はてなキーワード: あまつさえとは
社会人5年目ぐらいが経過して上司先輩部下後輩バイトといろんな人間と接してきて
自称無能の人間とかもいろいろ見てきたけど、まじの無能は自覚すらないんだということに強烈なバイトスタッフに出会った。
全体的にそいつの作業について言えるのが他人への気遣いがゼロの行動しかできていなかったり、相手のこと全く考えられてないんだよ。
成果物に対して受け取り手がどう考えるとか見やすいとかそういった配慮がゼロ。
作業中分からないつったことを教えてたら親しい仲でもないのに返事が「うん」。
成果物を利用したその先も考えられてない。
あまつさえ、掲示物作成してポスターサイズで作っといて、って業務を振ったら1週間立ってもなにもなく、聞いてみたらポスター印刷が調べても分からずできませんでしたと。
ぶっちゃけ30分あればできるもんだと思ってて休みとか繁忙が重なっててほっといても掲示しとるやろと進捗確認を怠ったのはこっちのミス。
流石に相談してくれ、とか言ったが最終的にそいつから出てきたのは「調べてもわかりませんし私に言わないでください」と逆ギレしてきた。
何者なんだよ貴様。
無能というかもはやただただやべーやつという認識になってきたけど、自称無能はまだ自覚してる分できない無理はしないからまだいいなと思いました。
大学卒業したらプログラミングの先生になると考えてるみたいだけどPC操作の基本の基本でわからないことを調べて見つけるスキルを身につけないと無理だと思うわ。
ツイッターの話を増田でするのもなんだが、140文字×数回で収まる感じでもないのでこちらで。
ツイッター利用者ならわかるだろうが、クソリプという言葉がある。
この言葉もいろいろな使われ方をしているので「こういう意味です」と定義しにくいのだが、
たとえば「りんごが美味しかった」という画像つきツイートに対して、
「おいしそう!」とか「どこのりんごですか!?」というのは自然な会話だからクソリプ認定はされづらい。
しかし「ナシのほうがおいしいですよ」とか「ジャムにすればいいのに」とか、
「おいしいかどうかは人それぞれなのでは?」みたいな、会話の流れとしてちょっと変だったり、
上から目線だったり、まあそういうのがクソリプ認定されがちだと俺は認識している。
まあ実際、俺もこれはクソリプだなと思う。んなこと聞いてねえよと思う。
でもわざわざ「クソリプやめてください」「クソリプ乙」と言い返す、あるいは第三者がそう返すのは、見ていて嫌な気持ちになる。
あまつさえ事前に「クソリプ禁止」なんて書いてあろうものなら不快感すら覚える。
りんごを見て美味しそうだと思う人もいれば、デッサンしたくなる人もいるだろうし、
iPhoneのことを思い出す人もいれば、丸かじりするのがかっけーんだよな……みたいな厨二病もいると思う。
でも、それぞれが思ったことを表明したときに美味しそうだと思った人以外は奇人変人扱い。そんなのってないだろう。
しかし現実として、想定された反応以外を返すとクソリプ認定されて、最悪の場合は叩かれて炎上までする。
そこまで行くことは稀かもしれないが、それでも「クソリプされました」と悪しざまに晒すやつは一定数いる。
相手の意見や考えを受け入れず、押し付けるのは、なんだか気分が悪い。
会話はキャッチボールだと言われるように、相手にとって取りやすいボールを投げるのは確かに大事だ。
上手に会話するスキルを表現する言葉としてはよくできた例えだと思う。
でも別にネット上の、どこの馬の骨ともわからないやつとキャッチボールをする義務はないはずだ。
クソリプを投げられたんなら無視すればいいんだ。わざわざ「クソリプ投げんじゃねえよ!」と悪態をつく必要はない。
キャッチボールできるやつとだけすればいい。それができるのがツイッターだろう。
なんだろうな、あれって2ちゃんや増田みたいな掲示板形式だとあんまり起こらない気がする。
「荒らしはスルーで」とか「スルースキル」なんて言葉もあったくらいだ。
(*)
長くなったから別個に置いたよ。
相手がどう思おうとこれからどんな風潮になろうと、自分が差別されず責められなければいい論旨だった。
(ていうか自分が生理的に無理なことで相手が悲しむとか苦しむじゃなく自分が責められるってなんなん あまつさえ責められたくないってなんなん あなたの気持ちと同じ「生理的に無理」を向けられることを可能性さえ考えてないおこがましさなんなん その非平等さや相手への鈍感さと自分は差別の非難を受けたくないしそう主張していいっていう自己肥大や自分への繊細さとのあまりに大きすぎる不釣り合いってなんなん。なんなん…)
(逆だとどうなる? たとえば、憧れる人がいるけどその憧れが忌避され否定される集団があって、そのなかで暮らしてくなかでその憧れが認められる風潮になってくる、だけど、とある一人から「あなたたちの感性は私の感性とどうしても別のものだし受け入れられない。受け入れるのは一生無理かもしれない。あなたたちを差別しない今の風潮はおめでたいし素晴らしいと思ってはいるんだけど。こういうこと言うと差別って言われるよね。受け入れる努力はゆっくりだけど怠らずにやっていきたいと思ってる、だから差別だって責めないでほしい。お願いだから、準備できるまで無理強いしないで。あなたたちが差別しないでというならこちらの嫌悪も認めてほしい。こういう人もいるんだよ。生理的にずっと拒否してしまうかもしれないけど、それをどうか認めてもらえないかな」とか?)
(私だったらしらける 誰に向かって話しているんだ)
(同性同士の肌の触れ合い勝手に想像しといてこっちの気持ち想像しとらんってことか? いやそう決まったわけでないけど)
(でも絶対私も私の気にしてないところでこういう思考やってる)
(だいたいあなたがどういう経緯でアレルギーをこじらせたのか知らないから…眉をひそめたのだろうその相手だけに向けて書いたのなら、さっき書き連ねたほどにはひどいふうに書いてなかったんだとは思う。読む人にとっては確実差別だなとは思ったけど。正直、対話がうまいこといかずに安易に非難だけされたらまあ、責められる側でしか考えないかなとも思う。わかんないけどね)
(しかしなぜ「生理的に無理」なほど同性愛が無理なのか理解しかねる。異性愛めっちゃ強いか、なんとなく同性のいちゃつく場面を想像してしまう視覚イメージ優位の人か。あと同性愛が無理なのはともかく同性愛『者』はどうなんだ? 同性愛という観念のみ無理となると、それ差別じゃなく偏見の域になるのでは)
(個人的には、同性でいちゃつく人とか思わずにいいと思うんだけど…ちょっと趣味が変わった人とか捉えていいと思ってる、もちろんその相手に初手ストレートでは言えないけど。だけどこういうこと思えるのも周りにLGBTな人ほぼいないのと自分がそれほどゴリゴリに異性愛者じゃないからなんだろうか。不思議じゃない? 男が女に/女が男に恋するって不文律が、自由に意思を持つ人間における違う個体の大多数で自然と守られていくの。男と女のキスシーンは特に問題なく見られるの。不思議じゃないのか…?)
二次創作なんか自分から隠れてやるんだしお願いされりゃエロぬきもできるんだからフェミはやり玉になんかあげるわけない。
世間の信頼を裏切ったのは、たとえば新宿駅に献血したがる人を「怖いんだろw」ってあざわらうポスターかかげた献血広報と一次創作たる宇崎だよ。
献血は怖いかもしれない。痛みもある。でもやる意義があるから怖くて痛くてもやるの。普段から献血してないくせにクリアファイルほしさにあつまる意識低いオタク、あるいはクリアファイルさえとりにいかないのにフェミを笑いたいだけの自称オタク、の笑いものにされてあまつさえ「同じかわいい女性のいうことじゃないですか!」って言い訳につかわれていいもんじゃないよね。信頼裏切ったのはだれ?
たとえば女子高生がパンツスジすけないように工夫してこれで痴漢にあわないだろう大丈夫だろうとでかけてるのに「パンツのスジすけたほうがかわいいにきまってるじゃん」ってポスターかかげた農家だよ。これなんの二次創作か?一次創作がどうどうと実在の女子高生を裏切ったんだよ。
他人を嘲笑するためだけにうみだされた一次創作キャラも可哀想だよな
「規制派フェミ」はこんなバカどもがウマすげーっていうずっとまえからキャラを尊重することを知っていたんだとおもうがどうかね
マジで😲⁉️
確実にものになるという保証は無いにも関わらず、ものになるまでひどい政治状況であろうが耐え忍び、あまつさえ選挙で他の政権担当能力のある政権を選び直さず目的の党にちゃんと投票を続けるなんて国が"ある"というどころのレベルか、そんな国"ばかり"だというのか!?
白人が逮捕された実例をいくつ上げようが、「黒人の方が逮捕されやすい」という事実に対する反論にはならないのよ。
逆にオタクが叩かれた実例を上げたところで「オタクが叩かれやすい」ことの証明になるわけでもないけど、一つ象徴的な事実としては、たかが「献血ポスターにほんのちょっとえっちな絵が使われた」程度のことを批判するのに、「売血だ」とかいう”過激な”論理が用いられたことは記憶にも新しいよね。主観的なストーリーでしかないけど、そのようなストーリーは強者の側からは見えないのよ。
私のようなアセクシュアル(フィクトセクシュアル)の人間からすれば、フィクションの表現なんかよりも、人格のある生きた異性を性的対象として、あまつさえ性交渉にまで及ぶような人権侵害行為が許容されている社会にこそ恐怖を覚えるのだけれども。こうした対人性愛の特権性が批判されることは無いのだから、いくらなんでも「オタクばかり叩いてるわけじゃない」という言い訳はいつまでも通用しないよ。
めちゃくちゃイラついている。何に対してかって、この内容を投稿して理解を得られると思っているお前と、それにイラつている自分に対してだ。
何なんだマジで。俺はお前なんだ。もっとひどい、と思いたいが無理だ。小中高浪大いずれも努力した記憶がなく技術も持たず自分を愛せず友人もおらず恋人が居た経験もなく仕事もできない、運だけで最大手企業に入った俺も、お前と同じく恵まれているからだ。
糞が。
案の定お前の出身大学をFランと決めつけながら学歴コンプを改めろなどと抜かす、完全な差別かつ自己矛盾に満ちたコメントで溢れている。当たり前だ。ここははてなで、無自覚な糞野郎の巣窟だ。別にそれに憤怒してるわけじゃない。
大学パンフレットが一握りの例でしかないと大学3年になってようやく気が付き「自分のコンプレックスをバネに成長する」などという陳腐な言説を再開発し出身大学に砂をかけつつ、最後に俺にありがとうと感謝したお前は、これからもフォロワーをハッとさせ部下に慕われ出世街道を邁進していくのだろう。素晴らしいことだ。皮肉ではなくお前を採用したリクルート(仮名)は人の本質的な能力を見る目がある本当に良い企業だと思う。
何の不満があるのだろうか。いや、不満があるのは分かる。お前は俺ではないが、俺はお前だからだ。クソが。そこにあるのは、はてなとかいうゴミ溜め以外でも苦悩が理解されないかもしれないという恐怖だ。一流企業に勤めて仕事で結果を出すお前が自分を愛せないという悩みを、誰もマトモに取り合おうとしない恐怖だ。立派な悩みだ。でも大半の人間の脳は、俺やお前の企業名や仕事内容が聞こえたその瞬間、全ての悩みを棄却し拒否するように出来ている。仕方のないことだ。お前はそれを知らないフリして、あまつさえ長文で自己憐憫を垂れ流し、卑しくも床にこぼされた同情までもかき集めようとしている。
おれはめちゃくちゃイラついている。なんなんだ。俺は空っぽだ。高校の時マトモに努力せず0点を連発し担任の無賃残業を延ばしまくっていた俺は母親に「自分は小学校の時ゲームに逃げ続けていたのにサルゲッチュのサルさえ全部捕られなかった屑なんだ」と泣いて嘆いて困らせた。今はそれさえできない。この意味が分かるか?糞が。俺は卑しい人間なんだ。おれは氷河期前夜と言われる今、のうのうと他の困窮している人間を無視しお前の投稿をダシにこのショボい抑鬱さえ無いものにしようとしている。意味が分からん。泣けるわけがない。別に泣くお前が悪いと言ってるわけじゃない。
糞が。
自分が恵まれてないとかツイてないとか、冷静に考えれば悲観するほど酷い境遇でもないのに
承認欲求と願望だけはネットで毒虫の様に肥大化して、ただ自分が金や女や称賛や社会的地位を得られればいいとか通り越して
自分の欲しいものわずかでも持ってる奴は、全員死ねばいいしなんなら犯罪にならないレベルで足引っ張ってやれるならやるってレベルで煮詰まって、社会や世界に自分の不満による不幸なら、社会や世界も同じように等しく不幸でなければならないというのは
劇画ヒットラーで司馬遼太郎がコメントを寄せてた「自分が不幸だからと言って社会や周りに同じ不幸になることを求めるのは通り魔の考え」って書いてたがその通り
ネット民は政治だ経済だ思想だと高尚ぶってあまつさえ政治問題だとか叫ぶけど
根っこは全部これなんだよね
曖昧だからこそ残る余韻ってあるじゃないですか。私はそれを楽しみたい。
最近SNSで自己顕示を満たしたいせいかやたらと深読み(多くの場合深読みですらない)したがる人が増えてきてる気がするんですよね。
その行為自体は結構で、エヴァみたいなそれ自体を楽しむアニメならいいと思うんです。
でもそんなの必要ない日常系やアイドル系コンテンツにまでそのスタンスを持ち込むのはどうなんでしょうか。
深読みで済むならまだ良くて、あまつさえ支離滅裂な小っ恥ずかしい妄想まで垂れ流して。
問題は規定の内容にある。「正しくマスクを着用すること」という曖昧な記述が一切の元凶や。
なんで「不織布マスクにより鼻と口を確実に覆う形で着用すること」と書かんかったんか?
その理由は明確や。つまり、疾患その他の理由で呼吸に困難のある人間を拘束し得るルールを明文化しては後のトラブルに繋がるからや。だからこそ、試験運営側は敢えてルールをボカして書いたわけや
で、結果がコレや。高々オッサンが鼻を出しとった程度で逮捕騒ぎ! この世界にはアホしかおらんのか!?
そもそもそれは運営側が日和ってどうとでも解釈できる曖昧な記述を行った所為やねん。なんでそれでオッサンだけが割を食わないかんのや!?
「いやいや鼻マスクはコロナ感染を誘発する立派な有害行為やろ」と言うやつもおるやろうが、そんなこと言うたら一切の発話行為の方がよっぽどリスクあるわ! 試験官が注意のために発話する度に、不織布マスクでも防ぎ切れん30%前後の飛沫が空気中に拡散しとんねん。そっちの方がよっぽどコロナ感染のリスクを誘発するわ! だったら試験官もウイルス拡散のかどで別室送りを命じられ、拒否すれば逮捕、って流れになったとしても、「コロナのリスクを低減する」という目的の為ならば全く矛盾はないやないかい。
でも試験官は別室送りにならんし、教室中で知り合い同士集まってわんさか発話しとる高校生にも当然お咎めはない。おかしいやろがい! コロナ感染のリスクを鑑みればオッサンも試験官も高校生も皆同罪やのに、どうしてオッサンだけが失格からの逮捕されんねん!
要はホントにコロナについて真面目に考えとる奴なんておらんねん。やのにオッサン一人が失格扱いを受け、あまつさえ逮捕されるような現状を鑑みれば、運営の構造が歪やという以上に感想はないんや。
こんなしょうもない事例をきっかけで逮捕しよるようやったら、今に、一瞬でも発話しようもんなら逮捕されるような歪な社会状況になってもおかしくない。そういう社会が皆は望みなんか? 違うやろ?
「女子をキモがらせる奴を懲らしめる」名目で男子は暴力を振るってきた。
正直こちらが反撃しても名分が立つ男子のストレートな暴力よりも
反撃することが許されない女子からの嫌がらせの方が辛かったし、
何より苦痛だったのは「女子から男子に」だったことでいじめが正当化されることだった。
実際先生に被害を訴えても、せいぜい男子の暴力行為や暴言が処罰された程度で
こちらがより深く傷つけられたのはむしろ女子からの流言飛語や言葉の暴力だったのに。
ひどく傷ついたけど、そのころは「女子を不快にさせるなら良くないよな」と無理やり自分を納得させるしかなかった。
元々女子と話すことなんてなかったけど、極力女子から距離を置くようになった。
女子を不快にさせず、また攻撃を受けないようにするにはそうするしかないと思った。
でも、それでもキモイ、キモいと悪口は絶えなかった。身に覚えのない悪評も流された。
そんな忌むべき性犯罪とも同列に並べられる。
何も悪いことなんてしていない、ただそこにいると言うだけでも。
どれだけ自己肯定感を傷つけられ、生きていくのに必要な自信を失ったか。
いつの間にか「人格が劣るから相応の扱いをしてやっている」ということにされていたのも傷ついた。
曰く、「キモいって言われてるのにキモいまま改善しないのは向上心がない、周りへの配慮がない」とか。
なんでお前らの好みに合わせないだけで嫌がらせされなきゃならなかったの、
って今だったら思えるけど、当時の俺は真に受けてしまって、
俺は性格が駄目なんだ、嫌われる人格なんだ、とすごく落ち込んだものだった。
イジメの原因だったろう脂漏性皮膚炎の薬を塗るのを見られたらキモいと笑われ盗まれた。
美容院に行ったり服を買い揃えてみたりしても、似合ってないとバカにされて。
街でクラスメートの男女グループに遭遇したら大声でバカにされたのは
自分が街に繰り出しちゃいけない存在みたいに思えて、ある意味学校でのいじめ以上に辛かったな。
目的のはずの買い物もしないまま、逃げるように家に帰ったあの気分は今でも思い出してしまう。
学校をやめて引きこもった。
電車内でやむなく隣り合ったとき、エレベーターで同乗したとき、
それでも精神科に通ううち、どうやら俺は何も悪くなくて、
自分は被害者だったのだとようやく、本当にようやく思えるようになった。
ただ、どうしても腑に落ちなかったのはなぜあの頃イジメが、
とりわけ女子の言動が咎められずあまつさえ正当化されていたのか。
(俺は当初信じられなかったが)性格の良い娘だと評判される女子もいた。
そんな人たちを平然と加害へと導くなにかがこの社会にあると考えて、
その正体が知りたくて色々調べるようになった。
そうしたら、なんとなくわかってしまった。
そんな「正しい」リベラルな概念は、もはや俺のような男の傍には存在してくれないのだと。
総じてリベラルを標榜する人たちには俺のような男はまったく視界に入っていない。
そんな彼女らに攻撃される男は悪に違いない、という決めつけが蔓延っていてそれを糾す様子もない。
要するに女性の持つ加害性について何も批判できないし省みることもない。
そして今の世の中はそんな人達によって価値観や規範を先導されている。
とりわけフェミニストと呼ばれる人たちは明確に俺の敵なのだろう。
彼女らはキモいという言葉で異性を傷つけることになんの躊躇もない。
(一部の悪質な男に対して使っているだけだなんて、俺の体験を通してみれば欺瞞でしかない)
そして女性の加害性というものに対する自省もまったくしない。あっても同性への加害に対するものばかり。
女性の社会的自立を謳うなら、女性の加害を批判し自己を律するように要求することは不可欠なはずで
実際に男性に対しては「有害な男らしさ」とやらを自省するよう求めているのに。
男性が女性から受けた被害体験を吐露すれば「男社会」という言葉を使って、
さも世の中の女性の持つ価値観には悪い部分はないかのように吹聴し、
「男社会」で起きたことだから女は何も省みなくて良いということだろうか。
現実の世の中は、男社会どころか女性が不在の場面のほうが珍しいんじゃないのか。
そして、残念なことに「自分より下」と見なした男性に加害的に振る舞う女性は相当多い。
そいうときは決まって、有無を言わさず「人格面がクズ」ということにされるのだ。
俺がなんとか鬱から抜け出して働くようになってから目の当たりにした社内イジメもそうだったし、
ネットで交流した、女性からイジメを受けた男性もほとんどがそうだった。
少なくとも、リベラルな人たちが考えている以上にこの手のケースはずっと多い。
そして周囲は彼女たちの味方をする。対象の男性がそのコミュニティを追放されるまで。
女性の加害が加害とみなされず放置され、女性は自らの加害性に無頓着であり続ける。
自分の加害を加害とも思えないなら、セクハラを繰り返す醜悪なジジイと同じ。
・・・と、そう思っていたが、最近になって納得するようになった。
女性の加害性も男性の被害も無視するのが「正しい」、そんな世の中なのだ。
なぜそんな順番が設けられているのか全くわからないが、
価値観のアップデートとやらの内容に「女性の男性に対する加害は許されない」が含まれることはないだろう。
男性が生きづらさを吐露すれば「男も辛いんだ論」などと揶揄される。
「男の辛さなんて大したことない」と断定しては世の中の言説を先導していく。
気に入らない男性に対して粗暴に振る舞い、傷つけるような言動を取り嘲笑し
それをネット上で誇示するような女性が「強い」と持て囃され共感を集める。
女性の価値観は絶対で、女性が不快と感じればその存在そのものが罪悪。
女性に承認されるか否かでその男性の人格面までジャッジできる。
俺をいじめていた女子も男子も、彼らは「正しかった」からロクに罰されなかった。
女子は不快な俺を存在自体が罪悪と見なし排斥対象のマークを付け、
生まれつき正しくないのだろう。
もう疲れてしまった。
俺はもう、女性が怖くて嫌で、人間らしく家族を営んだりはできない。
親も死に、何を生きがいにすれば良いのかわからない。
趣味もあったけど、それも女性からクレームを付けられるようなコンテンツを楽しむ「正しくない」趣味だった。
ずっと社会から排除されないよう女性を不快にさせないように近づかないようにと気をつけていたけど、
女性と世間話の一つもできないような男は社会に溶け込めるどころかどんどん社会から疎外されていった。
ただ、同じ人間として扱ってほしいというだけのことがどうしてこんなにも辛くなってしまうのだろう。
この世の中で生きていく自信がなくなってしまった。
(追記)
やはりというか、「性別関係ない」とか「女も男からいじめられる」とかそういう話になってしまうのか。
俺はあくまで「女性による男性への加害」の話をしているつもりだったのだが、
正直言って、この話を性別関係ないなんて言われても女性の加害性についての追求を
仮に男性からいじめを受けた女性が、男性の加害性の話をしているのに対して
「男性も女性からいじめられているがそれについてはどうなんだ?男女関係ないよ」なんて言われてたらどう思うか。
そういうのはどっちもどっち論だとかWhatAboutismなどと呼ばれて批判されてたはずなのだけど。
もうこういうダブルスタンダードにも、それが当然のようにリベラルな人達の間でまかり通っている状況に疲れ果ててしまった。
「お前は正義の対象外だ」とネットを覗くたび、テレビを見るたび日々突きつけられる気持ちは
リベラルとして正義を謳歌してる人たちにはわからないんだろう。
もう疲れた。楽になりたいよ。
辞めた今でも「あいつのせいで、あいつのせいで」と辞める原因となった色々な顔が頭に浮かんできて、された事や言われた言葉を思い出す。恨みで頭が一杯になって何時間もずっと同じことを考えている。
「過去のことなんて考えるだけ無駄だ」と頭で分かっていても恨みを頭から追い出すことは出来ない。
「俺より能力が低いくせに楽な部署に行って楽しくやりやがって」「経験も無いくせに偉そうな事言いやがって」「俺よりも給料低いくせに給料高いアピールしやがって」「大した仕事でも無いくせに粋がりやがって」「俺より辛い思いしてないのに仕事辞めやがって」挙げたらきりが無いが、気付くと仲の良かった同期や友達、果てはテレビで見た知らない人やTwitterでツイートが流れてきた人など、ありとあらゆる人に対して無意識に恨みを抱くようになり、その度に「何故自分はそんなことを考えてしまうのか」と自己嫌悪に陥っていた。
そんな時に沼田和也さんと言う方の一連のツイートを見た。以下に引用させて頂く
〜〜〜
教育ってすごいな/怖いなと思うのは、小中での「とりあえずぶん殴る」というシゴキ教育のなかで育ち、高校の剣道部でも先輩からこってりやられた体験が、未だに自分のなかで、理性的なものとは別次元で、「年功序列や鉄拳制裁でどうにかできるのでは?」という身体的誘惑になっていることである。
園長をしていた折、職員室に入って来て騒いだ子どもたちに「やかましい!外に出んか!」と怒鳴ったことがあり、副園長から「(子どもだけでなく)職員が萎縮するからやめてください」と注意されたことがある。子どもの頃あれほど嫌だった力技を自分がしていると気づき、悲しかった。
だから、「体罰はよくない」「組体操は危険である」等の批判がなされるとき、理性では「まったくその通りだ。それが正しい」と理解しているのに、身体が苛立ちを覚えてしまうのである。悲しい苛立ちである。時代遅れの苛立ちである。
〜〜〜
沼田さんのツイートの主旨とはずれるだろうが最後の「理性では理解しているのに、身体が苛立ちを覚えてしまうのである。悲しい苛立ちである。」の一文を読んだ時、言語化できていなかった自分の「恨み」という感情は「悲しい苛立ち」だったんだと、少なくともこの世に一人は自分と同じ「悲しい苛立ち」を感じた人がいるんだと、自分だけでは無いんだと救われた気持ちになった。
考えてみると人生で会った人の中で本当に嫌な奴というのは少数で、殆どの人は良い人だった。今まで多くの人に助けられてきたことを忘れ、あまつさえ恨んでいた自分を恥じた。何と神に愛されぬ生き方だろうと。
自分がこれからどうするのか考えた。今まで与えて貰い、返していない恩をどうしようと。もう会えない人もいる、それならまだ会える人と、生きていく上で会う人に恩を返そう。良い人にも、嫌な奴にも
そう決めると頭の中に嫌な顔や思い出が出てこなくなった。
信長というと、短気で気分しだいで人を殺していたとか思われがちだが、
20年来の宿老の佐久間信盛を解任する際も、暴君なら理由もなしに追い払ってしまうものだが、
信長は以下の長文をわざわざ直筆で書いている。
一、佐久間信盛・信栄親子は天王寺城に五年間在城しながら何の功績もあげていない。世間では不審に思っており、自分にも思い当たることがあり、口惜しい思いをしている。
一、信盛らの気持ちを推し量るに、石山本願寺を大敵と考え、戦もせず調略もせず、ただ城の守りを堅めておれば、相手は坊主であることだし、何年かすればゆくゆくは信長の威光によって出ていくであろうと考え、戦いを挑まなかったのであろうか。武者の道というものはそういうものではない。勝敗の機を見極め一戦を遂げれば、信長にとっても佐久間親子にとっても兵卒の在陣の労苦も解かれてまことに本意なことであったのに、一方的な思慮で持久戦に固執し続けたことは分別もなく浅はかなことである。
一、丹波国での明智光秀の働きはめざましく天下に面目をほどこした。羽柴秀吉の数カ国における働きも比類なし。池田恒興は少禄の身であるが、花隈城を時間も掛けず攻略し天下に名誉を施した。これを以て信盛も奮起し、一廉の働きをすべきであろう。
一、柴田勝家もこれらの働きを聞いて、越前一国を領有しながら手柄がなくては評判も悪かろうと気遣いし、この春加賀へ侵攻し平定した。
一、戦いで期待通りの働きができないなら、人を使って謀略などをこらし、足りない所を信長に報告し意見を聞きに来るべきなのに、五年間それすらないのは怠慢で、けしからぬことである。
一、信盛の与力・保田知宗の書状には「本願寺に籠もる一揆衆を倒せば他の小城の一揆衆もおおかた退散するであろう」とあり、信盛親子も連判している。今まで一度もそうした報告もないのにこうした書状を送ってくるというのは、自分のくるしい立場をかわすため、あれこれ言い訳をしているのではないか。
一、信盛は家中に於いては特別な待遇を受けている。三河・尾張・近江・大和・河内・和泉に、根来衆を加えれば紀伊にもと七ヶ国から与力をあたえられている。これに自身の配下を加えれば、どう戦おうともこれほど落ち度を取ることはなかっただろう。
一、水野信元死後の刈谷を与えておいたので、家臣も増えたかと思えばそうではなく、それどころか水野の旧臣を追放してしまった。それでも跡目を新たに設けるなら前と同じ数の家臣を確保できるはずだが、1人も家臣を召し抱えていなかったのなら、追放した水野の旧臣の知行を信盛の直轄とし、収益を金銀に換えているということである。言語道断である。
一、山崎の地を与えたのに、信長が声をかけておいた者をすぐに追放してしまった。これも先の刈谷と件と思い合わされる事である。
一、以前からの家臣に知行を加増してやったり、与力を付けたり、新規に家臣を召し抱えたりしていれば、これほど落ち度を取ることはなかったであろうに、けちくさく溜め込むことばかり考えるから今回、天下の面目を失ってしまったのだ。これは唐・高麗・南蛮の国でも有名なことだ。
一、先年、朝倉をうち破ったとき(=刀根坂の戦い)、戦機の見通しが悪いとしかったところ、恐縮もせず、結局自分の正当性を吹聴し、あまつさえ席を蹴って立った。これによって信長は面目を失った。その口程もなく、ここ(天王寺)に在陣し続けて、その卑怯な事は前代未聞である。
一、大まかに言えば、第一に欲深く、気むずかしく、良い人を抱えようともしない。その上、物事をいい加減に処理するというのだから、つまり親子共々武者の道を心得ていないからこのような事になったのである。
一、与力ばかり使っている。他者からの攻撃に備える際、与力に軍役を勤めさせ、自身で家臣を召抱えず。領地を無駄にし、卑怯な事をしている。
一、信盛の与力や家臣たちまで信栄に遠慮している。自身の思慮を自慢し穏やかなふりをして、綿の中に針を隠し立てたような怖い扱いをするのでこの様になった。
一、信長の代になって30年間奉公してきた間、「信盛の活躍は比類なし」と言われるような働きは一度もない。
一、信長の生涯の内、勝利を失ったのは先年三方ヶ原へ援軍を使わした時で、勝ち負けの習いはあるのは仕方ない。しかし、家康のこともあり、おくれをとったとしても兄弟・身内やしかるべき譜代衆が討死でもしていれば、信盛が運良く戦死を免れても、人々も不審には思わなかっただろうに、一人も死者をだしていない。あまつさえ、もう一人の援軍の将・平手汎秀を見殺しにして平然とした顔をしていることを以てしても、その思慮無きこと紛れもない。
一、こうなればどこかの敵をたいらげ、会稽の恥をすすいだ上で帰参するか、どこかで討死するしかない。
一、親子共々頭をまるめ、高野山にでも隠遁し連々と赦しを乞うのが当然であろう。
右のように数年の間ひとかどの武勲もなく、未練の子細はこのたびの保田の件で思い当たった。そもそも天下を支配している信長に対してたてつく者どもは信盛から始まったのだから、その償いに最後の2か条を実行してみせよ。承知しなければ二度と天下が許すことはないであろう。
また、秀吉が浮気したときに、奥さんの禰禰にこのような手紙も送っている。
私の命に従い、この度、この地(安土城)にはじめて尋ねてくれて嬉しく思う。
その上、土産の数々も美しく見事で、筆ではとても表現できない程だ。
そのお返しに、私の方からも「何をやろう」かと思ったが、そなたの土産があまりに見事で、何を返せば良いのか思い付かなかったので、この度はやめて、そなたが今度来た時にでも渡そうと思う。
そなたの美貌も、いつぞやに会った時よりも、十の物が二十になるほど美しくなっている。
藤吉郎(秀吉)が、何か不足を申しているとのことだが言語同断けしからぬことだ。
どこを探しても、そなたほどの女性を二度とあの禿ねずみは見付けることができないだろう。
これより先は、身の持ち方を陽快にして、奥方らしく堂々と、やきもちなどは妬かないように。
ただし、女房の役目として、言いたいことがある時はすべて言うのではなく、ある程度に留めて言うとよい。
又々 かしく藤吉郎 女ども
のぶ
夫に会いたい。
夫と子供たちを会わせたい。
身バレ覚悟で書くけど、5月から出産のために入院し、7月に双子を出産して、産後の肥立ちがよくなかったので9月に退院して双子新生児と3人で実家に戻った。夫のいる自宅は東京。
コロナで面会が制限されていたためこの間、夫とは出産当日の1日しか会えていない。もちろん夫と双子も1日しか会えていない。
退院してからのち、夫には土日に実家に来てもらって双子との絆を育んでもらおうと思っていた。
思っていたのだが…実家の両親の大反対にあい夫は来れていないままなのだ。夫がコロナ満載都市・東京住まいだからである。
いわく、赤ちゃんになにかあったら…私達(両親)も高齢だから…。
では私が双子を連れて東京に戻ればいいのだが、もとより強くない体なのに加えて、双子を出産したことにより大ダメージを負った。少なくとも回復するまで日中ワンオペになるであろう東京に戻るのは現実的に難しそうだ。
そうこうしている間に双子は毎日成長していく。写真は毎日送っているし動画で通話はしているが、新生児期の双子のぬくもり、抱きしめたときの双子の表情、日々ふえていく重み、そういうものが失われ取り戻せないことがとても悲しい。
夫は、父になった現実感が薄いままここまで来てしまった。最初の立ち上がりに参加できず、この先20年以上に渡る子育てに、当事者意識をもてなくなってしまわないだろうか。私は夫と一緒に子育てがしたかった。
そんな理由で母と喧嘩することが増えた。父はまだ外で働いているし、実家住まいの弟などは大学こそあまり行ってはいないがバイトはしており、あまつさえ会食も行っているのだ。なぜ、私と子供だけが、夫に父に会うことを制限されないといけないのだ。
電車のクラスターは出ていない!時差出勤とリモートと半々!なんならPCR検査受けさせるから、せめてこの年末年始は一緒に過ごさせてほしい!
じゃあ出ていきなさい!
こんな喧嘩をしていても、私は子供たちのために実家にいなければならないのだ。母の協力なしでは双子育児が立ち行かないであろう貧弱な己の肉体が憎い。
さて、ここまで書いて、まあ田舎はなあ…ご近所の手前ねえ…東京もんは怖いよね…島根かな?岩手かな?と思われているでしょう。