はてなキーワード: 治療とは
特に病名も何もないので単なるかまってちゃんなんだろうけれど。失明リスクがあるのはワイもだな。
ワイは緑内障だから対処しないと数十年もすれば見えなくなるってわかってる。
緑内障の治療方法は存在しなくて、できるのは進行をゆっくりにするだけ。治療とされるものは生きている間だけ目が見えていたらいいという発想なんだな。
毎月通院して眼圧測定。半年に一回くらい視野の確認って感じ。あと、毎日目薬。
健康診断で緑内障疑いということだったので眼科に行ったんだが、その眼科はちょっと視力検査して問題ないと言ってきた。
1年後の健康診断でさらに異常を示す文言が増えていたので、また同じ眼科に行ったんだが異常なしと言われた。
念のために緑内障の診察をする病院をググってみたら、その手の病院はOCT検査をするという話をどこでも書いてたんだ。
いやいや、自分が眼科でしてもらったのは目視確認 + 視力検査でOCTなんてなかった (というか、そこにそんな設備ないぞ) って思ったので、OCT持ってる病院に行った。
病院で調べてもらったら、OCTでも異常を認めるし、念のためにやってもらった視野検査でも欠損が始まっているとの結果だった。
ググったことで1年のタイムラグで対処できたのは不幸中の幸いだったが、町医者にかかるときは少なくとも自分の病気をチェックできるか設備見たほうがいいなって思った。
おいしい食べ物を食べて、「おいしい」と感じられることは、健康のバロメーターの一つですよね。
しかし、「食べ物の味が分からない」「口の中に何もなくても味がする」「何を食べてもまずく感じる」場合、味覚に異常が起こる「味覚障害」かもしれません。
味覚障害は、
「亜鉛不足」
「加齢」
「がんの治療」
「ストレス」
「ドライマウス・舌炎などの疾患」
などが原因となり、味を感じる仕組みがうまく働かなくなることで起こります。
かなえ先生みたいなvtuberがユニコーンの被害にあって困ってるといっていたが、ユニコーンと境界性パーソナリティー障害の特徴って実はかぶってるぜ。
なぜ反逆的な行為をする必要があるかというと、やはり患者さん、境界性パーソナリティ症の人たちというのは、前回も言った通り、無意識の影響をすごく受けるんです。
感情に支配されやすいし、対人イメージというのがすごく変わってしまうんです。
だから治療者のことをすごく理想化することもあれば、陰性転移のようにこき下ろしてしまうこともある。
vtuberさんは一度この先生の動画やnoteを読んだほうがいい。
もし、読むのがめんどくさいなら、「ダメなラインははっきり示すけど、決して排除しないし、見捨てない。贈り物は大事にする。ラインを人によって変えたりしない。注意がきに悪意を込めたりしない」を心がければそれで足りる。
具体的には永遠の17歳といわれる女性タレントの行動をまねたり、
https://anond.hatelabo.jp/20241004132844
で書かれているように強度行動障害のブチギレポイントを読めばわかる。
逆にめった刺しにされた地下アイドルみたいなことはしてはいけないし、負の性欲を思いっきり見せるのもアウト。
なんでかというと、女性の境界性パーソナリティー障害はきれいな人がいて、彼氏もいたりすることが多いけど、男性は人間関係がうまく構築できなかったり、恋人が作れない人もわりといて、そういう人の怒りを呼びやすい。
女性の場合、woman-are-wonderfull-effectや若さ補正で比較的有利だが、男性の場合、人間関係が構築できなかったり、恋愛がそもそもできないらしい
なぜ反逆的な行為をする必要があるかというと、やはり患者さん、境界性パーソナリティ症の人たちというのは、前回も言った通り、無意識の影響をすごく受けるんです。
感情に支配されやすいし、対人イメージというのがすごく変わってしまうんです。
だから治療者のことをすごく理想化することもあれば、陰性転移のようにこき下ろしてしまうこともある。
治療者のことを、この人がいなければ私は救われないんだという風に思うときもあるし、こき下ろし、すごく怒ってしまう、こいつのせいで自分の人生は台無しになったんだぐらいまで思うわけです。
そういうもんなんです。
でもこれは事前に知ってた方が双方にとって良いんじゃないかなと僕は思うんです。
だからある程度ネタばらしが必要、プロレス的なところが5分診療の短い時間だと必要で、そうしないと気付けないし、ただただ嫌な思いだけして翻弄されて、先生は私をどうしたいの?みたいな感じになって混乱してしまうので、こういうプロレスなんだよ、ということを知っておくことはいいのかなと思います。
昔と違うのは、発達障害の理解が深まってきていて、発達障害のグレーゾーンを含めるとかなり多くの患者さんが臨床現場にはいます。
僕らは、発達障害傾向はこの人にないだろうと診察室の中では思っても、実はやはりASDっぽさがあるんですよ。
なかったらうまく生きてるわけで。
すべての患者さんにはそういう要素があるわけです。
ソース:
その人が、高齢出産は出生率がどうのこうのとかダウン症がどうのこうの、というコピペを貼り付けて面白がってたのを知って
不妊治療中の身としては、やっぱりセンシティブな部分だし、傷ついたというかガックリきたというか、やるせなくなっちゃったんだよね
ああ、Colaboを支持する人達は、こうやって「自分達とは違う」人間の価値観や、思想や、希望を、簡単に踏み躙って嘲笑う事を楽しめる人達なんだなって
どこまで自覚的にやってるのか分からないけど、他人が大切にしているものや、願いを、平気で愚弄できる人達なんだなって思わされた
別にその熱心な支持者だけがそうでは無く、似たような傾向・言動の人が多いだけに、尚更
政治とか党派性とか、思想関係ない所でこうなのだから、それらが異なる人達、「自分達」以外の人間がどう扱われるかなんてのは、自ずと想像がつく
自分がいつそのカテゴリに放り込まれて、いつ尊厳を傷つけられるのかが分からない、それが怖いし恐ろしい
確かに、Colaboや関係者を支持する事を表明している、ブクマカや増田は、「自分達」以外の思想、価値観、願い、希望、存在異議を認めない様な人間が多いなって感じた
そんな人達が支持している、いや支持「出来る」存在は、気持ち悪いとか信用出来ないとか、そういったネガティブな感情を超えて、ただ只管に「恐ろしい」
支持している人達も含めて
エッセイ漫画を読んでるとメンタル病んでる女性や障害がある女性に「でも支えてくれたのは彼くんでした!」と突然生えてくる現象、私もずーっっとそこを省略するななんで病んでて彼氏が出来るんだと思ってたので、長年メンタル病んでて今も病んでる自分がどうやって理解ある彼くんを作り夫くんにしたかを1サンプルとして書きます。
振り返って思ったけどドラマチック皆無の本当にそこらへんにある流れではあります。
あとODはしたことあるけどリスカとかはしたことないです。リスカじゃ死なないから。私は生きてる実感なんて欲しくなかった。
生い立ちとか:
母親は高卒後結婚、信仰宗教にどハマり、エセ科学自然派ママ、手のつけられないヒステリー、過干渉、軽い虐待(針を刺してくるとか)、娘より優位に立ちたがる、世間体重視で娘の気持ちは無視、脅す事で言うことを聞かせる
言っちゃいけないことをぽろっと言うし何が悪いか分かってない、おそらくアスペ
私が限界になって死にたい…って泣いた時、「来世の為に頑張らなあかん、その辺のスーパーのおばちゃんに良い精神科ないか聞いてこい」と言い放った。
は????
私 本が大好きな子供だった。真面目で勉強が好きなため中高一貫進学校、大学を有名大と言われるとこにいく、が、母親と父親にけちょんけちょんにされてるので対人関係で適切な関係がわからずとにかく他人が怖い、完璧に振る舞わないと刺されると思ってる
ストレスにより頭皮から体至る所に蕁麻疹が出来る、つねに不安感で寝られない、月1,2で動けなくなる
10才の時に生きるのが辛くて辛くて遺書を書く(理由はその時は分からなかった)
深夜まで勉強してることが唯一の生きてる証
高校の時に電車に乗れなくなり心療内科に連れて行って欲しいと両親に伝えるも劣化の如く怒られる、保険証を渡してもらえない。この時治療受けていれば…と今なら思う。
同時に拒食症発症。37kgになる。部活やってたので痩せてるんだねーと心配されず。親戚からは心配されたけど痩せてる自覚なし。生理止まる。
他人が怖いといいつつも親元から離れてすごす大学生活は快適だった。
母親に本なんて読まず友達と遊べ!いつも人気者でいろ!でも私よりチヤホヤされたら許さない!(母親には友達がいない)とかいう無理ゲーを押し付けられてたため、大学では友達一人も作らず勉強だけしていようと思っていたけど、母親の支配下じゃない友人関係はとても快適でとても楽しい時間だった。今でも思い出す。
が、唯一の取り柄だった勉強で一番を取れない、週二の徹夜で実験レポと実習とバイト、なにより友達から聞く「家族像」がうちとは違いすぎて、あれ?と思うことが増える。
年末が近づくと動悸が強くなる。
抗うつ剤、抗不安剤飲みながら就活、希望の会社に入れるも動悸と不安感がすごく、新入社員ということで肉体的にも辛くなり不眠悪化、二年頑張るも「もしかして一生このままなのかな…」と絶望して退職
その後は休養と転職を7回くらい繰り返して、無職だったりぽんこつ会社員をしてたりしました。
給料と環境は一番初めの会社が一番良かった。拘束時間長かったけど楽しい仕事だった。
でも長時間働くと動悸と不安感で辛すぎるので、8時間勤務の事務職しかできなくなった。それもしんどかったけど。ゆるい会社はひどい男尊女卑で、客層も悪くて初めはびっくりした。B to Bの電話で開口一番怒鳴ってくるクライアントとかいた。
生理休暇を使った結果激減した手取りの額(11万)見ながら、私の価値ってこれだけしかないんだなぁー…と逆に乾いた笑いが出るくらいにはなった。この時30歳。(まだメンタル疾患が大変すぎて鬱と体調不良の波がありすぎて恋愛どころではない。)仕事で本当に酷いモラハラがあって、よし、死のう!と思い立ち通帳やら自分用の仕事道具を鋏で切って捨てて、スッキリして、いや死ななくていいだろと思い直し次の日から診断書あるんで休職しまーすと電話し、気になってた漫画読んだりゲームやったりした。従業員を人として扱ってたらこんな事にならないんだから会社は反省しろ。という気分だった。
相当やさぐれていた。脳がバカになっていたのでゲームや漫画は面白かったけど記憶はあまりないです。メガテン、ポケモン、ニーア、サクナヒメとかとても助けられたことは覚えてる。
その時なんとなくもう一つやりたいことがあった。大学の専攻で学んでいた事だった。家のノートPCでも出来たので、ちまちまやるようになった。
全然頭働かなかったけど、技術を理解するたびに面白いと思えるようになった。
一人で作品公開してるとちらほら反応が貰えた。ネットで人と交流するようになった。
一年半の休職期間が終わり、そのうち、まぁまた働いてもいいか…と思ってモラハラ会社は退職し転職でまた事務職に就いた。
新しい会社も微妙だったが、やる事やったら定時で帰っても怒られないのは助かった。
もうしぶとく一人でひっそり生きていこうと思い始めた。同じ趣味のネット友達と作業しながら会話するのが私の楽しみになった。
ネットで技術情報交流サーバーがあった、そこで一人もくもくと作業やってたのが未来の彼氏(夫)くんだった。
ネットではいろんな人と話してたのでいつから会話したのかわからないけど、この人と話してると居心地いいなぁと思うようになった。初めて人にときめいた。これは直感なので理由がないです。言葉や発想が優しかったとかそんな感じです。
やってたゲームが面白そうと言われたので一緒にやってみませんか?と誘ったら遊んでくれた。
何回も遊んで色々話すようになって、住んでるところが近かったので会いましょうとなった。
ですが私はすでに30才超えてる。彼くんは私より若かった。年齢は伝えたが会っておばさんかよ!と失望されるしかない、ここから恋愛は無理でしょー…と思ってたら向こうも気に入ってくれたみたいでまた遊ぶようになった。
彼くんは私より若かったけど話は合った。というか勉強して合わせてくれてたらしい。
で、デート繰り返して告白されて同棲を二年してプロポーズされて結婚した。(ここをもっと詳しく書けたらいいけど映画とか美味しいもの食べに行ったり旅行行ったり、付き合い期間が長いから婚約とかで普通すぎて)
多分夫くんの結婚の決め手は
・私が好物の料理作ってくれる
とからへんだと思う。
夫くんになるまで、とタイトルに書いたけど平凡な日常になるように
彼くんに心配をかけない、負担をかけない、っていう気持ちで暮らしてた気がします。そう心がけても体調不良で迷惑かけるからね
極力私はメンヘラを隠してました。病名は伝えてたけど、もうほぼ元気なんだー、みたいな。付き合ってる時は調子いい時に会うようにしてました。
まぁそれでも、迷惑はかけてる。
今聞いたら同棲したてのころ、体調やメンタルがやばくて泣いてたらしい。
ただ、
理解ある夫くんは自分が疲れたら適宜休んでる。辛いことがあったら辛かったよーって話してくる。
辛い時は頑張らなくていいんだ、というのが衝撃だった。言葉では知ってても実際の行動ってこんなんなんだ!
ので、私も休むようになった。
夫くんは私が休むと褒めてくれるし代わりに家事してくれたりマッサージしてくれる。
理解ある彼くんを見つけて夫くんにするまでの所、やっぱり詳しく書こうとするとその辺に転がってる話と同じになってしまう。
メンヘラ女にも調子がいい時があって、その時に接してきた優しい男性が趣味が合うから彼女に選んでるんではないか?
と言う身も蓋もない話になってしまった。
エッセイ漫画を読んでるとメンタル病んでる女性や障害がある女性に「でも支えてくれたのは彼くんでした!」と突然生えてくる現象、私もずーっっとそこを省略するななんで病んでて彼氏が出来るんだと思ってたので、長年メンタル病んでて今も病んでる自分がどうやって理解ある彼くんを作り夫くんにしたかを1サンプルとして書きます。
振り返って思ったけどドラマチック皆無の本当にそこらへんにある流れではあります。
あとODはしたことあるけどリスカとかはしたことないです。リスカじゃ死なないから。私は生きてる実感なんて欲しくなかった。
生い立ちとか:
母親は高卒後結婚、信仰宗教にどハマり、エセ科学自然派ママ、手のつけられないヒステリー、過干渉、軽い虐待(針を刺してくるとか)、娘より優位に立ちたがる、世間体重視で娘の気持ちは無視、脅す事で言うことを聞かせる
言っちゃいけないことをぽろっと言うし何が悪いか分かってない、おそらくアスペ
私が限界になって死にたい…って泣いた時、「来世の為に頑張らなあかん、その辺のスーパーのおばちゃんに良い精神科ないか聞いてこい」と言い放った。
は????
私 本が大好きな子供だった。真面目で勉強が好きなため中高一貫進学校、大学を有名大と言われるとこにいく、が、母親と父親にけちょんけちょんにされてるので対人関係で適切な関係がわからずとにかく他人が怖い、完璧に振る舞わないと刺されると思ってる
ストレスにより頭皮から体至る所に蕁麻疹が出来る、つねに不安感で寝られない、月1,2で動けなくなる
10才の時に生きるのが辛くて辛くて遺書を書く(理由はその時は分からなかった)
深夜まで勉強してることが唯一の生きてる証
高校の時に電車に乗れなくなり心療内科に連れて行って欲しいと両親に伝えるも劣化の如く怒られる、保険証を渡してもらえない。この時治療受けていれば…と今なら思う。
同時に拒食症発症。37kgになる。部活やってたので痩せてるんだねーと心配されず。親戚からは心配されたけど痩せてる自覚なし。生理止まる。
他人が怖いといいつつも親元から離れてすごす大学生活は快適だった。
母親に本なんて読まず友達と遊べ!いつも人気者でいろ!でも私よりチヤホヤされたら許さない!(母親には友達がいない)とかいう無理ゲーを押し付けられてたため、大学では友達一人も作らず勉強だけしていようと思っていたけど、母親の支配下じゃない友人関係はとても快適でとても楽しい時間だった。今でも思い出す。
が、唯一の取り柄だった勉強で一番を取れない、週二の徹夜で実験レポと実習とバイト、なにより友達から聞く「家族像」がうちとは違いすぎて、あれ?と思うことが増える。
年末が近づくと動悸が強くなる。
抗うつ剤、抗不安剤飲みながら就活、希望の会社に入れるも動悸と不安感がすごく、新入社員ということで肉体的にも辛くなり不眠悪化、二年頑張るも「もしかして一生このままなのかな…」と絶望して退職
その後は休養と転職を7回くらい繰り返して、無職だったりぽんこつ会社員をしてたりしました。
給料と環境は一番初めの会社が一番良かった。拘束時間長かったけど楽しい仕事だった。
でも長時間働くと動悸と不安感で辛すぎるので、8時間勤務の事務職しかできなくなった。それもしんどかったけど。ゆるい会社はひどい男尊女卑で、客層も悪くて初めはびっくりした。B to Bの電話で開口一番怒鳴ってくるクライアントとかいた。
生理休暇を使った結果激減した手取りの額(11万)見ながら、私の価値ってこれだけしかないんだなぁー…と逆に乾いた笑いが出るくらいにはなった。この時30歳。(まだメンタル疾患が大変すぎて鬱と体調不良の波がありすぎて恋愛どころではない。)仕事で本当に酷いモラハラがあって、よし、死のう!と思い立ち通帳やら自分用の仕事道具を鋏で切って捨てて、スッキリして、いや死ななくていいだろと思い直し次の日から診断書あるんで休職しまーすと電話し、気になってた漫画読んだりゲームやったりした。従業員を人として扱ってたらこんな事にならないんだから会社は反省しろ。という気分だった。
相当やさぐれていた。脳がバカになっていたのでゲームや漫画は面白かったけど記憶はあまりないです。メガテン、ポケモン、ニーア、サクナヒメとかとても助けられたことは覚えてる。
その時なんとなくもう一つやりたいことがあった。大学の専攻で学んでいた事だった。家のノートPCでも出来たので、ちまちまやるようになった。
全然頭働かなかったけど、技術を理解するたびに面白いと思えるようになった。
一人で作品公開してるとちらほら反応が貰えた。ネットで人と交流するようになった。
一年半の休職期間が終わり、そのうち、まぁまた働いてもいいか…と思ってモラハラ会社は退職し転職でまた事務職に就いた。
新しい会社も微妙だったが、やる事やったら定時で帰っても怒られないのは助かった。
もうしぶとく一人でひっそり生きていこうと思い始めた。同じ趣味のネット友達と作業しながら会話するのが私の楽しみになった。
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ネットではいろんな人と話してたのでいつから会話したのかわからないけど、この人と話してると居心地いいなぁと思うようになった。初めて人にときめいた。これは直感なので理由がないです。言葉や発想が優しかったとかそんな感じです。
やってたゲームが面白そうと言われたので一緒にやってみませんか?と誘ったら遊んでくれた。
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ですが私はすでに30才超えてる。彼くんは私より若かった。年齢は伝えたが会っておばさんかよ!と失望されるしかない、ここから恋愛は無理でしょー…と思ってたら向こうも気に入ってくれたみたいでまた遊ぶようになった。
彼くんは私より若かったけど話は合った。というか勉強して合わせてくれてたらしい。
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多分夫くんの結婚の決め手は
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とからへんだと思う。
夫くんになるまで、とタイトルに書いたけど平凡な日常になるように
彼くんに心配をかけない、負担をかけない、っていう気持ちで暮らしてた気がします。そう心がけても体調不良で迷惑かけるからね
極力私はメンヘラを隠してました。病名は伝えてたけど、もうほぼ元気なんだー、みたいな。付き合ってる時は調子いい時に会うようにしてました。
まぁそれでも、迷惑はかけてる。
今聞いたら同棲したてのころ、体調やメンタルがやばくて泣いてたらしい。
ただ、
理解ある夫くんは自分が疲れたら適宜休んでる。辛いことがあったら辛かったよーって話してくる。
辛い時は頑張らなくていいんだ、というのが衝撃だった。言葉では知ってても実際の行動ってこんなんなんだ!
ので、私も休むようになった。
夫くんは私が休むと褒めてくれるし代わりに家事してくれたりマッサージしてくれる。
理解ある彼くんを見つけて夫くんにするまでの所、やっぱり詳しく書こうとするとその辺に転がってる話と同じになってしまう。
メンヘラ女にも調子がいい時があって、その時に接してきた優しい男性が趣味が合うから彼女に選んでるんではないか?
と言う身も蓋もない話になってしまった。
これを書いてから1年後。
妊娠が分かったのは1月の半ば。生理が遅れて、検査薬を試した。まさかの自然妊娠だった。元々卵巣機能が低く、第一子は不妊治療を経て出産し、その後いくつかのことを試したが結局授かることはなく。家族3人で楽しくやっていけばいいと完全に諦めていた矢先、妊娠したことが分かった。
最初は夫婦ともに戸惑った。子どもはもう5歳になって、生活に随分余裕ができた。夜は寝るし、言葉を話せて、気軽に旅行にも行ける。経済的にも子どもひとりなら安心して程良い生活ができる。そう高を括っていたところに0歳の存在が加わると。思い出される、寝ない、食べない、忍耐の日々。兄弟を望んだこともあったが、もはや5歳と0歳は多分一緒に遊ばない。仕事も責任のある立場になって、引き継ぎや調整にかかる労力は計り知れず、正直マジかという気持ちになった。
そもそもこれまでどんなに頑張っても妊娠しなかったポンコツの身体にぽっと出の命が宿ったとして、うまくいきっこないはずだ。最初はどうせ化学流産か子宮外妊娠が関の山だと思い込んだ。そうでないと、自然に授かれた喜びが爆発してしまいそうだったから。今さらマジかと思う一方、もう一度この手に赤ちゃんを抱けるかもしれないことが、子どもに弟か妹を産んであげられるかもしれないことが、本当は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
初期の検診は毎回、あまり期待せずに通った。子宮内に胆嚢が確認できたとき、リングのような卵黄嚢がくっきりと美しく見えた時、力強い心拍の音が病室に響き渡った時。涙が出るほど嬉しかった。期待しないように、期待しないようにと言いながら、毎朝毎朝、アプリで週数日数ごとの胎児の様子を丁寧に読んだ。第二子で、次の検診までがあっという間だとか、うっかり存在を忘れるとか、そんな瞬間は一度もなかった。ずっとずっと心配だったし、いつも赤ちゃんのことを考えていた。
私の心配をよそに、赤ちゃんはすくすくと大きくなった。検診の度に週数以上の大きさで、何の異常もなく、胎動も痛いくらい力強くて。深夜に目が醒めて、お腹に少し合図すると、もこもこと蹴り返してくる存在が何よりも愛おしかった。どんどんお腹が大きくなって、腰が痛くて、苦しくて、上の子に優しくできずイライラしたり落ち込んだ日もあったけど、元気な胎動を感じながら過ごす毎日は満ち足りていて幸せで、幸せで仕方なかった。
7月、何とか仕事をやりきって、気持ちよく産休に入った。体質的に上の子は早産だったから、もしかしたら近日中に産まれてしまうかもなとは思った。検診では何も問題なかったが、体感的にそれくらい身体が限界で、8月を乗り越えられる気がしなかった。早産はいつも不安だったけど、28週を過ぎたあたりで、もう大丈夫だと思った。かかりつけは家から近く、NICUのある大学病院で、例え早産になったとしても何の問題もないはずだった。
その日。
前日も当日も暑くて外出はできず、家でゆったりと過ごした。夜になり、脇腹辺りに痛みを感じた。陣痛のように収縮するような波のある痛みではなくて、何かズキズキした痛み。食あたりを疑いつつ、どんどん増してくる痛みに違和感を覚えすぐに病院へ向かった。深夜の救急外来で、すぐにエコーを当てられたけど、いつもなら聞こえるはずの力強い心拍音がいつまで経っても聞こえない。ドッドッドッとうるさいくらいのあの音が。死ぬまでずっと覚えていたいと思った音がいくら探しても聞こえなかった。
腹痛を感じてから約45分、病院到着から約15分で帝王切開が始まった。にも関わらず、全身麻酔から目が覚めたとき、赤ちゃんは生きていなかった。診断名は子宮破裂、常位胎盤早期剥離、胎児機能不全、子宮筋腫核出後、子宮内膜症性嚢胞合併。要は子宮が15cm裂けていて、そこから胎盤が脱落し、赤ちゃんは仮死状態で生まれたものの、蘇生に反応しなかった。
産まれた姿は大きくて、体重が1950gもあった。まだ体毛がたくさんあって、眉毛が立派だったけど、私と、上の子が産まれたときにそっくりだった。手足はむっちりと太く、小さな指もそれぞれ5本ずつしっかりあった。小さなお口が三角形に開いていて、かわいくてかわいくてしかたなかった。目が開いたら、どんなお顔だったんだろう。どんな声で泣いたんだろう。何が好きで、何が嫌いだったんだろう。もう冷たくて、ところどころ固まって、点滴や機械の痕が痣になって痛々しくても、かわいくて愛おしくて悲しくて、泣きながら何度も何度も名前を呼んだ。
どんなに寝なくても、食べなくても、元気に生まれてくれたらそれでよかった。ふにゃふにゃの体で、息をして、目が合うだけで、どんなにかわいかっただろう。こんなことなら、1日でも早く、早産になればよかった。子宮が破裂する前に、お腹から出してあげたかった。3日前の検診では何の異常も無かったし、子宮破裂の可能性なんて考えさえしなかった。あかちゃんは私のせいで亡くなった。子宮さえ丈夫だったなら、元気に生まれてきたはずなのに。
手術から1週間後に退院して、夫の運転する車で家に帰った。信号待ちで車が止まると窓の向こうに、大きなお腹で上の子と手をつないで幸せそうに帰り道を歩く自分の姿が、お腹をおさえてふうふうと息をつきながら頑張って坂道をのぼる自分の姿が浮かんで涙が止まらなくなった。家についても、しばらく中に入れなかった。新生児用の抱っこ紐も、ベビーベッドも準備していた。上の子のおさがりも整理して、みんなで楽しみにしていた。名前もたくさん考えて、一番良い字画を選んでつけたのに。自分だけ家に帰ってきてしまったことが悔しくて悲しくて死にたいと思った。ごめんねといくら言っても言い足りなくて、自分に拳を叩きつけながら叫ぶように泣き続けた。
あれから2ヶ月が経った。納骨はせず、毎日お線香と小さな哺乳瓶でお水を供え、遺骨に話しかけて暮らしている。泣かずに過ごせる日が増えてきた一方で、妊婦さんや小さな赤ちゃんを見かけてはひどく落ち込む日もある。最初の数週間はとにかく出産前に戻りたい、戻りたいと思いながら過ごした。前日でも、当日の朝でも、何とか時間を巻き戻せたなら、先生に懇願してすぐにでも帝王切開をしてもらう。赤ちゃんはしばらくNICUで過ごすけど、上の子の時のように、きっと元気に退院できた。
1ヶ月くらい経つと、この悲しみが死ぬまでずっと続く気がして、妊娠前に戻りたいと思った。そもそも授からなくても、私達は十分幸せだったから。子どもは一人と納得していて、他人を妬ましく思う気持ちもなかった。大好きな夫と子どもがいて、決して不幸ではないはずなのに。失ったことが悲しくて、足りないものを嘆き続ける毎日ならば、授かる前に戻りたいと思った。
そして2ヶ月経った今、子宮破裂について考えることが増えた。子宮破裂は極めて予後が悪いもので、8割の赤ちゃんが亡くなり、例え救命できたとしても、寝たきりとなる可能性が高いそう。私は子どもに一生、経管栄養の寝たきりで意思の疎通が全くできなくても生きていてほしかったとは思わない。もちろん結果的にそうなったなら大事に世話して必死に生かそうとするに違いないけど、それが死よりベターだとも思わないから、唯一そういう意味では今回の結果に納得できる気もしている。
でもやっぱり、失った未来を想うと悲しくて、もう一度取り戻せないかと思ってしまう。もう一度妊娠できたなら、今度は無事に産むから。亡くなった子と新しく生まれる子を同一視してはいけないとか、そういう話はどうでもいい。ただただ、もう一度授かって、今度こそ元気な赤ちゃんを抱きたい。これはもう、女としての私のエゴだ。止血のために両側の卵管を結紮したから、自然妊娠はできない。また次の妊娠は医師から真剣に止められている。本来なら子宮摘出すべきところ、小腸と癒着して摘出できず、仕方なく残しているだけです。妊娠しても無事に産める確率は極めて低く、次もまた同じか、それ以上に悪いことが起こります。本当にお母さんと赤ちゃんの生命に関わります。そう言われても、じゃあもうきっぱり諦めて、次の子は二度と望みません、とは思えない。
赤ちゃんとたくさんお散歩がしたかった。上の子が絵本を読み聞かせる様子を動画に撮りたかった。寝顔を見て、上の子と同じ顔だねと夫と一緒に笑いたかった。泣き声に、イヤイヤ期にうんざりしても、熱が下がらなくて大変でも、くたくたになりながらもう一度家族で赤ちゃんを育てたかった。全部、あと少しだった。もう少しだったのに、全部失ってしまった。悔しくて悔しくて、このまま終わることができない。
何のために授かったのか。どうすれば失わずに済んだのか。
自分のエゴで家族に迷惑をかけてでも、もう一度リスクを承知で子どもを望むか。足るを知り、諦めて日常を受け入れるべきか。
どんなに答えが決まっていても。
迷うことをやめられません。
インタビューでなんか好きなマンガとか最近ハマってる漫画とかありますか?って聞かれたら🐊
「光の大社員っ…すね」と答えるよ
最終巻とその手前しか読んでいなかったけど、この前1巻を買ってみたらめっちゃ良かったす。
だって掃除のおばちゃんに挨拶したら「引っかかっな!」って社長が顔出すんけど
つーゆうんすよ?腹抱えて笑いましたね
先輩(女)社員に「ナース姿美しい…僕も治療されたい」とか言ったら女が「ここはおもちゃの病院ですので、人間の病院へどうぞ」って返したら
「ボクハジツハロボットナノデコノオネエサン二ナオシテモラウノダ」ってロボットの真似するんですよ。で、それで同僚の発言が
いや、こんなんズルいでしょ
多分、それはジジイ関係ない。老いも若きもなるやつはなるし、ならないやつはならない。
ウクライナの場合は人的損耗が大きいので、徴兵者の中から前線で歩兵をする者も多数存在するが、平時で培ったスキルを活かして物資の運送や土建による陣地構築、溶接や板金による機械修理、医療による治療などを行ってると報道されていたよ
つまりこれ、日本で言うとブルーカラーが後方で整備とかしてて、ホワイトカラーが前線で銃弾砲弾をぶっ放してるという傾向があるということ
まぁウクライナは世界有数の穀倉地帯を持っていたから農家は前線で銃弾砲弾をぶっ放してる可能性が高いけど、日本の場合は一次産業従事者少ないからね、都市部の若い奴らが前線で銃弾砲弾をぶっ放すことになるんじゃないか?
3X歳。
メンタルを病みながらもフルタイム勤務、更に不妊治療と転職活動をダラダラとやっているがまぁ限界だ。
「おかあさん〜、かえりたいよぉ〜。えーん!えーん!」と呟くのがマイブームだったが
何をするかというと
当時行くかどうか迷った結果行かなかった(経済的事情で行けなかった)専門学校のホームページを見る。
すごく楽しいのが、憧れの学園生活に自己投影し、1日のスケジュールを妄想することだ。
友達にも恵まれて好きな人も出来て、恋愛ごっこをしながら課題をこなす妄想をする。
そして就活ではそこそこ名のしれた企業の一般職を目指す(専門学校のホームページの就職実績を見つめながら)。
また、漫画家やラノベ作家学科に関しては就職実績が全然関係ない職業であることが多い(職業柄仕方ないよね)ので、そっちに進んだパターンも妄想する。
毎日クソみたいな事務職をこなしながら終業後に創作活動。土日も創作活動。たまにサークルを出す。
いつ売れるか、バズるかわからないけれどひたすら作る未来を想像しながら就活しているのだろう、と妄想する。
夏休みのオープンキャンパスではキラキラした目の高校生たちの未来の先輩として
3Xのおばさんからしたらみんなかわいい赤ちゃんみたいだけれど。
そんな日々を過ごしながら、極寒で酷暑みたいな社会に馴染めるよう、一歩一歩すすむ妄想。
やっとの思いで晩婚。
頑張っても、気を利かせても、全てが無駄。
えーん、えーん
あ、ただ自分の症状に関連することは専門医に匹敵するぐらい詳しくなれるとは思う
でもこれは医者から見たものは臨床判断というエティックであって、患者本人の体験(いわばエミック)はその臨床判断には含まれない
統合失調症は100以上の遺伝子座が関与し、環境因子とも複雑に相互作用する多因子性疾患です。単一の遺伝子をターゲットにした治療が疾患全体の解決になるわけではなく、多数の遺伝子を同時に操作することが必要であり、その技術的な難易度は極めて高いです。また、複数の遺伝子を同時に編集することによる予測不能な影響が懸念されます。
CRISPR-Cas9やその他の編集技術には、オフターゲット効果(意図しない部位での切断)が存在し、これが人体に対する長期的なリスクをもたらす可能性があります。精神疾患の治療のために遺伝子編集を行う場合、脳のような重要な器官に対して誤った遺伝子編集が行われるリスクは大きく、患者の健康をさらに悪化させる危険性があります。
知能は極めて複雑な形質であり、複数の遺伝的要因と環境要因が絡み合っています。BDNFやNRG1などの遺伝子の発現量を調節することで知能向上が期待されると述べていますが、その効果がどの程度確実であるかは未知です。また、知能を向上させる遺伝子編集の試みは、倫理的な問題のみならず、意図しない副作用(例:他の重要な認知機能の低下など)を引き起こす可能性もあります。
遺伝子編集のためのデリバリーシステム(ウイルスベクターやナノキャリア)にはまだ限界があります。血液脳関門を突破するための方法は進化していますが、その効率や安全性が完全に保証されているわけではなく、脳への遺伝子デリバリーは依然として大きな課題です。
遺伝子編集の効果が長期的に持続するか、あるいは長期的にどのような副作用が発生するかについてはまだ十分なデータが存在しません。特に脳への操作は取り返しのつかない影響を及ぼす可能性があり、非常に慎重な検討が必要です。
成人の遺伝子を編集して疾患を治療するという行為は、基本的には「自己決定権」を持つ個人の自由と捉えることができるかもしれませんが、統合失調症などの精神疾患においては患者が自分の状態を十分に理解してインフォームド・コンセントを行うことが難しいケースもあります。このため、患者の自律性が尊重されないまま遺伝子編集が行われる危険性が高まります。
IQを向上させるための遺伝子編集には、「優生思想」の危険性が含まれています。知能を遺伝的に操作することにより、社会において「優れた知能」を持つことが求められる風潮が助長される危険性があり、人間の多様性や個々の価値を否定する結果につながる可能性があります。また、技術へのアクセスが限られていることによる不平等の拡大が懸念され、経済的な背景により特定の人々だけが「知能向上」を受けられる状況は、社会的な差別を助長するリスクがあります。
長期的影響とリスクの不確実性
遺伝子編集技術の長期的影響は不確実であり、未来の世代にどのような影響を与えるかはまだ未知です。特に生殖細胞系列の編集ではないとしても、遺伝子修正が将来的に子孫に影響を与える可能性があるかもしれません。このため、編集によって得られる利益とそのリスクのバランスをどう取るかは、社会全体での慎重な議論が必要です。
遺伝子編集技術の利用は高額であり、一部の裕福な人々だけがその利益を享受できる状況が発生する恐れがあります。このような不平等は、社会的な階級格差をさらに広げ、人間の価値を遺伝子によって測る風潮を生み出しかねません。この倫理的な問題は、社会全体での合意と規制の必要性を強く示しています。
統合失調症の治療やIQ向上のための成人の遺伝子編集は、理論的には可能であるかもしれませんが、多因子性疾患や複雑な形質に対する遺伝子操作の実現には、科学的な限界が多く存在します。また、倫理的には人間の自由や多様性、社会的公平性への重大な影響が懸念されるため、こうした技術の利用には慎重な態度が求められます。
ITさんがメンテしないって話が出た時、みんなが困ってた時に 他の人の話でました?
HTさん上手いことやるんですよ、人が足りてる時になんとなく、30分、1時間ぐらい消毒室にいる
消毒室にいる時間長いんですよ 綿球つくってる
HTさんがいる時ってまあ、マンパワーが足りてる時なんで、呼ばれたらすぐ動くし、そこそこでメンテ行くんですよ
わたしこの人消毒室にずっといるな、って入職時からずっと気になってて
でも誰かが困ってるわけじゃないし、わざとじゃないかとしれないし、それで許されてる人なんだなと思って 何も言いませんでした 言える立場でもないし
みんなの怒りを買った 上手いことやらないから
多分その時HTさんは消毒室にはいなくて、メンテしてたんだと思います 上手だから
わたしがITさんのこと気づいてなかったのは頼れるテクニックのある衛生士さんで、ITさんにフィルターがかかってたからでした
もしみんながHTさんになにも思ってないならそれはHTさんにフィルターかかってませんかね
トイレ行く時のインカム入れてくださいの件、Uさんと何か話してましたよね? その話が、ITさんがまた居ない、変なタイミングでトイレに行く、とかだったならなんか、イヤだな、働きづらいな、と思って 考えすぎかもですけど
ほんとにそうならダメなことには変わりないですけど、
どんどん極端になってる気がして
あいつサボってんな、って思われてんのかなって
でも「メンテしてないでアシストついてる時」にサボってる、って思われるの、アシスト舐めてるしアシスタント舐めてるし、アシスタントへの敬意がないなって思うんですよね
メンテサボるためにアシスト行くのも、アシスト行ってメンテやってない人を非難するのも、アシストの方が楽だと思うなよ アシストもしっかりやれよ、なんだよって
自分で言うのもアレですけど、助手の時結構しっかり叩き込まれたんですよアシスト だから専門学校卒業時の、新卒歯科衛生士のアシストなんてしれてる、って同級生見てて思ってました 学校によって違うかもだけど だからUさんにはアシストから教えようとしてたけど、現役の衛生士さんたちは多分あんまそんな感覚ないんですよ、「私たちある程度できてた」って思ってる 衛生士みんなにメンテをさせてあげて、って言われて、Uさんにアシスト教えるの辞めました
人間の好き嫌いなんで、言ってもしょうがないんですけど、Oさん、Uさんのことめっちゃ上げるんですよ
OさんIGさんにちゃんと教えてあげてたみたいですけど、
Oさんマウスピース作ってるから、気になって当然なんですけど、IGさんが石膏流すの失敗した後に、わたしに「これ見て、綺麗に流せてるでしょ、Uさんだよ、やっぱり違うね」って言ってきて
「いやそりゃUさんは衛生士なんだから、学校で習って、職場で習って今なんだから比べるのは違う」って思わず言ったんですけど、
IGさんの歩みが遅くてポテンシャルが低いのは事実です ポンコツだな〜よく居酒屋でバイトしてたな〜って思います メモも取らないし 当事者意識もない あんまり意欲がないのかもしれませんけど
でも親に金出おしてもらって座学で勉強してテスト受けて、さらに実習行って国試受けて、歯科業界にどっぷりの、2年目の衛生士と、全く違うこと勉強してて、業務中にながらで教えてもらった知識でなんとか仕事してる半年の新人助手くらべてそんなこと言います?
Oさん自分が助手だったこと忘れちゃったのか、私ほど酷い扱いを受けてなかったのか、わかんないですけど
だから私UさんのIGさんへの扱い許せないんですよね。敬意がない。専門の一年生の10月に、今と同じことできた?って思います。Fさんにも敬意ないです。トレーの上が汚いし、片付け頼む時のタイミング、ちょっとありえない時あります。下だと思ってる。職種が違うだけで私たちに優劣はないです。持ってる武器が違うだけです。雇用側とは感覚が違うかもしれません。トレーの上を綺麗にしてからアシストとか、メンテとか終わって欲しいのは、バーやチップの紛失への懸念もありますけど、あの上にゴミがあるだけで消毒室での片付けの手間が増えるからです。ゴミやバーかなければ器具を分別せずに積み上げておいたって、片付けるのもすぐです。メンテもアシストも上手くやればそこまでやって、サブカルテまで書き切った状態で終われるはずです。全体の能率も上がる。
この前Uさん、名指しで院長に「IGさん治療の準備できないですよね?」っていってましたよね スタッフみんないるところで
入った頃に「〇〇さんが怖いんです、〇〇さんが怖いんです〜院長怖いです〜」って泣いてた人間の所業とは思えないです。「私気に入らない後輩に辛くあたります」って自己紹介でしたかね これ院長の言うところの人間性じゃなくて、あの子なりの防衛本能でしょうか。今彼女は何から身を守るためにIGさんにあの態度をとってるんですかね
なんか派閥みたいになってて、悪いことには変わりないけどITさんがターゲットで、IGさんが多分辛くて、気になることが多くて今すごく働き辛いです
わたしがUさんが気に食わないだけでしょ、って言われたらそれはそうです。衛生士としても社会人としてもマインドが気に食わないです 彼女もIGさんと同じで、成長の過渡期なので、一概に彼女に不満を持つのも違うのかもしれません。
わたしが過度に、不必要に、IGさんの気持ちを想像し過ぎているのかもしれません。でもメモはとってほしい
泣きながら土下座を要求される妊婦、見たことある人少ないと思います
私自身を含めてですけど、悪いことは悪いし、良いことは良くて、それ以外の人間関係はフラットでいたいけど、ちょっとどうしたらいいのかわからないです…
だれもわたしに何も頼んでないよ、勝手に気にしてるだけでしょって、考えすぎ、と言うならそれはそうです 何も言い返せません 時間内に収まるようにメンテだけやってます 衛生士として仕事できないんだから自分のことだけ考えてます
女性youtuberがムカムカするから医者に行ったらピロリ菌で胃炎だったとか言ってた。
youtuberがピロリ菌は胃癌のリスクが上昇する怖い菌だからしっかり治療するみたいなことを言ってたけど、一旦上昇称した胃癌のリスクは、ピロリ菌を駆除しても元には戻らない。
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
2023.6.27 S1専属début → アタッカーズ専属 🔥ティーパワーズ所属@tpowersofficial @tpowers_2nd
樋口博之@hXWSTs3
猫好き、猫チャンを愛している飼い主さんと、猫チャンの末永い幸せを、祈っています。19年と3ヶ月一緒に暮らした猫を亡くして、3年、落ち込んでいましたが、皆様の可愛い猫チャンの画像や、綺麗な風景や花の画像等に癒やされて来ております…こんな私ですがフォローして頂ければ、嬉しく思います。
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
おはりあ~~☀️
https://pbs.twimg.com/media/GYW4UkjaMAIA1By.jpg
(抱き上げている猫が結月の頬を舐めている写真)
樋口博之@hXWSTs3
猫チャン可愛いですね、でもたぶん!お化粧してますよね、ファンデーションぬってますよね、ファンデーションぬったお顔をなめさせるのは、危険な場合も有ります、猫チャンの腎臓を悪くする成分が入っているかも知れません、スッピンならいいですけど、お化粧している顔をなめさせるのはやめた方がいい
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
ひじょー――に不愉快!!!! !
塊食べてるわけでもないのに
わざわざそんなこと伝えてくるの
暇なのかな☺☺☺
めちゃくちゃ高い保険に入れて何かあった時に高額治療になろうがちゃんと手当てできるようにしてる事とか
ご飯色々なの食べさせてなにが体に合うか
2匹が美味しく食べてくれるかとか 知った上で送ってきてるのかな〜
うちの家族の何が分かるの?
樋口博之@hXWSTs3
不愉快を感じられたなら、あやまります申し訳ありませんでした、私ただの猫好きと、りあさんのファンなだけです、私は今、入院中です、寝られないのでスマホを見ていたら、大好きな、りあさんの可愛い猫ちゃんとの画像かあつて、投稿しただけです、悪口云うわけ無い、気に触ったら許して下さい、😭😭😭
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
本名載せてるけど
いつでも行動できる事は忘れないでね
前にも言ったけど何気ないSNS一言がこの世界から人を亡くしていることを忘れずに
以上
樋口博之@hXWSTs3
私の、つたない返信て、不愉快にさせた気持ちがまだ収まらない様ですので、再度あやまります、ごめんなさい、申し訳ありませんでした。私は、ただの猫好きと、りあさんのファンなだけの今は、咽頭ガンで入院している男です…それにしても、りあさんは、凄いです、返信、全部お読みになるのですね素敵で
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
ご丁寧にありがとうございます🙂↕️
樋口博之@hXWSTs3
ありがとうございます、ブロックされても仕方ないのにご返事を頂き嬉しいです、私がただの猫好きと、りあさんのファンだとご理解ください、これからも応援させてください猫ちゃんと、ワンちゃんといつまでも、お元気で、ガンバってください☺️☺️☺️😻🐶❤️