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長くなったから別個に置いたよ。
相手がどう思おうとこれからどんな風潮になろうと、自分が差別されず責められなければいい論旨だった。
(ていうか自分が生理的に無理なことで相手が悲しむとか苦しむじゃなく自分が責められるってなんなん あまつさえ責められたくないってなんなん あなたの気持ちと同じ「生理的に無理」を向けられることを可能性さえ考えてないおこがましさなんなん その非平等さや相手への鈍感さと自分は差別の非難を受けたくないしそう主張していいっていう自己肥大や自分への繊細さとのあまりに大きすぎる不釣り合いってなんなん。なんなん…)
(逆だとどうなる? たとえば、憧れる人がいるけどその憧れが忌避され否定される集団があって、そのなかで暮らしてくなかでその憧れが認められる風潮になってくる、だけど、とある一人から「あなたたちの感性は私の感性とどうしても別のものだし受け入れられない。受け入れるのは一生無理かもしれない。あなたたちを差別しない今の風潮はおめでたいし素晴らしいと思ってはいるんだけど。こういうこと言うと差別って言われるよね。受け入れる努力はゆっくりだけど怠らずにやっていきたいと思ってる、だから差別だって責めないでほしい。お願いだから、準備できるまで無理強いしないで。あなたたちが差別しないでというならこちらの嫌悪も認めてほしい。こういう人もいるんだよ。生理的にずっと拒否してしまうかもしれないけど、それをどうか認めてもらえないかな」とか?)
(私だったらしらける 誰に向かって話しているんだ)
(同性同士の肌の触れ合い勝手に想像しといてこっちの気持ち想像しとらんってことか? いやそう決まったわけでないけど)
(でも絶対私も私の気にしてないところでこういう思考やってる)
(だいたいあなたがどういう経緯でアレルギーをこじらせたのか知らないから…眉をひそめたのだろうその相手だけに向けて書いたのなら、さっき書き連ねたほどにはひどいふうに書いてなかったんだとは思う。読む人にとっては確実差別だなとは思ったけど。正直、対話がうまいこといかずに安易に非難だけされたらまあ、責められる側でしか考えないかなとも思う。わかんないけどね)
(しかしなぜ「生理的に無理」なほど同性愛が無理なのか理解しかねる。異性愛めっちゃ強いか、なんとなく同性のいちゃつく場面を想像してしまう視覚イメージ優位の人か。あと同性愛が無理なのはともかく同性愛『者』はどうなんだ? 同性愛という観念のみ無理となると、それ差別じゃなく偏見の域になるのでは)
(個人的には、同性でいちゃつく人とか思わずにいいと思うんだけど…ちょっと趣味が変わった人とか捉えていいと思ってる、もちろんその相手に初手ストレートでは言えないけど。だけどこういうこと思えるのも周りにLGBTな人ほぼいないのと自分がそれほどゴリゴリに異性愛者じゃないからなんだろうか。不思議じゃない? 男が女に/女が男に恋するって不文律が、自由に意思を持つ人間における違う個体の大多数で自然と守られていくの。男と女のキスシーンは特に問題なく見られるの。不思議じゃないのか…?)