はてなキーワード: 各駅停車とは
名古屋鉄道、名古屋本線と西尾線が交わる特急停車駅、それが新安城駅である。もうこれだけで利用者数がかなり多いことが想像つくだろう。
そんな新安城駅の何が最悪か。最も簡潔に最悪さを伝えるとしたら、「乗り換えも改札も、実質駅西端にある狭い地下改札前を通るしかない」 という、駅の構造に尽きるだろう。
もうこれだけで、電車が停まるたびにその通路がごった返すのがわかるだろう。乗り換える奴、新安城駅で降りる奴、その電車に乗りたい奴がひしめき合う地獄だ。
さらにそこに、愛知県の鉄道のクソさ、名鉄のクソさが重ねがけされる。
まず愛知県の鉄道のクソさ。JR東海も名鉄も酷い殿様であることは、もうこの際おいておこう。なによりも乗客が、電車に乗るのがヘタクソすぎる。入り口はパンパンなのに車内中ほどはガラガラ。このご時世でもずっとそう。狛犬どころか仁王像レベルのバカ、まだゾロゾロと降りてる人が居るタイミングで乗り込んでくるバカ、終点でみんな降りるために並んでるのに無理矢理前に入ってくるバカ、デカいリュックやエナメルバッグ背負いっぱなしの高校生"一団"。関東圏から来たら、マジでビビり散らかすレベルの「民度」が見れるぞ。
続きまして名鉄のクソさ。各駅停車への乗り換え、各駅停車からの乗り換えはほとんど考慮されず、乗換時間3分か25分か、みたいなクソダイヤを作っている。しかも各駅停車はその他快速や特急が遅れたら遅れる。そして通勤ラッシュでは、前述の民度によって数分の遅れはいつものこと。一応、各駅に/から乗り換える人がいることは知ってるっぽいので、乗り換えを待つ"こともある"。つまりは、乗り換え時間3分は名鉄のドア閉める人のさじ加減のギャンブルになる。
そして問題の新安城駅のクソさ。「乗り換えも改札も、実質駅西端にある狭い地下改札前を通るしかない」ので、みんなそっち側の車両に乗る。ダッシュする。新安城駅の駅員はそのダッシュする第一陣を乗せたら、「乗り換え完了、ヨシ!」でだいたい出発する。その端っこの車両に乗っていないと、新安城で降りる人やそのあとの特急に乗る人、別路線に行く人、今しがた降りた電車に乗りたい人などの普通のペースの人混みと逆流に飲まれ、乗り換えは100%間に合わない。頑張って乗ったとして、「乗り換え時間が短く申し訳ありません」を「ノーカエジカンガミィカク モウシワッキャーセン」みたいなこなれたアナウンスして煽ってきやがる。わかってんならダイヤどうにかするか乗り換え待てや。ちなみに、「実質駅西端にある狭い地下改札前を通るしかない」の実質は、東側にある高架乗り換え通路に行っても100%間に合わないからだ。なぜ間に合わないか?その高架に行くには"エレベーターしかない"し、そのエレベーターはめちゃくちゃ遅いし、「エレベーターに乗りたいから停車位置がエレベーターに近いところに乗った奴」で満員だからだ。
駅を作るにおいて、最も愚かしいことをやっている。「乗換駅なのに乗り換え通路が十分でない」「十分でないどころか実質1つ」「その1つが改札も兼ねている」「その1つが狭い」シムシティで病院への道を険しくして遊ぶ奴が設計したのか。東京の通勤ラッシュってストレスだろ、あれにランダム性が入って乗れたり乗れなかったりする上に電車が30分間隔だと想像してみてくれれば、どれだけストレスフルかわかるかもしれない。
そんな新安城駅、現在工事中で、ようやく東側に階段で行ける乗換通路ができるらしい。とにかくストレスフルな、最悪の特急停車駅「新安城駅」、皆様も是非来てみて、人間の愚かさ、名鉄のクソさ、愛知県民の電車に乗る技術の低さ、何も考えずに駅を作ってはいけないという至極当たり前の教訓などを学びに来て欲しい。私はもう日常的には使っていないし、ラッシュタイムは二度と利用したくない。
毎年の楽しみだけど、今年は不安…
プールだけは人気だ。
感染予防と、あと、若くはない、かつ
在宅勤務で体力がた落ちの自分の
体力を考えた対策をしてみる。
旅先は別。
人と間をとって活用
2,消毒はこまめに もちろんマスク
顔を触らないのと、乗り換えの度消毒
3,ドアの近くに座る
各駅停車なので、、
気休めかもだけど。
4,更衣室を使わない
私は女だが、着替えとシャワーは
自宅まで我慢。
ラッシュガード着用。
丈は短いので下にデニムをはくが、
影でコソッと脱げばOK。
最悪トイレで着替えることも考えたけど
持って帰るのが嫌だった。
幸い水着で園内は遊べるので、泳いだ後
5,荷物は最小限
重いと足が進まなくなるので、旅行は
1gでも荷物を減らしたい
□荷物一覧
・日焼け止め、消毒
・財布用のジップロック
水中ポーチに入れるので軽ければ◎
・水中ポーチ
入れる
園内の移動用もこれ一つ
・浮き輪
破れたら処分して帰るつもりが意外と丈夫
・スマホ
・バッグハンガー
Seriaで購入した輪っか型ハンガーが優秀。
一カ所がパカッと開くので
机にはもちろん、電車の手すりにも
輪っかにバックの取っ手を通して
S字フックのようにかけられる。
軽いし、シンプルで重宝。
□持って行かないもの
着て行き、そのまま帰宅
手持ちはしない
・タオル
・化粧品
どうせ水で落ちる。
・着替え
6,ラッシュはさける
始発の下り線。
変える。
元々地方なので、そう混まないけど、座りたい。
朝も早かったし、早めに食べて混雑を避ける。
7,早めに帰宅
体力と相談しつつ、無理をしない
次の日地獄を何度か見て、悟った
もう、若くない。
家の中にまき散らさないように。
9,混雑度合いはチェック
テーマパークのTwitterとライブカメラで混雑度合いはチェックしたし、連休前の
平日を選んだ。
因みに、一人遊園地だ。
何年か前、初めて一人デビューして
快適さに開眼。
以来、毎年ひとりで行くようになった。
女同士で行くこともあるけど、支度やら
日やけどめ塗り直しタイムやら、
待たされてイライラしっぱなし。
後で後悔するわよ、と日焼け止めを何度も
勧められるのも鬱陶しい。
元々地黒じゃ!
ないし。
純粋に遊ばせてくれ。
写真とかそんなにとって、どーすんのよ。
誰もみないし、そろそろ、犯罪だよ?
きっと中身、男。
共感できる。
思う存分遊んで、サクッと帰りたい。
帰宅後は、しばらく引きこもる予定。
母にも来ないよう伝えてある。
体調チェックは毎日しているし。
ずっと引きこもるなんて辛いよ。
終着駅で人のまばらなホームに降りて、寂れた店で立ち食いそばを食べたら、
そのまま各駅停車で更に先に行きたい。
各駅停車の終着駅では人の居ないホームに降りて、高い建物のない広い空の下で、昭和から変わらないような町を歩いて砂浜に出たい。
砂浜に座って一時間くらいゴロゴロして、暗くなってきたからホテル探して民宿すら見つからず途方にくれて、
始発電車で家に向かい、途中で通勤や通学で人が増えて、ピークを過ぎてまた減ってくる中を、ひたすら座ったまま建物が高くなっていく窓の外を眺めたい。
会社の最寄り駅を通り過ぎて、昼も過ぎた頃に家の最寄り駅到着し、ヘロヘロになって家に帰ってそのまま眠りたい。
追記:
そっちの方向には海がないそうだけど、
海のある方向の電車に乗りたいんじゃない。
いつも見かける行き先表示に書いてある、竜王とか宇都宮とかが、日常を通り過ぎた先にある自由の地なんだ。
そこへ行って、その先にある砂浜まで行きたいんだ。
うちの会社は4月頭から基本は在宅勤務、パートさん派遣さんはシフト勤務だった。自分は在宅だったが諸事情があり久々に電車乗って会社に行った。
電車はすいてて座席も半分くらいは空いてる。JR総武線各駅停車の朝の時間では考えられない光景。ラッキー、と思って空いてる席に座った。高架を走る総武線の窓から春らしい日差しが降りそそぐ。換気のために空けられた窓から都会の空気が入り込む。朝の電車ってこんなに気持ちいいんだ。コロナ後もこの乗車率が続いたらいいのに…
会社にいったらパートのおばちゃんが世間話してた「みんなわざわざ1つずつ席開けて座ってるのに、若い子は気付かずその間に座ってくるのよ!で隣に座られたお爺さんが嫌がって席立ったのにそれも気付いてないんだから!気遣いが出来ないのよね~」って話してた。ゲッ!って思った。
久々に電車乗る人、気をつけてね。
私が初めて付き合った人は夢に向かってまっすぐな高校生だった。当時私は19歳大学一年生、相手は17歳高校二年生でお互いの幼さ故にぶつかり合ってすぐに別れてしまった。その後しばらく友人関係にあったけれど、結局付き合って失敗した事実が尾を引いて今では連絡先も全て消してしまい連絡を取る術はない。彼は高校卒業後は専門学校に進み、その後小さな頃からずっと就きたかった職についたという話を耳にしていた。
大学には入ったけれど夢が定まらない19歳と、なりたい職業がはっきりと決まっていて将来を見据えた17歳。
バイクに乗る不良少年のような一面もあれば、ニュースをしっかり見ていて政治や経済にも明るく、なおかつ学校に持っていく弁当を毎日自分で作っていたりと自律した人だった。自分の思ったことや感じたことを言葉ではっきりと伝えられる人。わからないことや知りたいことがあれば調べて、自分の知識にする。どんな環境でも主役級の存在感がある、筋の通った人だった。同じバイトをしていて出会ったけど、どんなに忙しくても手を抜かない人だった。年上とか年下とか置いておいて尊敬できるところがある人だった。
彼と別れてから他の人と付き合ったりしたけれど、たくさんの言葉を交わしてコミュニケーションを重ねた彼との思い出は今でも宝物だ。一緒に話していて楽しい人というのは本当に貴重で、私の数少ない友人もそんな人たちばかり。心から大切な人たち。
正月休みで大好きな友人たちと会い、言葉を交わして何時間も話していられることへの幸せを噛み締めていたら、ふと初めて付き合ったその人の顔がよぎった。
一番上に出たのは稼働していない古いTwitterアカウント。二番目も同じ。そのまま下へスクロールすると、画像検索の結果が出ていた。
そこには小さな頃からなりたかった職についたその人の姿があった。駅員さん。付き合っていた頃に一緒に電車に乗って出かけた時には、鉄道にまつわる色々な話をしてくれた。不埒だが一度は好きになった相手が制服を着ている姿はなかなか心惹かれるものがあった。
その画像は彼が卒業した専門学校のホームページの、夢を叶えた先輩といった記事の中で使われていた。記事をよく読むと、どうやら先月私が出張で利用した駅の駅員さんになっているようだった。見覚えのある案内板やホームの景色に胸が高鳴った。
普段の生活圏からは遠く離れていて、その出張で初めて利用した駅だった。学生時代住んでいた地域に少しだけ近い。電車に乗るとき、その人が就職した鉄道会社の路線であることを少なからず意識した。出張先は駅からしばらく歩いた所にあって、宅地造成によって人工的に作られた変わった地形や街並みに心を躍らせながら出張先へと急いだ。ああ、もし時間に余裕があればゆっくり歩いて散歩したいな、なんて思いながら。
その出張は研修のようなもので、自分の勤めている職場の人出が手薄でなければ行けるという条件付きの出張。どうしても行きたい内容で、無理を言って出張に出させてもらった。
職場の都合で少し遅れて、どんな研修なのか楽しみな気持ちでいっぱいになりながら初めて降りる駅の改札を通り抜けたあの時。もしかしたら改札にあの人が居たのかもしれない。そう思ったら落ち着いてはいられなかった。
彼と別れてしまった後、どうしても忘れられなくて、忘れたくなくて、大切に扱いたくて当時の日記や写真をクラウドに保存していた。別れてから悲しくて悲しくて、でも消してしまうこともできなくて簡単には触れられない所に残しておいた。あれからもう何年も経って、今なら冷静な目でみられるだろうと思ってファイルを開いた。付き合う前に連絡を取っていたLINEの履歴や、別れてしまってから付けた日記。付き合ってから好きすぎて連絡しすぎた形跡。青々とした記憶が湧き出して胸を締め付けた。
そして、ふと思い立ってしまった。そうだ、正月休み最終日にあの駅へ行ってみよう、と。
仮に姿を見られたとしても、私は当時と服装の系統も髪型も全く違うので多分相手は気がつかないと思う。気がついたとしても、仕事中に知り合いに声をかけるような人ではない。もしも目が合ったりしたら私はどんな感情を抱くんだろう。今住んでいる土地からは遠く離れた、急行が止まらない駅へ向かう電車に乗った。今私が気になっている相手に勧められた、原田マハの「本日は、お日柄もよく」を読みながら。
車窓から学生時代に過ごした街を遠くに眺めながら、目的の駅が近づくとともに心拍数が上がった。本をまともに読んでいられなくなった。
ドアが開いてホームに降り立ち、名前をつけられない感情と向き合いながら階段を登った。改札窓口にいるのかな、それとも今日はお休みなのかな、と考えながら。
階段を登りきり、角を曲がって改札へ向かうとなんと誰もいなかった。さすが片田舎の各駅停車しか停まらない駅。窓口の近くに居ると用事のある人みたいになりそうだったので、誰もいないことを確認した後は足早に通り過ぎた。
改札を出た後、独特の地形や街並みを楽しみながら写真を撮ったりして2時間ほど歩いた。帰りは並行して走っている他の路線に乗って帰ることもできたけど、もしかしたら帰りは改札にいるんじゃないかと思って来た駅へとまた歩いた。前回出張で来た時のことを思い出しながら、付き合って別れた時のことを思いながら、改札階へと登る。
付き合っていた当時、免許取りたてで深夜にバイクに乗って出かける彼のことが心配だった。もしも事故に遭ってしまったら、小さい頃から目指している電車の運転手さんにはなれなくなるかもしれない。悪い仲間とつるむようになってしまったら、なにか身を滅ぼすことになるんじゃないか。循環器系の持病があるのにめんどくさがって定期検診に行かない。持病に良くないのにタバコを吸う。彼の健康と安全がひたすらに心配だった。好きという気持ちが一方的に募りすぎて、しつこく言ったら振られた。当時はこんなの理不尽と思ったけど、将来の夢もはっきりしないまま大学に通っている彼女に言われるのが嫌だった彼の気持ちも今となれば少しは分かる。
改札階へ到達すると、さっきは誰も居なかった改札の窓口に駅員さんがいるのが見えた。窓口に一番近い改札を通り、中を覗くと全く知らない人がいた。
そもそもその日出勤してる保証もないのによくまあ長時間かけてここまで来たもんだ。ストーカーみたいだし。
各駅停車しか停まらない駅なので、通過列車が多い。帰りも小説を読みながらホームで電車を待った。
しばらくしてゴミ袋を持った駅員さんが階段から降りてきたがこれもまた違う人だった。電車が近づいてくるアナウンスが聞こえたけれど、小説もいいところまで来てるし、未練がましく一本電車を見送ろうかと一瞬思った。
だけど、そこまでして姿を見られたとして嬉しいのか疑問だったので大人しく乗車して帰った。
大好きだったし大切な思い出だけど、思い出は思い出のままにして心の中にしまっておくことにする。
そしてやっぱり言葉を何度も何度も交わしてコミュニケーションを取ったことは何度思い返しても幸せだったなと思う。
原田マハの作品を勧めてくれた彼も、言葉を大切に使ってコミュニケーションを取る人だ。ご縁があるかどうかはわからないけど、どうかまた幸せな記憶を増やしていけたらと思う。
予定日を過ぎても一向に中の人が出てこないので、促進剤を打って強制出産する。本当はもう少し様子を見ることもできるらしいが、年末年始を挟むと病院側も色々あるらしい。オトナの事情だ。
妊娠する前、正直に言うと、妊婦なんて腹が大きくなるだけで何でもないと思っていた。
実際になってみると、意外としんどい。
ついでに頭も全く回らない。文章を読んでも一回では頭に入ってこないし、口頭での指示は言われたそばから抜けていく。
動悸や息切れもあるし、腰は痛いし、電車や車で酔う回数も明らかに増えた。
1日外をウロウロすると、あまりに疲れて顔色が真っ青になってしまう。
私は体力に全く自信のない自営業なので、妊娠が分かってからすぐに仕事を減らし、妊娠中はほとんど働かずに過ごしていた。
こんな状態でどうやって働き続けているのだろう。女の人ってすごい。
電車に乗ると、妊娠マークを見てすぐに席を譲ってくれる人がたくさんいた。
ヘロヘロ妊婦だったので、譲ってくれると本当に助かった。譲ってくれた人には、もれなく一生幸せに過ごせる呪いをかけておいた。
でも、面白いことに、席を譲ってくれる人は全員おば様。
若い人や男性は譲ってはくれない。譲ってくれないのか、妊婦マークに気付いてないのか、気付いても譲る必要性を感じていないのかは分からない。
ちなみに私も妊婦になる前は席を譲らない側の人間だった(席を譲ろうと思うほど妊婦に興味がなかった)から、譲られなくても格段何も思わなかった。
逆に譲ってくれたおば様たちは、きっと妊娠中に大変な思いをしたのだろうなぁと思うと涙が出そうだ。
私も妊婦さんを見たら、席を譲るようなオバちゃんになろうと思う。
妊婦は空気を吸っても太る、と聞いていたからビクビクしていたら、なんとびっくり体重が増えずに医者に怒られる、というレアな体験をした。
普段は食べないオヤツを1日2回食べ、カロリー気にせず食べたいものを朝昼晩と食べ、炭水化物を多めに取っても効果なし。
何が腹立たしいって、妊娠する前はこんな生活してたら普通に太っていたという事実である。
胎児、羊水、増加分の血液、胎盤の重さを全て足すとそのぐらいの重さらしいので、産んだら元の体重に戻りそうだ。
戻らなかったらどうしよう。
美味しいお店があると聞いて、父と豚足を食べに行った。
汚い立ち飲み屋のようなところで豚足を食べ、あまりに美味しいのでお持ち帰り。
翌日お持ち帰りを嬉々として食べたら、その日の晩に盛大に吐いた。
1つ言えることは、豚足はおいしいということ。
電車に乗って出かけようとしたら、人身事故の影響で混んでいた。
とりあえず乗った各駅停車。その中で、頭の先から冷たいものが足元まで降りてくる、という初めての感覚があった。
ああこれダメなやつ、と、次の駅で転がるように下車し、壁を伝って何とかベンチに腰を下ろした。
人でごった返したホームの中で、一緒に電車に乗っていた夫が温かい飲み物を買いに走り、全く回復しない私を見てすぐに駅員を呼びに行ってくれた。
私がベンチで気分の悪さと戦っていると、電車待ちの行列の中から2人のおば様がやってきた。
「大丈夫?」
「あら、あなた妊娠中?駅員さん呼ぼうか?ああ旦那さんが呼んでくれているのね。」
「顔が真っ白よ。」
そう言って見ず知らずの私の背中を撫で、大丈夫大丈夫、と励ましの呪文をかけてくれた。
まさかの優しさに号泣してしまった私を見て、泣かなくていいのよぉ〜とおば様たちが笑った。
「妊娠ははじめてかしら?」
知らない妊婦の腹の事情なんかに興味を持ってくれて、私はその質問に答えることで何とか気持ちを立て直すことができた。
あの優しさは一生忘れない。
そして、私もそういうことができる人間になりたいと思った。
これ以上電車に乗せるのは不安だと、夫は電車で家に帰り、車で迎えに来てくれることになった。
電車に乗った意味が全くなくなってしまったが、夫があまりに優しいので、将来介護は任せろと心の中で呟き駅長室でお留守番。
駅員さんはとても優しく気遣ってくれて、毛布やら枕やらを準備し、何かあったら声をかけてと丁寧に言って、仕事場へ戻って行った。
人身事故の最中なので、駅長室はたくさんの放送が飛び交っていた。ドコで電車が止まってるとか、駅のホームで何が起こったとか。
向こうの方で駅員さんの
「うぉおぅ…。こりゃもうダメだわ…。」
という、この世の終わりを見た人みたいな呟きが聞こえた。
その間にも、忘れ物をしたとか、切符がないとか、道に迷ったとか、迷子を見つけたとか、お客さんがドンドンやってきて、一つ一つ優しく対応する声が聞こえ続けていた。
ソファでまどろみながら、駅員さんってすごいなぁと思った。
お仕事、本当にご苦労様です。
私が倒れた駅のホームで、対応が遅いとか情報がないとか客の誘導が出来てないとか、ずっと大声で文句をつけているオッサンが1人いた。
でも、私におば様たちが駆け寄って慰めている姿を見て、声を荒げるのをすぐにやめていた。
気遣ってくれてありがとう。でも、駅員さんにも優しくしてほしいな。
妊娠して明らかに変わったのは、バストサイズと乳首の色だ。バストは大きくなり、乳首は真っ黒になった。
それはもうまっくろくろな乳首で、こりゃ「乳首をピンクにします」みたいな怪しげなクリームが売れるわけだと妙に納得した。
そしてお腹には、正中線と呼ばれるらしい、一本の黒い線が浮き出てきた。
胃のあたりから股の上にかけて、まっすぐ引かれた黒い線。妊娠週数が進むにつれ、ちょっとずつ濃くなっていった。
これは最初の細胞分裂の跡だと、どこかに書いてあった気がする。本当ならおもしろい。
切り取り線に見えるので、てっきり帝王切開の時はこの線を目印に縦にメスを入れるのかと思っていたら、横に切るらしい。
なんだ、キリトリ線じゃないのか…。
黒くなったのは乳首だけじゃない。
脇のあたりとか、背中の上の方とか、局所的に黒くなっているところがいくつかある。何故かはサッパリ分からない。
私は毛深くない方だが、明らかに産毛の量も増えた。背中も気持ちフワフワになり、お腹にも毛が生え、腰にも産毛のクッションができた。
毛が生えているところは弱いところだと聞いたことがある。胎児を守ろうとしてこうなっているのなら、私の身体は私の気持ちなんかよりよっぽどお母さんだ。
私は普段から化粧を全くしない程度には美容に興味がない。だから黒くなったところで、そういうものか、ぐらいの感慨で済んでいる。
でも美容にしっかり向き合っている女性は、この黒くなったり毛が生えたりする現象をどう受け止めるんだろう。
やはり、ショックを受けるのだろうか。
それとも、子が産めるのならと受け入れるのだろうか。
まだ見ぬ子のために自分のこだわりを一旦置いておけるって、すごいことだ。
一方では「妊婦は動くな、ゴロゴロすべし」と言われた。お腹が張ったりすると、赤ちゃんも苦しいらしい。
もう一方では「妊婦は動け、何でもやっちゃえ」と言われた。動いてはいけない場合は指示をするから、それ以外はお産に向けての体力作りのために動いてほしいらしい。
仕方ないので、都合のいい方を日替わりで信じることにした。おかげで楽しい妊婦生活だった。
おかげで好き勝手、ストレスもほとんどなく過ごしてきた気がする。
夫は優しさが服を着て歩いているような人で、義両親は付かず離れずの距離で気を回してくれる。
実の兄弟とも仲良しで、義兄弟やイトコ、ハトコとも、深夜まで話し込むことができる程度に仲がいい。
友人もそれなりにいて、出産経験のある子からのお下がりとお祝いで、赤ちゃん用品はほとんど買うことなく済んでしまった。
これだけ味方がいて、みんなに励まされているけど、やはり出産は怖い。どれだけ痛いのか考えただけで震える。
そして妊娠中は苦しい。何の理由もないのにメソメソ泣いて夫を困らせたり、何もしていないのに疲れて一日中寝ていたりした。
それでも周りは許してくれて、慰めてくれて、私の好物を買って来てくれたりする。
だから何とかここまで耐えることができた。
そこには必ず、DVを受けていませんか?と書いてある。
世の中にはいるのだ。人に恵まれず、望まない妊娠をして、苦しい妊婦生活を一人で過ごし、出産の恐怖に怯える人が。
私が大勢に支えられて何とかやってきた生活を、ただ一人で耐え抜くのはどんな気持ちなのだろう。
幸せになってほしい。
つわりで気持ちが悪いと「腹の中の人のせいだ!」と思うし、胎動で眠れないと「ちょっとは静かにしてよ!」とウンザリするし、思うように動けないと「お腹重すぎるよ!」と悪態をついたりする。
そもそもお腹が膨らんでいったところで、その中に人間が1人入っている、というのが信じられない。
でも、もし本当に産まれてくれたら、精一杯かわいがってみようと思っている。
私は子どもを産んで育てたいと思っているけれど、別に子ども好きではない。
だから泣き声を聞いてうるさいと思うことだってあるだろうし、イライラすることもあると思う。
ついでに家事も上手くないから、子どもにいい環境なんて作ってあげられない。
それでも休み休み愛して、一緒の時間を過ごして、ゆっくりお母さんになっていけたら素敵だ。
明日産まれたら、お腹の中の人は初めての肺呼吸と初めての哺乳で大パニックだろう。
その前に、狭い産道を通ることでヘロヘロかもしれない。
一緒に頑張ろう。
痛いのは怖いけど、私も何とかやってみるよ。
現在私は工場勤務で、昼勤夜勤を繰り返す部署にいる。工場の御多分に洩れず、最寄り駅に各駅停車しか止まらないような田舎に職場があり、住んでいるのも各駅停車しか止まらない安さだけが売りのアパートである。夜勤の場合、いつ終わっても30分は電車を待つ必要がある。
私は、かつてこの30分が嫌いで仕方がなかった。
工場勤務は退屈である。ただ同じ作業を繰り返すのみ。作業をしながら考え事をするか、うるさい環境を利用してそこそこの音量で歌うくらいしか退屈しのぎがない。そんな退屈が終わった後に30分も無為な時間を過ごしたくない、早く帰って飯食って酒飲んで寝たい、以外の感情がなかった。
去年の今頃、勤務中退屈しのぎに考えていたことを、30分の退屈しのぎに文章に起こすことを始めた。工場勤務者の御多分に洩れず、私は頭が良くない。私がそれまでに書いた文章なんて、2ページと1行の読書感想文が恐らく最長だろう。四苦八苦しながら、勤務中もどう表現したらいいかを考えて考えて、駅最寄りの喫煙所でタバコを吸いながら文章に起こす。あっという間に1000字、2000字くらい書けてしまう。2ページと1行の3倍以上の長さを、なんの苦労もせずに書けてしまうのだ。
かくして私は、この30分を文章を書くためだけに使うようになった。それからというもの、30分のために書くことを見つける、勤務中に考える、実際に書く、という日々を過ごしていた。誰にも見せない、自由に書く文章の楽しさを垣間見てしまったのだ。
そして今、初めて他人に読んでもらうことを意識して文章を書いている。
12月初日、4月から夜勤のない部署への配置換えが決まった。去年まで待ち望んだ常昼勤務だが、4月以降私は文章を書くことを辞めてしまうかもしれない。そう思うと、誰かに読んでもらいたいという感情が湧き出てきた。
この文章の書き始めが12月2日、夜勤9回=4.5時間かけて、ここまででおよそ800字。奇しくも2ページと1行に近い。誰かに読んでもらいたいと思った瞬間、文章を書くのが非常に難しく感じる。しかし、かつての2ページと1行とは比べ物にならないほど意味のある文章だと自負しているし、何より書いている間、ずっと退屈しなかった。
https://toyokeizai.net/articles/-/317166
東洋経済(オンライン版)に本日掲載された記事だが、京阪マニアとして突っ込みたい部分がいっぱいあるので、重箱の隅をつつくようでもコメントさせてほしい。
京阪は『「特別停車」「特別通過」を設けていない』(2ページ)とあるが、これは誤りで、特別停車は現存する。淀駅は急行が通過するが、淀駅が始発・終着となる急行は特別に停車する。
現在、区間急行と準急という種別が同じ区間に両方とも走っているのは、京阪、南海、泉北高速、近鉄、東武の各社。そのうち、準急が区間急行より上位になっているのは京阪と東武本線の曳舟~北千住間のみであるから、区間急行が準急より上位にあるのが多数派であることは間違いない。一方、区間急行という種別を最初に作ったのは京阪なので、あたかも区間急行が準急より上で当然という書き方は違和感がある。
『区間急行という名前にもかかわらず複々線区間の緩行線側を走行し』(2ページ)とあるが、守口市~京橋では朝ラッシュ時の一部列車を除いて急行線を走行する。緩行線を走るのは基本的に各駅停車となる区間のみで、当たり前といえば当たり前である。
交野線直通「ひこぼし」は準急または快速急行として設定されており、K特急であったことはない。
記事中、深夜急行は『2008年10月19日の中之島線開業に伴い誕生した』(1ページ)列車だと記載されている。「深夜急行」という種別に関しては確かにその通りであるが、同じ時間帯同じ停車駅の列車はそれ以前から「急行」として長らく存在しており、あたかも中之島線とともに出現したかのような書き方は語弊がある。
種別「ライナー」は、現在のダイヤでは特急と停車駅が同じで、ライナー券を必要とする全車座席定員制の列車を別の種別としたものだ。したがって、特急停車駅の変遷とは切り離して考える必要がある。
コンフォートサルーン(3000系)は今でこそ特急主体の運用であるが、元々中之島線直通快速急行用の車両として導入されており、これを特急の伝統と関連させるのは違和感がある。
※夢の中身を箇条書きにしただけなので面白くありませんよ
その路線は実在する路線でもない、実在する駅名でもない、夢の路線。(駅名は名詞ではなく砕けた口語調のようなもの)
最初に降りた駅は海のそばで海産物が豊富な町。人の往来も多い。
瀬戸内海のとれたての美味しそうな魚がたくさん売られていた。(けど、実在する魚ではなかったような気がする。皮が赤いのは覚えている)
その町は町興しの一環として今から60年前の風景を再現する、ようなこともしていて、どことなく懐かしさを感じる黒電話やレトロな家並みだった。
私は何を思ったのか、「これを掛けるとレトロな色に見えますよ」という売りのサングラスを買って、それを掛けた。町並みがレトロな色調に見えた。(つまりはセピア調)
そして公園にたどり着いた。公園に座る半袖半ズボンの若い青年に声をかけた。
「意味?…ありませんよ?」
と歯を見せて笑顔を作った。私と青年は軽く声を出して笑った。私は青年にありがとうと会釈をし、公園をあとにした。(サングラスを外した時点でセピア調の色彩からもとの色彩に戻ったことを夢の中で知覚しているので、意味はあったんだと思う)
人の往来の多い道を進むと大きな川を跨ぐ橋に付いた。下流によくある緩やかで大きな川。川の流れに沿うように、上には高速道路と思われる大きな高架も架かっていた。どれくらいの車線があったかも分からないが、川の幅よりも広い印象だ。空は殆ど見えない。
橋は車も通れるつくりであり、人と車でごった返していた。私は橋を渡らなかった。行ったら最後、戻ってこれない予感がしたから。
そのまま駅まで戻り、電車に乗り隣駅へ向かう。
(電車内の様子は夢から醒めたときからまるで覚えていない。乗ったことは覚えている。しかし電車のカラーや駅ホームの構造などまでは把握できていない)
隣駅に着いた頃には日も傾き、赤の夕焼けと青の夜の入り交じる時間帯だった。人の往来は昼ほど多くないが、疎らというほどでもない。
駅に降りた私は、急かされるように駅の外へ出る(改札はなかったように思う)
すぐに、100段ほどの階段。横幅10メートルはあるだろうか。駆け下りる。足元の灯りは乏しい。蛍光灯でうっすらと照らされているのみだ。
降りた先に、さらに下へ降りるためのトンネル付きの階段がある。階段は蛍光灯で赤く照らされている(演色性が低い)
階段の中央には手すりはない。代わりに、手すりほどの高さの位置にひとつの凹みがあり、それが先の見えない下の下まで続いている。(うまく言葉に出来ないのだが、チューブスライダーや流しそうめんのようなものと考えていい)
私はこの設備の意味を考え、スロープのないトンネルなのでおそらく自転車を使う人のために用意したのだろうと考えた。
振り返ると仕事帰りと思われる人が階段を降りてくる。あるものはそのままトンネルに入りさらに下へ、あるものは左折して見えなくなる。私は下に降りずに、トンネルに向かって右に曲がった。
そこには水族館があった。今のオシャレな水族館ではない、古めの水族館だ。しかし駅直結ということもあってか、夕暮れのこの時間帯でも入館者は多い。
右手には、イルカショーが見える。水族館の外であるにも関わらずだ。イルカにスポットが当たり、芸をする。飼育員の顔は帽子の陰で見えない。
客席に明かりは当たっておらず、誰がいるのかはもちろん、表情の判別は難しい。日の沈む薄暗い中、イルカだけが光をほしいままにしていた。
そのすぐ左、私から見て正面の階段を登ると水族館の入口だが、私は急いでいるので階段を登り隣駅へ向かった。
日はすっかり沈んだ夜。そこの駅から降りてすぐの大学では入学式?が執り行われていた。至るところに輝度の強い白色光が照らされ、そのコンクリートの外壁に美しさを、白と赤の花紙で作られた花に鮮やかさを与えていた。(外壁は打ちっぱなしコンクリートによくある規則的に丸いくぼみのある感じ)
電球色の暖かい色が、ガラス越しに漏れていた。私は学生の列に混じって大学に入る。
エントランスホールでは多くの学生でごった返しており、私はそれを掻き分けて、勝手知ったる足取りで歩を進める。階段を登り、図書室に入る。図書室も多くの学生が本を探しており、私も本を立ち読みするなどした。
どういうわけか分からないが、その図書室には私の上司がいた。(夢の中で出てくる私と関係する実在上の人物はこの上司のみだ)
その上司は誰かと電話をしている。書棚の本の背を指でなぞり、指で引っ掛けて本の顔を確認しては「これじゃない?違うー?そっかー。私もよくわかんないんだよねー」とか図書室にしてはうるさい声量で話す。それを見た私はそっとそこを離れて図書室を出る。
(図書室の構造は円筒形。円の内側がガラス張りで室外が見える。円の外側は壁。図書の保存にはあまり良くないと思われる。私の小学校も改装したときは図書室が両面ガラス張りだったのでその影響もあるかも知れない。確か当時有名だった建築家に設計を依頼したとかなんとか)
その後のことはよく覚えていないがそう長い夢を見ることなく目を醒ました。
(長くなりましたがこれは旅行をした夢です)
この夢を見る前はかなりストレスが溜まっており、イライラしていました。つまらないことで血圧が上がり、そんな自分が嫌でさらに心拍数が上がり、そんな状況でした。
この夢を見ているときから幸福感に包まれていたような気がします。起きてからもです。もちろん目が覚めてから夢だったと納得するわけですから、順序としては
となるわけですね。
私はかなり根に持つ方で、いつまでもいつまでもあの失敗あいつの仕打ちをどこまでもどこまでも引きずっていく人間なのですが、この夢を見てもう全部水に流しました。理屈はわかりません。それぐらい開放的で、穏やかな気分です。心が洗われたとはまさにこのことなのだなと納得している次第です。
こんな夢、あと何回見れるんだろう。今日も枕を高くして寝よう。
※夢の中身を箇条書きにしただけなので面白くありませんよ
その路線は実在する路線でもない、実在する駅名でもない、夢の路線。(駅名は名詞ではなく砕けた口語調のようなもの)
最初に降りた駅は海のそばで海産物が豊富な町。人の往来も多い。
瀬戸内海のとれたての美味しそうな魚がたくさん売られていた。(けど、実在する魚ではなかったような気がする。皮が赤いのは覚えている)
その町は町興しの一環として今から60年前の風景を再現する、ようなこともしていて、どことなく懐かしさを感じる黒電話やレトロな家並みだった。
私は何を思ったのか、「これを掛けるとレトロな色に見えますよ」という売りのサングラスを買って、それを掛けた。町並みがレトロな色調に見えた。(つまりはセピア調)
そして公園にたどり着いた。公園に座る半袖半ズボンの若い青年に声をかけた。
「意味?…ありませんよ?」
と歯を見せて笑顔を作った。私と青年は軽く声を出して笑った。私は青年にありがとうと会釈をし、公園をあとにした。(サングラスを外した時点でセピア調の色彩からもとの色彩に戻ったことを夢の中で知覚しているので、意味はあったんだと思う)
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最強の路線で10年くらい通勤していたけど、痴漢が捕まったことと、車内での喧嘩は数度見たことはあるが、痴漢を目撃したことはない。
・混雑に耐えられないから混雑率の低い車両を選んで乗っていた。
・通勤が混み過ぎてパーソナルスペース確保して携帯や新聞見て意識を自分に集中させないと精神が持たない。
・窓の外をみて意識を外に飛ばさないと満員電車の空間に耐えられない。
そんな状況で他人がどうなっているかはほとんど見えないし、つり革に両手で捕まって触らないようにすることで精神は精一杯。
最後にはパニック障害になりかけて各駅停車を選んでパーソナルスペースが確保できる場所に乗るようになっていた。
満員電車はそれだけ過酷なところで、見て見ぬふりをしているのではなくてそもそも不可視な環境なのだろう。
となると監視カメラになるのだろうが、監視社会にならないように善用してもらうことを祈るしかない。
ちなみに原田知世の若い頃の風貌は「私をスキーに連れてって」のポスターが去年か一昨年、鉄道会社の広告に使われてて知りました。
一応東京住まいだけど、各駅停車しか停まらない駅のしょうもない店しか行かないから、そもそも誰かに声かけられる以前に私以外誰もいない。
そして昭和顔だからか、ナンパするようなチャラ男からはウケが悪い。ブスじゃないから並んで歩いてもいいけど、タイプじゃないから抱けないって言われました。
もう令和だわっていうね。流行りのファッションや化粧が似合う子が羨ましい。
仕事して生きるためにご飯食べて忘れるために酒飲む毎日だけど、最近独り言が上手になって寂しくないかもしれない?って思い始めました。
でもやっぱり誰かと話したい気分の時もあるので、たまに増田に書き込みます。
ちょっとこれで、誰かと話してる気分になれる気がして嬉しい。
世田谷区と言えどお世辞にも華やかとは言えず、駅前唯一の商店街はもう何年も前からシャッターが閉まったままの店が多い、寂れた駅だ。
駅前の桜が有名ではあるものの、駅から伸びる道沿いに木が映えているだけなので、満足に花見も出来やしない。
他に特筆すべきは、自動車の教習所があるとか、色々な逸話のある巨大な精神病院があるぐらいで、日常生活で楽しめるような施設は本当に少ない。
僕がそんな上北沢に住んで、もう18年になる。
上北沢について聞かれた際に、僕はいつも自虐を込めて「下北沢と間違えられる為に存在している駅さ」と応えている。
事実、金の無いバンドマンだった僕は電車代すらも惜しんで当時仲の良かった女の子たちに上北沢まで来てもらうことも多かったのだけれど、初めて来る子が「駅に着いたけれど何処に行けばいい?」と電話を掛けてきた際に、その後ろに喧騒が聞こえたりしようものなら、大概は下北沢にいるのだ。
この下北沢というのが曲者で、どちらかと言えば下北沢にとって上北沢が曲者というのが正しい表現かもしれないが、二つの駅は隣り合う駅などではなく、上北沢は京王線、下北沢は京王井の頭線と、乗り換えも必要な結構離れた駅なのである。
この二つの駅が離れているのは、どうやらこの辺りには地下を通る北沢川という川があり、その上流と下流に位置しているかららしく、その北沢川をずっと辿っていくと目黒川まで通じているらしいのだ。
こんな豆知識も、住みたい街ランキング上位に名を連ね、音楽の街だの古着の街だの様々な二つ名を持つ下北沢に対するのが全く無名の上北沢では、話したところで「そもそもそんな駅あるんだ」で終わってしまうのである。
散々なことを書いてきたが、僕はこの上北沢という場所が嫌いではなかった。
駅同士の間隔が狭い京王線の新宿寄りの区間において、上北沢は急行まで止まる桜上水と快速まで止まる八幡山に挟まれて、乗り降りする人は朝のラッシュ時ですら疎らだ。
意味も無く学校をサボりがちだった高校生の頃、二度寝した後の昼過ぎの上北沢駅のホームは端から端まで人の姿が無く、蝉の声や風で揺れる木々の音がいつもより大きく聞こえた。
終電を過ぎた時間になれば、コンビニこそあれど休日のオフィス街より静かな駅前で、集まった音楽仲間と無駄に大きい銀行の駐車場に座ってカップラーメンを啜りながら叶いもしない夢について語り合った。
何も無い、人もいない上北沢にも、唯一自慢出来るお店が在って、いつの間にか出来た駅前のベーグル屋だけはそれなりに有名で、インターネットの情報によると国内でも随一の実力派の店舗らしく、確かに美味しかった。
バンドマンという肩書きに騙されてクズ男の実家にこそこそと泊まりに来る女の子を連れては、朝食代わりにベーグルを一つか二つ買って、上北沢駅は素通りして隣の桜上水まで歩きながら食べるのがたまの楽しみだった。
社会人として働き始めてからは日々が過ぎ去っていくのはあっという間で、僕がくたびれたおっさんになっていく一方で、件のベーグル屋は同じ上北沢の中で移転して大きく綺麗になっていた。
因みに、移転先には元々和菓子屋があって、カフェオレ大福という何だか不思議なお菓子が名物で一度食べた記憶はあるもののそれが美味しかったのか美味しくなかったのかは定かでは無いが、まぁ、そんな些細な変化があった。
上北沢と同じように大した変化は訪れないと思っていた僕の人生にも意外や転機は訪れるもので、結婚という人並みに幸せそうなイベントや、就職した際には一生この仕事を続けるなんて思っていた癖にすんなりと決まってしまった転職で、僕はこの上北沢を、東京を、関東からも離れることになったのだ。
離れることが決まると、大した思い入れもなかったはずの上北沢という街が、急にいとおしくなってくるのが不思議だ。
大学時代に長期休みが来ると故郷に帰る友人を羨ましく思っていたが、この山も海も無い、何も無い街が、僕にとっての故郷なのかもしれない。
トイレ行きたいのに先客がいてすぐに用が足せない時、「てめえ今すぐそこをどけ!パンツ上げる暇があんなら水流してとっとと鍵開けろや!」って本当に思う。思うどころか小声で実際に言ってる。
通勤ラッシュとか地獄すぎる。私は真っ直ぐ歩きたいんだ。何故人を避けなければいけないのか。指パッチンしたら半径5mに近寄る人間は分子レベルで分解する力が欲しい。
なんで勤務中にいきなり旅行の話とか振ってくんの?仕事しろよ。せめてこっちの仕事邪魔するなよ。
何の実にもならない話に付き合うとか水商売やら介護士じゃないんだからさ。単価500円くらいでいいからよこせよ。疲れんだよ。
誰かと一緒に電車で目的地に向かう時。自分は早く目的地に着いて用事が始まるまでゆっくりしたい。同行者は電車で座りたいから空いてる各駅停車を待ちたい。こんな些細な不一致でも、ああこいつの頭の中には自分のものとは違うものが入ってんだなって思って気味が悪くなる。こっちが折れて行き先で少し休む時間がなくなるのは癪だし、相手を説得するためにあれこれ説明するのもだるい。黙って私に着いてきてくれるなら全く気が楽なのに、どうしてこいつは私に苦労をかけるのか。あーだこーだ言い合うのはもっと嫌い。導くべき結論はどれか1つなのだから反論の応酬なんて時間と労力と感情の無駄遣いだ。反論の余地残さぬよう意思表示したいが理屈っぽく言うと相手の機嫌損ねるのは学んだ。心底嫌だが言葉を選んで急行乗る結論に軟着陸。当然座れない。
「あーなんか足疲れた」
てめえ一度承知したなら文句垂れんなや。嫌味か?当てつけか?そこまで言うなら急行で一人で先に行った方がましだったわ。
いやね、自分が明らかに異常なのはわかる。もしかしたら発達障害やらパーソナリティ障害やらなのかもしれない。人は社会の中で生きる生物だし、社会は人と人の合意の中で過去と未来を踏まえて共に作り上げるものだ。
それでも私は人間が嫌いすぎる。正直こんな世界で生きたくたい。しかし死にたいわけではない。どうすればいいんだ。生きるのをやめるしかない。どうすればいいんだ。