はてなキーワード: 探検とは
エロくはない。
吾輩が小学6年生の夏の修学旅行の話である。広島の原爆ドームかなんか見に行ってどっかの島に行っていた気がする。
確かその頃、吾輩の妹にガンが発覚しママンは妹に付きっきりだったので、お昼のお弁当は用意できなかったそうだ。なのでお小遣いをもらい吾輩はコンビニ弁当を食べていた。しかし、どうにも味付けがママ弁当より濃いのかひたすら塩辛くて食べることができなかった。それを当時スココだった先生に伝えて弁当をどこに捨てていいのか尋ねていた気がする。
年齢は確か30手前だったと思う。
先生は恐らく吾輩の家庭の事情を知っていたので、それを聞いてちょっと涙目になっていた気がする。後日先生からママンにそのことを伝えてたらしく、少し複雑な表情をしていたママンの顔も覚えている。弁当は結局ワルガキで先生を困らせていた田村君が食べてくれた。田村君は悪ガキだったがなぜか吾輩のことは気に入っていた。別に嬉しくはないけど弁当を食べてくれたことには感謝した。田村君の家は金持ちなのにコンビニ弁当を食べていてなんだか笑えた。
島で野生のウサギを適当に見て、そのままホテルに泊まった。あとは翌朝家に帰るだけ。
何ともつまらないなぁと思いながら就寝しようとしたが、全く寝付けなかった。
それは同室の友達連中も同じらしく、せっかくだからホテルで探偵ゴッコ(鬼ごっこと隠れんぼをブレンドした遊び)をやろうとなった。吾輩は犯人役だったので適当に隠れるのだが、探偵に見つかるよりも見張りの教師共に見つかる方が怖かったので割とハラハラしていたと思う・・・というか若干後悔していた気がする。
しばらくボーッとして居ても全く来る気配がなかったので、部屋に帰ろうとしたら吾輩の好きな巨乳の先生に見つかってしまった。先生の話によるとどうやらみんなは部屋を出るところであっさり見つかってしまったらしい・・・。
無論こっぴどく怒られたのだが「眠れないから探検したかった」と話すと
先生は「じゃあ一緒に私と寝る?」と聞いてきた
吾輩、先生が一瞬何を言っているのか分からなかったし、当時エロに対してあまり知識もなかった。しかし、男女一緒の部屋で寝るのはエロいことだという認識くらいはあったので、脳が停止して間抜けな顔をすることしかできなかった。
そう言って先生は吾輩の手を握り一緒に先生の部屋に向かうことになった。
先生の部屋は吾輩達の部屋より狭かった。教師はみんな個室なのか?と思ったが、もしかすると教師の中で唯一、先生だけが女性だったのでその配慮だったのかもしれない。その辺りの事情は今もよく分からない。
一緒に寝るということで先生と同じ布団で寝たのだが、その時の吾輩は大変にウブでペニスを立てることしかできなかったので、今は大変に後悔している。
「うん、やっぱりしょっぱくて食べれなかった。唐揚げも冷めてたし」
「ん?うーん・・・まあそうかな。お米美味しいし」
「ふふふ、そっかー」先生は微笑んだ。
この時の吾輩は何を考えていたのか実は覚えていない。
ぶっちゃけ先生のことしか考えてなかったのかもしれない。でもあまり複雑に考えずにぽろっと答えていた覚えはある。
「うーん、お母さんが大丈夫だって言ってたから大丈夫だと思う」
「そうだね。大丈夫だよ。〇〇君(吾輩)はお兄ちゃんだから守ってあげてね」
「ん?、んー、守るって何?」
「◯◯ちゃんが元気になるようにだよ」
当時の吾輩はあんまり意味が分からなかったけど、少ない頭なりに何となく先生が言いたいことだけは理解できていた・・・気がする。たぶん。
そこからはあんまり話をしなかったし、吾輩もなんだかんだ疲れていたので眠りに入った。
翌朝はみんなより少し早めに先生が吾輩を起こした。
吾輩は後ろ髪を引かれる思いだったが、クラスメイトにバレるのも面倒なのは確かだったので素直に従った。
吾輩的にはエロかったのだが、こうして文章にしてみるとあまりエロい雰囲気にできなかった。
吾輩の妹は今は普通に元気で関西の老舗のデザイン会社の下っ端で働いている。
音楽の授業で音楽教室に向かう途中、行くのが面倒になってこっそりと近くの廊下の階段で座り込んでいた。
しばらくしていると先生が吾輩の元に来た。
勿論、普通に怒られていたのだが、吾輩が適当に駄々をこねていると先生が吾輩のリコーダー袋を手に取り、パチっと蓋を開けてリコーダーの先だけ出した。
そうやって先生は吾輩のリコーダーにチューをしてしまったのだ!!
吾輩は呆気に取られていたのだが
「早く行ってらっしゃい。〇〇先生(音楽教師)も怒んないから」
と言ってくれたので素直(脳停止中)に従った。
皆さん異世界物漫画好き?なんとなーくだけどディープな漫画ファンには異世界物って受け悪そうなイメージだよね。
まぁどこからどこまでが異世界物とするかによって変わるとは思うんだけどね。いわゆる「異世界転生」「異世界転移」系の話ね。
ぶっちゃけるとweb小説原作のコミカライズって作画担当のLVがあまり高くない事が多いのでジャンル全体のイメージが安くなるよね。
でも自分はそこそこ好きかなー。買ってるシリーズは少ないけど無料で読む分にはまぁありかなと。(女性向けと小説はほぼ読んでない)
なんで好きなのかと考えると1つは「冒険」の要素が残されているからかな。アドベンチャー、探検ね。
ドラゴンボールの初期とかトリコの初期とか「この世界がどう広がってるのか?」ってのがワクワクすんのよ。まぁ期待はずれな場合が多いけど。
「出発点」はそれぞれの作品で少しずつズラしてるんだけど「魔法学院に通う」とか結局共通ルートに入ってしまうのがね…。
多分小説の時点ではそこらへん力入れた作品も有ると思うのでそういう作品こそコミカライズしてくんないかなーと思ってる。
もう1つは「RPGの再生産」としての異世界物が面白いって話。
ゴブリンとかオークとかステータスとかファンタジー特にファンタジーRPGのテンプレが使われるけどさ、そこに改良が加わってく(時には改悪も有るだろうけど)のが面白い。
魔物を倒すと魔石を落としてそれが価値があって売れるってのは少なくとも昔のRPGでテンプレではなかったはず。
ドラゴンが女性化とかスライムが女性化とかもそれほど無かったと思うんだよね。でもそれがいつの間にかテンプレに加わっていく。
ドラクエ・FFではLV上がると勝手に能力値が上がるけど女神転生とかでは好きな能力に振れる、とか一種の革命だったよなぁ。
そういう地層の積み重ねを今目にしてんだよね。皆ワンアイデアなりにどう変えようかってのをやってるのは同一レギュレーションのコンテストで競ってるみたいで面白い。
あとは個人的おすすめの異世界漫画を紹介しとくよ。なんかおすすめ有ったら教えて(男が読んで面白い女性向け作品とか)。
■異世界居酒屋のぶ
絵★★★★★ 話★★★★★
異世界+飯もの。緻密な絵で飯がちゃんと美味そう。単話~3話ぐらいの短い人情物だけど細かい話が積み重なって後につながる構成が上手い。
絵★★★★ 話★★★★★
テンプレを全く使わず独自の世界を構築してるの良いね。ものづくり系で雑学知識も入るの好き。
■異世界からの企業進出⁉ ~元社畜が異世界転職して成り上がる! 勇者が攻略できない迷宮を作り上げろ~
絵★★★★★ 話★★★★
主人公が未知の世界に挑戦してやろうという意気込みとワクワク感を持っててそれが伝わってくるのが良い。
絵★★★★★ 話★★★★
絵がかなりしっかりしてる。展開自体はそこまで尖ってないが絵の巧さによって非常に安定して読める。
絵★★★★ 話★★★★
テンプレなしの独自世界観。弥生時代っぽい感じのビジュアルでバトル中心。
■月が導く異世界道中
絵★★★ 話★★★★
テンプレも若干有るけど独自路線が強い。主人公がモテるけど引いてるのが好み。
■ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり
絵★★★ 話★★★★★
その時々で綴ったので似た内容の重複もあります。
プレイ前に、ジョエルの死、嫌われてしまった新操作キャラの存在、ポリコレ的な要素の追加での世間からの批判、を知ってしまった上での感想。
ジョエルはもうキャラクターとして動かせない存在だったのかもしれない。
前作あれだけの出来事があったにも関わらず、また再び戦うジョエルを描かれてもどうかなとは ちょっと思う。
前作後のジョエルなら戦う動機は救出以外あり得ないだろうし、それなら前作のラストパートの焼き増しにしかならない。
その点、これだけの人間同士の戦争を描きながらも、徹底して人間と戦うジョエルの姿を見せなかったところは良かった。
ジョエルはもう人を殺せない。前作はそれくらいの覚悟がいるラストだったと思うし、だからこそ綺麗だった。
殺されるシーンでジョエルが抵抗する姿を描かなかったのも、その辺を意識してのことなのかな。
操作したかったしアッサリ殺されたのは勿論ショックだけど、ある意味で絶対的な存在にはなった。求めてはいない形だが。
製作陣は、ジョエルがキャラクターとして嫌われないようにすることにかなり気を使ってるように感じた。
ただそれと引き換えに、というか対として、死と他のキャラへの嫌悪感の仕組みが沢山組み込まれてたんだと思う。
それぞれのキャラの心情は、理解はできても納得はできないくらいのバランスで、変に短略的で生々しくヒステリック。
欠陥とかじゃなく、色々と考えられた故での本当に性格の悪い構造。
前作プレイヤーを不快にさせる要素、手段、手法、順序が、綿密にかつ分かりやすく詰め込まれてる。
超人気タイトルの前作主人公を、序盤からぽっと出のアビーに殺させてヘイトを爆稼ぎ。
その後もプレイヤーの復讐心を煽り続ける為に、徹底的なジョエル上げとアビー側下げがゲーム中随所に盛り込まれてる。
過去編ジョエルは常に悟った聖人の様な振る舞いだし、アビー側は結構感情的な人が多い上に現代人が多様化する故に難しくなる要素の塊。
そんなキャラ達を用いて復讐心を煽りエリーとシンクロさせた後に、最大限までヘイトが溜まった所でアビー側の立場に変えてもう一回同じ日々を繰り返す。
このアビーというキャラのメインの目的は、同情じゃなくてエリーがしたことの異常性の確認じゃないかな。敵側のキャラの心情の理解ってより、細かい生活を見せてる印象。
アビーの父親の掘り下げについても根源的なヘイトの対象をマーリーンから移されてるだけだから、アビーに同情させる気なんかさらさらなさそう。
アビーへの不快感は消えないように残しつつも、動機は理解させるくらいな感じ?
そこからアビー操作のままエリーとの戦闘をさせ、プレイヤー的には何が勝ちで何が負けなのか分からん状態で一旦旅は終了。
こんな胸糞悪い精神状態でも、せめてラストくらいは復讐のカタルシスを得られるかと思えばそんなことはなく、
色んなものを捨て、色んな感情や立場に挟まれながら、殺しもせずスカッと許しきったりもせずでアビーを逃して終了。
エリーとプレイヤーは、胸糞悪いモヤモヤを抱えたまま沢山のものを失って終わることになる。
多くのプレイヤーが救いとして求めていたであろう和やかな探検パートから、エリーが不信感を抱き決別するまでの様を描いて不安を煽って、
最後には互いに今まで隠してた覚悟や本音をぶつけ合って、二人のわだかまりの解消の糸口を匂わせる。
ただ同時に、寸前で終わってしまったそれが、序盤の大事件の直前でもあると気付くと本当に救いがない気持ちになる。
最後の最後で、序盤の死にダメージ上乗せするんだからタチが悪い。
全世界のプレイヤーが望んでいる展開を理解しているからこそできる構成。
不快感を高める為の道順が清々しい程完璧で、しっかりと悪意を持って確実にモヤモヤするよう作られたストーリー設計。
キチッと復讐したり、スカッと許したほうが幾分物語を作るのも簡単そうなのに、わざわざ遠回りしてモヤモヤさせてる。
誰の得も垣根もなくフラットに嫌悪感を味わえるし、誰もが怒って良い内容のゲーム。
ストーリーの好みでの批判は理解できるけど、フェミだのポリコレだのに屈したって批判は理解できなかった。
権利の主張とか政治的正しさとかみたいなことを、軽い気持ちの綺麗事で入れてはいないように感じた。
キャラの人種や思想の多さも、配慮とかそんなぬるいもんじゃなくて、
誰もが誰かにどこかしらで差別や嫌悪をする様な装置として入れているのかなって思う。
ジョエル以外のどのキャラにも嫌なところや異常なところがあった。
どんな人も認めよう!的なことじゃなく、むしろもっと嫌味ったらしいものに感じた。
世情を捉えてはいるけど、屈してはなくない?
まあもちろん色んな人物を盛り込んだのは、リアリティの追求って側面もあるだろうけど。
ちょっと脱線するかもけど、他のゲームでもゲームにそういうリアリティは要らないって批判あるけど、ラスアスに限ってはここまでのリアリティはあって良いと俺は思う。
内容自体は極めて真剣に悪意を持って綿密に練られてると思うから、欠陥とか中途半端って批判も違うと思った。
嫌なものを、嫌な手法で、嫌な順に、嫌なタイミングで的確にぶつけてくるから、ちゃんとムカつくし、ちゃんとモヤモヤするし、ちゃんと嫌いって主張したい内容。
ラスアスでやるなって意見もあるだろうけど、ラスアスでやらないとここまで出来ないことでもあるとも思ってしまう。
ある意味では完璧に徹底して作られてる様に感じたし、その上でマジで胸糞悪くて死ぬほど終わってる内容だと思った。
ビジュアルやゲーム性、音楽も含め総じてめちゃくちゃ丁寧に作られた作品だから、雑なレッテル貼りだけの批判で済ますのはもったいないと思う。
前作ラストのやりとりで、エリーはジョエルのした事について、具体的でなくてもなんとなくは察しがついているものだと思ってた。
今作過去パートで追っていく会話からは、思ったよりも何にも気づいていなかったんだなって印象。
エリーがどういう嘘と認識してたのかがわからなかったし、決別がやや強引だった気がする。
「誓うよ」「わかった」のやりとりの重みが少し薄れてしまったように感じる。
「君を失ったら、我を失ってしまうだろう」
復讐をするエリーはジョエルのことを考えていないし、助けに向かったジョエルはエリーのことを考えていない。
一生許せない(許しはしたかった)とジョエルに言ったエリーだけど、復讐寸前に自己矛盾に気付いた。
結局ジョエルを許せていないままの自分が同じことをしているのでは?と我に返り、アビーを殺しも許しも出来ずに逃してしまった。
ついでに手塚ファン・アニメファンとして俺もお気持ち表明しておくけど、いい加減ジャングル大帝を武器扱いするのはやめてほしいわ
お前らがパクリの証拠として挙げてる画像、大半がライオンキングの公開日(94年6月24日)以降に公開された劇場版ジャングル大帝(97年8月1日)からの引用なんだが?
そもそもお前ら原作が弱肉強食否定・文明開化・大陸移動説証明の為のSF探検物だって知ってるの?
今海外のYoutuberが今まで誰も指摘してこなかった(無視してきた)その他もろもろを動画で告発してるんだけど、2時間半ある長尺だがとりあえず黙って見とけ。
まとめ動画をソースにディズニーを叩いてた大学教授の存在とかこっちはこっちで闇が深すぎるぞ……
https://www.youtube.com/embed/G5B1mIfQuo4
おまけにアトランティスを叩いてナディアを持ち上げる層は十中八九ネトウヨ層だし、そのせいかは知らんが貞本義行氏もおかしくなっちゃったんだぞ!
「キッタネー少女像」エヴァでおなじみ貞本義行先生の慰安婦像へのコメントをご覧下さい
嫁と伊集院光の影響であつ森を始めたはいいが、1か月もたなかった。
箱庭ゲームというものをあまりよく理解していなかったからだろうが、このゲームの良さには最後までたどり着けなかった。というのはちょっと違って、楽しむだけの度量と優しさがなかった。
一切の知識を仕入れずに頑張ってきた。カブや青いバラのシステムが面白いとあったので、早々にほかのゲーム仲間とつるんでコミュニティに入ったりもした。
この手のゲームで必須であろう材料集めと周回作業を日々淡々とこなしていった。借金を返済しては新しい借金を作り、星に願いをこめ、他人の土地を探検もした。
だけどやっぱり駄目だった。なによりこのゲームで苦痛だったのは住人との会話だ。
よくあるRPGのモブならば一期一会の精神で彼らとの会話を楽しむことはできる。だけどこのゲームでは常に住人と接触して会話をしなければならない。毎日ある周回作業の合間に長ったらしい会話をするのは苦痛だった。
さらにコマンド選択が非常に冗長。やりたい選択肢にたどり着くにはかなりのAボタンを押す必要があった。それが最初の数回ならまだわかるが毎日・毎回はやめてくれ。しかも上記の長い会話を間に挟むのがもう無理だ。結局、フクロウやタヌキチのような表情豊かなモブキャラには多少愛着は沸いたけど、会話を毎回するほどではないなと思ってる。ほかの住人に関しては話しかけることすらやめた。
彼らがかわいく見えないのだ。話したところで何が楽しい?彼らの何が魅力なの?
そして、箱庭ゲームなのに家具や様々なアイテムにほとんど興味がない。洗濯機をもらっても広場に放置して何もすることはない。花壇を作りはしたが、途中で飽きて完全に放逐状態。島を作り変えることができるらしいけど、そもそもどんなものを作りたいのかすら思いつかない。
ほかの人は思い思いに街並みを作っているけど、俺にとっては1年たっても初期状態で一向に構わない。だからすべての家具・家電は廃棄か売り払ってしまった。空っぽの家と広場に橋がかかってる程度。
だけどほかの人々は違うらしい。動物たちは人身売買するほどに人気で、現実の街並みを再現している人もいる。前者はよくわからないが、後者は楽しそうだ。でもそこまでするこのゲームに飲めりこむことができなかった。動物たちとの触れ合いが俺には空虚すぎる。
嫁に聞けば「動物たちと触れ合うゲームなんだから当たり前でしょ」という。仲間も似た感じだ。
大してしてやることがないので、あまり好きではない周回作業ばかりしていた。木を切ってカブ価をチェックして、売れるアイテムを作り、化石を掘る。コインを稼げばいい。ただそれだけ。橋もかけてみたけど移動を楽にする以外の要素はない。確かに最初こそやってみたいことはあった。原生林の区域とより人にとって住みやすい区域を混在させてみようなどという。だけど周回作業効率を上げる以外のことは最終的に何も考えなくなっていた。すべてにやる気が起きない。
俺はたぶんおかしいのだ。全人類が大絶賛するものを受け入れられない度量の低さと優しさの欠如した人間だ。
俺には華やかなあつ森の世界の住人にはなれなかった。
このゲームは人を選ばない。だからこそそこにいけない自分は人類じゃないんだろう。
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続きです
小学生のとき、友達のひとりが近所の山中で行方不明になったことがあった
彼と俺とあと数人で探検ごっこをしていたらいつのまにかいなくなっていて、焦った俺たちが大人に報告したら捜索が始まった
って言ってもたいしたことは起きず、2時間後くらいにひょっこり出てきてあっさり解決した 俺たちはみんなメチャ怒られてそれから探検ごっこはやめた
ただ不気味だったのが、行方不明になったやつがもともと左利きだったのにその日を境に右利きになってたこと 気持ちを入れ替えたとかじゃなく、それまでもずっと右利きだったみたいな自然さで右手を使っていた
さらに言うと、ホクロのいちなんかが左右逆になってた…気がする これは顔の印象がなんとなく違う気がしてよく見てたら気づいたこと
性格なんかは全く元のままだし、怪我もしてないんだから気にしなくていいかと思ってたけど、考えてみるとあいつは本当にあいつのままだったのかな 本当は山の中でよく似た偽物にとって代わられてたんじゃなかろうかなんて思ってしまう
俺が気づいたくらいなんだから親御さんも気づいてたと思うんだけど、どう思ってたんだろうな
テレワークになり、環境音としてTBSラジオをずっと流している
その中のCMでなぜか嫌で嫌でたまらないCMがあって、「関取花のどすこい鎌倉散歩」というアプリ内番組のやつなんだけど流れた瞬間にミュートにする
CMなんて売りをアピールする絶好の場面だろうに、そこで「若宮大路を王子様だと思ってて~」とかいうクソほども面白くない話を聞かされるのが不快なのかもしれない
その意味では、同じ33tabのCMなら「徳井青空のオカルト探検倶楽部」の方がまだマシ(あれも決して好きではないが…喋り声がキツイんだよ…)
このままだと嫌いな話で終わってしまうので「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!!!」の精神で好きなCMを書いて終わりたい
いつも熱唱しています
https://anond.hatelabo.jp/20200323025005
――ところで、わたしは昔から、最後のスタンザは少し弱いのではないかと思っていたのですが……。
( ・3・) 弱い? 「リング」と「スプリング」とで韻を踏むのはありきたりだとか?
――弱いというよりは、ピンとこないといったほうが正確かもしれません。「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」――これはどういうことなんでしょう。
( ・3・) 彼女のほうが歳上だったんじゃないか? 50歳くらい。
――それはたしかに too late な気がしますが、もし年齢が離れていることが問題なら、彼女が三月生まれであれ、七月生まれであれ、一年のうちで生まれた時期に言及する意味はないはずなんです。
( ・3・) 春に生まれようが夏に生まれようが誤差みたいなものだからな。
( ・3・) ははは、まさか。
――ここに一枚の写真があります。1975年に撮られたものです。
https://twitter.com/kedardo/status/1242030916232339458
( ・3・) ボブ・ディラン、本を読む。
――何という本ですか?
( ・3・) 『クリスタル・マジック』と書いてある。マジックのつづりが変だけど。
――目次には次のような言葉が並んでいます。「ケンタウルスが獅子を狩る」「シャンカラの理論は現実をどう捉えるか」「ハクスリーの知覚の扉」「アジュナチャクラあるいは第三の目」「カバラの諸相」
( ・3・) 神秘主義のロイヤル・ストレート・フラッシュという感じだな。
――星座が何であれば、支配星は何、エレメントは何、という表も載っています。
( ・3・) 本を読め、ただしまともな本を、と釘を刺したばかりだというのに。
――まともな本も読んでいますよ。このころディランはチェーホフやコンラッドに傾倒していたはずです。 [3] [4]
( ・3・) じゃあ『クリスタル・マジック』はたまたま手にとっただけで、内容を真に受けたとまではいえないんじゃないか?
――1974年、コンサート・ツアーを再開した理由を、ディランは次のように語っています。「わたしの惑星系 (my planetary system) において土星が障害となっていた。その状態がしばらく続いていたが、いま土星は別の場所へ移動した」 [5]
――1976年のアルバム『ディザイア』のバック・カヴァーには、タロットが描かれています。
( ・3・) タロット! イタロ・カルヴィーノの『宿命の交わる城』は何年だっけ。ちょっと待って――第一部・第二部の合本が出たのが1973年。英訳は1977年だ。
――1978年のインタヴューでは、占星術を信じているのかと単刀直入に訊かれています。
PLAYBOY: OK, back to less worldly concerns. You don't believe in astrology, do you?
DYLAN: I don't think so.
PLAYBOY: You were quoted recently as having said something about having a Gemini nature.
DYLAN: Well, maybe there are certain characteristics of people who are born under certain signs. But I don't know, I'm not sure how relevant it is.
PLAYBOY: Could it be there's an undiscovered twin or a double to Bob Dylan?
DYLAN: Someplace on the planet, there's a double of me walking around. Could very possibly be. [6]
( ・3・) 信じているかといえば、信じてはいない。星座と人間の気質とのあいだには何か関係があるかもしれないが、どの程度なのかは分からない。――うーん、言質を取られるのを避けているみたいだ。
――もともと質問に率直に答える人ではないのですが。
( ・3・) 思い出した。昔、日本の有名な批評家がイェール大学に文学を教えに行ったんだが、向こうでは占星術が流行っていて、同僚の学者の生年月日がどうのこうのと書いていたっけ。あれも70年代半ばじゃなかったかな。
――期せずして、アメリカにおける神秘主義の流行、というテーマに足を踏み入れてしまいました。
( ・3・) ……引き返そうか。
――「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」の意味をめぐって脇道にそれてしまいましたが、実は、意外なかたちで問題が消滅します。
――いえ、問題自体が消えてなくなってしまうんです。アルバム発表から一年も経たないうちに、歌詞が書き直されて、最後のスタンザは大きく変わります。1975年のライヴ録音を聴いてみましょう。
To know too much for too long a time
She should have caught me in my prime
Instead of going off to sea
And leaving me to meditate
( ・3・) ジェミニを連想させる "she was my twin" も含めて、占星術につながりそうな表現はなくなったな。詩の問題の解決を、人は問題の消滅によってうやむやにする。
――「彼女はわたしの双子だった」も、考えてみれば謎めいた表現です。「本当の恋人だった」と「双子だった」とが置き換え可能かといえば、そうではないと思います。
( ・3・) 歌詞だけじゃなくて、コード進行も旋律も変わっているぞ。
――そうなんです。これまでわれわれが検討してきたことの少なからぬ部分が、このヴァージョンには当てはまらなくなっている。ディランにしてみれば、もう「わたしはそこにはいない」んです。
( ・3・) うなぎみたいなやつだな。
――歌詞の変更は1975年以降も続きます。「彼」と「彼女」とが入れ替わったり――
( ・3・) 体が?
――立場がです。第一スタンザで「孤独を感じ」「まっすぐに歩いていればよかった」と願い、第二スタンザで「夜の熱気に打たれるのを感じ」るのは、「彼」ではなく「彼女」になります。80年代にはさらに全面的な変更があり、90年代には――
( ・3・) もはや原形を留めなくなった?
――いえ、それが――。
( ・3・) それが?
――おおむね元のかたちに戻りました。
( ・3・) ……。
――……。
( ・3・) 「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」も?
( ・3・) 抑圧された占星術の回帰……。なくなったはずの問題の再燃……。まるで人生のようだ。
――これで「運命のひとひねり」は概観できました。全体について何かありますか?
( ・3・) 英語は易しめだったな。
( ・3・) 「彼」と「彼女」との間に何があったのか、曲のなかでは詳しく語られないけど、これは、その、いわゆる一夜の関係というやつなの? [7]
――なぜそう思ったんですか?
――ただ、それだと、彼女がいなくなったときの彼の傷心ぶりや、「指輪をなくしてしまった」のくだりはうまく説明できません。
( ・3・) そうなんだよな。じゃあ、ある程度つきあった恋人たちの最後の夜だったんだろうか。
――第一スタンザに、「体の芯に火花が走るのを感じた」とありますが、これは恋に落ちるときの表現だと思います。まあ、よく知っている相手に対して改めて火花を感じる、という可能性もゼロではありませんが。
( ・3・) すでにつきあっている恋人同士なら、見知らぬホテルの前でまごまごするのも不自然だしな。うーん、こんがらがってきた。一方では、彼と彼女とは一夜の関係に見える。ある日の夕暮れに物語が始まって、翌朝には彼女は姿を消している。その一方、物語の後半では、彼は生涯の伴侶を失った男のように見える。
――常識と観測結果とが矛盾するときは、常識を捨てなければなりません。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、と考えて矛盾が生じるのであれば、そう考えるのをやめればいいんです。
( ・3・) いや、でも、ある日の夕暮れから翌朝までじゃないの? ネオンの輝く見知らぬホテルに長期滞在して、数年後の朝に彼女はいなくなりました、なんていくらなんでも無理があるだろう。
――キュビズムの絵画では、ある対象を複数の視点から捉え、平面のキャンバスに再構成して描きます。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、という枠組みのなかに、出会いから別れまでの一切が凝縮されたかたちで描かれているとしたら?
( ・3・) 時間の流れが一律ではなかったということか?
――いいですか、時計の秒針が聞こえてくるのは、彼女がいなくなった後です。それから彼にとっての永遠の現在が始まり、彼女がいた過去は、彼の記憶のなかで遠近法的な奥行きを失うんです。
( ・3・) 時計を一種の仕掛けと見立てて、内在的に解釈するわけか。理屈は通っているかもしれないが、常識を捨てさせるには、まだ十分ではないと思うぞ。
――では、時間の流れが一律であるとは限らないという外在的な傍証を。1978年のインタヴューです。
Everybody agrees that that [Blood on the Tracks] was pretty different, and what's different about it is that there's a code in the lyrics and also there's no sense of time. There's no respect for it: you've got yesterday, today and tomorrow all in the same room, and there's very little that you can't imagine not happening. [8]
( ・3・) おい、詩に暗号が隠されていると言っているぞ。
――その点は保留にしてください。
( ・3・) 時間の意識は失われている。過去、現在、未来が同じ部屋に混在して、想像しえない出来事などほとんどない。
( ・3・) 「運命のひとひねり」の解題ではないんだな?
( ・3・) そうだな、まだ腑に落ちるとまではいかないが、時間の扱いは気に留めておいたほうがよさそうだ。
――はい。実は、キュビズムの絵画や、時間の意識をもちだしたのは、次に聴く曲「タングルド・アップ・イン・ブルー」でも同じ問題がでてくるからなんです。邦題は「ブルーにこんがらがって」。ディランの重要な曲を挙げるとしたら、まず10位以内には入る。人によっては1位かもしれない。というわけで、ウォーム・アップは終了です。次は少し難しくなりますよ。
そのようにして彼らは「タングルド・アップ・イン・ブルー」を聴き、「シェルター・フロム・ザ・ストーム」を聴いた。窓のかたちをした陽だまりが床を移動し、寝ていたストラヴィンスキーの首から下が影に入ってしまった。もう次の曲に進む時間は残っていなかった。デレク・ベイリーのCDを持って帰らなければ、と彼は思った。マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスならいつでも買い直せる。しかしベイリーは品切れのまま再発されないことだってありうるのだ。
「もう帰るのか?」と上司は言った。
「はい。それで、デレク・ベ」
「おまえの家は一戸建てだったな、たしか。陽当たりと風通しは良好か?」
「陽当たり? まあ、それなりには。それで、デ」
「窓からの眺めは?」
「眺め? まあ、壁しか見えないということはありませんが。そ」
「じゃあ、決まりだな」と上司は言い、リムスキー=コルサコフの両脇を後ろから抱えると、目の高さまで持ち上げた。
「新しいパパだよ」
かくして予言は成就し、わたしは持っていったもの以上を持ち帰ることになる。小さなモフモフと、モフモフの当面の生活に必要なモフモフ用品とを。
まずはこの子に、猫としてまっとうな名前をつけよう。このままだと、もし何かの拍子に迷子にでもなったら、「リムスキー=コルサコフ! リムスキー=コルサコフ!」と大声で呼びながら近所を捜し回らなくてはならない。獣医にかかるときだって、きっと問診票に名前を書く欄があるだろう。常軌を逸した飼い主だと警戒され、信頼関係を築くのに支障をきたすかもしれない。
しかし、猫に名前をつけるのは難しい――T・S・エリオットの Old Possum's Book of Practical Cats にもそう書いてある。クラシックの作曲家では大仰すぎる。ジャズ・ミュージシャンではどうだろう。わたしはCDとレコードの棚の前に立ち、名前の候補をピック・アウトしていく。チェット。論外である。マタタビに耽溺してばかりの猫になってしまいそうだ。ドルフィー。才能も人格も申し分ないが、早世の不安がつきまとう。ベイリー。デレク・ベイリーのCDを取り戻すまで、わたしはあとどれだけの道を歩まなくてはならないのだろう。
わたしは気づく。予言は成就していない。少なくとも完全には成就していない。人知を超えた力によって予言はねじ曲げられ、わたしは持っていったもの以上ではなく、持っていったもの以外を持ち帰ったのだ。新しい家の探検を終え、お腹を上にして眠る小さなモフモフよ、おまえのしっぽが曲がっているのも、運命のひとひねりのせいなのか?
[1] 実際にはEより少し高く聴こえる(テープの再生速度を上げているため)。
[2] これ以降、歌詞の引用は2小節ごとに改行を加えている。
[3] Bob Dylan. Chronicles: Volume One. Simon and Schuster, 2004. p. 122.
[4] Sam Shepard. Rolling Thunder Logbook. Da Capo Press, 2004. p. 78.
[5] https://maureenorth.com/1974/01/dylan-rolling-again-newsweek-cover-story/
[6] Interview with Ron Rosenbaum. Playboy, March 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 236.
[7] 草稿では、第三スタンザは以下のように書かれたあと、大きなバツ印がつけられている。"She raised her weary head / And couldn't help but hate / Cashing in on a Simple Twist of Fate." 初めは娼婦として描かれていた点を重視することもできるし、その構想が放棄された点を重視することもできる。
[8] Interview with Jonathan Cott. Rolling Stone, November 16, 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 260.
まだあの辺は船で探検しにいってる途中なのでよくわかってない
何の道に進むにも最短で綺麗に整備された道筋が用意されている。
それを利用しない手はない。
でも本当に全部それで良いのかと思う。
でも、自分で考えて見つけて成長するプロセス自体が楽しいということもある。
子供の頃、遭難しない程度のヤブに入って、探検しつつ知っている道路に出るとなんとも言えない嬉しい感じがあった。
大人になってからも、ちょっとした外出のときは敢えて知らない小道に入ってみたりする。
それを進んだ結果知っている道路に出ると、単純にその土地に対する理解度が増えたみたいで嬉しい。
毎日毎日、決められた大きくて真っ直ぐな道を数回曲がっただけで目的地にたどり着くのとどちらがいいのだろう。
ただ、全体像も見えないままに突然細道に入り込むのは違うような気がする。
そこは目的地ありきで考えていきたい。
ヤブを抜けた時、そこに整備された道が現れた時人はどう感じるのだろう。
oculus lift Sを買った。自分は軽度のDNC、つまりダイブ不適合者(ノンコンフォーミング)のようで、眩暈と吐き気に耐えながら頑張っているわけだ。
ある程度吐気等には慣れてきて、最近はそれなりの時間ダイブできるようになった。
それで色々なゲームを試してみようという気になったんだ。
この世の中には五行思想というものがある。木・火・土・金・水で自然界は説明できるというものだ。正直この世の中のモノを全て5つで説明するのは無理があるんだけど、大体の事は説明できる。
VRも同じように、全てについてもれなく紹介するのは難しいけど、大体の王道ジャンルを5つ出してみようと思う。
VR5要素、すなわち
フライトシミュレーター、カーレーシング等の乗り物に乗ったり、移動をゲーム性にしたもの。
「格闘」-格闘、剣
「FPS」-銃・弓
があると思う。
最後のタイムカードを記録して帰ろうとしたところ、アラサーと思しきパートの女性が、用があるから家に来てほしいと話しかけてきた。
増田は別件で行くところがあるので、そちらの用が済んだら行くからと住所を教えてもらった。
別件の用がどんなもんだったかよく覚えてないが、済ませてから教えてもらった住所へ向かう増田。
そこは団地で、彼女の部屋に向かう間、すれ違う人は女性ばかりだった。
その時増田はふと「そういえばこの団地は住んでる人は皆女性で、全員売春をしてると噂される売春団地だったな」ということに唐突に思い至った。
そしてパートの女性の用というのは、増田とセックスすることなんだと気が付いた。
増田は彼女の部屋についたが留守であり、スマホで連絡を取るという考えに至らなかったので、彼女が帰るのを待つ間、団地の中を探検することにした。
といっても団地なので同じ扉が同じ間隔で並んでるだけであり探検甲斐はなさそうに思えたが、とりあえず最上階まで階段を上がることにした。
最上階にはなぜかプールがあった。そこはAVの撮影に使われそうな雰囲気の、いわゆる「例のプール」っぽい作りになっており、
増田が見たときは誰もいなかったが、おそらくVIP用なんだろうなあそれにしては警備ガバガバだけどとか思いつつ見学してると
目が覚めた。
横だが言わせてくれ。
社会のシステム上、お金を稼がなければならないのは間違いないだろう。
「作る喜び」・「考える喜び」・「共感し合う喜び」・「感謝される喜び」等々は、
「貯金通帳の数字が増える喜び」を引き立てる脇役に徹しなければならないのだろうか。
増えゆく貯金通帳の数字を眺めたり、その増加率を人に見せびらかして至高の快感が味わえ、
それ以外のものは何もいらないのが人の性だとしたら、お金を稼ぐことが主役でもかまわないだろう。
けれども、小学校の頃に友達と一緒に雲を追いかけながら、まだ見ぬ場所を探検し続けた日々を忘れないで欲しい。
ただ受診のほうがメインにして命の母やめたほうがいいのかもとおもうけど
つまり漢方なんて「なくなったころ会いに来てくれる約束」みたいなもんだろ、半分は。
あとの半分は「証診断」しなくても偶然あてはまったら効く。
「高齢」(40超え?)とやらで妊娠いらないなら子宮本体を取っちゃうのも本当に医学上はいいんだ、
卵巣だけのこせばホルモンが足りんなどのあと腐れも一切ない
おセッセにも差し支えない、
開腹もしないし日帰りですぐ出来たりする(医者じゃないからうろおぼえ。匿名の伝聞だから信用すんな)
ただ子宮筋腫もないままやると保険がきかないので多少高くなるのと
「いつか」とか夫婦の絆が失せるような気にはなるかもしれないから無理にとはいわない
それ以前で、
「まだ35で同級生は2人目3人目産んでるのに・・
なにより本人が医者怖いけどこの恐怖感はだれにも言えないたよれない・・・」
って一人八方塞がりやってるおくさんなら
まだあるだろなんかやってないことがいっぱい
私は覚えていない
息子は2日前自転車に乗れるようになった
それまではずっと私の軽自動車の後部座席のジュニアシートが彼の指定席だったが、自転車に乗れるようになった彼は毎日30分おきに自転車に乗ってどこかに行こう!と、誘ってくる。車では通らなかったような細い路地裏や住宅地を探検して、近所なのに知らなかったパン屋を見つけパンを買い、同じく初めて見つけた公園のベンチに腰掛けて買ったばかりのパンを食べる。
今は3人やなーなんて息子は言う。
私は目的もなく近所をひたすら自転車でウロウロすることに、あまり喜びを感じられず、疲れたなぁなんて思ったりする。だが、彼の笑顔を見ていると何も言えずにただ小さな自転車の後ろをついていく。