はてなキーワード: 食生活とは
虹色のうんちを出したい。
普段の食生活のまま虹色のうんちをしたら、野糞をしても人糞だとパッと見でバレないため、リスクも減る。
私は実行しようと考えた。
既往症なし。無職。
虹色のうんちを出す為に、2日ほど絶食をしての決行だ。本当は1週間を考えていたが無理だった。何か食べたい。
・午前10時過ぎにお粥を食べる。お粥にはAmazonで5色セット着色料の青を半分ほど入れた。
・午後2時過ぎ、リンゴ1個をすりおろして緑の着色料を5滴入れた。
色のまま排出されるなら青緑で出てくる筈だ。
しかし、うんこはうんこ色のデフォルトカラーの為、結果、緑がかった茶色のうんこが出た。
非常に悔しくて泣いてしまった。
あまりにも悔しくて、トイレを出た後ケツの穴に直接着色料を注入してしまった。
ちなみに着色料入れた後のうんこは結構青みがかった黄土色だった。ちょっと嬉しかった。
けれど一瞬、人工肛門というワードが頭を過り、急いでシャワー浣腸をして流した。
デフォルトのうんこ色を無色透明にする方法はどうすればいいのか?
現在は実験を1時中断して、普通にマクドとか松屋とか食べている。
レインボーうんちを出すために、日々色々と考えている。
また、進展があれば報告しようと思う。
ただの日記なので読まないでください。ご不快になると思います。
衣食住足り傷病もなく、温かい人間関係の中で過ごすことができました。本当にありがとうございます。
肌に触れる布類も清潔で、布団は柔らかく、床暖房を使わせてもらうこともできました。
子猫が甘えてくるようになりました。ふわふわで、どこの匂いを嗅いでもビスケットのような香りがします。抱きしめると喉を鳴らして喜ぶので、自分はなんて幸せ者なんだろうと思います。
今日は暖かくなったら食べようと思っていた、フレッシュサルサを自分で作ることができ、家族みんなで頂きました。
〇が食べたかったナムルや太巻きを用意してくれたので、ありがたくいただきました。〇のために苺を切ってあげられてよかったと思います。
とても美味しかったですが、まだトマトの季節ではないので、おそらくガス暖房ハウス栽培でしょう。いま空気中の二酸化炭素濃度が世界平均420ppmを超えていますが、このような食生活もいつまで続けていけるのかなぁと思いました。
露宇戦争の影響でエネルギー価格も高騰していくでしょうし、空気中の二酸化炭素濃度が更に上がれば、地球は砂漠化するでしょう。
食欲があまりなかったので肉類は食べませんでしたが、アメリカ産の植物性プロテインとニュートリショナルイーストで調整しました。
これも蝗害でいつまで入手できるかわかりませんね。自分はできれば昆虫食は遠慮したいので、今から肉食は減らし植物食に慣れていこうと思います。時代が来たら食べるかもしれませんが、今のところその勇気はありません。
40代の男女の誕生日プレゼントを検討中です。お互い予算は2500円と相手から言い渡されているのですが、そこまで絞ると逆に何がいいのかわからないですね。
〇〇さんには虹の積木、自家製の酵母パン、南国土産のアクセサリー、いくらでも思い浮かびますが、〇〇〇さんにはなにがいいのか皆目見当がつきません。でもがっかりさせたくないので腕が鳴ります。カンナビアもよさそうですが、もう生産終了ですからね。ハンドクリーム、使ってなさそうです。
当初目星をつけていた、parks projectのキャップは5000円だったので予算オーバーでした。一体どうしたら良いのやら。
でも、学生時代を終えて新しく気の合う人に出逢え、しかも友人たりえたのは本当にありがたいことです。気持ちの良い尊敬できる方々で、自分は人に恵まれています。ありがとうございます。
最近爪先が気になるので、NailsIncの45秒速乾タイプを買うか検討中です。
色々試しましたが、何も塗らないと爪の筋が目立つのでエチケットとして磨かなければならない。しかし磨くと薄く折れやすくなる。SNSで見かけたCHANELやOSAJI、ドラッグストアに売っている数々のベースコートも試しましたが、異臭が辛い。ジェルネイルも爪の違和感と異臭が辛い。水性のものはアルコール除菌で剥がれ落ちる。何をすればいいのかもうよくわかりません。
すこし〇〇というゲームもしましたが、あまり楽しめませんでした。なんとなく、自分には向いてなさそうです。
南国の〇〇の〇〇をモチーフにした〇〇を描こうというアイデアが浮かびました。なぜなら、自分にはどうしても読みたい〇〇がないのです。どれを手に取っても、浸りたい世界観がマッチしない。なら、自分で〇〇を描くのはどうだろうと思いました。
〇〇〇と〇〇〇〇で発表して、〇〇〇を狙うのがいいでしょうか。ゆくゆくは〇〇〇〇の〇〇もできれば良いなと思っています。
ということで、〇〇朋子さんの最近出版した書跡を資料として購入します。
今日は全く他人に会いませんでした。疲れてしまうので全く自分には向いていません。
参加しなければならないズームもありましたが、任意なので取りやめました、人と会うと疲れてしまう自分に、今の仕事は全く向いてないと思います。なぜできると思っていたのだろう。結局定期的に体調を崩すことになっています。
なんのために働いているのかわかりません。周りからは破格の扱いを受けていますが、自分にできないことを求められるので、別にそれが当たり前だとは思いますが、向いてないという結論にしかなりません。どうしたら周りと同じように振る舞えるのか、わからない。
アドバイスをもらっても全く活かせないので歯痒いです。せっかく良いご縁をいただいたのに、お役に立てることができず申し訳ありません。
でも、少しずつですが収入は上がってきているので、まだ暫く試行錯誤しようと思います。
別れた〇のことを思い出しました。結局あの方は介護者を求めていたのだなぁと、今になって思います。そして、あまりにも多く嘘を吐く人だったので、自分に対してさまざまな言葉を言っていましたが、あれも全部嘘だったのだろうなと思います。
などと会いたくありませんし、関わりたくありません。縁が切れてよかったです。
アルコール中毒だからうつ病で、レイシストで批判愚痴暴力を愛していたから孤独で、努力を嗤うから進歩がなく、そのために卑屈になり精神的不安定に陥る人でした。自らご自身の幸せを捨てていることを早く自覚して、悔い改めて欲しいと思います。
でも、自分自身はあの経験があったので、危険人物はすぐに離れることができるようになりました。ありがたいことです。
そういう人が幸せになるように、手を差し伸べなければいけないのだと思い込んでいました。全肯定をしなければならないと。でもそうではなく、そう言った方々ご自身の問題は、自ら解決する力があるのだとわかりました。
そして、自分は自分自身の目的のために時間を使うことが罪ではないと学ばせてもらいました。
〇〇さんに連絡しませんでした。なんだか嫌な感じがするので。そのうちします。ごめんなさい。
10億稼いで5億納税して3億寄付して2億で〇〇〇〇保護の活動がしたい。
今〇〇〇は送金できました。残り〇〇です。泣き言言わずに達成します。
そういえば、体重がとうとう〇〇kgになりました。げっそりとしていた部分は無くなりました。
これまでの違いとして、下半身はそれほど問題はありませんが、上半身に皮下脂肪がついた感じがします。
まずは背中を重点的に鍛えて、健康的な体型に近づけようと思います。
体重は、気をつけていたら一日で1kg減っていたので、明日から3日間は-1kgを保持し、4〜6日目は-1.5kgを保持。と言ったふうに、恒常性が働かない範囲の緩やかさで筋肉を増やしむくみと不要な脂肪を削っていこうと思います。
明日は抹茶ラテ、カプレーゼ、納豆麦飯を食べようと思います。〇〇さん、に連絡します。
理由あってこちらを利用していますが、人に読んでいただくために書いておりません。ご感想は不要です。推敲研鑽はしませんので、お手を煩わせるだけの結果になるでしょう。
石焼鍋なんて洒落たものはないからフライパンに油敷いて白飯を敷き詰めて上からキムチ、ほうれん草もやし人参やらで作ったナムル、焼肉のタレで味付けした豚こま肉を交互に載せていく
卵とコチュジャンを真ん中の窪みに落として食卓に持っていって良い感じの写真を撮ったらコンロに戻して混ぜながらお焦げを作っていく
正直ビビンバってどうせグッチャグチャにするから写真撮るとかでもなければ盛り付けとか適当でいい気がする、二度手間感が凄い
レシピサイトで見るとビビンバ風丼ってあるけど丼鉢でビビンバするのって結構微妙な気がする、石焼き鍋かフライパンとかで作らんとお焦げがつかないじゃんって
量は多分2人前分以上、弱者男性は朝昼適当だから夜はめっちゃガッツリ食う
日本の男って全員で無いのは分かるけど、「背の高い女より背の低い女が好き!」とか「短足かわいい!」みたいな風潮無い?あとただのブサイクを童顔という建前で美男美女の範疇に入れたりとか。新垣結衣とか小笠原舞子みたいな高身長美人だって身長の逆鯖読んでたしさ。中学高校大学の同期でも背の高い女や正統派美人よりもチビや童顔がモテてた。
別にチビや短足を好きになるなとは言わない。でもさ、「あの子はチビだけど性格が良いので好きになりました」じゃなくて「あの子はチビで短足でスタイル悪いのがかわいいんです!だから好きになりました」みたいな男多いような気がするのよ。
日本人はスタイル悪いと言われるがそりゃそうだろと。元々の遺伝や米・野菜重視の食生活もあるだろうが、スタイル悪い女を好む男の選択も関係しているかも知れない。現に女子でも高身長が好まれる台湾は平均身長高いし、足の長い女が多いと聞いた(実際に台湾に行ってないので本当にそうなのかは知らない)。ただ、これについては男は背が高くてスタイル良い方が好まれるのでなんとも言えないが。
俺童顔嫌いなんだけど台湾美人はなぜか好きなんだ。なぜなのか考えてみたら童顔にも美人とブサイクがある。日本は後者のブサイクをかわいいともてはやしてないか?
まあ、俺は高身長の女がタイプなのでこういう風潮はありがたいし、文句言わない方がいいんだろうけど、将来の日本人の外見を良くしたいなら、女は胴長寸胴チビが良いという風潮は無くした方がいい気がする。あと、ワンチャン手を出せそうな只の童顔ブスを可愛い呼ばわりするの辞めた方がいい。どうせ褒めるなら外見以外を褒めろ
まぁ貧困に喘いでると言っちゃその通りなんだが、なるべく俺はモノを消費しないようにしている。
あんな泡で毎日毎日ゴシゴシゴシゴシシコシコシコシコやってるから禿げたり傷んだりするわけ。
毎日のメンテナンスなんて、お湯でしっかりすすぐだけで充分だ。
シャンプーなんて2日か3日に1回でいい。
「それじゃ頭臭くなるだろ!」ってやつは食生活見直せ。質の悪い油脂ばっか食ってんじゃないのか?
サラダ油でギトギトの唐揚げとか、ゲロ脂たっぷりのラーメンとか。
もっと脂ひかえめで食物繊維多めの食事をこころがけて、せめてオリーブオイルに切り替えるくらいのことをすればいい。
ついでに言うと、顔や体もゴシゴシシコシコする必要ない。大部分は湯ですすぎ、脇や股や足指等の要所要所だけ泡で洗っとけ。それさえやっときゃ臭くなんないから。
わたし40代男性、毎朝8~10時にしっかり出る人です。以前は便秘に悩んだりしたこともありますがここ数年は快調です。
文章から、なんとなくなんですが「ナチュラルな排便」に拘りがあるのかな、と感じました。「ナチュラルな排便」、「ていねいなくらし」みたいな魅力がありますよね。自分で自分をきちんとコントロールできている感じがして良さがあります。...しかしながら本来「ナチュラルな〇〇」というものは野生生活にしか存在しないのではないかな、と思うんです。ナチュラル志向も大事ですが、病気の可能性もありますので、苦しいときはぜひ医者にかかることをお勧めします。21世紀に生きているわけですから、ときには文明の利器を積極的に活用すべきかと。
食生活に関しては野菜と乳酸菌、水分に関して書かれていました。良いですね良いですね。健康な食生活だと思います。野菜は食物繊維のことを意識されているのだと思います。水溶性の食物繊維のことも気に掛けてあげるともっと良くなるのではないかと思いました。海藻、山芋、オクラ、フルーツ類などには水溶性食物繊維がたくさん含まれています。ぜひ取り入れてみてください。
また、食生活に関しては言及がありますが、運動に関することが書かれていなかったことが気になりました。運動によって腸の蠕動運動が活発になります。腹筋が強ければ力いっぱいいきめますし。良いことづくめです。もしあまり体を動かされていないようならこの機会にぜひ。
昼:いろいろ
夕:10分体幹トレーニング、45~60分中強度のフィットネス、10分ストレッチ
夜:野菜と肉の煮物(シチューやポトフ、ボルシチ、筑前煮など)、わかめ沢山使用したサラダ、ごはん、納豆、フルーツ。足りない時はオイコスを足したりしてます。
まじこれ。
結局水だけ飲んでたら便秘なんしないんだから、大体はインプットに問題がある。
人間あまりに多種多様すぎるので、小麦は消化できない、とか、米は全然合わない、とか牛乳飲んだらお腹ゴロゴロする、とか、内臓変なんですけど!みたいな個人差がめちゃある。
・内科にいってレントゲンをとって、変なところで便が詰まってないか見る。あと宿便もどれぐらい量があるのか分かる。
・おならとかもよく出るタイプなら、合わない食べ物を食べてるので乳製品を断ったり、グルテンフリーにしてみたりなど食生活を変えてみる。
・時々便秘する→そんなのよくあること。気にしすぎない。
夕ご飯を食べてから寝る30分ぐらい前まで、こまごまと何かをつまんでしまう。
家族の健康を気にかけた、それなりにバランスのいい3食をしっかり食べた後に
・みかん2つ
・個包装のチョコ2粒
・フルーツグラノーラをぽりぽり(1/5人前ぐらい?
…いや抑えてる!抑えてるつもりなんだこれでも!!!!
昔は細かったのに、気付けば158cm 54kg。アラフォーだし、そりゃぽっちゃりしてくるわ。
やめられない…空腹なわけでもないのに…酒飲んだわけでもないのに…なぜだ…
癖になってる。どうにかしたい…
「過食っていうか咀嚼でストレス解消しているのかなと思った。」
若い頃、たまにバッキバキに野菜を喰いてえ〜〜!!!ってなってフォルクスに飛び込んで山ほど食べてたんだった。
早速昨日は家族には普通の夕飯を用意し、自分はそれを少しつまみつつ大盛りサラダを食べた。
レタス3枚、もやし1袋、きゅうり1,5本、キムチ100gをごま油少しで和えて一人で食べ切ってしまった。
夫からは「野菜を一度にそんなに食べて大丈夫なの?w」と言われる量。
しかしかなりストレス解消されたのか、夕飯後はなにも食べずにいられた。というかお腹パンパンすぎた。
元々野菜のおかずが大好きだったから、家族のために炭水化物やタンパク質を意識した今の食生活が結構ストレスなのかもしれない(肉も米も食感がバリバリしてないから…)
もしくは気付いてないだけでやっぱり何らかのストレスがあるのかもしれないけど。
そして、ご指摘の通りやっぱり買い置きはよくないね。
チョコやフルグラは子供がメインで食べてるんだけど、少なくともポテチは大人しか食べないからもう買わないことにする。
しかし世の中の中年以降もスリムをキープしてる人ってすごいなあ…体質なのかなあ…(なんかこんなふうに考えるのも含めて年取ったなあ…と思ってしまった。。)
なにはともあれみなさんありがとう!
便秘になったときイチジク浣腸をしたら楽になったので「世の中にこんなに便利なものがあるんだ!!」と感動した。
子どものとき親に浣腸されて痛くてトラウマになってるって人がいた。
浣腸液いれたらお腹いたくなるんだっけ……あと排泄したあともちょっと痛いような
他人に浣腸されるのは子供ながらに恥ずかしいよな。でも、浣腸自体は便秘の苦痛をあっという間に取り去ってくれるので
他人の前で排泄するのは恥ずかしいし、トラウマになるかもしれない。
私が他人の前で排泄した経験って出産するときに分娩台の上で尿道にカテーテル入れられておしっこを抜かれたときだけ
あと、子どものとき幼稚園くらいの年齢のときに母親に便秘の相談したら母親が綿棒浣腸してくれたんだけど、そのときなぜか自分の三歳下の妹が無駄に立ち会いして、母親と一緒にわたしの肛門を見ていた。子供だったからうんちが出ればなんでもよかったけど、あれが小学校低学年くらいだったら情緒が育っていて恥ずかしくてトラウマになっていたかもしれない
便秘治すのって薬を飲んだり食生活を改善したりストレスの原因を取り除いたりするけど、とりあえず今からだのなかにある苦しみを取り去ってくれる浣腸は自分にとっては神だと思った。
大豆・塩・水のみを原材料にした赤味噌こそがほんものの味噌だ。
日本において味噌の起源は中国からの伝来であり、わざわざ「赤」味噌などと「赤」の文字をいれずとも味噌とは赤味噌のことだった。
しかしながら、時代が過ぎるとともに豆の使用量をケチって米や麦でかさ増しした味噌が登場することになった。
それが白味噌だ。
白味噌の登場により、従来の味噌は赤味噌もしくは豆味噌と不名誉な再命名(レトロニム)を受けることになった。
勘違いしないでほしいが、「美味い(うまい)」ではなく「旨い(うまい)」だ。
すなわち旨味の成分であるアミノ酸の多さによる比較で、赤味噌の方が秀でているということだ。
米や麦はたんぱく質含有量で大豆に劣るから、味噌を醸造する際のアミノ酸生成量も必然的に少なくなってしまう。
だから、大豆の使用量をケチった(あるいは全く使用していない)白味噌は赤味噌に比べて旨くないのだ。
赤味噌がすでに存在していたにもかかわらず旨味に劣る白味噌をわざわざ発明したのは、日本の歴史を鑑みるに致し方のないことだと考える。
明治時代以前の日本は常に飢饉と隣り合わせの生活を送ってきた。
凶作・不作は死活問題であり、政争や反乱の主要な原因は食糧難だったことは想像に難くない。
江戸時代(徳川幕府)は三百年近く続く長期政権となったが、それとて飢饉による一揆を武力で押さえ続けてきただけのことだ。
そうした時代においては、食糧生産は生産効率やカロリー効率の観点から米や麦の生産に注力していただろう。
それに比べて大豆は米や麦に比べて高価になるので、味噌づくりにおいて高価な大豆の使用を削減しようと白味噌を発明したことは、日本の歴史の必然であったといえよう。
高価な大豆の使用を削減して米や麦で味噌を醸造しようとしてきたことと醸造した白味噌を料理に適用させて新たな食文化を作り上げてきたことには、不断の努力があったことは想像に堪えない。
そうした先人の努力が現在の食文化を育んできたことを想像すれば、白味噌に携わってきた人に対して感謝の念は耐えない。
白味噌の存在そのものはもちろんとして、白味噌を発明した人も醸造してきた人にも罪はない。
製造コストにおいても赤味噌と白味噌とで大きく差が出る訳でもない。
江戸時代から続く老舗であり、かつては宮内省御用達(※)だったカクキューの八丁味噌でも、スーパーで他の味噌と同程度の価格で売られているのだ。[※ 宮内庁ではなく宮内省である。GHQ占領前は宮内省だった。]
八丁という名が示す通り、岡崎城から西に8丁(約870m)の距離にある愛知県岡崎市八帖町で製造された味噌のことであり、製造業者は「まるや八丁味噌」と「カクキュー」の2社である。
しかし、残念なことに八帖町以外の場所で作られた豆味噌でも八丁の商標を名乗る商品がいくつかあるのだ。
しかも、農林水産省の地理的表示(GI)保護制度によって、八帖町以外で作られた味噌でも八丁味噌を名乗れるように行政が推進しているという政治問題をも内包している。
こうした八丁味噌の不遇についても熱く語りたいが、本題ではないので赤味噌(豆味噌)一般に話を戻す。
今でこそ味噌は数ある調味料の一つだが、明治時代以前の食卓においては味噌汁として飲むだけでなく、小鉢に盛り付けておかずとしてそのまま食べることも多かったという。
おかずとして食べる味噌は、なめ味噌という形で今もその文化を残しており、有名なものに金山寺味噌がある。
しかし、食事全体のバランスや水分補給という面を考えると「一汁三菜」という言葉にある通りに(たとえ「一汁一菜」だとしても)「汁」は欠かせないものであり、それはやはり味噌汁だというのが日本の食文化において汎用的なありかたといえよう。
やっと味噌汁の話にたどり着けたが、タイトルで書いた通り味噌汁に使う味噌は赤味噌であるべきだ。
単に赤味噌の方が旨いというだけが理由ではなく、米飯との相性においても赤味噌の方が秀でている。
米と大豆のそれぞれが互いを生かし合って、口内で一つになるのが日本食の基本にして究極といえよう。
米は最上の主食であり貨幣でもあり神でもあり、さまざまに変化をする文化でもある。
かつて白米ばかりを食べていた江戸の町人は江戸わずらいに罹ったという。
江戸わずらいとはビタミンB1欠乏症のことであり、いわゆる脚気である。
カロリー摂取だけに主眼を置いた食糧需給向上において生まれた社会の歪みが健康を蝕むことになったのだ。
似たような例は海外にもあり、19世紀のアイルランドではジャガイモの不作が飢饉となるほどに食糧をジャガイモに依存していたので、国民病と呼べるほどに脚気が蔓延していたという。
では、ジャガイモを主食とする南アメリカ大陸でも脚気が蔓延していたのかというとそうでもなく、ジャガイモと一緒に豆料理も食べるのが伝統的な食文化なので、脚気になることはなかったという。
摂取カロリーのみを目的として食糧をジャガイモに依存した近世の北欧は、さながら白米の生産や流通を高度化して脚気患者を蔓延させた江戸時代の日本に近しいものがあったのだろう。
ちなみに、野菜や穀物を栽培することのできない地域に住むイヌイットは、発酵食品によりビタミンを摂取している。
イヌイットの伝統的な発酵食品にキビヤックがあることは有名だ。
アザラシの腹に海鳥を詰めて発酵させたキビヤックは悪臭の強い珍味として紹介されることも多いが、地元民にとっては貴重なビタミン摂取源だ。
南米やイヌイットの例から、伝統ある食文化には食糧生産やカロリー摂取の効率性だけではなく栄養にも一目を置いているといえよう。
もちろん、食糧生産の効率性向上によって生まれた白味噌なんかではなく、豆味噌たる赤味噌だ。
それにしても、白味噌や白味噌文化を否定するつもりはないが、白味噌の味噌汁は白米の飯に合わないだろう。
米を発酵させて作った白味噌で白米を食べるなんて、まるでライスとライスを組み合わせたライス定食ではないか。
そのような脚気的精神の産物である白味噌ではなく、やはり味噌汁には赤味噌を用いるべきだと断言できる。
米は甘く、大豆は旨い。
ヴィーガン「動物性食品は動物虐待の上に環境に悪い!持続可能な社会のために牧畜産業を縮小させて最終的には壊滅させよう!」
反ヴィーガン「ふざけんな!我々から肉や乳製品や蜂蜜を食べる権利を奪うな!」
↑ここまでは話が噛み合ってる
なのに何故か
反反ヴィーガン「反ヴィーガンは他人の食生活に口出ししてけしからん。」
今はネットでは反ヴィーガンよりも反反ヴィーガンの声の方がよっぽど声が大きく主流派だと思うけれど
彼等彼女等には何故か「反ヴィーガン」が巨大な勢力に見えているようだ
大体、「反ヴィーガン」と言われる人達の殆どは、他人が何を食べているかそれ自体には全く興味がないと思うよ?
ヴィーガン個人が単に自分の健康や美容や単なる好き嫌いのために動物性食品を食べませんっていうだけの話ならば、
勝手にすればとしか思わないし別に何も言っていないという人が多いだろうに。
その証拠に同じく肉を食べない人達であっても精進料理とか、ラクトベジタリアンなんかは特に何も言われていない。
ヴィーガンの主張の目的が食肉産業や牧畜産業それ自体の衰退・撲滅にあるからだろう。
元々ヴィーガンの方が「他人の食生活に口出し」してきたから、それに対して反発されてるだけでしょ?
批判側は別にヴィーガンに対して無理矢理肉や乳製品を食えとか言ってないよ?ただ自分達から肉や乳製品を食べる権利を奪わないでくれと言っているだけ。
あとフェミニズムとヴィーガンを勝手に結びつけるのも迷惑。反ヴィーガンと反フェミニストは確かにかなり被っているのかもしれないが、ヴィーガンとフェミニストは特にそうではない。
いつもAmazonではったい粉注文してるんだが、発送まで1か月もかかることになっている。
はったい粉を買おうと家から離れた大型のスーパーに行ったけれども、はったい粉は売ってなかった。
オートミールやミューズリーや雑穀米などの穀物は豊富にあったけれども、はったい粉は無かった。
きな粉や白玉粉などの粉ものも豊富にあったけれども、はったい粉は無かった。
どういうことだよ?
はったい粉はマイナーなお菓子の原料なんかじゃなくて、立派な主食だぞ。
事実、チベットでははったい粉を水やバター茶で練って作ったものが主食だ。
自宅のはったい粉のストックがなくなったら、仕方がないからオートミールでも食べようか。
はったい粉に比べたら、食物繊維が3割も少ない欠陥食だが仕方がない。
はったい粉と違い、水で溶くだけでは食べられず、加熱調理が必要で面倒くさいが仕方がない。
米? パン? 麺? 論外だ。
これもお前らがはったい粉を食べないせいだ。
食生活を見直す際には接種カロリーの大半を占める主食の選択に気を使うのは当然だ。
健康ブームでそうした人が増えたからには、オートミールやミューズリーの人気が高まるのも当然だ。
だから健康に気を使う人は、主食の調査の末にオートミールやミューズリーへとたどり着くのも当然だろう。
しかし、そこからさらに調査を深めて、はったい粉という最高の主食へとたどり着かないのはなぜなのか?
おかしいよ
はったい粉を食べて、さらに高いレベルへと至ろうとする気持ちはないのか?
貴様らがはったい粉を食べないせいで、はったい粉が食品として全然流通していないから、俺がはったい粉を食えねーじゃねーか!
おかしいだろ!
俺は、これまで幾年も、健康のために、はったい粉を食ってきたんだ!
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-04-03/12_01faq.html
「また、憲法九条は、紛争を平和的に解決するという考えを、多くの国民に定着させてきました。こうして、他国に軍事介入しない、紛争の原因をつくらないということが、他国による日本侵略の要因をつくらず、平和を守ることにつながってきました。」
……うん????
これのどこをどう読んでも、「9条があれば日本は平和」なんて読み取れねーぞ
「規則正しい食生活は健康を作る事につながります」という文章を読んで、
「規則正しい食生活をすれば撃たれても死なないと言ってるな!」と読み取るくらいに明後日の方法に解釈している。
お前国語の成績地の底だっただろ
現代では、国の経済の規模はお金で表し、給料も税金もお金で支払われますが、江戸時代にはお米がその役割を担っていました。
「加賀百万石」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。領地の経済規模はお米の単位「1石(こく)」(≒150kg)の価値に換算して表されていました。1石は、当時1人が1年間に食べるお米の量とされていました。
また、お米1石が収穫できる田んぼの面積が「1反(たん)」(≒10a(アール))とされていました。1反の田んぼがあれば1人が1年間に食べるお米が確保できるということで、どれだけの田んぼが領地にあれば何人養えるかが大体わかるということになります。自給率の考えに似ているところがありますね。
江戸時代は、外国との貿易が限られていたのでお米の自給率はほぼ100%だったと考えられます。大規模な新田開発によって耕地面積は1600年頃から1720年頃にかけて1.3~1.8倍に増えたと言われており、耕地が増加した分、多くの人口を養えるようになりました。1600年頃に1,000~2,000万人だった人口が1720年頃には3,000万人程度まで増えたと言われています(*1)。
一方で、災害や異常気象によるお米の不作が原因となって幾度にわたり大飢饉が起きた時代でもありました。大飢饉の経験を踏まえてお米の備蓄やかんしょ(サツマイモ)の栽培が奨励されたことは、現代の食料安全保障に通じるものがあります。
明治時代に入り、新政府は、外貨獲得のため殖産興業と貿易促進に力を入れていましたが、生糸やお茶に並んで重要輸出品に位置付けられていたのが実はお米です。お米が最も盛んに輸出されていたのは神戸港で、明治11(1878)年と明治21(1888)年にお茶を抜いてお米が輸出額第1位になっています(*2)。
どのくらいのお米が輸出されていたのでしょうか。当時の政府文書によれば、明治12(1879)年~明治21(1888)年の十年間の平均で、酒造用を除いた国内消費量3,129万石(約470万トン)に対して34万石(約5万トン)が輸出されていました(*3)。
輸出先は、主に英国、ドイツ、フランス、イタリアなどの欧州で、日本産米は品質が高く評価されていました。欧州でもイタリアやスペインを中心にお米が生産されており米料理を食べる文化があったのです。
明治時代に入って海外に輸出するようになったきっかけは、連年の豊作で米価が暴落したことでしたが、やがて外貨獲得の手段としても政府が自ら欧州での販売状況を情報収集し、産地でも輸出向けの品質改善に取り組みました(*4)。
このように、明治時代前期はお米を海外に輸出して自給率が100%を超えていたのです。
(図1)明治時代のお米の需給と輸出
お米の輸出国から輸入国への転換はあるとき突然やってきました。
お米の輸出量が過去最大となった年の翌年、明治22(1889)年に暴風雨による水害で収穫量が前三か年平均の85%まで落ち込むと、米価が暴騰し、翌年には不足分を賄うため193万石(約29万トン)のお米を輸入することになりました(*5)。米価高騰は簡単には収まらず、富山を始め各地で米騒動が起こり都市部では餓死者が出ました(*6)。
(図2)お米の輸入量の推移
(図2)お米の輸入量の推移
明治の初年からお米の輸入は行われていましたが、このときを境に大量の輸入がだんだんと恒常化し、盛んだった輸出は縮小していきました。
いったい何が起こったのでしょうか。原因は、人口の増加と1人当たり米消費量の増加でした。明治前期(1876~1885年)に比べて20年後(1896~1905年)には人口が1.21倍、1人当たり米消費量も1.21倍に増えたと推計されています(*7)。それまで、農村では米だけを主食とする(できる)人は少なく、米に麦・雑穀・いも等を混ぜるのが一般的で、実質の米食率は5割程度でした。好景気によって、農村の米食率が上昇するとともに米食中心だった都市の人口が増大したことで、お米の消費量はわずか20年で約1.5倍に増えたのです。
明治時代に入ってから近代的な土地改良や栽培技術の導入でお米の生産量は増加していましたが、明治25(1892)年の大蔵省主計局『米価ヲ平準二スル方案』は、生産増加だけでは人口増加に追いつかないと結論づけ、不作時の米価高騰を抑えるためにも外国からお米を輸入しやすくすべきと述べています。
人口はその後も増え続け、明治前期に3,700万人だった人口は、明治44(1911)年には5,000万人、大正15(1926)年には6,000万人を超え、昭和15(1940)年には7,200万人にまで達したのです(*1)。
5. 輸入に頼らざるを得なかった時代 ~大正時代・昭和初期~
お米の自給率は、1890年代には100%を下回り、大正時代には94%、昭和初頭には85%まで下がりました(*1)。ただし、この頃、朝鮮半島・台湾のお米は、輸入ではなく「移入」とされ、当時の日本政府は、日本本土に朝鮮半島・台湾を含めた圏内での自給を目指していくことになります(前掲の自給率は、移入も輸入に含めて計算されたもの)。大正6(1917)年の輸移入は、朝鮮半島のお米が48%、台湾のお米が31%、外米(英領インド(ビルマ)、仏領インドシナ、タイ)が21%となっていました(*8)。
大正7(1918)年には、二年連続の不作によって長期的に米価が高騰し、再び富山を始め各地で米騒動が起こりました。政府は、不足分を賄うため大規模な外米輸入を図ろうとしました。しかし、外米産地でも洪水や干ばつで不作が起こったことや、国内の米価高騰を抑制するため外米産地の政府が輸出制限や輸出禁止を行ったため、円滑に輸入が進まず厳しい外交交渉を強いられました(*8)。
また、昭和16(1941)年に始まった太平洋戦争では、戦況の悪化とともに外米輸入のための商船が確保できなくなり、昭和18(1943)年にはお米の輸入が半減、翌年にはほぼ途絶し、日本国内の食糧不足が深刻になりました(*9)。
6. 約70年ぶりの自給の達成 ~昭和中期~
昭和20(1945)年に終戦を迎えた日本は、戦争による耕地の荒廃、農業労働力不足に加え、朝鮮半島・台湾等からの輸移入に頼っていた需給構造が崩壊したため、深刻な食糧危機に直面しました。しかし、本格的にお米の輸入ができるようになったのは昭和25(1950)年以降でした。タイ、ビルマ(ミャンマー)、米国、エジプト等からお米を輸入することで国内の米不足を賄いました。
昭和27(1952)年には、10年後までに米麦の国内自給の達成を目標とする「食糧増産5ヵ年計画」を立てて生産量の増大に取り組み、昭和25(1950)年の938万トンから昭和47(1962)年の1,445万トンへと約20年で1.5倍になりました(*5)。約70年ぶりにお米の自給が達成されることとなったのです。
増産によりお米の自給が達成された一方で、高度経済成長によって食生活が多様化したことで、お米の一人当たり年間消費量は、昭和37(1962)年度の118.3kgをピークに減少に転じていました。
生産が需要を上回り大量の過剰在庫が発生するようになったため、昭和46(1961)年からは生産調整が本格実施されるようになり、1,200万トン前後だった生産量は、約50年で約800万トンにまで減少しました。一人当たり年間消費量も約50kgまで減りました。自給率の高いお米の消費が減ることで食料自給率(カロリーベース)は昭和40(1965)年度の73%から40%程度まで低下することとなったのです。