踏み絵を踏むことが「罪」になるかどうかは分からない。
人間の合理主義で考えると罪とするのは不当なような気もするが、(人間から見ると)割とどうでもいいような行為でも重罪になる宗教なので、そこんところは分からない。
(そもそも神様の裁き・判断を予測すること自体が不可能)
ただ、踏み絵を罪と考えた場合でも、イエス・キリストが過去・現在・未来のすべての人の罪を贖ってくれているため、信仰を持ち続ければ罪は許されることになる。
じゃあ殉教した宣教師はアホなのか、というとそれも違う。
たとえ強制されたとしても踏み絵を踏まないという選択をしたのはそれはそれで立派。
ちなみにジョン万次郎は踏み絵を難なく踏んで入国したとかいう逸話が残っている。
これは上記の宣教師と違ってプロテスタントだったからだ、とかいろいろ言われているが、本当のところは分からない。
Permalink | 記事への反応(0) | 08:50
ツイートシェア
帰りの電車でkindle版ガリバー旅行記読んだ。 オランダ人のふりして日本に立ち寄ったガリバーが「踏み絵は勘弁な」と言って「お前ほんとにオランダ人?」と疑われる場面があった。 で...
踏み絵を踏むことが「罪」になるかどうかは分からない。 人間の合理主義で考えると罪とするのは不当なような気もするが、(人間から見ると)割とどうでもいいような行為でも重罪に...