はてなキーワード: 自己嫌悪とは
自分がいつも物のあふれる中にいて、なかなか荷物を整理できないため、シンプルな暮らしには憧れる一方、持ってるものの1つ1つに自分の精神性が担保されているような気分があって、一度引越しの際に大々的に荷物を整理した時は失ったものを後から後から思い出し、そのたびに落ち込んで数年立ち直れなかった。
最近目に付く(やってる人は最近からではないと思うけど)ミニマリストという人々は、もののない生活の中でどうやって自分を保っているんだろうか。そのうち合理性を突き詰めて、自己嫌悪になり、消費カロリーが無駄なので各種臓器や四肢に手をつけたりすることを考え始めてしまうんだろうか。バカボンのネットで有名な話にそういうのあった(そういう情報を見てしまうと、元を見たくて本を買い、また物が増えてしまう)。でもミニマリストの根底には大体のものは代用が聞くから自分で常備しなくてもいいっていう考えがあるっぽいので、代用が聞かないものはコストを支払ってでも持ち続けるんだろうなあ。
有用不要の管理が上手だよなあ。そして精神も強いからたまったもんじゃない。長い目で見れば持ってるだけで二度と触らないもの、そのためにどう考えても無駄なコストを払ってるものとかいっぱいあるけど、別に困ってないからいいか。でもうらやましいよなあ。
教科書行方不明など日常茶飯事でレジで小銭を落とし、重要な連絡事項が書いてある紙を落とし、外食時にコップを倒し、棚の上に置いてあるものを落とす。
最近は特に顕著でここ一年で財布を二度紛失(一度は帰ってこなかった)、パソコンを既に鍵の締まった教室に置きっぱにしてしまう、更には学生証を同じ週に二度落とし(学生課に笑われた)、イヤホンのイヤーピースを落としたからとイヤーピースを買いに行ったビックカメラでイヤホンを紛失。ポッケから落ちた財布を近くの人に教えてもらうこと週二回、スマホに至っては毎日一度は床に落とす。ついたあだ名が「握力ゼロ」。
で、先日自転車で帰宅してる途中に家の鍵を落とした。なくさないようにわざわざ大きなキーケースをつけていたのにも関わらずだ。幸い管理会社に合鍵があったので鍵作り直しという最悪の事態は免れたが、深夜に対応しくれた警察官、一緒に探してくれ、朝まで泊めてくれた友人らに申し訳なさすぎて過去最大の自己嫌悪に陥ってる。
気持ちがメゲてると矢継ぎ早に(個人的に)落ち込むことが起きる。
ってか、そんな気になる。
自分の根幹が揺らいでる感じがするときには、全てを悪いように受け取ってしまう。
「お前、鬱やろw」ってな話なんかもしれんが、まぁそうなんやろう。
気持ちが沈んでる状態が続いて、生活に影響が出るようやったら、そういう風に診断されるわけやし。
タイトル通り、これは見映えのしない独り言なわけだが、いかんせん初心者、上手く吐き出すことができんでいる。
ただ、なんやろな、こういうところで書き始めただけで、少し気が晴れる。
周囲にボヤいたりしない性分なだけにこういう場には感謝せないかんな。
実際「ドグサレ、ヴォケがぁ〜」なんて書いたらスッキリするかな、と思って書き始めたが、そこまで書かんでも毒が抜けてきた。自戒含め、タイトルはそのままいくけど。
とりあえず、勤め先でメゲることがあって、昔のこと思い出して自爆ダメージ喰らって、ヨレヨレになっとるわけだ。
ダメだこりゃw
髪は10日前に茶色くした。時々使っていたワンデイコンタクトから毎日使う用のツーウィークに変えた。
あとはピアスをあけたらとりあえずの大学デビュー行為は終わりだ。
入学したての頃の私は、不自然な茶髪にファーストピアスといういかにもな新入生スタイルであった。
私はその間にヒカリエのアクセサリー屋やルミネエストの雑貨屋で日々ピアスを集めていた。
まだファーストピアスが取れないことをもどかしく感じながらも、ワクワクとドキドキした気持ちを胸にピアスをアクセサリーケースに大切にしまった。
初めのうちは少し膿んだり、すぐ塞がりかけてしまったりしたものの、半年くらい経つとピアスホールは安定してちょっとくらい入れてなくてもすぐには塞がらなくなった。
ピアスをあけた日から2年経ち、私は今日で大学3年生になった。
私の大学は今日入学式らしく、みんな新入生勧誘活動に勤しんでいることをSNSで嫌というほど目にする。
1年生の時入ってたサークルも2年生の時入りなおしたサークルも新歓を前にやめてしまった。
どちらも人間関係を維持するのがめんどくさくなって、フェードアウトしてしまった。
先ほど家を出る時、久しぶりにピアスを付けようと桜のピアスを手に取った。
右耳に入れようとすると耳の裏側からポストが出てこない。思い切ってぶすっとさすと血が出てきた。
左耳は何度も試したがピアスが入らなくて、今日は諦めてしまった。
ああ、私の人間関係も同じなんだなって思った。
人間関係を維持するには、ピアスホールを維持するには、マメさが必要だ。
でも毎日ピアスかかさず、寝るときもピアスをつけるほどのマメさは必要ない。1週間に一度でもピアスをつけていれば十分だった。
塞がりかけたピアスホールは、すごくすごく頑張らないとふたたびピアスをつけることはできない。
更新する頃はエイプリルフールかな。別に信じてもらえなくても構わないですが。
精神科通い中。精神障害ではないという診断。(グレーゾーンかもとは言われた)
ほぼ引きこもり。医師の指示で毎日外出はするがコンビニとか図書館くらい。
自己コントロールが下手。何かをしだすとやめられなかったり、逆にやらなきゃならない事が出来なかったり。
タイトルの通り。
生きるためにはお金が必要な事は重々承知している。上記で挙げたような僕の欠点のせいで、お金を出してもらう代わりに期待される労働力に自分がなれないことへの自己嫌悪、他人の期待を裏切ることへの抵抗から、働くことは僕にとって多大なる恐怖なのだ。
欠点は自覚しているが治せないのだ。治そうとした結果が今のメンタル病み状態なわけで…
しかし、周りの人間は死んでもいいとは言わない。当然ではあるが。死んでもいいとか言えば、自殺幇助等に当たるかもしれないし、また、家族などからすれば死んでほしくないのも理解できる。また自殺は悪というように教育されてきたし、僕が死ぬ事で不幸になる人数(最低でも両親と家族)と、救われる(かもしれない)僕1人では明らかに自殺という行為は合理的でない。
メンタルを病んで、自分を大切に、とか言われる事があるが、その自分という存在がよくわからない。僕自身生きていたいのかどうかとかは正直謎である。
「お金があれば美味しいもの食べられるよ」→「我慢すればいいじゃん」
「お金があれば生きていけるよ」→「我慢すればいいじゃん、生きてる必要ある?」
こんな感じの精神状況なのです。これが病気によるものかもしれませんが、僕個人としては極めて理性的に考えているつもりなのです。
生きてるだけで価値があるとか、そんな言葉は大嘘で、僕みたいな人間は働いても迷惑かけるだけだしそもそも雇わないですよね。
本当に価値があるなら国が保証して最低限でいいからお金配ってくれればいいのに。ベーシックインカムってやつですか?それがあれば僕は田舎の小さな図書館のそばにでも住んで細々と暮らしますよ。
小さい頃から、将来のために目先の楽しみを我慢して努力する人生だった。夏休みの宿題なんかは計画的に終わらせて最後の1週間は計画的に遊ぶタイプの子供。将来の選択肢と幸せを最大化するために、淡々と目の前の努力を怠らずに生きてきた。
そして今、その未来がついに来た。行きたい大学でやりたいことを学んで、やりたい仕事について、それなりにスキルも身についてきて自分の裁量で動けるようになって、休みも比較的自由にとれるようになって、ハマれる趣味に出会って毎週平日も休日も充実していて、良い人にも出会えてもうじき結婚する。明日も、来週も、来月も、来年も楽しみでしょうがなくて、それでもっと頑張ろうと思えて、その頑張りが仕事に返ってきて、もっと将来が楽しみになるループ。
とにかく、言いたいことは、毎日が幸せでしょうがない、ということだ。そしてこの環境は、まず第一に親に与えてもらったことに感謝しなければならないけれど、小さい頃からの努力の積み重ねがあってこそだと自負している。そこまではいい。困っているのは、その「頑張ってここまで来たんだぞ」ということを自慢したいという気持ちが隠しきれないということだ。当然、良い大人なので、そんな自慢話を直接人にするようなことはしない。でも直接してなくても、滲み出てしまって、それが相手を不快にさせているのに気づいて申し訳なさを感じる。その一方で、努力でここまできたんだから、やっぱりそれを認めてもらいたい、という気持ちもあって、滲み出るのを本気で抑えきっていない自分もいる。
全員が自分と同じくらい、毎日が幸せでしょうがなくて、互いに思いっきり自慢しあえる世界なら最高に楽しいのだろうけど、世の中はそうなっていない。そしてそれは、周りが自分よりも努力が足りなかったからだと思ってしまう。こういう目で周りを見ていることを周囲に勘づかれつつあることに自己嫌悪を感じながらも、努力して手に入れた幸せを誰にも話せないストレスも感じていて、どうしたらいいのかわからない。これからも未来のためにコツコツ努力を続けて、幸せに生き続ける自信がある。でも万が一この先、病気や事故とかの不可抗力で不幸な道に転落してしまったら、こんな自分を救ってくれる人は誰もいないだろう。
30歳近くなってきて、そういう考えになってきた。
要するにただの自分語り。
2つとなりのクラスで学級委員長をやっている、見るからにまともではなさそうな男だった。
聞けば1年生になって少しして、すぐバスケ部をやめて少し噂になっていた男らしい。
そいつとちょっとしたきっかけで夏に連絡先を交換して、1ヶ月くらいして告白されて付き合い始めた。
そいつにも私にもメンヘラの気があったのもあり、そりゃもう頭の悪そうなカップルになっていたと思う。
放課後に人目の少ない道を選んでは手を繋いで帰ったし、休日はだいたい彼の家に行って遊んだりセックスしたりしていた。
行事ごとのたびに贈り物もしていたし、毎晩のように電話をしながら値落ちしていた。
もちろんメンヘラ同士であるのですぐぶつかり合った。私も彼も気持ちを伝えるのが壊滅的に下手くそだったし、自虐的に物事を捉えるのが上手かった。
彼が自虐的に物を捉えて悲観するたびに私は彼に「あなたは素晴らしいひとだから自信を持ってくれ」と言い続けていた。
彼が私の言葉で元気を取り戻してくれるのが何よりも幸福だった。
私の知らないところでも私のことばかり話していたそうだ。
私達が付き合い始めたあと、彼は学年全体でも20位くらいの成績だったのがメキメキと伸びはじめ、模試があるたび毎回のように1位を取るようになっていた。
2年生の前半までは私もそれなりだったので、彼と一緒に1位と2位を抑えることもしょっちゅうだった。
彼は、彼の自虐癖に対して少しずつ改善の兆しを見せていたし、友達がいなかった筈がいつの間にか友人達と良く話すようになっていた。
けれど私の自虐癖は治らなかった。
高校二年の後半に差し掛かるにつれて、彼と私の実力差は目に見えるようになっていた。
別にそれは全然構わなかったしむしろかなり嬉しかったのだけれど、彼は国立大を目指していた。
それも理系の結構レベルの高い、いわゆる宮廷と呼ばれる大学だった。
私も最初の頃は彼と似たような大学を目指していたが、ある日ふっと私の学力じゃ努力しても行けないなと気づいてしまった。
私は行けない。そもそも学問にそこまで熱中できる人間じゃないし、おそらく地方のほとんどF欄みたいな国公立に行くことになるだろう。この学校で上位を取れていたのもこの学校が基本バカ高校だからだ。
対して彼は本当に頭がいい男だ。このまま努力すれば絶対に第一志望くらい余裕で行けるだろう。理学に対する情熱だってある、だってあんなに楽しそうに数学を教えてくれるんだから。
じゃあ私はきっと彼の足を引っ張ることになるんだろう。そう思った。
そんな思考に半年ぐらい突き落とされて、結局3年生の5月に、適当な理由をでっち上げて彼をフった。
その半年のあいだ、彼と心中してやろう妊娠してやろうとこっそりゴムを捨ててセックスしようとしたり、自殺することで彼の足枷にならないように、かつ彼の心に大きな爪痕を残せるようにしてやろうとしたりもした。
でも結局無理で、いい大学にちゃんと行くべきである彼が合格できるようにするためには私を忘れてもらうしかないとフった。
でも秋の私の誕生日に電話が来たときに、私はひどい態度でそれすらも拒絶した。
その結果、彼は無事に大学に受かったらしい。
噂で聞いた話ではあるが、まず間違いなく受かっていると思う。かくして私の気付きは正しかったらしい。
浪人もやめた。就活こそしているが、4月になれば正式にニートだ。
なんで落ちたかって、彼と別れて一年、ずっとべそべそ泣き続けていたからだ。好きあらば自己嫌悪に溺れて布団の中で一日を過ごした。起き上がることもできなかった。前だったら悲しくなったら彼に電話をかければたちまちに元気になれたのに、ねだればいくらでも撫でてもらえたのに、という具合で。
その生活は未だに続いている。
私の判断は絶対に正しかった、でもその代わり私は二度と彼に顔向けできない。
彼は今後の人生でまた恋人を作り、妻を貰い、子を育てることになるのだろう。
私には絶対に無理だ、どんな男に対しても遊びとしてしか付き合いを持てなくなった。
だからもう私はこれから死ぬまで、彼のくれた贈り物や写真をたまに眺めては罪悪感と喪失感でべそべそ泣いて生きるのだと思う。
だが、そういう中でも希に異性からアプローチを受けることがあった。
社会人になってから知り合ったその人には、こうしたコンプレックスや鬱屈した部分の一部をうち明けていた。
異性としてというより、人として感じる安心感から話したような記憶がある。下らない自己嫌悪を真正面から受け止めてくれたことが嬉しかった。
そうしているうち、経験を積んでみたら変わることもあると言われ、全てを委ねた。
自分には恋愛感情を関係として発展させる才能がない。と、思っていた。
最近は、できたことがないのではなく、作る努力をしてこなかったのだと感じている。
学生の頃、お洒落や化粧、恋愛に一生懸命だった周囲は別世界の人のようだった。
そういうことに興味を傾けずとも自分は充実していると思っていたし、実際、好きな音楽や本だとか、趣味に没頭する時間が好きだった。
人並みに誰かを好きになることはあった。
同級生たちと違ったのは、相手が手の届かない大人ばかりだったということだ。
成就するはずもない相手だという希望の無さに一種の安心感を覚えて、好き勝手に思いを募らせていた。
年上に惹かれるのは完全に好みの問題だが、恋愛に対する能動性を放棄し続けてきた要因にはこうした好みも含まれるのだと思う。
わたしには自信が無い。
とくに、女としての自信が無い。
親友と呼べるほどの間柄にいつも可愛らしい女の子がいて、年上に惹かれるようになる前、同級生に恋をしていた時代の意中の人は悉く彼女らに夢中になった。
彼女たちのように可愛くなりたい。
そう思うより先に、私は女の子として愛してもらえる存在ではないのだと思った。
恋をすることが怖くなった。可愛い女の子たちと比べられること、女として評価を下されることに耐えられなかった。
異性(とくに同世代)に対して、女として扱ってもらうことを諦めたのは十代半ばくらいの頃だ。
手が届かないほど年の離れた人に惹かれるようになったのもその頃だった。
年齢だとか、立場だとか。障害が多く、どう転んでも関係を発展させられないという事実は、わたしが美少女だろうが醜悪な面だろうが覆らない。
才能の有無によって結果が左右されないことが嬉しかった。(今でこそそれも立ち回り次第だと思うが)
逆に言えば、何の努力をしなくてもいい。女として評価されることが怖かったわたしには、この上ない逃げの口実になった。
完全に好みの問題だとは言ったが、書いてみると年上に惹かれる理由はこうしたところにもあるのだろうと思う。
女として傷つかない安全なところで、好き勝手に一人で恋をして、恋が成就せずとも(結婚できずとも)生きていけるようになる。
十代の頃であれば、年の離れた人といっても二十代や、せいぜい三十代前半。独身が多かった。
でも今は違う。今のわたしと比べて年の離れた人、と言うと、世代的にも家庭を持っている人が多い。
そういった人たちの余裕に惹かれるところがあるのか、ここ数年は妻帯者ばかりを好きになっている。
同じ社会人だ。否が応でも同じステージで女としての評価を下される。
それさえ初めは「思わせぶりな態度でその気にさせられた」と思っていたのだから、笑うに笑えない。
恋愛一つ誰かと共有できた試しのない女が、既婚者相手に勝手に思い上がっていただけだった。
違うことは他にもある。
十代の頃にも年相応の知識はあったが、自慰を覚え、知識と身体の感覚が噛み合ってからは他者と繋がりたい欲求が募っている。
とはいえ、恋愛一つままならないわたしにとって、性交渉などさらに高みにある高次コミュニケーションだ。
前段階も突破できずにいたのだから、それこそ手の届かない次元の話だった。
だが、そういう中でも希に異性からアプローチを受けることがあった。
社会人になってから知り合ったその人には、こうしたコンプレックスや鬱屈した部分の一部をうち明けていた。
異性としてというより、人として感じる安心感から話したような記憶がある。下らない自己嫌悪を真正面から受け止めてくれたことが嬉しかった。
そうしているうち、経験を積んでみたら変わることもあると言われ、全てを委ねた。
他者と繋がりたい欲求と、変われるなら変わりたいという焦燥が強かった。これを逃したら二度とそんな経験はできないかもしれないとも思った。
その人が妻子ある人だと知ったのは、後の話だ。
自分の立場がありながら誘いを持ちかけてきたその人に対してというより、ここまできてしまった自分に呆れた。
あれほど女として扱われることを、評価されることを怖がっていたのに、逃げていたつもりで雁字搦めになっていた。
本当は、女として生きてみたかったのだと痛感した。
わたしには自信が無い。
とくに、女としての自信が無い。
今となっては、私の周囲にいた可愛らしい女の子たちが、彼女らなりの努力をして女の子としての地位を獲得していたのだと思う。
若いうちから彼女らはきちんとショーケースに並び、自身を磨いていた。
一方、わたしは女としてショーケースに並ぶだけの度胸がなかった。努力を放棄した。
相応の結果として今がある。
それでも、女として生きてみたいことに気がついてしまった。
自分だけと、後ろめたさなど一切無い関係を結んでくれる人がほしい。
愛することを許されたい。愛してもらいたい。
どんな風に努力を重ねれば、今更でも、こんなわたしでも、女という性を自分のものにできるのだろう。
もはや諦めるしかないという気持ちと、女であることを諦めきれない気持ちとが堂々巡りしているので整理したくて書き込んだけれど、結局まとまらなかった。
正しくは行ったというより待ち合わせて来てもらった。
もうどうしようもなくムラムラする夜に、ネットで読んだレズ風俗に行く漫画を思い出して、レズの気分じゃなかったので、ふつうに「女 風俗」で検索した。レズ風俗の漫画、どうもありがとう。
ムラムラ解消するどころか、ムラムラ悪化しています。ほんとうにありがとうございます。
今回勇気を出して予約したのは、性感マッサージというジャンル?で、ホテルで待ち合わせて、部屋行って、軽くシャワーして、オイルマッサージしてもらって、またシャワーして、お会計して、駐車場まで行って、それぞれ帰る。
肉体的には50、精神的には80満たされた。100じゃないのは私自身の体の問題とか、恥ずかしさが上回って心を開ききれなかったりとかのせい。お金を払うから、何を言われても「はいはいリップサービス」とか思っちゃうひねくれた精神なので、そうじゃなくその場の雰囲気や自分に酔うことができる人間だったら100満足だっただろうなあ。
雰囲気に入り込めなかった原因にもうひとつ思い当たる。めちゃめちゃ顔がどタイプの方が来たこと。合流して、挨拶交わしながら、顔直視できない。もう、好き。顔だけでときめく自分に自己嫌悪するぐらい顔が好き。いや、ほんとは想定外ではなかった。似てる芸能人欄に、顔が好きな韓流アイドルの名前があったの知ってた。でもどうせ盛ってるでしょ変なおじさんが来るんでしょ…って思ってた。と こ ろ が ど っ こ い実際もテレビから取り出したらこんな感じだろう!問題ない!ってぐらいに似てる人来ちゃった〜〜施術中も「あ〜〜見上げた顔がまた似てるよ〜〜マッサージの気持ちよさに集中できない〜〜顔眺めてたいけど目が合うと照れる〜〜」状態。想像してほしい。堀北真希が好きなら堀北真希に少しだけ現実感足した感じのあー結婚して妊娠して雰囲気変わったんだ?でも全然堀北。って人が来る。高橋一生が好きなら思ったより背が低い?声は違うね?でも顔が全然高橋。って人が来るの。すごいよ。
え?じゃあ好きなアイドルにえっちなマッサージされて最高じゃん?って思うじゃん。自己肯定感の低い女なので、私なんかがそんなめっそうもない!!となってしまって興奮しきれなくて困った。相手はそのアイドル本人じゃなく、ただ似てるだけなのに。
軽くお互いシャワーを浴びて、利用のきっかけとか要望とか、性感帯とか性癖とかのえっちな話を顔がどタイプな人としながら普通のオイルマッサージをしてもらう。座り仕事で凝った肩と首らへん揉まれるの最高にきもちいい。だけど顔が好きすぎて集中できない。からのえっちなマッサージ(察して)。きもちいい気がするけど顔が好きすぎて(略)
オーガズムには至らなかった、なのでめちゃめちゃがんばってくれた。それがまた申し訳なかった。お金を払っていれば尽くされても受け入れられるかな、と思ってたけど関係なかった。むしろ金払うからtnk見せて触らせてって思った。言わなかった。
利用してよかったな、って思うことは、私は尽くしてもらうのが苦手なのかなと確認できたこと、お仕事として色んな女性の裸体を見てる人のお世辞はお世辞でもとても嬉しく、女性ホルモンがんがん出たこと。あとマッサージ普通にきもちよかった。
利用して困ったな、と思うこと。顔がど好みすぎてもうまた会いたい。困った。どハマりしそう。
今回は初回割引で90分6000円だったので、プラスホテル代でも1万ちょいで済んだ。けど次回からは90分12000円。プラスホテル代。90分じゃ短いと感じたので延長30分ごとに3000円…お値段の価値あるサービスだけど、ホストより安いけど、だからこそ気を抜いたら依存しそうなのこわい。あと、「そろそろ時間です」「お会計6000円です」の現実引き戻し感ハンパない。これ男性は射精して、賢者タイムで既に冷静になれるよね?女は醒めることがなくて、しかも顔がどタイプの男の人にめちゃめちゃ尽くされたら好きになるよね?女の依存ってほんと厄介だしストーカーとか普通にありそうで、(自分も予備軍の自覚あるし)たいへんなお仕事だなと思った。私と会う前にも1件仕事していて、私の後にももう1件あるんだーと言ってた。純粋にすげえ。がんばってください。
ちなみに、顔がめちゃめちゃ好きで直視できなかったんです、と最後の最後で伝えた。(韓流アイドルのことは失礼な気がして言わなかった)そうしたら、え!そんな風に思ってくれてたの嬉しいなあ。ってめちゃめちゃタイプな顔の人に言われた。じゃぁもっとこっち見て。目みて。ってめちゃめちゃ顔近づけられた。あーーーーー思い出しただけでtnkついてたら射精してるよ
この興奮をだれにも話せないのが辛くて書きました。ありがとうございました。
ムラムラしてる世の女性たちへ、風俗は男の人だけのものじゃなかったよ。ムラムラ悪化するかもしれないけど、それ以上に精神的に満たされます。ただ身の危険もあるのでお店選びは慎重に。
感覚過敏や情緒不安定、トラウマのフラッシュバッグに発達障害、ヒステリー持ちである
近所の騒音で気が狂いそうだ、窓も閉めててパソコンとエアコンの音がガーガーなってるにも関わらず聞こえてくる車からの音楽、なにが楽だよ苦の根源だよ糞
少しの刺激でパニックを起こす不便な体と人間への不信感、自己嫌悪と無価値観で自分が生きることも他人に何か説教や暴言、ポジティブになることしか見えておらず夫婦関係も育児も放棄した母親、同い年と関わればいじめに合い、不登校になりながらも行く場を探せばカウンセラーや医者からも暴言を吐かれ、神経は恐ろしくすり減ってしまった。過去を思い出して即座に発狂してしまう私は当然働けず、そこから裕福からも当然遠くなり、防音環境とは程遠い暮らしを強いられる
自分がもの凄く嫌いであり、もう生きることに心底疲れ切ってしまった。自分の頭の中も体の感覚も苦痛な一方なのだ。明るさというものが親といることで自分を攻める凶器になり、休まる方法さえわからなくなった。
なのでスイスで安楽死が可能であることをネットで知った。だが精神によるものは受け入れて貰えないらしい。
迷惑をかけない自殺方法なんて、安楽死くらいしかこの世に存在していないのではないだろうか?気を病んでいるものが国籍まで取れる元気があるのか?
いじめられるお前が悪いみたいなことを吐かれる中、死ぬ権利すら与えられないのは何故なんだろう。本当にもう死んでしまいたい。普通でないのはわかってるから、せめて痛みなく死なせてほしい。人よりもう幸せになんてなれないのはわかってる、でもそれ以上に苦痛ばかりで、頭の中の記憶に苦しめられて、刺激に過敏に反応する自分にもう疲れたよ。
背丈や顔つきが全く違うアジア人は完全に周りから浮いてしまうため、日常的にジロジロ見られたり視線を感じることも少なくない。
その視線が有色人種に対するレイシズムからなのか、はたまた珍しいものに対する興味本意からなのかはわからないけれど、
その視線を送ってくる人の中に時々、声をかけてくる人がいる。
好意的な言葉や、当たり障りのない質問などをしてくる人もいるにはいるが、あくまでもそれはレアケースで、
多くの人が「韓国人」とか「ニーハオ」など、外見から出身国を断定してからかってくる。
(もちろん「よう日本人」と言われたこともある。)
初めてこのような冷やかしを受けた時、日本人であるのに韓国人や中国人と断定されたことに心底ムカついた。
多分、タイとかフィリピンとか違うアジアの国だとそこまでムカつかなかったと思う。
しかし、そのこと以上にショックだったのは、自分自身がそんなことにムカついてしまったことだった。
今まで私は、嫌韓・嫌中感情をもったことはないと思っていたし、いわゆる韓流ブームが来た時も好意的に受け入れていたと思う。
また、その韓流ブームが過ぎた後、ネットで中国や韓国に対して必要以上に叩く風潮や、
ここ最近の在日外国人に対するヘイトスピーチも異常だと感じていた。
韓国人や中国人であるというだけで差別することに違和感を覚え、絶対に私はそんな人種差別主義者達とは違うと信じていた。
私自身、なぜこのような気持ちが湧き上がったのかはわからない。
おそらく、私の心の根底では日本人は韓国人や中国人に比べて勝っているという意識があったのだろう。
上辺では、韓国人や中国人というだけで差別するのはおかしいと考えていたが、
心の奥底では日本こそアジアのトップで、日本人は他のアジア人より勝っていると思っていたのだろう。
このムカつきが、そして心の奥にある日本人は他の国より勝っているという意識がヘイトに繋がるかはわからない。
しかし、この心の奥にある意識が大きくなり、それに育つ可能性はゼロではない。
2回目、3回目と同じように声をかけられた時もそのムカつく気持ちは消えず、
ここ最近仕事の成績が著しく下がり、勤務態度も悪いと上司に言われた。
私語が増えたのが特に駄目らしい。
以前仕事中に同僚に雑談をふられ、今忙しいのでそれどころじゃないと返したら協調性がないと同僚をガチギレさせてしまった。
人付き合いの下手さを反省し積極的にコミュニケーションを図ろうとした結果だった。
不眠で相談した精神科医からアスペルガーの検査を薦められたレベルだけある頭の悪い対処だと思う。検査は受けた。結果はお察し。
話しかけるということは他人の時間を奪い自分に付き合わせる行為であり、同僚の生産性まで下げてしまう。
記憶力も落ちたのでよく思い出せないが、小さな辛いことが積み重なっている気がする。
そんな調子なので集中力も落ちたし、体も重く動作も緩慢になった。
食欲はあるしよく眠れているので鬱ではないと思う。
重いPMSのような気もするが、コミュニケーションに難がありすぎて婦人科で相談するもビタミン剤を握らされ追い返された。
とりあえず家でいると理由もなく涙が出てくる。
とにかくそんな調子なのでだらだらと仕事をし、交流のつもりの自己満足に忙しい同僚を付き合わせ、成績が下がり続けた。
書いていてクビにしちまえと思うが、実家は頼れないので給与収入がなければホームレスか犯罪者か電車のストッパーになるしかないから困る。
上司は優しいので、思考力が落ちているなら頭を使わなければと言った。
ゼロ秒思考がいい。1分間の時間制限内にA4の紙にアウトプットをする思考法でおすすめだと。
早速Kindleで購入し読んだ。
先程仕事帰りにコピー用紙と水性ボールペンを購入し、早速メモを書き始めた。
結果から言えば駄目だった。
余計に鬱々としてきた。
1枚目。
何がつらいのかというテーマで書いた。理由がないけどつらい。自殺を考えるほどではない。ひたすら自己嫌悪に陥る。
2枚目。
本当につらさには中身がないのか?というテーマだった。ふわっとした言葉しかでてこない。強いて言えばアスペルガー。普通の人間になりたい。普通の人間らしく思考したい。
3枚目。
じゃあどうすれば普通になれるのか。死んで生まれ変わるしかない。無理。でも好きなマンガやゲームが終わるまで死ねない。おわり。
普通の人間のサンプルを無数に見ながら生きてきたのに、普通になれないということはもうそういう生き方しかできないということだ。一生ハンデを背負うしかない。
ここまで書いてプツンと何も浮かばなくなった。浮かぶには浮かぶがアウトプットしたそばから同じ内容が延々と湧き出てくる。
それは無理だなと思ったのでここに吐き出すことにした。
他人が躓かないようなことで悩む自分は、人間になろうとしていまいち溶け込めてない妖怪みたいだなあなんて思ってしまう。
早く人間になりたい。他人を助けて焼死するフラグがたったきもするがなりたい。
■■追記■■
反応があると思わなかったのでびっくりした。私の文章に時間をさいてくれてありがとう。
鬱だとすれば原因は上司ではないと言い切れる。
私のようなめんどくさい人間向けの対処もある程度知っているようで配慮してもらっているので感謝してる。
発言も実際はアドバイスと励ましと注意を綺麗に混ぜた感じだった。
仕事が感情労働なのと女性中心で空気の読み合いが半端じゃないのがストレス源のような気もする。
人生初の痴漢に遭ったり家族が病気になったりしたのも大きいストレスだと思うし、原因が分散しているような感じがする。
認知療法も簡単に読んでみたけどいい方法だと思う。詳しく読んでみる。
すぐマイナス思考になってしまうので一人で実践するのは厳しいかもしれない。歪みを探し出せてもプラスにするのは難しい。けど試す価値はあると思う。
吐き出したとりとめのない愚痴に優しい言葉をかけてもらえたことが本当に嬉しい。
本当にありがとう。
年齢は27歳(A)、26歳(自分)、25歳x2人(B, C)の男4人でヨーロッパ旅行に行った。
自分とAが中心になって、半年前からホテルや飛行機の手配をした。
しかし、初日の晩御飯から既に色々あって、全く旅行を楽しめなかった。
私は、その土地のレストランやバールなど、現地のものが食べられたり現地人と交流できる場所に行きたかった。
一方、A, B, Cは、スーパーで買い物をしたほうが安いので自炊をすべきとの意見だった。
金額を安く抑えるためにドミトリー的なところに泊まったため、たしかに調理器具は一通り揃っていた。
でも、「ヨーロッパ5泊7日、ホテル+航空機+鉄道」を9万円以下に抑えたのに、どこまで節約する気なんだろうか。
せめて一日くらい外食の日があっても良かったのではと思ったり。
結局すべて自炊になった。
AとBが買い出し・調理をやってくれた。が、頼むべきではなかったと後悔した。
やけに大量に買い込む。
そんだけあれば普通にどっか食べに行けた気がする。
絶対に食べきれないほどの量や、食いたくないようなゲテモノを買ってきて、私やCに食べさせようとしてくる。
何故か全ての食品が開封され、半分近くが捨てることになった。
油が壁に飛び跳ねまくっているのに気にしない。
調理器具を本来の用途と違う、器具が傷むような使い方を平気でする。
自分は最初に就寝したので、ダイニングを離れる際に自分の食器と、流しにおいてあったフライパン等だけ洗って先に寝た。
私が洗うように促すと「お金払ってるから清掃の人がやってくれるよ」と言われた。
結局、そのまま放置することは私の心がいたんだので、食器は私が洗った。
ついでにコンロ周りの油ハネとかも拭いた。
その間ずっと彼らはテレビを見ていた。
調理器具を一部破損させてしまったことが発覚し、チェックアウト時に修理費用を支払うことになった。
友人たちは「ホテル側がいちゃもんつけてぼったくってるだけでは」と最後まで納得していなかった。
それならスタッフにそう言えばいいのに、指摘するだけの英語力を持っていないA, B, Cは何も言わない。
最後に「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」をスタッフに伝えた。
私も英語はほとんど話せないが "Sorry for our trouble" と言ったら何となく伝わったようだった。
A, B, Cは特に何も言わなかった。
彼らは先に進むのが早い。観光地でも。
特にAは待たずに先に行く。本人曰く「そこに行ったという『実績解除』が重要」らしい。
BとCは観光に飽きても一応私を待ってくれていた。
待ってくれてはいたが、そもそもどこに観光に行くかは一緒に決めたはずなのだけど。
結局後輩に気を使わせないように、見学もそこそこに先に進むことになってしまった。
晩御飯関係が特に印象に残ったが、他にも色々あって、あげだしたらキリがない。
書き出してみると、Aが特にひどい。
Aが今も実家で暮らしていることが関係しているかもしれない、と思った。
偏見かもしれないが。
まとめると、
非常識な行動(だと私が感じる行動)を取っている人たちと一緒に行動しなくてはならないことが辛かった。
なんだか、すごく損をした気分になった。
一方で、世間一般では彼らの行動は常識の範囲内なのかもしれない。
私が自分の価値観を彼らに押し付けて、思い通りに行かないからイライラしていただけなのかも知れない。
そんな自己嫌悪のような事を帰りの機内で延々と繰り返した。
全く気が付かなかった。
例えば、Aとご飯を食べに出かけると、メニューを見る前にオーダーボタンを押して店員を呼ぶ癖がAにはある。
A曰く「呼べば決まるっしょ!(呼んだら店員が来るまでに否が応でも決めざるを得なくなるからすぐ決まるっしょ)」とのこと。
あと「おみやげコーナーで待たされるのと観光地で待たせるので等価交換」というコメントをみて気がついたこと。
お互いに待たせる・待ってもらう関係なら等価交換になるんだけど、向こうは一方的に人を待たせるくせに待ってくれない。
同じようなことは色々あって、結局、
(こっちは向こうの価値観にあわせて譲歩してあげてるのに、向こうはこっちの価値観にあわせて譲歩してくれない)
という考えが根底にあって「損をしている」と感じているのかもしれない。
伸びてて驚いた。
後出しになるけれど、この友人は全員数年来の付き合いで、国内旅行やBBQなども一緒にやったことがある。が、これまでは余り問題になることはなかったので、
ブコメにもあったけれど「旅の恥はかき捨て方式で、気が大きくなったんかなぁ。」なのかなと自分も思っている。
特に海外で、周りの眼が気にならない環境なので。いや、本当は気にしてほしいのだが。
あと、本当に文字通り24時間一緒にいたので、色々な気になることが蓄積したというのもあると思っている。
BBQは24時間一緒にいるわけではない。国内旅行だって、一人になりたいなぁと思って旅館の外適当に散歩したり、新幹線や飛行機では寝ることだって出来る。
「別々に行動すればよかったのでは」の意見、そのとおりだと思います。
一方で、彼らの旅行は、(これもブコメの引用ですが)「観光」ではなく「親睦」が目的だったので、
その辺もちゃんとすりあわせて置くべきでした。
自分の許容範囲が狭すぎることが原因な気もしたので、安易に一人旅に逃げるのはどうかと思っていたが、そうでもないみたいで安心した。
ちなみに、過去に別の友人と行った海外旅行では、とてもすごく楽しく過ごせた。
その時は友人と価値観が同じだったので、すり合わせのコストを割く必要がなかったのだと思う。「超えちゃいけないライン」みたいな共通認識があった。
(もしかしたら自分がそう思っているだけで、友人側が大きく譲歩してくれていたのかもしれない)
あと、海外(特に室内でも靴を履く文化圏)では、人前で靴をぬぐことは「臭い足を晒す」という意味で超絶失礼に当たるらしいです。知りませんでした。
すでに何人かの方が推測しているが、A, B, C, 及び私は全員大学時代の元バイト仲間。
ABCも含めこのバイトのメンバーは非常に仲が良くて、半年に1回くらいイベント(旅行、BBQ、花火、とか)を企画して集まってた。今回もその一環で、初・海外旅行だった。流石に社会人になって参加率は下がったが。
A, B, C, 私は、全員違う高校・大学に通っていた。就職先も違う。
そういった文化圏・コミュニティの差が現れているのかもしれない。
もしこの不和が、価値観の違いによるものだとしたら、一方的に指摘するのは押し付けでしかないのではと思い遠慮していたが、一般常識的にAらの言動はヤバイということが確認できた。
今回のことでかなり失望したものの、そうは言っても友人は友人なので、今後は目についた点はきちんと指摘したいと思う。
それでも治る気配がない、自分が浪費するだけ、と思ったら、または指摘が原因で仲違いするようなら、それまでの関係だったと思って距離を置こうと思う。
人が話していることに対して無意識に「でも」とか「まあ」とか付けてしまいそうになる(意識はしているけど)し、楽しそうな人を見ると「なんか楽しそうだね」と思って一定の距離を置いてしまいがちだし、身近な人が人脈作りに奔走したりしているのを見ると「頑張ってるなあ」とか思ったりしてしまう。
なにかにつけて冷めているし、上から目線にものを見てしまうきらいがある。自分で自分の性格が悪いなと心から思っているし、そんな自分が大嫌いで仕方ない。
でも、昔は自分で自分のことを、そう性格が悪いなとか思わなかった気がする。
ド真面目で、曲がったことが好きじゃないタイプの人間で、でも楽しいことも大好きで。社会人になったらばりばりのキャリアウーマンになりたくて、働いている自分に誇りを持ちたいと思っていた。鱗片はあったのかもしれないけど、今ほど卑屈じゃなかったし、社会とか、自分の人生とか、未来にもっと希望を持ていたような気がする。こんな大人になりたいと思う人がいて、未来がすごく明るく見えていた。少なくとも、自分のことが嫌いなんてことはなかった。
心がどんどん貧相になっていくのが、自分でも分かる。
そんな自分と向き合うのが嫌で、怖くて、本とか映画とか美術館とかに行って、まだ大丈夫、まだ大丈夫と自分を安心させている節がある。良かった、感動したと無理矢理飲み込んで、自分がどんどん自分の嫌いな人間像になっていくのをどうにかして保とうをしているのが分かって、よけいに皮肉を感じる。
社会人になってもうすぐ3年が終わる。
このわたしの感情の変化は、社会を知らなかったただの子どもが世の中というものを知ったから、というだけなのか、そうじゃないのか。なにか環境が変われば、考えも変わるのか、そのままなのか。
先日、満員電車に乗った。
金曜日の夕方。明日は休み。だというのに、ぎゅうぎゅうの満員電車に30分ほど乗ってたら、2回程舌打ちが聞こえてきた。
「かんべんしてよ」と思った。
苛立つのは分からなくないけど、仕事も終わったこの時間、もう少し心に余裕があってもいいじゃん。仮に苛ついたとしても、それを舌打ちとして表現することでなにになるの。もう少し心に余裕を持ってよ、と。
でも少しして、たぶんわたしも、この舌打ちをした人と現れ方が違うだけでなんら変わらなような気がして、ますます自己嫌悪に陥った。
どうすれば良いんだろう。すごく心がしんどい。
でも、自分のことが嫌いだ嫌いだと思い続けていただけの頃よりかは、脱却に近づけているような気もする。