はてなキーワード: 機会損失とは
始発で並べば普通に買えた。
転売ヤーはコナン目的ってより発売されるかどうかもわからない「村上隆もののけ京都 トレーディングカード」のほうが欲しかったみたいで、開店30分前にゲリラ的に販売がアナウンスされると大騒ぎ。
転売ヤーのおばちゃんは仲間にガンガン電話をかけまくり、近隣から集まってくる中華系の人々。コナンはついでに買われてる感じだった。
コナン目的で並んでる一般客って行列50人ぐらいの中で3人ぐらいしかいなかった気がする。
コナンTCGは発売日ぎりぎりまで入荷するかどうかも教えてもらえないような状況だったし、
子供の頃からゲームをやりすぎた影響なのか漫画の読み過ぎだたのか、俺の人生にも2周目3周目があるような気がしてたんだよね。
なんかあっても「まあ次の周回でクリアすればいいや。2回目だし少しはいい感じになるやろ」みたいに考えてしまっていた。
自分が子供の頃にうまくやれてなかったせいで機会損失したものや、今から焦って頑張っても全然間に合わなそうなものがあると「うーん。これはもう一度死んで2周目もう始めるべきか?」みたいに考えることだって多かった。
就活が失敗した頃、本当に俺は「この人生はもう駄目だ。一度死のう。でもその前にちょっとダラダラしていくか」と考えて3年ぐらいニートしていた。
大学中退、3年ニート、7年の空白期間が人生に空いた状態になってからようやくふと気づく。
「あれ?人生って1週しかプレイ出来ない可能性もあるんじゃね?」
理屈はわからないけど死んだら転生してやり直せるとどこかで思っていた。
魂の実在を信じていたわけだ。
頭がファンタジーで埋め尽くされていた俺だったが、ニートをしていた頃にSFにも触れていたおかげで遂に気づいた「意識ってただの電気信号でしかなくて、それを操ってる魂が存在しているというのは脳科学が発展してなかった時代の思い込みじゃね?」ってことに。
どうしたらいいのか分からんがとにかく今からでも働こうとして就活を再開、なんとか正社員に収まって一安心。
そこからしばらく時間が経って、未だに童貞なこと以外は人生なんとか持ち直した気にはなってるんだが時折辛くなる。
特技:なし
友達:なし
転勤平気ですで入社したせいで住所もコロコロ変わり、知り合いと呼べるようなご近所さんも作れないままで生きている。
内蔵や指が全部揃ってることぐらいしか人生に前向きと感じられるものがない。
酒もあんま飲んでないのに健康診断の数値が少しずつ悪化してるから、健康さえそのうち失われるんだろうな。
疲れた。
貯金崩してタイで暮らせよって話じゃなくて、人生というゲームから一度離れて別の所で暮らしたいんだよなあ。
さも「俺は実際には上位存在で、この人生はある種のオンラインゲームでしかないんだ」みたいなこと言っちゃってるのは自分でも分かるよ。
でもマジで一度降りたいんだよ。
この体で今の暮らしを続けるっていうことにいい加減うんざりしたんだ。
同じスマホゲームに数年間ずっとログインしてデイリークエスト回すのにいい加減疲れて大型アプデまでログインしなくなる時の感覚だよ。
今ある人生がバーチャルシミュレーターでもなんでもないことは分かってるし、この世界の上や横に別の世界が存在しないのは知ってるんだが、そこを理解してても人生からログアウトしたい気持ちが消えるわけじゃないんだよなあ
「俺は崩壊3rdをやって幸せになった!」みたいな戯言(著:西尾維新)が話題になってしまったのを見て、俺はそれが『大嘘憑き』であるということを皆に伝えなければいけないという使命感に駆られてこれを書いている。
連日残業続きで死にかけの頭で書いているので文章が滅茶苦茶かも知れないが、「そんな状態であっても、誰かがやらなければいけないことをやらなければ」という俺の使命感の強さを感じ取ってほしい。
俺が単なる売れっ子嫌いのアンチではなく、警鐘を鳴らしに来た正義の使者であること、その心にフェアプレーの精神があることを示すために、まずは崩壊を褒めることにする。
これはもう否定しようがない。
信者でさえこれを批判しているらしいが、そういった「宝具スキップが出来ないのだけが玉に瑕なんだよな~~~」みたいな態度で済ませていい部分ではないと思う。
死ぬほど頑張って「謎が謎を呼び手探りで答が明らかになるナラティブ感を演出」と擁護した所で、それによって失われる真っ当な物語理解の難しさと感情移入機会損失によるマイナスが半端じゃなすぎるのは大問題だ。
これに対して物語読解順序攻略情報を参考にして◯章を読んだら漫画を◯話まで読んで……このコンテンツは◯章まで進めてからにしないとネタバレがーなんてやるのは愚の骨頂だ。
手探りで進めている感さえも失われたらこの導線のクソさはゲームとしての崩壊を意味し、つまりは完全なる死が待っている。
賢いプレイヤーが選択するべき道は唯一つ、「全てのネタバレに体当たりでぶつかり、地雷原を無敵の心で踏み抜きながら、自分のやりたいように読み進めて、全然理解できない話をクエスチョンまみれになりながら眺める」ことだけだ。
は?狂ってんのか?だがそれしか道はない。
頭がイカれている。
俺は正直聞いたことがないぞ、「この作品をちゃんと楽しむには、おまけを読むことが絶対に必要です」なんて形になってるコンテンツ。
俺の話をちゃんと聞かずに崩壊3rdを始めてしまった頭崩壊人への配慮として、俺はネタバレを極力したくないのだが……それでもこれだけは言わせてくれ、本編を進めているのに突然操作がオープンワールドっぽくなる時が来たら「第二次崩壊編」だけでいいから読め。
もともと崩壊3rdは漫画や崩壊学園を通ってないと訳分からん話を平気で続け、通っている人でさえ訳分からんであろう話の連続なのだが、それでもここを意味不明のままゲームをクリアしたらまずいだろうという部分があるわけだ。崩壊している……。
公式に日本語版はないので、中国語に堪能でないなら有志が翻訳して公式が野放しにしている謎の日本語訳を読むしかない。
このゲームには律者という「エヴァの使徒×まどマギの魔女」のような存在がいるのだが、まどマギの魔女よろしく今まで味方だったキャラが突然律者になる展開が存在する。
律者になったキャラクターがどういう状態になってしまうのかについては伏せ・・・あーーーーーーめんどくせーどうせゲーム開始1時間後には分かるんだから言うわ!
プレイアブルになる律者がいるんだよ!
まどマギは魔女になったら終わりと見せかけて劇場版で味方として戦うだろ?!
それと同じ用に、律者になったけど味方として戦う展開があるんだよ!
これかなり重要なネタバレっていうかさ、「魔女になったけどそっから理性を取り戻して一緒に戦うんだぜ?というか魔女モードが本領発揮だぜ?」なんて話をさぁ、そもそも魔法少女が魔女になることさえ知らない状態でいきなり言われたらもう頭が崩壊するだろ?
誰がどの律者になりますよーっていう絶対にネタバレしちゃいけない要素が次々にネタバレされるわけですよ。
公式が用意したチュートリアルミッションを淡々と進めていくだけでですよ。
進めようとしなくてもなんとなくカチカチしてるだけでいくらでもネタバレを踏めるんですよ。
狂ってるだろ?
そうだそのとおりだ。
信長が裏切りにあって討ち取られることを知らずに戦国時代を追いかけていいのは天正10年より前に物心がついた奴だけの権利だからな!
リアルタイムで遊んでいても崩壊しており、ゲームクリア後の世界を描いた後崩壊書が全体の1/3も進んでないうちに始まるぐらい崩壊している。
これをエピローグとしてちゃんと楽しめるのなんて、せいぜい後から入ってきた人間だけだ(とっくの昔に開放されたコンテンツを第一部終了まで鉄の心で塩漬けした艦長を除く。いるのか?そんな奴)
だが、本当にそれでいいのか?
物語の結末の先を知ったうえで、そこにつながるミッシングリンクを追いかけるというデザインを公式は考えているのではないか?
もちろん・・・NOだ!バカ公式はどうせなにも考えていませんよ(真顔でなんてこというのブローニャちゃん
FF7だってそうだったしマリオRPGもそうだったという意見は正しい。
だが、物語が一つのピークを迎える直前に、突然『斑鳩』の偽物が始まったり、『ドラッグオンドラグーン』の偽物が始まったりしたらどう思う?
スタッフの頭が崩壊しているんだろうなという感想以外の感情は漂白されてしまうのではないのか?
本編外ではあるものの編年史ブローニャ編のニセマリオの数々は熱病にうなされた時にみる夢としかいいようがなく本当にもうなんだそのこうマジでキツかったっす。
流石に1秒間に999無量大数ダメージを叩き出したりはしていないのだが初期キャラと現在の一線キャラは100倍ぐらい性能が違う。
ある時を境に猛烈なインフレを迎えたのだろうなとうっすら分かるぐらい、キャラの性能に活断層が生まれている。
なにがヤバイって作中における超重要キャラであるはずの空の律者が今の基準では絶望的に弱すぎて、なんでコイツこんなに調子こいてるんだろう……と不思議になってしまうことだ。
ゲームというのは物語をコントローラー越しに追体験する遊びである以上、物語上で強いキャラは強くあるべきだし、弱いキャラは弱くあるべきだ。
多少の調整ミスはあっても仕方がないが、作中でそれなりにチャンチャンバラバラしてた同士が全くもって比べるべくもないほどに性能差があっては流石に不味いと感じるわけだよ。
まあね、キアナちゃんの精神的な成長をキャラ性能のインフレを通して感じ取らせてくれようという公式の域な計らいであると擁護することは可能ではあるんだけどね。
駄目だ……崩壊エネルギーが溜まってきて俺の頭も崩壊してきた。なぜ俺はこんなクソゲーを擁護しているんだ。
ぶっちゃけキャラ性能に差がありすぎるって以前に、アクション要素やコマンド入力があると言っても基本的にはお手軽本格アクションスマホRPGの域を出てないわけで、ゲーム性あるかって言われるとかなり微妙なんすよ。
強いキャラは強くて弱いキャラは弱いが明白な古のバシーンバシーンポチポチゲーと大差ねーだろと言いたくなる瞬間が多すぎるわけです。
ストーリーモードでお試しキャラ触ってるときなんて本当にもうキャラに性能差がありすぎてビックリするというか、ただ連打してればいくらでも勝てるキャラがいる一方でちゃんと回避しないとザコにもボッコボコにされるキャラがいるバランス感覚どうなってんねん。
ほんまにな、このゲームは強いキャラ使ってバシーンバシーンする以外に正解がないねん。
強いキャラ使って敵をボコってる時のテンポを基準に作られているからなんか弱いキャラ使って遊んでるときは妙に敵が固くてモッサリ感がパナい。
物語自体はまあそれなりだと思うが、ゲームとして面白いかって言われるとぶっちゃけまあ無料だから遊んでいるがーの域を出てないと思う。
美少女ばかりだしスカートひらひらしてるしで、太もものあたりが非常にえちえちなことによって男脳から快楽物質がチョロチョロ出てくるので気づいたら遊んじゃう感じのポルノでしかないよこんなの。
学歴フィルターがあるところは学校歴は一切考慮しないのでしょうか?
たとえば採用時、教育困難校の高卒が灘中卒の中卒よりも採用されやすさや、採用時の初任給の額に対して有利なのでしょう?
あるいは灘高卒の高卒よりもFラン大卒の方が有利なのでしょうか?
学歴をみるのは、社会人として最低限の知識や常識があるかを推定するためだと思います。
ぶっちゃけ教育困難校卒よりは中卒でも灘中卒ならそっちのほうが常識も頭の回転の速さや柔軟さも上だと思います。
1249832814さん
2024/3/21 15:16
↑
暗黙の了解が成立するのって、互いに明文化しないことでメリットがある時だけだよな
どっちかが損することになるなら揉めるに決まってる
すべてルール化しろ、明文化しろってのが堅苦しすぎるのは俺も同意するが、例の上タンの件は店が得していて客が損をしているから暗黙の了解が成り立たないケースだと思うんだよな
はじめから上タンをたくさん頼めないことがわかっていたら、客は別の店を選択することだってできたのに、店がその情報を暗黙の了解化したことで客側に機会損失(別の店を選んでいたらたくさん上タンを食べられたかもしれない機会の損失)が発生したわけだし、店側を擁護しているブクマカの考え方がいまいち理解できないのよね
逆に店側は自分に不利な情報を暗黙の了解と言う形で隠して得をしている
店が勝手に暗黙の了解化したことで客に損が発生して店が得しているのだから、客がキレるのは当然だと思うのだが
(実際の状況を観てないので判断保留というのはわかる)
草津の件で性加害告発は男性を貶める為に行うことがあるってことで
告発を真に受けるのは少なくとも辞めにしようって流れが間違いなくあったはずなんだけど
大物芸能人と大物サッカー選手が、可能性の段階で排除されてしまった
俺はやっぱりこれが健全だとはとても思えないんだよね
特にサッカー選手の機会損失なんてもう一生帰って来ないものだし、仮に性加害が認められなかったとしたらあまりにも残酷過ぎるでしょ
いい加減もうここらへんのガイドライン作ろうよ
この問題って可能性の段階で騒ぐ人がいるから起こり得る、言ったら俺達の責任問題なんだよ
もし、可能性の段階で私刑にしていいってことになるなら、もう可能性すら生まれない生活送るしかなく、流石にこれを肯定する人っていないと思う
じゃあ、やっぱり可能性の段階での言論のあり方を考えなきゃいけない
自殺に関する報道やその反応については少しづつガイドラインが共有されつつあるわけで、性加害問題に関しても作らなきゃ駄目だよ絶対
なんか良い案考えなよ
安定結婚問題を解く安定マッチングはTinderができる50年以上前から存在した
しかし、缶詰は(理論上の)雇用を生んだが、安定マッチングは50年間の機会損失を生んだ。
缶切りが出来るまでの50年間で缶詰を上手いこと開ける職人が出現してもおかしくないので存在するとして、彼らは50年間職業を得た。缶切りを発明してしまったことでその職を失った。人類は缶ジュースのプルタブを見るたびに自責の念にかられるべき。
一方で安定マッチングがTinderに応用されるまで弱者男性は理論値の最高効率で恋愛をする機会を失った。
人類は常にアクセルベタベタ踏み踏みの最高速度で発展し、我々はその恩恵を享受しまくるべきなのだが、往々にして怠ける。
しかし、怠惰がもたらす結果はマチマチなので、人類は勤労の重要性を学ぶことができない。
缶開け職人に缶ビールで献杯し、弱者男性の墓には坊さんを安定マッチングさせましょう。アフターサービスというやつですわ。
缶詰と缶切りの時差
安定マッチングについて
安定マッチングとGale-Shapleyアルゴリズム | 高校数学の美しい物語
安定マッチング=Gale–Shapleyアルゴリズムは1950年代には現れていた
Gale–Shapley algorithm - Wikipedia
The Algorithm for Love – How Tinder Has Improved its Matching Markets System : Networks Course blog for INFO 2040/CS 2850/Econ 2040/SOC 2090
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。