はてなキーワード: まだ子とは
以下ネタバレあり。
ネタバレあり。
ネタバレあり。
ネタバレあり。
ネタバレあり。
ネタバレあり。
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シン・エヴァンゲリオン見てきた。
エヴァに求めていた全てが詰まっていて、とても大満足だった。
これぞ映画!というやりたい放題感も最高だった。
一番良かったのは、
トウジ、ケンスケが生きてて、そしてめちゃくちゃかっこいい大人になってたこと。
男から見ても惚れる男になっていた。
これが一番良かった。
このことに嫉妬の感情なんて生まれないくらい、ケンスケはかっこいい男になっていた。
ちなみにアスカ派。
エロ…と思わなかった。
エロくて隣にいる友人に気まずいとも思わなかった。
むしろ、アスカの身体が14歳なこともあり、まだまだ子供だなぁ…と思ってしまった。
これは、自分がアラサーになって、昔と好みが変わったからかもしれない。
もしくは、式波タイプというクローン?であり、リリスでなく、使徒手前であったアスカを、あえて少し無機物的に描いたんじゃないのかな?と思った。
ところで見終わってから
アスカ ケンスケ で検索すると、ケンスケ許せん!なんて言ってる人もいた。
でも私は前述の通り、二人がああいう関係になったことがとても嬉しい。
わかる
当時そこそこ被災した(津波ではないが)けど、あのころはまだ子どもだったからか、今の方が辛くて津波の映像も、画像すらも見れないでいる
唯一テレビをつけて見る朝のニュースも震災震災でなんだか落ち込んでしまった
忘れちゃいけないことだとわかってるけど、忘れたい
というのも、自分がまだ子供いなかった時期に何人もの子持ちから子供と子育ての話をきかされたが、それを全然面白くないなと思って聞き流していたからだ。
ところが、バイト仲間のAさんというまだ二十代半ばの男の子に、雑談の流れの中でちょっと子供の話をしたら凄く面白がられたので、ものは話しようなのかなと思った。どんな風に話しても、子供の話なんかつまんないんじゃなかったのか?
私がAさんにどんな話をしたのかというと、「新生児は寝てくれないから、母親も二十四時間体制で世話をしなきゃならんので寝られない」という話だった。
したらAさんが、
「二十四時間って、そんなに寝ないで赤ちゃんも母親もどうして生きれるんですか!?」
という。まさかそこ食いついて来られると思わなかったのでびっくりしたが、
「いやまあ赤ちゃんも母親も人間なのでガチでずっと寝れなかったら生きられんのよ。でも、赤ちゃんは、奴らは二十四時間絶え間なく世話がやける癖に、ほんの僅かの間に寝落ち熟睡するのを小刻みに繰り返しているから、死なない。一方母親の方はそんな器用なことは出来ないので、たまに死ぬ人もいる」
と答えたら、赤ちゃんは寝ないけど寝るというのが、Aさんには今までの人生で初めて聞いた情報だったらしく、なにそれすげえ! 赤ちゃんって面白い!!! と興奮していた。
まあAさんはだいぶ変り者というか、度を超た生き物好きで、赤ちゃんを人というよりは珍獣のように思っていて、私のした話も珍獣の珍エピソードだと思って聴いて喜んでいたのではないかと思う。同じ話を他の子供のいない人に話しても「子持ちの子供自慢・苦労したアテクシエピソードくそつまらねえ」としか思われなかったかもしれない。
でもまあ私の若い頃をふりかえってみれば、子持ちの話す子供の話なんて、「うちの子かわいい」「子育ては大変」「お前も早く子供産め」の三種しかなかったのであり、赤ちゃんの生態なんか聞いたことがないな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hms_ulysses/status/1363263554728517633
これを見て思い出したこと。
国鉄が分割民営化されJRになってすぐ、子どもながらにまだ「国鉄」と言い間違えることも多かった頃の話。
三ノ宮駅のコンコースにサーティーワンアイスクリームの店ができた。
サーティーワンは子どものお小遣いでしょっちゅう買えるようなものではないが、何回か利用しているうちに違和感に気づいた。
アイスクリームを受け取るときに感じていた違和感はこれだった。普通は大学生アルバイトみたいな店員さんばかりだから。
しかし、おっちゃんたちはいつもニコニコしながらアイスを売ってくれていたからまあそんなもんかと思うようになっていた。
そしてここが他の店と違う点はもうひとつあった。
当時はレギュラーとかジュニアといった料金体系ではなく、1スクープは1サイズだったはずだが、やたらと玉がでかかった。
食べ盛りの10代でさえ、ダブルにしたら溶ける前に食べきれるかどうか心配になるような大きさだった。
そんなわけで、サーティーワンを食べるなら三ノ宮駅に行くべし、ということになっていた。
数年後、そのサーティーワンは閉店して、店舗は跡形もなく撤去された。
「三ノ宮駅のサーティーワンなくなっちゃったよ、あそこ大盛りでよかってんけどなー」と親に話すと、
「あそこは国鉄からJRに移れなかったおっちゃんの受け皿だったのではないか、全員定年になって閉店したのではないか?」と言われた。
その話をしたときもまだまだ子どもだったので「そんなもんか」と思っただけだが、あれから30年近く経っていろいろ背景を知ると趣深い。
あの特盛りアイスはおっちゃんたちのヤケクソのたまものではなかっただろうか。
国鉄マンがあのピンクの制服を着て研修を受けていたときはどんな気持ちだっただろうか。
あ、後継のJR西日本と言えば悪名高き日勤教育とかそんな体質と言われているよな、とか。
あのおっちゃんたちは労組とどう関わっていたのだろうか、とか。
他の駅でも、西日本以外の会社でも、そんな店はあったのだろうか。
ひとつだけ救われることは、おっちゃんたちが私たちにアイスを手渡してくれるときの笑顔だけは、本気で子どもをかわいがっているときのものだと信じられることだ。
なんでこの60戸位しかないマンションの小さなエントランスのドア(ホール内側)の真ん前でいっつも自撮りしてんの?
なんで急いでるのにこっちが気遣ってノロノロ進んだり、一刻も早く入りたい帰宅時に寒空の下、外で待ったり躊躇わなきゃならんの?
タワマンみたいに大きなとこの扉なわけでもないし、明らかに出入りの邪魔ってか遮断する事になってるのになんで平気なんだろ…。
迷惑なのは同じにしても、20代とかの子がやってるならまだ子供なんだな…インスタあげる事に夢中なのかなヤレヤレとか思えるけど、アラフォー以上の人よ…?
不妊だと思っていた人が自然妊娠した、というとなんだか幸せそうな話のようだが、全くそういう話ではない。幸せな話を求めて来た人には申し訳ない。
冷静に考えて自分の面倒すらまともに見ることのできない私が子供を育てることなどできるはずがないので、人工妊娠中絶という選択肢しかなかった。
でも、そのときは冷静になれなかった。なんと言ったって自分の腹の中にまだ不完全ながらも人間がいるのだ。冷静になれるわけがない。
不妊の定義は、1年間通常の性交を行っても自然に妊娠しないことらしいので、これまで1年以上自然妊娠しなかった自分は定義上不妊になる。
自分には不妊である自覚をもつ十分な理由があったので、それをさして不思議に思わなかったし、避妊をすることはなかった。
子供を授かりたいと考える人、授かりたくないと考える人、両方がいると思う。どちらの考えも理解できる。
自分は両親のことを尊敬しているし、生んでもらえてよかったと思っている。でも自分が我が子を幸せにできる自信はない。
自分の血の繋がった子供というものに対するぼんやりとした憧れと、それに付随するあまりに重すぎる責任を天秤にかけ、自分にはそれを選択することができないと思っていた。
だから、自分の体が妊娠できない体だと感じたときも、悩むことがひとつ減ったくらいにしか感じなかった。前々から薄々感じていたので悲壮感もなかった。
そんな自分が妊娠したことはやはり何度考えても実感が湧かない。
今でも夢だったのではないかと思うくらいだが、体の痛みが夢ではないと訴えてくる。
結局今回のことがまぐれで自分の体は不妊なのか、あるいは妊娠できる体になったのかすらわからない。
もし今回のことが奇跡だったとしたら、いつか中絶したことを後悔する日が来るのかもしれない。
結論から言うと、悩むまもなく中絶手術を行ったので、もう私の体の中に生命はない。体の痛みも日に日に薄れていく。
今はそれが、辛い。
手術までの時間は短く、ただただつわりと闘い続ける日々だったし、手術も一瞬で終わったから、むしろ術後の今になって大きすぎる感情が押し寄せてくる。
人工妊娠中絶による身体的・精神的負担なんていう話を、よく聞く話、大変そう、くらいの気持ちで他人事に眺めていた過去の自分への憎しみの気持ちでいっぱいだ。
本当にこれでよかったのか、誰かに相談するべきではなかったのか、どうしてこんなことになったんだ、考えが甘すぎたのではないか、これから自分はどんな顔をして生きていけばいいんだ……
まだ、このことは誰にも伝えられていない。
それが苦しすぎてなのか恥ずかしくてなのか情けなくてなのか、自分でもわからない。
薄れていく体の痛みに相反して、心の痛みは日に日に増していくようだ。
今は、あの耐え難かった痛みすら恋しい。
いつか、誰かにこのことを伝える日が来るのだろうか。
あるいは、新しい命を授かる日が来るのだろうか。
今はどちらも想像できない。
今はただ、溢れて止まない感情を、ここに置いておかせてほしい。
大人って、もっと倫理的な正しさの判断とか、共同体としての意思決定の手腕が長けているのだと思っていた。
そうじゃないんだなあ。
自分の責任にならないよう回避するとか、大義名分だけ掲げて自分のやりたいようにするとか、自分の組織に加わる人を選別して勝手がいいように運営するとか、仲のいい人に利益があるようにするとか、そういうことが上手なだけなんだわ。
ずっと騙されてきたんだな。
自分のことを30歳になってもまだ子供、まだ倫理的な正しさも共同体の舵の取り方もわからんわ、周りの大人は自分の考えつかない次元まで思考が及んでいてすごい、と思ってた。
そうじゃないんだわ。批判して、責任回避するけど、何もやらない大人が多すぎるんだわ。
男の人でそんなに沢山家事やってるの偉いな!フルタイム共働きでも家事負担率9:1って言われている日本で、そんなにやってるのはマジですごい
うちもまだ子供いないんだけど、共同口座準備して、そこにお互い定額振り込みしてる、フルタイム共働きだけど旦那の方が給与高いから少し多めに入れてもらってる
元々は給与も同じ忙しさも同じぐらい家事は全部自分だったから不公平感感じていて、当番制とかタスク管理ツールとか色々考えたけどぜんっぜん続かなかった
相手の閾値は極端に低く、それゆえに言葉だけで自発的にしてもらうことはまず無理なので、具体的に指示する(家を出る前にゴミお願いって言ったり、お皿洗ってって言ったり
あとはやってくれたらひたすら褒めるし、自分のモチベーション維持のために褒めてもらえるように仕向けてる
それでも結局不公平になるので、気に病むよりはガンガン便利なツール(食器洗い機、ルンバ、洗濯乾燥機、ネットスーパーとか)を使って負担自体を軽減する方向へシフト
奥さんの閾値がどれくらいかわからないけど、男女逆で友達のケースも見てると、家事やめても相当汚くならないと相手はやらないな〜(キッチンが洗い物でパンパンになるとか…
子育て始まって本当にこの負担は無理ってなって爆発して病院行ったりして変わったってケースはいくつかある
諦めてる人は、でかい子供やペットと暮らしているって考えてるって言ってた
子供いないんだし、負担に対する不満感>>一緒に暮らすことで得られる幸せ+離婚の手間ってなったら、別れちゃうのもありだと思うよ
todomadrid 企業側からだけでなく、消費者からもアクション起こせるというすでにいろんな国でも見られる実例だし、単に商売上の付加価値の問題。
また始まった。
「ただの質問」。
圧によって相手の行動が変わることを想定してそう明言してニタニタしていたくせに、
この手の奴等はマジで毎度こうなんだよね。
トラウデンさんが推奨していたのは「ただの質問」ではありません。
https://getnews.jp/img/archives/2020/12/NHK1217.jpg
買い物をする際
店員に
と尋ねることで
店側の意識も変わっていく
はい。
店側の意識を変える啓蒙の手段として言っています。少なくともこの内容で報道されました。
目先の利とタスクに追われる小売業従業員どもに、啓蒙目的でこういう質問をして、社会を変えていくんだって言う話ですよね。
まずそこを誤魔化すのはやめよう?
お前等はなんで毎度毎度、自分側が非難される流れになったとたんそうやって
言ってたこと・やってたことを割り引いて「普通のことをしただけなのに叩かれた…」っていう誤魔化しやウソをやりたがるの?
立ち話の口喧嘩ならそうやって自分の言ってたことを後から変えていくカス戦法が成功することもあるけどさ、
ログが残るとこでやっても「あ、こいつらカスだなー」って思われるのがオチじゃん。
じゃあそもそもトラウデンさんの御発案にはどのような問題があるのか。
大きく3つあるんだよ。
1つめ、そもそも末端店員がそんな啓蒙目的の御質問を頂いてなんで困るのかというと
啓蒙していただいたり、圧をかけていただいたりしても、どうしようもないわけ。
「意識を変える」じゃねえんだよ。
トラウデン様のそのご下問対応のあいだ店員が何考えてるか教えてやろうか。
(このつかみどころのない質問対応のあいだレジに入れなくて他のスタッフの負担が増えちゃうなあ)
って思ってるんだわ。
2つめ、もっと失礼で本質的な炎上要因はこっちだと思うけどさ、
小売り末端の奴等を対等扱いも人間扱いもしてないんじゃん。
「勤務中すみません、少しだけ話を聞いてください。」って言って自分の環境への考えや活動を説明したらいいだろ。
でも俺はこれなら少しも叩かないよ。
何故か?
これは正直に自分の目的を伝えて、目の前のいる人間とフェアなやり取りをしてるから。
相手と向き合うってそういうことだろ。
カスタマーとしての質問の振りしながら対応負荷をかけて「意識を変える」とかほざいてるのとは全然違うよ。
相手もそれなら断ることも出来るし、逆に環境についての自分の意見を述べることだってできる。
「質問することで啓蒙する」とかいう増上慢とどっちが人間同士のやり取りとしてまともよ。
3つめ、
そもそも「環境に配慮した商品ですか?」という質問のあいまいさ、定量性の無さ、非科学性ったらないよな。
「回答に当たっての判断基準を述べよ」って聞き返したくなるわ。
頭悪い奴等の独り善がりな想定では「環境に配慮した商品ですか?」で万事上手くいくんだろうな。
別にこういうトラウデン様のようなお貴族様が環境のこと考えてくださること自体には1ミリも文句ねえよ?
そういう活動こそノブレスオブリージュ、暇と余裕のある方々が取り組んでくださってこそのことであり、それへの取り組みは賞賛されるべきことだよ。
でもそれが忙しい小売業の店員捕まえて頓珍漢なアプローチすることなんですか?
トラウデンさんて21歳なんだよ。
あれかなり若いな。
こういう人をさあ、品のありそうな美人だからってだけで旗頭にすんなよ。
大学ミスコンなんてなんも問題ねえんだよ。あれは最初から美貌で戦うコロシアムじゃん。
レギュレーションも「女子アナ風味」と決まってて、尖った顔の美人や孤高の美人は落ちて丸顔で可愛い感じの顎小さいつまんない顔した社交力と出世欲のあるやつが勝つって決まってるわけ。
100メートル走の勝者と何も変わらない。
でも
トラウデンさんみたいな成人したての美人に社会的な啓蒙やらせる、価値観の象徴として立たせる、
これこそルッキズムだろ。
ダメなのってまさにこういうのだろうが。
「美」を物事の正誤性とか、倫理的優劣とか、そういうことと混同させて利用しようとしてるじゃん。
ブスやブ男にとって一番キツいルッキズムってそれだぜ?
「美」をいち競技いちステータスにしておかず、正しさとか賢さとか人格とかに絡められてしまう、それこそルッキズムのダメなとこじゃん。
(このトラウデンさん担ぎが上手くいっちゃってたら、「異を唱えてるのはいけてないブスと不細工と老人www」になってただろ間違いなく。)
環境問題にどう取り組むか、消費者一人一人がどんな行動するといいかって言う話なら、
ちゃんと環境の専門の学者のそれなりのキャリアと学識のおばちゃんが出てきて言わなきゃいけないことだろうが。
ここで美人大学生トラウデンさんが顔になってることに「おかしくない?」って言える瞬発力がルッキズム反対ってことだろうが。
学者のおばちゃんなら言ってることに反論されても再反論するだろ。
美人大学生のふわふわした共感ベースの発言は反発食らったときに何も言えない。
擁護も「トラウデンちゃん可哀想」「女だから叩いてるミソジニー」「ただの質問なのに」とかバカみたいな次元でしか言えない。
こんなのが環境問題についての議論だっていうの、お粗末すぎだろ。
トラウデンさんの今回の発言は、大学生がサークル内で何となくいいこと言おうとしたレベルなら叩かれるほどのこと言うてないし、
トラウデンさんがいま可哀想な立場に立ってるのも担ぎ上げた奴等のルッキズムのせいなんだよ。
それでいまトラウデンさんを担いでる奴等(ネットのそっち系なり今回のハフィントンポストなり)ってなーんか、
普段大学ミスコンに反対してるような、左派・リベラル陣営じゃない?
こいつらとにかく頭が悪いから、「差別反対」唱えてもやれてないし、「ルッキズム反対」唱えてもやれてないんだよな。
差別って何か、ルッキズムって何か、とことん考えたことがない。
口でフワフワッと言ってるだけ、その概念を旗にしてけしからん誰かにみんなで投石して気持ちよくなりたいだけだから。
もちろん環境問題についても「愚民を啓蒙しながら呆れるカシコイ自分」に興味あるだけで、環境問題自体に意見も知識もない。
グレタさんの時だってグレタさんを石投げに利用したけど、グレタさんの言ってることは全然興味ない。
グレタさんを持ち上げながら反原発とかいうハチャメチャでも平気。論理性皆無。
非難されるべきクズはトラウデンさんではなくこいつらなんだよ。あとガースー。
トラウデンさん呼んだのガースーだぜ。
脱炭素社会の実現に向けて真面目な科学的議論をすべき全国フォーラムで
美人慶大生(FIT入試)官邸に呼んでふわふわした啓蒙発案させて公開してるの政府なんだわ。
ガースーのポピュリズム・科学軽視そのものみたいな事案じゃねーか。
でも「女」であるトラウデンさんが、「環境保護」という方向性で発言し、「愚民を啓蒙」という趣味性が香ってるため、
ネットのリベラルや左翼はこれを擁護する側に立っちゃうわけだ。
こいつらの陣営決めがいかに非論理的非科学的で、表層的な党派シグナルで決定されてるかがよくわかるよな。
環境省の広報大使を務めるタレントの武井壮さんや、モデルのトラウデン直美さんらがメンバーに選ばれた。政府側は小泉進次郎環境相、梶山弘志経済産業相ら関係閣僚が参加した。
この時点でこの座組の方を叩くのがまともなリべサヨなんじゃあないですかね?
トラウデンさんガースーの真横の席で草生えるわ。
そこは首相と一番活発にやりとりするべき専門家が座る方がいい席じゃねえのかパンケーキ野郎www
これ見た瞬間「そこはわからんちんの美人じゃなく専門家を」って言えないおまえら馬鹿リべサヨも所詮ガースーの凡庸さの掌上のレベルであって
台湾のオードリー・タンをうらやましがる資格なんか1ミリもねえんだよ。
社会や天下国家を語る前に自分の頭をマシにすることに取り組んでくれよ。頼むから。
トラウデンさんはまだ成人したてなのに美人だからって凡愚宰相のフォーラムに招かれて
大衆は専門家より上品風美人さんの話の方を聞くよねっていう凡庸な計略(外れてはいない)に利用されてつまんないこと言っただけ。
でもお前等は?下手すりゃトラウデンさんの倍近くかそれ以上を生きながら、
ガースーを見下しながらガースーの繰り出す凡庸な悪に踊りまくるお前ら。
普段ガースー批判、科学軽視批判、ルッキズム批判を口癖にしてるリべサヨではなく
むしろそういうリべサヨを嫌ってるような側から多くの批判が出ていたと。
なんだこれ。
バカが思い上がってんじゃねーよ。
教師と生徒の恋愛、漫画の中だけだと思うじゃん?教師同士よりあるんだなこれが。もちろん在学中の生徒と付き合ってんのがバレたら教師は一発クビだから、大抵は卒業後に会ってるうちに…っていう体だけど、まあ在学中から噂が立ってるようなのが殆どですよ。隠してはいるんだろうけど、人の目が多い狭い空間で関係の隠し事はなかなかに難しい。校長副校長も目を光らせてるけど、クビが絡む事案だけに証拠がないと動けないらしく、あくまで噂立ってるから気をつけてね程度の注意で終わる。だから減らない。
そもそも生徒が教師に思いを寄せがちなのが私立高校である。自分も何度か告白されたことがあるが、それは別に自分のスペックが高いわけじゃなくて、うちの学校で高校三年生を担当する若手教師で、未婚で性格によほど難がなければ生徒に告白される経験をする羽目になる。なんでかっていうと簡単で、受験期の不安定なメンタルのケアをしてくれた大人への感謝を、恋愛感情だと勘違いしてしまう子が毎年一定数出るからだ。特にうちの学校だと、受験期後半は家より学校にいる時間の方が長いような生活を送ることになるのも拍車を掛けている。
これは仕方ないことだ。高校生と言ったってまだ子供である。自分の感情のコントロールや自制が効かないのは当たり前だし、ましてや人によっては人生一番の精神の荒れどきになるであろう受験期の出来事だ。教師がきちんと断ってアフターケアして終わりになる恒例行事みたいなものである。教師がちゃんと断れば。
断らないクズが山いる。これはうちの学校に限らない。生徒と教師が卒業後結婚しました♡みたいな美談は沢山あるが、大抵はまあ高校でであった二人だろう。そのきっかけは100%上記の「不安定な精神状態の生徒が教師に相談、解決してくれたためその感謝を恋愛感情と勘違い」「その勘違いにつけこんで教師がOK」だ。未成年淫行どうこう以前に倫理的に完全にアウトだと自分は思う。
塾や予備校ではなく受験勉強を学校で見るタイプの私立高校に入学する生徒は、人生相談をほぼ必ず教師にすることになる。家庭問題から進路問題、本人の抱える病気精神問題など重い問題を、教師に預けることになる。子供からしたら他人にここまで自分のことを打ち明け、共に考えるのは初めてだろう。さっきも書いたが精神も不安定な時期だ。くわえてまだ子供で判断力も鈍い。簡単に教師が唆せるのである。
「受験当時、先生と連絡先を交換してもらっていた。夜遅くても質問に答えてくれたり、電話に出て相談に乗ってくれたりしてとても嬉しかった。思えばそこから好きだったのかもしれない」
「◯×さんにしかそういうことはしていなかった。当時は彼女の努力に報いるつもりだったが、今思えばその頃から彼女のことが好きだったのかもしれない」
これは美談として結婚後に彼らが話していたことだが、うちの学校は教師と生徒の連絡先の交換は禁止だ。そもそも教師も当時から恋愛感情があったことを認めている。でも簡単にこういう風に唆せてしまう。精神的に不安定な子供を褒めて支えて甘い言葉を吐いて、自分を好きにさせちゃえるわけ。
そんなこと言って上手く行くとは限らないとかアプローチは自由とか好きになったのは生徒の自由意志とか思うかもしれないけどさ、実際の生徒見てたら簡単にできるなってわかると思うよ。それくらい受験期の高校生ってのはメンタルやられてるし、頼れる大人は自分達教師しかいない。家にいる時間より学校にいる時間の方が長いし、進路や家の問題を同じように受験に苦しむ友人に話すわけにもいかない。必然的に教師を頼るしかない。この状態の生徒の好意を勘違いだと正してやらないこと、この状態につけ込むことって、生徒の信頼にあまりにも不誠実だし、教師以前に人間としてアウトだと自分は思う。
受験期じゃなくたって、親に言えない相談をできる相手は生徒にとって教師しかいない。自分の弱みや悩みを教師に開示「せざるを得ない」。自分の意思で友人や恋人など信頼のおける相手を「選んで」相談するのとは全く違う。病院の患者と医者が結ばれたのが気持ち悪い増田と同じ感情だと思うんだけど、義務的に見せるしかなかった弱みを恋愛に利用するのは、あまりに卑怯な行為じゃないだろうか。
というのが自分の意見だが、生徒と教師はそれでも結ばれていく。職場で卒業後の生徒と結婚することになったと言われても、愛想笑いで誤魔化すしかない。それがまあまあ辛かったので、増田に呪詛を書きにきた。これを見ている中に高校生の子供を持つ親がいるかは知らないが、もし自分の子供が教師と結婚すると言い出したら死んでも反対しろ、死んでも別れさせろ。絶対ろくな相手じゃない。
就職でなんとなく日立市に流れ着いて永住することになりそうな身として、淡々と生活の感想を書いてみる。
中核市でも農村でもない、日本中に沢山ある人口20万人弱の地方都市の一生活者の記録です。
3年ほど前に建売4LDKを購入。
働き方改革が始まる数年前までは残業して帰る時間に空いている店も少なく、娯楽が少ない環境で、他に使い道もなかったので、20代で新築する夫婦は同期の中で珍しいほうはなかった。
掛け捨てのアパート代よりマシぐらいの気持ちで35年ローンを組む。
マンション…はJR駅の近くに新築分譲マンションが1棟ぐらい出ていたが、駅の近くに何もない街並みなので、価格ほどの魅力は感じなかった。
でも某H社の関係で転勤族や単身赴任の人も多いので、マンションは主にそういう方に需要があるのだと思う。
客間が在宅勤務の仕事部屋になり、将来の子ども部屋は物置部屋になっている。
もともと私は物を増やす性質で、夫は物持ちが良くあまりものを増やさないので、ほとんど私の荷物で占領しているのはいちおう申し訳なく思っている。
アパート暮らしのときは電子書籍一択だったのが、紙の本を買えるようになって嬉しい(ほとんど漫画だが)
徒歩5分圏内には、コンビニと24時間営業のチェーン系飲食店が1件。
決して充実はしていないが、孤独を感じるほど何もないわけではないのが良いなあと思っている。
10分歩くと砂浜。
生まれ育ったところは海まで2~3時間の盆地だったので、移住したての頃はどこまでも続く水平線に結構感動した。
今ではすっかり見慣れてしまい、インドア人間なので夏でもいちいち海に行ったりはしないが、それでも晴れの日は通勤中に海が見えるとちょっと爽快な気持ちになる。
オーシャンビューな感じのカフェにもたまに行く。
国道沿いにはスーパーとかホームセンターとかニトリとかチェーン系のファミレスが一通り揃っているので、日常的な買い出しはそこに車で行く。
たしかに車がないとかなり不便。
うちは夫婦ともバス通勤なので、車は1台で充分なんだけど、うちも含めて周辺の物件には3~4台の駐車スペースが確保されている。
私は元々かなり運転に苦手意識があったのだけれど、前職を辞めて1年ほど在宅パート生活をしていた期間があり、時間に余裕があって必要にも迫られていたので、生活に困らない程度には運転できるようになった。
あと、夜でも気兼ねなく出かけられるのは、特に女性にとってはかなり大きなメリットなんじゃないかと思っている。
市内に娯楽施設らしいものはないが、最近話題の公立動物園はなかなか立派なものがあり、子どもが出来たら連れて行ってあげたいと思う。
今にも逃げだしそうなゆるい囲いのカピバラと近距離で触れ合えるのと、珍しいヘビとトカゲがいっぱいいる。
週末何してるかというと、夫はゲームかラズパイ開発か資格の勉強してるし、私はネットか漫画か知り合いのサイト開発などしていて、自宅を謳歌している。
たまには30分ほど海沿いを運転して隣の市のショッピングモール(withシネコン)に行く。
あと、土曜の夜は隔週で、やっぱり30分ほど運転して絵画教室に通っている。
先生が昼は喫茶店のマスターをしている気軽な教室で、デッサンも楽しいが、半分くらいは先生と高校生たちの明るい雑談を聞きに行っている気分。
数年前、インドア人間のくせに、思い立ってSUP(スタンドアップ・パドルボード)に行ったことがあった。
独身時代に住んでいたアパートの近くに、体験プランをやっているショップがあったのだ
ちょうど今くらいの季節で、めちゃくちゃ寒かった。
そのときは海じゃなく流れが穏やかな川で、インストラクターに促されてボードの上に仰向けに寝そべってみると、川の上に寝ている感じが心地よかった。
川で獲れた(?)という鮭のイクラ載せ放題の昼食と、1日SUP体験合わせて5千円。
かなり満足度の高い体験だったが、当時は趣味に投入する色々な(主に精神的な)リソースが足りていなくて、続けるには至らなかった。
でもまあ、その気になればそういうウォータースポーツができる環境もあるし、釣り好きな人には最高の環境だと思われる。
車に乗れない人や学生は遊ぶところがなくて寂しさを感じるかもしれない。
私はこの町で青春を過ごしておらず、余計なお世話ではあるのだが、そのあたりの寂寥感は日立市出身の人気ラノベ作家ヤマグチノボル氏(ゼロの使い魔で有名)の著作からも伺えた。
若くして亡くなった氏の作品には衰退しつつある故郷への愛が込められていて、よそ者の私が後から読んでも、何というか非常にしんみりしてしまうものであった。
これも隣のひたちなか市だけど、邦楽好きとしてROCK IN JAPANに気軽に行けるのは最高。
ネモフィラとコキアも良いのだけど、最近は人気で人が多すぎてあまり行っていない。
某H社様のおかげで市内の同業種求人はいつも需要が供給を上回っている印象。
全部歩いても45分くらいなので、気が向いたら音楽を聴きながら歩いて帰る。
バスは、2005年に廃線になった日立電鉄の線路跡をバス専用道路にしたBRTというものが開通して、かなり便利になった。渋滞に巻き込まれないバスは良いものだ。
(ローカル線好きとしては、電鉄に残ってて欲しかった気もするが)
BRTは自動運転の試験運行も始まったりしていて、ちょっとワクワクしている。
雇用がある町は強いなと思う。私は地元がかなり好きだけど、就きたい仕事の枠が無くて地元を出たので。
正直最初に越してきた頃は、工業都市特有の無機質な景観と沿岸部らしい雨風の強さに冷たい印象も受けたのだけど、ここは働くための町なんだと思う。おかげで図書館とか病院とかも新しくて綺麗。
子どもの興味と合致したら将来は茨城大か茨城高専か筑波大に行ってくれたら経済的には嬉しいかな、ぐらいには思っている。
東京に出たとしても、週末気軽に行き来できる距離なのは良い。特急で片道1時間半、高速バスで片道2時間半。
44歳の女です。
19歳で大学生のときに趣味のサークルで14歳年上の夫と知り合い、20歳の時に交際を始めて半年後から挿入を除く体の関係を持ち始め、22歳で私の大学卒業と同時に結婚し、1年後に長女が生まれました。
夫は比較的年収の高い仕事をしていたため私が専業主婦を希望した際には素直に受け入れてくれ、その後子供(次女もいます)が小学生に入って落ち着いてから私が「社会勉強のため外で働きたい」と言った時も素直に受け入れてくれました。
家事や育児も積極的に関わってくれたので夫として・父親としては不満は無かったのですが、昨年長女が20歳になった時に『20歳の女子なんてまだまだ子供だ』と気づきました。
それ以来、当時20歳の私に手を出した夫がロリコンに見えてとんでもなく気持ち悪くなりました。離婚して欲しいと言ったのですが夫は「20歳は成人で、交際を受け入れたのは昔の君自身だ。ロリコン呼ばわりされる言われはない。どうしても離婚して欲しいというなら財産分与は無しで慰謝料も払ってもらう」と言って聞きません。
私としてはロリコンであること自体が性的加害であり、むしろ慰謝料をもらって離婚したいのですがはてなの皆様の知恵を貸してください。
コロナ、思った以上に長引いているね。ワクチンも現実味を帯びてきたけど、どうだろう。実際にその辺の医療機関で使用されるのはいつになるだろう、来年中になんとかなるのかな?それとも再来年になるんだろうか。こちとら休日にお家引きこもり期間も長くなってきたし、疲れるよね。インドア派な自分でもこうなんだから、アウトドア派やアクティブな人はさらにつらいだろうな。
今は第3波がきている状態だけれども、山のてっぺんが見えてきた頃だろうか。それともまだ伸び続けるだろうか。どちらにせよ、いったん下り坂になったとしても、また次の波がくるよね。もっと高い波が来てしまう。個人でできることはもうしてるから、山の様子を眺めるしかない感じだし、こんなこと言っても何にもならないけどね。あぁ、また次の波が来たぞ、気をつけろ、って言って、波の届かない高台へみんなで非難することができればいいけどね。なんにせよ自分は真っ先に高台へ向かうだろうと思う、言い訳として気をつけろ、波が来るぞ、って言いながらね。
公的な対策は打たれるだろうか。ちょっと無さそうだな、彼らも私と変わらないのかね。できることには限りがある、今はまだその時ではない、経済に対する影響に責任は負えない。
まぁそうだよな、責任負えないね。間違っていたらどうする、波の来ない高台に誘導したら、その高台まで波が来ないとは限らない。経済が壊れると人の生活が壊れる。
現実的な人は、経済とコロナ対策のトレードオフを考えているんだろう。一定のコロナ被害を引き受ける代わりに、経済への打撃を限定的に抑えなさえたい。人の感情を考えればはっきりとは言えないけれど、コロナによる死者が月間何人くらいまでなら許容できるという計算もされているんだろうか。人命と経済の価値交換。年齢、残り働ける平均年数と平均年収とか労働生産性みたいな数値から、年代別の死者数と掛け合わせて被害予想額を出したりするんだろうか。
まだ子どものいない若い年齢層なら、もし生きていたら生まれたかもしれない子どもたちの将来的に生み出したかもしれない価値も計算するんだろうか。計算できないよね、こんなの。だから閾値も設けられないし、判断も遅くなるんだろうな。すべてが終わった後、結果論としての振り返りが行われたりするんだろうか。責任が追求されたりするんだろうか。失われたのは命か、お金か、最適解はあったのか、次に同じようなことが起こった場合の対策は?
山を登り切ると、向こうの山が見えてしまう、さらに高い山が見えてしまう。登りたい人だけが登って済めばいいんだけどね。そうもいかないんだろうね。