はてなキーワード: 動物園とは
寒くなってきましたね。
寒くなってくると、嫌でも思い出してしまうことがある。
あれから一週間、1ヶ月、半年、一年と経つたびに整理しようと文章を書こうとしたけど、いつも纏まらなかった
なぜか今なら書ける気がするので、書いておきたい
それで急にいつか必ず来る、吉野くんがやめた時のことを真剣に考えようと思った。
「その時が来たときは青いペンライト持って、KMBのときはユーキさんだけを双眼鏡で追って、新曲は3枚買って、タカシくんの歌を真剣に聞くのだ」
具体的なプランを据えて、私は推しの引退に備えられる優秀なオタクだなぁなんて誇らしげにしてた。
翌朝、起きて一番に見たのが吉野晃一が脱退するという報告だった
正直昨日の今日でこんなことある?って頭で自分は笑っているつもりだったし、「分かっていたことだから仕方ない」と落ち着いてるように錯覚してた。
ただ頭から順番に爪先まで急に血が凍ったみたいに冷たくなって、自分の意思で動かせない肉の塊になったのは感じていた。
きっと身体の方が正直だったのだと思う。
その日は学校があったから、動かないと思っていた肉の塊をなんとか人間みたいに仕立て上げて家を出た。
涙は出なくて、まだ悲しいも寂しいも腹が立つも感じることはできてなかった
今思えばよくやったなぁと思う。
脱退する、と未来形みたいな言い方だったけどもう仕事はなくて、今撮り終えたものの放送が終わればその時点でいなくなる
事実上の事後報告だった。
ファンと直接お別れする場がないどころか、何かの放送を通してメンバーが吉野くんを送り出す事もない
極め付けは脱退報告の謝罪文が、リョウガさんのものだったことだった。
何回読んでも分からない。
「方向性の違い」?
何も悪くないリーダーに謝罪させておいて自分は一言も発さずこのまま逃げるつもりなのか?
個人で更新してるブログで謝る可能性は充分にあったけど、公式の脱退発表での報告は本人のものであれよ。
そろそろ2年も経つし、すっかり忘れたつもりでも思い出す度に腹わたが煮え繰り返る感覚を思い出す。
朝からボーッとする頭で授業を受けているうちに頭が正常に戻り始める。
脳が回り始めるとだんだん疑問が生まれてきて、感情が沸き起こってくる。
悲しいとか寂しいとかより真っ先に悔しいとムカつくが溢れ出してきて、昼まではとにかく笑うしかないっていつもよりハイテンションだったのが、午後からは一言でも発せば大暴れしてブチギレてしまいそうで喋れなくなった
初めて涙が出たのは夕方実習が終わってやっと1人になった帰り道で、「お前が辞めても絶対超特急は東京ドーム行くからな」と思った瞬間だった
だって本当に、上がり目だったんだ
日に日に大きくなるキャパシティと分かりやすく伸びていくYouTubeの再生回数を見れば誰だって分かった
超特急が今一番最強の7人だってファンに思わせることができる人たちだった
そんなところにこんな最悪の水の差し方するなんて、推しとか関係なく許せなかった。
辞めることはわかりきってたくせに、いざ辞めると言われれば「もっと後でよかったじゃん」とか言ってる自分が滑稽だったけど、理性で感情は抑えられないものだと知った
そんな怒りは一週間も続いて、怒って泣いてを繰り返すうちに、ある日やっと寂しいという感情が湧いてきた。
好きなところを思い返したり過去の映像を見たりして吉野くんが恋しくて泣くようになった。
もう彼が楽しそうに歌う姿もクセ強すぎて目立つダンスも、MCのときニヤニヤしながら6人を眺める姿も何もかも見れなくなると思うと辛くて苦しくて寂しくて耐えられなかった。
早く彼のことを綺麗さっぱり忘れたかった
そう、脱退が発表されて初めて涙を流してから、私はずーっと吉野晃一という存在を忘却したかった
差し迫るテストに集中するのに、彼を思い出してる暇なんてなかった
好きだったこと、寂しいこと、怒ってること、悲しいこと、彼に付随してくる感情はどれも強すぎて私の心では受け止めきれなかった
心を守る正常な防衛本能だったと思う。だって彼を忘れてしまえばこんな不毛な感情は全部消える。
私にとってコーイチは初めて好きになったアイドルだったけど、その後色んなグループを好きになっていたから情報の海に飲まれようと思った。
ライブにもたくさんいったし、色んな番組見たし、雑誌もたくさんかって色んなところに散らばった好きな人たちを追うことで忘れようとしてた
私にとって、他のグループは超特急をグループとして特徴づけるための比較対象として見ている部分があったことに、そこで気が付いた気がする。
例えば後輩グループは超特急が切り開いた道を広げてくれる人たちだったし、もっと大きな事務所のグループは追い越す対象だった。
超特急は私にとってアイドルだったけど、いろんなアイドルを見ることによって超特急はやっぱりちょっと王道じゃないことを確認できた。
だから他のグループを見ていると、どうしてもこれからコーイチの脱退によって落ちるであろう超特急の人気のことを考えてしまっていた気がする。
その辺の時期の記憶はあまりなくて、ただ段々自分がアイドルの応援に疲れていることをなんとなく自覚していた。
特に、脱退発表直後から「自分は絶対コーイチがいなくなったことに引きずられない」と豪語していたくせに、日を追うごとに周りが好きなタレントを純粋に応援できていることを羨む気持ちが芽生えてしまっていることがつらかった。
あんなこと言ったくせに、自分はいつまでも彼を引きずっていることが恥ずかしくて言えなかった。
そうして私は、夏のある日ぷっつりとアイドルを見るのをやめてしまった。
情報が全く入ってこないアカウントで、いろんな二次元ジャンルに手を出してみたりした。
昔好きだった作品をたくさん見返して、今までちゃんとできてなかった勉強をして、私がドルヲタしてたことを知ってる周りの友達には何度も「休日何してるの?」と聞かれた。
本当に何してたかあんまり記憶がないけど、その間にもずっと吉野君のことは忘れたかった。まだ思い出してチクチク胸が痛んでいたし、考えることがなくなると吉野君のことばかり思い出してしまっていた。
早い段階で彼は個人での活動を開始していたけど、早く忘れたいから見なかったことにしていた。超特急が進むための一員としての彼が好きだったから、自分のために歌う彼は私にとって知らない人だった。
維持を張っていたから、今でも超特急のCDは絶対買っているしFCの更新も迷わずしているけど、現場に行くことはなくなってしまったし全ての仕事は追っていない。
今、二年目の冬にしてやっと、吉野くんが好きだったことを忘れ始めている
そして同時に、忘れることが怖くなってきている。
このままきっと私は吉野くんのソロの現場に行くこともないし、昔の友達に会って吉野君の話をすることもないと思う
十年引きずるだろうと思っていたけど、案外1/5の時間で記憶はなくなってきた
彼のどんなところが好きだったかは思い出せるけど、それで胸がぎゅっとなったりはしないし、彼の顔やかたちは鮮明に思い出せるけどそれで死にたくなったりはなくなった
きっと今思い出せることもいつかばやけていって消えるのだ
私が一番怒って泣いて傷ついて死にたくなったのはタカシ君のことをかんがえるときだった
まだ二人が実家に住んでいたとき、仕事で東京に行くのは二人だった
タカシくんが実家から東京に行くとき、泊まるのが吉野くんの家になった夜は二人だった
動物園に行った二人
初めて顔を合わせて、「めっちゃ真面目」「すごい人」と思い合った二人
最年長と最年少だった二人
凸凹だった二人
黒と白だった二人
月と太陽だった二人
背中合わせの二人
きっと気もそんなに合わなかったと思う
大親友でもなかったし、家族でもなかったし、師弟でもなかった気がする
だけど二人だった
日に日に歌が上手くなるタカシをいつまでも待っていた吉野くんと、いい加減並んだように見えるのにいつまでも吉野くんを遠い目標みたいに語るタカシくん
みんなが持ち上げるほど濃い仲じゃなかったと思っているけど、きっと蓋を開けてみれば私が思いもしない仲があったような気もする
ここが好きとか、こういうエピソードがあったから好きとかじゃなくって、二人が出会って一緒に歌を歌うことになって、超特急としてふたりが奏でる歌声が大好きだった
私は勝手に、タカシくんがおいていかれたと思った。捨てられた、放り出された、一人にされたって勝手に傷ついていた。
きっとそんなことはなくて、タカシくんは私が思うよりずっと大人でそうでなくとも五人が守ってくれた
だけど吉野くんがタカシくんと袂を分かつ決断をしたことが本当に本当にショックだった
色んな「ふたり」の別れを聞いたけど、こんなにつらいことはないと思った。
だってお互い話し合って決めた別れじゃなくて、一方の明確な拒絶なんだ。そんなの受け入れなきゃいけないのはつらすぎるし、そんなことを言い渡す方は最低だと思った。
不幸なんて比べれるものじゃないってわかってたけど、その時心の中で私は世界一不幸だと思った。
1・17に更新されたタカシくんのブログは、他のみんなと違ってまだ受け入れられていないのが感じられて涙が止まらなかった
カイくんがタカシをサポートするから安心して、って言ってくれたのがうれしかったけど、やっぱり吉野くんがいなくなることで一番助けが必要になるのがタカシくんなんだって思うと悔しくて悲しかった
こんな終わり方は嫌だった。ずっと嫌だ。
二人の物語は、きれいでなくてもいいからせめて終わらせてほしかった。
かなわないと知りながらも、今でも二人が終わらせてくれるのを待ってる。
吉野くんのことを好きになったのは彼が我慢できないくらい楽しそうに歌う姿を見たからだ。こっちが笑っちゃうくらい、馬鹿みたいに楽しそうにステージで歌い舞う姿は誰よりもかっこよく見えた。
しゃべるとおもしろくて、もっとしゃべってるところを見たいと思った。
日本語の曲もバラードも全く聞かなかったけど、この人とタカシくんが歌うならずっと聞いていたいと思った。
好きな理由なんていくらでも後付けできるからあんまり意味はないけど、アイドルが嫌いだった私がこんなにも人を応援したいと思わせてお金も時間も感情も捧げるようになったのは吉野くんのせいだってことは事実で、それが何より私にとっての影響の大きさを示していると思う。
大好きだった。きっと今も大好きだ。だけど、それを確かめることはもう怖くてできない。
これから先、誰も応援できないとは限らない。きっと浮気性で人間観察が好きな私だから好きなアイドルができて、自主的にコンサートも行けるかもしれない。
もしかしたら、その人のために何かしてあげたいと思えるような人が現れるかもしれない。
だけど、きっと吉野くんのことみたいに全てを投げ出して好きになることはないだろう。
それは初めて好きになって、一番長く見ていたからでもあるけど、なってはいけないとも思うからだ。
きっとあれは私にとっては毒で、あなたにとっても重荷だった。だからそんなことはないと、明言しておきたい。
そうして世界に、吉野晃一が私という人間の中では世界一の存在であり続けるということをささやかながら伝えておきたい。
ずっと悔しいから言えなかったけど、せっかくだから最後に言っておこう
吉野晃一くん、どうかこれから先あなたが幸せでありますように。
微塵も思えなかったあの日から二年が経って、やっぱりあなたが幸せじゃないと誰も報われないと思うから。
そんな不純な動機だけど、あなたにとっても私にとってもこれから比率が小さくなるあの大好きだった時間は、やっぱり本当だったと思うから
それを忘れたくない、と思う今なら幸せになってほしいと心の底から願える気がする
あなたにとっての幸せが私にはわからないから、あなたがそう思える形に落ち着けますように。
っていうのを一か月前に書いたんだけど、マジで今回の炎上でなにもかもぶち壊されました
大嫌いだと思えば思うほど好きだったこと、今もまだ実は好きなことを思い出す
大好きだった時間を否定しなきゃいけないのがつらくてしんどいよ
赤の他人に入れ込むことのこわさを知ったよね
僕は嫌だったんだけど親がどうしても思い出を残しておきたいと言って写真館で家族写真を撮った。
それから、会場である市立体育館へと向かった。昼前の日差しが眩しかったのに、車をぬかるんだ地面に止めたことを覚えている。
式典の内容は覚えてない。外では毎度ニュースでおなじみの派手な紋付袴を着た連中がいて、住む世界が違うなと強烈な感情があった。
式典では中学校ごとに分かれていて、懐かしい友人や大して付き合いのなかった人たちに会った。
自分も翌日からテストだったので、気が気でなかったけれどテストより一生一度のイベントが気になってしょうがなかった。
誰か仕切りたがり屋の学生が夕方からクラス会をやりますと案内してくれて、ありがたく参加させてもらうことにした。
仲の良かった連中、つまり落ち着いた人畜無害なオタクたち数人で昼食を食べに行くことにした。
駅ビルのレストラン街、ちょっと高いお店でテンションが上がった。
ところで、学年に一人いるようなどう考えても知的にハンディを抱えているような、ボーダーっていうのかグレーっていうのか、中学生になっても小学校低学年の子供と遊んでいるような、そういうやつっているじゃない。
勝手についてきたのか、誰かが誘ったのか、グループの中になじみのない彼が混じっていた。
そして、僕の目の前に座っていた。みんな彼とは話したがらないから、結局僕が話し相手になっていた。
みんなが楽しそうに会話していた横でコミュニケーションをどうとっていいのかわからなかった。
彼は憎めないやつで、悪意や嘘と無縁な奴ではあったが、特に接点もないし何もできなかった。
一体、彼はどんな風に生きているのか気になって聞いてみたら、カーディーラーに勤めているらしかった。世の中よくわからない。
そんなことがあって、何となく不満を感じながらいったん解散し夕方のクラス会で再開した。
クラス会は夜の駅前ロータリーが見える洒落た飲み屋の貸し切りだった。
工業高校卒業してサラリーマンとか、フリーターからの動物園勤務とか、帰ってエロゲがやりたいと連呼するごくごく普通の大学生とか楽しいやつらばかりだった。
女子連中の半分は一見して水商売かと思うほど派手な格好で、少し引いた。男子はあまり変わっていなかった。
騒ぐ人たちを、遠巻きから観察する。それがいつも僕のやり方だった。
今にして思えば途中でメインの輪に入って挨拶くらいしておけばよかった。
今ならできるかもしれないけれど、当時人と接することに神経を尖らせていて、誰かに話しかけるということがすごく勇気のいることだった。
美術部で仲の良かったほら吹きのY君と再会した。
彼は革ジャンにグラサンという出で立ちで、すっかりイメチェンしていたけれど中身は当時のままだった。違うことはやたらと女子に話しかけていたとこ。
工業高校から地元の私大の化学科に入って、大学から学ぶものは何もないと中退して3DCGのデザイナー専門学校に通っているらしい。
おう、僕は引きつった笑顔で「おう、頑張れよ、期待してるぞ」みたいなことしか言えなかった。
唯一話すことのできた美術部の女子とも一言二言言葉を交わした気もするけれど、記憶は定かではない。
10年前、「家族旅行に連れていけないから」という理由で保健所に持ち込まれた生後1年の猫は、保護団体の手によって譲渡先を探されていた。
別の猫に先立たれた悲しみにくれていた私のところに、その猫はよってきた。一目でこの猫と一生を過ごすことを決めた。
妻とはお見合いだった。私の自己紹介には「猫を飼ってます」と書いていた。猫と生活している私の家で何度も何度も会って、私はこの猫と離れられないことも知っていて結婚した・・・はずだった。
嫁は里帰りをして出産、もうすぐ子供は1歳になる。しかし嫁と子供は家に帰ってこなかった。
「猫とは暮らせない」が嫁の結論だった。猫との別離、妻と子との別離。どちらを選んでも、私は家族を失うのだ。
この二つが両天秤になるなんて、猫好き以外には理解しがたいのだろう。
猫との生活はもう10年間。10年間である。10年もの間、私を支えてきてくれた家族。
東日本大震災で真っ暗なかも一緒に過ごした。テポドンが飛んでいくのも一緒に見た。出会いと別れで涙する私をちょいちょいと優しくつついてた。
私が寝込んで苦しそうにしてたら、心配そうに枕もとでじーっといつまでも座っていた。
バスが止まると、乗客たちは押し黙ったまま次々と降りて行く。車窓から見える煤けた家々の影に吸い込まれて行く彼らを眺めていると、いつの間にかバスの中には僕と運転手だけがとり残されていた。分かるはずもないポルトガル語でなにかを伝えようとする運転手の表情を見て、ようやくここが終点のモシンボアダプライアだということに気付いた。
モザンビーク共和国の最北部、タンザニアとの国境に最も近い街、モシンボアダプライア。ナンプーラからミニバスに揺られること10時間、日も傾き始めた午後4時頃、やっとのことで到着した。
21世紀になった今でもまだ未開の森が残っているというモザンビーク北部。小さな村と村を辛うじて繋ぐ細い道路は言うまでもなく未舗装で、その上を走るトヨタハイエースのミニバスは、重ねて言うまでもなくオフロード向きの車ではない。乗車定員をまるで無視したぎゅうぎゅう詰めの車内で、膝の上に拷問器具さながらの重たいバックパックを載せて、しかも悪路を走る振動に耐えながらの10時間は、気の遠くなるような長い時間だった。
あわてて荷物を引っ張って外に出ると、空になったバスはそそくさと何処かへ行ってしまった。降り立った場所はバスターミナルなんて大層なものではなく、石造りの家々が建ち並ぶ小さな村の一角にポツンと広がった、ただの砂地の広場だった。広場の端に植えられたヤシの木の陰には何人かの女性や老人が座っていて、サトウキビをバリボリ齧りながらこちらをじっと見ている。ああ、ここ数日と同じだ。
モザンビーク最大の都市、首都のマプトは、南北に長い国土の一番南の端にある。南アフリカから陸路で入国した時、最初に到着した街もマプトだった。首都は首都なりに近代的なガラス張りの高層ビルが建っていたりもするのだけど、そこから北へ向かって縦断を始めると、車窓から見える景色がどんどん田舎に、自然に近づいていくのがそれはもう如実に分かる。白人の観光客がいるのはせいぜいマプトの次の街のイニャンバネ辺りまで。国土のちょうど真ん中辺りを東西に流れるザンベジ川を超えると舗装道路がほとんど無くなる。北部の街キルマーニを超えるともう公共交通機関が当てにならないので、道端にはヒッチハイクの代行をして日銭を稼ぐ子供達が居たりする。モシンボアの手前のペンバ辺りまでは、自分以外の酔狂なバックパッカーを見かけることもあった。しかし、ここに来てついに異邦人は自分だけになってしまったらしい。
いわゆる発展途上国の場合、自分のような旅行者は、バスから降りるなり土産物の押し売りやホテルやタクシーの客引きにもみくちゃにされてうんざりするのが常だ。しかしアフリカのこんな僻地まで来てしまうと、そもそも旅行者が訪れることなどほとんどないはず。外国人慣れしていない土地の人達も、突然バスから降りてきた肌の色の違う人間に驚きつつもどう対処したらいいかわからないのだろう。一挙手一投足を全方位から遠巻きに観察されているような視線は、動物園のパンダにでもなったかのような気分にさせてくれる。
惚けていても始まらない。まずは今晩の宿を確保して、それから英語の分かる人間を探さないと。ここまでの街で集めた情報によれば、モシンボアからは毎朝早くに国境行きのバスが一台出ているらしい。できれば明日の朝そいつに乗り込みたい。ここ数日、ATMもなければクレジットカードも使えないような場所を通ってきたせいで、手持ちの現金はもうほとんど尽きかけていた。今はできるだけ早く駒を進める必要がある。とにかく、話のわかる奴を探して情報を聞き出さないといけない。僕は檻から抜け出すようにしてその広場を後にした。
重い荷物を背負って村の中へ入って行くと、ここでも同じように奇異の目を向けられる。それでも、こういう時は一度誰かに話しかけてしまえば後は簡単だ。それをきっかけに周りで見ていた人たちも次々話に入ってきて、いつの間にか自分の周りは人だかりになっている。その中には英語を喋る奴が大抵一人くらいはいるもので、今回もその中の一人、僕と同い年くらいの青年を見つけた。彼が言うには、自分の兄貴が毎朝国境行きの車を運転しているとのこと。この村に来る外国人は十中八九陸路でタンザニアへ向かおうとしている奴だから、客になりそうな外国人がいると聞いてすっ飛んで来たらしい。村の奥、青年の指差す方向には一台のピックアップトラックが止まっていた。手を引かれ、群衆をかき分けながら近づいていくと、荷台に腰掛けた白いタンクトップの男がサトウキビをバリボリ齧りながらこちらに視線を投げている。トラックの前まで来ると、男はサトウキビの食べかすを地面に吐き捨て、挨拶もそこそこに言った。
「あんた、国境に行くんだろ。300メティカルで明日の朝こいつの荷台に載せて連れてってやるよ。早朝三時にここに来な」
なんとなく予感はしていたが、国境へ行く手段というのはバスや乗り合いタクシーの事ではないらしい。このトラックの荷台に乗って、荷物のついでに運んでもらうということなのだ。トラックの荷台には、明日の同乗者になるのであろうコーラの空き瓶が入ったケースや何が詰まっているのかわからない大きな頭陀袋が山と積まれているだけで、当然ながら座席のようなものは見当たらない。今日の移動もなかなか骨だったが、明日も今日に劣らずタフな一日になりそうだ。
運賃として提示された300メティカルは日本円にしておよそ500円少々。交渉が前提になっているようなひどく高い金額でもないし、村を歩いて探し回っても他の交通手段があるとは思えない。500メティカルなら、あと一日くらいこのモシンボアに泊まってゆっくり骨を休める余裕ができる。聞く所によればこの男は毎日国境まで行っているようだし、出発を一日先延ばしにしてもさほど問題にはならないはずだが、でもこの時はそうしなかった。前へ前へと懸命に移動することに、ある種の快感のようなものを覚え始めていたのかも知れない。とにかく僕はこのトラックで明日の朝、国境まで行く事に決めたのだ。
握手を交わすと、男は表情を和らげて言った。
「寝る場所が必要だろう。弟に宿まで案内させるから今夜はそこで休め。寝坊しても起こしに行ってやるから安心しろ」
男が目配せをすると青年は頷き、ついて来いと言って歩き始めた。もう一つの懸案だった宿の方も、彼らが世話してくれるらしい。それもそのはず、人や荷物を国境まで運ぶ商売をしていれば、僕のような旅行者を載せる機会も幾度と無くあっただろう。そんな旅行者への宿の斡旋も、彼らの商売の一部なのだ。
青年の背中を追って歩いていくと、少しずつ村の中心に近づいていくのがわかった。舗装された道幅の広い道路があらわれ、ガソリンスタンドや錆びたコカコーラの看板、商店や食堂などが民家に混じって見え始める。顔を少し上げると、視界の端にわずかに入るヤシの木や、朽ちて傾いた丸太の電信柱の向こうに、どことなく湿った雨期の青空がいっぱいに広がるのが見える。
10分も歩かないうちに、僕らは一つの建物の前で立ち止まった。周りに見える民家や商店より少し大きい、ちょうど郊外のコンビニくらいの大きさのその建物は、宿泊施設としてはやや小さく思える。水色のペンキで塗り染められた石の外壁には大きなひびが入り、風雨や土埃に晒されてくすんだ色になっていた。やれやれ、想像通りのボロさである。
「ここが宿だ。少し汚いけどこの村には宿はここしかない。悪いけど我慢してくれよな」
青年はそれだけ言うと、あっけにとられる僕をその場に置いて来た道を逃げるように帰っていった。僕が宿にいちゃもんをつける前に立ち去りたかったのだろうか。
入り口にかかる簾をくぐり、薄暗い室内にに踏み込む。簾に付いた鈴が音を立てると、奥のカウンターの向こう側から一人の老人がゆらりと立ち上がった。部屋が欲しいんだと大袈裟なジェスチャーを交えながら伝えると、彼は黙ったまま横の壁の一点を指差した。目をやると、石の壁に赤のペンキで直接文字が書かれているのに気付いた。
"Single 1200. Twin 1600."
シングルの部屋が日本円にしておよそ2000円ほど。いままで泊まってきた宿の中では一番高い金額だが、さて、どうするべきか。村にある宿がここだけだと言う青年の言葉は、この宿の大きさから考えて恐らく嘘だろう。ここより安いという確証はないが、土地の人間が使うゲストハウス位はどこの村にも幾つかあるものだ。しかし、重い荷物を再び背負って表を歩き回るのはやはり億劫だった。壁に書かれた赤いペンキの文字は酸化してほとんど茶色くなっていた。いつからこの値段でやっているのかは知らないが、少なくとも僕を金持ち旅行者と見てふっかけているわけではないようだ。値段の交渉は望み薄だが、僕は試しに聞いてみた。
「もう少し安くはならないの?」
老人は困ったような、それでいて僕がそう言い出すのを知っていたかのような苦笑いを浮かべ、少しの間を置いて言った。
「窓のついてない部屋が一つあるが、そこなら600でいいよ」
なんと、意外なほどあっさり宿賃が半値になってしまった。一泊1000円なら上出来じゃないか。窓が無いというのは、まあ多少風通しと明るさに問題があるとは思うがこの際妥協してもいいだろう。どうせ明日は日が登る前にここを発つのだから。
「部屋を見せてくれる?」
僕が言うと、老人は鍵を引き出しから取り出し、カウンターを出て奥へ伸びる暗い廊下を歩き始めた。僕もその後を追った。
一つのドアの前で立ち止まると、老人はドアノブに鍵を突き刺して、ガチャガチャと乱暴に鍵穴をほじくり始めた。なかなか開かないようだ。このボロさでおまけに窓の一つも付いていないときたら、本当に地下牢のような荒んだ部屋なのだろう。そんなことを考えながら、鍵と格闘する老人の背中を眺めていた。しばらくして鍵が開く。額に汗した老人は僕の方を向いて意味深な笑みを浮かべ、ドアを開いて見せた。
開け放たれたドアの前から覗いた部屋は、想像通りとても簡素なものだった。だが、想像していたより酷くもなかった。六畳程度の部屋のど真ん中にはセミダブルくらいの大きなベッドが石の床に直接置かれ、部屋の隅にはちゃちな木製の小さな椅子と机が、客室の体裁を取り繕う申し訳のようにちょこんと置かれている。そして、奥の壁の大きな窓からレースのカーテン越しに差し込む夕陽が、数少ない部屋の調度品と埃っぽい室内を舞う無数の塵を照らしていた。しかしこの部屋、さっきと少し話が違うんじゃないか。
「いや…ご主人、僕が見たいのは半額の部屋の方なんだけど」
「ん? この部屋は600メティカルだが」
僕がそう言うと、老人は黙って部屋へ入って行き、カーテンをめくる。そこにはあったのは確かに窓だった。窓だったが…窓にはガラスが入っていなかった。僕は思わず笑ってしまった。窓が付いていないというのがまさかこういう意味だったとは。明るくて風通しの良いこの部屋は、僕が覚悟していた牢獄の様な部屋よりよっぽどマシに見えた。しかし、中と外の境界を作るのが鍵の掛けようのない無い薄いカーテン一枚というのは、やはり安全面に問題がありすぎる。こんな部屋でおちおち寝ていたら命が幾つあっても足りないだろう。強盗、マラリア、野犬、その他諸々の野生動物、危険は数え出したらキリがない。半笑いでそんな事を考えていると、いつの間にか隣に来ていた老人に小突かれた。
「で、どうするんだ」
「…窓が付いている部屋も見たいな」
「だろうな」
ニヤリと笑みを浮かべた老人は静かに扉を閉めると、一つ隣の部屋の扉を開けて僕に見せてくれた。さっき見たのと一見全く同じ部屋だが、こっちのほうが心なしか手入れがされているように見える。中に入ってカーテンをめくってみると、くすんだガラスがしっかりと嵌めこまれた窓と網戸が見えた。
「1200メティカルだけど、いいよな?」
振り返ると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた老人と目が合った。やれやれ、こちらの完敗である。
「…いいよ。この部屋にする」
宿賃を渡し、僕は笑ってそう答えた。老人は僕の肩にポンと手を置いて、隣の部屋のとはまるで違う綺麗に磨かれた鍵を渡してくれた。やっぱり、あの部屋には最初から客を泊めるつもりなんてなかったのだろう。
「明日の昼まで停電だから電気はつかないよ。ロウソクが引き出しにあるから使うといい」
「一本いくらですか?」
「サービスだよ」
僕が皮肉半分に聞いたことを知ってか知らずか、老人はどうだ気前がいいだろうと言わんばかりの誇らしげな笑みを見せ、ドアの外へ消えて行った。やり返してやった気にはまるでならなかった。
靴や荷物についた砂を振り払い、ベッドに寝転んだ。疲れ切った身体を動かす体力はとうに尽きていたが、不思議と気分は高揚していた。蓄積した疲労の中に滲む自虐的とも言える旅の充足感に気付いたのだった。
https://funny-creative.hatenablog.com/entry/20200106/1578318490
でも現実として、二次創作や同人という環境は「作家にならなくても一次創作をしなくても漫画が世の中に出せる」という、作家にならない理由を与える場として機能しています。
ただ、創作の技術において大切なのは「キャラクターや世界観を自分で考えて生み出すこと」だと考えていて、二次創作だけやっていても肝心の技術は育たないと思っているんですね。
そして売れてる作品のキャラやタイトルを上手く利用した作家が人気になって注目を集め、プロデビューしても、使い物にならないのは自明です。
創作に大切な〝キャラを生み出す〟という経験をしないできた素人同然の人間なんですから、当然上手くいきませんし、「やっぱり二次創作の方が楽だ」と挫折して同人作家に戻っていくだけです。
同人という土壌があって二次創作でいいや、って気持ちの人なら一生そこにいるよ、そしてプロになっても失敗するよ。だからこそ商業作家はすごいんじゃないか
同人二次創作をやっていたけれど、それでも一次創作が書きたくて商業作家になった人はたくさんいる。そしてそういう根性と創作欲のある人だけが生き残れてビッグチャンスをつかめるのが商業の世界じゃない
それでなにがおかしいんだ?
確かに同人ではそこそこ稼げる。だが世界的に有名になり知名度を上げることは出来ない。
たくさんの人に一次創作を読んで貰いたくて、描いた物を見て欲しくて、そして描かないと死ぬ。ってくらい絵にとりつかれた人たちが商業作家なんだよ
同人の二次創作が作家にならない理由を与える場であるから、じゃあ禁止したとして、「二次創作できないから商業作家になる!」って人はおそらくほとんどいない。
本当に描きたい奴は、二次を書きながら一次だって書く。根本的に違う。
ゲイの人も女性の中に放り込めば女性を好きになるかって言われると違うだろ。
色々書いたんですが、全ては「二次創作がビジネス的に優位すぎる」という偏りによって、二次同人への作家流出に歯止めがかからなくなってると思うんですね。
このあたりを解決しようと思うと、やはり「二次創作は儲けにならない不利なものだ」という状況に、偏りを戻さないといけないわけです。
いや、金儲けのためだけに同人やってる奴から金儲けを奪ったところで、商業作家にはならないってば。なってもやっていけないから意味がないってば。
多分磯谷さんは男性向けしか知らないだろうが、女性向けなんて同人で儲けられなかったとしても普通に続けると思うし、発表することを許されないのであれば面では描かなくなるだけで、その人達が商業に移行することはないと思う
男性向けは多いよね、女性向けはまずないね。同人誌は費用がかかるからその印刷代として本代を貰う、という建前が電子だと崩れるのよく分かってるから、女性二次創作電子はほとんどない
話を戻しますが、結局こうした作品の破壊を前提とした二次創作の流行によって、たしかに作品の消費者は増えていますが、問題は「消費のされ方」の方にあると思います。
作品をエロ同人の素材やMAD動画の素材としてしか見ていない視聴者がいくら増えても、売れるのはエロ同人や動画の再生数ばかりで、クリエイターが見て欲しいものや届けたいものは何も届きませんし、遊ぶための場を提供する役割にしかならないと思います。
艦これにせよ、刀剣にせよ、プロメアにせよ、ヒプマイにしろ、けもフレ1期だって、二次界隈が賑わったせいで、公式グッズは瞬殺、雑誌も完売。イベントも大盛況だ。大もうけしている。売れるのは同人だけじゃない
他人の新鮮な作品初見感想がほしい…って毎日思ってる弱いヲタクなんだけど
布教の上手さ、そもそものフォロワーや属してるコミュニティ(ジャンル)の人の多さ、以外にも、
(布教方法にも積極的プレゼンと発狂してる様を見せつけるのと2通りあるけど)
自分は今触れたいと思ってる作品だけで手一杯なので他の人の布教見て面白そうだなーって思ってもなかなか手が出ない
でもそういう奴のプレゼンってなんとなく不公平な気がするものなのかな?とか
いや、「他人の布教に興味を持ってちゃんと手を出す、感想を言う」ことで勧めたフォロワーとのつながりも強くなるし新規フォロワーも増えるわけで、打算的に考えても良いことしかないのは分かってる
ただ「やらないことでどこまで影響力が落ちるのか」にも興味がある
前者のノウハウも知りたいけど後者が上手い(?)人羨ましいよ 見てて面白いもん 動物園の見世物の如くクソリプや匂わせネタバレ喰らいまくるのは見てて滅茶苦茶可哀想だし腹立つけど…
初見感想が欲しい、って言っても複数人に見てもらいたいじゃなくて、結局誰か一人に布教が成功するか否か、0か1かの話なので、他人の布教をどうこうって気にするよりまず、そして結局、プレゼン/発狂力なのかもしれないな…と自分でちゃぶ台返す
特に古い作品、まとめサイト興隆前の時期の感想を集めるって言うと、結構労力をかけて5chのログ追うとか、地道に感想ブログ探すか、とかになるから収集が難しくて、じゃあフォロワーに見てもらうのが良くない?ってなってしまう
動物アイコンのブクマカあつめて動物園つくりたい🐘🦓🦁🐋🦈🐊🐅🐆🦛🐘🦧🦍🦍🦓🦏🐪🐫🦒🦘🐎🐄🐄🐂🐃🐏🐑🦙🦌🦌🐕🦺🐕🦺🦮🐩🐕🐕🦃🦮🐕🦺🐓🦩🕊🐇🦝🦨🦡🦦🦥🐁🐀🐉🐾🦔🐿🐈🦕🦀🐳🐆🐅🐊🦈🐋🐡🐠🐟🦞🦐🦑🐙🐢🐍
一時期インターネットミームにもなった
オスの晩年が悲惨なのは人間とライオンだ - PRESIDENT Online
https://www.google.co.jp/amp/s/president.jp/articles/amp/28108%3fpage=2
あとハイエナは普通にライオンの天敵だし他にも敵たる動物はいる
Indianapolis zoo lioness kills father of her three cubs
https://www.bbc.com/japanese/45937455
明らかに生まれつき右手が無かったり脳みそがぶっ壊れてたりした場合は、「哀れみを向けるべき対象」と認定されることで社会に居場所が生まれる(といっても動物園の動物と似たようなポジションではあるが)。
でも発達障害のような軽度な社会不適合障害は単なる「人格破綻者」としかみなされない。
生まれつき社会の敵であり、死ぬまで社会の敵であり続けるのならば、それは生まれてきたことそのものが罪であるという他ない。
自閉症スペクトラム系の病気の何が最も辛いかといえばここなのではないだろうか?
理解されるされないという辛さがどこから生まれるかと言えば、それは「いわれなき罪により裁かれ続けることの苦痛」である。
だが、その罪は冤罪ではない。
脳みそがクルクルパーでIQが30しかないから人を殺したのならば裁かれない。
しかし自閉傾向によって生まれるストレスや社会との折り合いの悪さが、他社に対する暴力や社会への損害として現れたとき、それが裁きを逃れることはない。
つまり、社会は自閉症もどきであることを免罪符としては扱わず、それと同時にその存在そのものを罪とみなして「排除によく似ているが実際は違うというレッテルを貼り付けただけの排除」を繰り返していく。
人間社会に置いて何が罪かを決める権利が人間にあるのなら、発達障害の人間が生まれてきたことは間違いなく「罪」である。
そうでないなら何故彼らが日々裁かれなければならないのか?
発達障害の辛さの最も大きい所はここだと私は考える。
いやこれマジな話
某ファミレスでバイトして死ぬほどビビり散らかしたんだが、来る客の半分くらいは食事を普通〜に残して帰る
食え
つうか誰がそのラーメン作ったと思ってんだ
Nさん(仮名)だぞ
食え 残さず
あまりにも許せなくて、その客が
「すみませんもうお皿下げてください」
「まだ残ってますが……?」
って返してしまったんだけど(接客業としては最悪の台詞だし正直やっちまったと思ってます)
「いやもうお腹いっぱい〜笑」
って
それならしょうがないな~
ってなるわけねーだろが
お前お前お前
いやこの問題、ググってみたらかなり闇が深く、たとえば知恵袋とかで「食べ物残す人どう思います?私は無理!」みたいな質問あるとま〜賛否両論あるんだよね
「残さざるを得ない事情があったんじゃないですか?」ていうのはよく見るんだけど
待って
どんな事情だよ
パッと浮かぶの料理が死ぬほど不味いとかノロウイルスとかしかないよ
それは仕方ないと思うが
と思うんですが、この考え方に「闇」が眠ってるんですよね
この「残すことへの罪悪感」問題、はっきり言って100%「親」に由来してる
「親」が堂々と残すなら子供もそうなる
考えるまでもなく当然かもしれないが自分は米粒ひとつ残さない家庭だったし周りの知人にもそんな人間いないのでファミレスバイトしてなかったらまだ暫く知り得なかったなこんな
こんな……クソみたいな………現実…
いや
「食べ物残すこと」は「悪いこと」
これあってるよね?
なんでそれを「少食だから仕方ない」とか「苦手なもの入ってた」とか…
できなかったなら諦めて食え
残すな
アレルギーあるなら店員さんに言えば避けてもらえる可能性あるからちゃんと聞こう
(重いアレルギーの人はファミレスで食事するべきではないです マジで 衛生観念的に)
ていうか苦手なものも避けてもらえる可能性あるからちゃんと聞こう!
少食なら小さい料理を頼もう!!定食とかだったらご飯の量減らしてもらうとかオカズの具材抜いてもらうとか!!結構融通効くから!!ホントだから!!(その分料金が減るとかは基本ないですが)
金払ってるからいーじゃんとかいう人間はマジで頼むからもう外に1歩も出るな
論点をずらすな
食べ物を残すな
あとこれも最近わかったんだけど
もうそれ残したいだけじゃん
何なの?食え
おじいちゃんおばあちゃんは半分くらいの人が残すけどそのうち半分くらいは「ごめんね…」って言ってくれる
小さい子供連れの四人家族とかは四分の三が「4人とも3歳児だったのか?」ってくらい汚くして帰るし、お子様のカレーとかカップの中でぐっちゃぐちゃにしたまま残してあったりする
あと当然のように持ち込んだゴミをそのままにして帰る
やばいよ
え?この店だけ?ここだけがこんなやばいのか?他の店はそんなことない?どうなの?
あと細かいこと言っていい?
下に敷いてあるレタス、それ食えるからね 食べてよね 普通においしいからね
添えてあるトマトもね 苦手っつーか食えないなら注文のときに教えてね
皿に乗ってる物は全部食べてください
金髪でヤンキー(っぽい)両親とギャーギャー動物園みたいな子供達のクソうるせえ家族が常連客でいるんだけど
何か最初からタメ口だしオーダー呼び出してからメニュー開いて悩み出すし(クソ…)人間として大嫌いだけども
でもすっ…………ごい綺麗に食べるんだよね
で済んだ皿はある程度重ねてテーブルの通路側に寄せといてくれる
ゴミもグラスに詰めたりしないで(時々こういう奴がいる。取るの大変だからやめろ馬鹿)まとめてくれてる
もうそれだけで好き〜!!ってなるよ
うるさいときは注意するけども
逆にすごい…なんだろ…例えば注文のとき目を合わせて丁寧に言ってくれたり、こっちがもたついても「大丈夫ですよー」って笑ってくれたりする神客(まあ自分はこれが「普通」だと思ってましたが……)が平気で料理残したりするし床に大量の米粒やスプーンや箸を落としたまま帰るときもある
とにかく残すことは悪いことなんだよ!!!!!!!泣くぞホント
四の五の言わないで食え!!!!残さないでよ!!!!!やだよ知らねえ人間の残飯捨てるの!!!!金もらってるから~じゃないよ!残すのが当たり前の世界ならそう割り切れるけど残さない人もいるしそっちが「正しい」んだから言い訳してないで残さず食え馬鹿!!!!バーカ!!!!
お客様は神様理論とか知ったこっちゃないよ!!俺もお前も人間だろうが!!!!!!ハンディ機でぶん殴るぞ!!!!
追記201912160013
コメント見たんだけど
そう!!!!!!これこれ!!!!!!!!残してもいいでしょ派の人だ!!本物?!!!すご~い!!実在するんだ…ネット上にしか存在しないAIか何かかと思ってた;;まだその可能性はあるけども
いや〜本当にビックリですよ 食事残すなって話に対しての反論で「食事は楽しむもの」とか言い出してるその時点でもう次元が違う
そもそもね、残さないように工夫してる人間は(自分のことだけど)「無理やり腹に詰め込むこと」より「食事を残すこと」のほうが嫌なんですよ
だから本当~に仕方なく残してしまう時にめちゃくちゃ申し訳なくなるし、こういう論争のときに「だって食事は楽しむものだろ」とか開き直るような言葉絶対口に出せない
もうそこからして違う 自分で「食える」と思って頼んだくせに食べきれなかった事実を全く恥ずかしく思ってない…スゴ…
法律破ってないじゃんとか店に残すなってルールないからとか、自己の正当化のためにそんな…わぁ…少なくとも自分は今までそういう人間に出会ったことないが…
いや~〜これから先絶対に関わり合いになりたくない;;は~恐ろしい~
あとお店で出る廃棄品 めちゃくちゃ辛い
まあでも「食えるのに食われなかったもの」を捨てるのと「もう期限が来てしまったから食えなくなったもの」を捨てるのでは気持ちが違うしなあ〜 廃棄品は基本汚くないし食べさしでもないし
それに発注者の器量さえ良ければほぼ出ないし(うちの店は)
ラーメンのスープ(でしたっけ?)はね~ほとんどの人が残してるからもういいです あんまり飲むと健康に良くないし… ていうかラーメンのスープと敷いてあるレタスは全然違くない?これも人それぞれか
とにかく残さず食べよう!ていうか綺麗に食べよう!食べ残しは汚い!恥ずかしくねーのか?!という話ですね
ありがとうございました!こんな反応あるとは思ってなかったよ〜
動物園巡りやってくれたら見るかも