通して選んだのは、偶然ではない気がする。



そんな夫が「あんなに失敗したって言われながら、食事を出されると反応に困るんだよなぁ」と、いつかの帰り道にぼやいた。

それで私は、やっと自分がいつも母の絶え間ない自虐に疲れていることに気づいた。


12月29日の夜に帰省した私は、24時間が過ぎた30日の夜に、電池切れしてしまった。


31日はタイミングが悪いことに母の誕生日だったけれど、その日は私はなにも話すことができなくなっていた。そうなると、私は思春期に戻ってしまう。


こうならないように、ここ何年かは、それっぽい理由をつけて一人のとき自分が耐えられる時間だけの滞在にしてきたし、長い時間ときは夫や弟夫婦と一緒に行動するようにしていたのに。

今回は急遽海外への引っ越しスケジュールがずれこんで、直前に長く実家滞在することが決まった。私以外は皆海外にいて、一人での帰省だった。


ゆっくり実家にいれるようになって、よかったね」というまわりの言葉になんとなくそうかなぁと思ったけれど、やはりどうしても私には無理だったらしい。


年末に駆け抜けた引っ越し渡航準備、仕事で、疲れきっていた。さらに悪いことに、家族緩衝材役を担ってくれていた犬が、最近病気で寝たきりだ。

私は母と話せなくなると、犬に話しかけて、場を和ませて、なんとか大人自分に戻っていた。



私は実家にいるとき、3つのモードがある。


①母の文句や笑いに喜んで賛同し、適度に甘える、7歳の無邪気な自分 ←母はこれを一番期待している。25歳くらいまでは、違和感を持ちつつも、これで仲良くやっていた。


②母に反抗して黙りながらも、我慢してその場にとどまる15歳の自分 ←母はこのモードに、世話を焼くのも嫌いではなさそうだ。私はかっこわるくて最悪な気持ちになる。


③母の愚痴ニュートラルに聞き、親切にする35歳の自分 ←母は物足りなそうだけど、自慢の娘というかんじでご機嫌。私も心が安定する。心の余裕がないと、長時間できない。


もちろん、基本的には今の自分の年齢と一致する③でいたい。①は楽で平和だけど、自分のなにかが死んでいく気がして、絶対にやりたくない(実際この形でうまくいっている母娘はけっこういる気がするけど)。


③が崩れそうなときに、①を断固拒否すると、②になり、今回は頼みの綱の夫、弟夫婦、犬の不在で、③に戻れなくて、耐えきれず、物理的な脱出をはかったわけだ。


***


修羅場に戻る。


「なんで嫌ならそのときに言ってくれないの!? 私が子どもの頃、すぐヒステリーになったから、それがトラウマで、普通言葉もすごく嫌に聞こえるんだよね? そう、私が悪いの……」


母は一人で話しつづけている。

しかに、そうなのかもしれない、と思う。


「どうせ私は虐待親ですよ。そう思ってるんでしょ。この家に足を踏み入れるのも辛いんでしょ」


こんなふうに母が言うのは、弟が4年ほど前に、そう言って母に反旗を翻したからだ。


から見て、弟は弟でわりと極端な思い込みがあるほうなで、それは言い過ぎではと思いつつも、面倒なことを伝えてくれて助かったなとも思っていた。


虐待とまでは言わないけれど、母の臆病さや不安定さに、随分振り回されたなと思う。母の年齢に近くなり、いくら大変でも、大人の私はそれはしないなぁということがいろいろある。時代も違い、私には子供がいないから、未体験領域ではあるけれど。


ただ今になって本人を責めたいとも思わないし、お金と労力をかけてもらったぶんそれなりに自分人生を生きらている自覚はあるので、のらりくらりと、どちらの側にもつかずに距離をとっていた。


その間に結婚して、夫という防波堤ができて、このまま平穏にほどほどの距離感でやっていけそうだったのに。ここにきて、こんなことになるとは……。


「ずっと嫌だったんでしょ。無理してこの家に来てるんでしょ」

「まぁ、それはそう」


弟ほど実家に寄りつきたくないわけでもないけれど、母の雰囲気におされて肯定してしまった。実際、いればいるほどエネルギーが吸い取られるかんじがするし。


「嫌なら、なにが嫌かはっきり言ってくれたらいいのに。なんで教えてくれないの?」

「こういうふうになるってわかってるからおかしいなと思っても指摘できないよ。子どもの頃から、言えないように、あなたがしてきたんだよ!」


一度肯定すると、私も感情的になって、涙がでてしまう。


「指摘できないなんて、思わないけどなぁ」

父がとぼけて言う。

だって家にいなかったから、知らないじゃん」


ついでにした父への批判は、なんとなく母が言ってほしい言葉を言ってしまった気がする。


だって、いなかったし、そのうえ、気に入らなかったら、怒鳴ったり暴力振るったじゃん。アル中DVだったときのこと、忘れたの?

と本当の私は言いたかった。


宙吊りにされてテーブルの角に頭を打った母が頭から血を流したことも、ベランダガラスを蹴って割ってくるのを、弟と部屋のなかで怯えて見たことを、私は忘れられない。

部活から帰ってきて眠っていたソファから、突然投げ落とされたことも。

日曜の昼、ウィスキーを飲み始めたら、今日は怒鳴りだす合図だったことも。


でも、それはこの家ではなかったことにされているタブーだ。母の思う「うちは、幸せな家庭でよかったね」の規範から、明らかに外れているからかもしらない。


今の父は穏やかで、母を落ち着かせる役割を担っているし、あの頃のことを申し訳なさそうにする素振りをしているので、私も言わないことにしている。


ある一定の期間だけだった気がするので、仕事ストレスもあったのだろう。その仕事で、大学まで行かせてもらったわけだし。だからって、許されることとも思わないけれど。


そんなことを考えて黙っている間も、母は話し続ける。


「私はひどい親かもしれないけど、あなたのことが大好きだから、楽しみにしてたくさん準備して」


楽しみにしていた誕生日とお正月に、大好きな娘にこんなことをされるなんて、母はとても可哀想で、そんなことをする私はなんてひどい娘なんだろう。

母の憐れさに飲み込まれていく。罪悪感で、頭がぼんやりする。


あなたがしていることは、はっきり言って暴力だよ。無視されることって辛いんだよ。お父さんと同じことを、あなたはする。なんで?」


母は悔しそうに泣く。父にされたことも、思い出しているのかもしれない。


しかに、15歳のモード言葉を話せなくなってしまった自分は、不甲斐ないし、申し訳ない。もう35歳なのに、なにが嫌か言葉でなかなか説明できないなんて。それでも。


「そんなふうに被害者っぽくされるのに、もう疲れたので…」

被害者面なんてしないよ! 絶対しない。でも、被害者って言うなら、言わせてもらうけど」


被害者」というキーワードが、なにかの引き金になったらしい。母がここぞとばかりにまくし立てる。子どもの頃、どれだけ私や弟に尽くして節約し、我慢し、プリントを整理し、時間をさいてきたか自分がこんなふうに拒絶されるのが、どれだけ辛いか


プリントの整理、私嫌いじゃなかったし、別にしてもらわなくてもよかったんだけどなぁと思う。


節約して5歳から18歳まで行かされていた塾も、今思えば先生子供たちに人格攻撃をするやばいやつだったので、あの先生のために節約しなくてよかったのにねとも、思う。

どんどん人が辞めていくなかで、私は一番長くその塾に通った。今思えば、あそこにいた子どもたちは、みんな無表情でか細い声をしていた。


母にも辛くあたった塾の先生祖母を黙らせた私の全国模試順位に、母が満足気にしていたのも思い出す。私に勉強の機会を与えたのは、私のためだったのだろうか。


母がヒートアップするほど、だんだんと冷静になってくる。


母は絶対否定しない父を後ろに据えて跪き、私が絶対罪悪感を抱く言葉を泣きながら放つ。

この人は、本当に自分可哀想で仕方ないんだなと、思う。


過去やってきたことを否定したいわけじゃないよ。ただ今、愚痴を聞き続けるのが疲れたっていうだけだから

「本当に行くのね?」

「うん」


これまでの私だったら、ここで東京に行くのをやめていたかもしれない。そもそも行事を大切にする母の手前、大晦日とお正月実家家族から離れる選択肢なんて、一昨年夫がコロナの濃厚接触者になった一度以外、なかった。


海外駐在中も両親が自宅まで来たし、濃厚接触者になった翌年の新婚ニ年目も年末がちょうど誕生日から義実家より私の実家を優先した。「失敗したかもしれない」と呟く母のおせちづくりを毎年手伝い(「おいしいよ」とフォローしながら)、きれいにできた重箱やお正月風景を撮ってアルバムにして、プレゼントした。


今年は弟夫婦も夫も海外で、犬は寝たきり。それでも母は、親子水入らずでのお正月を楽しみにしていたのだと思う。急遽伸びた海外行きと、それに伴う実家滞在の長期化を、母はもちろん喜んだ。


私は夫と会うのがお預けになってがっかりしたし、なにより自分実家滞在に耐えられる自信がなくてとにかく不安だったけれど、そんなこと、まったく思いもしなかっただろう。



「私はお正月家族で過ごすものだと思ってるから。こんな仕打ちってないよ。〇〇ちゃんの家は母娘でおせちをつくって、●●さんの家ではもっと……」


母が地元に娘が残って、べったり子育てサポートしている家族を羨ましく思ってるいるのは、わかっている。


それが嫌だから上京してよかったと何度思ったか。一方でその願望に多少は答えなくてはと思って、お正月誕生日と、GWお盆帰省した。旅行もした。

でも、今回は無理だった。弟夫婦や夫がいてくれる年を過ごしたら、もう1人では耐えられなくなっていた。



「もう何十年も、十分やってきたでしょ」


そう言うと、母は静かになって、去っていった。


私が喜んでやってきたと思っていたことを義務のように言われて、母は心底悲しくなったのかもしれない。私だって、いつも100%嫌々やっていたわけではない。ある程度、楽しんでいた。


母は本気で自分を直そうとして、泣いて質問しているのもわかる。


それでも、「まだほしい、まだほしい」と千と千尋カオナシのように、やればやるほど依存されて欲しがられるかんじに、耐えられなかった。

母が変わるのを根気強くサポートする気力が、私には残っていない。



母が羨ましがる〇〇ちゃんや●●さんの家だって、娘が気を遣っているところはあるのだろうと、私は思う。彼女たちが一時精神を病んでいた原因に、母との関係がなかったと言えるだろうか。


娘同士で話すと、娘側が母にリップサービスをしたり、話を合わせたり、距離をとったりしていることは多い。

10代の頃は本当に仲の良かった「友達母娘」でも、いつまでもそのままでいられると思っているのは、たいてい母のほうだけだ。それでも、娘は母をがっかりさせないように、大人の振る舞いで和やかに過ごす。


だって、本当はスマートに、本人には気づかず幸せでいてもらったままで、ほどほどの距離感で過ごしたかった。


誕生日やお正月を楽しみに、食材を考えていた母を思うと、胸が痛む。とても。涙がでるほど。

こんな最悪のタイミングで反抗しなくたってとも、思う。しかも、こんな年齢で。


それでも、今、私は自分のために、自分をどうしても逃がしてあげたかった。

脱出した私は、その夜、東京銭湯に行って、ホテルのベッドでぐっすり眠った。

2023年、はじめの自分へのプレゼントだった。


——-


けんか(?)を片方の立場から書くのって、フェアじゃないよなぁと思いつつ。

まずは自分のなかの混乱を整理するために書きました。だからか、うまく削れず、とても長いです。


迷いつつも、シェアするのも悪くないかなと思ったのは、信田さよ子さんの本や記事にでてくる人たちの具体的なエピソードに、私自身が背中を押されたからです。

https://www.amazon.co.jp/dp/4393366255

https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic025.html


もうおばさんという年齢なのに、いつまで私は子どものようにじたばたするんだろうと思うけれど、自分選択して、書いて、振り返って、前へ進めば、大人としてドライなほどほどの関係を築けると信じて…。

自分ブログ用に書いたけど、さすがになぁという内容なので、ここに載せます

音楽宗教について

藤井風氏が明言せずに某宗教の教えを引用し、それをそのままグッズとして販売アルバムタイトルにもしている行為に対して、問題があるのではと指摘する記事を読んだ

https://note.com/ii_yy/n/n5ac17492a446

自分音楽にも宗教にも全然詳しくないけれど、元々音楽宗教は切り離せない関係なはずだ。自分思想信条を発信する手段として、もしくは布教活動信心を深めるための手段として音楽が用いられた事例は沢山知っている。

つのから邦楽は、くだらない色恋ばかりを歌うのがメジャーになってしまったが……

それで考えたら藤井風氏の活動だって何もおかしものではない。これを否定するのは信教の自由表現の自由侵害以外の何物でもない。

と、自分は思う

それとは別に、気軽な気持ちで買ったファングッズに記載された言葉が、新興宗教(様々な良くない疑惑あり)の教義をそのまま引用しているものだとは正直予想もできないし、事前に教えてよ〜教えてくれたら買わなかったよ〜会社に持ってっちゃったよ〜と思ってしまファン気持ちも分かる。事前に意味くらい調べろ、そもそもこれくらい一般教養範囲内だろうと言われてしまえばそれまでではあるし、「教えないまま売りつけるなんて、ステルス布教だ!」とまでは思わないが。

ただ、なんていうのか。

先程も書いたように真っ直ぐ純度100%政治的主張宗教的主張をするアーティストと接する機会がほとんどなかったから面食らっちゃうし、耐性や自分なりの対策法も持ってないよなと……

Twitterでも色々意見を見てたんだけど、「海外ではこんなことで騒がれない。騒ぐのは宗教を嫌う日本から」という意見と「宗教に関してのリテラシーが低い日本からこの程度の炎上で済んでいるが、海外進出するならこのまではマズい」という意見の両方を見かけた。

もちろん国によっても違うだろうが、グローバルスタンダードはどちらなんだろう?

2022-12-31

母と思い出話をしながら今年亡くなった父の人生を振り返る

父のアルバムを見る

当たり前だが父にも子供の時があり、青年期があり、母と結婚し、と

自分と変わらない一人の人間人生があり

感慨深い思いで眺めている

やんちゃな顔をしてポーズをつけてた小学生くらいの頃の父

大学生くらいだろうか、数人の友人グループ旅行している父

生真面目な黒縁メガネをかけてた就職してすぐの頃の父

今の自分よりずっと若い子供の父、若者の父

親としてではなく一個人としての父を垣間見る

そんな父ももういない

Appleはさ、iPhoneアルバム写真を保存したら一覧から写真を消すようにしてくれるだけでいいのになぜそれができないのかさっぱり理解できん

選ぶ、保存、一覧から消える、全部を保存しなおすと一覧から全部消えて全ての写真フォルダ分けできてすごく気持ちいい

この流れくらい理解できるだろうに

一覧から消えねえから保存漏れとか保存ミスポロポロおきてみんな全員迷惑してるのにいつまでこの状態を見て見ぬふりし続けるんだ?

来年からちゃんとやれよカス

anond:20221231144054

結束バンドアルバムコンセプトからして、『完成されていない』のは当たり前だもんなぁ。むしろこれを聴いて(慣用句じゃなく文字通りの意味で)最高とか言っちゃう方が失礼まである。これよりいいのがあるのは分かってて推してんだよな。

結束バンドが売れていることに対して「もっといい曲がある」と言ってる人がいるの音楽の授業の敗北でしょ

芸術とはコミュニケーションの一形態である」という大前提を伝えるのが音楽美術という科目の教育要領の根っこだと思います

なんとなく気持ちがいい、とにかく上手、といった要素は芸術において重要評価点ではありますが、あくま評価点であって主題ではない。

メインとなることは「何を伝えようとしているか」なのです。

宗教画であれば「神という偉大な存在物語」を共有するための手段として存在しますし、オペラミュージックであれば「場面の持つ意味を強調する」ことを目的します。

音楽はその歴史の中で技巧に偏る部分が多く、宮廷音楽についても「こんなにも素晴らしい音楽を聞いている自分たち貴族精神的な豊かさ」に重きをおいた表現になりがちでした。

そこから大衆化を経る過程において「純粋音楽の持つ楽しさを共有する」ということへとテーマが移っていきます

やがて現代ポピュラーミュージックにおいては、「現代社会の中で感じる様々な感情」が表現のメインへとなるわけです。

世界の音楽チャート上位をラブソングが占めがちなのは恋愛というものが「共有したくなるような事柄が多い事象であるからだと言えます

まり音楽とは昔も今も音を通して何らかの「物語」や「感覚」を共有するものとなっているのです。

造り手の想定したイメージを、受け手音楽を聞くことによって脳内に再度作り出す。

それは紛れもなく「コミュニケーション」なんですね。

結束バンドアルバム「結束バンド」はそうそうたるメンバーを集めた上で「駆け出しの天才たちによる青春ロックバンドファーストアルバム」というコンセプトでリリースされます

バンドとは元来「世の中に何か表現したい者たち」が集まって産まれもの、その「表現したい者たちが集まって産まれた」という状態のもの表現するのがこの名盤「結束バンド」なのです。

大衆化とそれへの反発心が混ざり合う中で詰め込みすぎた結果の若干なチグハグさ、そういったものが確かに感じ取れます

音楽という強力な武器を持ってしてでも何者かに伝えんとする強力な叫び、その最もプリミティブな部分がファーストアルバムの奥底には光るものですが、結束バンドにならぶ「後藤ひとりという孤独人間による反抗」というコンセプトの歌詞はハッキリとそれが現れています

ロックとは大本をたどれば反発のミュージックであるわけですが、今では最も平穏でありきたりな音楽の一つとさえなっています

同時に、「社会への反抗」「本当は人付き合いなんて好きじゃないことの暴露」といった事柄も、今ではポピュラー文化の一つとなり、SNS等では日常のように誰もが口にするようになりました。

ですがその中にはそれぞれが心に持つ確かな苦しみや叫びがあるわけです。

現代に宿るそういった「一般化した反抗心とロック」を、「結束バンド後藤ひとり」という触媒を用いることによって鮮烈に浮かび上がらせ「現代におけるロック」を一つの形に組み直したのがアルバム「結束バンド」なのです。

その表現に対して「もっと上がある」というのはナンセンスだと思います

コミュニケーションには間違いなく良し悪しがありまして、それは「表現しようとしたもの表現できているか」で決まります

結束バンドアルバム「結束バンド」は、それによって表現しようとしたものが確かに表現できている。

これに対して「もっと良いものがある」と言ってしまうのはどうにも心が貧しいように思えますね。

もっと売れそうなものがある」なら別に何の問題もないのですがね。

売れやすいと良い悪いは別ですから

結束バンド最大の功績は「アルバムを聞く」という概念日本に取り戻しつつあること

音楽配信サービスランキングを上位から順に再生するだけになった日本音楽界。

そこにはもう名盤という概念さえ失われた。

ホワイトアルバムはもうどっかのバトル漫画超能力という扱いだった。

だけど復活した。

結束バンドファーストアルバム結束バンド世界を変えた。

アルバムの最終曲」という概念をこの世界に取り戻した。

年の瀬世界一年を振り返りながら思うと、頭の奥から転がる岩の歌詞が転がってくるではないか

この感覚が令和に今存在することの幸運に我々は気づくべきだ。

2022-12-30

アルバムって単なる福袋みたいなもんじゃないの?

構成があるっていうのは妄想だと思う。

そもそも同じバンドの曲をぶっ通しで2時間も聞くのかっていう

最近聴いて良かった音楽

Lord Huronの「Long Lost」。アメリカインディーロックバンドで、五大湖ひとつから名前を取っているとか。

アルバム丸ごと、古のエコー(リバーヴではなく、エコー)で包まれた、カントリーフォークミュージック。いつの時代の手触りなんだ…?

50-60年代を参照しているんだろうか。映画サウンドトラックのように間にセリフ風の繋ぎがあったりするのもそれっぽい。

あぁ、自分音楽を聴いているんじゃない、古いフィルムに念写された、記憶を聴いているんだ…

https://youtu.be/cCME0zOngn8

2022-12-29

私の2022年邦楽TOP10

今回も自分語りしかない

10 - 6

Victoria / TWEEDEES

Cymbalsベースだった沖井礼二シンガー清浦夏実によるユニットTWEEDEESより、今月リリースされたアルバム「World Record」 帯の元ネタThe Style Councilらしい

そんなアルバムの中からの1曲目 いきなりスキャット!鐘!豪華な編曲沖井礼二ベース!最高~

こうやって12月中に名曲が出てくることがあるので、12月の初めに今年のまとめみたいなことするとちょっと勿体ないんですよね

TODAY FOR TOMORROW / CASIOPEA-P4

神保彰の脱退後、新たなドラムスとして有形ランペイジメンバーでもある今井義頼を迎えCASIOPEA-P4名義でリリースされたアルバム「NEW TOPICS」のこちらも1曲目

ジャパニーズフュージョンアルバムがこういう景気いい曲で始まると本当に楽しい

思いがけず雨 / Nagakumo

大阪拠点活動し自らをネオネオアコと呼ぶ2021年結成のバンドNagakumo

ネオネオつけてどうするんだと感じもありますが、これを聞くと続けて「three cheers for our side」も聞きたくなります 本人たちもフリッパーズ・ギターからの影響を公言しています

帰り道 / 阿佐ヶ谷ロマンティクス

今度は阿佐ヶ谷 2014年結成の5人組バンド阿佐ヶ谷ロマンティクス

今回のアルバム大人幻想」はSpotifyでは別の曲がグローバルでバズっていますが、個人的に一番刺さったのはこっち

ピアノで盛り上げるタイプバラード サビ直前のキメで一人だけ弾き続けちゃうベースも好き

Call me back / 松任谷由実 with 荒井由実

6位にユーミン

過去自分の声を合成音声で再現して今の自分と一緒に歌うという面白い作品 過去もともあったメロディーに新しく歌詞をつけたとのこと 単に楽曲を聞いただけでも良いし、こういう新しい挑戦をしていることも良い

で、やはり気になるのは「どこの技術を使った合成音声なのか」というわけで、ラジオでは曲は流れてもそんな話は出てこないしググっても出てこない。もしかして歌詞カードにちらっと書いてあるのかもと思って今回のベスト盤発売まで待つわけです。いよいよリリースとなっていざ歌詞カードを開いてみると、全国のラジオリスナーから集められたユーミンにまつわる思い出話が多数掲載されてるのに結局技術的な話は何もない。そんな……と思ってこのタイミングでもう一度検索してみると、CDフラゲ日になってやっと(協力した研究室の)プレスリリースが出ていました

https://www.i.u-tokyo.ac.jp/news/press/2022/202210032121.shtml

どうしてどうして……

5 - 1

BADモード / 宇多田ヒカル

ラジオではじめてこれ聞いた時はこんなん出されたら誰も勝てないじゃんと思いましたが結局5位

そういえば宇多田ヒカル新曲がすごいみたいな話を年上の人としたんですけど、あの人の親を誰だと思ってんのみたいな返答されたんですね。そうじゃなくて私はこの曲そのものが好きなんですよ。ど~せ私はAutomaticすら後追いで聞いた若造ですよ~~

鏡の中のアクトレス / 寧音

恥ずかしいことにこの作品を聞くまで原曲を知らなかったのですが、中原めいこ1988年アルバムから表題曲カバーです

深いリバーブに気だるそうなボーカルキラキラしたブラスシンセ並行世界80年代みたいなサウンドがいい味出していますが、シンガーの寧音は2008年まれ

編曲のevening cinema原田夏樹はRainychのカバー作品担当していましたね evening cinema名義でも今年アルバム出てるんですがこっちも良かったです

完全に狙って作ってる感じのジャケも必見

ちなみに原曲も今年CDが復刻してます

雨模様 / ぷにぷに電気、ぺのれり

ポスト渋谷系コンピレーションシリーズ「Pastelphonic」に楽曲提供したこともある、ぺのれり・ぷに電による作品

そういえば、「渋谷百景」などで有名な邦楽情報サイトのradiodAzeにもこのアルバム情報が載ってて驚いた

http://radiodaze.g2.xrea.com/KKKva.htm

あのサイトはもう何年も新しいアルバム情報は書いてなかったようだが、あのサイトに載るだけの影響力がある名コンピであることは確か

そんなアルバムでも活躍していたこの両氏のタッグなので当然期待して聞いたわけですが、まさに大当たり

ムーンドライバー / エルスウェア紀行

ここ最近急に影のある曲を出すようになった2人組バンドエルスウェア紀行(何があった?)

浮遊感満載でどこ行くか分からないメロディが最高

スローテンポにどんどん熱くなるギターが目立ちますベースがずっと忙しそうにしてるのもGood

Spell of Love / 今井優子

1987年デビュー角松敏生プロデュースを経て自身ソングライターとなる今井優子によるキャリア35周年のアルバム「Spell of Love」(実は今井優子も今年知ったアーティストなのですが)

その中の1曲目かつ表題曲

シンセ担当する安部潤による編曲で、いかにもフュージョンイントロからまりラテン風味かつフィル満載のドラムパーカッションスラップしまくりのベース、よく練られたコーラス……と豪華なバックトラック それに負けてない今井優子自身による作曲 今年のベストトラックです



https://open.spotify.com/playlist/21kp6A9R6hUBijiEe2ia4Z?si=46236e3810db44da

結束バンドアルバム届いたので聴いてる

うんまあ音楽よくわからん

劇中で使われた曲はエモいがそれ以外はボンヤリである

聴いてて思ったが、けいおんて実は凄かったんだなと

原作の中の歌詞を拾って、ちゃんと聞ける曲ですげーなーってなったふわふわ時間とか

高校生ぽい感覚でなおかつおロックぽいなーと思わせて、しかイギリスでおもろかったごはんはおかずとか

素人にわかるように面白く作ってくれてたんだなあと

結束バンドは全部プロの作りの歌なので「あたしたちもバンドやりたい」みたいな感じではないんだろうな

さっさと高校やめてプロチヤホヤされたいやつ向けの音作りだったりするんだろうか

anond:20221228232608

・Hevia(エヴィア) 「タンシラへの旅」

エレクトリックバグパイプ奏者Heviaのアルバム「The Other Side」収録の一曲

はじめてタワーレコードで視聴した時固まったのを未だに覚えてる。いまでも車内で時々流してますアルバム全体では、他にいい曲(「ブダペストにて」とかも好き)もあるけど全体的にちょっと似た雰囲気の曲も多く少し飽きる人もいるかもしれない……けど、この曲はずっと強い光を放っている。と、思ってます

「目の届かない所でやってるなら別にルール

女性には結構支持されてるらしいんだけどさ。

浮気別に自分が気付かなければ、自分の目の届かない所でやってるなら別に構わないってルールあるじゃん。バレたら路傍の石を見るような扱いになって即破局だけど、家庭にまったく影響しない範囲でならキスしようがセックスしようが男性自由ですよってやつ。

あれを適用できないか

女性は知らないかもしれないが、実は男性の多くはクラスメイト女性をオナペットにしてる。

裸にしたりセックスしたりする妄想マスターベーションしてるんだよ。

脳内妄想の代わりに、アルバム写真からAIリアルコラ画像を生成して、それをオカズにしても、女性本人に悟られないようにコッソリ利用するだけならセーフ、とはならない?

anond:20221229060551

2022-12-28

異様に運動神経良いなと感じてたが夫はラクビー全国出場経験があった

今さっき知ったw

どうやら「ラクビー本気でやってましたって言うと脳筋扱いされるから嫌なんだよね」というのが理由らしい

口止めされてたのにお義母さんがポロッと言ってしまい、夫は観念したのか流れでアルバムも見せてもらった

少年時代の夫は今よりも輪を掛けて斜に構えてる感じで可愛い

たまにラクビーを観てるなぁとは思ってたけど経験者どころか全国出場選手だったのかビックリだよ

そんな夫はプログラマー、同僚さん達よりも凄く大きい

身体の大きさは「遺伝だ」なんて言ってたけどお義父さんは同年代の平均くらいだし何か歯切れ悪かったので深くは聞いてこなかったけどラクビー選手だったのかぁ

結婚15年目にして初めて知ることまだまだあるんだなぁ

2022-12-20

https://anond.hatelabo.jp/20221218213908

 自分の両親は既に亡くなって久しい。

 

 どうか今のうちにご両親に甘えて欲しい。

 恥ずかしい! という事なら、握手だけでも十分伝わると思う。

 「お父さんとお母さんと沢山思い出つくれて、みんな元気でいて、嬉しい」とかね。

 誕生日などじゃなくても、出先で素敵な小物をみつけたらそれをプレゼントするのも良いと思う。

 昔のアルバムなどあれば、それを開いて思い出話するのもいい。

 

 生きている間じゃなきゃ出来ない。

 今は未来が見えない時代。何があるか分からない。思い立ったら吉日。

 

 病床で言葉を交わすこともできず(今なら感染関係で面会もできない場合もある……)、両親が最後に何を伝えたいのかわからないまま、別れてしまった事を後悔している。

 思いは言葉にしなければ伝わらない。

 どうか、その思いを口にして伝えて欲しい。

2022-12-19

anond:20221219105908

バンドという言葉はいつもボンジョビを思い出す

キープ・ザ・フェイスってアルバムバラバラになりかけてたメンバーが絆を強め直したみたいなこと言ってたのを思い出す

うろ覚えから全然間違ってるかもしれんけど、なんかそういういろんなことがあってこの1枚が出来上がったんだよって話

からなんだおまえはいきなりどうでもいい話を語り出すなと言われたらそこまでだけど思い出したので書いてみた

2022-12-18

anond:20221218010554

おおすまん、まだ式自体はこれからなんだよね。準備が終わったところなだけで

挙式だけ+親族食事会なのでまあ数時間ニコニコしてれば終わるし別にいかなあ?って感じ。

その方がいつまでもちゃごちゃめんどくさくないなと思えば頑張れる方なんだよね。

普段から楽しくなくてもニコニコ笑ってりゃ大体切り抜けられてお得だと思ってるからそこはあまり心配じゃない

ぶっちゃけ写真が嫌いだから二度と見返さないと思うよ私も。でも親は見たいらしいから、ちょうどいいのでアルバムはあげることになってる(自分の手元に置いておくのは嫌)

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