私が初めて付き合った人は夢に向かってまっすぐな高校生だった。当時私は19歳大学一年生、相手は17歳高校二年生でお互いの幼さ故にぶつかり合ってすぐに別れてしまった。その後しばらく友人関係にあったけれど、結局付き合って失敗した事実が尾を引いて今では連絡先も全て消してしまい連絡を取る術はない。彼は高校卒業後は専門学校に進み、その後小さな頃からずっと就きたかった職についたという話を耳にしていた。
大学には入ったけれど夢が定まらない19歳と、なりたい職業がはっきりと決まっていて将来を見据えた17歳。
バイクに乗る不良少年のような一面もあれば、ニュースをしっかり見ていて政治や経済にも明るく、なおかつ学校に持っていく弁当を毎日自分で作っていたりと自律した人だった。自分の思ったことや感じたことを言葉ではっきりと伝えられる人。わからないことや知りたいことがあれば調べて、自分の知識にする。どんな環境でも主役級の存在感がある、筋の通った人だった。同じバイトをしていて出会ったけど、どんなに忙しくても手を抜かない人だった。年上とか年下とか置いておいて尊敬できるところがある人だった。
彼と別れてから他の人と付き合ったりしたけれど、たくさんの言葉を交わしてコミュニケーションを重ねた彼との思い出は今でも宝物だ。一緒に話していて楽しい人というのは本当に貴重で、私の数少ない友人もそんな人たちばかり。心から大切な人たち。
正月休みで大好きな友人たちと会い、言葉を交わして何時間も話していられることへの幸せを噛み締めていたら、ふと初めて付き合ったその人の顔がよぎった。
一番上に出たのは稼働していない古いTwitterアカウント。二番目も同じ。そのまま下へスクロールすると、画像検索の結果が出ていた。
そこには小さな頃からなりたかった職についたその人の姿があった。駅員さん。付き合っていた頃に一緒に電車に乗って出かけた時には、鉄道にまつわる色々な話をしてくれた。不埒だが一度は好きになった相手が制服を着ている姿はなかなか心惹かれるものがあった。
その画像は彼が卒業した専門学校のホームページの、夢を叶えた先輩といった記事の中で使われていた。記事をよく読むと、どうやら先月私が出張で利用した駅の駅員さんになっているようだった。見覚えのある案内板やホームの景色に胸が高鳴った。
普段の生活圏からは遠く離れていて、その出張で初めて利用した駅だった。学生時代住んでいた地域に少しだけ近い。電車に乗るとき、その人が就職した鉄道会社の路線であることを少なからず意識した。出張先は駅からしばらく歩いた所にあって、宅地造成によって人工的に作られた変わった地形や街並みに心を躍らせながら出張先へと急いだ。ああ、もし時間に余裕があればゆっくり歩いて散歩したいな、なんて思いながら。
その出張は研修のようなもので、自分の勤めている職場の人出が手薄でなければ行けるという条件付きの出張。どうしても行きたい内容で、無理を言って出張に出させてもらった。
職場の都合で少し遅れて、どんな研修なのか楽しみな気持ちでいっぱいになりながら初めて降りる駅の改札を通り抜けたあの時。もしかしたら改札にあの人が居たのかもしれない。そう思ったら落ち着いてはいられなかった。
彼と別れてしまった後、どうしても忘れられなくて、忘れたくなくて、大切に扱いたくて当時の日記や写真をクラウドに保存していた。別れてから悲しくて悲しくて、でも消してしまうこともできなくて簡単には触れられない所に残しておいた。あれからもう何年も経って、今なら冷静な目でみられるだろうと思ってファイルを開いた。付き合う前に連絡を取っていたLINEの履歴や、別れてしまってから付けた日記。付き合ってから好きすぎて連絡しすぎた形跡。青々とした記憶が湧き出して胸を締め付けた。
そして、ふと思い立ってしまった。そうだ、正月休み最終日にあの駅へ行ってみよう、と。
仮に姿を見られたとしても、私は当時と服装の系統も髪型も全く違うので多分相手は気がつかないと思う。気がついたとしても、仕事中に知り合いに声をかけるような人ではない。もしも目が合ったりしたら私はどんな感情を抱くんだろう。今住んでいる土地からは遠く離れた、急行が止まらない駅へ向かう電車に乗った。今私が気になっている相手に勧められた、原田マハの「本日は、お日柄もよく」を読みながら。
車窓から学生時代に過ごした街を遠くに眺めながら、目的の駅が近づくとともに心拍数が上がった。本をまともに読んでいられなくなった。
ドアが開いてホームに降り立ち、名前をつけられない感情と向き合いながら階段を登った。改札窓口にいるのかな、それとも今日はお休みなのかな、と考えながら。
階段を登りきり、角を曲がって改札へ向かうとなんと誰もいなかった。さすが片田舎の各駅停車しか停まらない駅。窓口の近くに居ると用事のある人みたいになりそうだったので、誰もいないことを確認した後は足早に通り過ぎた。
改札を出た後、独特の地形や街並みを楽しみながら写真を撮ったりして2時間ほど歩いた。帰りは並行して走っている他の路線に乗って帰ることもできたけど、もしかしたら帰りは改札にいるんじゃないかと思って来た駅へとまた歩いた。前回出張で来た時のことを思い出しながら、付き合って別れた時のことを思いながら、改札階へと登る。
付き合っていた当時、免許取りたてで深夜にバイクに乗って出かける彼のことが心配だった。もしも事故に遭ってしまったら、小さい頃から目指している電車の運転手さんにはなれなくなるかもしれない。悪い仲間とつるむようになってしまったら、なにか身を滅ぼすことになるんじゃないか。循環器系の持病があるのにめんどくさがって定期検診に行かない。持病に良くないのにタバコを吸う。彼の健康と安全がひたすらに心配だった。好きという気持ちが一方的に募りすぎて、しつこく言ったら振られた。当時はこんなの理不尽と思ったけど、将来の夢もはっきりしないまま大学に通っている彼女に言われるのが嫌だった彼の気持ちも今となれば少しは分かる。
改札階へ到達すると、さっきは誰も居なかった改札の窓口に駅員さんがいるのが見えた。窓口に一番近い改札を通り、中を覗くと全く知らない人がいた。
そもそもその日出勤してる保証もないのによくまあ長時間かけてここまで来たもんだ。ストーカーみたいだし。
各駅停車しか停まらない駅なので、通過列車が多い。帰りも小説を読みながらホームで電車を待った。
しばらくしてゴミ袋を持った駅員さんが階段から降りてきたがこれもまた違う人だった。電車が近づいてくるアナウンスが聞こえたけれど、小説もいいところまで来てるし、未練がましく一本電車を見送ろうかと一瞬思った。
だけど、そこまでして姿を見られたとして嬉しいのか疑問だったので大人しく乗車して帰った。
大好きだったし大切な思い出だけど、思い出は思い出のままにして心の中にしまっておくことにする。
そしてやっぱり言葉を何度も何度も交わしてコミュニケーションを取ったことは何度思い返しても幸せだったなと思う。
原田マハの作品を勧めてくれた彼も、言葉を大切に使ってコミュニケーションを取る人だ。ご縁があるかどうかはわからないけど、どうかまた幸せな記憶を増やしていけたらと思う。