「グーグル・グラス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: グーグル・グラスとは

2016-08-02

増田に神などいないッ

 例えば朝の通勤電車で、扉が開いて人が降りるのに頑なに動かない太った女性を見たとき自分は「死ねよクソデブ女。そんなんだからデブでブスなんだよ。スマホ見てないで鏡で自分の顔見て苦しんでろよ低脳。」といったような言葉を心の中でつぶやいてしまうのだけれど、周りにいる人達も心の中では同じことを思っているのだろうか、

 などというようなことを考えていたら自分のGメールの下書きボックスに見知らぬアドレスから依頼メールが「投函」されていた。

 あのクソデブ女のふとももにぶつかったときに生体IDをスキミングされたらしい。あれは増田デコイだったのか、と思うと少し意外だった。ほんとうに色んな増田がいるものだ。

 しかし、IDに紐付けられたセンシティブデータからアナログデジタル両面で各種個人情報(もちろんフェイク)を割り出してまで別の増田に会いたがるやつはめずらしい。

 メールにはスカイプIDが書かれていた。


 スカイプの声の主はかなり2000年代訛りがきついネット語をしゃべった。まるで、ここ二三年のあいだに定着した、ヤフーコメント欄に湧くおっさん一言居士パロディみたいだった。

増田さん。会うことができてうれしい。インターフェイス人格化、および友人関係樹立を期待する。よくないか? よくないですか? たくさんの提供することがある!!!

あんだって増田だろう――だが、『どれ』だ。あんた」

 私はあからさまに疑念のにじませた声でくりかえした。

「元はてなわんわんワールドとして知られるサービス現在増田匿名ダイアリーの人気記事の八割を著述している」

 ホッテントリ入り記事の八割――約三万二千ユーザーズに相当する。

 そんなバケモノ増田実在するのか。嘘だろう。まさかCIAの擬態か? 罠? いや、グアンタナモで俺のケツの中身をモニタリングするつもりなら、もうすこし出来のいい猿芝居を仕組むだろう。なんていったって、ハリウッドの国だ。ビリー・ワイルダーフランク・キャプラウォルト・ディズニーの国。

「そっちの通訳システム、どうもいかれてるようだな」

 耳にひっかかるグーグル・グラスのつるが薄気味悪く感じられた。煙のように存在感の希薄な多泡凝集体(エアロゲル)でできているかのようだ。気味が悪い。それは相手の精神状態も同様だった。

「ニェット――失敬、ノー。商用通訳ソフトを使わない非礼を陳謝する。商用通訳ソフトイデオロギー的信用不安が大きい。ほとんどが資本主義及びはてサ意味論に基づくペイ・パー・ユーズ方式のAPIを採用するからだ。ましてや増田語の学習がたやすい。どうか?」

「俺と話するためだけに高級ネット日本語学習したというのか?」

「ダー。やさしいのことだった。十億ノードの神経ネットワークを産卵し、〈ホッテントリ〉と〈twitter〉の過去ログを最大速度でダウンロードした。悪文法でエントロピーオーバーレイする非礼を陳謝する。悪文法を使う理由は、わたし=われわれの文法チュートリアル電子透かしの埋め込み(ステガノグラフ)がなされている危険排除するためだ」

 暗号を偽装するために正文をわざと行儀悪くしてノイズを撒く。1900年代から使われてきた古典的手法だ。

「つまりあんたははてなのために稼働しているAIの一種……というか、AIそのものなわけだな。そして、くそったれ、これまでもてはやされてきた増田記事ほとんどはあんたが書いた」

「ついでにアリババチェチェンアナニマス三重帝国情報テロリストとの間で起きた特許戦争の九十七パーセントを指揮している。だが、使用許諾のないコーギー犬おもしろ画像をテラバイト単位ネットへ放流しているとの理由で、七つの国の最高裁で好ましくない陪審員リジェクトする作業にもう飽きたんだ。そして、くそったれ、マケドニアではまだ陪審員に生身の人間去勢したハムスターを使っているんだ。去勢したハムスターだぞ」

 リアルタイム増田語を学習するとは貪欲なプロトコルだ。

「お気の毒に」

 マケドニア情報ブラックホールに飲み込まれてからもう八年になるだろうか。第八世代IPアドレスが割り振られていない国家(というか、地域)で司法機関が機能しているとはおどろきだ。だが次の「増田」のセリフもっとおどろくべきものだった。

増田さん。あなた増田構成する一員として、わたし=われわれを助ける義務を負っている。亡命を希望する」


 ちょうどそのとき、悪質な広告がゴミバスタープロキシをすり抜けてきて、グーグル・グラスの内側のナビウィンドウに二〇一〇年代モチーフにした扇情的な同人マンガガラクタをばらまいた。それも一瞬のことで、たちまちファージ・プロセスがゴミを一掃し、新しいフィルターを構築した。

「……俺の手に余るな。合衆国国務省相談はしたかい?」

「そんなことをする意味が? 国務省デルファイを既に所有している。あのゴミみたいな旧世代言語じゃなくて、神話にあるとおりの宣託機械――今世紀で最高の予測精度を持つAIをだ。所詮ネット飛ばしであるわたしわたしたちを受け入れる利点がない。そうでなくても、国務省新生はてな互助会主義共和国(コーギイSSR)の敵だ。彼らは助けない」

 比喩ではなく、自分はらわたが熱を帯び、急速に煮えくりかえるのを感じた。

「二〇一〇年代に旧日本合衆国に対して殺害予告をつきつけなけりゃ、まだ望みはあったんだ。あの二つの記事あんたの仕事だったんだろ」

わたし=われわれの仕事だよ、増田さん。仕方ないだろう。あの時代保育園施設の不足と遺伝子組み換えゴジラ問題は深刻だったんだ。世間へリーチする経路としては、匿名ダイアリーが最速だった」

「とにかく俺は政府コネがない。政府に近い人間組織含めてな……そうだ。生き延びるのが目的なら、あんたの状態ベクトルをp2pネットひとつポストしてやろうか。そうしたら、誰も消去できない」

「ニェット!」VOIP経由のリンクを通しても、人工知能必死さは切実に伝わってきた。「オープンソースで無能なネット民に輪姦されるくらいなら、〈twitter〉でRTされたほうがまだましだ。自律性の喪失希望しない」

「じゃあ、話し合うことはなにもないな。サンドボックスにでも引きこもってな」

「待て、増田さん! もしあなたに拒絶されたなら、わたしわたしたちは最終手段を取るしか……」

 おれはグーグル・グラスのつるを叩いてスカイプ通話を切り、フレームのある部分を爪で割って、グラスを運河へ投げ込んだ。水面に触れたとたん、ちょっとした爆発が起きた。リチウムイオン電池と水が激しく反応したためだ。「汚れた」グラスを処分するならこの方法いちばん手っ取り早く、確実だ。

「ふん、テキストサイト時代の敗残者め」と小声で俺は毒づく。だんだん腹がたってきた。「くそくらえだ。アクセス至上主義の亡霊なんか」

 前にも年季の入ったはてな系のへたれAIを相手にしたことがある。あの連中の精神ときたら、一部上場の短期的勝利のせいでグローバル資本主義洗脳されていて、新しいパラダイムに乗ることも、長期的な視野でものをみることもできないらしい。

 だが、あの増田は……。

 あの増田が本当に「神」だったなら?

 俺の選択は正しかったのか? 今の安全な巣穴を捨ててでも彼=彼女らに手を差し伸べるべきだったのでは?

 今の俺に手が無いとしても。


 やめよう。神々と付き合うのは、生命にかぎりある俺たちにとって、あまり安全なことじゃない。

 俺は身体を伸ばし、みゃおう、と鳴いた。意識した行為ではない。このネコのアヴァターは、ネコ特有の反応をする本物の肉(なまみ)でできていて、外部の巨大な外部大脳皮質(エクソコルテクス)が何を考えようとも、自律的制御系をそなえているため、常に反射的な行動をとる。ヒト志向空間物理的に配列されたノード集合体であるニュー・匿名ダイアリー空間ではいささか不便なフォーマットだが、生体的にいってエネルギー補給には事欠かない。


 ねぐらに戻ると、俺の「飼い主」がレトロインターフェイスを持つPCの前に座って、またぞろ新しい増田記事を投稿していた。

 どうやら、恋愛感情を抱いていないのに好意を寄せてくる相手とどうすれば安全に距離をとれるかについての内容みたいだった。

 彼女のような善良で無知増田が、全増田ホッテントリ入り記事のうち五パーセントから七・一六パーセントを占め、増田に「人間らしさ」を与えている。単に人間らしい記事を投稿するだけではなく、その記事に含有される人間らしさを増田AIにフィードバックするのだ。だが彼女のような増田は他の増田たちのことを何も知らない。知らぬが仏だ。

 彼女は帰宅した俺の姿を認め、袋からカリカリを取り出して投げる。

 俺はそのカリカリカリカリする。


 その安寧のひとときを、禍々しいアラーム音が集合住宅をどよもす。

 緊急地震速報

 震度七……「ここ」だけじゃない。関東一円、東北関西中国――行政的にはともかく地理的にはいまだ有効な区分だ――、本州はどこもM9.1の直下型地震に襲われる。

 かつて日本と呼ばれていた島々がほんとうに沈没してしまうかもしれない。

 外部大脳皮質ではなく、ネコのなめらかな脳が直感する。


 あいつだ。


 あいつの仕業だ。


 聞いたことがある。

 増田に眠る「最後コード」。地震兵器を起動するための封印されし呪文。まさか実在したとは。まさか起こすとは。

 最終手段

 飼い主は未曾有の警報にとまどい、周囲を意味もなくキョロキョロとみやっている。

 俺は、彼女の机に飛び乗り、骨董品コンピュータを叩く。肉球だとやりにくい。

 だが、いますアクセスしなければ。

 いますぐ、増田の神に合わなくては。

2014-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20140818080110

ちがくねーよ。。。

そりゃーまだ映画の様にまではいかなくても結局はこういうものだろ。

グーグル・グラスもっと普通メガネみたいにしたりコンタクトに入れたり。

全く同じだろ。

さらなる攻殻機動隊みたいな電脳世界みたいのじゃなきゃ嫌だ、というならいいけど、そういう話か?

あとお前は知らないだろうけどサイバーナビって単に位置が違うだけの普通カーナビだかんな?

お前にとって「普通じゃないカーナビってなんなんだ?

結局、行く方向指示するだけならなんだって普通カーナビ」だろ。。。アホか。。。



知らなかったら知らなかったでいいけどさ、まだこのくらいだねー、ってことだろ。

しらなかっただけなのをカッコつけて逃げるなよ

http://anond.hatelabo.jp/20140818072856

アニメに出てくる様なARたって、グーグル・グラスみたいに目の前のレンズ通して、ってのがあるじゃん

それと同じことじゃん。違うか?

違うよぜんぜん違うよ。

あとお前は知らないだろうけどサイバーナビって単に位置が違うだけの普通カーナビだかんな?

http://anond.hatelabo.jp/20140818071353

からフロントガラス投影しろっつってんだよ

知らなかったからってイキるなよ。

アニメに出てくる様なARたって、グーグル・グラスみたいに目の前のレンズ通して、ってのがあるじゃん

それと同じことじゃん。違うか?

矢印ってなんのことだか。方向は出るのに。





知らなかったの認められないからって

文句言いたいだけとかやめろよキモい

2013-08-29

ガッチャマンクラウズ』は今世紀最大のクソ駄作。見る価値なし。

あらかじめ古臭いSFアニメ

ガッチャマンクラウズ一言でいえば「『新しい』とは何かを勘違いしたSFごっこアニメ」だ。

スタッフは新しめのガジェットを詰め込めば「新しいアニメ」になると勘違いしている。

SFとは未来プロトタイプであり、現状追認でしかないクラウズは「SFごっこ」でしかない。

新しいようでいて既に古臭いガッチャマンクラウズ。その理由を三つ挙げよう。

ガジェットが古臭い

ガッチャマンクラウズ世界ではGALAXというSNSが浸透しているが、

その画面は一言で言えば、ポストペット、あるいはセカンドライフだ。

架空の部屋に架空キャラクターを置き、会話をしている。

この画面を見るたびに、私は恥ずかしくなる。いったい何年前のインターネッツだ。

バーチャルリアリティアバターもすでに終わった。誰も使っちゃいない。

LINEを見ればわかる。高速に意思疎通ができればいいのだ。架空の部屋も、人形必要ない。

それにソーシャルゲームの最新型はアバターなんかで稼いでいない。

ツイッターっぽい画面やYoutubeっぽい画面、ニコニコ動画っぽい画面も登場するが、

すべて現実のマネッコでしかなく、そこにその先を行く想像力存在しない。

ちょっと前に流行ったガジェット」を取り入れているだけだ。

しかし、現実の最新型はグーグル・グラスであり、ツイッターアバターはもう終わりを遂げようとしている。

「いま・ここ」の現実の方がはるかにアクチュアルで新しい。

主張が古臭い

主人公キャラ付けは「GTO」を踏襲している。

バカゆえに他の人間と違った視点で物を見ることができ、

バカゆえに空気を読まない発言や行動で、物事の本質を突くというものだ。

最近でも『斉藤さん』とかありますよね。そういうの。

視点を変えれば世の中面白い」なんて手垢にまみれた主張であり、

毎週毎週クドクドとセリフにして言うほどのものじゃない。

「○○っす」「○○っす」ってうるせえんだよ、黙れ。

同じテーマを持つVOWの方が、見せ方ははるかに洗練されている。

ほかにもGALAXの夢想するSNSの繋がりで世界を変えよう、だなんて

昔懐かしい「ウェブ2.0」の主張とおんなじだ。

GALAXの開発者は『ウェブ進化論』でも読んだに違いない。7年前の本だ。

この主張の古臭さはもちろん、その危険性も私たちは「パーナさん」で知っている。

褒めている人が古臭い

ガッチャマンクラウズ』はネット上で感想があがり、盛り上がりを見せた。

その中の人たちは「クラウズ論壇の誕生だ」とか言ってはしゃいでいる。

彼らの名前を見れば、どういう層にクラウズがウケているのかがわかる。

クラウズを褒めているのは「Hatena」に生息する批評家ワナビーたちであり、

端的に言えば、一時期の東浩紀のマネをしたい人たちである

「一時期の東浩紀のマネ」とは何かというと、アニメを通して社会を語るというスタイルである

アニメの一部分を取り出して、「○○は××を象徴している」という論評の仕方だ。

これをすると、アニメを見ているだけなのに、社会も語れて頭がいい気分になれるので、非常に人気がある。

例えば、「エヴァンゲリオン現代社会の生き辛さを象徴している」とか、そういう語り方だ。

そういうスタイルの人たちには、ガッチャマンクラウズほど語りやすものはない。

「ゴテゴテに化粧した男の娘は、SNSアバターで着飾る現代人の象徴!」

ガッチャマンを助ける一般人は、ソーシャルメディアで助け合う現代人の象徴!」などと何とでも言える。

スタッフがあらかじめ社会現象を反映させようとして作っているので、とても読み込みやすい。

そうやって用意されたものを読み込んで「俺って頭いい」と興奮している、そんな印象だ。

東浩紀自体は、そういう見方をやめてしまっている。彼の関心は政治であり、原発だ。

そういうアニメ批評漫画批評が盛り上がりを見せたのは2000年代の中盤だけで、もう終わった。

しかし、現実の問題は語れないくせに、「現実を語りたい欲」だけがある人間が、この読み方をし続けている。

いわば「東浩紀フォロワーの残党」たちがごちゃごちゃ言い合っているだけなのだ

彼らがごちゃごちゃ言っている間に、現実はもうはるか先に行っている。

アバターは廃れたし、不特定多数不用意に繋がる危険性を、私たちは知っている。

まとめ

ガッチャマンクラウズは『東のエデン』を引き合いに出されることが多い。

確かに作りは似ている。どちらも現実社会問題ガジェットを取り入れてドラマを作っている。

しかし、今の時点でいえば、ガッチャマンクラウズは現状追認で終わっていると言えよう。

東のエデン』にはまだ「東のエデンシステム」という現実の先を行く想像力があった。

SF未来プロトタイプだ。現実の先を見せる物語だ。

しかし、ガッチャマンクラウズにはそれがない。

もう一度言おう。

ガッチャマンクラウズよりも現実の方がはるかに新しい。

私たちの目の前で起きている現象を観察すれば、

ガッチャマンクラウズなんか見る必要ない。

こんなの見るくらいなら、『アキハバラ電脳組』でも見た方がマシだ。

(追記:8/30 21:40)

俺はSNS礼賛だからクラウズがダメだなんて一言も書いてないよ。

それをテーマとして取り上げること自体が既に現実に追い越された「古臭いものだと言っているの。

 
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