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はてなキーワード: ヒンシュクとは

2024-03-30

野菜の値段が変わりましたね

大根白菜が2.5倍くらいになってた。大根はまだ買える値段だったけど白菜はもうすっかり手が出ない価格で、今日の朝食べたのがラスト白菜だったのか…と噛み締める気持ちになった。


とか言うことを周りの人に言うと、野菜の値段とか一人暮らしあるある言うなってヒンシュク買っちゃう

2023-12-13

休職して、職場のこと想い出しながらゲロ吐いてるから自分の経緯でも話しながら頑張ってる奴らに、そんな頑張らなくていいぞって話しを淡々としていく

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お前らがやりたくねぇっつって放棄たこぼれた仕事、わざわざ拾い上げて、その分残業して、体ぶっつぶれるまで仕事して、休職したらしたで、あいつはゴミだとぬかしやがる。そんなこと抜かししながら、俺のケツ拭いたつもりで、簡単仕事して悦に浸ってやがる。

ふざけるんじゃねぇよ、お前らがおっぽり出したゴミみてぇな仕事山ほど抱えてたから、くたばったんだよ。寝ぼけたこと言ってんじゃねぇよ。そうやって人のせいにしながら生きてて楽しいかよ。自分のせいじゃない、あいつがやってないだけだ、あいつが悪い、そんなクソにもならない御託、よくもまあ並べられたよな。せいぜい偉い奴らにへつらって、尻尾でも振りちぎりながら生きていけよ、クソゴミどもが。自分じゃない誰かが死ぬ気でやった仕事の上をのうのうと歩きながら味のしねぇ飯でも食ってろ。うめぇうめぇって唸りながら、クソみたいな人生全うしやがれ。

綺麗なもんだけ見ながら生きていきやがれ。ヒイヒイ言いながら簡単仕事でもやってろ。そうやって誰かが懸命にやった仕事を、さも自分がやりましたって面でもしながら自分語りしてヒンシュクでも買ってろ。そうやって悦にでも浸ってろ。お前のクソみてぇな人生を、いい人生だったとかほざきながら、後悔もせずに老いぼれやがれ、バカどもが。

お前らがSNSにあげた下品笑顔、うっかり見ちまったかゲロっちまったじゃねぇか、クソが。人のこと踏みつけて、なんでもかんでも押し付けて、そのおかげでどうにかこうにか捻出できた時間と心の余裕で気持ち悪りぃ笑顔作ってんじゃねぇよ、見せつけてくんじゃねぇよ、お前らがやってる生産性向上ってのは、他人仕事押し付けることだけじゃねぇか。クソみてぇな面に、クソよりひでえ笑顔ぶら下げて、ご大そうな御宅並べてんじゃねぇよ。写真におさめてまで人様に見せていいレベルの面じゃねぇだろ。それ見て胸糞悪くて便所でゲーゲーいってるやつがいるってこと想像してみやがれ。たまったもんじゃねぇだろが。

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この現実は、俺だけの現実じゃない。これはお前らの現実だ。お前らが苦労して、クソみたいに、懸命に、人様を想って働いた先の結末が、これだ。俺が体験している現実が、お前らの未来だ。今俺が、お前らの未来を生きている。だから、お願いだ。もし今無理して、誰かのために、誰かのケツ拭くために働いているのであれば、頼むから休んでくれ。頼むから逃げてくれ。そんなに働かなくていいんだ。お前らはお前らの人生を生きていいんだ。お前ら自身のために、人生を生きていいんだ。

ああ、今日バカみたいに吐くんだろうな。吐瀉物のひでぇ匂いが鼻の奥まで充満するあの感覚はもうごめんだ。クソ、死ぬほど働いた結果がこれだ、やってられるか。

ここにいるやつらの中には、懸命に生きているやつがいるはずだ。そのはずだ。お前らは真面目だ。懸命に生きてる。誰かの仕事自分仕事だと想って、懸命に働いてる奴らがいるはずだ。お前らに幸あれ、ファッキンビッチだ、クソ野郎。お前らの未来が、幸せであることを祈っている。祈りながら吐いてる。俺のひでぇ、クソみたいな現実がお前らの未来に繋がらずにいるなら、あいつらみたいなクソ野郎どもに潰されないでいてくれるなら、俺はこのクソ溜めみたいな現実から、お前らの幸運を願っている。俺のために祈ってる。

じゃあな、達者で生きろよ、クソ野郎

俺はちょっと便所で吐いてくる。

2023-02-09

スペクターサウンドを256倍楽しむ方法

 日本では'76年に、フィレス・レーベル作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかCDボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者インタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証します。

 では、時代を追って解説していきます

テディー・ベアーズ

 1958年17才にして彼は”スター”でした。この後ポップス歴史を彩ることになるクリスタルズロネッツキャロル・キングバリーマンビーチ・ボーイズビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思いますポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージマーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサー仕事だ、という常識的意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点ヒッチコックを捉えるとおもしろ解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります黒沢さんもそうですね。)

 デビューアルバムTEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオバージョン>はナントリードボーカル女の子の声が左で、真ん中がフィルコーラスしかも、ところどころリードボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。

 デビューからしてこうなのですから自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。

SCHOOLもの

 のちにブラックミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリストギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分デビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]

 また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者キーワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラスバイクというスタイル流行しました。

 彼のでデビューソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生お気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至若者フィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事ことなのです。

ガレージサウンド

 ある程度、あるいはそれ以上の音楽素養がなければミュージシャン作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロック時代でした。子供技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽単純化拍車をかけました。ジャズ豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズ大人音楽で、背景はナイトクラブ女性お酒が似合いましたが、子供音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。

 麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角ストリート・コーナーが似合ったわけです。

 それにくらべて土地の広大な中西部西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本ロックサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽素養必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギターインストゥルメンタル>でした。これは、楽器感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズ単純化ロックとすれば、これはさらに、ロック単純化で、その極致であったわけです。

 これが<ガレージサウンド>の正体でしたが、この時代呼応するかのように、新しく生まれ現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージ居間などでの<ホームレコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモテープのような、ある意味では乱暴

チャートに登場するようになり、まさに音楽大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスバディ・ホリーデビュー曲地方の、オヤジさんが社長、オカミさん専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。

 それまでの録音は、演奏者と録音技師ガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホームレコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンド母体となるのです。

 スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時からスタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウルミュージックの追求というのは、スターありがちな<後付け>である、と私は考えています)。

 このホームレコーディングが、実は<スペクターサウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハルブレインドラム>、整理は<J・ニッチェアレンジ>、単純化は<L・レビンミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクターサウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。

インストマニア

 この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターギター少年でした。本名フィル・ハーヴェイとしてインストレコードも発表しています。また'58、'59年はインストロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンクレイ、そしてジョニーハリケーンズサント&ジョニーサンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムデビュー前の彼です)、そして極め付きはギターインスト王者、デュアン・エディーの登場でした。

 日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バットマン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇インストテーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージマーチン楽団の「リンゴテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャープロデューサーレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオ仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクターサウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。

 シルはこの時すでにスペクタープロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルナント「BE MY GIRL!」。

 スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。

 例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます

 シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッション見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナントベースドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベースドラムイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。

 エディーのスタジオは1トラックテープレコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンド秘密であった水道管やドラム缶をエコー使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいますスペクターが興味を持たなかったはずはありません。

 そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンド製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初評価された人なのです。

中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています

憧れのリーバー&ストラー

 その後シルは、スペクタープロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代代表的なコンビレノンマッカートニーとすれば、’50年代リーバー&ストラー時代で、ロックビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクター学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供プロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位確立したのがこの二人なのです。

 スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....

 ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクターサウンド>への引金になったと、私は思います。その手法プロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクターサウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルド出版社代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルドラマーゲイリーチェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。

 この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクターサウンドを作ったのはやはり彼なのです。

 この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクター時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。

 また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。

ガールグループ

 '60年代初めにシュレルズがキャロル・キングの名作<WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW

....きっかけに、ガール Permalink | 記事への反応(0) | 09:24

2022-08-23

顧客の前でリアルなチンポ図をホワイトボードに描きてぇ!

天使の絵とか描いてヒンシュク買ったばかりだけどさぁ…

2021-04-30

ボーダレスネーム広告業界描写微妙すぎて、あまりにもあまりにも

少年ジャンプ+で人気連載中(日間ランキングで1位取ってるし人気でいいよね)の「ボーダレスネーム」、かつてマンガ家の夢を捨てたアラサー女性が、再びマンガ家になる夢を見つけ歩み始めるというマンガです。

主人公女性現在仕事広告代理店アートディレクターAD)で、イケメンだけどぶっきらぼう上司や、物腰柔らかなマンガ編集者などに取り巻かれながら、仕事や将来の夢に向けて悩みながら、成長するという、この20年くらいの青年誌お仕事マンガフォーマットにある程度乗っかっていると言えるでしょう。(それがジャンプ+で連載されるというのは面白いです)

1話目を読んだときは、ああ、これで広告会社やめてマンガ家修行始めるんだろうな、で、編集二人三脚してるうちに恋が芽生えたり、イケメン上司からちょっかい受けたりしつつ、マンガ家として成長するんだろうなと思っていたんですが、あれ? 2話目で女性コピーライターが出てきたよ、しかもまだまだ広告会社の話が続くみたいだよとなって、僕は正直、困惑しています

というのは、広告会社描写がかなりおかしい。こんな広告会社はありえない(正確に言えば、なくはないがこの規模の会社だと考えられない)のに、広告会社お仕事マンガとして進んでいるので、やばいんです。このマンガ読んで、広告会社disられても困るし、逆に広告会社に入りたくなってもやばい描写おかしいのにちょくちょくお仕事専門用語解説が入る(そこはいちおう内容はあっている)ので、ものすごくもやもやする。というのを立て続けに見せられてるんです。

なので、2話までの中でのおかしポイントを列挙して、何にもやっと来るのかを指摘してこのもやもや業界がわからない人と共有したいと思いました。

 

1話: https://shonenjumpplus.com/episode/3269632237331072609

・P5 何人か指摘してますが、31歳で入社10年目って、この人何歳から働いてるんだろ? 総合代理店AD職で美術短大専門学校卒で働くとなると、主人公学生時代、相当優秀な方だったんでしょうね。賞でも取ってたんでしょうか。

・P8 34歳のイケメンCD(34歳でCDも相当若いですが、まあ優秀だったんでしょう。岸勇希みたいな人なのでしょうか)が、オリエンに連れていきます。まあ、クライアント名を出さずにつれていくのはいいでしょう。そういうやり方の人もいます。でも、そんな雑な今から時間あるでオリエン連れてくな。急に入ったオリエンなら、まずはお前ひとりで聞いてこい(いや、CD一人で行くのもちょっと違うが、それは後述) 広告会社ADなんて死ぬほど忙しいんだ。そんな今から連れてくみたいなやり方でスタッフィングされたら他案件との調整が地獄になるわ。あと、肩たたいて声かけるな、現実で今どき、それやったらパワハラ案件になるぞ。

・P9~12 この回、最大のツッコミどころ大手出版社看板雑誌の60周年広告を競合でなく指名発注しかも、担当者広報2人に若手編集1人。それありえる?? そのキャンペーン、ひいき目に見ても出版社も全社総がかりでやる規模の案件だぞ。編集長どころか担当役員が出てくる案件だぞ。少なくとも競合で6社は呼ばれて、納期バジェット提示されて年間キャンペーン総合プレゼンさせられる案件だぞ。この会社出版社ハウスエージェンシーかなんか? そして、何よりこの広告会社営業いないの? CDが一人で直接話を聞きに行くなんて、怖くてさせられないよ。せめて、一人CPクリエイティブプロデューサー、ざっくりいうと広告予算スケジュール管理をする人)くらい連れて来いよ。CDにそこまでさせたら、普通会社だったらパンクするぞ。出版社出版社だ。こんなでかい案件で、オリエンペーパーも作らないのか。予算いくらとかキャンペーンスケジュールがいつなのかとか、KPI、KGIとか広告で達成したいこととか、現状の雑誌のコンディションとか、ADが「どんな広告がいいですか」とかふわっとした質問をして、編集が「見た人に夢を与えられるものですかね」とかふわっと答えて、それでGOするなよ。主人公も苦手なオーダーだとか思ってるけど、誰だってそんなふわっとしたオーダー苦手だよ。そして、イケメンCD、こんなでかい案件、一人のADに丸投げするな。俺がCDだったら社内で3チームは立てるわ。まあ、社内競合とか文化がない会社なのかなと思ったら、2話目で社内競合かけられてるし、2話目の案件より、こっちのほうが規模ははるかにでかそうだぞ。

・P16 主人公他人案件勝手に引き取るな。せめて上長に手伝ってもいいですかと聞いて一緒にやれ。というか、上司が丁寧にディレクションしてるのに勝手に引き取るな。このモブの後輩もありがとうって面するな。ちなみにこの付箋を見ると、マーケ部云々書かれてるので、マーケいるの? というか、マーケ企画書CDが赤入れてるの? そんなことされたら、戦争はじまるぞ。

・P17 やっぱり社内競合ですらないし、営業もいない。続きを読むとこれ、プレゼン前日だよね。プレゼン前日の打合せに営業いないし、紙だけで社内打合せするな。誰もノートPCすら持ってないのか。それともこれは2019年ですらなくて、2012年くらいの話か?

・P46 途中の徹夜作業するところとかはまあいいけど、この人、ADメインの人だよね。コピーから企画から全部ひとりでやるのは、あまりにも抱えすぎじゃないか。それと上司、直前打合せで追加案なんて出したら、それこそメンバーからヒンシュク買うし、ADは心折れるぞ。そういうのは面倒見がいいとは言わない。ただ、こういうのをやってくる人、たまにいる。某佐々●宏とか。でも、逆に言うとそれくらいの人じゃないとそういうことはやらない。あんなふわっとしたアドバイスじゃなくて、ちゃんと前日打合せの場か、そのあとにADを呼び出して、ちゃんと伝える。その方針で1つ追加できないかと聞く。

・P49 やっぱり営業がいない。ほんとにいないでいいのか。この会社CD営業マーケもやるのか。というか、出版社サイドもそんな即決していいのか。60周年だよね。

・P66 「営業マーケティングなどいろいろな分野の人たちが案件ごとにチームを組んで広告制作を行います!!!??? この会社にもいるの? なんでプレゼン営業来ないの??

 

まあ、1000倍ひいき目に見て、必要ない登場人物は省略したとしよう。しかし、この省略はお仕事マンガとしてあり得ないレベルで省略してると言わざるを得ません。

ゲーム会社でいえば、バンナムスクエニ規模のゲーム会社プログラマー一人でゲーム企画案を作って、自分コーディングしてゲームを開発して、自分で納品してるみたいな感じ。

IT企業でいえば、基幹システムの開発を一人でスケジュールもなしに作ってる感じ。

それくらいの違和感があります

 

 

2話: https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496293826525

P3 これはいじわるかもしれないが、この編集さん、プレゼンのあとは作業から外れたのかな? まあ忙しいもんね。でも、せめてこういう感じ始めますってのは、広報から編集部に事前に共有されるよね。メールアドレス知ってたら、せめてその時点でメールするよね。まあ、忙しくて忘れてただけにしておこう。

P16 いくらなんでもこんなに面倒見が悪いトレーナーだったら外れもいいところ。というか、この会社、全体的に人を育てる感じがないよね。

P21 トレーナーになんで自分がこの人を見るのかの周辺事情ちゃんと伝えるのが会社というものです。そうじゃないとこうやって、自分を見放した上司と競合する仕事をしないといけなくなります。あと、今時、広告会社なんて(特にCR分野なんて)オタクだらけです。キラキラ女子みたいなほうがよっぽどレアです。だってアニメゲームマンガなどのコンテンツ重要情報源なんですからそもそもアニメゲームじゃなくてもオタクじゃないとCRの引き出しは枯渇します。

P23~24 ここがいちばん問題CRの打合せなんて100本ノック1000本ノックなんて当たり前。まして、この子コピーライターでしょ。コピー無限に書き続けるのが仕事みたいなもんだよ。一万歩ゆずってプレゼン前なので、そろそろ方向性を絞れって話なら、主人公が打合せ前にディレクションしないといけない。つまり、この子が怒られる筋合いは一ミリもない。

P32 上司、そこにいるなら、主人公相談にのってやれ。社内競合で負けたらお前の評価にも影響するんだよ。ほんと、この上司、何にもしねーな。主人公は早々に見切って、全スルーして上と直接話するようになったほうがいい。

 

2話目はこのコピーライターの子がとにかく不憫転職してきたばっかりでこんな目にあったら、俺だったらすぐに転職サイトを開く。

で、うすうす気づいたが、このマンガ広告会社って、主人公の成長のための舞台設定だけなんだよね。早くコピーライターの子と一緒に仕事辞めてマンガ家になれ。どうせそういう話にするつもりなんでしょ。で、ここまで書いて気づいたけど、この2話目の案件も社内競合なだけで、コンペじゃないんだよね。広告会社マンガで成長を描くためにコンペを使わないのって、相当奇妙なんだけど、そこに何か理由があるのだろうか。というか、社内競合のライバルをこんなに嫌な人に描写してるの、社内の摩擦がすごそうで嫌な会社だなあってなるんだけどいいのだろうか。

 

以上、広告業界関係者がとにかくイラっと来た部分を書きました。

2021-04-09

anond:20210409185737

何も言わんで黙っとるだけならヒンシュクも買わんやろ。

2020-09-23

anond:20200922202348

コレ、若ェ姉チャンがドヤ顔で『既存の枠にとらわれてない自社開発品ですっ!!』てやって、オマエらからヒンシュク浴びせられた中華製『物理的にその構造部分の設計は可笑しい(失笑)』の類似品じゃねーか?!

2020-09-21

anond:20200920182317

あ、まだ言及いただいてたんですね。何となくこの話は終わったつもりでいました。

一番動体撮影に向いていたのはキヤノン一眼レフと白レンズ(70-300mm f4〜5.6L)ですかね。屋外で撮る分には元増田に書いたとおりAPS-Cの方が有利だと思って使っていました。当時動体撮影に一番向いていると言われたCANON一眼レフは7D MarkⅡでしたが、自分の撮る動体のスピードでは秒10コマは要らないかと思い、EOS 80Dで撮り続けていました。

連写しまくって、正直打率はよくありませんでしたが、一番良いタイミングでピントを合わせてシャッターを切らない限りいくら連写能力が高いカメラでも良い写真は撮れないと思いました。

α6600もいちおう動体撮影重視の選択なんですよ。CANONEOS-Mシリーズに一時期手を出しましたが、良いのは小型軽量なのと手元のCANONレンズが使えることぐらいで、AF性能は噂に違わぬアホでした。(私が使っていたのはEOS-M3までなのでその後進化していたらごめんなさい。)

ソニーは瞳AFなどの性能に定評があったので、同じAPS-Cミラーレスならソニーにした方が良いかなと思ったわけです。一度E 70-350mm F4.5-6.3 G OSSレンタルしてスポーツ撮影に挑戦しましたが、動体追従性能は素晴らしかったです。構図がいまいちだったり水平が上手く取れていなかったりする写真があったのは自分責任ですが(^.^;

ソニーのフルサイズ機に白レンズを付けてバンバン動体を撮っている人を見るとカッコ良いとは思いますが、無理して重い機材を持って、結局モチベーションが落ちるのでは意味がないと思うのは間違ってますか?

まぁソニー場合フルサイズ機でも本体はさほど重くないと思うので、本体だけ買って、使用頻度の低い高級望遠レンズ必要ときだけレンタルすれば良いかも知れませんね。

写真を撮ることをメインにしている人と行動するならば、フルサイズ機と大型高性能レンズを使ってなんぼかも知れませんが、写真に興味のない人と一緒にツアー旅行したりするとあまりにも本格的な機材はかえってヒンシュクものだったりします。以前出張とき職場EOS Kissを持っていったら「カメラが本格的すぎる」とビビられて逆にびっくりしました。

「機材のせいにして無駄金を使うのはけしからん。どうせなら撮りたいものに合わせてベストな機材をそろえろ」と言うのは正論だと思いますが、増田さんがおっしゃってるのはやはり写真マニアカメラマニア理屈だと思います

今は「写真なんてスマホで撮れば良い」という人が世の中の多数派です。ガチで撮るとき用の機材と、周囲に圧迫感を与えない機材を分けるのもありかと思います

私はちょっと不精してα6600程度の小型軽量機でお気楽スナップから動きモノ写真まで全部撮れれば良いなと思ってしまったんです。

別に増田さんとケンカしたいわけじゃないし、同じ写真好き・カメラ好きでも何を重視するかは違うと思います

たぶんこのままああだこうだ言っていても話は平行線だと思いますが、やっぱり私は小型軽量というのも一つの重要な性能だと思うし、そういう人がある程度いるからα7cは開発されたのだと思いますよ。

2020-08-16

キャラクター造形の話

わかってて敢てやってるのか、ベタなのか知らないけど、

実在の童顔、萌え声巨乳の人と、《キャラクター造形》の話を混同して

「年相応に見えないという批判は《らしさ》の強制であり、それこそポリコレ的に問題あるんじゃないのww」

的なことを言う人がいるけど、

実在する人物は、制作サイドの意向(主にビジネスサイド)や、ターゲットオーディエンスの嗜好を反映して

童顔、萌え声巨乳になったワケじゃないぞ。


ついでに言うと、一般的映像コンテンツも含めて商品として流通するものは、

ピラミッドの真ん中らから下のボリューム層を狙って作られる。

それが、先日話題になった「ダサい服が作られ続ける理由」でしょ。

マーケットの真ん中から下に売れるから作ると…


そういう意味で、たびたび炎上する萌えキャラ絡みの案件って、

2000 年代以降多数派になったライトオタク層=オタクピラミッドの中層・下層

を狙った安易な(または打算的な)企画表現ヒンシュク買ってるんだと解釈すれば

ダサい服」と似てるのかもしれないね


追記

誰かをバカにしたいとかいう訳じゃなくて、お客さんの「底上げ」って大事だなぁという話。

中国アニメとかゲームとか見るとそう思うでしょ?お金があればいいってもんじゃないんだって

たまに凄いの出てくるけど、それはピラミッドの頂点の話だから次元

2019-02-08

[] #69-4「愚者自覚

≪ 前

ところ変わって某日、学内会議室

そこにはPTAの会員や、学校教員が一同に会していた。

「えー、皆さん、こんばんは。今回は新プログラム説明をさせていただくため、先生方にも全員集まってもらいました。ではPTA会長よろしくお願いします」

はい、うけたまっ。それでは皆さん、お手元の資料をご覧ください」

その資料表題には、妙ちきりんフォントで『新・イジメ対策プログラム』と書かれていた。

現代社会は流動的です。我々も高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変教育をしなければなりません。学校という小規模な社会においてもそれは同じであり、然るにこのイジメ問題も―――」

勿体つけた言い方をしているが、要は学校イジメ対策を強化しようというものだった。

数週間前、近隣の学校イジメ問題が各メディアで取り上げられたこともあり、彼らはピリついていたんだ。

そこで今回のプログラムを急いで作った、てところだろう。

だけど、そうやって作ったものちゃんと出来ているはずがない。

実際、資料に書かれた内容は、文章量の割には大雑把だった。

色々書かれていたけれど、要約するなら「イジメらしき行動には問答無用で介入して罪・即・罰」といった感じ。

プログラムというには、あまりにもお粗末なものだった。

「―――以上になります特に反対意見がなければ、このまま適用していただこうかと思いますが……何か質問はありますか?」

PTA会長はこう言っていたが、プログラム適用はこの時点でほぼ決まっていた。

イジメがよくない”という点では意見が一致しているので、下手な反論をしてもヒンシュクを買うだけだからだ。

「このプログラム……私は同意しかます

それでも、そのプログラムの内容に難色を示す人がいた。

3組のルビイ先生、俺のクラス担任だ。

「なぜでしょう。ルビイ先生

「やや過剰反応といいますか……イジメと言っていいのか分からない微妙ラインを、大人尺度判断するのは如何なものかと」

「何ですと?」

ルビイ先生は、生徒の自主性を重んじる教育方針だった。

生徒たちだけで解決することが可能ならば、生徒主体やらせるようにしている。

そうすることが子供の成長を促すと考えているからだ。

私たち必要以上に目くじら立てて、生徒たちの間に介入して問題化させる。それが果たしてベターなのかが疑問なんです。仮にやるとしても、現実問題として教師側の負担が大きすぎますし……」

だけど、ルビイ先生教育に対する姿勢を、職務怠慢だと感じている人も多くいた。

穏当に、あくまで一つの意見を述べたにも関わらず、周りの人たちから怒号の嵐。

「何を悠長なこと言っているんですか! イジメ問題は、早めに解決しなければ取り返しがつかないんです」

イジメ認知していなかった学校が、どれほどの責任を追及されるか」

PTAからはもちろん、大事になればメディア世間にも広がっていくんですよ。それだけイジメは深刻に見るべき問題なんです!」

もっと子供のことを、子供のことを考えて!」

あなたはそれでも教師ですか! 児童の上に立ってモノを教える仕事にをナメているんですか!」

周りから、責め立てるような“意見”の波が押し寄せる。

会議室という閉鎖された空間で、その波を一身に浴びてはひとたまりもない。

「い、いや、私はただ冷静に対応しようと言いたいのであって、イジメ容認しているわけでは……」

ルビイ先生はその大きな力に抗えるはずもなく、慌てて取り繕うのが精一杯だった。

「では、“満場一致で賛成”ということで。『新・イジメ対策プログラム』を、みなさん頭に叩き込みましょう」

ルビイ先生はただ黙って、他の職員に合わせて頷くしかなかった。

「はあ……」

『新・イジメ対策』に関する分厚い資料を目の前に、ルビイ先生人知れず溜め息を吐いた。


…………

場面は戻り、俺たちのクラス

裏で起きていることなんて知る由もない俺たちは、未だブリー君との距離を測りかねていた。

最初の内は頑張って仲良くなろうとする奴もいたけど、数十秒ほど会話をするとすぐに諦めてしまう。

そんな感じで、一週間経ってもブリー君は孤立している状況だった。

ミニケーションをとれる余裕も、俺たちにはもはや残っていない。

ちょっと可哀想だけど、当然の結果よ。あんな子と上手くやっていくなんて無理だわ」

タオナケはすっかりブリー君のことを嫌ってしまったようで、遠巻きに見ながら毒づく。

「う、うん、別に悪い子じゃないんだけど……話すと、すごく疲れるんだよね。め、免疫細胞ガリガリと削られていく感じ」

それに対し、ドッペルは控えめな表現をしているが、ところどころにトゲを感じる。

「まあ、大きなトラブルが起きないだけマシ……か」

俺もこの状況を妥協するようになっていた。

ブリー君の今の立ち位置問題なんてなくて、そこから無理に動かす道理もないんだ、と。

だけど、この時の俺たちは忘れていた。

ブリー君に気をとられすぎて、気づいていなかったんだ。

ブリー君と接触していないクラスメートが、まだ一人だけいたことを。

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2017-05-09

◯回しか

ライブ舞台映画を観に行くのが好きだ。でも楽しかった余韻に浸ってネット感想を探していると「私は◯回しか観ていないのですが」みたいな文にちょくちょく出くわす。

そして凹む。

自分よりも多い回数を「しか」って表現されると立場がない。1回しか参加してなくても嬉々として感想を書き連ねていた私、もしかしてヒンシュクを買っていたのか。

同じもの複数回観ることは私にもある。理由は様々。おもしろくて買い足したり、友人がチケットを譲ってくれたり、前売り特典が複数あったり。売れ行きが不調のようなのでお情けで買い足す、という作品評価に直接関係のない複数回もある。

このところ趣味全般において回数や課金でぶん殴る文化が浸透しすぎてて、それが前提の言い回しが多いように感じられる。

お金を払う=敬意を払う。評価手段としては最高だと理解してはいものの、それをうまく飲み込めない自分がいる。何十回も観に行ける経済的余裕がなくて僻んでいるだけとも言える。

2015-10-28

障がい者でも許されないことがある

電車での出来事だが、同じ車両聾唖者のグループが乗っていた。

それ自体普通のことだけれど、電車マナーがなっていない。

手話で会話を始めたのだが、それが隣同士の席での「手話」であったら気にしなかった。

しかし彼らは離れた席の人と「手話」で会話を始めた。

同じことを健常者がしたらどうだろう。

それなりに大きな声での会話になってヒンシュクを買うことになる。

それは聾唖者であっても同じではないだろうか。

障がい者であっても、健常者と同じマナーは守るべきだ。

このような「障がい者から許される」と勘違いした人がいるために、障がい者全体が変な目でみられるとしたら悲しいことだ。

2015-02-10

自分の才能の評価人間としての評価と思ってしま

元々自分は物凄く自信の無いタイプで、自己評価が低いせいか俺は他人に話しかける資格は無く、一人で生きていかなければならないとつい思ってしまう。

一方で自分で言うのもなんだが、ある特定ジャンルに関しては他人より秀でている。つい他人より上手くできてしまい、人から尊敬される一方嫉妬される対象になりやすい。

しかしそのせいかその才能の評価自分人間としての評価勘違いしてしまい、元々自己評価の低い自分反動で出来ない他人を物凄く見下してしまう。

そのせいで人からヒンシュクを買い、うまく人とコミュニケーション出来なくなってしまった。

しかも、人からバカにされて拒絶されても「俺には才能があるから」とその性格を直さずにそのままにしておいてしまった。

今その習慣を物凄く後悔している。自分の才能を世の中で生かしていくには結局人とうまくコミュニケーションをとらなければ売り出していけないからだ。

そんなに才能がなくても、コミュ力自分を売り出して成功している他人を見て凄く嫉妬する。

「俺の方が才能があるのに」と。

違う、評価を下すのは自分以外の人間であり、その入口はコミュ力だ。

人とうまく繋がり才能を売り出してこそ世間評価してくれる。

才能は人間性とは別物。才能は人間性とは別物。

2013-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20130725221402

普通はいかないよ。会社飲み会であんなとこ行ったらヒンシュクどころの騒ぎじゃない。

行くのは金のない学生と底辺労働者だけだろう。

2012-04-12

期待とは裏腹の信用ならない人間

長文でまとまりのない文章ですがご了承ください。


最近、友人の中で「方々に言っている事が異なる」という事でヒンシュクを買った人(友人A)がいる。

その件について私は別の友人(友人B)と語っていたのである

会話の途中、会話の流れが変わって私自身の悩みや愚痴などの会話になった際に

わず友人Bからこうツッコまれたのである

「君のその考え方ってAさんと同じじゃない?」


私は唖然としてしまった。

と同時に心の中で「言われてみればそうかもしれない、いや確かにそうだ」と納得してしまったのである

友人Bとの会話が終わり1人になった時、改めて反省してみた。


まずはじめに、私は友人Aの事は好きである。そして友人Bの事も好きである

他の友人ら(A・Bとも交流はある)も好きである

ちなみにこの友人らは各自年齢も性別もまばらで、1つの共通の趣味で知り合った仲。

表向きは私が「このグループの中のまとめ役(パイプ役)」として見られている節があり、

新しいメンバーを迎え入れた際に世話をしたり違うグループとの交流を紡ぐのも私の役目である

それぞれの友人に「良い部分」も「悪い部分」もある。

そんな繋がりの中、ある友人の「悪い部分」について別の友人とお互いに語り合う事が多々ある。

"悪口"とかで盛り上がるのではなく、あくまで愚痴や悩み相談といった感じだ。

例えば私は普段、友人Cと親しくしていてその友人Cと「友人Bの悪い部分」について語り合う事がある。

友人Cは、友人Bの事は嫌いとまではいかないが「悪い部分が苦手」という感じだ。

それは私も理解しているし、その事で友人Cと同調する。

しかしそんな友人Cにも「悪い部分」の一面はある。

私は今度は、友人Dに対して友人Cの悪い部分についての相談をしたりちょっとした愚痴を吐いたりする。

友人Dも同じく、友人Cの事を嫌いではないが苦手な一面はあるとのこと。

そして冒頭で書いたように、私は友人Aとも親しくしているのに

友人Bに対し友人Aの悪い部分について語り合ったのである

(実際にはこの4人だけじゃなく、全員で8~10人程。もちろん全員お互いに交流はある仲)

友人同士、みんながお互いに良い部分と悪い部分があるのは少なからず分かっていて、

表面上はそれを許容した上で付き合っている。その上、みんな何かしら別の友人の悪い部分で話題にする事はある。

しかし私の悪い所は、結果的に友人同士の中で一番そういう事をしてしまっているのだ。

各友人とも、「誰かの悪い部分について」を語る事は1つはあるのだが、

「この人の事だけは絶対に1つも悪く言わない」というのが必ずある。

一方私にはそれがなく、結果的には友人ほぼ全員の悪い部分について、

誰かに語ってしまっているのだ。

問題なのは本人に面と向かって「そこが君の悪い部分だよ」とこちらからはハッキリと指摘はできない。

会話の中で本人が自身の悪い部分について肯定した際は、私も「確かにあなたにはそういう部分あるね」と言える程度。

まりは裏で陰口を叩いているのといっしょなのである


ただしフォローするならば、悪い部分のことで話す上でも「私はその人(該当者)の事は好きだし親しい」という前提を伝えているし、

良い部分について話す事もある。

そして一番気をつけている事は、「○○さんはあなたの事をこんな風に悪く言ってたよ」というのは絶対に絶対に言わないようにしている。

それだけは口を滑らせてはいけない。

むしろ、「○○さんはあなたの事を嫌ってはいないよ」と言う事の方が多い。

別にそれは嘘ではない。

裏で別の友人の悪い部分について語るという事は、

例えばCさんと二人で会話している際にDさんの話題になった際、

Cさんが「俺はDのああいう部分は好きじゃないんだよね」と言ってきたら、

私は同調して「それわかる。確かにDさんにはそういう部分あるよね・・・。悪い人じゃないし良い所もあるけどそういう一面は私も苦手かな」と返し、

それに関したエピソードを話してみたり、悩んだりする。

また、私の方から率先してBさんに「私はCさんの事は好きだけれど○○な部分が少し苦手かな」という風に切り出す事もある。

しかしたら、「私の悪い部分について」も

他の友人同士で語ってる事はあるかもしれない。

いや、きっと1度くらいはあることでしょう。

私自身は少しは気をつけている面もあるし、

ある友人はある友人の悪い部分を少なからず言っているのに、

その中でも結果的に一番私が友人全員の悪い部分を誰かに語ってしまっているという事に気がついたのだ。

友人らの中では私が一番多く、それぞれ各自と様々な話を深くしている。

それは自負している。そのおかげで、どの友人も私と二人で喋る際は何でも話してくれるし、

悩みや隠し事もいろいろ話してくれるようになった。

けれど、友人それぞれが一番私を慕って信頼してくれているのに、

私はある友人の悪い部分を他の友人に打ち明けたり・・・と、

もしもそれが各自に知れたらみんなを裏切る事になるのだろうなと思った。

私としては、心の底から嫌いな友人など1人もいない。

叶うならば、各友人同士全員が私と親しい程に親しい間柄になってもらいたい。

しかしどの友人にも悪い一面があり、その悪い部分が原因で、

他の友人らが萎縮したり会話を自粛したり元気が無くなったりすることが多々ある。

そんな時は私自身までもが萎縮して無口になってしまう。

それを見かねて、その萎縮してしまった友人に対して後でこっそり慰めに行く。

その慰めの材料が、その友人を萎縮させた相手の悪い部分についてという事だ。

なんて情けない事でしょう。

本来ならば、みんなで会話をしていて該当者の悪い部分が出た際に

その時に直接該当者に率先して注意してあげないといけない。

それができない。恐れてしまっている。

どの友人にも嫌われたくないから、悲しまれたくないから、逆ギレされたりしたくないからと・・・。

他の理由には、表向きは私がグループ繋ぎ役でも、実際の年齢や立場が周りに比べ高くないからという事もある。

結果的にある友人が嫌な思いをした引き金となった張本人にはその時に直接言えず、あとで被害を受けた友人とその件で相談しあったり

愚痴をこぼしたり、慰めたりして、友人らの仲を取り持っている。

そんな訳で交流のあるグループはなんとか存続している。

もちろん、今までに「悪い部分」が強く出過ぎて庇いようもなく抜けていったメンバーも何人かはいる。

そういうメンバーに限ってだけは、全員一致で「嫌い」だしもう交流もない。

しかし残ったメンバー同士でも、各々に少なからず好き嫌いや性格があり、

各自の意見を尊重しつつ、メンバーの組み合わせを考慮して交流の場を提供しようと心がけるが、

みんなが集う時間は共通していて、かつ有限なので「今日はこのメンバーの組み合わせだけ」というわけにはいかず、

必ず一斉に集う時間帯があるのである

そして各自と長時間深く会話をする機会はそれが終わった後で、日によるが1人程度は長く残る時があるので

その機会を狙っている。

人が増えれば増えるほど本当に難しい。

また、特定の友人の「悪い部分」というのがみんなに共通していないというのも悩みどころ。

ある人にとっては、該当者のその部分は何とも思わぬが、ある人にとっては苦手な部分。

そのように人によって該当者の苦手部分が異なる。

からこそ、「誰が見ても悪い」と断定できるものではなく、たまたま相性の合わない部分が少しあるだけ。

そして苦手意識が好意を上回らないからこそ、完全に縁を切る事もない。

にも関わらず、時として誰かの「悪い部分」が原因で誰かが萎縮したり元気が無くなる事もある。

私が一番、各メンバーが誰のどこを苦手かという事を把握している。

しかしそれを活かし切れていない。仲間意識を強めるための材料になる程度でしかない。

私自身が誰に対しても物事をハッキリと言える性格ならば、

「優れたまとめ役」と言えるのでしょうが

今のままでは、ただ単純にあっちにいい顔こっちにいい顔をしているだけの、

最も「信用ならない人間であるという事に気づいたのだ。

ただその事がバレてないだけで・・・

本当は、萎縮した友人ら以上に私自身が一番気にしているのかもしれない。

好きだといっても、私が一番友人らの全てを受け入れていないのかもしれない。

多数で集う際は、誰1人として萎縮せずにみんなに笑って楽しんでほしい。

各自のプライベートが原因で元気がない時は上手くフォローもできるけど、

集った先の会話(誰かの悪い部分)が原因で萎縮されるのは耐えられない。

やはり私の弱い心と、ハッキリ物を言えぬ性格が原因なのだろう。

2011-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20110910214608

くそのとおりで

仮に鉢呂大臣エンガチョ的な発言をしたとしてもヒンシュクぐらいで済ますべきこと。


こういうことで内閣の足引っ張るような低レベル報道には

民主党不支持の有権者すらも反対していかないといけない。


民主支持の有権者はもちろん憤慨していいけど

自民時代に自分が同じような報道で喜んだり内閣を批判したりしていなかったか顧みて今後に生かして欲しい。

2010-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20100222201702

難しいなぁ・・・

昔、テーラーで、オレはゼニアのYシャツ10枚も買っちまったぜ、ゲハハハハハみたいな感じで、ブランド名と数字の桁しか言えなくて、ヒンシュク買ってたオッチャン見たことあるからなぁ。

金銭的成功が必ずしも、成功かというと、成功だと思ってるのは本人だけって例もあるからなぁ。

それこそ、0の桁を気そうなら、銀シャリならぬ金シャリ(金粉まぶしのコメ)でも食ってるのが幸せなんだろうしなぁ。

 

金で幸せは買えないが、それに横付できるボートは買える。って言った人がいるらしいが・・・お前の腕がなければ島に付く前に転覆することもあるよね的な。

 

あぁ、長くなった。端的に言えば、苦労することで知ることもあるから、まぁ、それはそれでインじゃね?

長い人生、あんまり、効率的に夢を叶えすぎると、そのうち、見る夢が、0の桁を増やすぐらいしかなくなっちゃうぜ。

ゆっくり噛みしめて行くぐらいで、実は丁度いいよ。

 
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