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はてなキーワード: 蓋然性とは

2021-02-11

森氏は何と言ったのか?

日刊スポーツ

必ずしも数で増やす場合は、時間規制しないとなかなか終わらないと困る。そんなこともあります

https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202102040000029.html

スポニチ

女性を必ずしも増やしていく場合は、発言時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります

https://news.yahoo.co.jp/articles/a2148b9c62351b9b54bff6338dbc4d8ac6cd9af8

日刊スポーツでは森氏の考えとしか受け取れない部分が、スポニチだと誰かの考えになってる。スポニチが正しかったとしても森氏はその発言者を強く批判してるわけではなく、むしろ肯定してるように受け取れるので批判が出て来るのは仕方ない。

けれども、スポニチが正しいとなると、批判者はその発言者(ラグビー協会人間可能性が高い)も批判しなければならない。森氏は「誰が言ったかは言いませんけど」としてるが、それが誰なのかを追求しなければならない。森氏以外のラグビー協会理事も追及しなければならない。発言者が誰なのか特定できないのであれば現ラグビー協会全体を批判しなければならない。なぜならその中に女性差別者がいる蓋然性が非常に高い状態放置するわけにはいかないし、もし放置したら森氏批判真意が疑われかねないからだ。だから徹底的にやらなければならない。でしょ?

2021-02-03

蓋然性ってどう読むの?

かねんせい?

anond:20210203165033

実際玄関先に泊めてくださいと尋ねてきた未成年を泊めた場合誘拐に問われない蓋然性は高いので、それで有罪になった例があるなら教えてください。

2021-01-23

anond:20210123160751

いか少ないかの思いに至る経験根拠でしょ。

その経験を語れば妥当性が判定できるのに

思いがあるから蓋然性が高いとか意味不明だ。

言葉意味理解していない異常者だな。

X日後に死ぬ

◎前置き

X日後に死ぬことが分かっているとしたら、僕は残された日々をどう過ごすだろうか。

いくつかの仮定を置いたうえで思いついたことを書き連ねてみる。

・X日後に死ぬことは確実であり、僕はその事実を受け入れている

 この前提がなければ、僕は何とか生き延びる手段を探すだけで、残りの時間を使い切ってしまうかもしれない。

死ぬのは僕だけである仮定しよう。

 何か災害天変地異で多くの人が死ぬわけではないということだ。僕以外の人々や環境は、僕の死以外は何一つ変わらず日々が続く。そのため、他の人を救うために時間を費やす必要もない。

 この2つの前提を置くことで、僕は残りの時間純粋自分が満足するためだけに使うと想定する。

◎1日後に死ぬ

 平日なら、仕事を休まなくてはならない。仮に大事仕事があったとしても、何かと理由をつけて休むだろう。残念ながら、僕にとって今の仕事は、24時間しか残されていない状況で時間を割くには及ばない。事情説明して別れを惜しむほど、会社の面々とは親しくない。みな僕の死を知ったら驚くだろうと思いながら、事務的部長有休申請を行うまでだ。

 明日死ぬと思って毎日を生きよう、そんな格言を聞いたことがある。そう思うことで、本当に望むことに取り組むことができるという意味だそうだ。しかし、本当に1日しか残っていないとしたら?できることはあまりに少ない。選択肢はとてつもなく刹那的になってしまいそうだ。僕には好きな友人や家族はいるが、特別日々を一緒に過ごす類のパートナーはいない。仮に恋人や妻がいれば、最後の1日を普通に過ごして見送ってもらうだけで終わるかもしれない。だが、そんな相手はいない以上、個人的に満足に過ごす方法を考える必要がある。

 僕はきっと24時間を一人で過ごすだろう。もうすぐ死ぬことが分かったうえで、友人を呼びつけて一緒に過ごしてもらう気まずさには耐えられそうにない。両親との関係は悪くないが、この状況では会うには気が引ける。そんなことができる距離感相手なんて、それこそ恋人か妻か子供ぐらいしかいないのではないか。残念ながらそんな相手はいない。誰かに電話くらいはするかもしれない。でも、友人には普段電話などしないので、何か問題ごとでもあるのかと勘繰られてしまいそうだ。何かの用事にかこつけて、母親の声でも聞ければそれで十分だろう。

 最後の1日を刹那的快楽のために使うか、何か意味のあることに使うか、悩むところだ。刹那的快楽を得るならば、とにかく美味しいものを食べるとか、綺麗な景色を見るとか、性欲を満たすとか、そんな過ごし方になるだろう。できるなら最後食事は美味しいものが食べたい、でも一人で食べるなら何でも一緒に感じてしまう気もする。そもそも残り時間を考えれば、栄養にもならない食事時間と労力を割くのはもったいない食事に限らず、もう何も思い残すことがないと思えるほどの快楽なんてあるのだろうか?どんなに刹那的快楽を満たしたとしても、最期の1分1秒には、どこか虚しい気持ちになってしまうのでは?

 そうだとしたら、死ぬ瞬間に満たされた気分になる1日の使い方とはなんだろうか。やはり「善いことをした」「この世界に良い影響を残した」と思うことで、自らの人生肯定できるようになることではないか。残念ながら、僕が仮にこの文章を書いている今この瞬間に死ぬとして、僕は何かこの世界のために役に立ったのかと問われると、自信をもってイエスとは言えない。たいして他人迷惑をかけずに生きているという自負はある。しかし、周囲との干渉が少ない故、特別人助けをしているわけでもない。仕事だって給料に見合う働きを提供するだけの等価交換で、社会に対してプラスを与えている気はしない。そんな認識を塗り替えるようなことが、24時間で成し遂げられるだろうか?

 一つ、すぐに取り組めそうで最も「自分が」やる意義がありそうなことは、近しい友人たちに手紙を書くことだ。僕は29歳で、同年代の友人たちの多くは、若くして死ぬということに実感がないと思う。僕自身もそんな実感はない。そんな友人たちに向けて、身近にいる人間として、心を込めたメッセージを残せば、きっと彼らは限られた生を実感して、より有意義に過ごしてくれるのではないか。そう思いながら昇天するのは悪くない気がする。

 一応、死因は自殺ではないことが皆に分かるように手配しておきたい。僕の世代の死因に占める割合自殺が多いはずなので、事情を知らない人には勘違いされる可能性もある。僕自身はこの際どう思われても構わないが、勘違いのせいで周りの人が嫌な思いをしてしま事態は避けたい。

◎1か月後に死ぬ

 1か月は新しいことを始めるには短いが、1か月はちょっと長い。休まず有意義に使い切ろうとしたら息が詰まりそうだ。それでも、1日でも労働に費やすのは惜しいと思ってしまう。やっぱり仕事は無理やり辞めるしかない。お金必要でないのなら、働かないに越したことはない。そもそも現状で何故僕は、嫌だと感じている労働に多くの時間を割いているのだろうか。

 別にかに命令されるわけでもなく、僕は自分意志一挙一動選択してきたはずだ。その積み重ねで生きてきたはずなのに、何故不本意な結果となっているのだろうか。僕は必要に駆られて働いているのであって、労働から精神的な充実を得られると期待するのが筋違いなのかもしれない。とはいえ身の回りを見渡してみれば、仕事を楽しんでいる人はそれなりにいる。今の職場就職した理由に思いをはせると、僕は仕事の内容や会社の状況について多くの誤解をしていた。さらに言えば、自らが求めているものもよく理解できていなかった。分からないものが多すぎたので、正しい選択ができていなかったのだ。そして、今も自分が求めているものはよくわからない。

 1か月もあるのなら、できるだけ面倒を残さないように、いろいろな手続きを済ませておきたい。仕事を辞めて、部屋を片付けて、もろもろのサービスを解約しておけば、あとに残された人も困らない。ついでに恥ずかしい日記処分しておこう。あと、年に1度ぐらいしか帰省はしていなかったが、顔ぐらいは見せておこうと思う。

 口座に200万円はある。これを一体何に使えばいいだろう?1週間で使い切るとすれば、なかなかの贅沢ができる。どうせならぱーっと使ってしまいたい。僕の貯金社会に影響を与えるには雀の涙すぎるし、このお金寄付するほどの聖人ではない。それに、個人的に残してあげたい相手がいるわけでもない。しいて言えば、会社勤めをしながらイラストレーターの夢を追う弟にはちょっと残してあげてもいいだろう。全部残すと重たいし、あぶく銭は彼のためにもならないかもしれない。残高を気にせずに、旅行したり、いいものを食べたりして、残った分は弟に渡すくらいでちょうどいいかもしれない。

 僕はかねてから死ぬ前に一度バンジージャンプに挑戦してみたいと思っていたが、1か月のうちの半日ほどを費やすに値するほどではなさそうだ。リストに入れるべき項目は、手紙を書くよりは重要でなくて、バンジージャンプよりは重要なことにしよう。残り1か月があるなら、無理を言ってでも友人たちに会って、直接思うことを伝えることができる。

 そういえば、残り24時間しかない場合を考えているときは、お金のことには思い至らなかった。僕にとってお金は最優先事項ではないのかもしれない。ある程度長い期間生きるとして、なくてはならないものであって、それ以上のものではないのだろう。少なくとも、残されたお金の使い道を考えながら死にたくないとは思う。

◎1年後に死ぬ

 1年残っているなら、少しはきれい仕事を辞めてもいいかもしれない。2週間ぐらいは引き継ぎに費やしてもいいし、そのほうが残りの1年間をすっきりした気持ちで過ごせるだろう。残りの期間で仕事関係者に出くわす可能性が上がるので、あまり気まずい思いをせずに済ませたい。これくらいの長さがあると、「将来のために今は多少我慢をする」といった発想が生じてくる。

 きっと、仕事を辞めた理由を誰もに聞かれるに違いない。親しい人たちには正直に話すほうが良さそうだ。残り1週間ならともかく、1年間あれば段階的に別れを受け入れることができる。何度か会ったとしても、そう重苦しい雰囲気にならずに済みそうだ。でも、どうやって伝えたらいいのか分からないし、伝える瞬間の気まずさに耐えられなさそうだ。Twitterにでも書き込もうか。

 貯金を取り崩すだけでも、何とかやりくりして生きていけるだろう。まず、会社に行かなくていいなら、家賃はできる限り節約しよう。決して余裕があるわけではないので、計画を立てて、慎重にお金を使っていくことになるだろう。食事だってそんなに贅沢はできない。それでも、僕にとってはお金よりも時間のほうが大切であって、贅沢をするためにより長く働こうという発想にはならない。

 1年もあるならば、全く新しいことを始めたとしても、何かを成し遂げられる気がする。果たして僕は特別に何か成し遂げたいことがあるのか?と考え始める。そして、今までの日常の延長線上でしか考えられないことに気づく。思うに僕は無趣味なのだ無趣味な故、急に働かなくてよくなったら、何をして過ごしたらいいのかわからなくなる。働きながらだって休みはあったけれども、寝て体力を回復したり、家事をしたり、友達遊んだり、ランニングしたり、漫画アニメをダラダラと見たりしていたらあっという間に時が過ぎた。漫画アニメを見るのは好きだが、あと1年で死ぬとしてずっとそれに時間を費やしたいとはあまり思いつかない。それはリラックスを兼ねた娯楽であり、積極的に取り組んでいるというよりは、消去法的な時間の過ごし方だった。

 もともと、人生を捧げられるような対象が欲しいと思っていた。しかし、そんなものは見つからず、とにかく生活のために労働し、疲労と惰性で考え事をするのもままならず、暇な時間ができたら途方に暮れる有り様だ。そんな対象がなくても、愛すべき人がいて、その人と過ごすだけで楽しく満ち足りた日々になるなら、それまた幸福だ。しかし、1年しか残されていないのが分かっていながら、新しく親密な関係相手を探すのは残酷めいている。残される相手のことを考えると、残り1年で愛すべきことを見つけるなんてハナから期待すべきでない。

 愛する人もいないし、やりたいこともない。そんな自分の現状は不甲斐ないが、ないものはないので仕方ない。とにかく何がしたいのか考えてみよう。かといって急に机に向かって考え始めたからといって、何か思いつくわけではない。12か月もあるのだから、1か月ぐらいは思い切って、考えるために時間を使ったっていいではないか。いったん、何もかも放り出して、どこか海沿いの旅館にでもこもって何をしたらいいか考えることにしよう。それ以上のことは今は思いつかない。

10年後に死ぬ

 10年間生きるならば、すぐに仕事を辞めるわけにはいかない。自分がやりたいこととは別に生活費を稼いでいくということを主軸に据える必要がある。仕事をどうすべきか、という問題に正面から向き合わなくてはならない。この問題については、大きく二つの方向性を考えることができる。一つは、多忙でもハードでも、とにかく給料の高い仕事転職してお金を稼いで、一日でも早く仕事を辞めようとすること。もう一つは、仕事をしている時間無駄と感じずに済むくらい、意義のあるものにすることだ。残念ながら、現状の仕事はどちらにも当てはまらず、ただ金を稼ぐため、辞めて履歴書に傷をつけないために惰性でぶら下がっている状態だ。よって、残り10年間を前提とするならば、すぐにでも転職活動をして、より有意義時間を過ごせるようにしたい。

 例えばかなり無理をして、3-5年間ハード場所で働いて、残りは働かずに暮らせるのなら、悪くはない。この選択肢は、どう転んでも仕事をすることは苦痛なので、とにかく短期間で済ませるという考え方に基づく。貴重な10年間のうち多くの時間を割くに値するような労働はあるのだろうか?そんなものが見つかりさえするのなら、すぐにでも飛びつきたい。そもそも、そんな仕事があれば、残り10年とか関係なくやってみるべきなのではないか

 10年あれば、適当理由をつけて別れることを前提に、恋人を作ってもそこまで罪深くはないだろう。すべてを語るような深い関係にはならないかもしれないが、一人で過ごすよりは日々に彩りが生まれそうだ。それとも、ふとした瞬間に虚しい気持ちになるだろうか?

◎30年後に死ぬ

 10年ではなしえず、30年かけてしかできないものというのはそう多くはないはずだ。仮に僕が職人か何かで、同じことを一筋やり続けるのであれば、その時間の差は歴然となって現れるのだろうか。そんなことを考えると、今すぐ何かの道に入門して、極めてみたいものだという気持ちが湧くが、僕は飽きやす人間であることをすぐに思い出す。僕はタイムマシンがあればすぐに30年後に行って、知識経験の蓄積による果実を得たいと思う怠惰人間だ。その蓄積の過程自体を楽しみ、こなしていくことができるなら、とっくに僕は何かを身に着けているはずなのだ

 残念ながら職人道を極めることはできなさそうだが、それでも少なくとも2つほどは新たな可能性が思いつく。まず、結婚して子どもを育てることが選択肢に入る、30年あれば、子どもが成人するまで面倒をみることができる。そして、家を買うかどうかも真剣検討する必要がある。

 僕は子どもが欲しいのだろうか?正直、残りの人生の期間について考えなければ、そんなことをまじめに自分に問う機会もなかった気がする。具体的に結婚するような相手ができて初めて、欲しいかどうかを考えればよいと思ったのだ。しかし、成人するまでは面倒を見ておきたいという条件を付ければ、残された時間結構短い。相手ができたとして、すぐに子どもができるかどうかだってからないのだから、30年のうちの最初の5年くらいで、一連の仕込みを済ませておく必要があるだろう。そのような前提を置くと、恋愛結婚は残り時間から逆算したうえで、極めて計画的で無駄のないプロセスで行う必要がある。そう考えると窮屈に思えてきたが、女性であれば出産できる年齢が限られている故、同じような考えを持つのだろうか。一通り考えを巡らせたところで、そもそも子どもが欲しいかどうかすら分からないことに気づく。別に、残りの30年を考えたうえでそれが最優先事項というわけでは無ければ、窮屈な思いをしてまで計画的に「仕込み」を行っていく理由もない。

 30年もあると考えると、途端に今すぐには現状を変えなくても良いかという思いが芽生えてくる。僕は現状の生活に満足しているわけではない。それなのに、変えなくてよいと思うのはなぜだろうか?変化にはきっかけとエネルギー必要なのかもしれない。そこそこのストレス孤独があるにせよ、安定しており、ある種の均衡状態となっている僕の生活を変えるには、何らかの外的なショックが必要なのだろう。

◎53年後に死ぬ

 今29歳の僕は、52年後に日本人平均余命といわれる81歳になる。すなわち、52年後くらいに死ぬという前提は蓋然性が高く、それをもとに人生計画を立てることはひとつ筋が通っている。しかし、正直なところ、年老い自分がどう過ごすかなんて、今から計画を立てるのは馬鹿げている。そこに至るまでの不確定要素が多すぎる。

 とはいえ、一つ考えるに値することは、日本にずっと住み続ける前提で人生を考えるか?ということだ。何せ、この時期までに日本人口は2-3割くらい減る推計になっている。今だって社会保険料と所得税消費税が大きな負担になっているが、今後ますますその負担が増えることは間違いない。5-10年先の未来だけ気にすればよいのなら、別に自分にとっての影響は大きくない。でも、より長い期間を考えると、例えばまともに医療が受けられなくなったり、預金没収されたりするリスクだってあるかもしれない。少なくとも、今現在高齢者が受け取っているのと同等の価値年金をもらうことは全く期待できない。

 僕は家族や友人たちがたくさん住んでいて、最高のアニメ漫画を生み出す日本が大好きなので、できることな日本に住み続けたい。しかし、生活があまりに苦しくなるようなら、泣く泣く国を離れるというのは、世界中のどこにでもある話だ。かといって今すぐに海外移住することが賢明というわけではない。とにかく英語くらいはできるようになっておき、いざとなればよその国でも食べていけるような能力は身に着けておく、それくらいの「投資」は残り53年くらい生きるなら、多少今を犠牲にしてでもやっておいたら老後の安心に繋がるかと思う。

あとがき

 現在僕は、感染症が広がり外に出られない状況で、友人と会う機会も減り、社会とのつながりが徐々に切れていく感覚を味わっている。もともと、仕事に追われて、生活のために生きているような感覚を覚えていたが、そこから抜け出すことを難しく感じていた。一日中家で仕事をして、終わっても何もしたいと思えることがない。あまり空虚自分生活一種絶望を感じている。

 そんな中いつものようにTwitter目的もなく眺めて時間をつぶしていると、「友人は少なくていい、3か月後に死ぬとしたら一緒に過ごしたいと思えるような相手さえいれば十分」というような記事にたどり着いた。そこから着想を得てふと自分生活を振り返ってみると、3か月後に自分死ぬのならやらないであろうことであふれていた。短い間に自分死ぬことを考え出すと、僕は気が楽になった。これは僕自身にとってのセラピーになった。ある種のミニマリズム断捨離に近い感覚で、「3か月後に死ぬのであれば不要」と思えることを生活から切り捨ててみる。例えば僕はいつか読んでおこうと思っていた大量の本をその基準に従って捨てた。すると、僕の人生は前よりも少し方向性が定まったように感じたのだ。

 とはいえ、それと同時に、自分空虚さを改めて実感するきっかけにもなった。自分寿命の想定をどんどん伸ばしていくほどに、可能性は広がっていくはずなのにやってみたいと思うことが思いつかないのだ。まるで、遠方ほど霧が濃くなっていくような感覚だ。この問題は僕が、「いつかは役に立つだろう」と思われる仕事資格勉強時間を費やしがちだったことと関係があるかもしれない。その時々に自らの欲求に耳を研ぎ澄ませてこないできたら、欲求をとらえることができなくなってしまっていた。

 平均寿命から想定して、老後の安心や家庭を持つ可能性なども考慮した貯金やらライフプランとやらをある程度は考えなくてはならない。それでも、僕のようなタイプ人間は、3か月後に死ぬというぐらい過激な想定をしてでも、素直に最もやりたいと思えるようなことを考えていくべきでは、というのが今のところの結論だ。

 僕の文章は思いつきを並べただけでまとまりのないものになってしまったが、もっと多くの人にこの思考実験をやってもらって、その結果を読んでみたいと思う。ぜひこれを読んだあなたも試しに3か月後に死ぬとしたら何をするか考えて、記事を上げてみてほしい。

2021-01-19

anond:20210119095250

そりゃあ味は極論したら食ってみるまでわからないし、全部食うわけにもいかないんだから味以外の何らかの形で選別する必要がある

形の不揃いなものはいい加減な扱いをされている蓋然性が高い、という理屈に則って選ぶしかないんだよ

2020-12-20

anond:20201220155717

逆にどの程度で感染すると思ってんの?

車の窓から漏れる程度で感染する蓋然性説明して欲しい。

2020-11-22

夫婦別姓について(久我雅大氏 @4wk2wk0 への私信

はじめに

この文章Twitter上の久我雅大氏 @4wk2wk0 のツイート

https://twitter.com/4wk2wk0/status/1329951527230816258

夫婦別姓に反対の方、

反対のその理由を教えて下さい。

よろしくお願い致します。

苗字が違うと家族の絆が…とかの勘違いは要らないです)

に対する自分レスポンス

https://twitter.com/StudioBiSHOP/status/1329967345914114048

自分に対抗する論拠は全て「勘違い」で片付けるような独善家の主張は間違っている蓋然性が高いだろうから反対。

に対する再反応

https://twitter.com/4wk2wk0/status/1329980375389544448

人にものを尋ねるときには、

必要のない余計な一言だったと反省してます

制度のものの形よりも私のような人間賛同するものから反対って事ですね?

に対する再々レスポンス私信です。

ブログnoteその他長文を書ける場所を他に持っていないので、ここをお借りします。)

御用とお急ぎでない方はお付き合いを。

本論

まず前提として、

組織だって統制と互助の行き届いた集団と、バラバラ個人主義者の集まり集団戦をやったら、前者がほぼ間違いなく勝つ」

という考えがあります

野球のように正面から戦う場合だけでなく、企業生存競争とか、一族郎党とかの生き残りでも同じです。

オオカミと同じように、人間集団で狩りをして生存競争をする生物なんです。

そして人間社会には「閨閥」という考え方があります

これは婚姻関係を肉親関係ととらえて、血族の規模を拡張して生存能力を高めようとする考え方です。

今でも伝統的な結婚式では「〇〇家 □□家 結婚式」と表題がかかげられます

べつに天皇家や(安倍元首相の)岸一族鳩山一族に限りません。

ちょっとした旧家では今でも結婚を機に両家の交流をつなぎ、コネ情報を融通しあって血族の存続をはかる営みが普通に行われています

縁戚の子供を預かって面倒を見たり、分家秀才の進学費用を融通したりと、大家族にはそれなりの長所があるんです。

自分実家でも、妻方の姪が進学した時に下宿代わりに長く居候をしていた時期がありました。

年の近い叔父自分就職相談に乗ってくれたこともありました。

もちろん、大家族のもとで不遇をかこった人の存在否定しません。

ですが、その人たちのルサンチマン(うらみ)の声と、家族制解体の声ばかりが最近は強すぎます

人間関係のしがらみや支配はうっとうしい、だから婚姻は両性の合意だけで成立としよう」

「家制度なんてもってのほか

というのは魅力的です。

最新の人権思想ポリティカル・コレクトネスにも相性がいいので普及しやすいのは分かります

ですがね。

そうやってトレンドに乗りやすい人たちがバリバリと旧来の家制度解体していく、そのいっぽうで、名家、旧家(いわゆる上級国民)はコッソリと血縁集団の枠組みを維持して、自分たちの資産(カネ、コネ権力総合して生存能力)を温存・成長させて行くように自分には見えます

本来なら、カネとコネ社会を渡る知恵、総じて資本と呼びますが、そういう資本に恵まれない人たちこそ、血縁閨閥で団結しなければならないはずなんです。

自分には、夫婦別姓というのは、そこに象徴的なクサビを入れる行為に見えます

「姓が別でも夫婦として協力し合えばいいじゃないか

とおっしゃるかもしれませんが、それでは嫁入り先、あるいは婿入り先の親族との互助関係についてはどうですか?

一段、薄くなったような感じがしませんか?

もちろん、親族関係恩恵としがらみはコインの裏表です。

ですが、目先の自由さにとらわれてバラバラの弱い個人として生存余儀なくされたら、資本に恵まれない人はますます悪条件で生きていくことになってしまます

寄り道して、自分体験談

目先の自由につられたワナ、については、自分のような古い人間には苦い経験があります

(目撃経験ですが)

1980年代フリーアルバイターフリーターブームです。

組織に縛られる生き方なんてダサいぜ!」という主張が雑誌映画に載りまくって、少なからずの(流行に乗せられやすい)人たちが正社員登用の努力をしないで、時間配分もワークスタイル自由アルバイトの掛け持ちを選択しました。

いっぽう、そこそこ良いレベル四年制大学にいた自分の周囲は、そんなブームには目もくれず就職活動に没頭して大手から中堅レベル企業に「所属」していきました。

結果はあきらか。いまでは非正規雇用の中高年たちが大問題になっています

制度代替物は存在うるか

社会運動家たちや最近ネット世代は「新しい時代自由人の連帯大事」といって、血縁によらない互助組織サロン模索する人もいますが、自分は疑っています

理由としては、



ここはやはり、大家族制のように最初子供として所属して、長じて貢献を果たし、やがては家父長制の長または重鎮として判断をふるう。という育成システムのある「家制度」の方が、長い歴史陶冶を受けている分だけ、一日の長があると自分は考えます

結論

というわけで、

夫婦別姓容認」というのは、ささいな制度の変更に見えて、その方向性の先には

閨閥門閥ガッチリ維持した上級国民

 VS

「カネなし、コネなし、世渡りの知恵なしのバラバラ大衆

の二極分化が待っているように見えるのです。

……こんな感じです。

いかがでしょう?

2020-11-10

自称犯罪心理学(笑)によるトレーディングカードゲーム業界連続窃盗事件への妄想

初めまして「自称犯罪心理学(笑)」と申します。

まず、これから書くことはすべて「嘘松」であり、「フィクション」だ

からぜひ怖がらず、「下らない三文小説」だと思って笑いながら読んで欲しい

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私という人間を端的に表すと、「無能」、である

私は足が速くないし、体力もないし、友達も数人しかいない。

スポーツは下手だし、数学英語物理化学歴史偏差値75しかない。

すこし努力しただけの、あまりにも「凡庸」な、あまりにも「無能」な人間だ。

私は「無能」なので、宮廷大学卒業し、大学院を卒業した。「と妄想している」

そして「無能であることを理解しているので、渡米することもなく、某有名「無名企業就職し、独立しないことを神に誓っている。

大学時代に独立したり、有能なyoutuberとして成功していった同期たちと違って、私は「無能」だからだ。

毎日社長と優秀な社員に「食べさせてもらっている」ことに感謝しながら生きている。

30すぎのおじさんなのに恋人は一人しかできたことがないし、結婚も一度しか経験がない。年収は8桁しかないし、ここから飛躍的に上がる可能性は限りなくゼロだ。

まだ子はいない。私のような「無能」に子供をつくる資格があるとは思えないからだ。「もちろん、すべて妄想だ。統合失調症なのかもしれない。違うかもしれない。どうでもいい」

家族や数少ない友人や家内喧嘩する度胸もないので「優しい人」と評価されている。

要するに、モテたことがないのだ。ホストとしても、経営者としても「無能なのだ

ただ、1つだけ。

私にはたった1つだけ99.99%の人間が持っていない特別な「才能」がある。

私は、犯罪者に「共感」することで、犯罪者心理を読み解くことができるのだ。「と勘違いしている」

私は、犯罪心理学研究している。「ふりをしている」

犯罪者がなぜ犯罪などと言う「非合理的デメリットしかない行動」をとるのかを研究している。「ような気がしていた中二病だった」

その知見を私の「友人」であるKSATSUさんに伝え

犯罪を未然に防ぐ

②起こってしまった犯罪から犯人像を特定する

③立てこもった凶悪犯罪者の心に寄り添い、「唯一無二の親友」になることで人質解放させる

といった「成果」をあげた「妄想」をすることで、私のような「無能」な人間はなんとか生きながらえさせていただくことができているのだ。

なんの価値もない自分語り、失礼した。本題に入ろう。

2020年11月8日

トレーディングカードゲーム業界を揺るがすツイートが行われた。

【ちなみに何の関係もないが好きな記事へのリンク

https://matomedane.jp/potato/page/63603

ある配信者兼TCG投資家CA(※1)」が業界から引退自身への殺害予告を書き込んだ

一般殺害予告はたとえ冗談であっても警察によって即逮捕されることが知られている

しかし、自身に対する殺害予告なので彼は逮捕されていない

(※1)キャビンアテンダントに由来する女性配信者。似たような名前があっても人違いだ。

なぜ、「彼女」はこのようなツイートをしてしまったのだろうか。理由簡単だ。

空き巣に入られ、現金や金品・骨董品コレクションを「すべて」(※2)盗まれしまったのだ。

(※2)実際には「すべて」は盗まれていないことが写真から証明されている。まだケースや多くのコレクションが残っている。

自身を〇〇することでニュースになり、犯人が一生後悔することを望んでいるらしい。

これは「有効」な戦略かもしれない。「意味のない」戦略かもしれない。私には興味がない。

ここから友人との「泣ける感動ストーリー」が展開される。まことに「心苦しい」が本題とは関係ないので省略させてもらう。

以下、本ツイートの「無断転載」を見た者たちの「名誉棄損」ツイートだ。

MTG投資家の自宅付近複数個所に生命体を配置し、ツイートで自宅場所帰宅時間確証を得て、時価一億円以上の物品を窃盗し、メルコレ(※2)で900万でその盗品の蓋然性があるものが出品されているような

(※2 メールコレクションというサービス略称

コレクター親友に問い合わせた。メルコレに出品されている画像カードあわせると一億円ほどの価値があるそうだ。買った瞬間に9000万円の利益がでる美味しい話だが、同時に強盗団との取引完了されることとなり、盗品等有償譲受罪に該当する。ビットコイン流出事件を思い出す

犯人TCGが億近い価値があると知っていて、彼女にとってはその数倍の価値があると知っていて、彼女嫉妬していて、TCG界に強い恨みを持っていて、いまも彼女ツイート監視して笑っている。あなたツイートは誰に監視されている?こっわwww

ガイブに大切なものをつくるからこういう目にあるんだよ。大切なもの自分の中にだけに作ってろガ〇ジ。

⑤こんなソーシャルハックがあったのか。感動した。これは素人ではないな。外国人絶対にかかわってる。自分もやってみよう

⑥こんなの、良く、ある話。ありきたり、な、犯行承認欲求が、高すぎて、自宅近くの、写真、載せまくってるほうが、悪い

ストーカーたちという漫画で学んだ手口!写真出してるこいつの自業自得!!むやみやたらに目の前の情報を載せるからこうなるんだ!!!

⑧これは、、、一度この人とカード取引したことがあって、、、それで住所と本名特定したんだろうな。。。。

ツイッターTCG界隈空き巣頻発。クワガタ玄関前おいて自宅帰宅時間特定(※3)

(※3動きが遅い生命体を置くことで、写真に写った位置と影の方向と日の光から時間推定することができる)

さて、犯人は誰だろう?犯人目的は何だろう?

①身内による犯行

いいえ、外部にいる「親友」の犯行です。

彼女はたくさん配信をしているので、外部に親友が何千人もいます。もちろん、彼女はそんなことを知りません。

みんな、彼女パーソナリティを良く知っています

何時にツイッターをみて、何時にどこにいき、なにをどうすれば彼女コンプレックスを刺激できて、承認欲求を満たすためにツイートするかよく理解しているのです。

誰といつ喧嘩たかも大体わかっているのでしょう。もちろんすべて「妄想」でしょうが

日本人による犯行

その可能性はありますが、「deepL翻訳」を使った外国人による犯行可能性もあります

私はその両方だと考えています妄想です。

メルコリで販売してるやつが犯人

その可能性もありますが、組織的犯行なら窃盗班、輸送班、売却班、カードロンダリング班、広報班、監視班、分析班、生命体配置班は分けるでしょう。

https://www.smbcnikko.co.jp/terms/japan/ma/J0114.html

そして、それらはすべて末端の者にやらせ真犯人は何もしていないでしょう。「暗号」をツイートしただけでしょうね。

末端を逮捕しても何の解決にもなりません。なにせ1億円相当を盗んだのですから

そして輸送班、売却班、広報班、監視班、分析班、生命体配置班はその行為自体に罪はありませんから窃盗班かカードロンダリング班との関係性を特定できなければ、彼らを犯人と断定することは名誉棄損に当たります

実際、彼らは顧客から指示されたことを指示されたとおりに実行したにすぎません。大金で殴られれば深くは追及しないでしょう。悪意すらないかもしれません。無知なだけかもしれません。

訴訟を起こせば大金が手に入るでしょう。もちろん、これは脅しにしか使えず、実際にお金を取られることはありません。嘘です。弁護士相談してみましょう。

お金目的犯行

いいえ、この計画的犯行には少なくとも11人の人間がかかわっている必要があります。でなければすぐに足がつき、真犯人逮捕されます

こんな手のかかる割にリターンの少ない犯行お金目的でやるわけがありません。完全に支援です。

一般に、「しんこー〇ーきょーリベラリスト」は自らの手で天国にいくことを「救済」と呼ぶそうです。彼女は救済されました。

私は、そういった手口で「他人統合失調症に見せかけて世間から孤立させ、絶望の淵に救済させる」団体を4つ知っています

嘘です。一つも知りませんし、そんな団体はありません。妄想です。

先生のありがたい御指導により、濁悪の此の世に生かされております

>より多くの人々に救済を。不信心者には天誅を。学会員の皆様が日々勝利されることを切に願っております

TCG界では「にちゃーんねーる」というSNSが人気です。彼女も定期的にこのSNSに登場し、人気を集めていました。

彼女ファンは、彼女のことが大好きなので、彼女を救済したのでしょう。これは恐ろしい話でしょうか。感動ストーリーでしょうか。



バイデンリベラル)とトランプ人間)による「代理戦争」は、バイデン勝利で幕を開けた

TCG界の「戦争」はリベラル人間、どちらが勝利するのでしょうか?

2020-11-08

性的消費="性差別助長する恐れがある"というレトリックについて

今回のアツギの件では、多くの二次批判と同じく「性的消費(性的搾取)」といった用語による批判が見られた。

https://digital.asahi.com/sp/articles/ASNC46FQKNC4UTIL00Z.html の有料部分など)

フェミ学者がこれらの語を用いて、表現物の中身について性差別存在を仄めかすレトリックの結語はいつも「性差別助長する恐れがあるである

このレトリック悪質性は、

性差別を/助長する/恐れがある」

と二段構えにすることで、表現物にあるはずのない性被害責任表現物の側に押し付け不快感にすぎないそれを性差別偽装するところにある。

助長する」

まず差別というのは、実在の誰かの人権侵害要件である

その意味で確かに表現物を通した人権侵害は起こり得る。

例えば、性的な内容を含む表現物を見せることを"強制"したり、性的な内容を含む表現物を間に挟んで"囃し立て"を行ったりした場合だ。

しかしこれらはあくま強制や囃し立てという行為が悪いのであって、表現物が悪いのではない

どんな表現物であれ、それを通して人権侵害を行うべきではないという倫理は、表現物ではなく人間の側に求められるのだ。

表現規制が行われるべきギリギリラインは、表現物そのものに明白な人権侵害が含まれている場合に限られる(例えば「◯◯人を殺せ」のようなポスターなど)。

この時点で「助長する」ロジック破綻している。

(もう一つの可能性としては、助長するのが差別行為でなく、性に対する個人意識=内心と想定されていた場合が残る。「二次絵は人々の性意識に悪影響を及ぼす」と。

だとすればフェミニズムはローマカトリックばりの中世に退行した思想であるフェミニズムが目指すべきは近代の徹底だ。)

「恐れがある」

「恐れがある」とは、「表現物が差別助長する」という破綻したロジックについて、それはあくまでも可能性/蓋然性の話ですよと逃げを打つためのエクスキューズだ。

しか可能性/蓋然性レベルに下げてみた所で元々のロジック破綻に変わりはないし、

この「かも知れない」可能性に抱く恐れこそ、「不快感」と呼ぶに相応しいものだ。

この全ての表現物について人々が抱きうる、そして表明されてよい「不快感」のレイヤーの話を、可能性の話に下げることで前段のロジック破綻曖昧にし、「恐れ」という言葉ニュアンス表現物の側に責任を負わせるレトリックが「恐れがある」だ。

国家による規制には反対です」と譲歩のニュアンスが続くケースも散見されるが、

国家による規制云々以前に、そもそも表現物自体に対して「差別人権侵害」のニュアンスを含ませた批判の理路が誤りなのである

批判の理路が問われる、とはそのような意味であるべきだ。

まとめ

このように「性的消費」を支えるロジック="性差別助長する恐れがある"は破綻しており、扇動的ですらある。

また「助長」にも「恐れ」にもエビデンスがない以上、表現物単体で「性的消費」という概念が成立する余地はなく、オーディエンスは単にその表現物を通して「不快感」を受け取っているとするのが正確だ。

もちろんその不快感自由に表明されてよい。しかしその不快感は、その表現物に差別内包されていることを意味するものではない。

https://anond.hatelabo.jp/20201107053636

https://anond.hatelabo.jp/20201108080904

https://anond.hatelabo.jp/20201108023912

2020-11-03

anond:20201103161022

え?蓋然性が高ければ、その可能性を議論することには意味があるのでは。

なぜか自らに差し向けられたとき過剰反応しているようだけど。笑

2020-10-30

anond:20201029220350

オタクがこれ見てシコってそう」

これね、もしオタクがその表現周辺でキャッキャしている光景から判断して実際シコっている蓋然性が高かったとしても、その責任表現側に帰せようとした時点で、お気持ち暴走なんだよな。

一線は、表現自体が実在する誰かを貶める表現であるかどうかに引かれるべきであり、「このような意図制作されたに違いない!」と特権的な誰かが邪推できるかどうかに引かれるべきではないから。

2020-10-20

anond:20201020122627

公衆衛生上の義務結構高めに認められる可能性が高いので、普通の一個人不作為妨害の「意思」を認めることはかなりあり得る。

立証が難しいので普通は認められないだろうけど、もし遺伝子型による高い蓋然性か、止めて欲しいと言われたにもかかわらずマスクをしなかった、

などの場合刑事はまず無理だろうけど民事では賠償責任の成立あると思うよ。

実際殺人自分以外の人が死ぬ)の可能性を上げる所業だしね。

公衆衛生が求める権利制限生物的な限界からくる全ての人間生存にかかわる権利を守るためなので、逸脱は常に「他者を害する」という意思

制限には変わらないから無制限で命を大事にするわけにも行かない(自由はそれだけ重いのもたしか)けど、その制限に対する抗議にまったくなってない。

去年は無かったんだからだれも気にしないけど、今はリスクが同定されているから行動に変化が必要とされてるので、誰かが奪ったりするものでもない。

2020-10-13

事件について、それ自体一見すると異常に見えるが、居住地(出身地)・年齢・性別職業(肩書)という下手人の各属性を加味すれば全く不思議な話ではないとわかる。

要は、異常者である蓋然性が濃厚な人間が実際に異常者だと判明したという話でしかない。

事件被害者は狂ったイノシシに轢かれたようなものだろう。お気の毒に。

2020-09-27

anond:20200927023032

やめろ。

そいつの言い分はあんまりだがコンビニの兄ちゃんは悪くない。

声での会話という伝わる蓋然性があまり高くない方法コミュニケーションを図ってる以上取りこぼしはどうしてもある。

過度な期待はするな。許してやれ。

あと酒もやめた方がいい。あれは猛毒だ。

酒を飲んでたから殴らなくてすんだと思ってる様だが、そもそも酔っぱらってなければそんなことに腹を立てていなかった可能性が高い。

2020-09-05

anond:20200904235343

ダメじゃないかもしれないこともないであろうケースが存在することもない可能性が僅かないし微妙存在する蓋然性が高いと言うべきかむしろ微粒子レベル存在することは確定的に明らかくらいのレベル感で推移しつつあり暫定的にこれは見切り発車で「確からしい」と結論付けてもよかろうということにしておこうと思う

2020-09-04

anond:20200904085737

坊さんではないとしても独身童貞で高年齢だったらその徳の高さたるや坊さんレベルに迫るものであることは確定的に明らか

いやむしろ現代の坊さんそれ自身は決して必ずしも徳が高い人物とは限らないケースが散見される世相になってきた情勢であるため坊さんレベルという評価妥当ではなくそこらの坊さんをはるか凌駕する徳の高さである蓋然性が極めて高いと断言しても差し支えがない可能性が無きにしもあらずといったところであろう

2020-08-31

蓋然性可能

きちんと使い分けましょうね

2020-08-27

anond:20200827183923

Bさんの信頼度と、増田信頼度が違うってことに気づけよ。

信頼性の高いBさんが、Bさんのバグではないというのなら、Bさんのバグではないという蓋然性が高い。

それがベイズ推定の基本原則だろ。

増田がやるべきことは、増田信頼度を上げることであって、

誤判定の原因追究ではない。

不確実性の高い社会においては、論理的説明できない行動はママ起こりえるんだよ。

2020-08-14

anond:20200814195402

社会通念とか共通認識と思われる、とか蓋然性って言葉は使われるよね。

ただ、表現については数値化されないと思う。

無修正ポルノダメ科学的な根拠なんてないだろ。

anond:20200814135557

今までの表現問題について、集計して科学的根拠を用いた例ってあるんですかね?

多分、都道府県審議会等が不健全図書指定する、とか、裁判所判断するんだと思いますよ。

裁判所は、社会通念となっていると思われる、とか、害悪を生ずる相当の蓋然性がある、とかで数値的根拠をだしていないはずですよ。

anond:20200814163137

少年誌性的加害をエロギャグとして扱うのは、加害性軽視につながる」というのは必ずしも迷信というわけではないだろ。

社会共通認識といえる、とか蓋然性がある、とかで判断されるぞ。

2020-08-10

anond:20200810093653

PISA2018の数学の平均点は37か国中31か国で男>女、OECD平均も男>女である

37カ国がすべて「数学物理学を学ぶ蓋然性、機会が男女ともに等しい環境を整」っていなければ、同じこと。

(この見方で男女の傾向を生得的な傾向に直結させると男のほうが読解力が低いという結論も受け入れざるを得ないのだが、それはいいのか?)


平均点が女>男の国でも、高得点層では男>女になっている。

これについてはNote内で自ら

男は女に比べて分布が広がっている

と述べているのに高い方にのみ着目して低い方を無視してしまっている。

この見方をするなら、数学を専攻しているような高度な数学力を持つ人間が集まる環境にいなければむしろ分布中央付近と下位付近人物接触する機会が多いという結論になり、

一般人からしたら「論理的な男より論理的な女と接触する機会のほうが多い」という結論になるだろう。


学力テストの結果が全てだとは考えるべきでない(その後の進学・就職先によって論理的思考が求められるかどうかは変わることが想定されるので)し、

学力テストは「テストを受けた集団は現状そうなっている」という確認に留めるべきであって「男女の生得的な差なのだ」と直結させるのは論理的だとは言えない。

突然高額な水道料金を請求され、「世界の突然高額な水道料金が請求されたときの原因ランキングでは『水の出しっぱなし』が優位だったので金を払ってほしい」と言われたら大半の人が反論できるだろうに、

男女の学力差の話になると途端に「世界ランキングでは×××だったので男女は生得的に△△△だ」と無抵抗に受け入れてしまうのは論理以外の何かが判断を曇らせているのではないかと思われてならない。

anond:20200809193106

数学物理学など論理性の高い研究分野には、世界中どこの国でも男性研究者や学生が多い

という事実が男女の論理性の高さに差があることの根拠だとするには、「論理性が高い人物性別を問わず数学物理学を専攻する」という前提をまず成立させなければならない

アメリカ人日本人和菓子スナック菓子提示して好きな菓子選択させた実験で、アメリカ人和菓子選択する割合は低かった」という事実があったとき、これを以て「アメリカ人より日本人のほうが甘いものが好きである」と言えるだろうか、と問われたら論理的に考えればNoだろう

和菓子スナック菓子の馴染みの度合いが日本人アメリカ人で等しくない以上、和菓子スナック菓子にそれぞれ甘い食品、しょっぱい食品代表をさせることはできないからだ

数学物理学の話に戻せば、例えば「数学物理学を学ぶ蓋然性、機会が男女ともに等しい環境を整え、かつ同一の学力テストを受けさせ、同一の採点基準で採点する」ということをしなければ専攻している人数の比率論理的な人物比率を同一とみなす根拠にはならない(単に環境による差の可能性がある)

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