はてなキーワード: タイムラインとは
twitterのタイムライン眺めて思ったんだけど、マイナージャンルで自分の好きを貫いてささやかに頑張っているひとはかわいいね。応援したくなる。幸せな結婚をして素敵なお母さんになって次の世代に色々伝えてくれそう。
ひたすら誰かの主張をRT連打したり、アレな話題(最近だとpixivとかフジテレビとか)の批判を繰り返したり、そう思えばマナー厨だったりわざわざ自分の理解できない萌えをdisったりする腐女子はかわいくないね。こういう人が40代50代と独り身で過ごすのを想像したり、子供を授かって育児をする光景を考えてみたりしたんだけど、どっちに転んでも悲惨に思えちゃったよ。どうなるんだろうね。
俺、未だにハイライトシーンでも、盛り上がった一連の試合というのをまったく見ていないです。ずいぶんと盛り上がったらしいですが、むしろ試合が終わってもしばらくはその存在を知らなかったくらいで。Twitterでやけにタイムラインが盛り上がっていたのを、後日、気が付きました。
俺は、引きこもりみたいな生活していて、テレビをあまり見なくなりまして。情報はもっぱらネットから仕入れてます。といってもはてブとまとめブログとtwitterのみ。やばいですよね。それと怠惰な性格ゆえに、せっかく目にする情報でさえも恣意的なものでありまして、しかも他人にペラペラ話せる類の情報でもないので、およそ世間話といったものが出来る自信がない。恥ずかしいことに原発問題だっていまいち把握していない。けっきょくあれってどうなの?危険なの?大丈夫なの?グレーソーンが広すぎて細分化しても議論が捗らないほどに問題が複雑化してるの?それは大変。
という感じで、ある意味で社会性の喪失。超狭義での社会性。去年から、引きこもるような生活をしてからは簡単にそれを達成できたけれども、果たして社会性を取り戻すときにはどれほどのコストがかかるのだろう。世間話に必要なのは、共時性が強くて、即時的なテレビの情報。そしてその情報がどういったテンションで伝えられたのかのコンテクスト。もう俺はやばいってノリで論を進めようとしてたけど、よくよく考えると、たいして気にすることもない気がしてきました。それよりももっと気にすることがある。
しかし、国民のなでしこJAPANの消費の仕方について色々と不満がとんでいるようですが、興行としてはとてもとても面白かったようで。こういう良い機会では、楽しいに加えて都合のいい感情をこっそり追加して消費する便乗者がいるのは仕方ないのでしょう。勇気でも元気でも貰えるものはもらっときましょー。俺もその感興の渦にまざって、勇気を貰ったとかいって、この生活からやり直しの機会を狙いたいところ。でも、ああいうのは生でみないと楽しみが半減どころか楽しさが暴落ですから、もうまったく興味ないですわ。
まあ、なでしこJAPAN優勝おめでとう !俺たちの、私たちの、日本人の、なでしこJAPANが優勝しました! これは喜ばしいことです。 見てないけど!
・対応デバイス・キャリア:フィーチャーフォン(docomo・au・softbank・DisneyMobile)
・サービス使用料:無料
てなわけで、せっかくの無料サービスなのにiPhoneは蚊帳の外・・・。
んなわけで、さっそくのハックです。
この時点でガラケーをお持ちでないフューチャー兄貴は、デスクの隣のマドンナにガラケー借りるべし。
恋が生まれるかも。
専用って響きにウットリしながらクリックすべし。
3.「タイムライン」「@」・・・「ツイートデコ」のツイートデコをクリック
利用規約うんぬんはみなさんの自己責任で。とりあえずこのかわいい「デコってみる!!」をクリック。
こんなメニューが出るはず。そして「iモードメール作成」をクリック。
ここで仮にデスクの隣のマドンナにガラケーを借りてたら、同時にメアドゲットだぜ!!
とりあえず、言われたとおりメール送信しておこう。別に自力でメモってもいいんだけど・・・。
8.おもむろにiPhoneのAppStoreから「KeitaiEmu」をダウンロード。
無料なので安心しなさい。そして何のためのソフトなのかは気にしない。これお約束。
9.そろそろURL送ったメールも届いてるだろうし、クリップボードにURLをコピー!
12.無事にモバツイにアクセスできた!けどもっかいパスワードを!
13.おめでとう!!「ツイートデコ」ボタンが表示されてます!
14.すかさず右上のブックマークボタンを押して「Add Bookmark」か「Set Default Page」へ
すばらしい。すばらしい素材の安定感。往年のマンセルを思い起こさせる。
16.無事にツイートデコ達成!
最初は、やりたいキャラが定着して、友達の輪が広がって、よいフォロワーにふれられる機会がふえて、憧れていた人が自分のオフ会にでてくれてとにかく楽しかった。
そのうち、色んなオフ会にぜひ来て下さいと呼ばれる機会が増えてきた。
面白い事を言わなきゃいけないというノルマが付き纏い、自分のオフ会の告知をしていかなくちゃいけなくて
来てくれたフォロワーのオフ会に遊びにいって一晩で何件もオフ会をハシゴするようになった。
仕事も週末も忙しくて休むヒマがなかった。
一緒にオフ会している仲間内でも「告知をする人」と「ほとんどしない人」がでてきた。
あくま趣味なのでそこまできつく言う事もできずせめて自分が動いてるのを見て動く気になってほしいと思いながら動いた。
それでも動かない人は何かと理由をつけて動かなかった。
ふらふらで明け方、山手線寝過ごして何周もしながら何をやってるのかよくわからなくなった。
好きなことなのに疲れてしまった。
フォロワーも8割オフ会主催者でみんなそれぞれのオフ会を開いていて
オフ会のためにふぁぼをもらいオフ会のために公式RTするひとが多いのかもしれない。
どんな有名な人を呼んでいてもそれは周りのフォロワーを惹きつけるためで
集まるのはせいぜい有名フォロワーのフォロワーのフォロワーのフォロワーのちょっと有名なフォロワー。
行けばそれなりに楽しめるけど、最後に残るものがみつからない。
ツイッターがずっと好きで、なりたいキャラをしていたフォロワーに憧れていただけなのに。
明け方のタイムラインで生まれる不思議な一体感に憧れていただけなのに。
なにがしたいのかがわからなくなっている。
とある深夜のtwitterアニメクラスタのタイムラインの出来事。
A氏は某アニメイベントで配布された小冊子を撮影してtwipicにアップロードした。
「ブヒる」というネット流行語の元になったとも言われる深夜アニメだ。
A氏をフォローしているB氏はその画像(まあ、普通にアニメ絵の美少女イラスト冊子のtwipicにまあ普通なコメントをつけた.(アニメの公式ハッシュタグ付きで)
あるアニメ作品についての投稿に公式ハッシュタグを付けるのは普通のことだとは思う。
抗議されたB氏は素直に謝っていた。
そしてその画像は数時間後「まとめサイト」(どうやら「やらおん」のことのようだ)に無断転載されてA氏は少し気分を害してしまったようだ。
もちろんその画像がハッシュタグが付いていたから多くの人の目に止まり無断転載に繋がったのか、
タグは無関係にB氏にもそこそこのフォロワーがいるのでそのなかの誰かの目に止まったのかも知れない。
もちろんA氏の投稿を直接見た人も当然いるだろう。
出展元のURLも添えずに無断転載する2ちゃんねるまとめブログが論外なのは今更言うまでもないが
twitterもtwipicもmixiを代表とするSNSのように友達まで公開。とかは出来ないサービスであるということ。
内輪でも空中リプライの応酬で楽しむことなどの「内輪」ってどう判断したらいいのかなと考えた。
これは内輪だけのつぶやきだから、内輪だけの画像投稿つきツイートだから。
twipicの画像付き投稿にリプライするだけならそれが「内輪」じゃなくてもマナー違反なのかどうか。
プライベートモードのアカウント(俗に言う鍵付きアカウント)の投稿を非公式リツイートが重なって表に出てしまうことにちょっと似ている気もしないでもない。
とりあえずその人のことをよく知らない場合にハッシュタグを付けて拡散の原因になってしまうことははあまり良くないことのようだ。
やっと春が来て、少し浮かれていませんか?。インターネットにはまだまだ「2ちゃんねる」や「はてなダイアリー」「ヤプログ」など魑魅魍魎が闊歩している場所もあるのです。
昔、ML(メーリング・リスト」やパソ通などでもいましたね「仮想空間で他人に迷惑をかける奴ら」。
SNSとブログが中心になった2011年ですが、「奴ら」も入り込んで徒党を組んでいるのです。
「彼ら」の得意技は『多数での恫喝』です。「彼ら」はいつも問題を起こしては『全て相手のせい』『自分は被害者』『人権を侵害された』etc etc 相手を潰そうと躍起になるのです。
「彼ら」の大半は暇です。人格に問題あるので実社会では影みたいな存在。何の役にも立ちません。
暇だから一日中パソコンの前で不平不満をタラタラ書いては他人のあら探しをし、カモを探しています。
最近、あるSNSで私のちょっと知っている方が誰かとケンカ腰でやりとりしているのを見ました。
「どうしたのだろう?」と思い、少し遡ってログを見ると「ライター」と名乗る人物が相手でした。
ライターならググれば出るかな?と思い検索すると個人ブログしかありません。そのブログとSNSでの異常なつぶやき数から見て仕事をしている人には思えませんでした。
そして、その人は1980年代に落合信彦氏が「最低」と結論付けた報道における取材方法を主張し『自分の個人的考えが常識/自分は全国民の代表』的な事を書いていたのです。
時代錯誤/認識欠如の代表みたいな方で、とても不思議でした。SNSの使用法も知らないらしく『自分は大様』という態度を貫くという「取り残された存在」でした。
あきれて寝てしまい早朝に起きて仕事をしながらSNSを覗いてみたらまだ続いていたので驚き!。粘着質にも程があります。
自称「主婦ライター」とかいう事は女性なのでしょうが「オレ」という一人称だからネカマオヤジかも?。
そして、いつ仕事しているのでしょうね?????。
ブログに広告が大量に掲載されていたので、それでお金を稼いで「ライター」だと思っているのかもしれません。あれは「ブロガー」といいます。
そして昨日、以前より拝見していたUSTREAMの番組のスタジオ見学をしていたら当事者の片方の方がskypeで出演されて固い話をされていたのですが、数十秒間「昨夜のトラブル」の話になったのです。
「普通、ライターがSNSで公開書き合いしたのだから取り上げられてもしょうが無い」と思い見ていたのですが、帰宅しSNSを見てみたら、今度は『人権を侵害された』『私は被害者』『住所と氏名などを教えろ』と恐喝、いや恫喝が始まっていたのです。
その人のタイムラインを見たら、徒党を組んで誹謗中傷中傷の嵐です。
掲示板荒らしとか2ちゃんねるで見る連中なのでしょう。書き方が狡猾で解ります。
言質を取られないで言質をとる。何でもかんでも「相手のせい」「私は被害者」「人権」「賠償」決まりきったヤクザと同じ方法です。
その番組は、あまりのクレーム(24時間以上)に番組自体の終了を決めてしまいました。
おそらく、お金を取ろうとしていたと思われるクレーマーは。いけしゃあしゃあと「番組が終わったのを私のせいにしようとしている」「私は辞めろとは書いて無い」「逆に宣伝に使われた」とお金を取れない事に腹を立てているのかSNSで書きまくりです。心の貧しい下品な人ですね。
「相手が下手に出れば、とことんまで追いつめる」完全にヤクザの手口です。
宮城県沖地震は、近いうちに必ず来ると言われ続けていた。
携帯はつながらない。
つけっぱなしになった会社のテレビからは、悲惨な状況が映し出され始めた。
それらはすべて貨物用のコンテナだった。
見たこともないようなすさまじい映像は、まさに映画のようだったが、
その舞台となっていたのは、自分にとって見覚えのある土地ばかりだった。
非常事態はどこかワクワクするような、高揚感をもたらすのかもしれない。
集団下校のように外に列をなし歩いて行く大人たち。
家族、あるいは恋人に会うため、帰宅していく人が羨ましかった。
悪意を込めた言い方をすれば、このときはだれもがこの世紀末のような「映画」の、ヒーローやヒロインになることができたのだと思う。
それは自分も含め、東京にいる人々にとってはこの災害が対岸の火事だからである。
ただ自分の温度がみんなと少し違っているのは、その対岸に家族がいるためだ。
『ちびまる子ちゃん』で、クラスメートの永沢君の家が火事になるストーリーがある。
同じ言葉が頭に浮かんだ。
みんなはいいよな、家族が地震や津波に遭わなかったんだから。と。
だが、その後の被害を見れば「東京も被災した」のは確かである。
ただしこのとき、自分は東京で「被災した」などとは全く感じていなかった。
その当事者以外、東京など向こうに比べればたいした被害ではないじゃないかと思っていたのだ。
夜が更けるにつれ、あきらめの気持ちを持つようになった。
自分は幸い「対岸」にいるのだ。
インターネットは、twitterのタイムラインがすごい勢いで流れていた。
twitter、あるいはSNSを通じて家族の安否、地域の状況を知ったという人が多いようだった。
でもそれは、インターネット回線や電話回線が通じている地域での話だと思った。
第一、60を過ぎた田舎の父や母、ましてや90近い祖母が、ツイッターなど知る由もない。
やっていたとして、今彼らが決死のつぶやきができるとは思えない。
こんな時にモバイル端末を握りしめて逃げ、
限られた充電で、奇跡的に電波がつながり、ツイッターにメッセージが寄せられると気付き、
さらには「ここにいます、助けてください」と書き込むことなど不可能だと思った。
「twitterを通じて家族の安否が確認できました!」というような
ツィートが次々と流れていくのを見たときには、
だんだんとtwitterが疎ましく思えてきて、モニターを眺めるのをやめた。
24時を過ぎたころ「仙台市荒浜に2~300人の遺体」というニュースを見た。
荒浜は、学生時代によく行った。友達を連れ立って、海を見に行った。
海と海岸があるだけのとても広いところだった。
ああ、もうだめかなと思った。
その時、電話が鳴った。
父からだった。
何度もかけて、ようやくつながった、とのことだった。
生きていたのだ。
それだけで十分だった。
それなのに、なんだか悪い気がした。
あれから一か月が過ぎる。
いろんな事があった。
たくさんの人に助けられ、疎遠になっていた地元の人との関係が復活した。
一方で、普段ならなんとも思わない「東京の人」の言葉に、必要以上に怒り、傷つける言葉で返した。
温度差がどうしても許せなくて、自分からたくさんの絆を壊した。
今になって思えば、自分が悪かった。温度差があるのは当然だし、仕方ない。
今はもう「みんなはいいよな、地震や津波に遭わなかったんだから」とは思わない。
ましてや自分は、家族が生きていたのだ。自分の不幸自慢などとるに足らない。
家族、家、仕事、すべて失った人たちからすれば、自分は十分「おまえはいいよな」と思われる立場でもあるのだ。
当然のことだし、歓迎すべきことだ。
自粛なんてしなくていい。それが日本のためだし、被災地のためにもなる。
なのに、自分はそんな温度にどうしてもついていけなくなる時がある。
一か月経った今も、あの時の気持ちが、簡単によみがえってしまう時があるのだ。
たとえば仕事の合間に、友人や親戚の遺体が見つかったと知らされる。
遺体の損傷がひどいため、葬式は家族だけで行う、などと聞いて、また仕事に戻る。
そのたびに「自分と周り」の温度差を、どうしようもなく感じる。
(http://anond.hatelabo.jp/20110409170039からの続き)
事故発生当初から「東電は事故に関して隠している、嘘を言っている」、「政府は騙されている。メディア、記者クラブは、東電が最大の広告主、クライアントだから遠慮して言えないのではないか」と、自分の出演しているメディアやラジオ番組で言い続けていました。
いま再び、70年前(太平洋戦争末期)の大本営発表と同じことが、起こっているんだなと思います。歴史の教科書をみて「こんなことがあるわけないだろう」と思っていたことが、実際に、目の前で起こったことに、びっくりしています。まさか自分がそんなことの当事者になるとは思わなかったので(苦笑)。
日本人は小さい頃から新聞とテレビは正しい。雑誌とインターネットは嘘ばかりだ。と思い込まされているんですよ。ただ、新聞やテレビの情報は、政府の発表を記者クラブとしてそのまま報じる。彼らが独自に取材した情報と内容が違っていたとしても政府の発表を採用する。だから新聞とテレビは正しいと思っている国民は常にその情報を信じるから、今回も同様の洗脳が起こっている。ただ、これまでとちょっと違うのは、若い人たちを中心にインターネットを通じて「あれ、何か違うんじゃないか?」とわかって来ていること。私のツイッターのタイムラインも今朝ぐらいから「新聞、テレビの言っていることと事実が違うぞ!」と結構大変なことになっています。まるで、エジプトとかチュニジアみたいに。明らかにそこが変化して来ていますね。
大本営発表の再来という誇大妄想と、自分が時代を動かすんだという自己陶酔で完全に正気を失っている。
だが、科学誌『Nature』は上杉などと全く逆の見解を示している。
JS: 〔…〕私としては、現在のデータの量と質は、満足できるものだと思います。でも、ご質問のとおり、計測方法なんかの情報が抜けてたりして、データの解釈かしずらいのは事実です。これは、ひょっとしたら、翻訳の問題なのかもしれません。もしかしたら、日本語のデータレポートは、もっと関連情報がしっかり網羅されてるのかもしれません。
GB: 私がひとつ言いたいのは、報道側がこの危機をどう報道していったかは、結構問題だったと思います。報道は、最大値ばっかりをレポートする傾向にあります。とくに、放射能汚染の場合は、最大値じゃなくて、ある一定の時間内での積算値が問題なわけで、最大値は、それだけじゃ、あんまり関係ないわけです。実際、低レベルの放射線が長期間続くほうが、ほんの瞬間の最大値よりもあぶなかったりするわけで。
また、辰巳はこうも呟く。
さきほどのツイートに関連して,こうした抑制的,かつ整理された情報発信を日本の信頼出来る科学コミュニティーから出来なかったことは,今回の本当に大きな反省点だと思う.少しこんな話をするのは早いけど,望まぬ”次”が来た時,きちんと役割を果たせる体制を作ることは我々の世代の使命だと思う.
門外漢ながらこれには同感。今回の震災で、日本の学会や学会誌は何とも頼りない。下手に東電を擁護しようものなら石を投げられそうな現状には同情するが、それでもバカなマスメディアとバカなネットユーザーに好き勝手させず、学会や有志が連名で声明を出すくらいのことはして欲しい。
TBSの松原耕二は、震災発生当日から報道特番で「政府は不都合な真実を隠しているんじゃないでしょうか」と明言し、「「念のための避難命令」という政府の説明はどうも納得できませんね」と連呼していた。
僕らは不安であっていいんだ。それは僕らの中の危険の感知装置が鳴っていることだから。自分で量りきれない恐怖があるときに僕らは不安になるだろう。そして、僕らは今存在する危機に対して、その可能性の正確なサイズや輪郭をつかめないでいる。その不安は僕らのものだ。警報を切ってはいけない。
不安を増幅してはいけない、というのは、政府や既存の権力が望むことだ。なぜなら、不安は人々を駆り立て、秩序を破壊することがある。けれども、今、政府が恐れていることは、人々がどこかに殺到して怪我人や死者が出ることではない。暴動が起きることでもない。そうではなくて、原発政策が根本的に覆されることだ。今すぐ原発を止めろ、という人が増殖することだ。彼らは事故に寝るヒマもなく対応しながらも、今もそこを必死に守ろうとしている。
不安を煽るということを許さない自警的感情は、すぐに不安であることを許さない、という事態につながっていく。しかし、全員の心をそのように一つに塗り込めていくことは危険である。不安は自然であり、この危機に不安を持たないことは不自然である。不安ではない、ということを強制すれば、その感情はいずれなんらかの形で暴発する。あるいは一人一人の心がこわれ、あるいは集団的な行動を誘発する。
どこかの気持ち悪い物書きの文章。
「風評被害」というのは「悪いことでも異常なこともなく」、情報が不足した時に起こる「正常な人間の社会活動」ということです。だから、風評被害をなくすには、一にも二人も人間が自分を守りたいという本能に適した「正確な情報を提供する」ということなのです。
最近、このような主張が散見される。その理由はきっとこうだ。「政府や東電は原発行政を守るために偽りの安全を強調するに決まっている。だから安全だと強調されればされるほど不安になるのは当然だ」と。
では、何故不安を煽ってはいけないのか。それは、人は不安になると冷静な判断ができなくなり、誤った衝動に駆られるからだ。注意を促すことはよいが、不安を煽ることは絶対にすべきでない。
また、正確かつ十分な情報を人は必ず判断できる、ということもまた大いなる幻想だ。「自分が安心できないのは政府や東電からの情報が不十分だからだ。何故そうだと分かるかと言うと、それは自分が不安でいるからだ。自分が不安でいる理由は、それ以外に考えられない」。このような自己欺瞞の責任転嫁はもう止めてもらいたい。
群衆の行動や心理について詳しい新潟青陵大大学院の碓井真史教授(社会心理学)は「現在、自分が普段と違う心理状態だと自覚する必要がある。一部の極端な行動で多くの人が脅かされる。そういうことを皆が理解し、協力しようとすれば、パニックは避けられる」とアドバイスする。
「落ち着いてください」「安心してください」と言われれば言われるほど落ち着かず不安になるのは、政府や東電が悪いのでない。それはそうなる人の心理が異常を来たしているのだ。「情報や説明が不十分不正確だ」と思うのは、ただそう思い込んでいるからではないだろうか。
東電の武藤栄副社長は25日の会見で「連動地震による津波は想定していなかった」「(貞観地震に対する見解が)定まっていなかった」と釈明。東電の対応に、岡村さんは「原発であれば、どんなリスクも考慮すべきだ。あれだけ指摘したのに、新たな調査結果は出てこなかった。『想定外』とするのは言い訳に過ぎない」と話す。
震災の発生以後、殊に原発事故の発生以後、「1000年に1度の大地震を想定していなかったのは怠慢だ」「これは天災でなく人災だ」という声がよく聞かれる。こういった東電非難の意見が、私にはよく分からない。
もし国や地方自治体、東電以外の企業などがすべて1000年に1度の大地震を想定していたのならば、今回の原発事故は人災と言ってよい。だが、そんなものを想定していた団体はどこにも見当たらない。東電だけを非難するのは全く不公平だろう。
「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と16年前に警告を発していた郷土史家がいる。津波の歴史を研究し、対策の充実を訴えていた仙台市宮城野区の飯沼勇義さん(80)。東日本大震災の大津波を目の当たりにし、「行政も住民も危機管理が不十分だった」と悔やんでいる。
飯沼さんが暮らす宮城野区蒲生のアパートも津波で壊滅的な被害を受けた。身を寄せる避難所で飯沼さんは「歴史は繰り返す。震災を教訓に、津波対策や避難誘導のシステムを早急に構築するべきだ」と語っている。
仙台への大津波を警告していた郷土史家もいたが、その本人のアパートでさえ津波で甚大な被害を受けるほどの、つまり想定以上の大津波だった。
WSJ:東電は甘かった?
米倉氏:甘かったということは絶対にない。要するにあれは国の安全基準というのがあって、それに基づき設計されているはずだ。恐らく、それよりも何十倍の安全ファクターを入れてやっている。東電は全然、甘くはない。
GB: 原発は、すべて、ある程度のリスクはこえられるように設計されてます。ここで留意しておきたいのは、福島の原発は、設計段階で考えられていた最大の災害よりも何段階も上を行く大災害にみまわれたにもかかわらず、一応は、破壊されずに、まだ残っているわけです。
今回の震災では、2万数千人が大津波の犠牲になった。筆舌に尽し難い被害だ。しかしこの被害について、「国や地方自治体が1000年に1度の大津波を想定し、沿岸から数km圏内の住民に立ち退きを命じていれば2万数千人は死なずに済んだ。だからこれは天災でなく人災だ」と非難する人は誰もいない。沿岸に原発は造っちゃいけないが人間は住まわせてもよい、などということにはならないだろう。
しかも今回の原発事故では、将来を悲観して自殺した農家を除いて、まだ誰も死んでいない。これは事実だ。まだ誰も死なせていない原発事故は2万数千人の津波被害と比べて軽微だ、などと言うつもりは毛頭ない。原発事故によって多くの福島県民の生活が破壊されたことも、また事実だ。しかし、東電のみを非難して国や地方自治体を非難しないのはどう考えても不公平だ。
「津波が想定を大きく超えた」という。早い話が、東電の想定が間違っていた。地球や自然への畏敬(いけい)が足りず、結果として津波に負ける原発を海辺で動かし続けた。天災が暴いた人災である
東電に「地球や自然への畏敬(いけい)が足り」なかったのであれば、庁舎ごと津波に飲み込まれた南三陸町なども同然なのではないか。
ここぞとばかりに反原発を唱えてる人へ
警鐘を鳴らしていた(キリッとか知った事言ってるけど
今回の津波は日本最高新記録なんだけど予想できたの?
あ、予想してた?
こんな津波来るって予想できたなら
先に堤防が無い町に警鐘を鳴らしてやってくれ
放射能汚染は元に戻るまで長い年月が掛かるから次元が違う、という意見もあるかも知れない。しかしそれだったら、犠牲者の埋葬は1年も掛からないから大したことはない、ということにならないか。死者はもう二度と元には戻らない。
ただし、「私は東電を許します」という発言は記事に見られないので、そこは印象操作かも知れない。
上記のような東電非難を口にする人は、そもそも原発が嫌いな人が少なくない。また原発嫌いでなくとも、こういった大災害では誰もが怒りや悲しみの捌け口を求める。東電は格好の悪玉候補だった。しかし理不尽不公平な非難は決してよい結果を生まない。
原発事故処理の最前線は如何に苛酷な環境かが報道されても、聞かれるのは「やっぱり東電は酷い企業だ」「国はちゃんと東電を監督しろ」といった非難ばかり。「現場作業員のために、みんなで食料や寝袋を送ろう」なんて応援活動は全く聞こえてこない。
激励慰問の手紙を送ったアメリカの小学生の方が、人としてよほど真っ当だと思うのは私だけだろうか。
危険な状態が続く東京電力福島第一原子力発電所。国民の不安といらだちが募る中、東電や社員への苦情や脅迫、嫌がらせが目立ち始めた。東電は社員の安全を守るため、社員寮の表札から社名を消した。警視庁も警戒を強める。
護憲・反核・薬害問題に対する活動をしている女性・星アカリさんが、インターネットコミュニケーションサイトTwitterで「東京電力社員の子供を全員がボイコットしなさい」などの発言をし、インターネット上で炎上状態となっている。
社員やその家族が身の危険を感じるほどの東電叩き。なのに流石は糞っ垂れのガジェット通信。
果たして現在、国民は政府や東電を正しく冷静に評価することが出来ているだろうか。
こうした政府の対応について、災害時の心理に詳しい広瀬弘忠東京女子大教授(災害・リスク心理学)は、「パニックを恐れて、余計な情報は出さないという心理が透けてみえる」と話した。避難指示の範囲が拡大された理由の説明も遅れた。広瀬氏は「わかること、わからないことをはっきりさせて、説明するのが危機管理の基本だ。大変なことが起きているのは、すでに皆がわかっている。私たちのリスク観はもっと成熟しているのにバカにしている」と批判した。
週刊現代も同様のバカ記事を書いている。
政府や東電の対応や情報公開に問題があることは事実だ。これらの記事は、不適切な対応や情報公開はすべて故意や怠慢によるものだと決め付けている。だが、このような冷酷な減点法こそが不適切だろう。
1000年に1度の大震災が発生した時点で、すでに満点の対応を期待することは出来なくなった。譬えるなら、100点満点のテストをマイナス数十点のハンデ付きで受験するようなものだ。政府と東電さえしっかりしていれば何も問題は起こらなかった、などという仮定は成立しない。
しかも、政府や東電もまた被災者だ。負傷者がより深刻な負傷者を手当てしているようなものなのだから、対応に不備があったからと言って叱責するのは余りに冷酷で不当だ。
今原発内にいる人達は、みんな命懸けです。きっと、報道されてること以上にやってることもあると思うし、報道されてほしいことが報道されてなくてってこともあると思う。私は、東電社員だったことを誇りに思うし、今原発内にいる東電社員の方々を本当に誇りに思います。予想外の津波がきて、原発での事故が起こってしまった。でも誰も悪くない。東電が悪いわけじゃない。誰も悪くないんだよって思う。色々な批判や、文句がある。でも今も寝ずに国民の安全の為に、一生懸命原発内で戦ってる東電作業員がいることを忘れないでほしいと思います
WSJ:当局への不信が国民にみられる。東電の責任問題、情報公開問題はどうか?
米倉氏:一生懸命やっている。考えられていないが、東電自体が被災者だ。従業員が津波に流され、機器も津波に流されているところがある。そういったなかで一生懸命努力をしている。
これらを関係者による身内贔屓などと切り捨てるべきでない。
GB: 〔…〕あと、付け足しておきたいのは、今の状況は、計測するにしても、かなり難しい状態だ、ということです。日本側の行っている計測やサンプリングにいちゃもんつけるのは簡単なことですし、まあ、そうやって、批判的に事態を見つめていくことも、大切だと思います。でも、特に震災の直後は、計測用の計器もままならなかったし、交通網もやられて、原発の周辺へ近づくことも、簡単ではなかったんです。
震災以前において、菅政権を信頼することは明らかに狂気の沙汰だった。それは同意しよう。私も数年前から一貫して、民主党などに投票するのは狂気の沙汰だと考えてきた。しかし震災以後、政府はかなりよくやっている。完璧ではないが、それでも国民から糾弾されるべきほどには酷くはない。
サッカーの試合で観客がすべきことは、「ドリブルで繋げ」「ディフェンスを上げろ」などと指示を飛ばすことでない。そんなことをしても大歓声で掻き消されてしまい、監督や選手たちの耳には届かない。たとえ届いたとしても、観客一人ひとりの指示に従っていたら試合を戦うことは出来なくなる。また、味方の監督や選手たちにブーイングを飛ばすことはもっと間違っている。もし味方のチームに勝って欲しいなら、観客は声援を送るべきだ。それが選手たちの士気を高め、勝利を引き寄せることになる。
現在の日本には、政権交代どころか、与野党が国会で議論している余裕すらない。国民はもっと政府を信頼すべきだ。政府や東電を信頼し、激励し、慰藉すべきだ。それが問題解決の何よりの手助けとなるだろう。
また、マスメディアは徒に政府への不信や不満を煽ってはならない。政府や東電の説明に不十分なところがあれば、その意を酌んで誤解のないよう報道しなければならない。政府や東電を叩いて足れりとするような報道は厳に慎むべきだ。
政府は日本の政府であり、東電は日本の電力企業だ。日本が一つになって頑張るために、今は政府や東電とも一つになって頑張ることが求められている。文句があるなら試合が終わってから伝えればいい。
フォローしてなくても、RTでタイムラインに流れてくるんじゃろ
それだけの影響力を持っていることを禿は認識すべき
ここのコメント欄で、「災害時にきちんと利用したい人もいるから」という理由で、他人のしょうもないつぶやきを批判してる人がいる。
が、違うだろ。
災害時に有効活用というなら、不特定多数に「災害時はおとなしくしようね」というより、あらかじめ災害チャンネルのようなタグを決めて、
Twitter主管で国ごとにタグを決め、災害モードにすればそれだけをタイムラインに表示するようにすればいい。
そうすれば、自分がフォローしてる世界中の人に向けて「つぶやかないで」なんて言わなくても、災害情報だけ拾えるようにもなる。
こういう、技術でどうにでもできることを、人の行動を批判し縛ることで実現しようとするのはナンセンスだ。
3月11日14時46分。
それは突然始まりました。
リアルタイムで生の声が目で見えるTwitterというサービスは、
各メディアの報道でもご存じの通り、ケータイの電話機能は制限を受け、
メールも麻痺しており、情報の入手は不可能かの様に見えました。
しかし、Twitterだけは震災後数時間に渡り、情報を得る事が可能でした。
・沿岸で大津波警報が出ている事。
・再び余震の可能性がある事。
・道路に亀裂が入っている事。
・水道管が破裂してるのか水が溢れている事。
実際に、自宅への帰路は車で埋め尽くされ、細い路地も例外ではありませんでした。
私は帰宅を一時諦め、会社の駐車場で待機後、渋滞の緩和を待って自宅へ移動しました。
夜8時の事です。
その間、Twitterの情報とラジオの情報を交互にチェックし、
Twitterは『個人』が、情報収集するうえで当時最適なサービスだったと思います。
県がFacebookを利用して災害の情報を公開しだしたのです。
私は何故Facebookをこんな時にわざわざ利用するのか不思議でした。
確かに日本のインターネット界隈でも一部で話題にはなっていますが、
PCを利用しない、または通常の業務レベルで利用する程度のユーザーにとっては、
未知のサービスであり、もしかすると名前も知らないモノなのです。
そんなモノをわざわざ県が情報公開のツールとして使ったのは一体何故なのか。
・大量のトラフィックにも耐えられるモノとして使った?
・コンテンツをシェアしてもらう為に、既存のサービスを利用するのが早い為?
・大人の事情が絡んで、なんとか使って欲しいと誰かに言われてる?
私個人の感覚としては、FacebookはSecondLifeブーム(?)の再来と感じています。
Second Life → Twitter → Facebookといった感じでしょうか。
私もFacebookアカウントを持っていますが、あまり利用したことがありませんし、
利用しようと思っても、ユーザーがまだまだ少ない様に感じます。
2010年10月時点で159万人のユーザーが居るらしいですが…。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1010/13/news078.html
Facebookは『県』が、ネットで情報を発信するうえで最適なサービスだったのか?
私は違和感を感じざるを得ません。
それはTwitterや東京が悪いというよりも、だれもが発信者で受信者であるネットでは、特に理由が無い限り、人数の多さがそのまま情報量になるからだよ。
例えば、余震あったとき、Twitterの俺のタイムラインの奴らが一斉に「ゆれたー」と言う。計画停電がまるで日本全国の話題って勢いでデフォルト扱い。少なくとも半分は首都圏とその周辺じゃないか?まるで俺以外、関東にしか人間がいないような錯覚に陥ることさえある。
俺は北海道だが、北海道で地震があったとき俺が「ゆれたー」と言っても、言ってるの俺だけだったりして寂しくなる。フォロー数120人くらい。botやニュースや芸能人や外国人や報道関係除くと残り90人くらいかな。わかってる限りで、北海道が自分含めて4人、仙台の人が2人、岩手が1人だな。仙台の奴は地震でヒビ入って家が文字通り傾いてるのにネトゲやってる。長野が1人、沖縄が1人。岡山が1人、こいつはいつも大都会ネタにされて喜んでる。宮崎と山形にも1人ずついるな。関西が数人いるが・・多分10人いるかどうか。リアル関係じゃなく、もともとネトゲの知り合いだから全国から集まってるはずなのにこんなもんだよ。ネトゲのオフ会を東京でやると、沢山がごく普通に参加して参加あたりまえのようにできるからだれも開催場所について突っ込まないくらい関東に住んでる奴多い。
ネットで四国の人にあったことがないから、「四国の人にあったことないんだ、TLにいない?」って聞いたんだけど、一人もいなくてがっかりした。
普段でさえこんなだから、被災地ではまだネットできない人もいるだろうし、さらに圧倒的な関東からの情報の多さに埋もれる。
ちょっと気になって調べたらこんなのがあった。
15~39才の人口比はネットやって頻繁に情報発信する世代だろうからかなり参考になる。
大体俺のフォローしてる人の体感ともあってる。つまり、適当にネット知り合いをランダムで100人抽出すると、殆どの県は一人か二人もいればいいってことになる。首都圏だけで合計35.7%になる。そこに大阪と愛知足したらほぼ50%になる。これだけの人数差があるのだから、悪意や意図がなくとも被災地の情報は埋もれてしまう。
Twitter含むネットには、距離の壁がないという特徴もある。加えて、アルファツイッタラーやアルファブロガーみたいな存在になれば大きな影響力も持てる。だから可能性があるとすれば、これからは地方在住のアルファなんちゃらが出てくるかもしれないし、被災地から情報発信するアルファなんちゃらが出てくるかもしれない。ただ、アルファなんちゃらが出てくる確率も人数多い所が有利だから難しいかも。
わりとまともなはずの俺のタイムラインにまで「地震雲が」とか言い出す奴があらわれたのでちょっと調べてみたのだが、YouTubeに上がってる「地震雲」という、一見科学的みたいな手法で、地震雲に科学的根拠があるかのように見せた動画が、震源地らしいというわけで。
なんせまともな情報を残さない奴等ばかり(笑)なので突き止めるのに少々苦労したのだが、その動画のソースは2005年9月30日の19:00〜20:54にフジTVで放送された「みのもんたのSOS」という番組 http://www.fujitv.co.jp/b_hp/minosos/index.html の一部とみて、ほぼ間違いない。
とりあえず「ソースはみのもんた」と付けることで、リテラシーのある奴(だったら地震雲なんか信じてないわ、とか言わんでね)なら判断材料が増えるだろう、と思って投げてみる。
電波学者(電波行政に関して卓越した深い見識をお持ちになられるという意味)の池田信夫先生の地震に関する迅速かつ正確無比で客観的ツイートに
ケチをつける人間のクズ(人間のクズとは、池田信夫先生が衆愚の過ちを優しく指摘する際にお使いあそばれる、たおやかな上級言語。語源は桓武天皇が、息子が庭のスズメを虐めることを優しくたしなめるときに「人間のクズ」と言ったことだとされる)が耐えません。
そんな人間のクズのはてなーにも理解できるように、池田信夫先生のご慈愛あふれる超ツイートをもろもろ再検討してみましょう!
ご慈愛溢れる池田信夫先生に見捨てられる前に、先生のお考えを正しく理解しましょうね!
池田信夫先生は僕達の想像を超える存在です。その存在は人間の生命に対する常識を根底から覆します。
妊婦は大事をとって、実家に帰れる人は帰った方がいい。細胞分裂の終わった老人は(私を含めて)安全。 RT @harmonnnny: 妊婦はどうですか?
浅学非才な私めは、人間であれば生きている限りは、老人でもゆるやかながら細胞分裂はしているものだと考えていましたが、経済学、原発、電波行政にも詳しいインターネット時代のレオナルド・ダ・ヴィンチである池田信夫先生にとってはそんな一般論は意味がありません。
細胞分裂が完全に終わっても生き続けている人間がいるのであれば、ノーベル賞ものの発見ですから、池田信夫先生はリアル「生けるノーベル賞」というころができるでしょう。
文字通り人間を超越している学者、それが池田信夫先生なのです。
そんな池田信夫先生に楯突くはてなーは人間のクズ(マイケル・ジャクソンが死の間際、世界の平和を願いつぶやいた言葉ともされている)です。
その御心の広さにおいては太平洋が小さく見える池田信夫先生でありますが、デマや憶測や推測の情報を広める人間を決して許すことはありません。
私は広瀬隆より前から原発を取材してるが、彼が最初に書いた本はあきれた。自分で「この本には1次情報はまったくない。すべてデータベースを利用して2次情報だけで書いた」と誇っていた。こんなのを使うメディアは、自分でB級だと白状しているようなもの。
ときっぱりと否定されております。快哉!ですね、『2次情報をもとに』して発言をするなど、B級であるまじき人間のクズ(ジョン・レノンがオノ・ヨーコにプロポーズする時に使った言葉)です。
下記もご本人の発言ですが、
いうまでもないが私は素人なので、今後の見通しをきかれても答えられません。2次情報をもとに推測しているだけなので、参考だと思って聞いてください。最悪の事態になるかどうかは、わかりません。
これを見て「おい、池田信夫矛盾してね?」と思ったあなたは人間のクズ(リンカーンがキューバ危機を止める際に、相手国首相にいった言葉、この言葉によって歴史は変わった)です。池田信夫先生はあくまで素人ですから、2次情報をもとに憶測するのはあたりまえなのです。
人間のクズのあなたは「10万人いる池田信夫先生のフォロワーの中にはリテラシーがない人も、誤解する人もいる。さらに、その人がRT、非公式RTしたら、池田信夫が素人であることをしらない人にも情報が拡散されるだろ。池田信夫が訂正をしても、拡散されたRTを見た人には訂正が伝わらない場合もある。素人なら素人らしく口をつぐむべきだ」
というかもしれません。
しかし、池田信夫先生をフォローしているツイッタラー10万人は全員がリテラシーがべらぼうに高いので、RTデマに惑わされることなど金輪際ありえません。金輪際です。ウソをウソと見抜く天才かつ、合コンでもOLをお持ち帰りしまくり、濡れた犬を拾いすぎて家が犬臭い、全員が年収1000万人以上の10万人の集まりなのです。当然、「類は友をよぶ」ので、信夫先生のフォロワーのご友人や関係者全員のリテラシーもべらぼうに高いので、たとえ池田信夫先生がデマを流しても直ちに気が付きます。
だから、池田信夫先生に限っては、「2次情報をもとに憶測」しても構わないのです。
これだけご慈愛溢れる池田信夫先生のツイートを気に入らないという人も、どうやらいるようです。
「確認してから言え」とかいうバカが多いが、読みたくなければ読むな。災害のときは、不確かな速報も必要なんだよ。放射能あびてから確認とってもしょうがないだろ
読まなければ良いのです。
ただ、「フォロワーが多い池田信夫先生のツイートは望むと望まざるにかからず、タイムラインに表示されるので、読みたくなければ読むなも出来ないじゃん。つーか、正しくない情報を垂れ流しておいて、みたくなければみるなってAAの
ヽ人人人人人人人人人人人人人人人ノ
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< 嫌なら見るな! 嫌なら見るな! >
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ノ Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Yヽ
∧ ∧
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じゃねぇか。 」と言う意見もあるでしょう。その意見は・・それは・・・・多分・・超因果率からなる宇宙法則ダーマの定理からいえば間違っていると言わざるを得ません。
「確認してから言え」とかいうバカが多いが、読みたくなければ読むな。災害のときは、不確かな速報も必要なんだよ。放射能あびてから確認とってもしょうがないだろ
この点に関して、反論として
・「災害時には不確かな情報は不必要。パニックが起きてから、「間違ってました」じゃしょうがないだろ」
・「災害時で錯綜していて冷静な判断が必要な時に、素人が不確かな情報を流してどうするのだろう。たとえば、火事場で煙が立ち込める中、馬鹿が大きなメガフォンで「焦らずに落ち着いて息を吸い込み、深呼吸をしましょう」といったらどうなるだろうか。「放射能あびてから確認とってもしょうがないだろ」というが、緊急時に間違ってから「間違ってました。訂正します」じゃ遅いだろ。推測しか出来ない素人なら黙ってろ」
というような反論もあるでしょう。しかし、反論は決定的に間違っています。なぜ間違っているか?あとは・・自分で考えてみてください。伝えるって本当に難しいです。
また、池田信夫先生はご自身の発言に関して、責任をとられる気も一切ございません。なぜなら素人だからです。
本人も
同じようなコメントがまだ来るので、次のdisclaimerを私のすべてのつぶやきの最初に付加して読んでください:「私は原子炉工学の専門家でも放射線医学の専門家でもないので、以下は応急的な参考情報です。これをもとにした行動によっていかなる損害が生じても、私は責任をもちません」
と「俺の発言によって何があっても、責任を持たない」と明言されています。
素人が発言に責任をもつと訴訟沙汰にもなりかねないですから、これは華麗なリスクヘッジです。さすが和製ポール・クルーグマンの池田信夫先生ですね。
この発言に関しては、
・「間違った情報はRT、非公式RTされて拡散されて、本人がコントロール出来ないところで、誤解や混乱を招く。後で訂正しても気がつかない場合が多々ある。だから、発言に責任を持てないのなら、10万人のフォロワーがいるあなたは発言すべきではない」
しかし、この反論は決定的に間違っています。なぜ間違っているか?あとは・・自分で考えてみてください。伝えるって本当に難しいです。
このように一貫して責任を持たないことによって、下記のような発言の揚げ足取りを回避されています。
たとえば、人間のクズ(池田信夫様と違う意見をもつ人の総称)どもから指摘される御本人の『不確かな』発言としては以下のようなものがあります。
日本人もいい人ばかりじゃない。ご注意を。 RT @chi_w01: 世田谷区、杉並区で「安否確認」と称して早朝一人暮らしの女性の家に複数の男性が訪ねてくる怪しい動きがあるようです。※高円寺で実際に来られた方がいます
情報源がただのツイートであり、本当かどうかを確かめようがない『不確かな』ツイートをRTされておりますが、衆愚に「もしものこと」があったらと考えると、たまらずRTした池田信夫先生のご慈愛のあらわれであります
悪い方のことはメディアがいわないから、私のつぶやきに過剰反応しているのかもしれないが、福島第一の周囲にはプルトニウムが出ているおそれがあるので、一般人は永久に立入禁止になるだろう。チェルノブイリから半径30km以内には、永久に人は住めない。これは残念だが事実。
『だろう』『多分』『おそれがある』のような憶測や、どこを指すのかわからない『これは残念だが事実』という曖昧模糊とした部分は、誤読のおそれがある、と指摘されています。しかし、これはフォロワーの情報リテラシーのトレーニングなので、池田信夫先生を責めるのは野暮というものです
「原子炉建屋かタービン建屋かわからない」という不自然な発表は、原子炉が「爆発」したと思われるとパニックになるのでごまかして時間を稼ぎ、ホウ素などの措置とワンセットで発表するためだろう。こんな大事なときに嘘をつくことが国民の信頼を失うことに気づかない役人の浅知恵。
これだけ少ない情報で「時間を稼ぎ〜発表する為『だろう』」と考えられるのか浅学非才の私にはよく理解できません。たぶん、私がバカだからですね。また、「原子炉建かタービン建屋かわからない」という報告は情報が錯綜している中の報告と考えれば不自然な気はしません。けれど、鋭すぎる洞察眼と大衆を救うというご慈愛溢れた信夫先生は、さらに踏み込んで「こんな大事なときに嘘をつくことが国民の信頼を失うことに気づかない役人の浅知恵」と看破されております。なぜこれだけ少ない情報で、陰謀論的に断定できるのか私めには到底理解が出来ませんが、聡明で明晰な池田信夫先生には衆愚には見えない物がみえているのです。
このような池田信夫先生に対して、人間のクズ(池田信夫様と違う意見をもつ人の総称)からの反論としては
「10万人のフォロワー、RTを含めると数百万の潜在フォロワーがいる池田信夫の発言にはどうあったって「責任」が伴うから不確かな発言はやめろ。影響力のある朝日新聞とかが専門外の記事で適当こいたら「メディアは終わった」とか言うくせに。池田信夫が素人だって知らない人に非公式RTが届く可能性は非常に高いのに、責任をもたないってひどいな・・」
という愚にもつかない反論があるでしょう。
この反論は、太陽神ガンビル様のご予言によるサルワンダの定理の第89法則によって完全に否定されるものであります。
さて、エントリーで池田信夫先生に関する全ての反論は論破されたことがわかったと思います。
まとめると、主な人間のクズ(池田信夫様のご意見を理解できない人間)からの反論としては
①「RTによって素人の発言が拡散されたらコントロールが効かない。誤った情報が拡散した後、間違っていましたではすまない」
②「情報が錯綜しているのだから、声が大きい素人(フォロワー数がある人)は推測による曖昧な情報を発信するべきではない。ユーザーが緊急時の行動を間違ったときに「先程のツイートは間違っていました」では遅い。RT、非公式RTを見た大勢の中にはリテラシーがない人もいる。
→絶対に間違っています。なぜなら、間違っているからです。深い理由はあなたの理解力を信頼しているので、言いません。ちょっと考えればわかるはずです。
③「池田信夫氏は情報を発信するにしても、『多分』『だろう』『おそらく』という推測ばかり。推測ばかりの割に、役人の発表を陰謀論的に『嘘』『浅知恵』と決めつけている。たとえフォロワーが12だとしても有害だ」
→多分、おそらく、あなたの意見は間違っているだろう。私にはわかる。残念だが、これは事実。池田信夫先生の意見を否定するのは、おそらく彼の賢さに気がついて拉致しようとしているCIAの一味に洗脳されたはてなーの浅知恵だろう。
このような幾許の反論も許さない正確無比で迅速かつ客観的な地震関連ツイートをすることによって、池田信夫先生の支持者は増加しました。
ご自愛溢れる池田信夫先生のブログのPVは、この地震で33万PVとなり、フォロワーも1万5千人増えました。
そのことによって、さらに池田信夫先生のご自愛はさらに高まっていき、今後はご自愛の権化になっていくと思われます。
ご自愛が高まりすぎたことにより、ご自身の意見を否定をする、愚劣なはてなーにも「人間のクズ」と優しくたしなめられるのでございます。
地震の話が多くて、Twitterに張り付いてるのもなんだか気が滅入っちゃうし、友達も少なくて外にも出にくいし、誰にも求められてないけどだらだらと私の恋の話をしようと思う。ソーシャルメディアと恋。
多分というか絶対、本人が読んだらわかるだろうけど、もし万が一読んでも、知らないふりしてね。
その人とは1度しか会ってない。去年の夏に、1度。たった2時間。
友達が留学していて、長期休みのときに彼女を訪ねて遊びにいった。
多くの時間はひとりで観光していたのだけど、一緒に夕ごはんを食べようと約束をしていた日に急に彼女に大事な予定が入ってしまった。
お店キャンセルしてもいいよ、と伝えたのだけど、いやあそこの料理はおいしいからぜひ食べて帰ってほしい、ちょっとどうにかするから、と言われて、とりあえずひとりで向かった。
予約人数を変更してくれるんだろうと思ってた。でも、彼女の「どうにかするから」はそういうことじゃなかった。
今考えるとよくわからないけど、とにかく、異国の地でおいしいごはんを素敵なレストランでいただきました。初対面の男性と。
常日頃からそれが恋になるかはともかく、その人のことがすきかどうかは数分話したらわかると思ってる。
基本的に男の人と話すのってあまり得意でなくていつもびくびくしてしまうんだけど(彼を派遣した友達のこともいっしゅん呪った)すごくすごく楽しかった。
けっこう長く滞在していたなかでも、その夜は特別に楽しかった。
少し話しただけで、この人とは合うな、ってわかった。
気が合う、と言ってしまうのは簡単だけど、そのとき感じてた感情のディティールってもっと身体的なものな気がする。
言葉の選び方、声の出し方、話のテンポ、話題の変え方、「それで思い出したんだけど」のジャンプの程度。
環境もすごくよかった。
夏の夕方から夜にかけて、空は広くて色がきれいに変わっていく時間で、風が吹いてて、料理もワインもおいしかった。
たまたま日本に来る前に知り合っていた人が彼の長く会っていない友人だったりした。
あの日あの天気じゃなかったら気分は違ったかもしれないし、共通の話題のフックがなかったら話が盛り上がる糸口がなかったかもしれない。
もう、タイミングですね。タイミングがとてもよかったのです。そうとしか言えない。
君とは同じにおいがするな、あははわかります、私もそう思ってますよ、だよねわかるよ、また会おうね、と言葉を交わして別れた。
予定がなかなか会わなくて、そのまま帰国した。
もっと仲良くなりたい、とたぶんお互いに思っていて、特段用事もなくチャットするようになった。
「まだ起きてるの?はやく寝なよ」「もう寝るよ!今日オンラインになるの早いね、なにかあるの?」「うん、今日友達の…」。
彼がログインするのを待ってるから最近夜更かしなんだよな、と気づいたときに、ああこれはやばい恋かもしれない、とはじめて思った。
SkypeもGtalkもFacebookも、オンラインになるととても嬉しい。
チャットしながら意味のない一言や単語を書きこんで、即座にふぁぼもしくはLikeしあう遊び。
Skypeのステータスに相手だけがわかるような言葉を載せる。その欄でこっそり会話する。
面白かったブログの記事をメールで送る。何の脈絡もなくWikipediaの読んでるページを送る。
知らないなら聞いてみて、と教えてもらったアーティストの曲のうち、気に入ったものを何食わぬ顔でTwitterで共有する。
Gmailチャット欄に表示されてるよくわからないコメントに対して「なにそれ何があったのw」って話しかける。
会えないけど、生活の様子や思考の足取りを辿るやり方はたくさんあった。
私たちにとってソーシャルメディアはしてることと考えてることを浮かべていく場所だった。
相手の視界にチラチラ入るための努力。あるときは直接的に、あるときは間接的に。お互いにしてるし、それをわかってる。
どうしてチャットって、こんなに仲良くなった気がするんだろう。思い込みすぎかもしれない、と思うくらいだ。
とても深く話した(と思ってる)。時差はあるけど、「今この時間」は同時に共有してた。私の「おはよう」から彼の「おやすみ」までずっとつなげていたこともあった。お互い都合がよいときに書きこむ。
都合が悪い時には返信しなくていいから送る側も比較的気軽で、いつのまにかオフラインになっても気にしなくて、あとからログを読み返してにやにやできて、
盛り上がったら流れが速くなって楽しいし、話しながらURL貼れるし、私のなかでチャットって、電話とメールのよいとこどり。
同じ画面と文字しか共有していないけれど、背景に広がる景色や時間は違うけれど、むしろ「違うところで違う時間で同じものを見てくすくす笑ってる」事実が私たちを親密にさせた。
画面に浮かぶ「おやすみ」と「おはよう」のあいさつはあまりに優しい、と毎回思う。
あなたの生きてる時間軸は別にあるなかで、自分のためだけに向けられた言葉じゃんね。
この大きな地震の日、私は家にいなかったんだけどTwitterは直後から更新してた。
とりあえず東京は大丈夫だよ、電車は動いてないから帰れないけど、安全なところで無事だよ、と答えた。
いろいろと心配されたあとに、どうしようもなくなったらうちに来てもいいよ、高飛びしちゃえ!と言われた。
すごく個人的な話だし、もっと言葉を失うほど大変なひとがいたのは百も承知だけど、それでも遠くでそう言ってくれるひとがいてうれしくなってしまった。
遅くまで起きて待っててくれたみたいだ。
いや、心配してくれる家族はいたのだけど。もちろん。うまく言えない。
東京にいてもなんだか友達にも会いにくいし、ひとりでTwitterとテレビを見てると何か感情がせり上がってくる感じがするけど、
彼とチャットしながら不安とか見たり聞いたり読んだりしたことへの印象とかを「話して」いると気が紛れる。それは安心するってことなのかも。聞いてくれるひとがいることで気を確かにしてる。
今、被災地でなくても、東京に大事な人がいるひとは、話すことタイプすることで救われてることもあるって知っててね。
ある意味ずっと緊張状態なんだ。息が詰まる。停電は起こるのかな、電車は動くのかな、東京にいていいのかな。うまく他人と話す機会がないのって予想以上にキツい。
自分はそんなにパニックになる方ではないと思ってたけど、普段通りのことにとても安心してるので、やっぱり何か気が立ってるのだろうと思う。現在進行形で。
電話は回線もったいないから、Skypeやチャットやメールで、「げんきー?」「疲れたらこっち来たらいいよ!」って話しかけてみてください。
インターネットがあってよかった。
遠くにいても「今ここ」を一瞬で作ることができること、一緒に文章を読んだり音楽を聞いたり、笑ったり楽しくなったりときめいたりできること、インターネットが与えてくれた一番大きなことだと思ってる。
プラスの感情を増幅させることも、マイナスの感情を軽減させることもできてる。
疲れた~って言ってたら元気出して!って猫画像まとめをひっぱってきたり、
最近読んだこの本がおもしろかった、ってAmazonのURL貼って「レビューひどいな(笑)」って笑い合ったり、
クリスマスの街すげーきれい!って言うから、撮った写真を Picasaで見せてもらったり、
こんなに日本の報道されてるよ、って一緒に英語ニュースの動画みたり。
ネットで恋してるけど、超リアルだよ。むしろ対面で話すよりも素です、きっと。
ソーシャルメディアは、パブリックとプライベートの狭間をわざと作るツールなんだなって思う。
「あのひとに」見られてるかな、見られてないかな、をどきどきすることと「みんなに」見られることを意識してるのって全然矛盾しないんだよね。
宛先を明言しない色気っていうか。どちらでもないあいまいさ。にやにや発生装置ですね。
3月末に一度帰ってくる予定だったんだけど、この地震でやめることになりそう。
日本よりさらに放射能やばい!!って言われてるなかで成田行きに飛び乗るのはそりゃあ気が引けるだろう。残念なことに具体的進展は延期です。
でも私はこの地震で彼に精神的に頼ってることを自覚してしまったし、画面の中で仲良くなっただけかも、ってごまかせなくなった。
なんだかもったいなくて、ずっとSkype通話はしてないのです。常に文字なのです。だから本当に2時間しか声聞いてない。
一日でも早く平穏が戻りますように。
元記事:http://likeable.jp/2011/03/14/remember/
まだそういうタイミングではない、ということは理解しています。しかし、やはり忘れてはいけない。今の寄付・支援に向かう皆様の前向きな思いを何とか長期的・継続的なものにして行きたい。本当の助けになることを今のうちから、いや今だからこそ始めておきたい。「偽善者」とか「空気が読めてない」などと言われてしまうかなと思いつつも、そんな「お節介」な気持ちから「Remember_0311」というTwitterアカウントを開設しました。
https://twitter.com/#!/Remember_0311
今日、関係者から聞いたのですが、寄付や募金はその出来事が起こった直後に瞬間的に集まり、そして急激に減少していく傾向があるそうです。また被災地の方々は、どんどん自分達の存在が忘れられていくことに対して、言い知れぬ恐怖を感じるとも聞きました。
今回のような規模の大きな災害の場合、復興までには長い時間がかかります。そこで、この出来事と被災地への支援の心を忘れないようにするためにこの「Remember_0311」開設しました。
このアカウントでは、支援先・寄付先の情報や被災地の復興情報、忘れてはいけない支援者や海外からの協力者、感動的な写真などを不定期に、かつ長期的に配信していきます。フォローさえして頂ければ、ふとした時にこのアカウントのツイートがタイムライン上を流れるシンプルな仕組みです。
既に幾つかの情報に関しては、3ヶ月後、半年後まで自動的にツイートできるようにセット致しました。本当に「まだ早い」と思います。しかしそうした思いを持って今のこの事態を見つめ対応していきたいと思います。ご賛同頂ける方は、LIKEあるいはツイートなどで拡散して頂ければ幸いです。
またこのアカウントで流したほうが良いと思われる情報など(例えば毎月11日に黙祷ツイートする、など)があれば、コメントにてアドバイス頂ければと思います。
※アップデート※
@Chiyuky 糸賀ちゆき
AlEnglishを一晩中観ながら泣いた人、今リビアやイエメンその他の国々を心配している人、タイムラインを見ていると日本中がそう思っている様に錯覚するが、実際日本人で中東の危機に関心を持っている人は極わずか。#midjp #egyjp #bahjp #libjp #yemjp
@corobi_oki corobi_oki
【 国連へ向けての嘆願書 】 SEND HELP TO LIBYA!!! 署名サイトが立ち上がりました。リビアで医療援助、メディアの報道が要求されています。 民主主義のための彼らの要求に賛同の方は→http://bit.ly/dRCFUL #libjp #midjp
@john5a18 Kentaro nakamura (引用者注:2/20 PM1:53の投稿)
1258番目 まだまだ足りない 今日中に10000目指そう!RT @hashimoto_tokyo: 請願だん。QT SteFoyLesLyonFr 国連へのリビア救済請願ページ。http://bit.ly/fe5pqc #libjp #midjp
@HAMASAKI Ina 浜崎 伊南
リビアでの虐殺を止めるために何が出来るか。ひとつの方法は、菅総理・前原外相に対して、リビアでの外国人傭兵投入と虐殺を非難する声明を出すよう求めること。外務省「ご意見」 http://ow.ly/3ZMU1 首相官邸「ご意見募集」 http://ow.ly/3ZMUC #libjp
(http://twitter.com/#!/HAMASAKI_Ina/status/39182140176478208)
日本人が中東の民主化運動に首を突っ込んでいいものかどうか、俺には判断が付かないで居る。
我々日本人は民主主義の恩恵を既に貰っているし、虐殺を正当化する理屈など無い(リビアでは対空兵器がデモ隊に向かって使用されている、いう話をTL上で読んだ)。
が、日本政府、マスコミ、そしてネット市民がこの問題に向かってアクションを起こしたからと言って何が変わるのだろうか?とも思う。世界で起きる全ての人権侵害や虐殺に向かって全力でアクション起せる程、俺には時間も金も無いし、感受性も足りない。
全力で支援する事が「正しいこと」と分かっているが、そんな気持ちになれない。
なので、増田に書くことにした。支援法は紹介した。実行するかどうかの判断は読者に任せる。(あと、twitterで公式RTするよりは、こっちの方が多くの人に見てくれると思うし。俺のフォロワーは15人ぐらいしか居ないのだ)