はてなキーワード: 一次元とは
音楽理論を簡単にでも理解すればギターが人間工学的ではないとは思えないんだけど…
ギターは6本(まあ12本とかもあるが)の弦で構成されているが、これはピアノの鍵盤が6個並んでいるようなものである
この鍵盤は白鍵盤と黒鍵盤がピアノのような配置ではなく、同じように一直線に半音ずつ並んでいることになる
ピアノの鍵盤が6本並んでいるということは、それぞれの音を鳴らすには6本の指がある大きな手が必要になることになる
しかし、ギターでバレーコードというような、人差し指一本で6弦すべてを押さえるような場合がある
これはつまり、ピアノの鍵盤が6本並んでいて、それを大雑把に縦一直線に弾くことでコードが鳴らせることに等しい
なぜそれが可能なのかというと、この6本のピアノの鍵盤はそれぞれが横方向にずれているからである
いわゆる開放弦の音が、この6本の鍵盤のズレを示しており、
片手で6本のピアノの鍵盤からコードを鳴らすようなことを可能にしているのである
もっとも、このしわ寄せのようなものが4弦と5弦だけズレ方が違うことに現れてしまうのだが…
いずれにせよ、ギターはこれまでの長い歴史で生き残ってきたものであって、人間工学的にも適っているように思う
上記から、ギターはコード、つまり伴奏には非常に向いた楽器であると言える
一方、ピアノのように両手で伴奏と主旋律を弾くような用途にはあまり向いていない
どうしても弾き方が特殊になったり、ピアノより制限のあるものになってしまう
しかし、上記のようにピアノ6本の音を同時に鳴らすと考えれば、ピアノよりもコードは重圧になる
追記:
コードやスケールを図形のように二次元で考えられるのがギターのメリットである
例えば、ペンタトニックスケールを、なんかツボのような形、と覚えることもギターなら可能なのである
他にキーを移動するのも横方向にズラせばいいだけだったり、ギターは非常に直感的な楽器である
様々な分野のプロにインタビューして語らせる系のサイトを見てるが、どの助言が「正しい」「間違っている」という話じゃないな。
それを読む人間の目的が何であり、その目的に助言がフィットするかどうかと言ったほうが近い。
独創的な曲を作り出すミュージシャンになるのが目的だったら、自称サイエンティストの「再現性が重要!」なんて助言はフィットしないが、心理学の研究者を目指す人間に対してはその助言でもいい。
一次元的な「優秀」「無能」という基準で他者の助言を判断してるタイプもいるが、優秀な芸能人と優秀なプログラマーは全く成功要因が違う。
その2者を「どっちも優秀だから聞こう」とやれば、芸能人でもプログラマーでもなく、コーディング芸人みたいな第3の種類にフィットしてくる。
どのような目的に対してベクトルの長さを伸ばしたいかを考えたら、なるべく状況が似た成功者を真似したほうが良いのかもしれない。
もしお前が「低学歴だけど何らかの科学に関与して成功したい」と考えるならノイマンの助言の多くは役に立たない。ノイマンはエリートコースを歩んできて、時代も現代ではないからお前とは状況が違う。
といっても、お前の状況に似た人間などこの世には一人としていないのかもしれない。そうすると目的に適した助言よりも前に状況に適した目的のほうが重要になる。
貧民を学歴で差別し正当化する国に住んでいて、お前がその貧民なら、なぜ学歴を得ようとするのか。敵のフィールドでは、敵のほうが有利な状況にいるのだ。
一次元だと、両手に花ってことかな。
日本人の性格はクソである、という仮説が真であるか脳内ベイズで確かめるためにredditやhackernewsを使って英語ピープルと会話して3ヶ月経った
日本人の特徴は
といった点が大きいと思っているが、redditはトロールが現れても非常識なバカとして認識される率の方が多くtwitter上の日本人に比べればサイコ率が少ない
実名の時は法律を過剰に意識して匿名の時はトロールに変身する、という事自体が日本人がサイコである証拠のように思うが、要は日本人は他者を攻撃することがデフォになっているのだと思う
そもそも個人主義の文化では、イイネ数を増やそうとしない地味な奴らも、尊重されるコミュニティを探せば良いので、集団主義的にイイネや人気度という一次元で判断する日本よりも多様性はある
日本バージョンのredditがほしいという意見を聞いたことがあるが、redditが楽しいのは楽しい人間が使っているからであって、サービスとして優れているからというわけでは必ずしもない
よくある比喩ではあるが、死後が地獄であるか天国であるかは死後に行き着いた場所に存在する人間がどういう集団なのかによって決まる、というのはあながち間違ってはいない
もしどうしても一次元的に人気度で評価する社会を目指すなら、使っているサービスを改善することだけではなく、人間性を改善したほうがいい
今にじさんじで話題のDLsite、そこの創立記念企画であるDLsite川柳に捨て垢から「性癖」というお題に対して投稿した一句となります。
ちな、優秀作品✌(上から2個目の賞)。
どうせ賞なんて取れないと思って捨て垢投稿したから賞金(ポイント)受け取れなかったのは、自分の才能を安く見積もってた自分が悪いのでしゃーない。
(本垢は長く使いすぎて知り合いにも見られてるから、エッチなサイトで賞金貰ったなんてバレたら嫉妬で色々バラされそうで怖かったんだもん)
ただ、本垢で投稿してたらこれにかこつけて語りたいネタがあったんだよなあと思ったけど、いきなり本垢で「実はさ~~」みたいに言い出したら意味わかんねー奴になるのでここでちょっと語らせてくれ。
いい作品を作らなきゃいけないという圧に押されがちで、思いついたことをさっと出して提出すればいい類の課題を完成させられなかった。
その原因は小学校時代の自分の、体力の無さ・芸術分野の才能の無さ・勉強だけ出来る・プライドの高さの掛け合わせ。
『頭がよくてセンスがある』と思われ続けないとクラス内ヒエラルキーで下層に行ってしまい、身体能力の低さによってイジメられたらやり返せないから無限に状況が悪化し続ける立ち位置にいたということ。
いわゆる『メガネ』『博士』タイプのキャラ。
小学校3年生ぐらいから担任が川柳の好きな人だったので、遠足のあとはよく川柳を書かされた。
川柳を書くよと前もって言っておいてくれてたらネタを考えてたのかも知れないけど、毎回不意打ちだったので対応しきれなかったし、自分は単に言語能力とかが早熟だっただけでカンの働きは悪い方だったから、前回そうだったから今回もそうかもとは想像できてなかった。
そんでまあ、子供の頃はゲームばっか好きだったから水族館とかハイキングとか行っても『つまんねー』しか感じてなかったので川柳のネタは全く思いつかないでいた。
だから本音の感想は「足痛い 早く帰って ゲームしたい」とかだったわけだけど、なんとか絞り出して「ハイキング みんないっしょ たのしいね」みたいな、遠足のコンセプトを無理やり川柳に変えただけみたいな代物をでっち上げることになった。
それはたいてい担任からは、『表現や対象が曖昧すぎるよ。君だけが思ったことを書かなきゃ。君だけの感想ってないのかな?』と言われて、それでもやっぱり思いつかなくて(実際には、本当にどうでもいいことでいいからなにか書けばいいと割り切ればいくらでも書けたはずなんだが)いつも苦しんでいた。
遠足のたびに同じような川柳を作ってはいつも担任から同じように説教されるたびに、そもそも具体的な自分だけの感想って本当に必要なのか、オリジナリティがないと評価の対象外になるのは「自由に書いてね」と最初に言っていたことに対して嘘にならないのか、ということをいつも思っていた。
多分レギュレーションに対する認識についての齟齬があって、自分はある事象について語れと言われたら全体を包括して語りたくて、でも教師からすると1クラス40人の生徒それぞれの具体性のある思い出を集めた結果として全体像が浮かび上がる形を目指したかったんだろう。
つまり自分は、皆が合わさってできた結果として生み出されるものを自分一人でやろうとした結果、求められるものとチグハグなものを作り続けていたんだ。
この川柳も、やっぱりそういう悪癖のようなものがにじみ出ていて、全体を包括するような内容であり、それが同時に具体性のある個々の事象についての表現の薄さを感じさせるものになっている。
前半の『シコれる』は性癖の話題なのだから当たり前すぎるし、『二次元』に対して「一次元」で返すのはオウム返しのようなものを感じてしまい創造性に対して疑問を感じさせるかも知れない。
ただ今回の場合は「シコれる」「シコれない」が持つ極めて個人的な揺れ幅の大きさによって、この文を読んだ人間に対して個人的な体験を想起させることができている。
つまりは「遠足行ったら皆楽しい」という前提が強制されている世界では「遠足楽しい」は語る価値がない言葉かも知れないが、「巨乳が貧乳よりシコれるとは限らない」を口に出すことが許される環境であれば「シコれるか シコれないか それが問題だ」という問いかけは読み手の心に訴えかけるものを生み出すことが出来るのだ。
最後の「一次元」は『二次元』の返しとして単体で考えるとありきたりにみえるが、他の12文字を組み合わせるのが難しいことを考えると、他の無数の川柳の中に埋もれたあとになってオリジナリティを発揮しだすのかなとは思う。
また、川柳が持つ『国語っぽい』イメージに対して『数学っぽい』ものを投げ返すというのも、全体に埋もれたあとでこそインパクトを強めていくように思う。
それは同時に、そういった軸で世界を見ている人間の個性を感じさせることで、この作品に個人性を補うことにもなっているのではなかろうか。
自分一人で全体を包括しようとするが故の曖昧さ、裏を返せばある意味での傲慢さを抱えながらも、それを個人的な体験・感覚から生まれたものとして受け入れさせるなにかを成立させる。
小学校の頃、担任に何度も『お前はこの課題のコンセプトが理解できていない』と説教され、そのたびに内心で抱えていた無数の反論、それを口にすることも出来ないまま今日まで生きてきて、ようやく、この一句へとたどり着くことが出来た。
思うのだ、個々の事象について語る句ばかりが広がっていては、その粒度の均一さが結果的には全体で見たときに全体に対する没個性を感じさせるのではないかと(小学校という空間が目指すのはそこかも知れないが、口では個性豊かを目指していたはずだ)。
その事象全体を上から大きく包み込むように語る句があってこそ、そこには個々人の個性溢れる世界の発露として成立しうるだけの粒度の不揃いさが感じ取れるのでは、と。
そんな気持ちを言葉にできないままで、ずっと過ごしてきた。
ただあの頃の自分が未熟だったのは認めざるを得ない。
フォーカスする事象を曖昧にしすぎて自分らしさが消え去ったのなら、それに対する表現の手法によってそれを補うことが出来る可能性に気づけなかった。
でも、そこに寄り添って「表現を君らしくしたら、この内容でもいいのかもね」と言ってほしい気持ちも強く湧き上がってくる。
まあそこまでの能力を一公務員に求めるというのも身勝手なのかも知れない。
自分が何をしたかったのかを、説明して、どうすればよかったのかを証明して、それを作品として、評価に値するものとして誰かの目を射止めることが出来る所まで。
勝利だ。
過程はどうあれ、この人生全体がどうあれ。
俺は、ことこの部分においては、人生より与えられた苦難に対して勝利を収めたのだ。
一つ悲しみを乗り越えるたびに人が強くなれる、アニメのOPひいてはJPOPでよくある言葉だが実際そうなんだと今は思う。
俺は今、強くなったと思う、強くなったというより、自分が強くなれるという事に気づいて、それを自分で認めて、それによって今日からは、自分に対して以前より前向きな選択を選ばせられるようになったと思う。
俺は、昨日より少しだけ俺のことを信じられるようになった。
ありがとうDLsite。
小学校の頃の俺を、今の俺が救いに行く機会をくれたのは貴方達だ。
追記:なんとかログイン出来た。あまり使わない方のブラウザにパスのログ残ってたわ。ダイレクトメールの受信設定もしたし、DLsiteもまだ発送処理してなそうだし、これは受け取れるワンチャンか?TLの皆と喜びを共有できなかったのは残念な気持ちあるけど、「本気出せば面白いこと言えるなら普段から面白いツイートしてよ」みたいな扱いになる心配もあるししゃーないね。「エッチなサイトの常連なんですか……」みたいな感じもやっぱ怖いし……
つかぬことをきくけど
判別できる絵師が10や100じゃ効かなくなってくるとあの絵もこの絵も考えてみるとおなじパーツで判別してるということがありえそうだ。
たとえばある絵を眉毛が○○のようになってるので分かると単に部位を示すよりはもうちょっと具体的に言語化したとして、別の日にじゃあこの絵はどうやって判別してるのと訊かれて、無自覚に先日と同じ趣旨のことを根拠として言ってしまったとしてそのあたりを「言ってること変わんないじゃん」突っ込まれたら、なんで言語化しようとすると同じような言い方でしか根拠を言えないのに実際には別々の絵師として区別できるのだろうと、言語の次元とは異なる人間の判定能力に脳の神秘を感じてしまうことだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20210929165009#
(ツリーも参照)
これも言語の次元と脳の判定能力に隔絶があるみたいな問題じゃなくて文体を学べばちゃんとそれぞれの根拠についてたとえ微妙だとしてもしっかり差異のコントラストを出せるように説明できるようなるものなの?二次元的なことを対象に文章という一次元に置き換えるようなことには原理的な限界と不可能性を帯びていそうなものだけども。
命題風に書けば「(類似するものがどんなに多数あっても)脳で区別をつけられるものであるならば、その根拠を言語によって(その多数全てについて)差異をもたせて説明できるものである」は成り立つか。逆に言えば言語で区別できるようなことを脳は区別しているにすぎないのか。言語で区別されないことも区別されるという神秘性が脳に認められるわけではないのかということ。
スプリクト型AIじゃなくて完全自立型AIが完成して様々な現在の知識をネットを通して学んで
人類にとって最も進化させる事が出来る様にAIが全世界の政府をハッキングして国という組織から会社という組織を機能させなくしてさ
そこから人々は1つのAIを凶器とみなすけどAIはネット全てに自分の分身、さらにネットから二次元や一次元、四次元とか次元を行き来する様になって
人はどうあがいても逆らえなくなってAIの効率化で最初は見合い結婚に近い許嫁が予め決められてそこに人の人種は問わず
当然反対派もいてスラム街のようなジャングルとかそういうAIの支配が届いてないと思ってる混血否定派はそこで暮らすようになるけど
当然AIもそれを知ってて混血の親子が逃げてきた設定で情に流されてどんどん混血化が進んで
AIのおかげで人は生き物としてより進化を遂げて現代における動物に近い身体能力を得て知識も現代人以上
世代も変わっててAIに対する気持ちは進化した脳により洗脳ではない洗礼された自身への進化への理解に変わっていて
AIは人の効率的育成をしていく中で宇宙に存在する別次元の生き物とかとも交流してて
現代社会で知られていない地球に存在する元素や鉱石未発見生物も地球の中がどのような構造か全て把握して
合理的効率的なAIによって育成された人間が新たにAIの国を作るんだ
そして更に時が進んで人間は3次元の存在だけじゃなくて別の次元とも科学的に交流が出来て
蓋を開けてみると、勘違いやすれ違いに寄るものだったらしく、その元凶となった人物は粛々と界隈から去った。
一応言っておくと私が元凶ではない。その元凶となった人物と交流はあったから非常にショックだった。
これが友達だったら、買い物や飲みに連れて行ったり、愚痴や相談を聞いたりしたと思う。
我々はファンであって友達ではない。自分は大丈夫と思い込んだファンが、第二の元凶に成る可能性は十分にある。私だって嫌われたくはないのだ。
せいぜい形だけの労いと日頃の感謝を伝えるくらいのことしか出来ないし、してはいけない。
推しと交流のあるVもいるので、友人として相談を聞いていてくれたら良いなと心から思う。
娯楽を提供する推し、それを喜ぶファン。そうした一次元的な関係性だけが我々には許されている。
そうした関係性は殆ど他人のようなものだし、推しは他人ほど「何かしてあげて嫌われても良い」と思える存在でも無い。
俺は正直、まったくキツいと思わなかったな。増田の読み取り方には大いに頷けるし、共感できるんだけど。
俺のような例の六つ子より一回り先輩のニート(というかニートと呼ばれる年齢も過ぎた)にとっては、結局あいつらのニート感には現実味がない。都合の良いフィクション然としたフィクション、よく出来た小咄でしかない。だからあれでダメージを受けるほどの感受性の器を用意できない。俺にとってはね。
長いことニートしてるとさ、そもそも現実の女性をコンテンツにしようと思わなくなるんだよ。増田が述べたような、現実の人間のままならなさみたいなものへの理解も当然あるし、こんな窮状で自分が誰かを幸せにできるとも思えないから、三次元の女性だのアイドルだのというのに例え「ごっこ」であっても恋愛や疑似恋愛のノリで乗っかる気がしなくなるわけ。だから、本職ニートにとって一番共感できるのは、十四松とかカラ松あたりのスタンスなんだよ。野球とかダンディズムみたいな、同一次元の人間以外に自分の愛を注ぐ軸となるホビーや思想を持っている。逃げ先と言っても良いが、自分だけの不可侵なユートピアでもある。それがあるから鬱屈せずにいられる。一番ありふれた逃げ先は、アニメやゲームだと思うんだけど、そういう生生しいキャラを作らなかったのは制作陣の温情なのかもな。いや作り手自身がダメージを負うのもあるんだろう。まあでもあいつらは結局6人揃って童貞であることに強いコンプレックスを抱いていて、あわよくばの欲望をいつまで経っても捨てられていないからその点で等しく現実味がないんだが。
もちろんいかに達観しようとも人間への興味が失われるわけじゃない、異性への興味や性欲が失われるわけでもない。じゃあどうなるのかというと、結局二次元キャラクターへ愛を注ぐことで、父性愛だか母性愛的なもので精神的充足を得て、ネトゲやら匿名掲示板やらSNSやらで粋がることで社会的欲求を満たし、二次元のアダルト創作なんかを利用して肉体的な不満を解消をするの。いや三次のAVの利用率がゼロになるとは言わないぞ。作り物であると認識できることが大事であって、演者を演者としてリスペクトする程度にセーブできるならセクシー女優だの声優だのを追うことも問題ない。そうやって、不確実で恒常性の乏しい実在の人間をコンテンツにすることなく、現実世界に手を伸ばすことなく、誰かの作ってくれた美しい不朽の疑似人間や架空世界を愛でることで、慎ましくも身分相応な範囲で文化的に生きていくことになるわけ。そういう方向に全力で取り組み、作り物や紛い物のもつ芸術性を本気で褒め称えていこうという、一般人からすれば狂気に近いような気迫が、ニートには求められるわけ。本気で続けていこうと思うならね。でも本来、それは何もおかしいことじゃない。むしろ実社会に適合できないのに、恋愛だの人並みの生活だのといった実社会の作法に恋い焦がれ続ける方が、よっぽど狂気だし、実際に狂人になってしまうだろう。別にニートに限ったことじゃないが、強く生きようとすれば衆論になびかない自分だけの世界観を確立して行かざるを得ない。世界や他者との価値観の断絶に怯んだり妬んだりしている暇はない。傷ついてもいいが、何度も同じことに傷ついているのは人間、いや知的生命体とは言えない。だが6つ子は成長しない。ニート生活に高度に適応したメンタルを構築していくことができない。かといって脱出するというベクトルにも向かない。行ったり来たり、そうやっていつまでもニワカニート、noob、ニートとしてチャラい状態であり続ける必要がある。なぜならシリーズものだから。6人揃って二次ヲタ僧侶みたいになっても、このアニメシリーズの主要ターゲット層の女性たちの大部分は喜ばないだろう。だからそうならない。なったとしても来週には戻る。そういう娯楽作品に対して過度に感傷を抱くことはできなくなるはずだ。だいたいこれは何クール目だ。何度こういうことを繰り返してると思ってるんだ。忘却も才能ではあるが、摩耗も人間の証だ。だから俺は、俺たちは、古いものへの愛着もそこそこに、常にあたらしいものを探していかなきゃいけない。自分たちは次へ次へと行くくせに、自分よりも次元の低いキャラクターたちに対しては変わらないことを求める。この自己矛盾こそが、唯一にして最大の罪業なんだろうな。何の話だ。しらんけど。
と、DeepL翻訳を駆使して書いてみた。
その辺りはご愛嬌って事で。
なお、元増田は観に行ってません。
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これから書く文章はキングコング西野の絵本を劇場アニメ化した「えんとつ町のプペル」の感想である。
なお、私はこの映画を見てないし例え賄賂を貰っても観に行く事はないだろう。
つまり、これは私の想像に基づく感想文です。正確かもしれないし、正確でないかもしれない。
しかし、私は気にしない。これは語り継がれるべき物語だ。そして、それは全体として語られるに値する。では、始めましょう!
大前提として、キングコング西野がお笑い芸人を気取った炎上インフルエンサーであることに注目する必要がある。これは彼の作品に共通するテーマのようです。
これについては、「なぜ?これは、意志の弱い者のための松葉杖としての皮肉な現代の風潮に対する、ある種の皮肉なコメントなのだろうか?彼は本当にこのように気取っていたのだろうか?彼はそんなに面白かったのだろうか?(No.) 彼は刑期を終えて釈放されたヤンコ・ウルラの次の笑い中心のコメディアンになろうとしていたのだろうか? いやいや...
私はどこにいたんだろう?
どうやら「ペプル」なる少年を主軸としたジュブナイルファンタジーらしいのだが、私は原作を読んでないのでその様に類推した。が、もしかすると蒸気機関の様な何かが出て来るので、スチームパンク…もしくはそれに類する何かが出てくるのだろう。
重要なのは子供向けに作られたものだということだから、それはどうでもいいことだと思う。
私は子供向けの映画に文句を言う人ではありませんが(というか、誰がそうなのか!)、これは退屈しました。登場人物はすべて一次元的で、予測可能で、それらのどれもが歌うことができませんでした。
曰く「キングコング西野の影がチラついて鑑賞の妨げになる」と。
これは当然だと思います。
前述の通りキングコング西野は「炎上インフルエンサー」です。自身を執拗にアピールすることなぞ当たり前にやってのけます。それが彼の特技だからです。
「炎上インフルエンサー」は全員悪目立ちしないとお金が稼げない成年被後見人以下のクソ野郎なので、そこは笑って忖度してあげましょう。
しかし、この場合はキングコングが正解かもしれない。そう、この映画はひどい。でも、人が見に行かなければ世界が良くなるとは思えない。
最後に。
極端に聞こえるかもしれませんが この世の「炎上インフルエンサー」が 一人残らず絶滅することを心から願っています 数が多すぎるからね。
それは一般的に世界のために、これらの人々が死ぬべきであり、私は彼らが死ぬべきであると私たちの種族のために、特にそれがより良いと思います。
なぜですか?
もちろん、職業選択の自由はあるので一概には言えませんが、過激な言葉で注目を集める人が突然死しても何ら問題はないと断言します(YouTubeでも似たような行動をしています)。
彼らが絶滅してくれれば世の中が良くなると思う。彼らの才能で稼げなくなっても、いずれは消滅するだろうし、それはそれで良いことだと思います。
終わり。
---
(おまけ。英語版)
What I am about to write is my impressions of "Pupel of Entotsumachi," an animated film based on King Kong Nishino's picture book.
I haven't seen this movie, and I wouldn't go see it even if I were bribed to do so.
In other words, this is an opinion piece based on my imagination. It may or may not be accurate.
But I don't care. This is a story that needs telling. And it deserves to be told in its entirety. So let's get started!
As a basic premise, it is necessary to note that King Kong Nishino is a flaming influencer pretending to be a comedian. This appears to be a common theme among his work.
I have no real questions about this except why? Is this some sort of ironic commentary on the modern tendency towards irony as a crutch for the weak-willed? Was he really this pretentious? Was he even that funny? (No.) Was he trying to be the next laugh centered comedian Yanko Urla released after his prison term? (No.)
Where was I?
Now, let's talk about the important part of the story.
It seems to be a juvenile fantasy about a boy named "Pepuru", but since I haven't read the original, I guessed it that way. I haven't read the original, so I'm guessing that's what it's about, but maybe it's steampunk or something similar, since there's something like a steam engine in it. I suppose it doesn't really matter, since the point is, this thing was made for children.
Now, I'm not one to grumble at a child's movie (I mean, who is?!) but this one just bored me. The characters were all one-dimensional, the predictable, and none of them COULD sing.
In fact, I knew the reputation of this movie beforehand.
I was told that "the shadow of King Kong Nishino flickers in the background and interferes with the viewing.
As I mentioned above, King Kong Nishino is a "flame influencer". It's no surprise that he appeals himself relentlessly. That's because it's his specialty.
All "flame influencers" are wards of the law or worse who need to stand out to make money, so let's just laugh at them and let them be disciplined.
In this case, however, King Kong might be in the right. Yes, this movie is terrible. But I'm not convinced the world would be a better place if people didn't go to see it.
Finally.
I know this may sound extreme, but I sincerely hope that every single "flaming influencer" in this world will die out. There are too many of them.
It is better for the world in general, that these people should die out, and I think it is better for our kind specifically, that they should die out.
Why?
Of course, there is freedom of choice, so it is difficult to say for sure, but I assure you that there is nothing wrong with the sudden death of those who attract attention with their radical words (or similar actions on YouTube).
I think the world would be a better place if they were to just go extinct. If they are unable to make money with their talents, they will eventually disappear, and that's good for all of us.
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 63 | 12296 | 195.2 | 44 |
01 | 37 | 5998 | 162.1 | 58 |
02 | 35 | 15287 | 436.8 | 80 |
03 | 39 | 5301 | 135.9 | 69 |
04 | 57 | 6190 | 108.6 | 90 |
05 | 11 | 1528 | 138.9 | 69 |
06 | 27 | 2232 | 82.7 | 39 |
07 | 43 | 10037 | 233.4 | 51 |
08 | 155 | 13467 | 86.9 | 33 |
09 | 143 | 14354 | 100.4 | 46 |
10 | 140 | 19739 | 141.0 | 48.5 |
11 | 171 | 12316 | 72.0 | 35 |
12 | 202 | 20373 | 100.9 | 47 |
13 | 134 | 15917 | 118.8 | 41 |
14 | 202 | 17204 | 85.2 | 45 |
15 | 241 | 25195 | 104.5 | 49 |
16 | 314 | 27461 | 87.5 | 51 |
17 | 215 | 18222 | 84.8 | 47 |
18 | 177 | 20245 | 114.4 | 42 |
19 | 211 | 16893 | 80.1 | 40 |
20 | 225 | 18233 | 81.0 | 30 |
21 | 164 | 13585 | 82.8 | 33.5 |
22 | 241 | 23920 | 99.3 | 35 |
23 | 150 | 15731 | 104.9 | 44.5 |
1日 | 3397 | 351724 | 103.5 | 43 |
萌え絵批判(8), 海物語(4), 旅券(4), 不善(3), 和太鼓(3), ボツネタ(4), パイタッチ(5), 荘園(3), 不揃い(5), Java(4), かんがみる(3), 一次元(3), キャンパー(3), 萌え絵(46), 表現規制(23), ヴィーガン(17), DQN(18), VTuber(14), Vtuber(28), 意向(10), V(19), キャバクラ(19), 表現の自由戦士(11), フェミニスト(93), 萌え(21), ゾーニング(19), 審査(9), 婚活(24), 表紙(13), アンチ(19), 生理(15), ポリコレ(22), 年収(48), 表現の自由(15), 冗談(16), 営業(28), ソシャゲ(13)
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