はてなキーワード: 生物兵器とは
バイオ関係の研究者は結構FBIに内偵対象にされるくらいには悪の科学者がいるらしいよ。
アーフィア・シディキ(Aafia Siddiqui)博士なんかはそこそこ有名。アルカイダと繋がっていて大量殺戮生物兵器を作っていたらしい。まあシディキはがちだろうけど、普通の研究者っぽい人でも怪しいと言うだけでFBIに拘束されたりしている生物学者は居るらしい。スティーブ・カーツとか。
人の脳移植しちゃうイタリアのセルジオ・カナヴェッロ博士は悪の科学者っぽい気がする。彼の業績のニュースを見てはてなでは日本はダメだ遅れているとか言っているのがいたけれど、ちょっとついて行けない倫理観だ。
あとは北朝鮮にミサイル開発技術を流してしまう元東大の徐錫洪、徐判道あたりはマッド・サイエンティストなんじゃないのかな。
追記
http://anond.hatelabo.jp/20151017231411
の3つ目です。
http://uguilab.com/publish/2016habikoruai/
力の抜けたタッチの作品の中に、1作品に少なくとも1つ、はっとさせられる言葉が込められています。
言葉で言っても陳腐化してしまうので、とにかく試し読みしてみて欲しいです。
同作者の「青エリと白エリ」シリーズもとても良いです。
https://comic.mag-garden.co.jp/yotsuya13/
発明の天才・四ツ谷十三によって未知の惑星に飛ばされた主人公一行のサバイバル漂流記。
十三のえげつない仕打ちのテンポの良さと、惑星で現れる生物たちの造形に対する必要以上のこだわりが素晴らしいです。
1巻時点で第1部完となっており、第二部再開の目処が立っていないようなのですが、個人的には度胸星・預言者ピッピと並んで続きを切望している作品です。
・ミッドナイトブルー(1巻完結)
http://shodensha.tameshiyo.me/9784396766870
装丁が気になって手に取った作品。タイトルの通り、前ページが濃い青色で印刷されていました。
短編集で、表題作も素晴らしいですが、個人的なお気に入りは「白い糸」という短編。
大学時代から好意を持っていたものの、ずっと飄々と躱され続けた女の先輩に、5年ぶりに再会した男の話です。
この先輩のキャラが最高でして、、
・カフェでカフィを(1巻完結)
http://www.shueisha-cr.co.jp/CGI/book/detail.cgi/1246/
普通のカフェやオフィス、道端、はては風呂まで、様々な場所でコーヒーを飲む人たちにフォーカスを当てた連作集。
もともとこういった線が好みではあるのですが、カメラワークの巧みさ、会話のテンポの良さが素晴らしいです。
特に、風呂でコーヒーを飲む夫婦を描いた「カフェ・ド・バスルーム」は、現実の夫婦を見ているような生々しさがあってとても良かったです。
・神の獣(1巻完結)
http://sokuyomi.jp/product/kaminokemo_001/CO/1/
一部でシン・ゴジラの元ネタになったのでは?と言われていますが、その真偽が気にならないくらい純粋に面白い作品。
古代から復活した大怪獣オーガに、人類が科学の粋を集めて戦う様が1冊を通して描かれ、読み終わったときにはそれこそ映画1本読み終わった時のような充実感があります。
以前はプレミア価格がついていて手に入りづらかったようなのですが、現在は電子版が安価に配信されているので是非。
・リピートアフターミー(2巻完結)
http://sokuyomi.jp/product/ripihtoafu_001/CO/1/
滅茶苦茶にあらすじが書きづらいのですが、単純に言うと善行を積むことが趣味の女子高生とコンビニ強盗が一緒にタイムリープし、同じ1日を10回繰り返して悲劇の回避を目指す話です。
帯に「タイムリープジェットコースターミステリー」とありますがまさにその通りで、複雑で緻密なタイムリープの物語を、スピード感を保ちながら全2巻のページを余すこと無く使い切って物語を描ききっています。(そのため、あとがきがカバー裏に書かれてたりします。)
・変身!(3巻完結)
http://comic-walker.com/viewer/?tw=2&dlcl=ja&cid=KDCW_EB01000015010001_68
無機物以外になら何にでも変身することができる少年と、その同級生の少女とのボーイ・ミーツ・ガール。
何者でもない思春期の悶絶感を、何にでもなれる少年を通して描き出しています(主人公がバッタに変身して童貞を卒業することから性の葛藤を描写したり)。
何より、作者のポップな絵が物語にテンポを与えていて、画として単純に楽しむこともできます。
・15で少女は、あれになる。(1巻完結)
http://matogrosso.jp/15desyojo/02.html
地球外生命体と戦うため、左手に生物兵器を埋められた少女たちの恋心を描くオムニバス。
まずタイトルが良い。設定は奇抜ですが、それが思春期の繊細な感情を描くのにとても効果的に使われています。
また、気が向いたら書いてみようと思います。
監督はこう言いきった。
「糞を食わせるしかないんですよ。みんなそれが好きなんです。」
血走った目の監督は古いオタク特有の捲し立てるような喋り方で僕に詰め寄った。
僕は映画制作会社で働くアシスタントディレクター。言うなれば奴隷だ。粗末な食事と過酷な労働。今日も現場の指揮を高めるため、味噌汁を作る。ちなみに費用は自前だ。僕はそのぐらい映像に本気なのだ。
「適当に謎を散りばめて、思わせ振りなカットを挿入して、自分の好きなもののパロディで埋めれば映画なんて簡単です。ははははっ。」
「はぁ。」
僕は味噌汁をかき混ぜながら生返事をした。このヒゲモジャの監督は新進気鋭のアニメ映像監督。というにはもう旬をすぎているが極々一部の層にカルト的に支持を得ている今どきの日本では珍しい存在だ。僕は形だけ丁寧に接していた。そうしたら妙になつかれてしまったのだ。
「だからアニメの撮り方と映画の撮り方を分けすぎるから駄目なんです。だからうんぬんかんぬん。」
僕はだんだんイライラしてきて我慢出来なくなりその監督に煮えたぎった味噌汁をぶちまけた。あたりに仙台味噌の良い薫りが漂う。僕は宮城県出身なのだ。すると監督はまるで巨大な生物兵器であるかのように咆哮をあげてあたりを破壊しだした。泣きながらである。僕は怖くなってしまった。
するとどうだろう。急に怒りが止んだかと思うとピクリとも動かなくなってしまった。
「ふぅ~…!ふうぅぅ~…!」
よく聞くとどうやらまだ生きているようだ。自己愛性憤怒という奴だろうか。味噌汁を作りすぎて飲むもの飲むもの水さえも味噌味しかしなかった時に駅前のメンタルクリニックの先生に聞いた言葉だ。
騒ぎを聞き付けた他の奴隷がかけつけた。
「んんん!!」
かと思うと動かなかった監督が急に動いて彼らをはねのけた。どうやら近づくものは無差別に迎撃するようだ。なんて恐ろしい。
味噌汁をかけてしまったのは僕である僕にがなんとかしなくちゃいけない。急いで残った味噌汁をよそって監督に静かに近づき、後ろから無理矢理味噌汁を捩じ込んだ。どうだ。現場の苦労がわかったか。僕の目尻には何故か涙が浮かんでいた。
「う、うまい…」
そういって監督の目から涙が流れたかと思うとまた動かなくなってしまった。
いつか動きだすかもしれない。だが僕達はやりきったのだ。
感動の嵐が現場に吹き荒れるなか
「さっさと完結させてから別の事やれよ…」
という声がどこからともなく聞こえて、消えた。
ネタバレ注意。
・突っ込みどころ多いけど全体的には良かった。とても良かった
とても面白いアニメだったと思う。自分の中では今期の中でもかなり上位に入る。
ただ、話の展開の仕方や突っ込みどころ多い設定など、非常にもったいない点が多かった。
中盤以降での艦長、しろちゃんの成長っぷりは見てて感動だったし、戦闘シーンも迫力あって良かった。
終わり方もなあなあに終わらせるのでなく、武蔵を助けてハッピーエンドで終わったのは非常に良い。
登場人物が一人ひとりかわいい。艦橋メンバー以外はそんなに描写されないかと思ったら、所々でちゃんとスポット当たっているのは良かった。麻侖ちゃんと美波さんが特に可愛い。万里小路さんは出てくるだけで面白い。
そして、回を重ねるに連れて艦長やしろちゃんが成長していくのが見えて良かった。5話6話の意見無視単独突撃から、7話で艦橋からしろちゃんを見守る立場になってようやく艦長が艦長らしくなったのは良かった。そこから比叡、シュペーとの連戦に繋がるし、艦長として成長してるのが見えたのは本当によかった。9話でスキッパーに乗る時にしろちゃんに帽子預けるシーンとか、まさにこれが見たかったんだよって感じ。
しろちゃんも艦長の良き相棒って感じで良かった。しろちゃん優秀だけどリーダーになると判断遅くて脆い、ってところがまた良いと思う(海難救助時にあたふたしていたり、シュペー戦で艦を任されたら判断遅くて被弾したり)。暴走しがちだけど即断できる艦長と相性いいじゃん。完璧だ
個人的にくろちゃんは離反するんじゃないかと途中思っていた。艦長の単独突撃にものすごい批判的だったり、「宗谷さんが艦長だったらよかったのに」とか言うし。結局は宗谷さんLOVEなだけだったけどね
1話2話で猿島やシュペーがなぜ攻撃してきたのか、その説明が遅い。ネズミの登場は4話だったけど、もっと早くにそれを匂わせた方が良かったと感じた。3話でミーちゃんが「シュペーの皆が命令を聞かなくなった」とは言ってたけど、船員全員が何者かに操られているとはこの時点では気付かないと思う。あと潜水艦は結局良くわからなかった
3話までの感想は「日常パートと戦闘パートがごっちゃになっていて話が進んでいない」だった。結局その後もシリアスシーンと日常シーンごちゃまぜにして緊張感あるのかないのか分からないように描写していたし、戦闘シーンとかに呑気なBGM流してたけど、脚本や監督はこのアニメで何を伝えたいんだ。どこをオススメしたいんだ。これじゃ分かりづらいよ
4話以降からネズミ云々の話が進むけど、ネズミの話ももう少しなんとかならなかったのかと。はいふりがバトル寄りのアニメだったらネズミを作ったような悪役がいてもおかしくないよなーと思う。実験艦が事故って海底に沈み、火山活動で浮き上がってきたら謎の生物兵器ネズミが誕生、というのはちょっと無理やりすぎるかと。
その反動か、中盤以降は展開がとても良かった。海難救助、比叡とシュペーとの連戦は熱い展開だった。艦長も立派に成長したし、万里小路さんとマッチが完全にネタキャラと化していて面白かった。突入はもう二人と美波さんだけでいいじゃん。竹の水鉄砲は何だったんだ。最終話かわいかったけどさぁ
艦長の成長物語なのでその辺目をつぶるべきなんだろうけど、1話から3話で晴風乗員を守るために戦ったのに5話でスキッパー単独突撃はどういうことなの。しろちゃんの言う通り晴風乗員よりもかちゃんが大事ってなる描写がちょっと弱い(もかちゃん優先になる理由を納得できるエピソードがない)。
そして、スキッパー単独突撃をちゃんと反省していないことがもっと良くない。6話の機雷でも艦長が副長の意見無視するし、そりゃあ気まずくなるよ。乗員の意見聞かず自分の判断で単独行動しまくりなんだもの
あと11話で艦長が戦闘不能になった描写も気になった。8話9話あたりでは何故平然としてたんだろう。もっと早くに気付くべきでしょう。比叡だってシュペーだって一撃当たれば轟沈するのに。武蔵とは危険性そんなに変わらないだろうに。
ただ、11話で艦長が戦闘不能になるのは9話10話から伏線引っ張ってるので、突然戦闘不能にならないだけ良いとは思う。9話で晴風はボロボロになり、10話で皆と仲良くなって信頼関係築けて、そうしたら失うのも怖くなるよね。それ以前に皆を何度も危険に晒しているのはもう突っ込まないぞ
ネズミの扱いが最初から最後まで雑。最終話でも拾われなかった。もう少しなんとかならんかったのかな。設定自体は結構練られてたと思うんだけどなぁ
はいふりが第二のガルパンになりそこなった、みたいな意見をちらほら聞くけど目指すところが違うからなりそこなうも何もないと思う。比較対象として間違ってる。スタッフが一部同じとか似たようなミリタリーものってだけで比べてる人が多い印象。
ガルパンは「スポ根もの+ミリタリー」だし、戦車道はスポーツだから人は死なないし血も流れない。
はいふりは「成長ドラマ+ミリタリー」だし、砲撃されたら死んでもおかしくない設定だ(シュペー戦MVPはエアバッグ)。
ガルパンは最初から「戦車道の大会で優勝する」ことが目的として掲げられている。
はいふりは最初から明確な目的はない。攻撃されたから戦うし、近くで暴走している船が見つかったから戦闘不能にさせようと頑張るし、もかちゃんが助けを求めているのが分かったから武蔵相手に無茶する。
あと、はいふりは成長ドラマだ。正直、西住殿は最初から完璧すぎる指揮官だ。成長の要素がほとんどないレベル100の存在なんだよ。成長してレベル上がっていく艦長と比べるのは酷だよ
ということで再度結論。
・突っ込みどころ多いけど全体的には良かった。とても良かった
あれこれ突っ込みどころに触れたけど、もっと面白くなる余地があったのにもったいないなと思って書いた。
でも、最終回までの持って行き方と最後の展開は本当に良かった。しいて言うなら最終回でもっとミーちゃん出してほしかった。あんなに一緒にいた家族なのに……。
あと、最後に晴風が沈んで終わるのは良かった。乗員だけじゃなくて、晴風も一緒に戦っていたんだな、と
。本当にお疲れさま。
本当に良いアニメだった。OP、EDも良かったけど本編だって良かったよ。
追記:二期があるなら嬉しいし見たいと思うけれど、終わり方的に続かなさそうなのは少し残念。
でも、とても良い終わり方だったから、無理に続編作ってほしくはないなぁ……
追記その二:竹鉄砲について。海水がウイルスに効くのは覚えてました。「マッチは性能良さそうな水鉄砲使ってるのに、竹鉄砲でいいの?」という事を言いたかった。言葉が足りなかった
弱者男性の定義「キモくて金のないおっさん」だが「キモい」という概念を造り上げたのがそもそも女性であり常用しているのが女性である以上、キモくて金のないおっさんが叩くのは女性である。
当たり前のことじゃないか。
弱者男性をフェミニズムを叩く道具にするなと言うが、女性が勝手にキモいおっさんを造り上げておいて女性を叩くなとは一体どう言うことなのか?
どんな過激なジェンダーフリー論者であっても「キモい」が女性によって発明され女性によって常用されている事実は否定はできまい。
「生理的に無理」も「吐き気がする」も「無視」も「話しかけないで」も女性によって発明され女性によって明確に傷つける為に弱者男性や弱者女性に使用され大量の自殺者を排出していることは明らかである。「キモい」は現代フェミニズムが産出した一種の生物兵器と考えていいだろう。
男性本来が持つ暴力性による殺人数と女性本来が持つ排他性による「キモい」で間接的に殺害された人数を比べればいかに強者女性が大量殺戮に関わっているかがわかる。おそらくエイズ死亡者を遥かに上回る死亡者である。この場合の強者女性とは権力強者、性格強者の話である。私は経済的弱者には全く関心がない為金について語る気はない。
男性本来が持つ暴力性には愛がある。愛があるから人を殴る、拳で語り合う。拳で語り合えば友情が生まれる。あるいは上司に怒鳴られる。愛があるから怒鳴る。忠誠心が生まれる。愛があるからレイプをする。男性なら誰しも喧嘩に負けて裸にされオナニーをさせられたことが2度はある。オナニーには愛がある。弱者は男性によっていじめてもらえ、殴ってもらえ、怒鳴ってもらえ、オナニーする。
それに比べて女がやって来たことはなんだ?「キモい」と人を排除することに愛はあるか?ないね。「生理的に無理」と無視しあってなにかが生まれるか?なにも生まれはしないじゃないか!
女社会で無視されたいじめられっ子に愛は与えられない。居場所もない。オナニーもない。あるのはただ、孤独と絶望だけ。
なぜ世界中の若者男性はイスラム原理主義に走るのか?それが「女性特有の閉鎖性に対する解放戦線」だからだ。
世はまさに暗黒のフェミニズム時代、蔓延る閉鎖性、果てしない冷酷さ、誰も女性様に逆らうことなどできはしなかった。キモいと言われ、無視をされ、生理的に無理と言われ、圧政に苦しむ弱者男性と弱者女性、そこに敢然と立ち上がる一陣の男たち、イスラム過激派。
まさにそれはフェミニズム時代へ突き付ける一振りのロンギヌスの槍
シンデレラコンプレックス
男たちの聖戦が、今始まる。
前回予告したとおり今回は足臭の対策について書く。
本当は連休中に書きたかったが、連休は寝たり起きたり忙しくてそれどころではなかった。
ここで説明するのは、俺が試したなかで一番楽な方法である。他のほうが楽だと思った奴はコメントかなにかに書けばいい。
さて俺の残念な思い出を一つ紹介する。
あれは俺がまだ若かったころの雪が降る12月。言葉巧みに女子1名を俺の家に連れ込んだときのことである。
荒い鼻息を悟られないように冷静を装って部屋に入り30秒くらい経ったころだろうか、なにか違和感を感じて「ん?・・・んん?・・・ふへっ??・・・んほぉ!!!!!!!」となった。
しかし、すぐに足臭の刺激臭が原因で脳が緊急警戒態勢を発していることに気づいた。
女の子は酔っているのか鼻が鈍感なのか分からないが、頬を赤らめ何かを期待している顔で「どしたの?」などと言っている。
半端ではないテロ並の刺激臭で、意識が遠のき死を覚悟している男に「どしたの?」と言われても「・・っもっ・・っみょ・・」といった言葉の断片しか出ない。
よくハリウッド映画で生物兵器が使われたときに衛生局員が着てる防護服(宇宙服みたいなごついタイプ)を着ている人が俺の死体を運び出す姿が走馬灯のように流れたくらいだ。
の、飲み物買ってくりゅ・・・と息を吸わないように言葉を発し、部屋を出て玄関に避難したのだが、玄関にはブーツがあり、そこからも刺激臭が吹き出しているのだ。
そのブーツはロングブーツだったので、とりあえずの息を止め緊急避難としてブーツを真ん中で折ることにより刺激臭を出さないよう対策し、玄関を少し開けたままコンビニへ逃げ込んだ。
コンビニ前でカップ酒を何本か飲み、そこから先はよく覚えていない。朝起きたら家の床にある大量の酒瓶とともに寝ている俺が一人いるだけだった。
足裏から出る臭いで異性を惹きつけるなんてクロマニョン人の時代とかじゃない限り通用しない(足臭マニアを除く)
諸君も足臭の対策をしっかり行い、このような悲劇を繰り返さないようにしてほしい。
俺のやってる対策は毎朝10秒で完了するが、その効果を最大限に上げるための前提となる対策がある。
足の爪を伸ばしっぱなしにするな。切れ。
風呂に入った時、きちんと足の裏を洗え。特に足の指の間を重点的に洗え。
靴下の素材に気を使え。ナイロン・ポリエステルが大量に含まれているのは買うな。最低でも綿が60%以上のを買え。
抗菌靴下とかあるが、そういう機能は選択の基準に入れなくていい。(抗菌という機能についてはどうでもいいということで抗菌靴下を選択肢に入れるなということではない)
革靴の場合は最低三足持て。スニーカーなど場合は最低二足持て。毎日同じ靴を履くな。
臭い靴は捨てろ。これから言う対策をしても既に靴が臭かったら意味が無い。
さて、ようやく本番の対策だ。
その方法とは、朝に靴下を履く前に制汗スプレーであるAg+を足の裏にシュッシュッするだけである。
こんな簡単な対策で少なくとも夜までは持つ。
もう少し具体的に説明する。
スプレーを足から約10センチ離して足の指からかかとまでシューっと一吹き行う。一瞬(1秒未満)でいい。
次が大事なのだが、足の指の間すべてに一瞬吹きかける。このときスプレーを足から3~5センチまで近づけてやるのが良い。
多少注意点もある
Ag+と書いたが別に資生堂のステマではない。俺がAg+で効果があっただけであり、他の制汗スプレーは試していないだけだ。
制汗スプレーは無香料のやつを使え。匂いと臭いは混ぜるなキケン。
足用Ag+とか売っているが、俺の試した範囲では違いはわからなかった。俺はボディ用を足にも使っているが効果は十分だ。
ボディ用ならワキにも使えて一石二鳥だ。
俺は朝の忙しい時でも忘れないように靴下置き場にAg+を置いて忘れないようにしている。
帰還したナウシカは捕虜の釈放を見届けた後、ただ一人「義理は果たした」といわんばかりにメーヴェで旅立ち、クシャナ、クロトワ、兵たちはそれを複雑な思いで見送る。
土鬼包囲軍で攻城包囲戦の指揮をとっていた僧会軍司令官チャルカは、皇弟より「青き衣の者」復活を知らされた後、戦場でナウシカと相まみえ、土着の民の救世主であるはずの「青き衣の者」がトルメキア軍にいることに戦慄する。しかし、その後その後釈放された捕虜達から彼らを解放したのがナウシカであることを知る。
一方、皇弟は頑強に抵抗する敵に業を煮やし、「蟲か森を使おう」と決断する。この戦術による国土の崩壊を恐れるチャルカは必死で抵抗するが、止めることはできなかった。
クシャナは軍団の大部分をサパタに残し、コルベット一隻の小部隊で、大移動する蟲の群に紛れて友軍の基地に停泊する艦船をハイジャックし、自軍の兵員の救出に使おうとするが、すんでのところで兄皇子のひとりに阻止され、コルベットは撃破される。彼女にとって父や兄たちは政敵である以上に母王妃を発狂させた仇敵であった、幼い彼女の誕生祝いに王が送った杯の毒酒を、母は身代わりに飲んだのである。
母を侮辱され彼女は激昂するが、クロトワは機転で「蟲の群が来ると」脅し、兄皇子を撤退させる。撤退した兄皇子のコルベットは実際に飛来した蟲の群に襲われて墜落炎上し、あまりにあっけない仇の死にクシャナは虚脱する。彼女達にも襲い掛かる蟲の群の前にも彼女はなお虚脱したまま、母親のごとく部下達をかばいながら静かに子守唄を歌うのみだった。そしてまもなく、蟲達は反撃の意思がない彼女達の元から去ってしまう。
一方、ナウシカは砂漠の中のとあるオアシスの古びたお堂で、弾圧された土鬼の土着信仰の上人と、謎の少年チクク(後に、神聖皇帝に滅ぼされた土鬼の土王の末裔らしいとわかる)に出会う。ここで上人はナウシカに、土鬼の聖都シュワに、旧世界の技術を封印した墓所があり、神聖皇帝はその封印を解いて旧世界の技術を戦争に利用していること、また土鬼の古い教えによれば、現在進行中の破局は世界浄化の過程に他ならないと言うことを告げる。
「滅びは必然です 神聖皇帝の愚考すら その一部なのですよ すべての苦しみは世界が生まれ変わるための試練なのです」と語る上人に、ナウシカは「わたしたちの風の神様は生きろといっているもの!! わたし生きるの好きよ 光も風も人も蟲も私大好きだもの!! わたしはあきらめない!!」と抗う。
上人はナウシカの言葉を肯定も否定もせず「永く待ったかいがありましたね ええ・・・・ 風が来ました やさしく猛々しい風が・・・」と今は亡き自分の盟友達と語り合いつつ、入寂する。最後に「お行き 心のおもむくままに いとしい風よ・・・・」と彼女を励まして
瘴気に襲われたオアシスをチククとともに脱出したナウシカは、この瘴気が「腐海」の瘴気をはるかに超える毒性を持ち、「腐海」の蟲達にとっても致命的であることを発見する。その瘴気の発生源を追跡してナウシカは、土鬼の浮き砲台に遭遇する。それはチャルカと皇弟の乗り込む艦だった。
この艦は瘴気を産む生物兵器の正体、墓所の技術で作られた腐海の粘菌の突然変異体を輸送していたのだが、この粘菌が爆発的に増殖し、
艦ごと食われようとしていた。チャルカは皇弟を逃がし、自分は一人艦に残って粘菌ごと自爆しようとする。ナウシカは皇弟の追撃をチククの超能力の援護でかわし、チャルカを手伝って、艦を爆破、チャルカ、チククとともに脱出する。
脱出後、チャルカは新たな艦を呼び、疲労のあまり昏倒したナウシカとチククを救出して、暴走する粘菌を救出する粘菌を追跡する。
目覚めたナウシカはチャルカに、粘菌の暴走が蟲たちを呼び大海嘯を誘発と警告する。初めチャルカは信じないが、折から各地で粘菌の暴走が同時的に多発し、戦線は大混乱に陥るのを見てナウシカの言葉を信じざるを得なくなり、残存艦隊を動員して人々の救出作業に当たることを決断する。(ここまでで単行本第四巻)。
私は原作の漫画は読んでいませんが、アニメは毎週兄と一緒に楽しく見ていたのでその感想を書いてみます。ネットでこころない大人たちによって叩かれすぎだと思うのです。すくなくとも私の周りでは大人気ですし、時代についていけないセンスのない大人たちが若者文化を叩くのを見ると私はとても悲しい気持ちになります(いつの時代もそうだったのでしょうか)。
私はこの作品に触れて、作品内容が類似しているかどうかはともかくとして、アルベール・カミュ『ペスト』、ジーン・ウルフ『新しい太陽の書』、スティーヴ・エリクソン『Xのアーチ』、村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、安部公房『飢餓同盟』、大江健三郎『万延元年のフットボール』などを思い出しました。『進撃の巨人』はこれらの小説のどれにも劣らない深みと非常に高いクオリティを持った稀有な少年漫画なのだと思います。その作風はアニメを見る限りたしかに単純で素朴で荒削りですが、作者の諫山創先生は、世間にあふれる自意識と自尊心だけは一人前の凡庸な作家たちが血も滲むような努力をしたところで一生得ることのできない文学的センスというものを無自覚のうちに獲得していらっしゃるようにわたしには思えます。
壁の向こうには海があって、海には宝とも言える塩がたくさんあるとエレンとアルミンが目を輝かせて会話するシーンがあったと思います(アルミンかわいい!)。壁の外に真の楽園を夢見ながらも、壁の外の脅威=巨人によって偽りの楽園である壁の内側にとどまるしかない人類。そして偽りの楽園は日々縮小傾向にあり、もはや人類は楽園という夢想を捨て現実に立ち向かう必要に迫られています。もし外からの脅威によって人類の生活圏が縮小しないのなら、人類はこのまま壁の内に閉じこもったまま、一種の自己欺瞞によって自らを制御し動かしながら、秩序を維持することに一生を捧げていたでしょう。そうした変化のない永遠の倦怠ともいえる世界では、いずれ歴史が失われ、始まりも終わりもない空白の永続状態だけが文字通り無意味に残る、いや、それは記録されないので残るというよりは虚空に漂うことになるでしょう。しかし『進撃の巨人』の世界では人類は変化を迫られました。そしてその変化を迫ってきたのは、脅威=巨人なのですが、その巨人とは人類自身だったというわけです。
現状を打破せよ変化せよという声なき声、暗号を発しているのが巨人ですから、巨人とは人類の無意識の飢餓感、欲望のメタファーだと思います。そして人類は自らの欲望の代理人である巨人と戦わなくてはなりません。これは自己矛盾をはらみます。人類はみずから欲望をいだき(巨人を生産)、みずから欲望を抑圧し(巨人を駆逐)、みずから破滅します。いつしか人類の欲望は敵となっています。それは生への意志を否定するものです。みずからの欲望が真の楽園への道を閉ざし、日々縮小する偽りの楽園において鬱屈とした毎日をゾンビのように送るしかなくなっているのです。原始においては槍で戦うしかなかった人類が、科学技術が進歩したことによって、核兵器や生物兵器などのとんでもない力を生み出すようになってしまいました。長い歴史にわたる真理の探求と知識への欲望が私たち人類の生活を豊かにし明るい未来へと導いてくれるはずでしたが、洗練された人類は新たなそれまでとは比較にならない圧倒的に暗愚で野蛮な状態に陥ってしまったのです。巨人に性器がないのは必然で、それは人類の欲望なき欲望だからです。欠如によってしか私たちは未来を示すことができなくなってしまったのです。
そんな行き詰まった世界で人類はどうやって生きていったらいいのでしょうか。巨人を完全に駆逐したとき人類は絶滅するでしょう。これは勝利なき戦いです。かならず負ける戦いです。私たちに突きつけられたこの運命に私たちはどう立ち向かうべきでしょうか。友情によって? 愛によって? 暴力によって? 狂気によって?
現代社会ではみなそれぞれが不安をかかえて生きています。それは生存の不安です。自分の不安に無自覚でいることはもはや許されません。人類の足場はもろくも崩れ去ってしまい、そうしたなかで人類は原始への回帰、裸で樹上生活をしていたころに戻ろうと、立体機動装置で最後のあがきをこころみるのです。これだけの技術力がありながらどうして他の兵器を作らなかったんだという批判がありますが、腰部から射出されるアンカーが射精のメタファーだということを考えればそれが無意味な批判であるということがわかります(そもそも巨人の完全駆逐は目的ではありません。巨人を完全に駆逐したとき人類は絶滅するからです)。人類はアンカーを射出しなければならなかったのです。それが人類の見た最後の夢だからです。かつて液状で運動性に優れていた精液はこの時代においては外的要因によって働きかけられないと動かない冷たい鉄になってしまいました。それでも人類は去勢不安を打ち破るために重い腰を上げてさびついたアンカーを射出しつづけなければなりません。それはまさしく不条理な悪夢ですが、しかしこれこそ現代の私たちがおかれている状況というわけです。
現代は論理的な未来予測というものをつねに逸脱し飛躍し暴走して、私たちの手の届かないところに行ってしまいます。私たちは世界から疎外され置き去りにされ、存在理由をはぎとられてしまっています。人類は人類自身と向き合い戦わなくてはなりません。しかしその戦いには勝利というものがありません。滅亡へのゆるやかな推移があるだけです。
私は『進撃の巨人』は現代社会へ警鐘を鳴らしているのだと思います。私たちは自分の巨人とどう向き合うべきでしょうか。私たちは当然のように幸福を追求しますが、その幸福とはいったいなんなのでしょう。希望なき時代の希望とは? 光なき時代の光とは? 私たちは絶対者、神を殺し、あるひとはそれを人類の勝利だと誇りさえしますが、依然として私たちには難問が残っているのです。
こんなニュースがありました。「進撃の巨人 : 最新巻が初の初版200万部突破 1巻の50倍超、「ワンピ」に続く快挙」(http://mantan-web.jp/2013/12/07/20131206dog00m200072000c.html) やはり時代に求められているので売れているのだと思います。批判している大人のひとたちは自分の愚かさをよく考えてみてください。
以下すべてネタバレ。
アメリカの巨大軍需企業の社長をしている両親の一人息子として生まれたトニーは、
17歳でマサチューセッツ工科大学を首席で卒業した天才的頭脳の持ち主。
13年前に「あなたのファンなんだ、是非研究の話がしたい」と話しかけてきた長髪メガネのサエないギークに対し、
主人公のトニーは「後で話そう、屋上で待っていてくれ」といい、一晩放置して女とセックス。
そのときセックスした女は優秀な植物学者だったが、あえなく一晩でヤリ捨てられる。
時は経ち、ギークと植物学者は手を組み、人間を生物兵器にする手法を開発してトニーに復讐しようとする話だった。
オタク男の自尊心を踏みにじり、女を次々にヤリ捨ててきたトニー。
(しかもヤリ捨てる女は、仕事に燃えるジャーナリストや成果をあげている学者など、知性のある美人ばかり)
そうして若い頃はやりたい放題してきたが、現在は優秀な秘書を人生のパートナーに選び、
「もう女遊びはしない」と改心したかのようなそぶりを見せている。
アイアンマンって、マッチョ・イケメン・大金持ち・天才ないじめっこが大勝利するだけの映画じゃないか。
アイアンマン3の劇中で、トニーがいじめられている子供に武器を与えて助けるシーンがある。
「子供」や「女性(ブロンド美人)」、「たまたま巻き込まれた一般人」など、好感が持てる弱者は迷わず救う。
しかし過去の恨みを持っているギークや、ヤリ捨てられた女など、鬱陶しい存在には死んでもらう。
アイアンマンの1はそうでもなかったが、3になってマッチョ礼賛的な価値観が強まって非常に不快だった。
しかも、トニーはヒーローとして戦い続けることで、過呼吸の発作を定期的に起こす不安神経症になっていた。
ラストでは「心の傷を人に打ち明け、傷を癒す」みたいなシーンをコミカルに描いていた。
「人を踏みにじったりしたこともあるけど、過去のことだから水に流してね。そうそう、強い俺らにも辛いことはあるんだよ。
俺だって癒しが欲しいんだ。ヒーローだってセラピーを必要とするんだよ。心の傷だってたくさんあるんだ。」
人を踏みにじるだけ踏みにじって何が心の傷だ。甘えんな、死ね。
ただ、一瞬たりとも息をつかせない脚本と戦闘シーンは非常によく出来ていた。
ストーリーなど追わず、ドンパチ映画としてだけ観れば不快にならずに済むだろうし、