もちろん遺体の焼却はさっさとしないとだが、初七日とか四十九日もぴったり7日や49日でやらないんだし、拘らなくてもよいのではと思う。
式を執り行うことに意義があるだけで、そこに遺体は必要なのだろうか。
墓石がない墓が一般的だし、六文銭も最近はただの紙だし、そろそろ遺体レスの葬式も発案できると思うのだが。
数人分まとめてできる分、葬儀費用は安くなるだろうし、式場や寺も計画的な業務が出来るようになる。
婚姻届は24時間いつでも受付ていても、結婚式は「明後日やるからよろしく!」なんてことはない。
葬式ももう少し考えたらどうか。
追記
創価学会は葬式が安いらしいが、その他の機会に吸い取られるし、クリスチャンだって毎週教会に通ったり、なにかの折りに寄付をしたりと、どんな宗教でも金はかかる。
普段なにもしないぶん金で解決、まあそれも宗教というものを守るために仕方ないじゃないか。
無神論者だけど、この世に宗教がなかったら殺伐としてると思うから、金は払うよ。
よくNHKが言う公共放送を維持するために受信料、みたいなものかと。
(あれは納得出来ないが)
いとこの父さんが亡くなったときは、死後の直後は遺体を焼いて骨にするだけにして、 数か月後にお寺で葬式してその時に親族が大勢集まるみたいな感じだったよ。
葬式システムは早晩崩壊するだろう。金もないし、取り仕切る若い奴より老人の方がずっと多くなって追いつかなくなるだろうし、これから安楽死がポピュラーになってきて根本的な概...
死体を目の当たりにすれば死を納得できるからだよ 合理主義でしか考えられないからあほなことを思いつく