はてなキーワード: ペンタブとは
グラフィックデザイナーだけど、正直、スタバでは仕事できない。
場合によってペンタブ必要だし、ノート型画面小さいし、効率悪い。
うざい同僚とかいないし、好きな音楽かけたり動画流しっぱで仕事できるなんてこれ以上快適な職場はない。
そんな時、効率悪くても外で仕事したくなる。いわゆる気分転換。
そして、選ぶなら席数に余裕があって作業OKになってるスタバが手っ取り早い。
コメダもいいし、食事時間外ならモスもいい。スタバにこだわっているわけではない。
気分転換なら手ぶらでもいいじゃないかと思うかもしれないが、会社に所属している以上、何かしら仕事していないと体裁も悪いし実際暇ではない。
資料集めとかメールのやりとりとかできる範囲でのことはしたい。
あと、出張先では特に作業OKの飲食店さんには大変感謝している。
土地勘のない場所で、打ち合わせ前に資料確認したいとかそういう時公園とかでもいいけども、落ち着いて作業できる環境はたいへん助かる。
飲食店ということは理解しているので、何かしら注文もするし食事で混み合う場合は入らないし退店します。
今よりも若くてエネルギーに満ち溢れていた工学部に通う大学生のとき、かわいい女の子のイラストが描きたくて練習してた。
嘘、能書きばかり調べていて全然絵をかかなかった。ワコムのペンタブ買ったのに。
自分自身が思う最高のシチュエーションで最高のキャラクターを描きたいと思っていたんだけど、デッサンがクソ過ぎてダメだった。
当初の予定としては10年後、立派な趣味としてオカズの完全自給自足を目指していた。
結局絵を描くことは辞めてしまった。
いま、いろいろあって駆け出し研究者としてひっそりと生きている。
かつてイラストの能書きで学んだことが研究者としての論文書きにちょっと生きている。
研究室の学生に雑談として話すわけにもいかないので、ここに吐き出してメモしておく。
論文も同じ。とにかく書くこと。こんなの出したら恥ずかしいとか、まだ表に出せないと思っていたらネタが腐る。
あと、書くことにブランクを空けるとリハビリに3倍の時間がかかるので毎日少しでいいので続けるほうがいい。
書けば書くほど書きたくなるし、書けるようになるゾ。
論文もイラストも師匠と決めた人の作品を見ながら習作を作っていくといつも新たな発見がある。
こんなときはこんな言い回しするのか、とかふむふむなるほどと思いながら書くのが楽しくなる。
尊敬するお師匠様(指導教員ではない)の論文はときどき模写したりする。
この言い回しカッコいいな、惚れ惚れするな僕の論文でも使おうとなる。
論理が破綻して「文章のデッサン狂ってるな」というのが何となくわかってくる。
そして、文章の「アタリ」がうまく決まればさらさらと書いていくと破綻しない文章が書ける。
ごくまれに全国大会の1ページ論文を文頭の「はじめに」から初めて参考文献まで一気に書ききるときがあって、それがすごく快感。
プロのイラストレーターが眼からペンでいきなり描き始めてササッと迷いなく描き上げるってきっとこんな感じなんだろうなと思う。
論文ってアイデアは奇抜であってもよいけど、書き方は厳密に「アカデミックの文法」に従わないとトンデモなものになってしまうので、萌絵の文法に従ったイラストに似てるなと思う。
キャラクターって既存の記号の積み重ねだよね。そこに隠し味としてオリジナリティがあると光る。
イラストレーターにとってのイラスト、同人作家にとっての同人誌は研究者にとっての論文と同じなのかもしれないと思う。
グラフィックの人らはマウスで絵をかいていて、世間話で画面にペンで直接かけたらいいですね、みたいなことを言ったら、それだと手で画面が隠れて書きにくいだろとか頭ごなしに却下された。
ペンタブも、操作性がどうこう言ってマウスが一番いいんだ!みたいなことを力説するのな。
こっちは気軽に世間話してたつもりなのに、なぜか向こうは「ド素人が口をだすな」みたいな剣幕。
今はゲーム制作から離れたから、グラフィックの人らはどうしてるか知らんけど「思い切って高価な液タブ買った!」とかツイッターで言ってる絵師とか、「漫画家の〇〇先生にiPadでイラストを描いてもらいました」みたいな記事とか見るし、画面に直接書くって別に悪い案じゃなかったよな。
きのう
あさ8じはんおきる
風が強くて自転車きつかった
帰って昼飯
10円のむしちゃんぽんめんをいんすたんと袋ラーメンに入れてたべた
キャベツも少し入れた
炭水化物とりすぎ
これで袋ラーメンなくなった
机のかたづけ
勉強机のライトとか本立てとかがついてるけどそれのせいでつくえのスペースがせまくなってるブツをとりはずした
子供用だから足もともせまいけど引き出しははずせないからこれが限界
輸入品のもかなりあったHARIBOもどきとかコーラアップもどきとか
ブコフよってオールラウンダーめぐる立ち読みしかけて数ページであきらめる
そんでかえる
半額のパンもあったけどもとが高くてたいして安くなかった
かえってなんかそわそわしてなにもできないのがつづいたから頓服薬6つのんだらそのままねてた
きょう
さむくて途中で暖房つけた
朝方消した
世の中には、絵を描くことは好きで幼い時より描いてはいたが、特にその道に進むほど情熱をかけているでもなく、かと言って、趣味の範囲で同人誌を出すアクティブ・タイプなオタクでもなく、ただ気の向いた時や萌えの気持ちを発散するためだけに描くことで満足するタイプのオタクも存在する事をご存知だろうか。そう、私のようなタイプのオタクだ。
描くことは幼い日々より続けていたものの、どうも絵がうまくない。うまくないのだ。高校生になる頃には自分の限界に気付き、同人誌を出すのは絵の上手な人の特権!私みたいな絵の下手なオタクは一生見る側なんだ!と即売会や中古同人誌ショップを巡り、描き手様たちの作品をいそいそ収集する日々だった。
一つ目の転機は、大学に入学してからだったと思う。友人が腐趣味に目覚めたのだ。今までこの友人はオタクでありながらも腐女子ではない、夢女子に近い立ち位置のオタクだった。当時、じわじわ人気が出ていた少年漫画に彼女は「腐女子」としてハマったのだ。わたしはひとまず、近くで同人誌を買うことができるショップを教えたり、それとなくネットマナーを教えたような気がする。一緒に即売会に一般参加などもした。そう楽しんでる中、ある日彼女から「pixivで小説を書いている。今度本を出してみたい。」と言う話を聞かされた。
私は、驚くと同時に、1年も経たないうちに生産者側に回ろうとする行動力に驚嘆した。もちろん応援することにしたし、最初の彼女の小説の表紙デザインを作ったり、売り子として即売会に同席するなどした。あっという間に生み出す側となり、その後も一人でサークル参加を続けていた。「絵を描くのに○○ちゃんは出ないの?もったいない。」などと言われたこともあったが、「私は絵が上手くないから」と言葉を濁した。
私はこの時は、「彼女は特に行動力があったただけ」と思いつつ彼女がやりたいことに真っ向から挑戦できる彼女が眩しく見えた。
二つ目の転機は、私がデジタルイラストを描くことができるようになったことだった。大学半ばから社会人になるまで、およそ4年近く忙しさで絵を描くことができなくなっていた。私は当時「もう社会人になるし、いつまでもオタクでいるわけにはいかないと思っていたしちょうどいいのかな」と思いながら過ごしていた。幼少の折より続いていた唯一の趣味が無くなりつつあるのには常に一抹の物悲しさが付き纏ってはいたが、それを上回る日々の忙しさがそれをも掻き消して行った。社会人になると、日々消耗し、毎日泣いて泣いて過ごしていた。そんな中、友人がとある2.5次元の作品の観劇に誘ってくれた。昔から好きな作品で、是非にと観劇しに行くと、それは素晴らしく楽しく、素敵だった。同時に今すぐ絵を描きたくなった。久々の感覚だった。スケッチブックを引っ張り出して、演者さんが演じていたキャラクターを描き殴った。その日から、毎日毎日スケッチブックに絵を描き、ふと思い立ちそれ専用のツイッターのアカウントを作り、イラストをアップした。その作品を好きな人とも繋がることができ、とても楽しかった。
ある日、彼氏が「お前、デジタルでは描かないの?」と言ってきた。私はどうもデジタル向きではなく苦手意識もあったが、ペンタブを貸してくれて、一からイラストソフトの使い方を教えてくれた。彼氏もオタクで、小説も絵も描けるハイブリッド型のデジタル人間だった。暫く私が絵から離れていたから、今までは提案しなかったそうだ。そしてそこから私はデジタルイラストを導入するに至ったのだ。
三つ目の転機。オタクとしての楽しさを思い出させてくれた前ジャンルで人間関係がゴタつき、私はジャンル移動するに至った。ちょうど熱も少し引いたタイミングに、原作を読んだことのあるアニメが放送となり見事にのめり込んだのだ。ポツポツイラストを上げているとアニメ化中の作品だからか、たくさん反応を貰えてとても楽しくなった。フォロワーもすごく増えて、毎日楽しく過ごしていた。所謂ROM専と呼ばれる人たちにもフォローされたり、何か少し絵師っぽいかもしれないと内心喜んでいた。
そんな中、好きなCPで萌え語りをしていると、よく反応をくれるROM専の方からリプライが飛んできたのだ。内心、ROM専の人も話しかけたりするんだな、と驚いた。内容は「最高です。ぜひ本を出してください。後、小説も書いてください」と。とても驚いた。私は絵を描いてはいるが、同人誌を描く側には一生行けない。本を出せるのは、だって、絵が上手い人だけの特権なのだから、と。私は絵を描くくらいはしていいが、出す側には行くことができない側の人間なのだから。嬉しいが期待に添うことはできない。その気持ちに感謝をしつつ、当たり障りのない文章を返した。「出せる機会があれば出したいですね」などと返したと思う。私はデジタルイラストを描くことは出来るようにはなっていたが、漫画は描くことができなかった。落書き程度ならまだしも、きちんと製本できるような規定を守ったやり方での描き方は知らなかったのだ。しかし時々、その言葉を思い出して、元気を貰っていた。フォロワー同士の付き合いではなくて、ROM専の方からのお言葉だからきっと本当に私に目をかけてくれたんだろうな、と自意識過剰になりながら。
四つ目の転機。仲良くなったフォロワーが、漫画ソフトを一から教えてくれる、という、何とも親切きわまりないフォロワーだった。私は悪いし、すごく迷惑かけるし、と言ったが、私と一緒にイベントに出て本を出してくれるなら一から教えるから!と息を巻いていた。私は、ROM専の方から声をかけていただいた言葉から、いつか機会があれば出したい、と思い続けていたこともあり、とりあえず彼女の使っているのと同じソフトを買い、通話で三日三晩迷惑をかけ時には叱られながら使い方をレクチャーされた。結果として、拙いながらも原稿が作れるようになった。マスターしていないので、基本動作しかできないが、デジタルオンチの私にしては上々だ。まさか、アラサーになってから同人誌を作るよう動くことになるとは思っていなかった。年甲斐がないとか、今から始めるのか?とか、たくさん悩んだが、家族や友人周りが肯定してくれた。
そして先日、はじめてのサークル参加をした。大学時代の字書きの友人も、○○ちゃんが出るなら、と同じ即売会に出てくれた。初めてのサークル参加に浮き足立ち、前日は寝れなかった。まさか、一生描き手には回らないと思ってた自分がサークル参加をするという事実に夜中に感極まり、号泣した。本を出してと声をかけていただいたROM専の方には迷惑を承知の上で、長文のDMで感謝の気持ちを綴った。「あなたの言葉があったから本を出せました。あなたが私を同人作家にしました」と打ちながら泣いた。気持ち悪いDMにその方から丁寧にまた返信をいただいて、また泣いた。
即売会当日、売り子はフォロワーさんに頼んだ。徹夜でむしろハイになっていたので、意外に現場に立つと緊張しなかった。道中の電車では、感極まって二、三回程半泣きになったが。
始まるとお隣さんの同CPのフォロワーさんが初参加で年も近いこともありたくさん話してくださり楽しかった。
早めに撤収し、売り上げは、30弱程。いいのか悪いのかわからなかったが、友人に「そんなもん」と言われたので多分そんなもんなのだろう。何より、「貴方が出るから来るのを決めました!」と言って貰えたり、「pixivでサンプル見てほしくて…」と言って貰えたり、差し入れを貰ったり、とにかく、嬉しかった。こんなに幸せなことが世界にあっていいのかとも思った。
そして帰り道、気付いた。「あぁ、私も同人誌出す側になったんだ…」と。
同人誌の在庫は自宅郵送したが、一冊だけ手元に持って帰ってきた。何度も何度も読み返した。自分が描いたものが本になるのは不思議で、奇妙だった。その夜は、枕元に自分の同人誌を置いて寝た。なんだか自分の本がとても可愛かったのだ。
友人にイベント終わりに、「初めてのサークル参加はどうだった?」と聞かれた。私は、「今まで、同人誌って絵の上手い人だけが出していいと思ってたけど、違うんだね」と言った。友達は「そんなの、やる気の問題だよ」と言っていた。そして全く、その通りだな、と思った。
同人は、何歳から始めてもいいし、誰がやっても良かったのだ。それに気付くのに、何年もかかったが。そして私は、人生二回目のサークル参加をするべく、今もせっせと二冊目の同人誌の原稿をしているのだった。
ないんだよな……。
間接的な影響を考えると月姫とKANONなんだよ。子供の頃好きだったブログ、あの頃は個人HPだったかな。リアルでちょっと接点があった従兄弟よりもう少し遠い血縁にいる面白い兄ちゃんがやたらと面白い面白い言っててさ、それで気になって、結局ゲーム自体はまだやってないんだが気づいたらそういう道にな。
その兄ちゃんがそういうゲーム始めてなかったら、きっと俺ももっと別の道を進んでたんだよ。ゲームといえばFFとスマブラとモンハンでさ、大学でワンダーフォーゲル部にでも入って適当に彼女でも作ってさ、そういう人生だったんだと思うんだ。
んでまあ今は当然のようにいい歳こいてゲームや漫画に相変わらず囲まれてるんだけどさ、それでも人生を変えた作品とかねえなあって。
コミックボンボンって言う今はもうオタクぐらいしか覚えないような子供漫画雑誌に載ってた漫画なんだけどさ、エッシャーとかティム・バートンの影響とか受けまくってるような作風でさ、子供心にセンスいい漫画もあるんだなって思ったんだよ。王泥棒ジンは普通に面白いから読んでくれよ。キノの旅とルパンとティム・バートンを足して割ったような漫画だと思ってくれれば大体合ってるからそれで興味持ったらオススメな。
小学校以降に読んだ作品で特にコレに影響受けたーってのはないんだよな。読んであーなるほどなるほどーってなる作品はあっても、価値観が揺さぶられたりはせんのよな。lainや攻殻機動隊見てスーパーハカーかっけーと思っても自分がIT系に行きたいとは思わなくて、今は普通に商社マンだしさ。銀河鉄道の夜を5年おきぐらいに読み返すと、妹萌えとかBLとか少しずつ理解していってる自分が汚れたのか多様な価値観を学んだのか考えちゃうけどさ、だからって俺には萌える妹も男友達もいないからかんけーし。
たまに有名人が「この作品で人生変わりましたー」って言うけどそういうのあるのかね。イラストハウツー本買ってお絵かき始めた時はこれで人生変わると思ったけど、気づいたら10年ペンタブ握ってねえしなあ。何も変わってねえよ。太った後でダイエット本読めばなんか変わるのかな。
不良にでもなろうと思ってた時にファイトクラブ見て俺はここまで出来ねえからグレるのは無理だなーって諦めたとか、メンタル死にかけてる時にニュー・シネマ・パラダイス見て涙流してからふと俺にここまで最高な関係は一生気づけねえんだろうなあってスタンド・バイ・ミーのラストみたいな事考えていよいよ死にたくなかったら精神科のドア叩いたりしたけどさ、そういうのって作品がなにかを及ぼしたんじゃなくて、俺の中で1週間後に組み上がる予定だったパズルをその予定よりちょっと早く予定通りの形で組み上げただけだから「人生変えた」じゃないんだよな。
寂しいわ。
情報系だがプログラミングは苦手、脳みその回転が人より遅いし物覚えが悪い
「ディープラーニングやりたい」って思ってゼロから〜の本1冊終わらせてそれっきり
「ゲーム作りたい」って思ってUnityRoomに2週間ゲームジャムだかなんだかのゲーム1本投稿してそれっきり
「モデリングしたい」って思って自分の好きな性癖詰めたキャラ1体作ってそれっきり
「絵書きたい」って思ってペンタブ買って1ヶ月練習してそれっきり
「RubyonRails触ってみたい」って思ってRailsチュートリアル1章やってそれっきり
就活ってこれまでの人生で何やってたかが白日の下に晒されるクソイベントなんだな
これまで全部中途半端にやってきたから(やってきた、なんて言えるレベルじゃない)後悔の念が止まらない
劣等感で潰される
とか言いながら明日になれば山のような課題をやることで現実逃避、「自分は課題を終わらせないといけないからインターンシップには行けない」なんてクソみたいな理由をつけて自己防衛に走る
こんな無能を働かせるな
だれか助けてくれ
しかし、人間関係のトラブルで退職し、当然金がなくなったのですが、25歳とはいえFラン私大理系卒のコミュ症ではマトモな再就職先もありませんでした。
困り果てて知り合いに相談したところ、親身になって話を聞いてくれ、生活保護の申請を手伝ってもらうことになりました。
その代わり、知り合いはボロアパート経営をしているのですが、そこに入居し、生活保護の住居費の上限(東京都なので53000円です。他室家賃の3万ぐらいからすれば、割高ですね)で契約することで話がつきました。
役所には渋られたりもしましたが、知り合いが手配してくれた弁護士さんや市の議員さんが色々と動いてくれ、スピーディーに受給が決まりました。
しんぶん赤旗の月3000円は痛いですが、背に腹は代えられません。
親は裕福だったのですが、絶縁されているため扶養してもらえませんでした。
現在、週一でアルバイトをしています。多少のストレスがあったほうが長生きできるって言いますもんね
・趣味に時間を費やし、遊んで暮らせる!自堕落な生活ができる!
週一で働いているのですが(ケースワーカの説得で仕方なく)その日以外は朝11時ぐらいまで寝ています。
パソコンでネット、アニメ、スマブラSP、スプラ、動画であっという間に一日が過ぎますね
一日中趣味に費やせるだけあって、中々上手くなってきてますし、pixivやtwitterで反応があると嬉しいです。
ゲーム機押し入れに片付けておけばケースワーカー何も言いませんしね。
医療費のことを全く考えなくていいので、どこか調子が悪くなったら直ぐ医者に見てもらえます。
保険内であれば全て無料なので、正社員時代なんかよりずっと健康です。
まぁ歯の自費診療が出来ないというデメリットはありますが、そんなことブラック企業勤めでも無理でしたね。
・特に無し!!強いて言うなら、あんまり社会に貢献している気がしないところですかねw
まぁ税金をしっかり使い、社会にカネを回すのも十分な社会への貢献だと考えてますw
まとめ
ぶっちゃけ、年金も医療費も健康保険税もかかんないんで、サラリーマン時代よりよっぽど裕福で、素晴らしく人間らしい生活です。
高校時代の親友に、親が土地持ちでニートしてるやつがいるんですが、最近真っ昼間からそいつとビール飲みながらゲームすんのがとても楽しい
サラリーマン時代、働かずにニートで遊び呆けるなんてうらやまし〜なんて思ってましたが、まさか自分もそんな暮らしができるとは思ってもなかったよ。
元気なわけないですね。あの時は「自分の生きる意味なんて何も無い!」と思い詰めていましたから。でも大丈夫です。私は今も自殺することなく生きてます。
10年経って、推しがたくさん増えました。推しのために志半ばで死ぬわけにはいきません。
安心してください。あなたが今好きなそのキャラ、10年後の私もちゃんと好きですよ。「好き」が増えるのはとても喜ばしくて、尊いものです。
ですが、残念なことに、あなたの大好きなそのゲーム、制作会社が潰れます。続編が無くなりました。そこは諦めてください。
その代わり、もっと好きなゲームと出会います。好きすぎて家庭崩壊寸前まで行きました。ゲーセン通いもほどほどにしてくださいね。
絵を描くのは大好きでしたね。今の私も好きです。あの頃は授業ノートに板書を写したことなんてありませんでしたね。ノートの中は落書きでいっぱいでした。今でもそんな感じです。
GIMPとか、AzPainterとか、illustratorとか、そんなツールを使ってましたね?いつかペンタブが欲しいと思っていることでしょう。でも、illustratorに慣れきってしまって、10年経った今でもペンタブは買わないままです。期待させたらごめんなさい。
10年前のあなたは、バリバリの夢女子だったと思います。それが10年経った今は、立派なケモナーになりました。人間やめてケモノになりたいと思ってます。本質は変わってないですから、安心してください。
今の世界も、そんなに悪くないです。生活が全てうまく行ってるわけではないけれど、でも、これでいいんだと受け入れられる日がいつか来ます。
どうか人生を諦めないで。
二次創作をしている。
今のジャンルに4年いる。
とにかくなぜかわからないけど誰もかれもが、何もかもが嫌で、悲しくて、辛くて、でもそれがなぜなのかわからなかった。
自分の問題だと思って、自尊心が低いとか、自愛ができてないとか、いろんなことを調べたり試したり本を読んだりした。
それでも原因が解決しない。
それでも、何がこんなに苦しいのかわからない。
基本的にずっと苦しい。
このくらいいっか、とか、この程度まあ我慢しようみたいなことが全部できなくなった。
だからジャンル者の些細なツイートや自分よりも評価される作品なんかが気に障って仕方がなかった。
描きたいものがたくさんあるのに、何もかもが嫌になって何もできなくなった。
ペンタブを持つと涙ダラダラあふれる。
描きたいものを思い浮かべるとめまいがして、めちゃくちゃに悲しくなって泣いてしまう。
起き上がることができないほど無気力になった。
だから当然twitterなんかには目を通せなくなって、強制的にジャンルから離れることになった。
変わったね、どうしたのって他ジャンルの友達からすごく言われる。
言ってることがまるで有害みたいじゃんっていう冗談で泣いてしまう。
どうして。なんで。わからない。つらい。元に戻りたい。
答えが出ないことはつらい。
原因がわかればまだ納得がいく。
これのせいなのか、ってわからないことはすごく怖い。
前のジャンルは最悪だった。
とても大切な友達ができたこと以外、主に人間関係が最悪だった。過激な人が多かったからだ。
最悪な人間関係の中でさらに色々最悪なことがあって(パクリとかトレスとかそういうの)へこたれてるときに今のジャンルの原作に出会って本当に救われた。
今は最悪なことが起きてないのにつらくてつらくてたまらない。
なんでなんだろう。
こんなになるまで辛いってどうしてなんだろう。
なんとなく、前のジャンルと今のジャンルで感じた自分の気持ちを比べてみた。
考え始めて数分で答えが出る。
答えは簡単だった。
今のジャンルには話が合う人が一人もいない。
対立とか、学級会とか、晒しとか、パクリとかトレスとか、なんていうか、とりたてて大きな問題がないから、全くわかってなかった。
前のジャンルはそうではなかった。
そもそも人が結構多かったので、共感できるツイートや楽しいことやうれしいことがたくさんあったのだ。
不快よりも快が多かったんだ。
描き手に好きな人はひとりもいない。
厳密に言うとたったひとり好きだった人がジャンルを代わってしまった。
好きじゃない描き手の描いているものに愛想笑いすることしかできない。
全然受け入れてもらえない。でもそれでよかった。ジャンルが好きだから。そしていい人が多かった。だから平気だった。
でも尊敬とか共感とか安心とか嬉しい、楽しい、すごい、そういうプラスの感情が、好きな人の本をのぞいて、快が一切なかった。
でも今みたいになったりしなかった。
そのころも、不快より快が勝っていた。
ずっと自分に原因がある、変わらなきゃと思っていた。
状況を打破するぞとジャンル内でたくさんの人に会っていた。
ジャンル柄なのかわからないけど、でも多分そうだと思う、何を話しかけても、誰もtwitterのようにはしゃべらない。
会社の人と話すようにしても全く会話にならない。
これまで周りが大丈夫にしてくれてただけで、自分はコミュ障だったのかなと焦った。
でもそれも友達たちや会社の人たちがすごくやさしくしてくれてるからなのかもしれない。
もしかして相手のテンポを無視してるのかな、話しづらい話題かな、それを友人や知り合いには許されているのかな、気をつけないといけないといけないといつも胃が痛かった。
というより全員から嫌われてるのかもしれない。
でもそんなことはなさそうで、誘ったら会ってくれる。Twitterで話してくれる。会うたび絶望する。何のために会ってるのかよくわからない。
人間関係、twitterでの立ち回りの仕方、これまで大丈夫だったことが全部通用しない。
全部自分のせいだと思っていた。
全部全部全部、自分のせいだと思っていた。
このジャンルの人たちと、すべてが合わないだけだったんだ。
安心してドクドク泣いた。
ネット民の「エンジニアを教育しない社会・企業が悪」という思想の存在を感じるのだが
私はすべて独学で身につけたので、これが納得行かない。
漫画家で例えるとこうだ。
「漫画家になりたいです。漫画読んだことないです。絵を描いたことないです。雇ってください。」
「業務外で絵を練習したくない。会社が金だして研修しろ。勉強しろというなら家での勉強時間にも給料出せ。ペンタブ持ってないしフォトショ持ってないから勉強できない。買えってんなら会社がプレゼントしろ。」
また、会社がスクショ貼り付け業務しかさせてくれなかったので何も技術を覚えられなかった、ということを言う人がいる。
これもわからない。漫画家で例えると「漫画を書く授業がなかったから一度も書けなかった。漫画を書く能力が身につかなかったのは学校が悪い。」ということだろうか。
アルファベットがわからない英語教師、バットという単語を聞いたことがない野球選手、楽器を触ったことがないミュージシャン志望。
何で例えても狂っとるとしか思えない。
匿名ダイアリー初心者なので、不備があったらごめんなさいと初めに言っておきます。
私は小さな頃からお絵描きが大好きだった。筋金入りのオタクであり、家庭もオタクとして受け入れてくれたので、好き放題お絵描きしていた。私は発達障害なんだけど、星のカービィが大好きで、ずっとカービィやカービィに出てくるアドレーヌやリボンちゃんやチュチュを描いてた。後に知ったが発達障害あるあるとのことでビックリした。
幼稚園、小学校低学年あたり。私は誰かと遊ぶよりお絵描きを選んでいた。同じようにお絵描きを一緒にするクラスメイトがいたので、その子達と教室でひっそり、時には熱の篭った語り合いをしたりと、オタクながらそういう楽しみがあった。まぁオタクだとバカにされいじめられてたけど、それでも漫画が大好きで、お絵描きが好きだった。それだけで生きてた。ゲームして、お絵描きして、本読んで、漫画読んで、おやつ食って、寝てた。我ながら、マイペース過ぎると思うが、幼い頃の私にとってそれが当たり前だった。
お絵描きをしていて、20数年間、一度も褒められたことはない。これは誇張でも何でもなく、本当に誰からも褒められたこと、上手だね、と言われたことが、これっぽっちもない。親からも「あんたは絵の才能ないよ」と言われるほど、絵の才能というものは無かった。
褒められないのに描き続けるって、すごいと思う。幼い頃の私は自我が余り芽生えていなかったせいか、他人の賞賛に気を取られることがそこまで無かった。ていうか、褒められたことがなかったので、そういうもんだと思ってた。その頃の私は、とにかく、絵を描くことが大好きだった。お話を考えるのが好きだったので、将来は漫画家になるんだと勝手に決めていた。
私の同じクラスに、とても絵が上手い子がいた。
イラストがオタク的なことを踏まえても、クラス中から「上手いね」とワラワラ集まってくるほど、上手だった。その子と私はそんなに仲良くなかったけど、親同士が仲がよかったため自然と距離が縮まっていった。そうなると、自然な流れでお絵描き仲間になる。
私はその子が好きだった。イラストも上手だし、性格も大人びていて、何事もスマートに済ませるタイプだった。ドン臭くてオタクでいじめられがちな私とは全く違う子だった。
大好きだった。けれど、ドン臭い私だけど、直接面と向かって比較されるのは、流石に堪えるものがあった。
悔しくて夜は泣いてた。私は私の絵が好きだったから。絵を描くのが好きだったから。好きでやってんのに、勝手にその世界に踏み込んできて「あなたの絵はあの子に比べてあんまり上手くないね」と値踏みしてくる。その無神経さに、私はだんだんとコンプレックスというものを覚えるようになった。
傷付くだけでは癪なので、バカの一つ覚えみたいに描いていたスタイルを変えた。絵柄を研究したのだ。当時大流行りだったありなっちには絶大な影響を受けたし、他にも「こういう目の描き方はどうだろう」とか「もっと手や足のバランスを考えなくちゃ」とか、おバカなりにも頑張ったのだ。もがいたのだ。私の世界を踏みにじられないように。
私の努力は余り実らなかった。まず第一声が「絵柄が変わりすぎて、変だ」と言われたこと。その時は、その言葉が重すぎて、自分の絵柄ってなんだろう、ていうか褒めたことひとつもないくせに絵柄がどうとか今更なんなんだ、と思った。
一番心に残っていることは、まだ幼稚園とか保育園あがりの下級生に言われたこと。
その子供たちは件の絵の上手い子のイラストを見て「この人!すごい!じょうず!きれい!」とはしゃいでいた。その次に、私の絵を見て「この人の絵は好きじゃない」と、ハッキリと、何の悪意もなく、見ず知らずの私の絵に向かって、そう言ったのだ。私はそれをドアの向こうで聞いてしまったのだ。
あ、私、絵が下手なんだ。
ハッキリと理解出来たのは、多分、その時が初めてだったと思う。
同時に、やんわりとだけど「絵が下手ということは、他人に不快感を与える」ということが心にずっしりとのしかかってきた。
その子に対するコンプレックスは、結局消えることがなかった。拗らせまくった私はその子のイラストをパクっちゃうようになった。上記のバックボーンを読み解けばお分かり頂けるだろうと信じる。ただ教師からすれば、私は他人の絵やアイディアを盗む問題児だった。何度も注意された。他のクラスメイトたちの前で注意されたので、ビックリするくらいの速さで「記事主(私です)は絵が下手だからパクってる最低のやつだ」と情報が出回った。つまり、子供ながらに、こいつはコンプレックスに溺れてる奴なんだ、ということが知れ渡ってしまったのだ。その通りなんだから、私は何も言わなかった。口数は減り、絵を描くことへのコンプレックスや、その子に対するコンプレックスはどんどん膨らんでいった。
話はトンと変わる。
私はそんな小学校生活が嫌すぎて、私立中学へ進学した。心機一転し、お絵描き仲間もいたので、アホみたいにずっとオタク話をしつつ絵を描いて手紙交換してた。相変わらず褒められることは特になかったけど、絵を描く楽しさは少し取り戻せた。
進路を決めるとき、なぜだか分からないけど、当たり前のように美大進学をする流れになった。オタクだし、いつも落書きしてるし、じゃあ美大でしょ?みたいなノリでみんな美大進学を決めていた。
私は、その"ノリ"に、ある種の嫌悪感を覚えた。
だって、誰からも褒められたことの無い人が、なんでその手の専門分野にノコノコと踏み込めるの?コンプレックスが心の底で燻っていたんだと思う。私は絵が下手だ。好きだけど、下手なんだ。いくら勉強しても、努力しても、ダメなもんは、ダメなんだ……。
「いつも絵かいてるなら任せてもいいよね?」と勝手に頼まれた文化祭の表紙絵。部活のチラシ。頑張って描いた。オタクっぽさを抑えたつもりで、なおかつ、見栄えするように色んなイラスト雑誌を参考にして、描いた。「オタクっぽくないやつってお願いしたんですけどね」「え?マジでこれ、人前に出すの?」どれもこれも、散々言われて、却下された。ねぇそれ、寝ないで描いたんだけど。下手なのは分かってる。でも、そんな一蹴されてもね、私は、どうしたらいいんだろうね。そんな言葉を言うくらいなら頼まないでよ。好きで下手なんじゃないんだよ。好きで描いてんの。何時間も構図考えて装飾も書き込んで細いペンでガリガリ描いたの。わかんないよね、だってあなた達はジャッジする側の人だから。絵が下手だと、気持ち悪いと、判断を下すのは、至って簡単なことなんだ。
学生なんだから仕方ないよ、と、思った方もいるでしょう。子供だし言葉選びが出来ない面もあったと思うし、私自身好かれてるわけじゃなかったのかもしれない。
3年ほど前だろうか、私はあるジャンルにおいてとても活発に活動していた。
学生の頃の対人関係は断ち切って、趣味に打ち込んでいた。その一環で、少しだけだがイラストを描いていた。ほんの少しだし、やっぱり評価はなかった。でもそのジャンルで、初めて、褒められることがあった。初めてだった。そのおかげで私は一次創作が大好きになったし、今でも感謝している。だからイラストよりも他のことで満たされていた。とても幸せな日々だった。充実していたし、ここにいていいんだ、と思えた。
そのジャンルで、とても過激な人がいた。ビックリするほど過激だった。言いたい放題言いまくり、形容し難いがともかく人格に異常があるんじゃないか?ということが多々あり、私は彼女と険悪であった。というか私が一方的に嫌っていた。その人は要するに絵描きで他のジャンルでも活躍している方だった。
私がその方を嫌っているということが知れ渡った途端、数人が「ブログ主は、絵が描けないからね」「絵が描けないからって、嫉妬丸出しで恥ずかしい」と言っている、ということを、人づてに耳にした。その悪口を言っている人達は、普段、私と懇意にしている人達だった。
サーっと血の気が引いて、ガラガラと積み重なっていたものが崩れていった。どうやって辿り着いたか分からないが、病院に行き、過呼吸を起こし泣き崩れた。あまり覚えてないが、安定剤を投与され、しばらく横になっていたのはうっすら覚えている。
まだ言われるんだ。
いつまでも、イラストが下手だって、描けない人間なんだって、カテゴライズされるんだ。
気持ち悪いとか不快とか怒ったとか、そういうのは、あまりなかった。
カテゴライズされることは、子供だからとかそういうわけじゃなくて、大人になっても、こびりついてくるものなんだ。イラストを描ける、描けない。上手い、下手。こんなことで、人間を仕分けるんだ。ニコニコ笑って遊んでても、心のどこかで「こいつは絵が下手だから」こうやって思ってんだ。
ぶん殴られた気分だった。ゴルフクラブでフルスイングされたくらい、衝撃だった。結論から言うと、絵が描けなくなった。絵だけじゃない。創作物全般が、だめになった。絵描きさんが、怖くなった。
たまに見かける、絵師は絵師だけでしか交流しないという愚痴。私は愚痴すら出てこない。そういうもんだろ?ってもう決めつけてるから。技術を持った者同士が仲良くなるのは当然のことだし。ただ上記のことで分かったのは絵師同士でも裏側ではバチバチ険悪な場合があるってこと。あと、私の子供の頃みたいにコンプとリスペクトが混ざりあってごちゃごちゃになって結果絵柄やストーリーはてには日常生活までパクっちゃう人もいること。悪意があるにしろないにしろ、そういう人々も、結構いた。
なんで私が突然こんな自分語りを始めたかというと、おそらく5年振りくらいにペンタブに触ったからなんです。結論から言うと、楽しかった。ここ数ヶ月スケッチブックに絵を描いてたんだけど、やはりコンプレックスが強すぎて画像載せても消してしまってた。界隈にはイラスト激ウマ人間ゴロゴロいるし、比較されたくない一心だった。
余りデジタルは触ったことなく、ペンタブもホコリ被ってたけど、手探りでペンタブを弄ってたら、楽しかった。語彙力皆無で申し訳ないんだけど、楽しかったの。お腹も空かなかったくらい、熱中した。もちろん下手くそなので評価とかはない。でも楽しいし自分なりに上手く出来たんじゃな〜い?みたいな自己肯定感が生まれた。
お絵描きへのコンプレックスは消えることないと思う。でも、やっぱり私はお絵描きが好きなんだ。誰からも評価されないけど、私は私の絵が好きだ。下手だなって思うけど、自分なりに上手く描けたなってとき、それは宝物になるよ。ぜったいに。
自分はTwitterで創作活動をしていて、細々とではあるが作品を公開している。多少の反応は貰えて、いつもはそれで満足していた。
ただ、最近急に自分の作品に自信がなくなった。描きたいものも思いつかなくなって、なんとなくペンタブを触ることが減った。
そうすると、過去の作品も色褪せて見えてきた。自分の作品が全てダメなものに感じた。自分は焦った。
そわそわして落ち着かなくなって、自分は思わずマシュマロのリンクをTwitterに乗せてしまった。「どんなものでも嬉しいからお題や感想をくれ」と書いてしまった。
Twitterにはマシュマロやお題箱みたいなツールがある。そのアカウントに匿名でメッセージを送るツールだ。
呟いてから数分経って、急に恥ずかしくなった。自意識過剰ではあるが、「感想乞食かよ乙」と思われたかもしれないと思った。でも、もしかしたら誰かからメッセージが来るかもしれない、と少し消すのを待った。
しばらくしてメッセージが届いた。ちょっと浮き足立って開いてみると、「新婚」の2文字だった。
頭にはてなマークが浮かんで、すぐに「ああ、お題か」と気づいた。自分が描いていたキャラの中にカップルがいたから、その2人の結婚が見たい、というお題だろう。
メッセージはその1つだけだった。あとは来なかった。
自分は落ち込んだ。そして自分が落ち込んでいることが情けなかった。お題をかく気力もなかった。
「どんなものでも嬉しい」「お題や感想をくれ」と書きつつも、自分が求めていたのはただの褒め言葉だったのだと気づいた。自分のモチベーションが下がったから、他人に褒めてもらおうとしたのだ。
なんて愚かな行為だったのだろう。感想や褒め言葉が来ないのも当たり前だ。
「漫画をあげればいいねやRTをされるのだから、誰かしらは褒めてくれるだろう」だなんて軽率に思ってしまったのだ。