はてなキーワード: ゲストハウスとは
何のスキルもない状態でしたが熱量だけは買ってもらえ、マレーシアのメディア業界で急速に成長しているM-townという企業で営業に携われることになりました。
こうして、マレーシアで飛び込み営業の毎日が始まったのですが、1ヶ月経っても契約は獲得できませんでした。しかし、事業主に中華系の割合が多いことに気が付き、中国語を勉強してみることに。これが功を奏して、初めて中華系レストランチェーンから契約を獲得することが出来ました。
この経験から、マレーシアで事業を作る為には中国語が必須だ、という気付きを得て、1ヶ月後には北京にいました。現地大学の短期コースに参加し、4ヶ月間中国語を学んだ後「これでマレーシアで勝負できる」そんな自信を片手にマレーシアに戻りました。
転機が訪れたのは、それから2ヶ月ほど経った頃です。マレーシアでどんな事業を興すべきか考えた末、賃貸仲介に関する事業に決めたのですが、何から始めれば良いのか分かりませんでした。そこで、片端から話して周れば誰かが助けてくれるだろう、という安易な結論に至り、その通りに動くことにしました。
しかし、ビジョンが大きいだけでビジネスモデルはめちゃくちゃ、白い目で見られることばかりでした。そんな中、横山さんは「すぐにやろう」と言って支援してくださり、気付けばマレーシアに自分の会社ができていました。あの時、何もない私の背中を押してくれた横山さんには頭があがりません。
会社が立ち上がった頃は、マレーシアの賃貸問題を解決できればこんな大きな事業になる、ついに起業家としての人生が始める、と期待に胸を膨らませていました。
物件集めから始めるも、事業経験も人脈もない19歳を相手にしてくれる不動産企業はマレーシア中探しても見つからず。それでも連絡し続けた結果、気の良い中華系マレー人が条件付きで提携してくれることになり、事業がスタート。しかし、契約数が増えるにつれて、オンライン完結のサポートは難しく、スケールの展望は見えませんでした。最終的には、コミッション支払いの期日、提携していたエージェントの連絡が途絶え、消息不明になる始末でした。
会社を立ち上げてからの5ヶ月間、一人で走り続けて残ったものは、挫折感と口座残高が家賃3ヶ月分(約13万円)だけでした。
当初描いた事業を作れる道筋は一向に立たず、それでもどうにか現状を突破しなければと必死で、常にイライラしている嫌なヤツだったと思います。この頃、カフェで横山さんと会う度に、何も良い報告が出来ない自分が情けなく、このままでは失望されるんじゃないかと不安でたまりませんでした。
そんな人脈も資金もない時に見つけた唯一の活路が、クラウドファンディングでした。賃貸契約を根本から変えるシステムの構築は難しくても、入り口となる場所が世界中にあれば外国人の住居探し問題は解決出来るのではないか。そう考え、1つ目のゲストハウスを作る為にクラウドファンディングの挑戦を決めました。
関連記事を読み漁り、成功した類似プロジェクトの共通項を洗い出し、事業計画を練り、物件を探し、プロジェクトページの作成からPRまで。残された時間はあとわずかでした。一緒に奮闘してくれた当時の相方には本当に感謝しています。
結果、幸いなことに178万円以上の支援をいただき、クアラルンプールの中心地にゲストハウスPotHubを作ることが出来ました。世界中で使われる事業を作る、という夢に近付いていると初めて実感した瞬間でした。
ゲストハウスには様々なゲストが行き来し、東南アジアのノマドコミュニティーやゲストハウスのネットワークが広がっていきました。その後、2軒目もオープンし、事業は順調に進んでいる様に見えました。
しかし、実際はゲストハウス2軒の運営だけで手いっぱいとなり、思い通りに事業をスケール出来ていないことに葛藤していました。目の前の自分を見つめて「こんな小さな事業を作る為にマレーシアに来たのか」そう悶々とする日々が続きました。
ヤリたいのかヤリたくねえのかどっちだよ?
それに沿った、今までのゲストハウスじゃ有り得ない、個室で客層を選ぶ運営に(一次的にでも)してみたら?もちろん「お客様の安全・安心を第一に考えました!」て体裁にして。
地方でゲストハウスといういわゆる素泊まりの安宿を経営している。
今年で3年目でまだまだこれからという状況だ。
日本人の休みのとり方上仕方がないのだが、年間の利益の半分をGWと夏休み期間に依存している。
そしていま旅行業界が熱望していると言われているGoToTravelキャンペーンに戦々恐々としている。
まずメリットがないどころかデメリットのほうが多そうだと予想される。
ホテルと客層が重ならないように価格帯や宿泊形式で差別化してきたわけだが、1泊2食付き1万円の宿にGoToTravelキャンペーンが適用されると客層がかぶってしまいキャンセルが発生したり予約が入らなかったりする気がしている。
それでも業界に活気が戻ればと思ったいたのだが、我々の宿、もしくは他のゲストハウスから新型コロナ感染者が出た場合のリスクが高すぎる。
ゲストハウスは相部屋が基本、かつ一人あたりの利益がかなり低いので高稼働でないともたない。
相部屋を休止するなどできる対策はすべてやっているが今の首都圏の状況からすると心配しかない。
まあ国のキャンペーンなので有事のときは国が責任をとってくれるだろと思っていたが、どうもそうではないらしい。
「Go Toキャンペーン」旅行者と事業者 感染防止策を 西村大臣 | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200712/k10012511091000.html
望んでいないキャンペーン、かつリスクはある状況で、夏休みの予約はすでにある程度受けていて休業もできない。
キャンペーンを首都圏で感染者が落ち着いてからにするか、せめて夏以降にしていただくか、何かあったときは国が責任を取る旨、確約していただけないだろうか。
我々ゲストハウスは小さいが、業界における地域の役割は小さくないと感じている。
宿泊以外の飲食やアクティビティにおいてはサービス外なので旅行者は外でお金を落とすこととなるからでヨーロッパや東南アジアでは安宿が街を作ると言われている。
京都で100軒以上廃業したと聞いている。地域のためにもこれ以上ゲストハウス業界に負の影響がないようにしてほしい。
末端の安宿の現場事情まで官僚や大臣が知る由もないのは承知の上でのお願いだ。
追記:現在予約が入ってる隣県からのお客さんのキャンセルと感染リスクのある状態での首都圏からの来客を懸念しています。わかりにくくてすみません。
38.5度の熱が1週間続いて、強いだるさや息苦しさがあるテイで、LINE相談してみました。
ご協力頂きましてありがとうございました。頂いた回答によると、現在あなたは、新型コロナウイルス関連の症状である“風邪の症状や37.5℃以上の発熱(解熱剤を飲み続けなければいけない時を含みます)”が4日以上続いている(高齢者や基礎疾患等のある方、過去2週間以内に海外渡航歴がある方は2日以上)あるいは“強いだるさ(倦怠感)や息苦しさ(呼吸困難)がある”状態です。
なお、症状が軽い場合でも周囲に感染を拡大させている可能性がありますので、軽度の風邪症状であっても外出を控えていただくことが望ましいと考えられます。
また、人が集まる風通しの悪い場所を避けることが重要です。具体的には「ライブハウス」「スポーツジム」「屋形船」「ビュッフェスタイルの会食」「雀荘」「スキーのゲストハウス」「密閉された仮設テント」などになります。
今後も状況の変化に基づいて、皆様の状況に合わせた情報を提供させて頂きます。
受診が必要かどうかについて、まず「新型コロナ受診相談窓口(帰国者・接触者電話相談センター)」に相談して下さい。必要のない状態にも関わらず受診してしまうと、あなたがコロナウィルスでなかった場合にかえって感染する可能性があります。
あなたのお住まいの地域の「新型コロナ受診相談窓口(帰国者・接触者電話相談センター)」の連絡先は○○です。
「いいえ」
ご協力ありがとうございました。
日本にしちゃ珍しく致死率高めで感染率も高いってちゃんと言ったからな
発熱や呼吸器症状が1週間前後つづくことが多く、強いだるさ(倦怠感)を訴える方が多くなっています。季節性インフルエンザよりも入院期間が長くなる事例が報告されています。
罹患しても軽症であったり、治癒する例も多いとされています。一方、重症度は、致死率がきわめて高い感染症(エボラ出血熱等)ほどではないものの、季節性インフルエンザと比べて高いリスクがあります。
https://www.mhlw.go.jp/index.html
<感染経路の特徴>
◆これまでに国内で感染が明らかになった方のうちの8割の方は、他の人に 感染させていません。
◆一方、スポーツジム、屋形船、ビュッフェスタイルの会食、雀荘、スキーの ゲストハウス、密閉された仮設テントなどでは、一人の感染者が複数に感染 させた事例が報告されています。
逆張りする自称専門家のおかげでノーガード戦法を実践する若者が生まれ流通や役場を混乱に陥れて
感染率に年齢差は無いが正解
「換気が悪く、密集する空間、不特定多数の人が接触する場所」の厚労省発表の例:
・スポーツジムや屋形船
・ビュッフェスタイルの会食
・雀荘
・スキーのゲストハウス
・密閉された仮設テント
「満員電車」って絶対言わないけど、罰ゲームでもあるの?
ヴォルデモート?https://t.co/LurMURAXOL— ひろゆき, Hiroyuki Nishimura (@hiroyuki_ni) March 1, 2020
疑問にとどめる書き方。
もし満員電車が含まれない正当な理由があったら誰かが教えてくれるかもしれない。
皮肉にも納得にも受け取れるような書き方。
もし満員電車が含まれない正当な理由があってもリカバリーできる。
否定にまで踏み込んだ書き方。
もし満員電車が含まれない正当な理由があっても謝れば済むレベル。
もし満員電車が含まれない正当な理由があったら自分がバカにされる。
ここからは、もし何かの間違いで沖縄の那覇に無一文で放り投げ出された時、人はどうやって生きていくのか、その方法を指南していこうと思う。
まず、寝床の確保だ。寝袋とか、テントとかそんなもんもちろん持って来ちゃいない。我々が今から行うのは“攻め”の野宿である。主戦場は主に公園である。
3月の那覇は夜でも14℃くらいで、半袖一枚でも余裕で暮らせると思うが、大きな間違いである。風による気温低下を計測できていない。
ざっとの計算だが、公園といった何も障害物がないところだと、その温度差はなんと-10℃にもなる。これを頭に叩き込んでおいてください。
さて、もう野外で寝るのが無理だと思ったみなさん。ご安心ください。逃げ道を用意しております。沖縄はゲストハウスが発達しているので、初回が何と400円で泊まれるところが二カ所があります。「CamCam沖縄」と「ゲストハウスけらま」です。
特に前者は刺青だらけで、七色の髪の毛、おまけに拳大のピアスを開けているスタッフがいるのでおすすめです。
(場外から400円もないぞ!の激しいヤジが飛び交う)
失礼いたしました。無一文でしたね。それでは、あなたが次に向かうべきは国際通りにあるドン・キホーテです。なんとここには各階にベンチがあり、24時間開放されています。
国際通りにはドンキーの黄色いレジ袋が乱舞していますので、それにゴミを入れて買い物客風を装えば、座っている分には特に声かけをされません。
(いい加減にしろ!俺たちは横になりたいんだ!の怒声が飛び交う)
なるほど、ではそんなあなたが選択すべきは「マクドナルド ひめゆり通り店」一択です。入り口が二カ所あり、中央口の方は21時に施錠されますので、レジの前を通りたくないよという方はこちらからどうぞ。
ここのマクドナルド、とにかくすごいのです。最近、マクドナルドもコンセントのある席が増えてきましたが、よくあるタイプは背もたれもなく早く帰れといわんばかりの意地悪タイプのものばかりです。
というか、僕の見てきた限りこのタイプしかありません。しかし、ここのマクドナルドは違います!なんと6人がけの広々ソファタイプのところに付いているのです!しかも、国道沿いで夜の訪問客も多く、夜の見回りも比較的少ないです。これは沖縄だからこそ言えることなのですが、本土と比べある種のゆるさがチェーン店・個人店を問わず存在しています。ここは勇気を出してふかふかのソファに寝転びましょう!(待て、100円マックでも頼まないと店員に何か言われるのではないかとの声が上がる)Fuck You ぶち殺すぞ‥‥‥ゴミめら‥‥‥そんなもの、ゴミ箱の中でも漁って手に入れればいいではないか?世間の目が気になる?バカがっ‥‥‥お前らには見えんのか?まさに今地獄の釜の蓋が開けられようとしているところを‥‥
閑話休題、では公園での野宿の実践法をお教えいたしましょう。僕の人生観ですが、人を判別する点はたった一つです。「あなたは野宿をしたことがありますか?」
本当にこれだけ。僕は野宿をしたことのある人しか信用しません。地位も名誉も金持ちも関係ありません。それぐらい僕にとっては重要な事項なのです。さて、初心者のために大きく四点に分けてお伝えしていきたいと思います。
①人の往来はどうか
まず、我々が一番気にすべきなのは人の視線です。よく街中で堂々とダンボールを広げて寝ておられる方々がいらっしゃいますが、あの人たちは仙人なのでお間違いなく。あそこに行かれるまで、彼らは多くの喜怒哀楽を脱ぎ捨てておられます。では、全く人の来ないところではどうか?ここはここで犯罪に巻き込まれたとき丸腰になるしかありません。夜でも住宅地にほど近く、コンビニが見えるくらいの場所がベストでしょう。
②水回りはどうか
公衆トイレのあるかなしかは重要なポイントの一つです。障害者用トイレで朝まで過ごせるじゃん!と思われるでしょうが、残念ながら夜間はロックされていることが多いです。もしもの腹痛に備えて行動範囲の中に確保しておくようにしましょう。
③虫が多いかどうか
我々にとって一番の大敵は蚊、ぶよといった類です。こやつらは、我々が寝ているのをいいことに恐ろしいくらい刺してきます。彼らにとって我々はストⅡのボーナスステージの車みたいなものですから、しょうがないの一言に尽きるのですが。当然、池や湖の周りには多い傾向があるので避けた方がよろしいでしょう。時々、蚊のいなくなるスプレーを発射して対策した気になる方がいますが間違いです。あれは壁や天井に付着した液体に蚊が触れることにより、殺傷するものです。屋外では意味をなしません。もし、余裕があるかたは塗るタイプの虫よけスプレーがあるのでそれをうまく利用しましょう。
④いい感じのベンチはあるか
これが一番の要といっても過言ではないかもしれません。最近みなさんも感じておられると思いますが、多くのベンチに柵が付いています。当然、我々が横になることを防止するためですが、これではお母さんが赤ちゃんのおしめを変えることもできません。何という皮肉でありましょう。ここで、我々の活動を紹介しておきましょう。ホームセンターで六角レンチを買い求め、柵を外すことを目的にしております。素人には難しいと思われるでしょうが、女性会員もおりますので、きっとあなたにもできるはずです。名を「ベンチを平らに!市民連合」略して「ベ平連」と言います。よろしければご参加のほどを。そんな中でも我々が狙うべきは健康器具が置いてある公園となる。腹筋を鍛えるためのベンチは柵がなく、ある程度のゆとりがあるものが多いので活用していきましょう!
次回は、実際に①~④を考慮した上での狙い目公園と、どう腹を満たしていくかについて考察していこうと思います。
乞うご期待!
今例の中国の新型コロナウイルスの件で日本もどったらって言ってるじゃない。
それ警戒してたのかな?って今気付いたわ。
その時は変な質問する人ね!って思ったけど、
中国のお友だちのネイティブ満ちゃんと一緒にお買いものなんかしてると、
私も中国語しゃべれるかと思われて、
というか、
ドラッグストアーに中国語話せる人配備してるのいまじゃ常識らしく、
そう言ういきさつで
もしかしたらそう思われてたのかも知れないわね。
日本でもなんか感染るだか感染ってないだかってニュース出てるけど
元気があれば!だけじゃ乗り切れないのかしら?
サーズのときは知らない間に静まった感じだったけど、
今回みたいに緊迫した感じがなかったように思うわ。
あんな大きくニュースになってたっけ?ってサーズのことよく思い出せないわ。
そいでさ、
これが重なってしまって、
そっちの面では事務所ピリ付いてるわよ。
お財布を忘れないように買い物には出かけたいと思うわ!
ってそれがいけないのよねそれが!
てへ!
素敵な四重奏だわ。
いい加減使い切りたいのよね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
バスが止まると、乗客たちは押し黙ったまま次々と降りて行く。車窓から見える煤けた家々の影に吸い込まれて行く彼らを眺めていると、いつの間にかバスの中には僕と運転手だけがとり残されていた。分かるはずもないポルトガル語でなにかを伝えようとする運転手の表情を見て、ようやくここが終点のモシンボアダプライアだということに気付いた。
モザンビーク共和国の最北部、タンザニアとの国境に最も近い街、モシンボアダプライア。ナンプーラからミニバスに揺られること10時間、日も傾き始めた午後4時頃、やっとのことで到着した。
21世紀になった今でもまだ未開の森が残っているというモザンビーク北部。小さな村と村を辛うじて繋ぐ細い道路は言うまでもなく未舗装で、その上を走るトヨタハイエースのミニバスは、重ねて言うまでもなくオフロード向きの車ではない。乗車定員をまるで無視したぎゅうぎゅう詰めの車内で、膝の上に拷問器具さながらの重たいバックパックを載せて、しかも悪路を走る振動に耐えながらの10時間は、気の遠くなるような長い時間だった。
あわてて荷物を引っ張って外に出ると、空になったバスはそそくさと何処かへ行ってしまった。降り立った場所はバスターミナルなんて大層なものではなく、石造りの家々が建ち並ぶ小さな村の一角にポツンと広がった、ただの砂地の広場だった。広場の端に植えられたヤシの木の陰には何人かの女性や老人が座っていて、サトウキビをバリボリ齧りながらこちらをじっと見ている。ああ、ここ数日と同じだ。
モザンビーク最大の都市、首都のマプトは、南北に長い国土の一番南の端にある。南アフリカから陸路で入国した時、最初に到着した街もマプトだった。首都は首都なりに近代的なガラス張りの高層ビルが建っていたりもするのだけど、そこから北へ向かって縦断を始めると、車窓から見える景色がどんどん田舎に、自然に近づいていくのがそれはもう如実に分かる。白人の観光客がいるのはせいぜいマプトの次の街のイニャンバネ辺りまで。国土のちょうど真ん中辺りを東西に流れるザンベジ川を超えると舗装道路がほとんど無くなる。北部の街キルマーニを超えるともう公共交通機関が当てにならないので、道端にはヒッチハイクの代行をして日銭を稼ぐ子供達が居たりする。モシンボアの手前のペンバ辺りまでは、自分以外の酔狂なバックパッカーを見かけることもあった。しかし、ここに来てついに異邦人は自分だけになってしまったらしい。
いわゆる発展途上国の場合、自分のような旅行者は、バスから降りるなり土産物の押し売りやホテルやタクシーの客引きにもみくちゃにされてうんざりするのが常だ。しかしアフリカのこんな僻地まで来てしまうと、そもそも旅行者が訪れることなどほとんどないはず。外国人慣れしていない土地の人達も、突然バスから降りてきた肌の色の違う人間に驚きつつもどう対処したらいいかわからないのだろう。一挙手一投足を全方位から遠巻きに観察されているような視線は、動物園のパンダにでもなったかのような気分にさせてくれる。
惚けていても始まらない。まずは今晩の宿を確保して、それから英語の分かる人間を探さないと。ここまでの街で集めた情報によれば、モシンボアからは毎朝早くに国境行きのバスが一台出ているらしい。できれば明日の朝そいつに乗り込みたい。ここ数日、ATMもなければクレジットカードも使えないような場所を通ってきたせいで、手持ちの現金はもうほとんど尽きかけていた。今はできるだけ早く駒を進める必要がある。とにかく、話のわかる奴を探して情報を聞き出さないといけない。僕は檻から抜け出すようにしてその広場を後にした。
重い荷物を背負って村の中へ入って行くと、ここでも同じように奇異の目を向けられる。それでも、こういう時は一度誰かに話しかけてしまえば後は簡単だ。それをきっかけに周りで見ていた人たちも次々話に入ってきて、いつの間にか自分の周りは人だかりになっている。その中には英語を喋る奴が大抵一人くらいはいるもので、今回もその中の一人、僕と同い年くらいの青年を見つけた。彼が言うには、自分の兄貴が毎朝国境行きの車を運転しているとのこと。この村に来る外国人は十中八九陸路でタンザニアへ向かおうとしている奴だから、客になりそうな外国人がいると聞いてすっ飛んで来たらしい。村の奥、青年の指差す方向には一台のピックアップトラックが止まっていた。手を引かれ、群衆をかき分けながら近づいていくと、荷台に腰掛けた白いタンクトップの男がサトウキビをバリボリ齧りながらこちらに視線を投げている。トラックの前まで来ると、男はサトウキビの食べかすを地面に吐き捨て、挨拶もそこそこに言った。
「あんた、国境に行くんだろ。300メティカルで明日の朝こいつの荷台に載せて連れてってやるよ。早朝三時にここに来な」
なんとなく予感はしていたが、国境へ行く手段というのはバスや乗り合いタクシーの事ではないらしい。このトラックの荷台に乗って、荷物のついでに運んでもらうということなのだ。トラックの荷台には、明日の同乗者になるのであろうコーラの空き瓶が入ったケースや何が詰まっているのかわからない大きな頭陀袋が山と積まれているだけで、当然ながら座席のようなものは見当たらない。今日の移動もなかなか骨だったが、明日も今日に劣らずタフな一日になりそうだ。
運賃として提示された300メティカルは日本円にしておよそ500円少々。交渉が前提になっているようなひどく高い金額でもないし、村を歩いて探し回っても他の交通手段があるとは思えない。500メティカルなら、あと一日くらいこのモシンボアに泊まってゆっくり骨を休める余裕ができる。聞く所によればこの男は毎日国境まで行っているようだし、出発を一日先延ばしにしてもさほど問題にはならないはずだが、でもこの時はそうしなかった。前へ前へと懸命に移動することに、ある種の快感のようなものを覚え始めていたのかも知れない。とにかく僕はこのトラックで明日の朝、国境まで行く事に決めたのだ。
握手を交わすと、男は表情を和らげて言った。
「寝る場所が必要だろう。弟に宿まで案内させるから今夜はそこで休め。寝坊しても起こしに行ってやるから安心しろ」
男が目配せをすると青年は頷き、ついて来いと言って歩き始めた。もう一つの懸案だった宿の方も、彼らが世話してくれるらしい。それもそのはず、人や荷物を国境まで運ぶ商売をしていれば、僕のような旅行者を載せる機会も幾度と無くあっただろう。そんな旅行者への宿の斡旋も、彼らの商売の一部なのだ。
青年の背中を追って歩いていくと、少しずつ村の中心に近づいていくのがわかった。舗装された道幅の広い道路があらわれ、ガソリンスタンドや錆びたコカコーラの看板、商店や食堂などが民家に混じって見え始める。顔を少し上げると、視界の端にわずかに入るヤシの木や、朽ちて傾いた丸太の電信柱の向こうに、どことなく湿った雨期の青空がいっぱいに広がるのが見える。
10分も歩かないうちに、僕らは一つの建物の前で立ち止まった。周りに見える民家や商店より少し大きい、ちょうど郊外のコンビニくらいの大きさのその建物は、宿泊施設としてはやや小さく思える。水色のペンキで塗り染められた石の外壁には大きなひびが入り、風雨や土埃に晒されてくすんだ色になっていた。やれやれ、想像通りのボロさである。
「ここが宿だ。少し汚いけどこの村には宿はここしかない。悪いけど我慢してくれよな」
青年はそれだけ言うと、あっけにとられる僕をその場に置いて来た道を逃げるように帰っていった。僕が宿にいちゃもんをつける前に立ち去りたかったのだろうか。
入り口にかかる簾をくぐり、薄暗い室内にに踏み込む。簾に付いた鈴が音を立てると、奥のカウンターの向こう側から一人の老人がゆらりと立ち上がった。部屋が欲しいんだと大袈裟なジェスチャーを交えながら伝えると、彼は黙ったまま横の壁の一点を指差した。目をやると、石の壁に赤のペンキで直接文字が書かれているのに気付いた。
"Single 1200. Twin 1600."
シングルの部屋が日本円にしておよそ2000円ほど。いままで泊まってきた宿の中では一番高い金額だが、さて、どうするべきか。村にある宿がここだけだと言う青年の言葉は、この宿の大きさから考えて恐らく嘘だろう。ここより安いという確証はないが、土地の人間が使うゲストハウス位はどこの村にも幾つかあるものだ。しかし、重い荷物を再び背負って表を歩き回るのはやはり億劫だった。壁に書かれた赤いペンキの文字は酸化してほとんど茶色くなっていた。いつからこの値段でやっているのかは知らないが、少なくとも僕を金持ち旅行者と見てふっかけているわけではないようだ。値段の交渉は望み薄だが、僕は試しに聞いてみた。
「もう少し安くはならないの?」
老人は困ったような、それでいて僕がそう言い出すのを知っていたかのような苦笑いを浮かべ、少しの間を置いて言った。
「窓のついてない部屋が一つあるが、そこなら600でいいよ」
なんと、意外なほどあっさり宿賃が半値になってしまった。一泊1000円なら上出来じゃないか。窓が無いというのは、まあ多少風通しと明るさに問題があるとは思うがこの際妥協してもいいだろう。どうせ明日は日が登る前にここを発つのだから。
「部屋を見せてくれる?」
僕が言うと、老人は鍵を引き出しから取り出し、カウンターを出て奥へ伸びる暗い廊下を歩き始めた。僕もその後を追った。
一つのドアの前で立ち止まると、老人はドアノブに鍵を突き刺して、ガチャガチャと乱暴に鍵穴をほじくり始めた。なかなか開かないようだ。このボロさでおまけに窓の一つも付いていないときたら、本当に地下牢のような荒んだ部屋なのだろう。そんなことを考えながら、鍵と格闘する老人の背中を眺めていた。しばらくして鍵が開く。額に汗した老人は僕の方を向いて意味深な笑みを浮かべ、ドアを開いて見せた。
開け放たれたドアの前から覗いた部屋は、想像通りとても簡素なものだった。だが、想像していたより酷くもなかった。六畳程度の部屋のど真ん中にはセミダブルくらいの大きなベッドが石の床に直接置かれ、部屋の隅にはちゃちな木製の小さな椅子と机が、客室の体裁を取り繕う申し訳のようにちょこんと置かれている。そして、奥の壁の大きな窓からレースのカーテン越しに差し込む夕陽が、数少ない部屋の調度品と埃っぽい室内を舞う無数の塵を照らしていた。しかしこの部屋、さっきと少し話が違うんじゃないか。
「いや…ご主人、僕が見たいのは半額の部屋の方なんだけど」
「ん? この部屋は600メティカルだが」
僕がそう言うと、老人は黙って部屋へ入って行き、カーテンをめくる。そこにはあったのは確かに窓だった。窓だったが…窓にはガラスが入っていなかった。僕は思わず笑ってしまった。窓が付いていないというのがまさかこういう意味だったとは。明るくて風通しの良いこの部屋は、僕が覚悟していた牢獄の様な部屋よりよっぽどマシに見えた。しかし、中と外の境界を作るのが鍵の掛けようのない無い薄いカーテン一枚というのは、やはり安全面に問題がありすぎる。こんな部屋でおちおち寝ていたら命が幾つあっても足りないだろう。強盗、マラリア、野犬、その他諸々の野生動物、危険は数え出したらキリがない。半笑いでそんな事を考えていると、いつの間にか隣に来ていた老人に小突かれた。
「で、どうするんだ」
「…窓が付いている部屋も見たいな」
「だろうな」
ニヤリと笑みを浮かべた老人は静かに扉を閉めると、一つ隣の部屋の扉を開けて僕に見せてくれた。さっき見たのと一見全く同じ部屋だが、こっちのほうが心なしか手入れがされているように見える。中に入ってカーテンをめくってみると、くすんだガラスがしっかりと嵌めこまれた窓と網戸が見えた。
「1200メティカルだけど、いいよな?」
振り返ると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた老人と目が合った。やれやれ、こちらの完敗である。
「…いいよ。この部屋にする」
宿賃を渡し、僕は笑ってそう答えた。老人は僕の肩にポンと手を置いて、隣の部屋のとはまるで違う綺麗に磨かれた鍵を渡してくれた。やっぱり、あの部屋には最初から客を泊めるつもりなんてなかったのだろう。
「明日の昼まで停電だから電気はつかないよ。ロウソクが引き出しにあるから使うといい」
「一本いくらですか?」
「サービスだよ」
僕が皮肉半分に聞いたことを知ってか知らずか、老人はどうだ気前がいいだろうと言わんばかりの誇らしげな笑みを見せ、ドアの外へ消えて行った。やり返してやった気にはまるでならなかった。
靴や荷物についた砂を振り払い、ベッドに寝転んだ。疲れ切った身体を動かす体力はとうに尽きていたが、不思議と気分は高揚していた。蓄積した疲労の中に滲む自虐的とも言える旅の充足感に気付いたのだった。
別に友達と呼べるほどでもない、たった1日だけ話した、SNSで繋がってるだけの知り合いがクラウドファンディングで資金を募り世界一周しようとしてるらしい。
彼と出会ったのは2年前のバンコクのゲストハウス。たまたま同じ宿に泊まっていたらしくロビーで声かけられ、酒を飲みながら話した程度だ。
私も海外旅行が好きなので彼とは話が合うのかなーと期待していたが、話をして3分で馬が合わないことに気づいた。
とにかく自慢話だった。外人と仲良くなって朝まで路上で酒飲みまくった、酔っ払ってドミトリーぶっ壊した、野宿して警察に怒られた、日本でヒッチハイクして移動しまくったとかしょーもない自慢。彼は自称進学校を経て中堅大学に進学し、特に勉学に励むわけでもなく友人と毎晩遊び歩く典型的な文系大学生だった。
あまり長く話す時間はなかったが、またどこかで会うかもしれないからとSNSを交換しようと言われた。またどっかで会うかもしれないならSNS交換する必要ねえだろ、と思いつつも彼をフォローし、別れた後にこっそり投稿を見てみた。
彼のSNSには、変人しかいない高校の仲間、一生ダチのコンビニバイト仲間、終電を逃してでも共に飲み明かす大学の仲間との思い出たちがもれなく半々の男女比の写真と共に"感謝"の言葉を添えて投稿されていた。また、彼の周りにはたった2ヶ月くらいの大学生の長期休みにバックパッカーをしに行くだけで送別会を開いてくれたり空港まで見送りしてくれる恵まれた仲間がいることもわかった。
その時私は、彼が海外旅行に来てるのはなく「バックパッカー」をしに来ていたということに気が付いた。彼は、周辺環境にはいないバックパッカーというアブノーマルな人間になって注目を浴びたい、なるべく多くの逸話を引っさげて故郷に錦を飾りたい、という気持ちが原動力で東南アジア一人旅をしていたのだろう。それを表すように、彼の投稿にはほぼ全て「#バックパッカー」というハッシュタグがついていた。
そんな時代あったな、と懐かしくなった。かくいう私も彼と出会ったバンコクは1人で海外旅行している最中だったし、過去に何度か1人で海外旅行をしている。1人で海外に行くことにこれといった理由は特になく、写真でしか見たことないところに行ってみたい、1人だと誰にも気を使わなくて済むから、みたいなそんな感じだ。
そんな私ですら、初めて1人で海外に降り立った時はなんでもできるスーパーマンだと錯覚していた気がする。しかし、旅先で様々なアブノーマルな人間と出会い、自分がノーマルな人間だとすぐ気づいた。本当にアブノーマルな人間は関わりたくない、こうはなりたくないと思うほどアブノーマルだったし、こいつらがバックパッカーなら自分はただの旅行者でいいな。という気持ちになった。そういう点ではよく旅人が言いがちなセリフだが「価値観」が変わったのかもしれない。SNSでバックパッカーを名乗りアブノーマルを演じる彼も、帰国するまでに「価値観」が変わるだろうし、今は好きにやっとけと思った。
しかし彼は違った。帰国後に彼のSNSを覗くと、せっかく広い世界を覗いたのにも関わらず、元々いた狭い世界に戻り恵まれた仲間の前であぐらをかいていた。
彼は恵まれた仲間と「お前変わってるよwww」「まあなwww」みたいな会話をし(想像)、バックパッカーの経験を生かして相も変わらず目的のないヒッチハイクなどを続けていた。
2ヶ月の東南アジア一人旅では彼の生活や言動、行動は変わることなく、唯一変わったのは誰にでもできる経験をして自分は大きい人間だと勘違いする歪んだ「価値観」だと、SNS越しで悟った。
まあ関東圏に住む彼とは二度と会うこともないだろうし、SNSくらい好きにやらせてあげればいいな。と飯の写真しかSNS投稿しない私は思った。
そんな彼がクラウドファンディングを始めたらしいということを耳にした。この話を聞いた途端、2年前のむず痒い感覚が突如としてこみ上げてきた。
どうやら彼は大学を卒業するまでの間に世界一周をするため、クラウドファンディングで資金を募るらしい。ホームページを早速見てみると、クラウドファンディングで支援してくれた人々へのリターンは「”あなたらしく”生きるためのメッセージ動画」らしい。なるほどわからん。
ページの彼の自己紹介欄には、辛い過去を乗り越えて自分らしく生きている現在への経緯が書かれていた。彼の過去を否定しているつもりはないが、ありきたりの文脈すぎてどこかにテンプレートが販売してるのかとすら思った。そして「私が私らしくを生きることで、あなたがあなたらしく生きる」という崩壊したロジックで押し切ろうとする姿はむしろ清々しく思えた。
リターンの動画を撮影する機材もGoProらしく、おそらく映像編集もプロ並みの技術ではなくかじったことある程度だろう。なぜなら彼はリターンとして自分の経験を動画という形に残るもので他人に押し付けるのであって、それを支援する人も彼の行動力に対して支援を行い、メッセージ動画などもちろんどうでもいいのだろう。
なぜほぼ赤の他人とも言える人間を見てこんなにもむず痒くなるのか。おそらく、私も海外旅行が好きだからこそ、「同族として見られたくない」という意識がかなり強いからだろう。そして周囲の人間から私と彼は同族に見られているかもしれない、という被害妄想をしてしまい、反射的にむず痒くなってしまうのだ。
彼のクラウドファンディングは現在資金調達途中で、量は多くはないもののそこそこの資金を集めているように見えた。
もしかしたら私自身がノーマルな人間だと悟っているからこそ、アブノーマルに見える彼と、目的のない旅にすら支援してくれる恵まれた仲間がいる環境、そして歪んだ「価値観」でも前に進み続ける行動力を羨ましく思ってるのかもしれない。
あー、人の金で世界一周したいな。
後半はともかく前半がかなり当てはまる友人がいるけど、店の人に気に入られてしょっちゅうおまけしてもらってる。
旅先でも気に入られて案内してもらったり。ゲストハウスに泊まるといいことたくさんありそう。
2019年10月上旬、西成区のとある安宿に女一人で泊まった。
宿の最寄駅は新今宮駅と動物園前駅と荻ノ茶屋駅。この記事を書くにあたって調べてみたところ、あいりん地区と呼ばれる地域だそうだ。
15時半頃に動物園前駅に着いた。
荷物を預けるために宿に向かう。駅前にはドンキにいるような若い男性がいたが、駅から離れるに連れて若者は減り中年以降の男性ばかり見かけるようになった。迷子になりながら10分ほど歩いたがその間に見かけた女性は一人だけだった。
大通りから横道に入ったところで空気の異様さを感じる。すれ違う人はビール片手にふらふら歩いている男性、何かを入れたビニールを引きずって歩く男性、定職に就いていないであろう風貌の人ばかりになった。
警察署の前では警察官と6、7人の浮浪者が談笑しているようだった。
もうチェックインができると聞き、チェックインを済ませた。鍵代がデポジットで1000円かかるそうだ。宿泊料はネカフェのナイトパックより500円ぐらい安い。タバコは吸わないと言うと禁煙の部屋をあててくれた。
視線を感じたのでできる限りぶっきらぼうに靴を脱いで、スリッパに履き替え部屋に向かった。
隣りの部屋から男性が出てきたので男女で部屋の場所をわけていないんだなと思い、廊下から人がいなくなってから部屋に入った。
部屋は想像の3倍はきれいだった。無論、とても古くて汚かったが掃除はされていた。
折りたたみのパイプベッド、折りたたみのデスク、棚と小さな冷蔵庫とテレビ、エアコン。デスクの上には簡素な部屋に不似合いなピンク色のスタンドミラーがあった。
Googleの口コミで南京虫がいると書かれていたのでまずベッドのシーツや枕カバーを剥いで血痕がないか確認した。問題なかった。
今度は大通りを通らず最短距離で駅まで行った。来たとき以上にヤバい雰囲気で、なるべく「俺は今機嫌が悪いんだ」という顔を作った。中国やオランダに行った時より厳つい顔で歩いた。
駅に入ると普通の男性や女性がいて差に驚いた。道路を一つ挟んで別の世界があるようだ。
駅近くの玉出でデカビタを買った。遠心力を利用すれば痛烈な一撃が繰り出せる。リーチもある。
勝ったと思った。
右手にスーパーの袋、左手に551の袋をぶら下げ、勝ち誇った顔で歩いた。
最短距離の中道を行ったが昼とは違って夕方は人が多く、スーツを着たサラリーマンが通りを歩いていた。
宿の部屋に戻ると汗ふきシートで髪や身体を拭いた。
女性用の大浴場やシャワールームはあるが、ロビーの前を通る必要があるのでシャワーもトイレも諦めた。
受付で説明はされなかったがフリーwifiがあると予約サイトに書かれていたので適当に拾って使った。
近くにスナックがあるのかカラオケの音が聞こえる。喧嘩の声もする。
21時に就寝。熟睡した。
6時に目が覚め、身支度を整えた。
ふと、今の時間ならロビーにいた人たちは寝ているのでは?と思い、女性用シャワールームへ向かった。正解だった。
シャワールームは想像の10倍以上きれいだった。ゲストハウスの平均ぐらいの清潔度だ。
洗面台は二つあり、予約サイトには無しと書かれていたドライヤーがあった。他の旅行者が残していったものか、ボディソープやブラシなどもあった。
シャワールームは施錠されていて受付に声を掛ける必要がありそうだったので洗面台で頭を洗った。トイレもきれいだった。備品も女性的なかわいい色合いのセレクトで女性が泊まっても大丈夫なように、という心遣いを感じ胸が痛んだ。
「快適に過ごせました。ありがとうございます。」と部屋に書き置きを残してチェックアウトした。鍵代が返ってきた。
口コミでは「お値段相応」と書かれていた宿だったが、私にとってはお値段以上だった。
住民は道端に集まって談笑していた。
そのうちの一人に「おはよう」と声を掛けられたので「おはようございます」と返した。
駅の中と外のギャップは相変わらずだが、帰る頃には怖い街だという印象はかなり薄れた。