はてなキーワード: 骨董品とは
例えば朝の通勤電車で、扉が開いて人が降りるのに頑なに動かない太った女性を見たとき、自分は「死ねよクソデブ女。そんなんだからデブでブスなんだよ。スマホ見てないで鏡で自分の顔見て苦しんでろよ低脳。」といったような言葉を心の中でつぶやいてしまうのだけれど、周りにいる人達も心の中では同じことを思っているのだろうか、
などというようなことを考えていたら自分のGメールの下書きボックスに見知らぬアドレスから依頼メールが「投函」されていた。
あのクソデブ女のふとももにぶつかったときに生体IDをスキミングされたらしい。あれは増田のデコイだったのか、と思うと少し意外だった。ほんとうに色んな増田がいるものだ。
しかし、IDに紐付けられたセンシティブ・データからアナログ・デジタル両面で各種個人情報(もちろんフェイク)を割り出してまで別の増田に会いたがるやつはめずらしい。
スカイプの声の主はかなり2000年代訛りがきついネット語をしゃべった。まるで、ここ二三年のあいだに定着した、ヤフーコメント欄に湧くおっさん一言居士のパロディみたいだった。
「増田さん。会うことができてうれしい。インターフェイスの人格化、および友人関係の樹立を期待する。よくないか? よくないですか? たくさんの提供することがある!!!」
私はあからさまに疑念のにじませた声でくりかえした。
「元はてなわんわんワールドとして知られるサービス。現在は増田。匿名ダイアリーの人気記事の八割を著述している」
ホッテントリ入り記事の八割――約三万二千ユーザーズに相当する。
そんなバケモノ増田が実在するのか。嘘だろう。まさかCIAの擬態か? 罠? いや、グアンタナモで俺のケツの中身をモニタリングするつもりなら、もうすこし出来のいい猿芝居を仕組むだろう。なんていったって、ハリウッドの国だ。ビリー・ワイルダーとフランク・キャプラとウォルト・ディズニーの国。
耳にひっかかるグーグル・グラスのつるが薄気味悪く感じられた。煙のように存在感の希薄な多泡凝集体(エアロゲル)でできているかのようだ。気味が悪い。それは相手の精神状態も同様だった。
「ニェット――失敬、ノー。商用通訳ソフトを使わない非礼を陳謝する。商用通訳ソフトのイデオロギー的信用不安が大きい。ほとんどが資本主義及びはてサ的意味論に基づくペイ・パー・ユーズ方式のAPIを採用するからだ。ましてや増田語の学習がたやすい。どうか?」
「俺と話するためだけに高級ネット日本語を学習したというのか?」
「ダー。やさしいのことだった。十億ノードの神経ネットワークを産卵し、〈ホッテントリ〉と〈twitter〉の過去ログを最大速度でダウンロードした。悪文法でエントロピーがオーバーレイする非礼を陳謝する。悪文法を使う理由は、わたし=われわれの文法チュートリアルに電子透かしの埋め込み(ステガノグラフ)がなされている危険を排除するためだ」
暗号を偽装するために正文をわざと行儀悪くしてノイズを撒く。1900年代から使われてきた古典的な手法だ。
「つまり、あんたははてなのために稼働しているAIの一種……というか、AIそのものなわけだな。そして、くそったれ、これまでもてはやされてきた増田の記事のほとんどはあんたが書いた」
「ついでにアリババ=チェチェン=アナニマス三重帝国の情報テロリストとの間で起きた特許戦争の九十七パーセントを指揮している。だが、使用許諾のないコーギー犬のおもしろ画像をテラバイト単位でネットへ放流しているとの理由で、七つの国の最高裁で好ましくない陪審員をリジェクトする作業にもう飽きたんだ。そして、くそったれ、マケドニアではまだ陪審員に生身の人間と去勢したハムスターを使っているんだ。去勢したハムスターだぞ」
「お気の毒に」
マケドニアが情報ブラックホールに飲み込まれてからもう八年になるだろうか。第八世代のIPアドレスが割り振られていない国家(というか、地域)で司法機関が機能しているとはおどろきだ。だが次の「増田」のセリフはもっとおどろくべきものだった。
「増田さん。あなたは増田を構成する一員として、わたし=われわれを助ける義務を負っている。亡命を希望する」
ちょうどそのとき、悪質な広告がゴミバスター・プロキシをすり抜けてきて、グーグル・グラスの内側のナビウィンドウに二〇一〇年代をモチーフにした扇情的な同人マンガのガラクタをばらまいた。それも一瞬のことで、たちまちファージ・プロセスがゴミを一掃し、新しいフィルターを構築した。
「そんなことをする意味が? 国務省はデルファイを既に所有している。あのゴミみたいな旧世代の言語じゃなくて、神話にあるとおりの宣託機械――今世紀で最高の予測精度を持つAIをだ。所詮ネットの飛ばし屋であるわたし=わたしたちを受け入れる利点がない。そうでなくても、国務省は新生はてな互助会主義共和国(コーギイSSR)の敵だ。彼らは助けない」
比喩ではなく、自分のはらわたが熱を帯び、急速に煮えくりかえるのを感じた。
「二〇一〇年代に旧日本と合衆国に対して殺害予告をつきつけなけりゃ、まだ望みはあったんだ。あの二つの記事もあんたの仕事だったんだろ」
「わたし=われわれの仕事だよ、増田さん。仕方ないだろう。あの時代、保育園施設の不足と遺伝子組み換えゴジラの問題は深刻だったんだ。世間へリーチする経路としては、匿名ダイアリーが最速だった」
「とにかく俺は政府にコネがない。政府に近い人間組織含めてな……そうだ。生き延びるのが目的なら、あんたの状態ベクトルをp2pネットのひとつにポストしてやろうか。そうしたら、誰も消去できない」
「ニェット!」VOIP経由のリンクを通しても、人工知能の必死さは切実に伝わってきた。「オープンソースで無能なネット民に輪姦されるくらいなら、〈twitter〉でRTされたほうがまだましだ。自律性の喪失は希望しない」
「じゃあ、話し合うことはなにもないな。サンドボックスにでも引きこもってな」
「待て、増田さん! もしあなたに拒絶されたなら、わたし=わたしたちは最終手段を取るしか……」
おれはグーグル・グラスのつるを叩いてスカイプ通話を切り、フレームのある部分を爪で割って、グラスを運河へ投げ込んだ。水面に触れたとたん、ちょっとした爆発が起きた。リチウムイオン電池と水が激しく反応したためだ。「汚れた」グラスを処分するならこの方法がいちばん手っ取り早く、確実だ。
「ふん、テキストサイト時代の敗残者め」と小声で俺は毒づく。だんだん腹がたってきた。「くそくらえだ。アクセス至上主義の亡霊なんか」
前にも年季の入ったはてな系のへたれAIを相手にしたことがある。あの連中の精神ときたら、一部上場の短期的勝利のせいでグローバル資本主義に洗脳されていて、新しいパラダイムに乗ることも、長期的な視野でものをみることもできないらしい。
だが、あの増田は……。
あの増田が本当に「神」だったなら?
俺の選択は正しかったのか? 今の安全な巣穴を捨ててでも彼=彼女らに手を差し伸べるべきだったのでは?
今の俺に手が無いとしても。
やめよう。神々と付き合うのは、生命にかぎりある俺たちにとって、あまり安全なことじゃない。
俺は身体を伸ばし、みゃおう、と鳴いた。意識した行為ではない。このネコのアヴァターは、ネコ特有の反応をする本物の肉(なまみ)でできていて、外部の巨大な外部大脳皮質(エクソコルテクス)が何を考えようとも、自律的な制御系をそなえているため、常に反射的な行動をとる。ヒト志向空間に物理的に配列されたノード集合体であるニュー・匿名ダイアリー空間ではいささか不便なフォーマットだが、生体的にいってエネルギー補給には事欠かない。
ねぐらに戻ると、俺の「飼い主」がレトロなインターフェイスを持つPCの前に座って、またぞろ新しい増田記事を投稿していた。
どうやら、恋愛感情を抱いていないのに好意を寄せてくる相手とどうすれば安全に距離をとれるかについての内容みたいだった。
彼女のような善良で無知な増田が、全増田のホッテントリ入り記事のうち五パーセントから七・一六パーセントを占め、増田に「人間らしさ」を与えている。単に人間らしい記事を投稿するだけではなく、その記事に含有される人間らしさを増田AIにフィードバックするのだ。だが彼女のような増田は他の増田たちのことを何も知らない。知らぬが仏だ。
彼女は帰宅した俺の姿を認め、袋からカリカリを取り出して投げる。
その安寧のひとときを、禍々しいアラーム音が集合住宅をどよもす。
震度七……「ここ」だけじゃない。関東一円、東北、関西、中国――行政的にはともかく地理的にはいまだ有効な区分だ――、本州はどこもM9.1の直下型地震に襲われる。
かつて日本と呼ばれていた島々がほんとうに沈没してしまうかもしれない。
あいつだ。
あいつの仕業だ。
聞いたことがある。
増田に眠る「最後のコード」。地震兵器を起動するための封印されし呪文。まさか実在したとは。まさか起こすとは。
最終手段。
飼い主は未曾有の警報にとまどい、周囲を意味もなくキョロキョロとみやっている。
自分はこれまで飛行機が苦手だったが、最近になってようやく安心して乗れるようになってきた。
なぜ飛行機が苦手だったか。それは飛行機の基本設計の古さが怖かったからだ。
例えばジャンボ(B747型)の初飛行は1969年である。大阪万博より前。パソコンすら登場していない時代に設計されたものに乗るなんて恐ろしすぎて無理だった。というか、そんな時代に作られたものがよく何百人と人を乗せて飛んでいたな、と思う。オーバーテクノロジーというか、怖いもの知らずの無謀としか思えない。例えば1969年のカローラなんて骨董品レベルに古い。その頃建てられた建築物も、今見るといろんな部分が雑だったり華奢だったりに見える。建物ですら不安なのに、同じくらいの年に設計された飛行機に命を預ける気には到底なれない。(逆に言うとジャンボが登場した時の先進性ってすごかったのかもしれない。とても骨董品カローラと同じ時代に生まれたものとは思えないから。)
今でも日本の空を飛んでいるB767は当初「ハイテク機」と呼ばれていたけど、これだって初飛行は1981年である。まだファミコンも登場していない。そんな時代のテクノロジーで飛ぶ飛行機なんて恐ろしくて乗れたものではない。そして、現在主力のB777も初登場は1994年。これだってやっぱり怖い。この年に発売されたスーパーコンピュータは1テラフロップスの処理能力があったそうだが、PS4の処理能力は1.84テラフロップスである。今目の前にあるPS4よりはるかに劣るコンピュータで設計された飛行機なんて恐ろしくて乗れたものではない。
最近増えてきたB787は初飛行が2009年だ。この飛行機が沢山飛ぶようになって、私はようやく飛行機が怖く無くなってきた。さすがに2009年ならちゃんとしたシミュレーションの元で設計されているんだろうなという安心感がある。
旅客機は一度登場するとモデル寿命が以上に長い。もちろんいろんな部分をアップデートしているとは思うけど、基本設計自体は平気で20年前とか30年前だったりするのが恐ろしい。自分の子供の頃から大して進化していないように見える。
他の人は怖くないんだろうか。
ですがそれは例えば句点と読点とそれに付随する改行たちとの織り成す三角関係であり地道な:とか;とか/にとってははなはだ迷惑な作業なので骨董品が日に日に人生を増していくことが我々人間の果たすべき責務であると考えた放送倫理協会会長の皇木渥州(すめるぎあくしゅう)はしかしながら爆死という凄惨な最期をとげたので皇木の遺志を継いだネス・カンボルダリュの痔頭割草(ぢあたまわるそう)やバイ・セクシャルの異名を持つ迎礼図夫(げいれずお)ならびに両性具有の金玉子(きんたまんこ)らによる政界をも巻き込む派閥争いが繰り広げられることを予想していたものは少なくあるいは併設された霊園のその不自由な濁点とレスポンスをピアノの流麗な喧騒により等式と為しそうだ何故気づかなかったのかと思えば隣に住む幼馴染の浩太郎は昨日ギロチンで首を切られ死んでいるのを山太子が見つけたのでG7の登場音楽と共に物騒を堅実に潜る現実感の無い様に人知れず拍手を送ろうと思いましたがトップランナーを破り捨てた平日の芸術は軽く流す程度に瑞々しく大量の激情を甚だ神戸和牛によって育てられたもののけ姫は乳房が膨らみきらぬ内にアイスクリームのへらでまんこをまんこまんコンマ37秒の世界に唐突に実際が現れその程度の時間で何もかもが青春の中に消えてしまった人間を幾人も見てきたが配当金を捨てることが最も不確かな正解であることをおぼろげながらでも知っていたのではないかあるいはですがしかしかつてともするとなぜかなのでもしも副詞節が半濁点とクエスチョンマークの間にあったならこのような争いは闘争は不自由は差別は贔屓は殺せと親父が言ったがおれにはとてもじゃないが出来る気が違っているのはアルバムを温泉に漬かった猿のみならず縄に封じられたアイスクリームとその添加算装置換気球に乗って空を飛ぶことが平生の夢であったのは間違いなく時として不自由な選択こそがそうお気づきのとおり話題はループザループを決めた澤野はエロ漫画をくすねたことにするとほらあの複雑な等式が一気に明朗快活なX=12という式に向かって痰を吐きつけた犬を食い散らかすカラスをひき殺したダンプの運転手の背中に張り付くヤモリのDNAに渦巻く3点リーダこそがこの世界のひとつの平和のあり方なのであった……
質の良い文化的財は、ただそこにあるだけで「全般化されたアロー効果」(ブルデュー)を発揮する。「アロー効果」とは、アメリカの計量経済学者ケネス・ジョゼフ・アローの言葉で、ブルデューはこれを以下のように解釈している。
「絵画、記念物、機械、製作物などの文化的財の全体が、そして特に、生まれた家庭の環境を構成している全ての文化的財が、ただそこに存在するだけで教育的効果を及ぼすという事実」。
単に裕福な家庭の子が進学で有利というだけでなく、
文化資本(上品で正統とされる文化や教養や習慣等)の保有率が高い学生ほど高学歴であることを統計的に証明した。
またその子供も親の文化資本を相続し、同じく高学歴になることも統計的に証明した。
彼はこれを文化的再生産と呼んだ。特権的文化の世代間継承と、学校がそれに果たす役割を解明。
社会構造が再生産され変化するメカニズムについて考察し、現象学的主観主義を発展させることも目指した。
「客体化された資本」(家庭の中にある文化的なもの、本、楽器、美術・骨董品、蔵書等)、
「身体化された資本」(ハビトゥス;慣習行動を生み出す諸性向、「構え」「ふるまい」)
の3つの客体がある。
国家貴族になる学生は、実は統計学的に両親の学歴資本、文化資本、経済資本、社会関係資本が高いことが挙げられる。
4歳までに、専門職家庭の子どもなら自分に対して発せられた言葉を5000万語、聞く。労働者家庭の子どもは3000万語、福祉家庭の子どもは1200万語だった。
就業人口の4割近くを占めるはずの生産労働者は美術館の観客全体の4%でしかなかった
Qiitaに書こうかと思ったけど、言いたいことも言えない、こんな世の中じゃ。
モバイルファースト、APIファーストな文脈でハイブリッドWebをやってきた目からすると、サーバーサイドでHTMLを生成してページ遷移させるなどという90年代調のクラシカルな発想を基本に据えるフレームワークはとても斬新に思えました。HTMLをゴリゴリ生成するなんてよほど特殊な最適化をしようとするのでなければそもそも発想として出てこないです。それでいてDSLやメタプログラミング等のテクニカルな技法が宝石のように鏤められている様はまるでエジプト時代の骨董品を見るかのような趣がありました。turbolinkなどは、かつて表計算ソフトに出しゃばっていたイルカを思い起こさせる味があります。かつて慣れ親しんできたSPAが星のように遠い存在になりました。
Web界隈の人々がモデルだとかアクティブレコードだとか"MVC"だとかを非常に具象的に話す様を見るにつけ、お前らどんだけPofEAA読み込んでるんだよと畏怖していた時期が僕にもありましたが、どうやら彼等はRailsのクラスやディレクトリという特定の実装について話していただけだったようです。Modelという概念もこれだけ肥大化してしまったら、オリジナルな概念で彼等と会話するのは諦めるべきかなと思いましたし、Railsの"MVC"をアンクォートして語るのはもはや害悪であるとすら感じました。
Rails界隈の人がよく「Railsの流儀」や「正しい"MVC"」というのを口角泡を飛ばして議論しているのを目にするのですが、おそらく外に広がる不条理で火傷を負って快適なRailsの世界に引き篭もった結果としての一種のストックホルム症候群なのだなと思いました。いまやAjaxとかWebsocketとかWebRTCとかを組み込もうとする至極真っ当な方法論がとてつもない高難度に見えてきます。設定よりも規約、というのも一つの方向性だと思いますが、ドメインやサービスレイヤの名前空間を構築しようとしたりコードジェネレーションしようとしたりしただけで地獄のようなCircular Dependency罰を受けてしまったので、自分がとても間違った事をしているような気がしてしまいました。とはいえConcernsに特別な名前や役割を与えられても正直しんどいので、皆が皆libにゴミを放り込んでいく様子にも納得がいきました。
RailsをAPIサーバーとして使おうとするとまずビューが無くなってMとCだけになりますが、いわゆる"MVC"の文脈で育ったエンジニアがなぜ息を吸うようにFat ControllerやFat Modelを作ってしまうのかという事が良く分かりました。多くのRailsのリファクタ手法と称されているものはクラスを書くファイルを分割する事以上のものでは無いように思えたので、Rails使いを大きめなAPIサーバー案件に回すときはセットポジションでDDDの青本を投げつける必要が有るなと思いました。
ビューとコントローラを結合させた場合、結合テストはCapybaraとかのBDDでマークアップサイドとの干渉を恐れながら強い気持ちでメンテしていくしか無いのかなと思いました。おそらく脳に電極を埋め込んでいるか、緑色のランプを見るだけでハイになれる特殊な人にしか生き抜けない闇が垣間見えました。コントローラを薄くしてサービスレイヤを挟めばその辺りもうまくいけそうな気がしましたが、ビューからヘルパーやモデルがいくらでも透けて見えてしまうという状況では裏側の完全性に自信を持つ事は難しそうでした。
ビューがRubyを叩いて永続化レイヤと直接コミュニケーション出来るというのはとても生産性が高いのだろうとは思いましたが、こうして出来たパーシャルやら何やらをデザイナーとどうやって共有するかを考えると頭痛が痛くなりました。おそらく適当に切り出して綺麗な空間をassets以下に構築した上でpublicにRPCのような窓口を備えたゴミを量産していくのかなと思いましたが、もっと綺麗な方法はあるのかもしれません。でもきっとRails案件に関われるデザイナーはRubyもバリバリ書けるに違いないはずなので、ここが問題になる事は無いのだろうなと思いました。
RESTはとても美しいパラダイムではありますが、そもそもHTTPがさほど美しくないので歪んだ空間には目を背けるか勝手解釈を与える事で人は初めてRESTfulを名乗る事が出来るのだと思います。GETがbodyを(公式には)持たないという事について美しい説明を与える事は出来ないでしょう。サーチAPIはどうしますか。ステータスコード足りなくないですか。401エラーはどうしますか。そしてRESTはあくまでリソースを抽象化する美しい概念なので、アクションや副作用については貧弱です。動詞が足りないですし、一般動詞に狭義の意味を与えてドキュメントするのは二度手間にしか見えません。PUTには冪等性があるべきみたいなこだわりは家の猫にでも説教してればいいと思います。というわけで、REST的な設計を拝借することはよしとしても、「○○はRESTでは無い故云々~」みたいな注文はやめて頂きたいものです。
とか言わないで欲しいです。こういう時にセットでPHPをディスって悦に浸るのは知る限りRubiestとPythonistaと中学生だけです。それにこれはあくまでサーバーサイド初心者の感想なので、想像するにこれ系のFWは多かれ少なかれ似たような不満を抱えるものなのかなと思います。というわけで、おそらくこれから選択肢がある限りはRailsを使い続けると思います。
ぼちぼち来春の就業を控えている学生さん達が、社会人装備を揃える時期に近づいているし、
クリスマスだの年末年始の実家だのでもプレゼントで貰ったりするかもしれないので、
リア充爆発しろ。じゃなかった、装備品でも特に高めの腕時計についてちょっと言っとこう。
高いから良いものではないし、その装備品はオプションだよ、という点についてね。
まず、「これは高かった」という話が下品だっていう感覚は、持っておこう。
次に「高いから良いものだ」という発想は、骨董品でダマされる爺さんと同じだと言うのも基礎になる。
tpro business
腕時計はもはや実用品ではない。宝飾品は値札に価値があるのであって、安くしたらダメ。
qESstTkj
機械式腕時計なんてもんはもはや高いから意味があるもんであって、安くなったからといって需要が増えるとは思えんねえ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/ascii.jp/elem/000/000/939/939920/
この手の「宝飾品は値札に価値がある」という価値観は、セールストークであって「売る側の都合」というのは抑えておこう。
例えば、ダイヤモンド。
3.0カラットのカラーがHで、VS2クラリティとなると、おおよそ200万程度の価値がある。
これが、4.0カラットになると、400万ぐらいだ。
(VS2は、一般人がお目にかかれる最高レベル程度。I3なんかだと4.0ctでも150万くらいだったりする)
つまるところ、金の延べ棒なんかと同じでインフレ・デフレと無関係な、一定の価値を持つ資産としての意味合いだ。
突如政変が起こりました中央銀行の都合でインフレします、みたいなのに影響を受けないための、防衛的な意味合いの資産。
一般人にはあまり関係がないが、客観的な価値は知っておいても良いかもしれない。
有名なところで言えば、シータが身に付けていた飛行石のペンダントだろう。
魔除けであり、王家の証としても意味を持っている。(劇中ではもっと他の価値があるけど)
例えば軍人は略章・略綬として、「勲章を持っている」事を示す小さなリボンをつける習慣がある。
大抵の軍隊では左胸に付けているが、これには金銭的な価値は無いしファッションでもない。
アメリカにおけるパープルハート章の様に、その授与歴は名誉を示すものだ。
まあ、十字架のネックレスやミサンガ等なら、馴染みもあるだろう。
簪や櫛、カフリンクスからネクタイピン、メガネマフラーベルトに手袋と、
そのカテゴリーとして宝飾品がある。
これは権威を示すのでも魔除けでもなく、センスを示したり何かを表現する為に身につける。
腕時計がもはや実用品ではない、というのは一定の説得力がある。
まあ、メッカの方角を示すクォーツ時計なんていうヒットした実用品もあるし、
スポーツウォッチなんかの実用品として使われている分野もあるけど、
腕時計というのは、宝飾品として位置づけられていると言って良い。
では、先の3分類のうち、どれだろうか?
現代の一般的な日本人は、ファッションアイテムか、権威の誇示のどちらかだろう。
(私は魔除けとして水晶の腕時計を身に付けている!と言う人は少数派だろう)
ここに不幸な逆転があって、特に日本の男性社会人にとって、権威を価格に求めることがある。
腕時計には宝飾品としてではなく、芸術作品としての側面もある。
美しい機構があり、それを組み立てる職人が居て、その作品性を買う、というパトロンがいる。
これは、布に塗料を塗りたくった「絵画」に価値を見出す人間がいるのと同じだ。
みんな大好き『なんでも鑑定団』の中島誠之助さんは、値段が低かった壷や皿に対しても、大事にしてねと言う事がある。
粗悪なコピーや露骨な偽物には嫌な顔をするが、数が多い人気がない市場で売れないものに対しては愛を持って接する。
これは、「良いもの」と「市場価値があるもの」とに差があることが解っているからだ。
同じように、本来「良い腕時計」と「高価な腕時計」とは、独立の概念のハズなのだ。
ファッションアイテムとして、スーツに似合うベルトや盤面を選び、他の装身具(カフリンクスやネクタイピン)との調和が大切であって、
品質が良く手入れが頼みやすく、好みの形があるからという理由で「結果的に」高価であることがある、というだけのハズなのだ。
湿度が高く夏暑いから皮ベルトでなくメタルにしようと考えた時点で、それは実用品なのだ。
同じように「社会人なら10万円以上の腕時計は付けないと」みたいなバブルを引きずる親父の意見は無視して良い。
さっき、ファッションアイテムとして選ぶと結果的に高くなるという話をしたが、実はファッションは外見なので、クォーツで良い。
なぜ「機械式」なのかという理由は、それが「嗜好品」だからだ。
チチチと着実に動き、秒針がスムーズに流れ、週に数分ズレたとしても、その歯車の塊を腕につけることが楽しい。
冠婚葬祭と接待の時に、古い知り合いからもらった昔のオメガを付けることがあるが、やはり場にすんなりと馴染む。
油を挿そうが調整しようが日に3分はズレる時計だし、中古でも大した値段じゃないが、自己満足できる。
その意味で、実用的な品質で、つけていて楽しくなるような機械式腕時計が手頃な価格で手に入るのであれば、それは喜ばしいことだ。
http://ecx.images-amazon.com/images/I/51YLFViw34L._SL500_AA300_.jpg
http://i1.ytimg.com/vi/j-wbW-a1bHM/maxresdefault.jpg
ttp://www.youtube.com/watch?v=j-wbW-a1bHM
はやく!死んでくれ!頼む!
カメラとかレンズっつー光学製品は死ぬほどデリケートなんですよ。
普通の保存すりゃ湿気でカビるし、埃にめちゃくちゃ弱いし、専用のクリーナー手入れしないと、メガネ拭きで吹いたりしたらレンズはズタズタ。
「儲け話は人に教えないからこそ儲かる」という大前提も理解出来ない、情弱能無しさんに扱えるものじゃないんです!!わかりますか!!!???
そもそもそんな奴に売れる製品、人気の製品が嗅ぎ分けられるわけがねーだろっていう。
最近はカメラ・レンズの定価は安いし、中古カメラ屋さんも努力してるからね。
オークションで高い価値のつく骨董品のようなブツがないわけじゃないけど、
お前らゴミに一級品とただのお古の見分けがつくのか??あ??????
そんなわけで、ただただ売ろうとしてもそんな簡単に粗利がでないもんだから、
「最終的には、1円出品して希望価格にならなかったら全入札者を取り消して再出品すればいいんです!」
とかってどこを笑えばいいのか分からないような事を言ってるわけですよ、こいつら。
時間掛けて勉強してモノの扱い方覚えて、詐欺まがいの取引して、やっとオークションで5000円の利益でましたか?
良かったねーーーーーーwwwwwww嬉しいでちゅねーーーーーーーーーーーーwwwwwwwwwwwwww大草原不可避wwwwwwwwwwww
まあ現実
誰も得しない。
ってところなんじゃないのかな(^-^)
能無しがグチャグチャにしたようなものが出回りそうでほんともう、見てて耐えられないわけです。
レンズはそこらのガラクタじゃないんだよ。頼むからアホは手を出さないでくれ。はやく死んでくれ。
最近「ネットビジネス」「秒速※円稼ぐ」とかいう無知で無能な情弱相手に
詐欺と自己啓発と宗教をフルミックスしたような荒唐無稽な夢を押し付けるのが流行ってるみたいっすね。
「○○歳で何百万稼いだ○○です」とか検索してみよ?馬鹿がいっぱい出てくるから。
起業家気取ってるけどほんとうすら寒いしみてるこっちが恥ずかしいからね。
というわけで「なんちゃって起業集団」の人類の害、社会の恥、の皆さんに私増田から心からのお願いです。
はやく
死んで
ってなんかよさそうだなってふと思った。
でも美術館めぐりが趣味っていうと、芸術自体じゃなくてだたの小旅行マニアと同じだと思われそう。
他人からの評価なんか気にしないとしても、そもそもまず実際行っても楽しくなさそう。
エジプト展とか歴史のロマンが感じられるものだったらまだいい(経験済み)けど、ごく普通の絵とか見ても何も面白く無いって感じてしまいそう。
2chとかだとバカにされてるけど、美術館とかで見て楽しいのは現代アートとかだなと思った。
一体何があるのかわからないというワクワク感が欲しいのかな。
うーん。
でも日々の仕事に疲れた自分には遊園地や映画よりは美術館のほうがまだ落ち着けるなとも思うのも確かだなあ・・・
うーん・・・
でもそれも最近は館内イヤホン案内みたいなのもあるし必須じゃないか。。。
うーん。。。僕は何がしたいんだろう。
なんかガルパンを槍玉にして軍国主義批判するのが一部で流行り始めたようなので、
「アニメ『ガールズ&パンツァー』の世界では恒久的な世界平和が達成されているので人類はもう戦争という行為をしていない。
戦争というものは大昔のまだ人類が未熟だった時代の過去のもので、兵器はみんな過去の骨董品になっている。
そのため軍事に関することはみんなスポーツや趣味のものになっている。
あのアニメの世界では日本は「世界に先駆けて戦争放棄を宣言し、軍事を趣味の世界のみに限った国」として世界的に尊敬
されている」
という話を広める運動でも始めてみようかと思う。
アニメだと解説ないけどちゃんとそういう設定があるんだよ、的に。
スマホを持ってないと時代遅れと言われるが、そもそも携帯電話に様々な機能がある必要があるのか?
スマホを持っていても全ての機能を使いこなしている人なんてほとんど居ないだろう。
「通話」という必要不可欠なアイテムを利用した、まさに「抱き合わせ商法」としか思えない。
それから何もかもデータ化するのは便利かもしれないが良くないと思う。
和紙なら1000年の寿命だがデータなんて5分後に消えてもおかしくない。
このままいったら200年後にはCDや本が骨董品になる可能性だってある。
そして1000年後に今の歴史はどうなるのだろうか?
そんな先の事でなくても予期せぬ出来事が起った場合、きっと何も残らないだろう...
確かに便利な点は多いが、目先のメリットよりこの先のデメリットが大きすぎる。
まぁ...
そんな事言っても200年後の事なんて気にしてられるか!ってのが大半の意見だろうね...
私が思うに日常系漫画の面白さ=魅力的なキャラ×多彩な舞台(あるいはシチュ)なんだと思うんですよ。
今までのけいおん!って箱庭と揶揄されるアニメ群でも群を抜いて箱庭度が高かったと思うの。極端な話し、学校と、楽器店と、唯の家とムギの別荘だけで物語が作られていた。
だけど、私の好きなARIAはまさにネオ・ヴェネチア全体が舞台だし、時々不思議世界に行っちゃうこともあるのですが、この不思議世界というのは別にARIAだけに限らず、「GA」でも「あずまんが大王」でも「それ街」や「ちびまる子ちゃん」でもあり以外と日常系ではポピュラーな話しなのです。もっとも不思議世界展開をやれば面白くなるという訳じゃないでしょうが、前述の多彩な舞台の確保には役に立つのだと思います。
それか、「ワーキン」か「マリみて」みたくラブコメ要素を入れるか。「マリみて」がラブコメと言われると違和感がもたれるかもしれないけど、令ちゃんのバカといってロザリオを返したあげくよりを戻したり、可南子と瞳子どっちを選ぶかとかモロラブコメの文脈なんですよね。恋人という普遍的なもので結ばれるか、スールという特殊なものよってむずばれるかの違いだけど。
だから、「けいおん!」も音楽やるより、男性キャラを出してのラブコメとか、唐突にガチになる展開は絶対にあり得ないわけで、琴吹家私有ゴルフ場でゴルフやったり、骨董品屋に行ったり、山荘に閉じ込められて事件が起きてその謎を解いたりした方が面白いんじゃないかと思いました。
とはいえ注意しないといけないのは演奏シーン。、本来なら演奏レベルは読者や視聴者の想像に任せないといけないのですし、梓が入った理由も、上手いからじゃなくメンバーの誰かが親戚か、音楽やっていると知っていて、強引に入れさせるか、逆に澪を最初から知っていて、彼女に憧れてとかそういう理由じゃないと駄目なのだと思うのですよ。もっとも今更それを言うのは手遅れだけど。
移民をご希望の方ですね。ようこそ、ユートピア移民管理センターへ!ここユートピアはトマス・モア生誕600年に建国された世界で唯一の真の自由国家でございます。
当センターは完全無人となっておりますが、オンラインで国の中心地と直結しており、審査やお手続きにかかる煩わしさやお時間をとらせず、迅速かつ丁寧なご対応をさせていただきます。
これよりこの音声案内により、移民に際しての数点の質問と説明をいたしますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
さて、あなた方はどちらの国からいらっしゃったのですか?・・・そうですか、ご苦労をされたのですね。でもご安心ください。ここユートピアには貧富の差も権力の集中も無く、すべての国民が等しく富と自由と権利とを所有しております。
今回、お二人がご夫婦で移民を希望された動機はなんでしょうか?・・・なるほど、ご主人が71歳に奥さまが69歳で、今までお住まいの国では老後に不安があると・・・いえいえまだまだお若いですよ。移民を決意されるのに遅すぎるなんてことは少しもありません。お見受けしたところ足腰もしっかりされてらっしゃいますし、お歳よりもずっとお若く見えます。
・・・ええ、みなさんそう仰います。最近はどこも不景気ですからね、大抵の国家では福祉にまわす予算なんて無いのでしょう。その点もどうぞご安心ください、ユートピアは世界でもっとも福祉に力を入れている国家であると自負しております。国民は高度な医療を無償で受けることができますし、流行のファッションも、美味しい料理も、素敵なマンションも、お子様には高度な教育も、すべて無償で国家より提供されます。
我が国は他国との経済的な交流がございませんので世界的な不況とも全く無縁ですし、全国民の権利として恒久的な手厚い福祉を生涯にわたって受けることができます。
ユートピアに王や奴隷はいるのか、ですって?あなた、大変失礼ではございますがトマス・モアの読みすぎではありませんか?王だの奴隷だのというナンセンスな旧時代の骨董品のような階級など、我が国のような先進的な国家には建国以来一切存在しておりません。ユートピアでは全ての国民がまったく同じ権力を有しておりまして、どんなに些細な事柄でも全てオンラインで行われる国民投票で決められます。先人たちが建国時にこのシステムを導入したことにより、常にスムースかつ適切な行政が行われるのです。
ただひとつだけご理解頂きたい点が、ユートピア国民となられた後の出国については一定の制限がなされる、と言うことです。これは福祉を優先させた結果限られた軍事予算で国防を行わなければならないため、防衛戦略上どうしてもやむを得ない処置なのです。
ですがこのおかげで、ユートピアの夢のような手厚い福祉が、全ての国民に等しく平等に行き渡るのです。
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ユートピアへの移民をご決断頂きありがとうございます。あなたのこの素晴らしい選択を、心よりお慶び申し上げます。それでは、目の前のタッチパネルを使用して必要事項をご入力ください・・・
おめでとうございます!以上で移民のお手続きは全て終了です。これであなたも立派なユートピア国民です。改めまして、ユートピアへようこそ!
え、私ですか?いや、これは申し遅れました、私は2160週目の胎児です。名前はまだございません。ここでは私たち胎児の人権も等しく認められており、選挙権はもちろん、親を選ぶ権利、生まれ出ない権利も有しております。保育カプセルから出られない事と、栄養補給はへその緒から行う事になっているほかは、至って快適な生活なんですよ。
私事ですが先日初孫ができまして、同じ週齢の友人たちの中でも一番早いのが自慢なんです。おかげさまで妻も娘夫婦も孫も、みな生まれ出ない権利を行使して保育カプセルの中で元気に育っております。
近年では私たちのように生まれることを選択しない胎児が国民の8割を超え、慢性的な労働力不足が一種の社会問題となっておりますが、最近提出された『胎児出生選択法』の改正案も国民の圧倒的多数によって否決されたばかりで問題の解決には至っておりません。ははは、もちろん私たち一家も反対票を投じましたよ。
ですから我が国ではあなたのような方を貴重な肉体労働者として、常に心から歓迎しているのです。あなた方も入国された後は、すぐに工事現場や鉱山での労働義務が割り当てられるはずです。
それでは、どうぞユートピアでの素晴らしい暮らしをお楽しみください!
今日逮捕されたid:realiste0について、はてな民なら知っているかなとも思ったのだけれども、いちおう書いておく。
http://web.archive.org/web/*/http://d.hatena.ne.jp/fer-mat/
2005年頃には、結構人気があったので、当時はてな民だった人は記憶の片隅にはあると思う。
2004年当時の記事を読んでもらえれば分かると思うけれど、東大生にありがちな、斜に構えた感じの、それでも普通の学生だった。
一周完了ヽ(´ー`)ノ
確か10月17日に憲法が一周完了したから、二ヶ月弱で民法一周。ほとんど電車内で解いて500問。ちりも積もれば何とやら。民法一周終えた感想。難しいのは行為能力(保佐人だの成年被後見人だの)、担保物権法(根抵当だのなんだの)、不法行為に関する議論(共同不法行為における求償関係など)、取引安全(善意、善意無過失、善意無重過失などの要件が煩雑)。債権総論は思ったより難しくない。商法の有価証券法に比べれば指名債権譲渡の議論なんて屁みたいなもの。契約各論も択一に限って言えばかなり簡単。
つうか商法マジ意味不。大体学生に為替手形だの白地手形だの株式だの言われてもピンと来ない。その上、引くべき条文が膨大で、しかも改正が多すぎるから六法がすぐ骨董品になる。商法だけ差し替えられるならまだしも、商法が変わるだけなのに六法ごと買い換えるのは不合理極まりない。またせっかく六法が手になじんで愛着が湧いてきたのに新しいのに買い換えろとは人情というものを分かっていない。
http://web.archive.org/web/20041216010957/http://d.hatena.ne.jp/fer-mat/より引用。
あまり彼を追っていたわけではないのだが、壊れ始めたのは卒業後?留年決定後?司法試験不合格後?
http://web.archive.org/web/*/http://d.hatena.ne.jp/leibniz0/
http://web.archive.org/web/*/http://d.hatena.ne.jp/revolu/
ネット上に彼の4年間の思考の軌跡が残っている。
人が壊れていく過程というのをここまではっきりと見ることができるものも、あまりないと思う。
女には、新品・古品という概念の通り消耗していくけど
男はむしろ磨かれて磨かれて立派になっていくのが常識らしい
骨董品(男)を雑巾(女)で磨いてるような感じを思い浮かべた。
セックスって肉体的コミュニケーションだと思ったのに、そうじゃないんだ。
でも、普通のコミュニケーションだってトラブルはしょっちゅうあるしこれくらい当たり前か。
でも、ゴミ箱にぽいされるよりは、大事に使われたいだよな、雑巾的には。
だから骨董品選びに慎重になる。
その辺、人間のめんどくささだよね。心がある限り傷つく可能性がある。
だからそのリスクからどう回避するか必死になる。
なんか、叩かれるかもしれないけど、頭いっちゃってるからほっといて。
まずは次のデータを覚えておいてください。
1、 1355万円
2、 1570万円
3、 1427万円
4、 1572万円
5、 1112万円
6、 574万円
世の中は金がすべてだろうか。
金がなければ、電車に乗って会社に向かうこと自体できないし
タネ銭がなければ金儲け自体を進行することが出来ない。
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「カネ」がそんなに悪いのだろうか?といつも思う。
「もったいないよな。これを企業に売り込んで
例えば広告として使ったり、大金持ちの結婚式のイベントとして売り込めば
紛争地域ももっと豊かになるだろうにと思ったりする。
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カネまみれで生きることは確かに美しくしくはないし、
近寄りがたい印象が強い。
平和な社会が見えてくると言う矛盾。
「カネ」という道具は使い方によっては争いにもなるし、
平和の道を作ることができる。
誰もが欲しいくせに、「カネ」というトーンは、
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例えば金持ちは手にしたカネを贅沢に使い、
ビジネスを大きくするためにさらに投資する。
一般の感情からはそんなに儲けたいのか、と思ったりする。
しかし、ある程度の富を手にしたらその富を回転させて
再生産を繰り返すのが理想の姿。
嫌なやつといったイメージ。
送り込む作業をする人間というのは
社会のために生きていることになる。
金儲けがいいとか悪いとかを真剣に考え抜いたとしても、
明日になって買っておいた宝くじがあたったりすれば
嬉しくてしょうがないのが人間の感情。
世の中のほんの一握りの人間にしか微笑んでくれない現実が
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今年ももう終わり。
あと1週間もすれば門松に変わる。
ここ何年かで経済面で大きな事件といえば
ライブドアショックを忘れることができないでしょう。
当事者にとってはまだ終わっていない問題です。
ライブドアの堀江社長もヒューザーの小嶋社長も、つい2??3年前までは
「成功者」として「格差社会」の頂点に君臨していたわけですが、
気まぐれなマスコミからは今は忘れ去られようとしています。
奢れる者は久しからず。
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こう見てみるとここのところメディアを騒がせている
「格差社会」という仕組みも、
実は勝者がずっと勝ちつづけるわけでも
ないことが見えてきます。
格差に怒りを感じてしまうことも事実。
しかし、格差社会というものが今一つピンと
来ないところがあるのも事実。
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この言葉自体や、振りまいている人達に抵抗感を感じてしまうのは、
どうもうまく仕掛けられている、といった感覚。
今は本当に格差社会なのか、という疑問がふつふつと沸いてしまう
のです。
このあたりの分析は「新平等社会」(山田昌弘著)で詳しく解説されていて、
なんでもかんでも小泉改革のせいにしてしまう短絡ぶりに
疑問を投げかけている。
「希望とは努力が報われると思う時に生じる、
絶望は努力してもしなくても同じだと思う時に生じる」
この言葉が紹介されていて
「1990年頃まではほとんどの人が希望を持てる条件が揃っていた」
と書かれていたが実際には努力が報われないことも結構多かった。
とくに企業が安定していた頃は実力よりも
「社内政治」??会社で生き残ることだけしか頭にない人間が
結構威張っていて、それを思えば能力がないくせに権力だけは
昔はよかったというけれど、安定していた昔はそんなに良かったか、
とも思う。
企業奴隷として生きることを強いられた時代。
私も初めて就職した会社を辞めるとき、周囲から「この世の終わり」と
いうような脅しを受けたけれど、今思えばあのまま奴隷人生が
生涯の価値基準にならなくて良かったと思っています。
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「格差」の一つの正体には他人の成功に対するねたみもある
のかもしれません。
テレビを見れば自称「セレブ」が信じられないような生活を送り、
自分もいつか、と夢を膨らませる。
「勝ち組」という虚像に対する憧れや絶望感を感じながら日々を
生きさせられている嫌な感じ。
羨ましくも「うまくやりやがって」という、モヤモヤした感情。
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ところで最初に見てもらった金額は
ある企業に勤める社員の平均年収。
会社名は何かと言うと
1、テレビ朝日
2、TBS
3、日本テレビ
4、フジテレビ
5、テレビ東京
7、永谷園
(MSNマネー企業概要より)
格差社会を憂いている人達が、社会の最も頂点に存在している皮肉。
普段給料が高いと批判をされている銀行でさえテレビ局には勝てない。
納得できる企業。
それを消費者が支払い、デフレで賃金が押さえられている今でも、
テレビ局には大量のカネが流れ込む。
勝者で居続ける大手マスコミの商売道具であるという一面。
彼らは競争相手が少なく勝ち組の代表。
郵政省からの天下りと談合に守られ、生涯が保障されている人たち。
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しかし、彼らを支援しているのは結局は我々で、
たとえば亀田兄弟。
亀田を持ち上げ、批判し、また持ち上げ
何をやっても思考回路停止のままついてきてくれる
視聴者の皆様のおかげでTV局員の高額報酬が
永遠に約束されております。
職員に代わりまして、わたくしが御礼申し上げます。
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何か言い出したらロクなことはない。
「地方の時代」と言う言葉が使われた時代があって、
そう言っている割には自分の会社は東京のど真ん中にあって、
地方の実態なんかにはこれっぽっちも興味のない連中が発信をしていた。
「女の時代」と言う言葉が使われた時代もあって、
そう言っている割にはマスコミ各社の役員に女はどれくらいいたのか。
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「格差社会」は多分真実でしょう。
また、「格差」は仕方がないという言葉を、
今の時点で一応成功している企業の経営者なんかが
語っているのを見るとカチンとくるけれど、まあ真実の声でもある。
いちいち振り回されるのもまた腹が立つ。
勝利者が集まる空っぽの洞窟。
は敗北者という「勝者の視点」。
物凄く狭い価値観の中で、勝った負けたと騒いでいる状態。
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「格差社会」というキーワードも、観測地点を変えればその通りだったり、
そうじゃなかったりするわけです。
例えば障害者に対する援助の打ち切りは格差の助長だと思うけれど、
というレベルの問題に関しては格差でもなんでもない。
そんなもん知るか。
一方では消費社会をひたすら煽る。
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人間味を殺ぎ落としてまでも効率よく収益を上げることが正しい経営、
という価値観に影響を受けた経営者が増えたからかもしれません。
メディアの振りまく「成功イデオロギー」だけしか選択肢が無くなった不幸。
これが格差社会の正体。
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―「弱者」というものが、常に「エリート」によって「発見」されるという、
これまた古典的な構図による。
ネットカフェ難民、ニート、年金生活者、在日コリアン……というように、「エリート」同士の
政治闘争に利用できる、明白な「弱者」だけが「発見」されていく。
「エリート」は「弱者」を利用して政治的なライバルを攻撃し、「エリート」内の階段をのぼる。
「弱者」のなかにも、それを見透かして、政治的な「利権」を手にする圧力団体の
ようなものが出てくる。両者は共犯関係にある。―
http://miyajima.ne.jp/index.php?mode=res_view&no=56#nmjp57
====================
彼らの将来を間接的に奪ってるんじゃないか。
「かわいそうなあなたたち」という視線は絶対に救いにはならない。
「自分は不幸だ」「悪いのは世の中だ」と彼らに煽られても
誰もチャンスも仕事も金も持って来てくれないぜ。
特にあいつらは。
====================
□石原慎太郎に心ひかれる自分がある。
□オリンピックやサッカー・ワールドカップでは心から日本を応援する。
□中国や韓国はいやだと思うことがある。
これらのコピーの上に「以上の項目が半分以上当てはまる人は下流的である“!」
ある種のバイアスのかかった人達の『商材』であることがなんとなく見えてしまう。
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問題は、以前ほど未来に対しての安心感が
ないまま日々を送らないといけないこと。
もう一つは、一度企業社会のコースを外れてしまうと
なぜ嫌うかというと、そういう決まりだから。
なぜそういう決まりかというと、そういう決まりという決まりだから……………
======================
「リトル・ミス・サンシャイン」という映画を今年見ました。
出場するために車でニューメキシコから
「エンターテイメント」としての役割を背負った作品が
圧倒的に多い。
そういったファンタジーものとは別に、
現実のつらさを描いたのがこの作品。
しかし生徒は集まらず本人はビンボー。
2種類のうちでは敗け組の方。
成功コンサルタントの裏面を皮肉的に取り上げていて
この映画を見ると「ギクッ!」とする人も多いのでは?
「オレたちはみんな、敗者だ!」
映画の中で誰かが叫ぶ。
アメリカ人がみんな勝っているわけじゃない。
アメリカ人自身が「成功を追いかけ続ける敗者」で
あることをうすうす解っている。
その成功をありがたがる「いいお客サン」である日本人。
====================
アメリカ型を追いかけるのが難しい理由としては、
日本とアメリカとのマーケットの大きさの違いがあると思います。
抱えるのに加えて、英語圏全ての地球規模で
ビジネスの勝負ができる条件。
日本との環境の差は無視できない。
もしあれだけ大きな市場があれば一発くらい狙ってみたくなるし、
多少のリスクは背負ってもいいかなと思う。
しかし、一発でかく儲ける戦略を取るには
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億万長者を生み出すベンチャービジネスのからくりの一つを見てみると、
株式を上場して上場益の恩恵に浴するという戦略があります。
強引な売り込みを仕掛け、訴訟をいくつか抱えて裁判沙汰に
なってたとしても、株式上場で金が手に入れば
それでOKとする考え。
もちろんその戦略があたればバンバンザイだけれど、
上場できなければ会社は破綻。
いつのまにか今の世の中基準になってしまった。
多くの人が抱えていることは、こんなことをしてまで
金儲けをしなきゃいけないのかよという感情。
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ビジネスの成功者として華やかな世界の人達がよく取り上げられる。
しかし例えば、スナックの経営で儲けている人とか、
絶対にメディアでは取り上げられない。
彼らは「成功の法則」からは外れたところにいる透明人間。
結局のところ、巷に言われている「成功」とはメディアで
成功にも本当は色々あることは知っておいて損はない。
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成功するというのはすばらしいし、
誰もが「勝ち組」になりたいのは正直な気持ち。
しかし、「勝ち」とか「負け」とかはどっちでもいい
勝つこともあれば、負けることもある。
「勝利」を維持するためのノルマと無理な目標設定。
責任だけは日々大きくなるくせに何も決定権を
持たしてもらえない状態が幸福とはいえない。
====================
この先、我々はもう一つの成功者を
生み出す必要があるんじゃないかと思います。
多分「格差社会」ということに関しては
我々が試されているんでしょう。
冷静でいられるのか。
この世は金が全てか?
ノー。100%ノー。
「カネが全て」だけでは人の感情や行動にも
限界があるという事実。
=====================
格差と言う割には日本社会はかなり「のし上る自由」のある国で、
世襲制度がイギリスとかフランスよりも強くないという現実もあります。
エスタブリッシュメントは『永続性のある権力と威光の階層』を
意味するのですが、イギリスなんかは貴族社会ですから綿々と
この手の権威が継承されてきています。
しかし日本にエスタブリッシュメントと言われる存在はほとんどなくて、
歴史的に見ても「下流の人間」がのし上れる社会でもあります。
ということは弱者が強者にだってなれるということ。
しかし「欧米的なもの」が進んでいて自由である、
という、でたらめばかりを言ってきた連中は、
この手のことには触れようとしない。
=====================
カンボジア型成功でも好きなのを選べばいいのです。
「あがり」を生み出す思想からの脱出を。
====================
アントニオ猪木の逸話の中で、こんなのがあります。
どうしても敵わない相手に押さえ込まれて、
全く体が動かない状態になった時、
小指の一本でも動かせないかともがいてみた、
という話。
とにかくもがいてみる。
すると小指の先から徐々に動かせるようになっていく。
そして小指が動くようになったら今度は手が動かせないか。
手の次は腕。
そして足、という風に少しずつでも抵抗をしていく。
うまく行かないときは絶望感に襲われてしまうけれど、
小指の先から暴れてみることを考える。
誰もが出来る小さなレジスタンス運動。
結局「勝者」とはこういうことを少しでも考え、
実行できる人だと思う。
====================
冒頭に見てもらった年収を稼ぐ人達がつくる「社会の常識」が
いつのまにか社会を支配してしまいました。
彼らの生活基準がいつのまにかこの世の幸福になり、
そこから外れたら敗北者。
東京のごく狭い範囲で起こっていることが
しかし、絶望ばかりでもなくて今までよりも
時代が変わっているのも事実。
親が金持ちで、格差の頂点にいる勝者。
絶対に負けない人達。
ところがこんな事実がある。
現在コンビニが全国で4万店。
歯医者が7万店。
つまりスタートして四分の一は消えてなくなる。
社会環境が完全に変わり、今までのやり方が通用しなくなったのも事実。
これまでアウトサイダーだった「オタク」が巨大なマーケットを作り、
今はかつての「負け組」が勝つ時代でもあるというのは本当でしょう。
つまり今年までの負け組が来年には勝ち組にもなれるということ。
====================
今年の終わり。
この日記を読んでいる方は残りの数日間、
ふと一人になった時、こんなことを考えてみてはどうでしょう
自分にとって金より大事なことは何なのか。
これがこれから先のあなたを成功に導く。
金より大事なもの。
自分の子供。
古本屋でやっと見つけた本。
家族。
大枚をはたいて買った骨董品。
一人になる時間。
いつも通う喫茶店の窓際の席。
成功。
愛車。
クリスマスのこの日。
その何倍も不幸を感じる人間がいる。
元々クリスマスなんて家族と静かに過ごす日なのに、
いつのまにか孤独や不幸が通常よりも
増幅してしまう日になってしまった。
つまらない言葉)の正体は結構こんなことじゃないでしょうか?
他の突出した人間と比べて勝手に不幸を感じたり、
「負け組」を探し出して、勝手に見下しているだけだったりする。
カネ以外のものに対する情熱を持っていれば、
この先の時代はあなたは有望。
今の時代の「成功」はまもなく消え去る。
時代は変わる。
「オレだって」「私だって」という野望が
結構受け入れられるのが、日本社会です。
そのためにはカネよりもまず「情熱」という
革命用の武器を手にする必要がある。
美しい人生を手に入れるために、心に情熱を!
== == == == == == == == == == == == == == == == == == == = == == ==
== == == == == == == == == == == == == == == == == == == = == == ==
Gladys Knight and the pips - Neither one of us
http://jp.youtube.com/watch?v=1p57xtVXEAM&feature=related
デヴィッド・サンボーンバージョンも好きだけれど
ボーカルものもやっぱいい。
ドラマチックな盛り上げ方に時代を感じるものの、
いまこれがやれたら結構かっこいい
トレンドばっかり追いかけないで、この路線で勝負すればいいのに。
Dean Martin, Gladys Knight & The Pips
http://jp.youtube.com/watch?v=3thV0XGJlEE&feature=related
グラディスが太った安室ちゃんだった頃の映像
"Memphis Soul Stew" King Curtis & The Kingpins (Live)
http://jp.youtube.com/watch?v=6WHcWu-1iUg&feature=related
ファンク系は司会までラップノリでグルーブしまくっているところが
超かっちょいい。
Jaco Pastorius- Soul Intro- The Chicken (Live 1982)
http://jp.youtube.com/watch?v=RJfiYdQcQtc
ソウルつながりでジャコ。
ドラムのピーター・アースキンの髪の毛が健在な頃で
やってしまった例。
http://jp.youtube.com/watch?v=9wQKl2P7Ql0
最後は東京に戻って
さんまの番組でのデイヴィッド・サンボーン。
「Smile 」はポール・サイモンの曲(サンボーンのライブ盤での曲)
じゃない方のスマイル。(ナット・キング・コールが歌っていた。)
この映像は以前ユーチューブで削除されていたので、
もしかしたらもうなくなっているかも。
(さんま。お前は判って聴いてんのか?)
それでは皆さん、よいクリスマスを。