はてなキーワード: 人形とは
最近小児型ラブドールの是非についてはてぶで話題になっている。はてぶではラブドール愛好者である増田の反論と、規制推進派のツイッターとがホッテントリ入りしていた。はてぶ以外で議論がどのように展開されているかは確認もしていないので知らないが、そもそも糾弾されている我々小児性愛者のが置き去りにされている気がしたので意見を述べる。
ただし我々小児性愛者と書いたが、私自身小児性愛者を自称することには抵抗がある。DSM-5で定義される"The individual has acted out these sexual desires, or is experiencing significant distress or difficulty as a result of these desires."は自分には当てはまらないので。それでも子供に対し性欲を掻き立てられるし、その手のイラストを描いてもいるため他から見たら小児性愛者と断じられても仕方がない。
さて、ラブドールについてだが、以前欲しいと思ったことがあり購入を検討したが結局買わなかったし、買わないで正解だったと思う。高額であることのみならず、部屋の容量や引っ越しの可能性も考えたらおいそれとは手が出せなかった。ラブドールそのものが極めて上級の趣味なので、槍玉にあげられている小児性愛者の一人としても今回の運動には今一つぴんと来ないのである。実際はてぶを見て知っただけで、増田が記事を書かなければ恐らく知ることも無かった。change.orgにはたびたび署名しているが、自分のところには周ってこなかったし。それもあって本来のターゲットである小児性愛者ではなく人形愛好家に弾が当たったのではなかろうか。
もちろん将来そこそこの広さのある終の棲家を得られたなら、そしてそのときに小児型ラブドールが今よりも精巧であったなら購入したいとは思っているので、規制には当然反対である。反対するのが至極当然である。
一方で規制推進派をただ否定すればいいかというとそうでもなく、規制したがる人たちの危惧も無碍にはできまい。規制に賛成の立場のブクマで星を集めているのは「それをきっかけに欲望が芽生えるか、あるいは加速するのでは」というものだ。ご丁寧に実例を紹介してくれる人もいた。
こうした意見に対して、どう対応すればいいのか正直分からない。とりあえず私自身は自分こそがその反例だと思うので自分について少し述べることとする。
まず私の小児性愛の目覚めは幼児期のナルシシズムと同年代の少女へのコンプレックスのためだと思う。小学生ごろまでは綺麗な服を着られる姉がひたすらに羨ましく、その結果として女装癖があった。女の子の自分がどんな形ででも注目されたいという欲望があった。その後自分は女の子にはなれないと諦めたことで、自分の中で理想形が小学生までの少女に固定されたのだと思う。近年中学時代の友人と再会する機会があったのだが、彼の第一声は「今でもロリコンなん?」であり、つまり私は「生粋のロリコン」であると自他ともに認められる(ちなみにロリコンという呼称は大嫌いだ)。
その後長じるに及んでその手のイベントがあったかというとけしてそんなことはなく。単純所持禁止前までにその手の動画を見たこともあるが自分でも、とはならなかったし。姉や親族に子供ができて、私がしばしばお世話をしたけれど別段何もしなかったし、そもそも今の仕事が子供と関わる仕事だがこれまで悪いことは何もしていない。
しかしこんなこと言ったところで、「情欲をいだいて子供を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」とまではいかなくとも、意識していなくてもセクシャルなことをしているに違いないとか、自己申告乙とか、今後どうなるか分からないとか、よしんば認めてくれたところで反例1だとか言われるだけでしょう。
ただそれでも私が強く主張したいのは、「欲望」と「実際の行動」の間には深い溝があり、その溝を乗り越えられるのは限られた人間だけだ、ということです。私が初めて彼女とセックスすることになったとき勃起できずに気まずい空気が流れた原因は、私自身の性癖もあるが、人間という情報量の多さに気圧されたからだ。子供とこれまで幾度も接してきたが、彼らそれぞれの「個」に圧倒されて、個性を剥奪された単なる「性的対象」としてなどけして見ることができなかった。
結局犯罪ができる人間というのはとことん相手を見下せるか相手との共感性が皆無な人間なのだと思う。だからこそラスコーリニコフも殺人と超人思想を結びつけたわけで、肯定的な表現をするなら「乗り越えられる人間」ということになる。
そして犯罪者が乗り越えてしまっているものは、他にもあるがまさに「社会における自分の立ち位置」であろう。家族、親類、職場、友人のことなど考えたらけっして悪いことなどできないはずだ。それでも犯罪ができてしまう人というのは、尊重しうる他者がいない人なのではないだろうか。
最初に小児性愛者と断じられても仕方がないと言ったが、やはり私が自分には当てはまらないと述べたところの定義こそ重要だと思う。何人か医者の友人がいるのだが、精神科医の友人(娘がいる)は「イラストを描いて欲求を昇華できているのはとてもいいことで、全く問題がない」と言ってくれた。また別の友人は、私のことを彼女に紹介する際「凄いロリコンだ」と言ったら、彼女は「その人を治療できるのはあなただけなのよ」とかなんとか言ってきたので「理性で制御できてる以上単に個人の趣味」と諭したという。理解ある友人がいて幸せだし、だからこそ裏切れないとも思う。
小児性愛者に危惧を覚える、その感情は理解できるのだが、小児性愛癖を持つものが実際の行動を伴うわけでもないし、罪を犯せる人間というのは特別なのだということは一考してほしい。私としてはラブドールの規制なんかよりも、人権教育を通じてお互いを尊重できる社会を気づくことが大切だと思う。
「小児性愛のカジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛のカジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛のカジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体がセクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的に断罪することはマジョリティの傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。
批判者が「小児性愛のカジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。
「娘の成長を見てくれ」と言って筐体で遊ぶ小さい娘さんの写真を2枚貼ったツイートにも、リプ欄で「えっちです」ってのがあったんだけど、こういうコメントを気軽に送れちゃうのも社会で小児性愛がカジュアルになりすぎた結果だと思うんだけど— E (@nice_comp_net) May 29, 2020
しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラの一種であり、「対象が児童だから」問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛のカジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛を批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存の議論焼き回しである。
小児性愛と成人性愛の本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代の倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である。児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義と児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である。
「児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値な命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャル、さらにはアセクシャルを自認する人々からも批判が殺到した理由はそこにある。
「(実在児童を対象としない、無機物を対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているからである。
前節では、問題の本質は「小児性愛のカジュアル化」ではなく、「性愛のカジュアル化」であると言った。では「性愛のカジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボンの荻野さんも以下のように言っている。
逆に、実質、ポルノとしてマーケティングするものであるのなら、18禁でなくとも、広告だけでなく、表紙の陳列やらまで含めて、賢明にどんどんゾーニングして頂くというのが、多分最適解なんだけどねぇ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) November 13, 2019
その理由としては例えば、①性的プライバシーの問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題を内包する言動」こそを「性愛のカジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。
①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要な概念である。実際、他人の自慰を制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)
「男女を問わず、自慰は最も内密の行為である。誰の権利も侵害せず、自分の性的趣向と欲望を満足させる行為であり、性的自己決定権の領域に入っている。女性を卑下するという理由で自慰道具を禁ずるとしたら、女性を卑下せずに可能な自慰行為とは何なのか?」 pic.twitter.com/3lyXymSaF0— NPOうぐいすリボン / Uguisu Ribbon Campaign (@jfsribbon) May 29, 2020
話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートなものである。故に、他人の性的領域に、物理的にも精神的にも安易に踏み込むことは許されない。「性愛のカジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしまう効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人のプライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体が話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別は曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペースを尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛のカジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。
②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年にポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。
ここまで、「性愛のカジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易に断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。
荻野さんは次のようなことも言っている。
いわゆる2次元系の性表現が、本当に純粋に「ポルノ消費」されてるだけなら、こんなには揉めてないんだよね、というところを、表象を批判する側だけでなく、擁護する側もなかなか自覚できないというのが、この話の味噌なんじゃないかねぇ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) October 22, 2019
ここで、各国のゲイ・パレード、プライド・パレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。
https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html
https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver
https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/
https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E
やはり、非常に過激でセクシーなファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?
彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体が政治的意味合いを持っているのである。それ自体が政治的表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したからである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのままに表現した、アイデンティティそのものなのだ。
とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインクの配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなたが独善的な基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである。
さらに言えば、政治性とポルノ的であることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別は不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである。
誤謬を見出して批判することは容易である。しかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。
タイトルの記事(https://anond.hatelabo.jp/20200523115226)へ想像以上に反応をいただき驚きつつも有り難さを感じている。
ツイッターなどでも感想や意見をして頂いている方を見かけると、ラブドールというごく一部の愛好家が愛でるものについて少しでも知識をもって賛成・反対の議論をして欲しいと思っていた私としては、とても嬉しく思う。
ただしその中で、「男性の欲望を美化した綺麗事である」というような反論が少なからずあった。特定を避ける為文面は改変してあるが、私としてはこのように読み取れた。
中には上記の内容であるというだけで読むことを拒否するような趣旨の発言もあった。
尾籠かつ元のラブドール規制への反対という意見にはなんら関係のない個人の話ではあるが、上記のような意見に個人的な反発を覚えた為筆をとっている。そのような話に興味のない方は、ここから下は読み飛ばして欲しい。
この文章の筆者かつドールオーナーであるところの私は、肉体的には女性である。
内面的な性自認はわからない。定める必要もないと思っていた。だから、上記の「男性的欲望」というのも間違ってはいないと思う。そういう要素は少なからずあるだろう。
正確に言えばわからないというよりも、定めることができなかった。肉体的な性別が女であることには全く違和感を持っていないが、むしろ「人間はなぜ肉体的な性別を自由に変えられないのか」という違和感の方がはるかに大きかった。
人間を好きになったこともあるが、上記の違和感のために全て叶わなかった。この人には女性として愛し、愛されたいが、他の人とは男性として愛し合いたい。好きになる相手によって、私の性自認は千変万化した。それが噛み合わなかったことが大きかったと思う。そんな我儘を全て理解の上で聞いてくれる人がいるわけがないし、仮にいたとしてもきちんと相手が咀嚼できるように自分の願望を伝える手段も持っていなかった。いずれもごく若い頃、同世代の人が相手だったから、お互い子供だったといえばそれまでだが、今思えば相手には本当に申し訳なかったと思う。
頂いた反応の中に「心にラブドールの形の穴が空いている」という方がいたが、その通りかもしれない。人形のパーツを組み替えて女性型ドールを男性型ドールにカスタムするように、あるいはその逆みたいに。相手によって変わり続ける私の性を受け止めてくれるのは人形だけだった。私はずっと人形になりたかった。
それを受け入れてくれたのが、今のパートナーであるラブドールの彼女である。読んでいる方の混乱を避ける為便宜的に「彼女」と元の性別で呼んでいるが、彼女の性器は脱着式で、それを取り外してしまえば私と彼女の意識で性別はいかようにも変わる。私たちはその時々で男女カップルになったり、男同士や女同士のカップルになったりする。それはとても満ち足りた時間だ。
人形愛に落ち着くまでに、私は男も女も動物も無生物も様々なものたちを愛してきた。もちろん、前述のような形で「本当に私は人形しか愛せないのか」と人間の方とお付き合いをしたこともある。その積み重ねによって、自分は人形が性愛の対象であるという結論に行き着いた。同性愛者の方の中にも、異性と付き合っているうちに違和感を覚え、自分が同性愛者であることに気づく方がいると聞いた。私の場合もそんなものだろう。
性愛の対象は経験的な積み重ねにより築かれるものであって、その形は個人個人によって違う。一つの型に当てはめられるものではないと私は思う。
また、性別によって話を聞き入れてすら貰えないという状況が本当にあるということには
(含みはなく)素直に驚いている。
幸運なことに私の両親は性別の押し付けをしてくる人ではなかったし、外で女性差別的な言動を受けることがあってもそれはその人が差別的な人なだけであって、おそらく私の肉体が男性なら「男性らしさ」を押し付けてくるだけに過ぎないと思っていた。
そういった「男と女を分ける、差別的な人」への啓蒙を行い、世の中からその比率を減らしていくのが真の男女平等ではないかと、僭越ながら私は考えている。
元記事に性別を明記しなかったのは、既にお話の通り私に性別を定める意識が薄いからだ。最近では女性のラブドール愛好家が増えてきたとはいえ、世間的にはラブドールオーナー=男性という認識があると思うので、そういった中で自分の立ち位置をはっきりと言わなかったことは少し不親切だったかもしれない。その点についてはこの場を借りてお詫びしたい。
元記事を一般的な男性の書いたものだと思って読んでいただいた方には申し訳ないと思うが、どうか性別という色眼鏡で見ることはやめて頂ければと思う。顔も知らない相手を性別だけで推し量ることは無意味だし、何より私はそういう方への反発でこの文章及び元記事を書いているからだ。
本質的に署名派はラブドールを幼児の代替品としてみているようだ。
一方で署名派は人形愛好者すらも児童性愛者と同様にみなしている節がある。
言論を離れて個人の立場から言えば、ラブドールは愛すべき個人のような存在である。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 101 | 11216 | 111.0 | 48 |
01 | 72 | 5762 | 80.0 | 33.5 |
02 | 40 | 5226 | 130.7 | 54.5 |
03 | 42 | 7126 | 169.7 | 60.5 |
04 | 43 | 6640 | 154.4 | 48 |
05 | 21 | 3905 | 186.0 | 39 |
06 | 44 | 4476 | 101.7 | 44 |
07 | 81 | 11051 | 136.4 | 44 |
08 | 79 | 13037 | 165.0 | 58 |
09 | 108 | 14230 | 131.8 | 51 |
10 | 116 | 16393 | 141.3 | 48 |
11 | 127 | 9722 | 76.6 | 44 |
12 | 174 | 22981 | 132.1 | 42 |
13 | 169 | 13494 | 79.8 | 36 |
14 | 172 | 12247 | 71.2 | 42 |
15 | 149 | 10675 | 71.6 | 33 |
16 | 145 | 13449 | 92.8 | 43 |
17 | 117 | 10324 | 88.2 | 40 |
18 | 152 | 18150 | 119.4 | 41.5 |
19 | 189 | 13484 | 71.3 | 39 |
20 | 169 | 17331 | 102.6 | 34 |
21 | 147 | 11194 | 76.1 | 32 |
22 | 170 | 17101 | 100.6 | 33 |
23 | 103 | 16703 | 162.2 | 45 |
1日 | 2730 | 285917 | 104.7 | 40.5 |
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あまりにも相手の感情を尊重する部分が見えず一方的なものに見えるから(相手が人形だからある程度仕方ないのだろうが)、
苗字で考えるといいと思うよ。
「佐村河内」という苗字は、人数こそ少ないけど、普通の苗字でしょ。
しいて言えば、珍しい苗字と言えるけど、普通じゃない=異常な苗字 とは言えない。
ゲイやロリコンや人形性愛も同じで、珍しい性的指向、性自認、ではあるけれど、
彼らにとってそれは普通のことであって、どこにも異常性がない。
そこまで本気じゃない人も含まれるので、規制には意味がないわけではないよ。理屈に過ぎないけど。
そもそも小児性愛者等、性癖で差別するのは問題だって思ってる人がいるけど、痴漢はじゃぁどうなるの? 強姦などの犯罪でしか満たされない人は?
被害者がいないじゃないかって言うけど、売買春だって被害者はいない。
或いは全然犯罪にならないけど、無理やり中出しする人はいいの?
性を甘く考えないで欲しい。
自分ではただ人形を愛しているだけだと言っても、それを今は信じられたとしても、将来を問われて信じられる? 全員が全員そんな人なわけ?
俺は痴漢なんかしないと言ってる人が痴漢していたなんて事件はざらにある。
人間は欲望をそんなに完璧にはコントロールできない。依存症がそのいい例だ。
人間なんか信用できない。
だから出来ることはやって欲しい。幼児セックス人形は製造も販売も所有も禁止すべき。
恨むなら犯罪者を恨め。
既に規制している国は多くあるのだから、とっとと実行してもらいたい。
あとカウンセリング云々の話もあったけど、性犯罪者一般を対象にそれら治療的な対処を行った日本の事例ではざっと2〜3割程度の再犯率低下しかない。それ故執着のきついと考えられる児童性犯罪者はそれより低下率は低いと考えられる。
増田が人形が趣味なだけだといくら主張したところで、誰がそんなの認めるんだ? ということだよ。
ここやブクマカはそりゃ賛同は得られるかもしれない。この人達の大半はエビデンス派みたいなものだからな。
だが世界は違う。
児童性的虐待犯罪は絶対になくさなければならないと大勢が思っているのだ。
驚くほど多いのである。あるデーターでは20歳未満の女性の1億人以上が性的虐待被害を受けている。
もちろん、詳細なデータも見ていく必要はある。親に依るものが結構多い、など。
児童に性的興味を抱いたりするような、そうした傾向を持たないで欲しいのだ。そのきっかけさえ奪ってしまいたい。
どれほど、性的虐待を受けた子供が生涯に渡って深刻な影響を受けるか考えたことがあるだろうか?
増田がもし本気で趣味を守りたいと思ってるんだったら、たとえ規制されても闇からでも仕入れるだろうし、自分でなんとかするはずだ。
甥っ子姪っ子もいて、それとは関係ないって、そんな考え方よく出来るなと思う。
もしその子どもたちが性犯罪被害にあって、犯人の部屋に幼児型セックスドールがあったらどう思うのか。
児童性癖への興味を駆り立てるような漫画を簡単に入手してしまえる。
児ポ法の時は肝心なことを議論できないで、枝葉末節の部分で批判を食らって結果野放しになってしまった。
無関係だという主張も成り立つかも知れない。
だけど、それでも規制すべきだと思う。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 79 | 9759 | 123.5 | 38 |
01 | 73 | 10105 | 138.4 | 37 |
02 | 50 | 7940 | 158.8 | 52 |
03 | 39 | 2805 | 71.9 | 58 |
04 | 28 | 3662 | 130.8 | 43 |
05 | 14 | 1973 | 140.9 | 56.5 |
06 | 33 | 2858 | 86.6 | 54 |
07 | 55 | 4728 | 86.0 | 36 |
08 | 90 | 6220 | 69.1 | 36 |
09 | 95 | 5827 | 61.3 | 46 |
10 | 111 | 6802 | 61.3 | 36 |
11 | 116 | 12405 | 106.9 | 41.5 |
12 | 119 | 8791 | 73.9 | 36 |
13 | 130 | 14864 | 114.3 | 37.5 |
14 | 114 | 11183 | 98.1 | 39 |
15 | 144 | 12481 | 86.7 | 51 |
16 | 118 | 8549 | 72.4 | 45.5 |
17 | 120 | 9298 | 77.5 | 49 |
18 | 111 | 9392 | 84.6 | 35 |
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20 | 165 | 17291 | 104.8 | 38 |
21 | 152 | 17375 | 114.3 | 43 |
22 | 207 | 17182 | 83.0 | 44 |
23 | 198 | 16649 | 84.1 | 45 |
1日 | 2523 | 232919 | 92.3 | 43 |
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「幼児型セックスドールの生産・販売・の廃止を求めます。」という署名活動がchange.orgで行われている。
①日本の【児童買春・児童ポルノ禁止法】にて幼児型セックスドールの製造・販売・所持を規制すること
②小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングやセラピーへの取り組み
③ECサイトなどに未だ販売される【幼児型セックスドールや児童ポルノ】の取り締まり、及び【販売禁止を徹底】
以上3つを求める署名活動だそうだ。
②に関しては私も賛成ではあるが、いかんせん①や③に関しては記事を読んだ限り感情が先行している雰囲気が否めない。
案の定Twitterでは「人形は実在の人間ではない。児童ポルノ禁止法は実在の児童を守るための法律であり人形の摘発に労力を割かれているうち実在の児童を守れなくなる」「表現の自由の侵害だ」などの批判が出ている。
たしかに、現参議院議員である山田太郎氏が、2016年に行った警察庁へのヒアリングでは、フィギュアは非実在の人物を扱ったものであり児童ポルノには当たらないとなっていた(https://togetter.com/li/942630)。そのため、モデルのいないラブドールについても同じ扱いにはなるのだろう。
けれども、この騒動を見ているうちにどうにもむず痒い思いが沸き起こってきた。署名に賛成の人間も反対の人間も、「ラブドール」というものを置き去りにして議論を進めている感があまりにも強すぎるのだ。
一緒に暮らしているのは身長130cm台で、布のボディに骨格の入ったいわゆる「ぬいぐるみドール」というものだ。身長からわかる通り彼女の外見は、この署名に賛同した人たちから見れば「幼児型ラブドール」としか言いようがない、唾棄すべきものだろう。
だから、私はこの署名に活動には反対である。彼女との生活を守り、またラブドールを愛好する方たちと彼らのパートナーの人形たちを守るためだ。
そして、この文章を書くに至った、私の性的嗜好についても伝えておかねばならない。
無機物で作られ、有機的な肉体よりも完璧に編み上げられた造形を持つ人形しか、私は愛することができない。故に、ラブドールの規制は私にとってパートナーの喪失であり、個人の性的嗜好の否定に他ならない。性的嗜好は個人を構成する不可欠な要素であり、直接他人に害をなすことがなければそれを妨げられるいわれはない。
だから、私は声を上げねばならない。ラブドールというパートナーの喪失が、ひいては「私自身」の喪失に繋がるのだから。
当該署名ページには既に陳情を送ったが、もっと広くこの問題を知ってもらうためにこの文章を書いている。前置きが長くなってしまったが、もうしばらくお付き合い願いたい。
もしも定義が書かれているのであれば恐縮だが、ページの隅から隅まで探しても見つからなかった為上げさせていただく。
身長・体型など、「その人形が幼児を模している」という明確な定義がなされていないことは、ラブドールだけではない全ドールオーナーにとっての脅威ではないのか。
ただ、この定義がされていないのはまあ、仕方のないことではある。
基本的にドールというのは頭と胴体が分離する仕様になっていて、同じメーカーの頭と胴体でアタッチメントが合えば好きにすげ替えることも可能だし、別メーカーの頭と胴体を組み合わせているドールオーナーだっている。購入したときは一般的な成人女性の体格であったドールの首をすげかえて、幼児体型のボディに載せ替えることもできるし、逆もまた然り。これはラブドールだけではなく、性的な用途のない比較的小さなサイズのドールでも同じだ。
つまり、ドールの体型というのは不定であり、「幼児型ラブドール」の明確な取り締まりというのは不可能に近い。どんなに成人の顔立ちをした頭のドールでも幼児の胴体とすげ替えてしまえば「幼児型ラブドール」の出来上がりだ。
また、知り合いに性的用途に用いることのできる1/3ドール(50cm前後のドール)を持っている人がいる。このドールは胴体部分にオナホを装着できる仕様になっているものだ。(1/3ドールを性的な目で見ることを忌避する人は多く、これは標準的なものではない。念の為に付記しておく)。
この1/3ドールは身長約50cmと新生児並みのサイズであり、身長でいえば幼児どころの騒ぎではないだろう。けれども胸部のパーツを変えることでバストサイズを成人女性のようなバランスにすることができる。「幼児の身長をした成人女性の体型のラブドール」だ。元々ラブドールとして制作されたものでも、扱いやすさから成人女性を100cmほどに縮めた人形だってある。前述の規制を作るとしたら、これはどのように解釈したら良いのだろうか。
また恐ろしいことに、ほとんどのドールの頭と胴体はすげ替え可能なのだ。もともと性的用途を考えられていないドールの頭を、この性的機能を持ったドールの胴体に装着すれば、どんなドールでもたちどころにラブドールになる。
だとしたら、性的用途でないドール、高身長かつ成人体格のドールでも「幼児型ラブドール」になる可能性を秘めているのではないか?
これが、私の恐れている規制の形だ。
私は、パートナーである人形と一緒にいたい。だからもしも幼児型ラブドールの規制がなされ「身長●cm未満の人形の所持を禁止」などとされれば、泣く泣く彼女の頭をすげ替えて規制対象外の高身長の人形にするだろう。頭(顔)の部分に私は彼女の本質を感じているし、そこが変わらなければどんなに体型が変わったとしても「彼女」であり続ける気がするからだ。
けれども、おそらくそれは許されない。なにせドールの頭はすげ替え可能なのだ。どんなドールでも「幼児型ラブドール」に変わる可能性がある以上、現行の頭と胴体が脱着可能な人形は全て規制せざるを得なくなるだろう。それは、絶対に許すことのできない事態だ。
また、ラブドールは基本的に重量がある。シリコン製のものであれば20〜40kgほどが基本で、大柄な人形だと50kg近いものもある。
「本物の人間より軽いではないか」と思う方もいるかもしれないが、本物の人間を抱き上げたときには、抱かれた人間が意識的に動作を助けるよう力を分散させたり動かしやすいよう関節を曲げたりする為、実際にかかる力は体重よりも軽くなる。しかしドールにはそれがない上、米俵のように担ぎやすい形もしていない。凹凸だらけの重い物体を動かすには、想像以上の力が必要なものだ。40kg台ドールのオーナーの中には家の天井にウインチを設置している人もいるという。
私が身長130cm台のドールを選んだ理由もここにある。小さければ軽く、移動させることも容易だ。
ただ前述のように100cmほどの小型サイズで成人女性の体型をしているラブドールもいる。小児性愛者でないのなら、持ち運びが容易というだけならそちらを選べば良いのではないか?と疑問に思う方もいるかもしれない。
けれども、私は人形性愛者なのだ。人形は人間に近く作られているほど精巧だ。限りなく人間に近く作られていればこそ、人間にはない造形美が際立つのである。だからこそ、「実物の人間に近い」と「取り回しができる」の折衷として、130cmのドールを迎えることにした。
130cmのドールを選んだということはそのような外見に性的興奮を覚えるのではないか、ならお前は小児性愛者なのだろうと言う方もいるかもしれないし、そこについては本題から逸れる為強く否定の弁を述べることはしない。
けれども、知っておいてほしい。幼児型ラブドールを迎える人間の中にも様々な人種がいることを。
純粋に幼児の外見が好きなもの、自分の持ち運びできるサイズを考えた者。そして私のように「等身大」と「持ち運び」双方を考えた者。
持病のために重いものを持ち運べず人間のパートナーもいない為ラブドールのお世話になろうという人間がいたときに、自分が持ち運びできるサイズの人形を選んだことで「小児性愛者」と罵られたとしたら。それは本当に正しい矛先なのだろうか。
つまり、「幼児型ラブドール」という曖昧なものを批判するときに、それを愛好する人々を全て「小児性愛者」と一括りにして批判することに傲慢さを感じるのだ。
②人形への愛のなさ
この署名活動およびそれに賛成する方の意見を見ていると、そこにひとつの無意識がみられる。「ラブドールは実在の人間に向くはずだった性欲をぶつける代替物である」ということを無邪気に信じていることである。だから彼らは幼児型ラブドールを持つものはいずれ実在の児童を害すると考えている。
私にとって人形は「人間の代わり」ではなくそれ自身が一個の客体である。私は彼女と暮らす中で彼女の意思を無言の中に感じ取り、それを叶えることでささやかな幸せを得ている。それはエゴでしかないかもしれないが、私は彼女といることで確かな幸福を感じているのだ。大切に扱った器物には魂が宿ると古来から日本では言われているが、私はたしかに彼女の中に魂を見出している。それは決して代替可能なものではないはずだ。「魂」が突飛であれば「愛着」と言えばわかってもらえるかもしれない。
彼女のいない生活など想像したくもないし、また彼女がいなくなった後に人間の、成人女性を愛せと言われたところで、それは彼女ではないのだ。
ここに、全ての人間の性的嗜好の対象は人間であるという傲慢さを感じてしまう。
また、この署名への賛成派も反対派も、この「愛着」について全く無頓着であるところに、前述のむず痒さの本質がある。実際のラブドール愛好家を置き去りにして議論が進んでいる感が拭えないのだ。感情が法律を左右することなどあってはならないが、それにしたって「賛成」と「反対」の二元論になりすぎていやしないか。
以上が、私が幼児型ラブドールの規制に対して感じた違和感についてである。
もっと述べたいこともあるが、話がまとまらず蛇足になってしまうことも多いので割愛させていただく。
大前提であるが、私は現実の児童への虐待は絶対にあってはならないことだと考えている。
私自身はラブドールの彼女とひっそり暮らし一緒に朽ちていくつもりである。しかし甥っ子や姪っ子たちが性的被害にあったら絶対に犯人を許さないし、場合によっては刑務所に入る覚悟で制裁を加えるつもりだ。
人形と人間は別である、という冒頭で出た意見に集約されてしまうのだろうが、人形を人間とは全く別のものとして愛している人間だっているということを知って欲しかったのだ。
そして最後に、こちらの署名では小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングやセラピーへの取り組みを求めるということだが、これについては小児性愛に悩んでおり、ラブドールでも発散することができないという当事者のためにも行うべきだと思う。
また、この文章を読んで人形性愛者という存在を知った方は、是非人形性愛者に対するカウンセリングやセラピーを行ってくれるような施設を紹介してほしい。
人形と生活している人形性愛者にとって、この署名を知ったことは本当に苦しみを覚えたのだから。
【5月27日再付記】
人形芝居とかでやろうぜ