今にじさんじで話題のDLsite、そこの創立記念企画であるDLsite川柳に捨て垢から「性癖」というお題に対して投稿した一句となります。
ちな、優秀作品✌(上から2個目の賞)。
どうせ賞なんて取れないと思って捨て垢投稿したから賞金(ポイント)受け取れなかったのは、自分の才能を安く見積もってた自分が悪いのでしゃーない。
(本垢は長く使いすぎて知り合いにも見られてるから、エッチなサイトで賞金貰ったなんてバレたら嫉妬で色々バラされそうで怖かったんだもん)
ただ、本垢で投稿してたらこれにかこつけて語りたいネタがあったんだよなあと思ったけど、いきなり本垢で「実はさ~~」みたいに言い出したら意味わかんねー奴になるのでここでちょっと語らせてくれ。
いい作品を作らなきゃいけないという圧に押されがちで、思いついたことをさっと出して提出すればいい類の課題を完成させられなかった。
その原因は小学校時代の自分の、体力の無さ・芸術分野の才能の無さ・勉強だけ出来る・プライドの高さの掛け合わせ。
『頭がよくてセンスがある』と思われ続けないとクラス内ヒエラルキーで下層に行ってしまい、身体能力の低さによってイジメられたらやり返せないから無限に状況が悪化し続ける立ち位置にいたということ。
いわゆる『メガネ』『博士』タイプのキャラ。
小学校3年生ぐらいから担任が川柳の好きな人だったので、遠足のあとはよく川柳を書かされた。
川柳を書くよと前もって言っておいてくれてたらネタを考えてたのかも知れないけど、毎回不意打ちだったので対応しきれなかったし、自分は単に言語能力とかが早熟だっただけでカンの働きは悪い方だったから、前回そうだったから今回もそうかもとは想像できてなかった。
そんでまあ、子供の頃はゲームばっか好きだったから水族館とかハイキングとか行っても『つまんねー』しか感じてなかったので川柳のネタは全く思いつかないでいた。
だから本音の感想は「足痛い 早く帰って ゲームしたい」とかだったわけだけど、なんとか絞り出して「ハイキング みんないっしょ たのしいね」みたいな、遠足のコンセプトを無理やり川柳に変えただけみたいな代物をでっち上げることになった。
それはたいてい担任からは、『表現や対象が曖昧すぎるよ。君だけが思ったことを書かなきゃ。君だけの感想ってないのかな?』と言われて、それでもやっぱり思いつかなくて(実際には、本当にどうでもいいことでいいからなにか書けばいいと割り切ればいくらでも書けたはずなんだが)いつも苦しんでいた。
遠足のたびに同じような川柳を作ってはいつも担任から同じように説教されるたびに、そもそも具体的な自分だけの感想って本当に必要なのか、オリジナリティがないと評価の対象外になるのは「自由に書いてね」と最初に言っていたことに対して嘘にならないのか、ということをいつも思っていた。
多分レギュレーションに対する認識についての齟齬があって、自分はある事象について語れと言われたら全体を包括して語りたくて、でも教師からすると1クラス40人の生徒それぞれの具体性のある思い出を集めた結果として全体像が浮かび上がる形を目指したかったんだろう。
つまり自分は、皆が合わさってできた結果として生み出されるものを自分一人でやろうとした結果、求められるものとチグハグなものを作り続けていたんだ。
この川柳も、やっぱりそういう悪癖のようなものがにじみ出ていて、全体を包括するような内容であり、それが同時に具体性のある個々の事象についての表現の薄さを感じさせるものになっている。
前半の『シコれる』は性癖の話題なのだから当たり前すぎるし、『二次元』に対して「一次元」で返すのはオウム返しのようなものを感じてしまい創造性に対して疑問を感じさせるかも知れない。
ただ今回の場合は「シコれる」「シコれない」が持つ極めて個人的な揺れ幅の大きさによって、この文を読んだ人間に対して個人的な体験を想起させることができている。
つまりは「遠足行ったら皆楽しい」という前提が強制されている世界では「遠足楽しい」は語る価値がない言葉かも知れないが、「巨乳が貧乳よりシコれるとは限らない」を口に出すことが許される環境であれば「シコれるか シコれないか それが問題だ」という問いかけは読み手の心に訴えかけるものを生み出すことが出来るのだ。
最後の「一次元」は『二次元』の返しとして単体で考えるとありきたりにみえるが、他の12文字を組み合わせるのが難しいことを考えると、他の無数の川柳の中に埋もれたあとになってオリジナリティを発揮しだすのかなとは思う。
また、川柳が持つ『国語っぽい』イメージに対して『数学っぽい』ものを投げ返すというのも、全体に埋もれたあとでこそインパクトを強めていくように思う。
それは同時に、そういった軸で世界を見ている人間の個性を感じさせることで、この作品に個人性を補うことにもなっているのではなかろうか。
自分一人で全体を包括しようとするが故の曖昧さ、裏を返せばある意味での傲慢さを抱えながらも、それを個人的な体験・感覚から生まれたものとして受け入れさせるなにかを成立させる。
小学校の頃、担任に何度も『お前はこの課題のコンセプトが理解できていない』と説教され、そのたびに内心で抱えていた無数の反論、それを口にすることも出来ないまま今日まで生きてきて、ようやく、この一句へとたどり着くことが出来た。
思うのだ、個々の事象について語る句ばかりが広がっていては、その粒度の均一さが結果的には全体で見たときに全体に対する没個性を感じさせるのではないかと(小学校という空間が目指すのはそこかも知れないが、口では個性豊かを目指していたはずだ)。
その事象全体を上から大きく包み込むように語る句があってこそ、そこには個々人の個性溢れる世界の発露として成立しうるだけの粒度の不揃いさが感じ取れるのでは、と。
そんな気持ちを言葉にできないままで、ずっと過ごしてきた。
ただあの頃の自分が未熟だったのは認めざるを得ない。
フォーカスする事象を曖昧にしすぎて自分らしさが消え去ったのなら、それに対する表現の手法によってそれを補うことが出来る可能性に気づけなかった。
でも、そこに寄り添って「表現を君らしくしたら、この内容でもいいのかもね」と言ってほしい気持ちも強く湧き上がってくる。
まあそこまでの能力を一公務員に求めるというのも身勝手なのかも知れない。
自分が何をしたかったのかを、説明して、どうすればよかったのかを証明して、それを作品として、評価に値するものとして誰かの目を射止めることが出来る所まで。
勝利だ。
過程はどうあれ、この人生全体がどうあれ。
俺は、ことこの部分においては、人生より与えられた苦難に対して勝利を収めたのだ。
一つ悲しみを乗り越えるたびに人が強くなれる、アニメのOPひいてはJPOPでよくある言葉だが実際そうなんだと今は思う。
俺は今、強くなったと思う、強くなったというより、自分が強くなれるという事に気づいて、それを自分で認めて、それによって今日からは、自分に対して以前より前向きな選択を選ばせられるようになったと思う。
俺は、昨日より少しだけ俺のことを信じられるようになった。
ありがとうDLsite。
小学校の頃の俺を、今の俺が救いに行く機会をくれたのは貴方達だ。
追記:なんとかログイン出来た。あまり使わない方のブラウザにパスのログ残ってたわ。ダイレクトメールの受信設定もしたし、DLsiteもまだ発送処理してなそうだし、これは受け取れるワンチャンか?TLの皆と喜びを共有できなかったのは残念な気持ちあるけど、「本気出せば面白いこと言えるなら普段から面白いツイートしてよ」みたいな扱いになる心配もあるししゃーないね。「エッチなサイトの常連なんですか……」みたいな感じもやっぱ怖いし……
こいつアホやろ
シコっても ひとり。
これが作者関係ない赤の他人が書いた妄想文章だったら面白いな
作者の解説ほど興ざめするものはないというのに、おまえの解説ですべて台無しだよ
多様性 いいえ私は オタ陽性