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2023-03-08

anond:20230307213043

波平「…人類が増えすぎた人口宇宙移民させるようになってすでに半世紀が過ぎていた。

地球のまわりの巨大な人口都市人類の第二の故郷となり,人々はそこで子を産み,育て,そして死んでいった。

宇宙世紀0079。

地球に最も遠い宇宙都市サイド3は,ジオン公国を名乗り地球連邦政府独立戦争に挑んできた。

この1ヶ月余りの戦いでジオン公国連邦軍は,総人口の半数を死に至らしめた。

人々は,自らの行為に恐怖した。」

2023-02-08

白人抵抗したインディアン英雄たち

投稿です

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、戦死者600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部はフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

フレチャス・ラヤダス

 ヒカリラ・アパッチ族戦士。シエネギラの戦いでアメリカ軍を破った

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒んだ。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

2023-02-06

2月オールアンラーキーデイズ

毎年3月11日9月11日不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト

それがオールアンラーキーデイズ(All anrakki days)だ

決め方

以下の順番でその日に起きた出来事をチェック

基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件事象場合や、不謹慎がない場合海外対象に入る

  1. インターネットミーム化したものなどのネット炎上事件増田らしく)
  2. 東日本大震災台風豪雨などの未曾有の自然災害
  3. 世界レベルで起きた戦争の開戦・終戦日(世界大戦及びそれに匹敵するレベルのもの冷戦など)
  4. 1900年以降に起きた戦争テロ等の軍事行動殺人事件ロシアウクライナなど)
  5. 1900年以降に発生した交通事故(空>海>陸の順、死亡しない場合は除外)
  6. 世界的に炎上問題行動を起こした人間誕生日(本当に話題が無い時に書く)

前月にトラップだとかスルーだとかでうるさいから簡潔に説明してやったぞ

さぁ今月はロシアウクライナのある月だぜ

2月

2022-10-14

anond:20221014101633

アメリカから見れば、独立戦争の時の敵も、一次大戦の時の敵も、二次大戦の時の敵も、「帝国」だったから、共和国たるアメリカ帝国イメージが強いんじゃないの? だからアメリカ映画では帝国と言えば強大な敵で悪役のイメージ

スターウォーズを見たドイツ人の知り合いは「あの帝国は完全にドイツイメージじゃん… いつものことだけど…」ってボヤいてたよ。

2022-10-12

anond:20221012091708

そら本土のやつもみんな自分さえ良ければそれでいいので

これに対抗するには独立戦争しかないと思うで。

台湾みたいに独立した国家になるしか願いは叶わなさそう。

2022-10-06

白人抵抗したインディアン英雄たち

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。白人たちは彼がインディアン君主であると決めつけ、フィリップ王と呼んだが、実際は調停役に過ぎなかった。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部は最期までフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒否した。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

https://anond.hatelabo.jp/20221007130539

2022-09-08

anond:20220908113817

人類が増えすぎた人口宇宙移民させるようになって、既に半世紀が過ぎていた。地球の周りの巨大な人工都市人類の第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。

宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府独立戦争を挑んできた。この一ヶ月あまりの戦いでジオン公国連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。

人々はみずから行為に恐怖した。戦争は膠着状態に入り、八ヶ月あまりが過ぎた

2022-07-20

統一教会みたいな政治団体美女スリーパーセルとして育てるだろうと思うんだ

教導政策血縁利用政策は昔からあって、米国独立戦争時代の「マサチューセッツの歌の教師たち」とか、第二次世界大戦ではヒトラーゲッペルスの子どもたちの話が著名

 

親切な美女は男の性質と利用して金持ちの息子などと結婚し、男が協力しなければマイクロアグレッションを駆使して破綻させる

山上父も理由は知らないが破綻しているから、山上スリーパーセルの子どもたちの一人かもしれん

確証はないが他にもそういう子はい

  

ついでにスリーパーセルはその配偶者の子を産むとは限らないと思う

大きな組織だったら配偶者に似たような別の男を与えて、その子を伴侶の子として産ませることもできなくはなさそうだ

ただ教導能力洗脳能力)を駆使するほうがリスクは少ないだろうし、スリーパーセルの子が育ったら再びスリーパーセルを与えるという方がリスクは少ないだろう

 

自分は口の回る美女美男大手会社にいたようなひとに出会うと、陰謀論者になって警戒する

家は大金持ちとはいえないが事業もしてないし

2022-07-04

侮蔑表現を気に入るというアメリカ伝統について

最近赤松健候補をレドマツ呼ばわりするのがニガーと同種の深刻な差別問題だという主張が頻繁にされていて、酷暑残酷さに心を痛め後遺症心配するところなのだが、「ニガーを当事者が言うのはOKだが外部が言うのはダメ」という言説はちょっと違うので一言言わせてくれ。

 

この「罵倒文句を己らの呼称として使うようになる」っていうのはアメリカ伝統なんよ。

 

ヤンキーヤンキードゥードゥル

Yankeeは元々北部アメリカ人の事で、主に南部人(デキシー)が使う罵倒語だった。

ところがこれを北部の連中は気に入ってしまい、自分らの事をヤンキー自称するようになった。NY州の大リーグチームはNYヤンキースだ。今ではアメリカ人=ヤンキーという使い方も一般的だ。

一方外国ヤンキーという場合は大抵が罵倒語だ。でも当のヤンキー達は気にせず使い続けた。

 

日本の『アルプス一万尺』はアメリカ愛国歌ヤンキードゥードゥル Yankee Doodle歌詞勝手に改変したものだ。

元は独立戦争に先立つフレンチインディアン戦争時に参戦したアメリカ植民地軍を揶揄した歌だった。

軍服も揃えておらず統率も取れていない、キビキビも出来ないアメリカ人達を正規軍人の英国人達が嗤った歌詞だ。

doodleとはダラダラテレテレしてる、ボケっとしてる、暇なのでイタズラ描きするってな意味だ。特別な日にGoogleロゴ特別なモノに変わるアレもdoodleだがこれは最後意味のイタズラ描きって意味だな。

そんなアホアメリカ人が手入れもちゃんとしてるか判らん鉄砲持ってテレテレタラタラやってきたよ、あーあ。ってな感じの歌なんだな。

そもそもヤンキー自体軽蔑語なので酷い歌だ。

「いなかっぺキョロ充が街に行った。羽付き帽被っただけでダンディのつもりだ。イカしてるねぇ神聖モテモテ王国だねぇ」

ところがアメリカ人たちはこの侮蔑的な歌を気に入ってしまった。それで自分らの歌としてしまったのである

独立戦争で歌われ演奏され、独立後の米国軍行進曲にしてしまった。

ペリー日本にやってきた時に上陸後は鼓笛隊演奏で行進したのだが、その時の曲はヤンキードゥードゥルだったのだ。

 

こんな風に建国の初めからしてこうなので、「罵倒語を気に入って使い始める」というのは後にアチコチで見られるようになった。

思いつく限り列挙してみたい。

・Black

The blackとかblack manとか使われていたが、肌の色を直接に示すので差別的だった。特にトイレバス座席施設入り口区分けなどで「black」「colored」と書かれていたので猶更である

だが公民権運動で「ブラック イズ ビューティフル」のスローガンが使われると当事者プライドと結びつき、やがてblack musicなど一般化された。

ここでの意味の逆転はアメリカ伝統があっての事だ。

 

レッドネック

南部白人の事で、農作業で首が赤く灼けた様をからかった語で、保守退嬰的、閉鎖的、進取の気性が無い、低学歴民度が低い、反国家的など酷い意味が凝縮された罵倒語。

しかしこれを当人たちはポジティブ意味で使う事が多々ある。

それは「なんでも自分らでやる」というライフスタイルへの愛着と自負で、南部農家は食料の入手から機械の手入れ、家の修繕、家具作成、車の修理や改造など、何でも自分でやる。これは日本農家なども変わらない事で、全体的に器用貧乏だったり詰めが甘かったりするが都会の人間からすると広く何でも出来るスーパーマンみたいに見えるものだ。

以前、トラクター会社機械部分をブラックボックス化して信頼性を上げる代わりにメーカーじゃなきゃ修理できないようにしたら大炎上した事があった。https://jfaco.jp/column/2435

レッドネックスタイル」を理解していなかったのが原因だ。これは米国では結構大きな問題になり、欧州の「修理する権利」と結びつける形で法制化が進んでいる。

日本メーカーアップル欧州の「修理する権利」で叩かれて電池交換や社外インク可能にさせられているが、この背景にもこの「何でも自分でやりたい」というマインドがあるのを忘れてはいけない。金と財産権問題しか見えないのは飼い慣らされている為だ。

から今では米国外で何でも自分で作ってみる、直してみるのを動画にしているDIY youtuberなどもレッドネック自称している。

 

クィア

Queerは元々罵倒語で変なやつ、男性同性愛者(婉曲)とかの意味だったのだが、意味が逆転されてポジティブ意味になった。

1985年バロウズ著『Queer』の日本語は『おかま』だ。この題は訳者山形浩生が付けたのか?ちょっと意味が違うと思うのだが。つーか、1985年でも男性同性愛を一緒くたにおかま呼ばわりはしてなかったんじゃないか?どうも腑に落ちない邦題だ。

Wikipediaには頭でっかちな事ばかり書いてあるが、実際はドラッグクイーンとかのワザとらしい性的倒錯仕草クィアとよんでたのが、マジのトランス女性などが世間に認められるようになると(イスラエルのDana Internationalなど)弾き出されて「LBGTに収まらない性的違和」を是認する意味になったとう感じだ。

この辺の変化、日本だと90sドラッグクイーン代表井原秀和円奴S(まるやっこスーパー)が女性目指すようになったのが象徴的。90sのクィアポジティブ化は米国ハウスシーンと共にあった。

 

・米民主党シンボルとしてのDonkey(ロバ)

ロバには馬鹿間抜け、グズ、ウスノロノロマ、うすらバカ等の含意がある。

勘違いしてはいけないのは、当初の民主党南部農民支持層保守政党で黒人奴隷解放に大反対していた。民主党共和党共に今と支持層、支持地域が逆転しているのである

大統領選で、そんな南部民主党出身大統領候補アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)をスマートで都会的な北部共和党議員たちがjackassと詰って呼んでいた。jackassは雄ロバの事だが、馬鹿間抜け、グズ、ウスノロノロマ、うすらバカ等の意味もある。

これをレドマツさんじゃなかった、アンドリュー・ジャクソンは気に入ってしまい、「アンドリュー・ジャッカスです(観客ワハハ)」とか自陣の象徴として使ったのである

それでその後もそのうすらバカでグズで間抜け象徴であるロバを大統領選で使うようになって今に至るというわけだ。

 

・Trap

ビデオチャットで「いい女やな~」「ぎゃ!ちんこある罠や!」っていうイタズラが元々なんだけど、すぐに生えてないなら興味ないっていう増田みたいなのが増えてtrapは売りに。

これはアメリカ伝統関係あるだろうか?3%ぐらいは関係ある気がする。付いててお得だし。

 

映画アンタッチャブルでの一コマ

1987年ブライアン・デ・パルマアンタッチャブル 』では主任捜査エリオットネスがガサ入れでヘマした所を記者写真に撮られ新聞トップ記事にされ、その記事オフィスに貼るシーンがある。

これもアメリカ伝統があっての事なんだろう。屈辱に耐えるのではなく、「侮辱を気に入る」のだ。それが先人がしてきた事だから。 

 

という訳で単にいつの間にか意味が逆転してしてしまうのではなくて、アメリカ場合侮辱を気に入る」「恒久的に自分表象にする」というコードがあるのだ。単に悪口を逆手にとって「○○ですが何か?」というのと違うのはその語をずっと使うって事だ。逆手に取るのとは違うマインドなんである

 

からニガーを当事者けが言ってもいいというのはこのアメリカ伝統の過渡期にある可能性があって、そのうち普通に使われるようになるかも知れないって事である

だったら差別語は何言ってもいいんだな、とか言って差別発言で炎上して失職したり家が突き止められたりというバカが出るのもネットの常である

2022-06-01

anond:20220601180025

そもそも原爆落としたの韓国じゃねーだろ

この辺の解釈ちょっと微妙でな

向こうの歴史では、朝鮮半島併合反旗を翻したレジスタンスだか亡命政府だかがアメリカと共同戦線張って独立戦争を勝ち抜いたってことになってるんで、日本への原爆投下は「韓国(の同盟である米国)による正義の鉄槌」、みたいな位置付けなってるんだよな

2022-05-31

今のウクライナを見ていると対話解決不能問題戦争でケリをつけるしかないとわかる

ウクライナ歴史を調べてみると、ウクライナロシアとの政治的紛争は1991年のソ連崩壊から始まっているのが分かる。

ソ連崩壊と同時にウクライナ独立して、ウクライナ欧米側(EU)に付くのかロシアに付くのか30年間揉めてきた。

2014年には、当時のロシア寄りの大統領を失脚させてEU側の大統領擁立する騒動が起きている。

クリミア半島ロシア併合され、東部2州で独立戦争が始まったのも2014年である

そして2022年2月に、お互いに一歩も譲歩しないロシアウクライナは「開戦」という最悪の展開となってしまった。

しかし2014年から現在までの両者の冷戦状態を眺めてきた私としては「どちらも互いに納得するまで、思う存分やり合った方が健全なのかもしれない」と考えているのも事実である

ここからが本題なのであるが、日本にも「対話解決不可能問題」というのは色々潜在化している。

はてな界隈で言えば、フェミと反フェミの論戦がいい例ではないか

近い将来において、フェミと反フェミは何らかの形で武力闘争が発生するのではないかと考えている。

弱者男性論などというのは2005年あたりからずっと議論し続けているが両者の歩み寄りは全く見られない。

同時に弱者女性存在は20年以上に渡って「いないこと」にされている。

なので両者は戦争を起こすべきだし、戦争の結果は反フェミ勝利となるのだろうけど。

2022-04-24

アメリカ軍全面的支援しても

自国自分たちで守った!」という経験じゃないか永久おんぶにだっこ20年たっても自立できなかったアフガニスタンや、第二次大戦後すぐに国共内戦ボロボロに負けた第二次大戦中国のようになるからアメリカイギリス全面的に軍を出さないのだろう。

一方で、生き残ったタイや軍備を供給された第二次大戦ロシア敗戦した日本兵独立戦争を指示したインドネシアなどは独立自立し、歩みは遅いが産業が強くなっていっている。

大統領の護衛だとか作戦指示だけはアメリカイギリス指導が入ってるが、ゼレンスキー鼓舞し、兵員自身はゼレンスキーのもとに集める。軍備だけはガンガン供給する。ウクライナ人たちが自分たちが国を守るという意識を持たせる。

それが戦後ウクライナ発展に良いと考えている。

から軍備だけをどんどん出すという戦略にしているのかもしれない。

戦後はゼレンスキー開発独裁に近くはなるかもしれないが。

2022-04-22

たけのこ剥ぎに最後まで付き合う

昔、あぶく銭を持って夜遅く池袋を歩いてたとき

眼鏡を掛けた可愛い中国人女の子に「マッサージどうですか?」と声をかけられた。

このメガネトレーナー女の子マッサージしてくれるのか、と単純に思ってついていった。

入り口で3000円くらい払って、お化け屋敷よりちょっと明るいくらいの照明で、

建物内なのに土間みたいに埃っぽい部屋の中が、

透ける薄いカーテンで仕切られていた。そこの診察台のようなベッドで待つよう言われる。

10分くらいして、眼鏡とは違う女性が来て簡単マッサージを15分ぐらいされた。

それからオプションスペシャルか、もっと良いサービスする?みたいなことを言われたのでうなずく。

3000円くらい払って、その女の人が服を脱いだのかな。それで「触ってもいいよ」だったかな。

遠慮がちにぺたぺた触ってたら、腕を掴まれおっぱいを握らされて「こうゆうふうによ」みたいに。

1分くらい抱きつかせてもらった。

もっといいことする?「うんうん」「じゃあ紙パンツに着替えて寝てて」。

はみ出るパンツ姿になって寝てる。近くで生活してる中国語の会話が聞こえる。

誰か来て、ちんこまわりをなんとなくマッサージされて、ちんこ大っきくされて、

もっと気持ちいいことしたい?」「うんうん」。またまたされて、ちんこも小さくなって、

また違うような女性が来て、ちんこにローション塗って手コキしてくれた。

ワイは仰向けでちんこ立てて寝てるだけ。10分くらいされてもいかなくて、

女性が一回引っ込んで、なんか話して、「せっくすする?」と言われてうんぬん。

話し合う声。何件かに電話をかけてる。時間は午前2時ぐらい。

出しっぱなしのちんこであるが、表の眼鏡女の子が帰る時間なのだろう。

ワイの方を見て笑いながらリュックを背負って出ていった。

30分ぐらい放置されて女性が来て、その人には20000円だったかな。言えば値切れただろう。多分ふっかけてる。

でもうんうんうなずいて、お金を渡して。

服を脱いででもブラはしたままだったような。ワイをベッドからどかせ自分が寝て、

自分で股にワセリンかなんか塗って、ワイのちんこは小さくなっていたから寝たまま手でしごいてくれて、

起き上がって本腰でちんこをしごいてくれて、しれっとブラを上にずらしておっぱい露出させて揉んだらちんこは大きくなって、

多分「おっぱいが好きあるねw」とか言われてブラを外した。コンドームを着けられて、

ちんこを挿れた。周りから見られてるような、別に見られててもいいんだけど、

時間をかけても相手に悪いし、ワイは陰毛好きだから陰毛をさわさわ触りながら割れ目を確かめてくりとりすを触って、

おっぱいも「中国人女性おっぱいだ!」と思いながら揉んで、

女性上半身を起こしてワイの乳首を舐めてくれようとするけど無理な体制で、

押し戻して、抱きつくように女性背中に手を回したら女性もワイの背中に手を回したけど、

なんか爪を背中に立てられて、でもせっくすはきもちいいなー、

女性は35歳から40歳くらいかな。はるばる日本に来て、ワイが15000円で身体を買ってごめんね。

おっぱい舐めたりキスはしなかった。勝手背徳感とか相手綾波だとか考えて、

早く行こうと5分ぐらいで射精した。射精の脈動が終わった後、触っとこうと思っておっぱいを何回か揉んだ。

女性はしばらく寝たままで、どうしようかなとワイはちんこを抜いた。

それでコンドームを取って、ティッシュペーパーを探してるところで女性ティッシュの箱を渡してくれた。

包んで捨てる。ちんこも拭く。女性自分の股を拭く。なんか笑いながら言われてちんこをつつかれる。

それからまたワイの手を取っておっぱいを揉ませてくれた後、「これから帰るの?」と日本語で言われた。

はい」「電車無いでしょ」。パンツをはきはきブラをつけーの、そそくさと服を着て、

奥に引っ込んで、帰ってきて、「ここで寝てていいから。朝開くまで寝てていいよ」と親切にしてくれたけど、

「帰ります」「どうやって?」「タクシーで。給你」と2000円上げた」「你会说中文吗」「一点点」「謝謝」と言って、

ほっぺにチュッとしてくれた。

午前2時半くらい。タクシー赤羽まで帰った。総額45000円くらい。30万円までは耐えられた。

もっとぼったくって欲しかったでござる。あの最初眼鏡の子と金の力でえっちしたい。

中国で呼び込みに声かけられて「どの娘がいい?」って聞かれたから好みの女の子指さしたら、

おじさん歩いていって話しかけて、女の子が僕を見て、おじさん熱心で、帰ってきて、

「500元ならいいと言っている」というから「お願いします」「仕事終わるの22時だから待ってろ」。

普通店員女の子に話をつけたんだと思う。女の子たかだかせっくすだからと金額が折り合えばいいみたい。

普通女の子は脱いでも中国普通で、よれよれぱんつと生えてる脇毛とおしっこ洋式便器に立ってして、

裸に羞恥心が無いみたいで、裸であぐらかいたり股広げたりまんこ丸見えで、

見てると「なんで見てるの?まんこになんかついてる?」くらい。さすが你好トイレ

だけど「また大きくなってる」といじってくる。

ちんこ最初「えーちんこ舐めるのw」と舐めてくれないけど、まんこれいに洗って、

いっぱいくんにして、なんとなく69の体制にすると、舐めてくれる。

でもすぐ「挿れたいでしょ。もう挿れたいんでしょ」とお前の気持ちはわかってるんだぞとにこにこしながらちんこ握ってぶるんぶるん

喘ぎ声は中国語で、途中なんか言ってるけどわかりません。

寝て朝になって目を開けると、女の子が起きててにこにこしてるからいいよねー。

朝もせっくすして一緒にお風呂入って、なんか言われるままにホテル出てタクシー乗って、

着いた建物の中に入ったら、女の子がたくさん住んでて、うす汚くて汗じみてるんだけど、

女の子がなんか話すとみんなじろじろにこにこ見てきて、わざとぶつかってきたり、

シミーズ持ち上げてパンティチラチラとか、おっぱいもぱぱって見せてきて大爆笑

だいすこ。みんな裸になって押しくら饅頭したい。

女の子帰ってきて、買い物とかご飯とかデートして、彼女仕事に行きました。ばいばーいって。

多分食堂メガネかけたおばさんでも交渉次第だと思う。おじさんがすごかったのかな。

でもおばさんだとまぐろかなー。背中にいっぱい湿布貼ってるかなー。

せっくすもいやいややればすんごくつまらないよね。「なんで私とせっくすしたいの?」くらいの気持ちになって欲しい。

援交の女の子がそっけなくても「まんこ可愛いって言われない?」「言われない」「まんこ48があったら神セブンだって

「受ける。ふつーだってふつー」「いい匂いするよ」「本当に?」と、まんこ適当に褒めて気分をよくする。

「私のまんこ可愛いっていわれたことあるよ」って誰かに自慢してあげて。

「おちんちんおおきいですよね」「いやいやいやいや」

「おにいさんのは濃いかな。味は塩っぱい。だけど嫌な味じゃない。知ってました?」

最後エヴァが居ない世界とかゆうちゃぶ台返しで、先に電源落とされたゼーレが浮かばれない。

使徒が暮らせる星を作るとか、使徒カヲルみたいに人間みたいに小さくなれるとか、

地球圧政に耐えかねた使徒星が独立戦争起こして、地球に月を落として宣戦布告とか。

「知恵の実に引きずられたリリスどもを、リリンの王たる私が粛清しようと言うのだ!」

ロシア最初攻撃してないのに反撃されちゃって、面食らっちゃうよね。

ロシアNATOに入っちゃいなよ。NATOないでもめればいいじゃん。

2022-03-17

ゼレンスキー大統領国語教育の大切さをおしえてくれた

例の米議会演説に対する日本人の反応の件だけど。

あれにキレてる人も擁護してる人も文章読めてないんよ。

よくある反応が「テロリスト日本軍を同列に扱うのか」とか「経済制裁で追い込まれていたからあの攻撃は仕方なかったしあれは奇襲じゃない」とか「真珠湾攻撃民間人を標的にしてない」とか。

で、それへの反論として「日本軍の奇襲攻撃テロといっても過言ではない」とか「経済制裁言い訳にするなら今回のロシアのこと悪く言えないでしょ」とか「民間人犠牲も出てる」とか。

まあお互い丁々発止やりあってるわけだけどさ。

ちょっとまてと。

まず翻訳でいいから原文を読めと。

真珠湾を思い出してほしい。1941年12月7日、あのおぞましい朝のことを。あなた方の国の空が、攻撃してくる戦闘機で黒く染まった時のことを」「9月11日を思い出してほしい。2001年のあのおぞましい日のことを。悪があなた方の都市を、独立国領土を、戦場にしようとした時のことを」と呼び掛けたゼレンスキー氏は、「わが国は同じことを毎日経験している」と語った。

https://www.afpbb.com/articles/-/3395392

はい、では上の文を読んでゼレンスキーの言いたいことを答えよ。

大日本帝国イスラムテロリスト同類だ」

ロシア軍と大日本帝国軍は同類だ」

ロシア軍の攻撃大日本帝国軍の真珠湾攻撃のように卑怯卑劣だ」

はい、どれもハズレですね。

正解は「あなたの国が攻撃された時のことを思い出してほしい」だ。

 

アメリカという国は建国以来何十回と戦争をやってきている。

第二次大戦朝鮮ベトナムアフガンイラク、その他数々の軍事介入

でも、国を戦場にした経験は数えるほどしかない。

独立戦争南北戦争、そして太平洋戦争真珠湾攻撃だ。

それほどまでにアメリカという国は攻めることはあっても攻められることはない国なんだ。

から「攻められたときのこと思い出して?」っていいたいときに例示できるのは真珠湾くらいしかない、マジで

そこをちゃんと読めればバカみたいに反発することもバカみたいに擁護することもないだろ。

まじでおまえら発言者意図してないところで騒ぐのやめろ。

国語勉強やり直せ。

2022-03-06

anond:20220304222909

でも設定上はロシア似の帝国支配武力抵抗した中央アジア小国(多分ジョージア)のリーダー

独立戦争を戦い抜いた英雄なんよね

トラバ元読まずにここだけ読んだらナウシカのことかと思っちゃった。

ジョージア写真見ると、ドンピシャ風の谷のイメージなやつあるんだよな。

実際は同志スターリン故郷なんだけど。。

2022-03-04

anond:20220304172856

でも設定上はロシア似の帝国支配武力抵抗した中央アジア小国(多分ジョージア)のリーダー

独立戦争を戦い抜いた英雄なんよね

そして異世界行ってもやることは難民助けつつ対帝国独立紛争を各地で支援するみたいな話だから

割とちゃんとしてるというか

そういう話なのに、ネットでウケをとるためにプーチン似の主人公にするのが合理的になるという日本エンタメ空間空気感というか

作品自体より俺はそっちが気になるんよね

2021-12-10

anond:20211210152841

白人アジア人が一矢報いて、欧米植民地から独立させたからだよ!

日露戦争での勝利アジア人トルコ人には高く評価されている。

蘭印(インドネシア) — 独立戦争の終結後、インドネシアでは多くの元日本兵が独立戦争への功績を讃えて叙勲されている。

2021-08-13

anond:20210812205820

植民地宗主国との独立戦争とかそういうのが過去の遠い時代の話になってるからリアリティを感じないんじゃないかなあ?

ガンダムかつくられたのが78年とかそのへんなんでしょ?

宗主国フランスアルジェリアあたりが独立戦争してたのが60年代とかでしょ。

だいたい20年くらい前にあった事実でしょ。

今の感覚からすると飛行機ニューヨークに突っ込んでからイラク戦争が終わるくらいまでの話。

そういうのを参考にしてアニメの設定とかでっち上げたら一応のリアリティ出来るじゃない?

でも40年以上前独立戦争とかだともう昔話になってしまってリアリティを感じられないんだよ。

そういうことじゃない。

あと戦争が先にありきだと思うからね、ガンダムとかだと。

戦争するという設定があってなぜ戦争するんだろう?ってことだと思う、おそらく。

そこでリアリティを維持するのが独立のための戦争だったんだよ当時は。

まあこれはガンダム限定した話で元増田のいうSFの話とはちょっと違うけれど。

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