はてなキーワード: 大陸とは
良い買い物ができた。2年分くらいの在庫の中から選べるのでデパートでプロパーで買うより選択肢が広くてよかった。
お客さんはお年寄りばっかりで、意外にゆっくり買い物ができた。若者は本当にブランド服を買わなくなってるんだなぁ。
売れないからだと思うが定番ブランド服の値段はここ2、3年ものすごく上がっている。ダーバンや五大陸の男性用スーツなんかでもいわゆる既製服なのに
ちょっとおしゃれ要素が入ると定価で10万円超はザラで輸入生地だと20万円超の値段がついていたりする。
定価22万円、半額で11万円で大変お買い得です、と言われても既製服消耗品の値段としては何か一線を越えているように思う。
20万円のスーツというのは社長さんがオーダーメイドする価格帯という印象。
一方で数万円のものもあることはあるが、「紳士服の○やま」とかイオンなんかで売ってるポリ混のリクルートスーツと生地や仕立てが変わらない。
さらにコストダウンしてポリエステルジャージ生地のスーツなんかも最近見かける。値段も安いしたしかに楽なんだろうけど・・・・。
サケ(類似生物)漁により富を蓄え貧富の差が拡大した文明の中から
隣国が寝静まっている間に、襲いかかった侵略者は内分泌系の異常により
凶暴化しており、下痢に苦しみながら暴れ回った。
あわれな隣国はまどろみの中で滅亡した。
そんな事態がまたたく間に繰り返され、最初の世界帝国「モレツ」が誕生する。
だが、知的生命本来の生態をうらぎる生き方をよしとしない人々は、
モレツ帝国に奴隷労働を課されながらも、氷と木屑から船を建造。
こうして誕生した増田アース南半球側の「テイジー同盟」と北半球側の「モレツ帝国」は、
数少ない通過点となりえる大陸西側(増田アースは地球と同じ方向周りである)の
寒流帯を焦点として永劫にも思われる角逐を開始した。
自分が「戦争はいやだなあ……」と漠然と思う気持ちの根底が、この二人の体験を聞いたことによって、
戦争が人の人生を強烈に歪めるということを肌で感じたことによるものっぽいので、ちゃんと覚えているうちに一度書き出しておきたいと思う。
(1)
一人目は離れて暮らす祖母で、確か終戦時10歳かもう少し上か、その辺りだったと思う。
祖母は満州から引き揚げてきたそうだが、祖母の父が警察?か何かの職に就いていたらしく現地で一時投獄されていたそうだ。
警戒されにくい子供の祖母が差し入れとして羊羹を持っていくのだが、その羊羹の中に毎回カミソリの刃を忍ばせていたという。
そのカミソリが何用なのかは教えてもらえなかった。
祖母が住んでいた町は、ある日やってきたロシア兵に制圧されたそうなのだが、
「女だけの家があると知れると、夜になるとロシア人が数人で来て、朝になると帰るのよ」
「お菓子で子供を釣ろうとしていたけれど、近所のお姉ちゃんやおばさんに何をしているか知っていたから、私は一度も受け取らなかったわ」
「日本に帰るために街から逃げる直前に、遂にロシア人が私たちの家にも来たのよ。でも、お母さんは病気だったでしょう?妹はまだ5歳でしょう?」
俺がまだ子供だったからか、それ以上の事は語られなかったが、祖母は今もロシアが大嫌いだ。
しかしそれ以上に天皇を「コイツが余計なことを始めたせいであんな目に」と毛嫌いしているようで、今でも酒が入るとすぐに「天皇家は早く滅びろ!」と喚きたてる。
同時に、幼少時に現地の子たちと一緒に遊んでいた影響らしいが、中国・韓国への親近感が非常に強いようで、
成長後バリバリの左翼になって共産党に入党し、国交が本格的に再開する前から限定的な市民交流として招かれて中国に渡ったりもしていたらしい。
最終的には自分が人生で最も重視するもの=活動のために動きやすくなろうと、子(俺の母ら)を残して祖父と離婚したというから筋金入りだ。
ちなみに、祖母が漬けたキムチはめっっっちゃ美味い、そして市販品がサラダに感じるくらい辛い。ポイントはアミ(エビ)を入れることらしい。
(2)
祖母から話を聞く以前、誰かから初めてきちんと戦争体験を聞いたのは、
ノストラダムスで世間が盛り上がっていた小学生の頃、「戦争体験者を探して話を聞きに行ってインタビュー記事をまとめる」という宿題が出た時だった。
大抵の子が自分の家のばーちゃんあたりから「この学校の校庭で芋作ってた」的な話を聞いてきた中、
先述の祖母が遠方住まいだったので身近に戦争を体験した人がいなかった俺は、近くに住んでいた清さんという90歳越えの元兵士の爺様に話を聞きに行った。
清さんから聞いた話の中で一番印象に残っているのは、
「戦争の時、大陸にも行ったけど、捕まえた女の人の股に一升瓶がどこまで入るかって遊びをやって、途中で女の人が死んでしまっても笑っているような連中をたくさん見た。」
という随分エグい話だ。
まだ女性の体の仕組みもよくわかってなかった時分だけれど、淡々とした話を聞くだけでとにかくゾワゾワと怖くて、その時感じた嫌悪感は今も強烈に覚えている。
「あーいうことをやるのは陸軍ばっかりだ、陸軍はロクでもないのが混じってる。」
その後清さんは、太平洋戦争中に南方(東南アジア?)の島で滑走路の脇にいたところ、
戦闘機に機銃で近くを撃たれたか、すぐ近くに爆弾か砲弾が着弾したかで左手の指を数本持っていかれて、氷川丸という病院船で日本に帰ってきたそうだ。
当時の俺は、一番印象深かった話は少々ショックが強すぎたのか一旦記憶にフタをしていたようで、
清さんが途中途中で妙に楽しそうに話してくれた、上官に木の棒でぶん殴られる話とか、南の島で現地の人と仲良くなって食べ物を分けてもらった話とか、
魚雷を回避するための航法とか、合図のラッパの話とか、氷川丸(生き残って今も展示されているらしい)の話とかを中心に無難にまとめて提出した気がする。
「私は運よく五体満足で帰ってこられた」(指ぐらいは清さん的にはノーカンらしい)「ただ運がよかっただけだ」と繰り返し言っていた清さん。
隣を歩いていた仲間が一瞬後にミンチになって自分は"たまたま"生き残ったり、
手足がもげて臓物をまき散らしながら殺してくれと懇願する仲間を拳銃で介錯したりしながら、
明日は自分もどうなるかわからないという地獄を繰り返し繰り返し味わいながらも、自分たちの行い・戦いが正しいものだと信じてそれを頼りに耐えていたのに、
帰ってきて戦争が終わったら「あれは全部間違いでした」と言われても、頭ではわかっても、
どうしても自分のしてきたことや仲間の死の存在が大きすぎて、90歳を超えてもまだ心で受け入れられない、と仰っていた。
戦争はよくない、あんな思いをこれからの若者たちにさせてはいけない、ということを強い口調で語る一方で、
「天皇陛下万歳」と唱えると、先ほどまでパーキンソン病で若干フルフルしつつ話してくれていた温和そうなおじいちゃんが、別人のように背筋がピンと伸びて腕を振り上げよく通る声を出す様子や、
軍歌やラッパの音の入ったテープを何本も持っていて、今でも毎日聞いてしまうのだと言っていた清さんの様子を今になって思い返すと、
今年87歳になった婆ちゃんに、
当時「この世界の片隅に」のすずと、
どうだったのかなと聞いてみたいと思ったのがきっかけだった。
婆ちゃんは7人兄弟の三女。
婆ちゃんのお母さんは、早く亡くなっていて
物心ついたころには、後妻としてきたお母さんに育てられたそうだ。
婆ちゃんが子供のころは婆ちゃんのお父さんは事業に成功していたらしく
家にはお手伝いさんが何人もいたらしいのだが、
家は途端に貧しくなったらしい。
婆ちゃんを女学校に入れて欲しいと、お父さんを説得したそうだ。
当時はまだまだ少なかった奨学金の話を持ってきてくれたり、
本当に熱心に動いてくれたらしい。
結局は婆ちゃんのお父さんも先生の熱意に打たれて
全寮制の女学校に行けることになった。
戦争が始まる前、日本は満州での事業で盛り上がっていたそうだ。
とても素晴らしいことで全く悪いことだと思っていなかったそうだ。
近所の家が、共産党員の容疑をかけられて警察に連れて行かれた。
婆ちゃんのお母さんは、近所のオジさんは悪い事をしていたと伝えたらしく、
子供心にショックを受けたそうだ。
天皇陛下のためだし、戦ってる兵隊さんのためだからしょうがないと言っていた。
徐々に女学校の日常が、戦争への協力の日常に変わっていくのは感じていたそうだが、
戦争はずっと勝っていると思っていた。
新聞もラジオも毎日のように、日本の大勝利の話ばかり流れていたそうだ。
そのうち、配給が減ってくるといつもお腹が空くようになった。
芋だけじゃなくて、芋がらといってツタとかも食べたらしい。
炊きたての白ご飯に納豆をかけてお腹いっぱい食べたるのが夢だった。
花火のように火を吹き上げるんだそうだ。
婆ちゃんは怖くて怖くて、山の上に逃げた。
ただ、ただ、山の上に逃げた。
当時、なんで山に逃げたのかは自分でも解らなかったらしいが、
一緒にいた友達が山に逃げるので一緒に着いていったそうだ。
結果、それが婆ちゃんの命を救った。
そんな人でごった返した川めがけて、空襲は襲った。
川に逃げた人はみんな死んだ。
その後、近くで何度か空襲があったらしいが
運良く婆ちゃんの所には直撃せず、
戦争に負けた悲しみよりもなによりも、
もう、爆弾が降ってこないんだ。
と言った時、婆ちゃんはうっすら目を潤ませていて
本当に本当に辛かったんだなあと、
聞いてる俺も泣きそうになった。
食糧不足になって、都会の親戚が着物いっぱい持ってきた話なども聞いたが、
だいぶ長くなったので、ここで話を止めたい。
戦争を始めることもいとわないと言うのを聞くと
心から恐ろしくなるし、
強く言っていた。
こちらでは現地に産する礫岩中に含まれていた片麻岩の礫が20億年前の日本最古のものであったことから、
25人も乗れるエレベーターが「タイムスリップ装置」になっていて、
光の演出後にエレベーターがガタンと動いて、太古の地球に行けますわ。
「太古の地球」には世界最古のアカスタ片麻岩からストロラトマイトなど
有名どころの岩石の立派な大型標本が展示されていて、
始生代のマグネシウムが豊富な火成岩「コマチアイト(コマネチアイトではありませんわ)」
円磨された石英が岩石になった大陸に特徴的な堆積岩「オーソコーツァイト」
などは聞き覚えがなくて興味深かったです。
本当にいくつになっても知らないことばかりですわねえ。
・・・・・・ただ、忘れているだけかもしれない事実がつらいところです。
なぜかモロッコの岩石を推していて、モササウルスの頭骨標本も展示されていました。
でも、出典を明記しないよりはよろしくてよ。
また、入り口のところではモロッコ産のサメの歯とアンモナイトが100円で二つまで「ハンティング」できて、
ついつい没頭してしまいましたわ。
どうせなら現地のチャートを磨いた物のほうが欲しかったですわ。
展示をみるとなかなか綺麗ですし、昔の人も石器に加工していました。
地学系博物館にありがちな動く地質立体模型でせり上がってきた地質断面図に
この岩体を含む地層の走向を追っても石灰岩が露頭していません。
どうしてこんな図が描けたのかしら?と注意してみると、
周囲の地層が褶曲構造をなしており、反対側の翼では石灰岩が露頭していました。
これが反対側では地中のあのあたりに現れると推定して描いたのでしょう、
徹底的に深いボーリングをしたのでなければ。
礫岩から命名したそうです――博物館名と同じくどうにも安直ですわ。
ごろんと道路をふさいでレッカーされそうですわ。
わたくしなら岩の男の子だからロックマ・・・・・・レッキーくんのお名前とっても素敵だと思いますわ。
おほほほ。ごめんあそばせ。
ランニングと筋トレのおかげで最近になってある程度痩せてきたからそろそろ服装でも楽しみたいなあと思うこのごろ。
しかし多忙と肥満によりオシャレとは縁遠い生活を送ってきたからブランクが半端ない。
しかも予算の関係でBook Offや2nd Street、トレジャーファクトリーなどのセコハンショップにしか行けない。
という訳で自分の傾向と対策と新しいものを見つけたいと思い、数ある棚の中からつい手を取ってしまうブランドと絶対に手を出さない
ブランドをここにあげて、できればいろいろ意見を求めたいなとは思う。
一番信用しているブランド。着心地が好き。とはいえジジ臭いしちょっと高めな印象
・エルメネジルド・ゼニア
ヨーロッパ系では一番好き。EZ by zegnaも買ってた。縫製がちょっと甘い気がする。
・トリ・リチャード
マニアックだけどアロハシャツならここが一番。なかなか出てこない。
・R・ニューボウルド
・ダンヒル
ブルックスよりは高くなる。けど手に取ってみるといいことが多い。
・Jプレス
ブルックスに比べると格段おっさん臭くなる印象。というか五大陸とか含めてオンワードという感じ。
・ラコステ
セコハンでまともなのないだろうなあここら辺は。テニス部出身だから好きなんだけど。
・ベネトン
当り外れの幅がでかすぎてなんかその。
・ビームズ
・シップス
・ナノユニヴァース
本当にこの値段なのか感がどうしても拭えない。
・ユニクロ
・ギャップ
経験上徹底的に着潰すといえばここら辺。新品いった方が。
2年前の敗戦の日ころにNHKのラジオで流していた五木寛之さんといとうせいこうさんの対談の冒頭部分の書き起こし。
誰かフルで持っていませんかね。
まぁ、僕はもちろん戦争体験の年代ではないのですけど、五木さんは?
とはいっても、戦場体験は、もう3つくらい上になるとあるんですけど
少年飛行兵とか
僕らの世代は、ちょっと前で、終戦のときは、中学1年生でしたから
平壌の一中に通ってました。
で、引き上げていらっしゃって
丸々太って引き揚げてきて、村の人が
出ていってときと別人のようでなんて人もいた。
インパール作戦とか
僕は国に対して、万斛の恨みがあるんですけど
そのままにしておきたい
方針があったみたいですね
僕なんかは、引き上げというよりも脱北ですね
脱北者として、逃亡してきた
今から70年になりますから、引き上げ者といってもピンとこない
あっ、帰国子女ですかと言われたりするんで、
棄民のようなかたち?
完全な棄民ですね。
平壌では、チョコレートがあったそうじゃないかみたいなかたちでね
上海では、ジャズバンドもあって、ダンスホールもやってましたから
そういう裏返しも、恨みみたいなものがあるから、余計なものが帰ってきてということで、
粗雑なお話になって、
あるいは美しい物語になってね
五木さんはそうではなかった
僕なんかまだいいほうでね
近くに入植した人たちが、軍に見捨てられて
デマが流れて、ピョンヤンに来ると列車があるらしいということで、
見るも無残な行列が
その人たちは、ありとあらゆる戦争の愚行というものの惨禍を受けてね
ひとことには絶対いえないですよ
それがもう伝わらなくなってきている
帰国子女だという人がいるということ
五木さんに今このお話を伺うことは、とても大きなことなのではないかと
今、話すのは無駄だと思っているんですよ。
虚無感というかむなしさの中で
沖縄戦のいろんなことを語り部として、修学旅行の生徒に語って聞かせるようなガイドの人たちは、もうだめだ。やめようと。
早くやめろとかね。その間みんなスマホを見ている、ぜんぜん聞こうとしない
僕は伝わらないと思う
言っても言ってもね、実感というのは伝わらない
僕はもう半ば諦めている
その人が
そうなるまでは、
物語化して伝わったり
そういうクッションを経て伝わるんだ
と、悪いんですけど、嘆いているんですよ
なんとなく、口ごもる
話の中にもその人が語りたくない
っていう感じが伝わってくるでしょ
本当のことは語りたくないわけでしょ
本当の自分に対してやましさを持っている人たちは
語りたくないんですよ
だから、僕も本当のことは語らない
ずっと今日までね、引き上げをテーマにした小説は書かなかった。
言われたら、とてもじゃないけど、申し訳ない
確かにそうですね。
以上の内容から読み取れることは、戦争体験は千差万別であること。
修学旅行で原爆資料館に行ったら、呉の軍港も見て、岩国の基地も見て、バランスをとっておくべき。
沖縄にいったら、ひめゆりの塔に行ったら、米軍基地も見ておきたい。
空爆でやられたところとそうでないところ。日本の都市部がなぜか軍需工場扱いされていた事実。
やられなかったところは、当時の日常の延長なんだよ。
赤紙がきて、動員された人。上を目指して、半島や大陸に渡った人もいた。
そういう事実の積み重ねの上、生き残った人が今を作っている。ただ、それだけ。
Yuriko:
私は……
この国のことがキライでした。
見ぬ振りをする人々……。
そして少しでも
それを変えようと努力すれば
するほど、自分が無力に思える日々……。
でも最近、
いろいろな人々と出会い、話をして、
そうでもないかな……って思うんです。
それで、もっと
はっきりとみんなの声、
聞いてみたいって思ったんです……。
「ニッポンのこと、好きですか?」
ちなみに、
もうすでにいろんな人に話は
聞いたんです。参考までに教えますね。
突然変なことを聞くのね……。
そうね……いろいろ
苦労したけど……ニッポンに
誇りをもてなかったと思うの。
変な話だけど、
この国って、いつか見返してやる!
って気持ちが強くなるのよね……。
あなたもなんとなくわかるでしょ?
Taro:
ええ、この国に生まれて
良かったと思いますよ。
作物が取れない
手に入ります。
それはこの国が
目先の小銭ばかり追い求めると言う方々も
いらっしゃいますが、彼らがいてこその
素敵な悩みですわ。
Hiromu:
くだらんことを聞くな!
大嫌いだ!
Yukio:
かと言って、このままでは死んでいった
仲間たちの死が無になる……。
変わっていかねば
ならんことはみんな気づいている。
Hisahito:
好きかどうかなんて
ただ……国なんて気にせず、
自由気ままに生きようかと思うほど、
責任って呼ぶんだよね、それ。
誰も追及しなかったからだろうね。
何もかも人任せに
していいんだったら必要ないこと……。
でも自分の力で、そしてみんなと
生きていくためには必要なこと……。
ま、おばちゃんも
あ、そんなに
怒るなってば……
Tetsuro:
この国が嫌いでしたら、
ずっと大陸にいて腕を磨いて
いたことでしょう……。
でも、この国にこそ、
あるのではないでしょうか?
Akihito:
したいだけだったのだがのう……。
こんなたいそうな
立場になるなんて思いもよらなんだ。
まあ、人生何かを望むのならば、
人に何かを与える人間になれと言うことだ。
Yoshihide:
いいんじゃないの?
オレみたいなのも閣僚になれるって
あとはもう少し給料UPと
ここに立つ時間減らしてくれりゃ、
Ryouta:
敵が外にいるなら、
敵がこの国の病だからこそ、
きっとたどりつけない。
でも、少しでもそれに近付こうとするのが
Lienfang:
この国のことを
本当に素直に語れるようになるのは、
できたときではないでしょうか?
考えてきませんでした……。
やっと本当の意味でこの国と
向き合えた気がします。
Yoshiro:
な、何を突然言い出すのだ!
くだらぬことを言ってないで、
Shinzo:
私はこの国を愛しています。
みんなで苦しみ、みんなで喜びを
わかちあい……。
誰かに苦しみを
押し付けていては、この喜びは
生まれることはないでしょう……。
だから私の背負った
苦しみも、みんなの苦しみの一部です。
一緒に喜べる日々のために、頑張ろうと
思います。
私自身の考えは
まとまらないけど……。私、
もっとこの国を知りたいと思いました。
そして、いつの日か
この国のみんなの役に立ちたい。
Shinzoさんだって、
祖父君と比べられ、頑張ってきたんです。
私だって……。
長くなりましたが、
あなた方の戦績は、とても偉大なことだと
思います。
与えてくれた。
これからも、一緒に
苦しみも、喜びもわかちあえる存在で
いてください。私も、そうなれるように
それでは、また……。
Yurikoより。
織田信長がウィッチ(森蘭丸、少女でウィッチ)によって暗殺を免れ、海洋大国として栄えた国。西はインド洋や東南アジアでブリタニア(大英帝国)とドンパチ、東は北リベリオン大陸(北米大陸)に入植するなどのチート国家。
ウィッチが脚に履くストライカーユニットは、1・2期主人公の父親が開発した。
1話にもチラッと出てくる「南洋島」は、太平洋に進出した武士団が発見した無人かつ資源豊富な島で、本土よりも広大。ぶっちゃけ満州。
中国大陸・朝鮮半島は荒涼とした大地が広がっているが、浦塩(ウラジオストク)周辺も勢力圏。
あの世界の少女は「使い魔」と呼ばれる動物と契約することでウィッチとなる。
もともとはユニットを穿かせるにああいうデザインとなったが、作中では若い女の子ならアレが一般的らしく、ナースや村の少女ですらパン……ズボン丸出しである。
スカートのようなものを「ベルト」と呼ぶことがある。タイツのようなものは「ズボンの重ね穿き」。
海軍付属学校の制服故、着水してもいいようにらしい。が、軍属でない女学生も着ている。紺・白の他に臙脂色?も確認されている。
海軍は軍服の下にスク水だが、陸軍は丈の短い巫女装束っぽいもの+ズボン。
公式ではまず有り得ない。
メタな話、キリスト教が(おそらくイスラム教も)存在しない。詳細は省くが、ストライクウィッチーズの世界はカエサルが暗殺を免れたあたりから歴史に手が加えられており、民族紛争や宗教対立のない、または現実よりも悲惨ではないものとなっている。
キャプテンうんこが宇宙漂着した時代の増田アースには大陸地殻がなかった。
代わりに同年代の海洋地殻同士がぶつかりあってできた陸地がわずかに存在した。
プレートテクトニクスの発達した惑星であれば、年老いた分重く厚くなった海洋地殻の方が沈み込むのだが、
若い増田アースでは同年代の厚さの似通った海洋地殻が多く存在した。
押し合いへし合うことを強制されていた。
ジャバラのごとき、黒い地殻衝突現場では山が陸地となり、谷に海水が進出し、入り組んだ地形を形作っていた。
地殻変動によってたくさんの割れ目が岩盤にはしり、海水と新鮮な岩石が反応して水素を生成した。
あるいはモリモリと熱水噴出口の煙突が成長する。
新しい栄養源をもとめていた宇宙漂流最近の一部は、海水に溶け込んでいた星屑のうんこをせっせと消費しながら、
そうして、うこん色の海が自分たちのおしっこで満たされる中、光合成を発明するまで細々と生きていくのである。
陸地によって複雑に分断されつづけるジャバラ地形は微生物の分化をうながし、
やがて起こる「正常な」プレートテクトニクスは微生物たちが偏った場所にひたすら排出した
うんちの重みではじまったとか、はじまらないとか。
この前、友人と口論になった際に、腹を立てた友人が「お前はやはり大陸か半島の人間なんじゃないか」と困り果てたように言ってきた。
相手の根拠としては、私の行動(衛生管理が不十分、うそをつく、言葉のイントネーションがおかしい)をあげて、日本人ならこんなことしない、国に帰れば、などと怒りにまかせて言ってくる。
これに私は強く反発したのだが、脳味噌足りてないとか仕事できないとかはスルーできるのに、なぜこのことについてはスルーできなかったのだろうか?
考えられる点は次の3つだ。
恐らく3つがミックスされた感情なのだろうけど、1.と2.が強かったんじゃないかと反省。大陸の人と仕事もしてるしそうとは思わないのだけど、そういう見方が自分のどこかしらにも存在していて、同じにされては困る、と思った次第か。
しかしこのレッテル、言われた側は、否定すれば「ムキになるのは当たってるからだ」と言われ、その場で家系図だのを持ち出すわけにもいかない。なんともいやらしいがなぜいやらしいと思うかは、結局のところ自分の中にも差別心があるから、ってことなのだろう。
まあ今回、一番悪いのはいつも友人を困らせて疲れさせている私にあるのだが……。
レイトショーの回を観に行った。
まずとなりの席に座ってたババアが最悪。
七対の触手を落ち着くなくうねうね蠢かせて視界を塞ぐし、十七秒間隔で先端からオレンジ色の膿汁みたいなものを撒き散らす。
入場前に持たされた3DLSDを服用すると、光の世界へジャック・イン。
おれたちはもうゴジラだ。
アーチ型に列に並べられた、八十ほどあるパイプ椅子のうち、その日使われているのはたった五脚だった。わたしたちは互いに離れて座っていた。わたしたちは一人になるためにここに来たのだ。自己省察、つまりは失われた人生を結果論で批判したいという欲求。それは宗教の信者が抱く祈りへの欲求くらいにやむにやまれぬものだった。
シンゴジは昔の大作の映画みたいに、本編上映中に休憩時間が挟まっていて、そのあいだトイレにも行かず、ホットドッグを補充しようとしないやつは十五分間のニュースを観させられる。その一コーナーは株式市場報告だった。素人くさい二人の女の子が、熱心にその日の市場の動向を報告するのだ。
私は見て、聞いた。女の子たちは私の娘だった。オオクニヌシとアマツヒコネ、十歳と十二万歳。二人の母親が電話でぶっきらぼうに、娘たちがTOHOシンデレラに選ばれてこれこれの番組に出ることになったと教えてくれた。
二人は画面で無表情にアラブ首長国連邦で急速に進展している状況について報告していた。
「東京株式市場には深刻な影響は出ていないと政府はコメントしています」
「ドバイは国民ひとりあたりの負債が世界一多い」オオクニヌシが言った。「そして、建築バブルもはじけ、もはやドバイは借金を〜〜〜(聞き取れない)へ返せません」
「何十億かの誤差はありますが」
「負債を負ったこの都市国家は、六ヶ月の返済猶予を諸銀行に求めています」
「ダウ・ジョーンズが下がった」
「ドイツ銀行」
「下がった」
「また下がった」
「ホンコンのハンセン指数」
「どんどん下がる」
「下がった、下がった、下がった」
以前の人生は毎分のように自分を書き換えていく。四年後にも私はここにいて、この薄暗い客席で悲惨に座って石原さとみのルー語を聴いているのだろう。
自由になった未来などなかなか想像できない。信じられるものなど何一つない。
日本は立ち直りなどしない。
この二十数年、いや、この六十五年間、立ち直ってこなかった。
立ち直ったのは監督の鬱だけだ。
「恐怖は増すばかりです」
「数字の恐怖、拡大していく損失の恐怖」
「恐怖とはゴジラのことです。話題はゴジラです。ゴジラには収益性があります。五百八十億ドル、それとも八百億ドル?」
「速報です。ハリウッド版ゴジラを製作しているレジェンダリー・ピクチャーズが中国企業に買収されました」
「速報です。エヴァンゲリオンはもう誰も観ていません」
「なぜなら誰もが観ているからです」
戦争、休戦、無秩序に右往左往する群衆のインスピレーションとなってきたサッカーとゴジラと映画。どれも世界で熱狂的に愛されている。あるオブジェクトを追い回し、草地や芝生や都市で行われ、国全体が高揚や悲嘆に身を悶える。
もしゴジラがアメリカの発明品だったならば、古くからの清教徒的な本性に導かれて、マスターベーション禁止という原則にのっとった作品にならざるをえなかっただろう、とヨーロッパの知識人が唱えたりしないだろうか。
これはいま私が考えていることのうち、以前は決して考える必要のなかったことの一つだ。
肌が音を立てながらが溶けていくのを感じる。
性器が溶解していくのを感じる。
それがなぜか妙に心地いい。
賢いエスカルゴが創造した調和は、捕食者の赤いドラゴンではなく、
すなわち、ちょっとだけ余分に黒いうんこをする新種の誕生である。
この腹黒いエスカルゴは耐暑性をもっていて、余分に黒いうんこで環境温度を最適のものより高くすることで、
時を同じくして北の陸地では余分に白いうんこをする酷薄なエスカルゴが誕生していた。
彼らはもちろん耐寒性をもっていて、我慢大会で同種を打ち破った。
こうして似通った生存戦略で分布を広げた二種類のエスカルゴはついに温帯で激突した。
腹黒いエスカルゴが黒いうんこをひれば、酷薄なエスカルゴは白いうんこをひる。
僻地にしぶとく生き残っていた雑魚ナメクジが体色を灰色に固定して漁夫の利をえた。
殻のない彼らが増えれば手のひら状の目のない肉食動物「赤いドラゴン」が増殖する。
こいつは「何か」が赤いアメーバに食われかけているように見える奇妙な動物だが、中心部の「何か」が本体である。
赤いドラゴンが増えれば、そのチャームポイントである爪が立たない殻をもつエスカルゴ属に分布拡大のチャンスが訪れる。
こうして延々と繁栄と衰退のシーソーゲームが繰り広げられる中で、徐々に多様性が増していった。
なお、大陸の南半球側では平和的に進化が展開していて、殻の上部が半透明になっていて
効率的に日光を葉緑体にあたえる「温室エスカルゴ」などが誕生した。
また、ナメクジとの共生を辞めた藻類――あるいは別個に上陸した藻類が、
この世界で最初に上陸したのはナメクジだった。正確にはナメクジ様の単純な動物であった。軟体動物に属するナメクジはかなりの高等動物である。
ナメクジモドキ:Limacidae Pisciculosは、さながら巨大なミドリムシ。動物でありながら光合成能力を持っていた。
そして、外敵がいない先駆者の利点を活かして、恐ろしい密度で大地を満たした。
雑魚ナメクジたちには葉緑素のほかに、体表にあるメラニン色素のつまった膜を広げたり畳んだりして体色を変える能力があった。
寒い地方の雑魚ナメクジは膜を広げて光を受け、暑い地方の雑魚ナメクジは膜を畳んで白い肌で光を反射した(紫外線の波長域には別の対応をした)。
ナメクジモドキはあまりに高い生存密度から、周辺の気候にすら影響を与え、
日光を吸収・反射することで寒い地方の大地は黒く暖かく、暑い地方の大地は白く涼しくしていた。
遥か高空からみた大地は灰色に染まっていたが、ズームインすれば、それはうぞうぞと蠢いているのであった(想像しないでください)。
それに対抗するための「殻」の再発明がさらに大きな悲劇をもたらした。
いちど作られてしまえば愚かなエスカルゴたちの殻の色を変えることは不可能だった。
地上は寒い地域は寒く、暑い地域は暑い、過酷な世界に戻ってしまう。
数百万年後にこの苦境を救ったのが、新種の賢いエスカルゴEuhadra callidusの誕生である。
賢いエスカルゴに溶岩を噴出させたり、大気中の水蒸気量を操ったりする能力があったわけではない。
ただ、賢いエスカルゴは、うんこの色をコントロールすることで環境の制御に挑戦したのだ。
こうして、大地のアルベドをコントロールし、気候を穏やかにする。
雑魚ナメクジと違って体表の葉緑体にも影響されないため、賢いエスカルゴはより徹底的な白色で世界を塗ることができた。
宇宙空間から、増田アースを見た時、大陸は気候帯に合わせて白から黒のグラデーションに染まっていた。
そして、白から黒のグラデーションによって気候が変化させられていた。
とても美しい光景であった。
このように雑魚ナメクジも賢いエスカルゴも奇跡的な生物であったが、
後世の古生物学者に体表の色や排泄物の色をつきとめるのは難しく、