はてなキーワード: 新生活とは
5才上の的場浩司似の人。当時は携帯電話がJ-PHONEで、まだ出会い系が問題になっていないときにJ-PHONE公式サイトの出会い系で知り合った。
関西の人で、関東の専門学校に通ってた。メールして何ヵ月か経ったころ私の誕生日がきたんだけど、まだ会う勇気がなかったのでお祝いは断った。
だけどせめてプレゼントはあげたいと。結局誕生日の日に、秋葉原の〇口の公衆電話器の裏の隙間にプレゼントと手紙を置いてきてくれた。
受け取りに行く電車の中はドキドキした。プレゼントどんなのだろうとか、公衆の場所に置いてあるけどなくなってないかなとか。
秋葉原の公衆電話の裏にプレゼントと手紙があったときはなんか感動した。
手紙には好きという言葉と、いつか会えたら嬉しいっていう言葉。それから、これ俺だと思って付けたって、っていう言葉とともに
彼が付けてたネックレスが入ってた。携帯画面でしか彼と接点なかったから、直筆の手紙と使ってたネックレスが入ってて
ほんとにいるんだって妙に感動した。それから2ヵ月後にデートして、上野公園のスワンの中で初キスした。
いろんなことが初めてだったけど、優しくて愛情表現が上手だったことは覚えてる。彼との付き合いに転機がきたのは付き合って半年超えたときくらい。
彼が実習で北海道に行って、そこで携帯電話をズボンに入れたまま洗濯して1月連絡を取れなくなった。実習を終えて、こっちに戻って携帯が復活した
ときにやっと連絡を取れて、彼からはものすごく謝られ、すごく会いたかったって何度も触れ合って連絡の取れなかった1月を埋める
ようにくっついた。でも、1月連絡を取れない状態にも慣れたのか専門が忙しくなったのか、少しずつ気持ちが変わってたみたいで、振られた。
お互いいろんなことが初めてだったけど、この人が最初でよかったと思う。
■塾のせんせい
失恋を引きずってて、気づいたら5才上の塾講師と付き合ってた。理系の人で、メガネかけた真面目な人だった。誕生日にはお財布をプレゼントしてくれて
私が免許とって欲しいって言ったら(今考えると意味不明なわがまま)免許合宿に行った。赤ちゃん言葉とマザコンぷりに引いてしまい、免許をとる前に
別れた。付き合った期間は2、3ヵ月で最短だった。
■カラオケ
新生活で出会った友人とカラオケによく行くようになり、関西人の4才上のカラオケ店員と仲良くなって気づいたら彼氏になってた。その人は中高大とサッカーをずっと
してたので女性と付き合ったことがなくて、男兄弟で育って少しぶっきらぼうだった。だけどなにより関西人。面白い。一緒にいるとどこかにネタになるもの
ないかなと探し、私がボケればいつも鬱陶しそうにしつつもツッコミを入れてくれるのが定番だった。あと、私が甘えれば、鬱陶しそうにしながらも
嬉しそうにしてたところが好きだった。照れ屋で基本的に自分からは私に愛情表現しないけど、私の愛情表現が大好きだったのは知ってた。
ただ、彼の愛情表現が全然なくて嫌だった。言い方もぶっきらぼうだから傷つくこともしばしば。
付き合って1年たったときが彼の誕生日でもあって、ケーキを出してお祝いしてくれるお店を予約して連れていった。彼が欲しがってた腕時計と、
今までデートした日を絵日記にしたものをプレゼントしたらすごく喜んでくれて私も嬉しかった。それからも普通に幸せな付き合いが続いたんだけど、
私に好きな人が出来てしまい、付き合って2年とちょっとでお別れした。
■サブカル
あるオフ会に出席したときに知り合った人で先ほど述べた好きな人はこの人。6才上でこの人も関西人(もう標準語)、よく笑うのと優しいのが私の中でどストライクで、
2年半付き合って同棲もした。
本と音楽、映画が好きで、仕事もそっち関係だった。彼の影響で私も本や音楽に興味を持つようになった。
おとなしいというか、本当にすごく思いやりがある人だった。彼の家で急に生理になっちゃって、トイレからでられない私に変わって生理用品とパンツを
買ってきてくれたり、私が誰かから嫌なことをされてるのを知れば、私以上に怒ってその人に俺から言うって助けようとしてくれる人だった。
一緒にいてこんなに穏やかな気持ちになれるのってこの人だけだったと思う。私の友人に会わせてもみんな
彼のこと優しいって褒めてたな。あと、えっちもすごく上手だった。彼と付き合って、そっちの意味でもすごく成長した気がする。
付き合って2年のときには、彼にメッセージと写真を入れたパネルのようなものをプレゼントしていつもより豪華なご飯を作ってあげた。
一緒にアルバムを作ったこともあったな。だけど、彼の優しさに甘えすぎて、私はどんどんわがままになってしまって彼を困らせてばかりだった。
私が免許合宿から帰ってきたときに、彼は決意が固まり、別れることに。泣いて泣いて縋りついてしまい、本当に申し訳なかった。彼は、
家賃は払っておくから、新しい家が見つかって住めるまではこの家いていいからね、と実家に戻った。二人で過ごした家に一人でいるのが本当に辛かったけど、
私にはまとまったお金がすぐには用意できなくて、何ヵ月は彼の言葉に甘えてその家で暮らした。居なくなってから気づくその人の存在ってよく言うけど、
私の中で彼の存在がものすごく大きくて、この先彼以上好きになれる人なんて見つからない、なんでもっと彼に優しくしなかったんだろう、
私なんかもういなくなっちゃえばいいのにって、めちゃめちゃ暗くなってた。彼と一緒に選んだ家具とか、カーテンとか、食器とか、そういうものに
包まれながら一人でいるのは耐えられなかった。それを埋めるようにオフ会に出て、無理して過ごしてた。
■オフ
そのオフ会で出会った人。6才上でまたもや関西人。趣味が似てて、よく笑うし、一緒にいるとなんか少し失恋の傷が癒えた。でも彼は当初4年くらい
付き合ってる彼女がいて、私もしばらくは恋愛したくなかったから割り切った関係でいようってなってた。だけど遊ぶようになってから数ヶ月経って
彼が彼女とうまくいかなくなって別れて、こちらと付き合うことになった。趣味が同じだからデートは楽しかったなー。でも、彼の仕事柄なのか
常に論理的な思考で、さっぱりしてた人だったな。 で、元々の出会いと付き合い方があれだったからか、私は彼をあまり信じることができずに
携帯を覗いてしまうことが何回かあった(ごめんなさい)。彼は出会い系みたいなものに登録してて、びっくりしたけど、私の中では
裏切られたー!と思うこともなく、喧嘩にはなったけど、心の中では「私みたいな最低人間にはこれくらいの人でいいんだ」って受け入れてた。
知り合って1年くらいでお互い無理がきて別れた。
■後輩
アルバイト先の後輩で、2才下の純粋な子。ひょんなことからメールすることになって2人で遊ぶのが2回目のときに帰りの車の中で告白された。
全然対象にしてなかったからびっくりして、少し考えさせてもらった。ほかの人にはない、気持ちをすごく真正面から伝えてくれるところは良いと
思っててすぐに断るような人ではないと思った。だけどなにより恋愛に疲れてて、同棲してた人の傷は癒えたけど、つい最近に別れたばかりで
もうしばらくは恋愛なんていいや、と思ってた。それから1週間くらいたってもう一度告白されて好きって気持ちはなかったけど、
一生懸命気持ちを伝えてくれるものだから、じゃあお願いします、と答えて、恋人に。
今まで付き合ってた人とは全然ちがくて、若かった。発言も、行動も。彼は中学から大学まで私立で育ち、裕福な子で少しプライドが高い。
車に乗ってて国産車(特に軽)を馬鹿にするところとか、付き合いながら間違ってることは教えたりしてきた。でも基本的に素直で、
尽くしてくれる。付き合って1年のときには手作りのプレゼントをサプライズで渡し合ったり、遠いところでも迎えにきてくれたり。愛情表現もする。
現在も彼とお付き合い中で、夏で付き合って2年が経つ。
最近私がやっと社会人になり、学生と社会人の付き合いとなってすれ違いが続いている。生活リズムが違うことなどをわかってもらえず、
喧嘩したときは、彼の暴言がひどくてついていけなくなっている。
三十を過ぎて少し腹が目立つようになってきた。これではまずいと近所のジムに通い出したのだが、そこである男性と知り合った。かつてのオリンピック強化選手であった彼は、こんな興味深い話を聞かせてくれた。
* * *
「別れてほしい」
深く長い溜め息のようなその言葉には、長年の不貞による疲弊しかなかった。妻は男から目をそらし、肩を震わせている。男にはそれが同情を買う行為にしか見えず、妻のそのあきらめの悪さに怒りすら覚えた。
早く終わらせたい。脳裏にジュネの顔が浮かぶ。妻よりも、いや男よりも十歳近く若いその女との新生活はもうすぐそこなのに……。
苛立つ男の口調は厳しいものとなり、ついに妻はヒステリックな声を上げた。会話は堂々巡りを始め、冷え切ったディナーは彼らの胃に収まることはなかった。話をさえぎり涙を溜めながら寝室に駆けこむ妻を、男は不思議そうに見つめた。
新婚当時、彼女こそが生涯の伴侶だと信じて疑わなかった。ならば先ほど寝室へ駆けこんで行った女性は、何者だったのか。今と昔。妻を決定的に変えてしまったものは何なのか。間違いなくそれは自分の心だ。自分の心が妻から離れていったのだ。ジュネとの関係が深くなるにつれ遠のいていったのだ。
目を開けると、妻が正面に立っていた。いつの間にかソファで眠っていたようで、時計の針は午前を回っていた。
「別れましょう」
なにか声をかけようとした男よりも早く妻は泣いてかすれた声でそう言った。
男は安堵した。
「慰謝料はいらない。でも、正式に離婚するのはひと月ほど待ってほしい」
それは妻の反撃であったが、男はその危険性を低く見積もっていた。というのも彼ら夫婦には小学受験を控えたひとり息子がいたからだ。来月には面接がある。それまでは夫婦でいたいのだろう。二つ返事でそれを受け入れると、男は肩の荷が少し軽くなるのを感じた。
そんな男の顔色を伺いつつ、妻はもうひとつ条件を追加した。
「それと、これから別れるまで毎朝、私を抱き上げ玄関まで連れて行ってほしいの。そう、新婚当時のように……」
その日の朝、男は妻を抱きかかえていた。二人は目を合わすこともなく、粛々と別れの儀式をこなす。ただ息子だけが嬉しそうに彼らの後を追っかけた。
腕の重みから解放された男は、ちらりと妻の方を見る。やはり“今”の妻だった。
「……行ってくるよ」
「行ってらっしゃい、あなた」
「パパ行ってらっしゃい!」
それでも息子の手前、挨拶は交わした。奇妙な気分だった。昨日見た夢が思い出せないようなもどかしさ。それは会社に着いても、仕事をしても晴れなかった。
おそらくその夢は楽しい夢だったのだろう。妻を抱えながら男はそう確信した。まだ三日目のことだ。あれ以来妻のことを考える機会が増えていた。これから離婚するというのに、よくないな。男はそう考えジュネを誘った。
「油断ならないクソ女ね」
上品なレストランの席でジュネは相応しくない言葉を吐き、不快感を露わにした。男は軽い衝撃を受けた。
「ただの悪あがきさ。ひと月のあいだ辛抱すれば別れられる。しかも慰謝料は付かないんだ。これ以上の条件はないよ」
男は言い聞かせるように言った。
「そう、ただの悪あがきさ……」
一週間が過ぎるころには、男は自分の心境の変化に戸惑っていた。彼女を抱きかかえるたび、一歩ずつあのころ置き去りにした妻の元へ近づいている。そんなたちの悪い予感めいたものに囚われていた。
さて、そんな男の心境をよそに妻の身にも着実に変化は訪れていた。しかし男がそれに気づくのは、さらに五日を要する。
その日も男は妻をベッドから持ち上げようとした。いつもと同じ動作。だというのによろけ、一度妻をベッドに戻した。
「太っとんじゃないか?」
思わず口をついた言葉に男はハッとなる。そうだ明らかに目方は増えていた。しかし、それがどういった意味を持つのだろうか。
「もし期日まであなたが約束を守れず、一日でも抱き上げるのを抜かしてしまえば、その抜かした日数分をこなすまで離婚の手続きは滞ることになる」
「さあ、離婚のために早く抱き上げて」
そう言って首もとに手を伸ばす妻。
男は無言で持ち上げた。背中を伝う一筋の汗は、やけにひんやりとしていた。
妻も男の前で堂々と大量の食事をするようになった。
一週間と五日で儀式は勝負へと移り変わった。それはすなわち贅肉と筋肉の勝負。しかし男にとってこの勝負は圧倒的に不利であった。ひとつは気づきの遅さ。ひとつは職業。システムエンジニアである男はそれまでをデスクワークで過ごしてきた。そしてもうひとつは筋肉と贅肉の付くスピードの差。
期日まであと三日と迫ったこの日、男は完全に妻を持ち上げられなくなった。もう彼女の体型に過去の面影はない。男はますます筋力トレーニングに打ち込んだ。
ジムに通いだしてから三ヶ月が経過し、男は見違えるような肉体を手にしていた。それでもなお妻を持ち上げることはかなわなかった。この時すでに妻の体重は百キログラムを優に越えていた。
「いつになったら別れるの!」
オフィスにやってきたジュネは痺れを切らしていた。男はひどく狼狽した。彼女が仕事場まで乗り込んできたことにではない。ひと月以上も彼女のことを忘れていたことにだ。そして、自分の頭の中が筋肉しかないことに気づかされた。男は彼女に視線を落とす。ジュネのしなやかな四肢は、妻とは正反対の健康的なものだ。しかし今の男にはどちらも魅力的には映らなかった。
「すまない、ジュネ」男はネクタイを緩める。「妻とは別れられない」ひとつひとつ丁寧にシャツのボタンを外していく。「ぼくの結婚生活が退屈だったのは事実だ。だからきみを求めた。きみとの恋は刺激に満ちあふれていたからね。でもそれは妻との恋愛でもそうだった。結局いつの間にか冷めてしまうものなんだよ」男は上半身裸になると、上腕二頭筋を隆起させた。ジュネはただただ彼を睨んでいる。「ぼくは気づいた。いや妻が、あるいはきみが気づかせてくれたのかもしれない。張り合いのない人生がいかに退屈かを。だからぼくは結婚したあの日のように妻を抱き上げたいんだ。三日分きっちりと。それから……ッ!?」
乾いた音がオフィスに響く。男の大胸筋に紅葉のような手跡を残しジュネは去っていった。男は二三度ピクピクと大胸筋を震わせると、おもむろにシャツを着る。だが彼女を追おうとはしなかった。
帰り道、男はケーキ屋に寄った。特大ホールケーキを三つほど注文すると、祝い事かと考えた店員が男に尋ねた。
最初は断ろうとした男だが、思い直し頷いた。
「“死が二人を別つ前に、ぼくはきみを抱き上げる”と、おねがいします」
* * *
「笑える話だろう」
彼はベンチプレスで流れた汗を拭き取りながら私に同意を求めた。初めてこの話を聞いたときの感想は、正直“よく分からない”というものだった。だから曖昧に頷いた。男はそれで満足という表情だった。
「その男が今どうなっているかは知らないが、ひとつだけ言えることはこうだ。マンションや車、お金なんかは人を太らす肥やしに過ぎない。筋肉と骨格の関係においてしか豊かなマッスルは生まれないのだ。それを忘れてはいけない。もしきみが結婚していたとしても、こつこつと細かな筋トレを欠かさないでほしい。それが人生における最後の砦となるのだから……」
この話を聞いたあと、急な結婚が決まり、私と新妻は別の土地へと引っ越した。だからジムで知り合った男性とはあれ以来会ってはいない。
だが最近インターネット検索で彼についていくつか情報を得た。彼は私と知り合う前年にはすでにオリンピックの重量挙げにて金メダルを獲得していた。そして妻とひとりの子供がおり、なかでも妻はその年体重が三百キログラムを突破したそうだ。
メモ帳からコピペした際に最後の1行(蛇足の蛇足ですが)が抜けていたので追加。あと、微妙に修正。
それと、愛人の名前は原文うろ覚えで書き出した際「こんな名前っだったような」と名付けたら一文字もかすっていなかった。これは、もう、せっかくなのでこのまま。
原文については以下参照。
・村上春樹風にしようと末期がんネタに持ち込もうと、ダメ男はダメ男。さらなる改変カモーン! - みやきち日記
ジュネっていいネーミングセンスじゅね?
や、うん、ほんとはどちらの親も、かなりの部分お金は出すと言ってくれてるんだよ。
結納金も現実的にはきっと親がほとんど出すことになるのかな、と思う。
でもさー。
まあでも、そうだよね、増田のいうようにこれじゃあやっぱ現実的じゃないよな。
>しかも行ってこいですぐ式費用として吐き出させるつもりなら何の意味も無いじゃん。
これもわからないなりに悩んでるのだけど、結納金て、式の衣装や新生活の家具とかを買うお金なんだよね、本来。
で、結納金から式費用をある程度出してもらって、ご祝儀で返ってきた分で家具とか買ったりすれば一応はおかしくないのかな、って思ったり。
そして、一般人ではあるけど、結納ちゃんとして、結納金100万くらいって、この地域じゃわりと一般的みたいだし、しないわけにいかないのよね。
いや、わかんないのでまじ教えてくれると助かる。
やっぱいろいろおかしいと思う?
おとなしく親の援助受けなきゃ無理なんかなあ。
うーむ。
1週間。
恋人は同期で仲良くきゃっきゃしてて、楽しそうで、どんどん遠くなっている気がする。
私の気持ちばかり一方通行で、焦ってる。仲良くなった同期の女の子といい雰囲気になって、乗り換えられるんだろうなー…自分中心で、私のことなんかさんの次くらいな人だからなー
でも、三までまわってくると、私のこと全力で考えて、どんなことでも寛容に受け止めてくれるひと。私にとってこれ以上ないヒトだと思う。それと同時に恋人の自分中心なところも受け入れ、なにを考えてるのかだいたいわかるし、一緒にいて楽な相手は私くらいという自負もある。
ただ、影響をとても受けやすい恋人にとって、新生活は刺激的で全てのものが楽しそうに感じてるだろう。私との関係に飽きてきて、楽しそうなとこに流れて行ってしまうんじゃないかととても不安。
もっと余裕を持てたらいいのにな。
2年目って中途半端だー!どうやってつなぎ止めるか?
同棲したいけど、責任を負うことから逃げるし、自分優先で生活できないから嫌みたいだしなー
結婚なんて責任は負わなくていいし、恋人中心の生活が送れるようにしていくつもりだが、これを言ってしまうと都合のいい女すぎてなー
私が一人で住むなんてしたら、ほんと都合いいポジションになってしまうが、つなぎ止める事は可能かな…
どうしたらいいのかなー
どうすれば、先月くらいの関係に戻れる?
でも失いたくないし、違う女のものになるなんて絶対いや。
しかし今では気の合う友人が出来て、それなりに楽しい学校生活を送っている。
そして時が経つにつれて、恋愛ごとに関心を持つようになっていった。
友人のうち何人かは、いつの間にかクラスメイト同士で付き合うようになっていたのだが、自分が恋愛感情をもつような人は校内にはいなかった。
そもそも自分と仲の良い異性の友人は、みんな恋愛沙汰には無関心で、まともに恋愛話をしたためしがない。
それも相まって、巷でよくある「異性の友人関係から恋愛に発展する」ということが起きない状況に陥っている。
生徒数が40人ということ、「学業に支障をきたす恐れがあるので原則としてバイトは禁止」という規則があること、
詰め込み教育的なカリキュラム内容のため日常的なサークル活動は厳しくなっていること。
その上現地での人脈が少ないため合コンといった交流も開けず、逆に周りの連中も恋愛に興味がないので合コンすら誘われない(存在しない?)という。
もちろん友人の紹介も(失礼ではあるが)期待はできない。
なぁなぁに生返事で終わってしまい、こちらの真剣度がまるで伝わっていない。
とどのつまり自分が通う医療系専門学校では恋愛のできる場、要するに出会いの場が極端に少ないのが現状である。
「何のために専門学校に入っているんだ。」
と言われるかもしれない。
しかしそれだけでいいのだろうか?
中学高校はがむしゃらに部活動に打ち込んでいたため、まともな恋愛をすることができなかった自分が
新生活をはじめて気づいた「恋愛がしたい」という当たり前の感情である。
これらを両親に伝えると、「勉強も恋愛も、自分のやりたいことを精一杯やりなさい」と心から応援してくれた。
ただそれでも恋愛がしたい。
原文: Schumpeter blog: Angst for the educated(http://www.economist.com/node/21528226)
裕福な国の何百万人もの卒業生が、泣く泣く両親に別れをつげて、大学での新生活を始めようとしている。学生の一部は純粋な学問への愛ゆえに大学に向かうのだろう。しかし、ほとんどの学生は、大学で3年か4年過ごせば、そのために多額のローンを組むことになったとしても、実入りのいい安定した職に付ける見込みが強くなるのだと信じて大学に進んでいるのだ。
大人たちは常に「教育こそがグローバル化した社会で成功をつかむための最良の道だ」と子供たちに言い聞かせてきた。そしてこのお馴染みの話は次のように続く。ブルーカラーの仕事はやがてオフショアされるか機械化されてしまうし、中退したら金に困る一生を送ることになる、世を勝ち抜くのは学士号を手にしたエリートだ、と。これは証拠によって支持されている見解でもある。ジョージタウン大学の教育・労働力センターが最近発表した研究によれば「中等教育以上の学位を取得すれば、ほぼ必ず十分なリターンが得られる」という。学歴と収入には強い相関関係があるのだ。専門学位をもつアメリカ人の生涯賃金は360万ドルだが、高卒の場合はせいぜい130万ドルでしかない。さらに、学位を持てるものと持たざるものの差はますます広がりつつある。2002年の研究では、大卒は高卒の1.75倍の生涯賃金を得ているという結果が得られたのだが、今日ではこのプレミアはさらに大きくなっている。
しかし、過去というガイドは未来において役に立つだろうか? むしろ、私たちは仕事と教育の関係が変化する時代の境目に立っているのではないだろうか? 実際のところ、古いパターンが変わりつつあり、今は不況によって引き起こされている西欧社会の大卒需要低迷という事象も構造的なものに転化しつつあるのだと考えるべき根拠は十分にある。数十年にわたって多くのブルーカラー労働者を揺さぶり続けた創造的破壊の強風は、今や教育エリートにも牙を向こうとしているのだ。
大卒者の供給は急速に増大しつつある。高等教育統計によれば、1990年から2007年の間に、大学に進学する学生の数は、北アメリカでは22%、ヨーロッパでは74%、ラテンアメリカでは144%、アジアでは203%に増大したという。2007年には世界中で1億5000万人もの人が大学に通い、そのうち7000万人はアジアの大学に在学している。経済的新興国、中でもとりわけ中国は欧米のエリートに対向しうるだけの大学の育成にリソースを注いでいる。この新興国では、タタ・コンサルタンシー・サービスやインフォシスのような専門サービスを業とする会社も生まれつつあり、これらの会社は新卒生を世界クラスのコンピュータープログラマやコンサルに育て上げている。詰まるところ、富かな国の最優秀層は、より少ない賃金で沢山働いてくれる貧しい国の最優秀層と競合しつつあるのだ。
同時に、教育を受けた労働者の需要のあり方もテクノロジーによって変わりつつある。この状況は19世紀に農業労働者が直面し、20世紀に工場労働者が直面したそれと非常に似ている。コンピューターは反復的な知的作業のみ成し得るというわけではない。コンピューターは、アマチュアにプロのごとく仕事をこなせるようにする力を与えるのだ。どうして生身の会計士を雇って納税申告をしてもらう必要があるだろう? そんなものは、Turbotaxを使えばわずかな費用でやれるのだ。今後、論調と言語的曖昧さを処理できる機能が備わるようになれば、コンピューターがこなせる仕事の種類は今の何倍にもなるだろう。
Paul Krugmanを含む経済学者の一部は、ポスト工業化社会の特徴は絶え間なく続く知的労働者需要の増大ではなく、巨大な「空洞化」にあるのだと論じている。この「空洞化」は、中級職が賢い機械によって取って代わられ、上級職の増加が鈍化することによって起こるのだという。MITのDavid Autorによれば、このコンピューター時代におけるオートメーション化の主たる効果は、ブルーカラー職の消失というより、ルーチン化できるあらゆる職の消滅にあるという。プリンストン大のAlan Blinderは、低賃金の仕事よりも、大卒が伝統的にこなしてきた仕事の方が比較的「オフショアしやすい」と論じている。配管工やトラック運転手はアウトソースすることができないが、プログラマの仕事ならインドに頼むことができるからだ。
大学教育は、未だに医療・法・学問といった巨大なギルドの入会資格になっていて、このギルドは安定した高賃金な職を生み出している。これらのギルドは前世紀において非常に強力な参入障壁として機能してきた。この障壁は時には正当な目的に出たものだったが(誰も床屋に手術されたいとは思わないしね)、他方で自分たちの利益を目的としたものでもあった。しかし、ギルドは次第に没落しつつある。新聞はブログとの戦いに負けつつあるし、大学はテニュア付きの教授をテニュアの無い職に置き換えつつある。法律事務所は「discovery」(訴訟に関係のある資料を探し出す仕事)のようなルーチンの仕事を、Blackstone Discoveryに代表される電子検索の専門集団に外注しはじめている。医者ですら安泰ではない。患者たちはオンラインでアドバイスを受けた上で、ウョルマートの新しい医薬品センターを利用して治療を求めるようになりつつあるからだ。
MITのThomas Maloneは、このようなオートメーション化・グローバリゼーション・自由化といった流れは、もっと大きな変化 - すなわち「知的労働の分業化」という流れの一局面かもしれないと論じている。アダム・スミスの工場マネージャがピンの生産を18の手続きの分割したように、企業はますます知的労働を細切れにしつつあるのだ。例えば、TopCoderはITプロジェクトを小さな塊に分けたあと、その細切れをフリーランスのコーダーに分配するという方式を採用している。
このような変化は間違いなく知的労働者の生産性を高めるだろう。消費者はサービスに対して高い対価を要求する専門家ギルドを避けて通れるようになるし、多くの知的労働者は退屈な仕事を外注することで自分の最も得意な仕事に集中できるようになるのだ。しかし他方で、この知的労働の再編の流れは、次の世代の大卒者の人生を、はるかに不確定で安住できないものにするのだ。
2011 9/8 失敗したものと部屋の選び方を追加しました
2012 9/29 わあ!また上がってるぜってことで、またちょっと追加です。
見た目の良さは度外視している。
本当にずぼらでめんどくさがり(しかも貧乏)だが、できるだけ清潔に便利に(そしてできれば健康に)暮らしたいという人向け。
そんなの今更目新しくねーよってことばかりだけど一応。
俺は、めんどくさがり屋だが、それ以上にパンクしやすい人間だ。
ゴミ、未実行の工程(畳む、拭く、しまう)などが貯まると、パンク、というかショートして何もできなくなり、どんどん散らかり汚くなっていく。
だからできるだけ、工程を減らしつつ、ひとつひとつの工程のハードルを低くしつつ、散らかりにくくすっきりした暮らし方を目指している。
■オサレじゃなくていいが、すっきりと清潔にしたい
■できるだけ自炊したい(俺は人工甘味料で腹を壊しやすい体質だし、カップラや弁当を食い過ぎるとニキビができるからな)
おれがとりあえず言いたいこと
■整理整頓ができていないと、掃除はできません
■食事は【体に良い物を取り入れる】よりも、まず【体に悪いものを取り除く】方が簡単で効果的
■↓意外ににめんどくさくないこと
金のある人はもちろん外食やなんかでもいいんだが、俺は如何せん金がない。
メンドクサイ→外食、ってできればいいんだが、それができない。
メンドクサイ→でも金無い→カップラーメンとか安い弁当→体調壊す、ってなっちゃうんで、
体に良い(マシ)なものを、いかにインスタント食品のように簡単に(できれば美味しく)食すか、という風に工夫している。
ご飯やスープを冷凍していれば、カップラーメンをたべるのと同じくらいの時間で、腹を満たすことができる。
■↓失敗した!!
■↓これから引っ越したり、新生活をはじめるやつに言いたいこと
■↓ミニ知恵
続ける秘訣は在庫を切らさないこと、つまりはまとめ買い、かもしれない。
アルコールティッシュなんかも、
なくなる→詰め替えがない→買い忘れる→また買い忘れる→なんとなくヤル気失せる、
ってなっちゃうんで、クイックルワイパーとか、アルコールティッシュなんかは買いだめが良いです。
■追記(11/08/29)
もちろん何もかも習慣化してシステマチックに動くのが一番良いかもしれない。でもなかなかできない、ずぼらだから。でもできるだけ頑張ります。
服も何度もたたもうとしたんだが、
最初は調子よく畳む→忙しくなったりで畳めてない洗濯物がたまる→パンクする、ということの繰り返しになってしまう。
確かに俺はずぼらに見えないかもしれない。
でも俺はハウスダストアレルギーと弱い腹の持ち主なので、ある程度きれいにしておかないと、鼻水下痢お化けになってしまうのだよ。
その条件下でいかにサボるか、という風に生活していたら、こういう感じに落ち着いた。
実際俺は、一人暮らしを始めて2年くらいまでは、半年に1度くらい必要に迫られて大掃除をするだけ、六畳間が一杯になるほどゴミを貯め、食料を腐らせ、食器をカビさせ、洗い物のたまったシンクから腐敗臭をさせ、あらゆる粉類をこぼしまくり、出したものは出しっぱなし、服は床に山のようにぐちゃぐちゃに…という生活をしていたのさ。もちろん友達なんか呼べねぇ。生活の質も著しく悪い。台所がちらかって料理できないから、出来合いのものばかり食って腹を壊し、大事なモノもすぐなくす。毎日ホコリやカビのせいでかゆいし鼻水だらだら出るし。
これはそういう事態を改善するための最低限の習慣なんだよ。
そしてこれは、そんな俺にできる精一杯のことだ。はっきりいってこれ以上やることを増やすと、パンクして元の状態に戻ってしまうだろう。
■蛇足(11/08/30)
まあ、ずぼらに思えないわな。真のずぼらのみなさん申し訳ない。
なんというか、別にホコリで痒くなったりしないし、腹も壊さないし、ニキビもできないし、ものをなくしたりしない人ならば、
掃除とか整理整頓とかしなくていいんじゃねーですかね。こういうのは必要に迫られてる人だけすれば良いというか。
俺も数年前までは、自分はそういうことが必要のない人種だと思っていたし。
でも、あまりにも常に鼻をずーずーやっていて目が充血、ひどい時には喉がピーピーなりだすので、
こりゃなんだろうと病院へ行ったら、ひどいハウスダスト(その他あらゆる花粉)のアレルギーだったことが判明したのですよ。
「よくこれまで我慢できたねwww」と医者に笑われるレベル。
それで、抗ヒスタミン剤なんかを飲んでやりすごそうとするんだけども、眠くなったり、ホコリとかダニが多すぎて薬が効かなかったりやらで、
こりゃいかん、と少しはがんばろう、と思ったわけですわ。
それに、脂漏性皮膚炎という皮膚の病気と、脂っぽいものと甘いものですぐにニキビだらけになる顔の持ち主なんで、
ところが、小さい頃から母に、
「出したものはしまいなさい!」「服を脱いだら洗濯機に入れるか畳みなさい!」「蓋を開けたらしめなさい!」「ものをこぼしたら拭きなさい!」「部屋を片付けなさい!」を、
家を出るまで言われ続け、1度もできたことのなかった俺なので、本当にできないんですよ。
「ふっ。本当のライフハッカーにゃ特別な道具なんていらねー。砂糖の袋なんか洗濯バサミでとめときゃいいんだよ」
とか思ってやってみるんですけど、その一手間「洗濯ばさみで袋を閉じる」ということが出来ず、開けたまま放置、湿気て塊だらけにした挙句、こぼす。
野菜食おうと思って野菜炒めとかつくるけど、思ったより野菜食えない割に手間かかるし美味しく作れないし、ですぐにやめる。
そんなかんじで試行錯誤してるうちに、いきついたような感じです。
来月からはたまた来年から、新生活がはじまるかもしれない大学生諸君。
僕が上手にいいバイトの見つけ方を伝授しようと思う。
絶対この通りにしろという訳でなく目安にしてくれ!
自作POPとは手書きでポスターが書かれている所のことをさすぞ!
そういう店は総じて店長が厳しい!加え働いている人も厳しく陰湿な場合が多いのだ!(なにかと店長に告げ口する。ちょっとしたことでぐちぐち)
2。声が大きい店は避ける!
やる気に圧倒的される!だらだらと過ごしたいのに振り返ったらあれ…俺…バイトしかしてなかったぞ…ってことになれかねかない!はっきりといおう!バイトの経験など就活ではあまりやくに立たないぞ!
3。平日の昼前に下見する!
4。下見は一週間する!
どんなにやる気がなさそうにやっていても、毎回同じ人がいたら要注意だ!
もしそんな所に入ってしまったら、次はお前がそいつの番になってしまうぞ!
5。バイトに憧れを持つな!
バイトはバイト!うちはバイトじゃなくて仕事だから。なんていっちゃうところは小さなことで「君もう辞めていいよ」なんていわれるぞ!
折角の大学生活だ!そんなところに身を投げるな!
そしてサイクルをみつけろ!いっつも情報誌に求人を出している所はもう本当にオススメはしない!
おいら社畜になりたいっすわ!なんて奴は止めないが学生生活を謳歌したいなら絶対に
さけろ!
7。じゃあ何処がいいのか?
夜勤の一手にかぎる!
深夜になると全く人が来なくなってゆっくり仕事ができるしなにより、そういう店はみんながシフトに入りたがるので突然の急用のときに変わりに入ってくれたりする!最悪は大学の近くの夜勤だ!深夜になってもドンチャン騒ぎで、住民イライラこっちもイライラ!犠牲になるのは弱いこっちでいわれのないクレームがきたりもするぞ!
最後に…
嫌でも就職すれば働かざるおえないのだ!時間さえあればなんだってできるし、暇ならパソコンいじってアニメでもみればいい!そんなことできるのは今だけだ!
諸君の健闘を祈る!
また保護者の皆様、本日はお子さまのご卒業 本当におめでとうございます。
保護者の皆様の陰に陽にご協力をくださったおかげでPTAを無事に活動することが出来ました。
本日、皆さんは6年間の小学校生活を終え卒業します。6年前背負っていた大きなランドセルは今は小さく感じることでしょう。この陰には、先生、お父さん、お母さんの多大なる愛情がありました。今日、家に帰ったら「今まで育ててくれてありがとう」とお父さん お母さんに言ってみてください。感謝を忘れた人に立派な人はいません。今恥ずかしいかもしれませんが 区切りの今日だからこそ お願いします。次に反省です。反省と似た言葉に 後悔があります。後悔とは「何であんな事をしてしまったのだろう」と悔いることです。それでは成長はありません。間違ってしまったとしても、「もう同じ失敗をしないようにしよう」と反省することで、また一歩成長、自分を大きくすることが出来ます。
これから皆さんが向かっていく未来は あかるく希望に満ちあふれています。
そこには 皆さんしかできない「使命」が必ずあります。今はやりたいことが見つからないかもしれない。わからないかもしれない。だからこそ自分の可能性を広げるために勉強をするのです。勉強をし知識を広げることで、自分のやりたいことも使命も見つかります。そのために「努力」するのです。勉強をしたくない日も、学校に行きたくない日もあるかもしれません。しかし、自分の弱い心に負けず、一歩ずつでも努力することで、将来 必ず成長した自分を自覚することになります。自分に負けない勇気、一歩ずつの努力がこれからの人生を 希望にあふれたものにしてくれます。
新しい生活は不安でいっぱいかもしれません。その不安に負けて元気をなくしてしまうのか、それとも不安だからこそもっと頑張ろうと自分を励まして進むのか、それだけの違いです。
最後まであきらめてはいけない。あせったり投げやりになってもいけない。やるべきことを決めてきちっと挑戦していけば成長できるのです。生きている限り「もうだめだ」なんてことはひとつもありません。大事なのは「なにが変わるのだろう」ではなくて、新生活をきっかけにして「なにを変えるか」です。「中学生活はどうなるのか」ではなく、「中学生活をどうしたいのか」です。自分の意志が大切なんです。人間自身が「どうしたいか」で全部決まるんです。だから「希望こそ力」なんです
いよいよ君達の時代です。大きな 大きな もっと大きな夢を持って立ち上がってください。
人間は絶対にこれだけはやりとげるんだ と固く決意したら大抵のことはできるものです。
君たちの活躍、成長を先生、お父さんお母さん みんなが期待しています。頑張って下さい
なお 最後になりましたが、児童たちを教育してくださった、先生方及び来賓の皆様に、これまでの努力を感謝いたしまして、私からのお祝いの挨拶とさせていただきます。
かなりカツカツな経済状態なの知っているのに婚約指輪の話するので内心経済感覚が合わないのでは?と思ってしまった。
結婚後の生活を充実させた方が良いに決まっていると思っていたし、新婚旅行におかねかける方が有意義だと思っていたからね。
でも冷静になって、相手がなぜ欲しいのかとか丹念に聞いていくうちに、腹決めて買う事にした。
どうやら、そこを節約されるのは自分を安く見られているようでイヤな気分になるという事みたいだった。
あと、両親や親戚に対して安心させたいみたいなのもあるみたいだったね。
買うと決めたら、こっちの方がやる気になって調べまくった。
銀座を何日も見て回って話し合って、結婚指輪はブランド重視・婚約指輪はカラット重視にする事に決めた。
30万以下ではあるけど当時のオレにとってはかなりの金額。
(だってそれ以外にも結婚指輪や結婚式費用、新婚旅行や新生活の新居の費用まで掛かるんだもんな・・蓄えの大半を使う事になるんだから)
最後は疲れて、お互いもう何でも良いやって位になったな
向こうの親も喜んでくれたみたいでまあ、角が立たなくてよかったのかな。
彼女も気にしてくれたのか、結婚前には良く付けてきてくれてた。
でも結婚しちゃうとね〜日常生活で付けるモノじゃないから見た事ないや。
このまま死蔵されちゃうのかしらん。
ドレス着るような場所に連れて行ける経済状態になるようにがんばらなくちゃな。
実際、新成人が最低限の持ち物で親から離れ一人で生活を始められるかっていったらかなりきついと思う。
1人暮らしをしようとしたら、地方でも150万はする。
東京だと200万くらいはすると思う。
家具家電と最低限暑さ寒さがしのげる衣類が着まわせる数だけあっての話。
家具家電、生活必需品を買い揃えると100万くらいは軽くかかるんじゃないかな。
テレビと携帯と冷蔵庫と電子レンジと炊飯器とガスコンロと照明器具と洗濯機とカーテンと布団一式と食器と鍋と、ここらで既に30,40万はするんじゃない?
地方だと車が必要だろう。
今の若者の1/3が非正規なんでしょ。ローン組めないよ。
保険も新規だとえらい高いよね。
手取り年収で300万くらいまでは実家を出たら生活するだけでトントンだと思うね。
将来の蓄えもしながら暮らしたいってなると、手取で350万くらいないと自立できないと思う。
その時代を生きてたら、カラーテレビだろうとマイカーだろうと買ったと思うよ。
どんなに長い、どんなに割高なローンだって、年功序列終身雇用ってなら組める。
1人暮らしだってきついんだもん。
1人3000万かかるらしいですぜ?子供の衣食住で1600万、教育費で1400万だったっけかな。
実際、結婚するカップルの7割が額の多寡はあれ結婚資金(結婚後の新生活を開始するための資金を含む)を親から援助してもらってる。
新卒でブラック会社で有名なところに入り、ハードな業務と新しい街。
これまで育んできた交流関係と一切を絶たれた生活になって1ヶ月くらいした時。
「元気?なにしてるのかと思って。」とメールが来た。
彼女は大学2年の時に一瞬だけ付き合ったけど、やっぱ無理って言ってきて終わった彼女だ。
いや、彼女なんて言えないようなもんで、俺は正直なにも彼女のことをしらない。
(つまり、以下GirlfriendじゃなくSheの意味で彼女つーわけで)
ほんと偶然その時に、あの子は今どうしてんのかなーとふと妄想していた時だった。
いい男な今の彼氏に俺のことディスったりしながらも、
楽しく新生活の事ネタにおしゃべりデートでもしちゃってんのかなって。
だけど、実際は色々と大変で親と別居状態。兄弟と楽しく暮らしているとのこと。
6割は「積もる話をして盛り上がればいい友達になれるかも」
4割は「また俺に好きな人ができるかも。そしてうまくいけば・・・」。
つまり、下心。もしくは淡い期待を胸にいだき、ニヤニヤとメールをしていた。
そして一度フラれてる上に、2年経っているのもあって、十中八九もどることは無い気がして
気軽に「会って昼飯でもくおうよ!」と俺。案外喜んでくれた彼女。
しかし、俺はブラック会社の営業マン。そう簡単には逃げられなかった。
それに自分から仕事を買ってでたのもある。挫けたくなかったし、お客様扱いが居心地悪かった。
はやく仕事覚えて上司と談笑でもできる環境にしたいと思ってた。
そんなこんなで予定が見当たらず、数日後に「いつになるかわかんない」とメール。
「それでもいいよ、これから連絡とりあおうね」と返事。
社交辞令のさよならの挨拶でも、うれしかった。単純に慣れない環境の毎日の中に、知人と連絡とれている瞬間が。
でも、まだ更に目処がつかない。夜は休日出勤日なら開いているが、相手は仕事前日。
つか、夜2人で会うなんて、よっぽど親しい女友達じゃないと空気がまずいだろう。狙っているみたいだ。
あくまで昼にしたかった。
いつ会えるかわからないまま時間は過ぎ、ある日なんとなく彼女の名前をFBで見つけた。
ゼミの後輩Aとつながっていた。
メールしてる中だし、とアド申請をだした。
しかし、全然承諾がない。
気になってこの間メールしてみた。
「FaceBookで見つけたから、アドお願いしたよー。よろしくね。つか、Aと知り合いなんだ!知らなかったよ」
その返事が
「A君は私が昔興味あって紹介してもらったの。」
は、はぁ・・・
なんかすっごいすっきり半分、もしかしてこの子は寂しいだけなんじゃ...と。
そう、前回別れた原因は俺もわからなかった。
それは、誰かが好きなんじゃなくて、彼氏がいる生活がほしいだけなんだ、と。
でも、俺も寂しい時でそれを拒めない時。
俺ってハーコーじゃねー、セルアウト野郎のカスビッチだなって思った。
今後どうなんだろうね。
彼氏がほしいのか、彼が必要なのか、よく考えよう。
フェイクアスまーふぁかー
戸籍金銭住居等の手続きが一区切りしたので3ヶ月を振り返ってみる。
■離婚の方針が確定するまで(1ヶ月目)
ある飲み会を境にメール頻度が激増した事を問い詰めたら、奥さんが浮気していた事を自白した。
それが発端だった。
2週間の別居を経、元嫁が相手を選び離婚する事となった。
離婚の方針としては、時間とお金がかかる協議離婚は避け、体裁上は双方合意・円満の調停離婚とする事とした。
慰謝料は個人的な金銭授受という事とし、転居にかかる費用とあわせて分割払いする事で合意した。
話合いにあたり、あまりに不誠実な態度に何度も激昂しそうになった。
しかし、交渉が決裂し裁判にもつれ込む事が最悪の結果であると念頭に置き、
ひたすら我慢した上、脅し賺し泣き落とし何でも使って話を軟着陸する事に成功した。
交渉の最初段階で短期決着を目指す事に合意できた事が効いていたと思う。
おかしな話だが上の点について信頼関係の構築を最優先させていた。
話の筋の通し方は概ね以下の通り。
・自分は別れたくない。
・奥さんの浮気による一方的な離婚は賛同できないから、離婚届けに判を押す気は無い。
・絶対に離婚する気は無いので、勝手に出て行ったとしても一生結婚できない事を覚悟してもらう。
・それでも家を出て行きたいなら慰謝料と手切れ金として金銭を払ってもらう。
このあたりが一番精神的にキツかった。
裏切られた事による失望、
相手の男に対する怒り、など。
本当に逃げ出したかった。
しかしながら、その精神状況で離婚の方針確定・慰謝料の金銭交渉、合意書作成・転居準備をしなければならず、
休日平日問わず休まる時が無かった。
■離婚が成立するまで(2ヶ月目)
方針が確定し、後は合意書の作成の詰め、金額の交渉と転居準備が残るのみとなった。
合意書とは慰謝料をいくらどのように支払い、責任範囲を明確にする取り決めだ。
ここでのポイントは以下の通り。
・請求対象を誰にするか。
1)嫁・男に共同債務者とする。
⇒他者を求める嫌がり、話し合いが決裂しかけたので、4)となった。
・請求範囲をどうするか。
・金額については伏せるが一般的な請求額ということで合意した。
しかし、明らかに値切ろうとしている態度には堪えられなかった。
この頃は、決めた方針に沿って黙々と詰めていく状況であった。
当面の行動目標が明確に定まっていた分、精神的な負荷は薄かったと思う。
前日に転居を済ませていたので、
これをもって一連の手続きが奥さんの慰謝料分割払い以外全てが終了した。
新生活の準備がようやく整ったのが昨日。
家が広く、静かになった。
気分の振れ幅が大きくなってきている気がする。
■これから
幸い30歳前なので、ひとしきり独身貴族を謳歌する。
合コンも楽しいし、異業種交流会と称した大規模合コンも楽しい。
今回の件の痛みが無くなった頃、尊敬でき、信頼できる相手と寄り添って暮らしたい。
誰か助けてください。
まず、3桁程度のお金で変えられること
髭剃り時に血がでるなら、カミソリ、シェービングクリームを買えてみる。または電動カミソリにしてみる。
髭剃り後に化粧水を使う。
朝起きたら顔を洗う。ゆっくり洗うのがコツ。下記参照
http://plaza.rakuten.co.jp/yamapan/15002
眉毛、髪を整える。
初心者は美容院に行って、カットと眉カット頼んで、美容院の人にスタイリングの仕方とか聞けばおk
歯をちゃんと磨く。虫歯があれば直す。
歯ブラシは適度な頻度で交換しよう。
ブラシが広がったら即交換。今、いつ変えたか思い出せないなら思い切って変えてみよう。
ちゃんと毎日風呂に入る。
シャンプーは泡立ててから髪を洗いましょう。そして、ちゃんと流す。
http://allabout.co.jp/fashion/hairstyle/closeup/CU20020516/
爪はちゃんと切ろう。
耳の掃除もする。
契約とかあんましたことなくて、初めて自分で色々やったのだけれど大変だった。
■引越し業者編
サービスの質がわからないし、見積もりが基本料金のみの報告っぽく
作業中とかに追加料金発生しそうという不安があった
実際にあったこと
・電話攻撃。ネットでホームズの一括10社見積もりをお願いした直後に、数社からいきなり電話殺到。
・1万円!!とかいう便利屋の見積もりから、4万円という大手の会社まである。ん?相場は・・・・?汗
・見積もりで部屋に来て、即決を迫る営業員など
社会人大変だなー。原価知っててそれをできるだけ高く売るように、お客をいかに騙すかって感じがした。
■不要品処分編
買取りで見積もりをお願いするも、ほぼ引き取り費用を要求される流れになりそうな不安。
実際にあったこと
・まだ未経験・・・。区役所に頼むのがトラブル少なくていいらしいのだが^^;;
コレを見て、不安になった→http://blog.goo.ne.jp/mimon/e/9c7a6e82af342bcc6330569f86a102a8
十八才の時、自らの進路を決めるために志望校を決めた。本当は十八才なんて若さで将来のことなんか分かるわけないのに、その時の感情のおもむくままに、また周りの友人に流されるままに進路を選んだ。
冬になってセンターを経て受験が始まった。どこの会場に行っても、殺気に似た息づかいがひそひそと聞こえてくるようだった。寒い校外とは別に、教室の中だけは熱気に満ちていた。
第一志望の受験は一番最後だったのだけれど、その前にいわゆる「滑り止め」をいくつか受けた。受験しているときは自分が自分でないような気がして、もしこのまま受かってここに来ることになったら、いったいどんな四年間(以上)を過ごすことになるのだろうと不安にも思っていた。
幸か不幸か、その学校には合格した。あとは第一志望の受験を残すのみとなった。
第一志望の受験会場に行ったときには、足が震えていた。それは決して寒いからではなくて、周りのあまりの士気の高まりに自分がついて行けず、怖くて震えていた。それぐらい周囲の誰を見てもやる気に満ちあふれていた。
この時点で負けは決まっていた。当然ながらその学校には落ちてしまった。それも完敗だった。受験会場を後にした時点で負けを自認していた。
親には反対されたが、もう一度、第一志望の学校を来年受けてみようと思った。自分の進路に対する思いというものが、この敗北により徐々に明らかになっていくのが分かった。そう考えると、一度落ちたということは良かったことなのかもしれない。
四月になり、みんなの新生活が始まった。無事進学した者はそれぞれの場での活動が忙しいし、自分たち浪人組もまたこれから一年の戦いが待っていた。
最初は不安だった。勉強をするのは苦ではないが、それだけでこの貴重な十代最後の年を過ごしていいものか。また、勉強したからと言って確実に受かる保証をいったい誰が与えてくれるというのか。
これらの不安を払拭してくれたのは友人たちだった。授業が終わると一緒にファストフードやカラオケにいってお互いを励まし合った。自分が一人でないことを確認できた。みんなで一緒に壁を乗り越えていこうという気持ちになった。
やがて夏になり、秋が過ぎて、冬が来た。
今年もセンターの季節になった。しかし一年前とは違っていた。自分が進むべき道は自分の頭の中ではっきりと描かれていた。だからモチベーションを維持できた。この一年間、友人たちとも話しながら、決して遠くない将来の自分たちの姿を語り合ってきた。こうあるべき、とまではいかないが、こうなりたい、という希望や願望を夢とともに話し尽くした。
そんなバックボーンを抱えたまま、センターの会場に向かうと、周りの人間を圧巻した感じになる。自分は自分の力で道を切り開いて進んでいるのだという自負がある。
その年のセンターは大成功だった。予想以上といってもいいぐらいの成績を収めることができた。
二月になって、試験もいよいよ本格化してきた。昨年、事情により「蹴っ」た学校にも再び合格することができた。そしてまた、いよいよ、第一志望校の受験の日がやってきた。
受験会場に着いたときは、去年の自分とは違っていた。去年の自分のような人を横目に見ながら、さっそうと会場を練り歩き、目的の教室へと向かっていた。昨年と同じ会場で、二回目の会場なので、余裕もあった。
試験中は自分の最大限の力を発揮した。迷いはなかった。緊張もどこかへ吹き飛んだ。あるのは目の前にある真っ白な答案用紙のみ。そこに思いの丈をこれでもかとブチ込んだ。周りを威嚇するために、わざわざ大きな鉛筆音を出してカリカリと答案用紙を真っ黒にしてやった。
試験が終わって会場を出たときには、何とも言えない達成感があった。自分はやり遂げた。目標や夢というものに向かって歩き続けているという現実感を感じていた。そこに結果は必要ではなかった。自分の成長具合に自らが興奮していた。
約二週間後、合格発表があった。
…自分の番号はなかった。
もちろん泣いたが、そこには進歩した涙があった。これはあくまで予定調和で仕組まれた道なのだと、後になって十分に納得した。やるだけやって、自分が進んできた道は間違ってないと確信していた。結果というものは運命の導きであるから、それは胸を張って受け入れなければいけないと思った。
…結局、その後に受けた第二志望の学校に無事合格した。そして入学した。そのことについて、何ら負い目はなかった。確かに自分が想定していた進路は変更になったが、それについてはこの一年間で十分に吟味して、いろいろな可能性を考えていた。人間、どういう道をたどることになっても、そこで自分の力を発揮できればいいし、そうでなければいけないということを分かっていた。
結果的に受験自体は成功はしなかったけれど、この一年で得たものには限りない財産性があることを実感した。
一年前と比べると、自分の意志が確固としたものになっていたし、この一年間は決して無駄ではなかった。単なる時間つぶしのためのものではなかった。この一年がなければ、自分は人生において大きな欠損を抱えたまま生きていくことになるのだと思った。
浪人を勧めているわけではないが、人はどんな状況においてでも自分の価値を見出し、その価値を実現するために行動できるということが分かった。その信念に基づいて行動すれば、一般に辛いといわれる浪人の状況でも前向きに生きていくことができた。
今ではこの一年というのは、自分の人格形成を司った、極めて重要な一年だったということができる。そして友の存在。彼らとは未だに全く関係が切れていない。むしろ年々盛り上がっている。
自分は、こんな素敵な一年をこんな素敵な友と過ごせたことに感謝している。この時点において、自分の人生はまだ「点」に過ぎなかったが、今やそれは現在につながる「線」になっている。「点」が多くなければ「線」は存在し得ない。
そして今もまた、mixiやインターネットを経由した色々な面から「点」の形成をなしえている。感謝してもしきれない。
思えば、自分がもし第一志望に合格していたら、今の自分はなかった(もちろん別の自分があるのだけれど)。そう考えると、今の「線」のつながりを振り返り、また、前を向いて「線」を展望するに、不合格だったことはまさに運命のなせるものだったのかもしれない。
今、友人として多くの人と交流させてもらっている。これは運命なのだと。そしてその運命を今は楽しんでいるし、受け入れている。加えて、運命の「線」を先に延ばそうとがんばっている。その過程がとても楽しくて幸せである。
人によって「幸せ」といったものの定義は違うだろうが、少なくともここに一人、人生において「幸せ」をありがたく享受している人間がいる。たとえささやかなものであれ、それがみんなに行き渡ることができたらこれほど素晴らしいことはない。
人は、どんな状況からでも「幸せ」を獲得することができる。無駄な時間は一秒たりともない。自分が「幸せ」になろうと思えば、誰だってそうなることができる。間違いなくできる。「幸せ」になる権利がある。
書き始めると色々心配になって細かく書いてしまう性分なんだ。
大事なのは旦那になる人の小遣い(だったり外食費だったり)の方。きちんと決めないとダダ漏れになる。あなたの小遣いの額はきっちり決めなくても多分、やっていけると思う(問題意識を持ってここに書き込んでるぐらいだから、ちゃんと管理するだろうという前提)。ただ、平等に設定することで、彼氏の納得感が増すということはあると思う。
彼氏の夢の一つが「家を手に入れる」なら、それに必要な費用を数十年単位でプランニングして逆算していくといい。平均的な給料で毎月の外(中)食費に10~15万かかるような生活を前提にローンを組む。それが、どれだけ無謀なお話なのかということを数字で知ってもらうのもいいかもしれない。DINKS なら一応、やっていけるだろうけど。子供が欲しいのであれば、1人につき平均年間60万(これは最低ライン)ぐらいはかかる見込みでプランニングする必要があると思う。
自分でプランニングするのが難しければ、FPに頼んでみるとか。相談料は安くはないけど、これからの人生で出て行くお金を考えれば相談しておいて損はないかも。
挙式もあきらめなくてよさそうなやりようがあるんだと開眼したーー
私あきらめが早すぎるのかも。今後は調べてみてだめだったら諦めるようにしようと思う。
ただ調べてもたいがい「先立つもの持ってこいや」って書いてあることが多くてあきらめが早くなった。
後払い OK な式場もあるので探してみて!(ゼクシィとかにはあんまり載ってないかも)
ホテルは難しいかもしれないけど、個人経営のレストラン(レストランウェディング)なら、事情を話せば1週間ぐらい後払いにしてくれたりもするし。
あなたに立て替えられるだけの貯金があるなら、共済系のウェディングプランはかなりオススメだよ。
http://www.tomin-kyosai.or.jp/bridalplaza/service/plan.html
60人呼ぶとして基本プランで120万。この金額なら諸費用を上乗せしても確実に黒字になる(親戚が多いなら大黒字だ)。都民共済と埼玉県民共済のウェディングドレスを見に行ったところ、値段から考えれば十分なクオリティではあった。探せばそれなりに素敵なデザインのものもあると思う。何着借りても追加料金なしだったりするので、その気になればお色直しし放題。引き出物もおそろしく安く、それなりに良質なものを仕入れることができる。
お金がなくても、その分しっかりプランニングすれば何とか式は挙げられる。
自分は、Excel で「結納」「挙式」「新居」の大項目に分けて、それぞれ細かく見積もりしたよ。婚約指輪から挙式のオプションの1つ1つ、新生活に必要な敷金礼金、家具、台所用品にいたるまで嫁と話し合いながら何度も何度も修正した。結構大変だったけど、今思えばあれが、結婚するっていうことの夢と現実を、歩み始めた第一歩だったのかもーって思う。こういう土台があったから、住宅購入の際も、30年先までをプランニングしながらスムーズに話し合うことができた。
ちなみに、婚約指輪を諦めて結婚指輪を多少豪華なものにするというやり方も最近はあるようだ。結婚指輪は毎日するけど、婚約指輪ってオシャレしてお出掛けするときぐらいしかしない、ということを思えば合理的にも感じられる。うちは、式場で貰った優待割引券を使って安く買えたよ。結婚指輪に限って言えば、一番シンプルなプラチナ製のものを選んで、2人で13万ぐらいだったかな? 婚約指輪は店の2階にある暗い部屋で6時間ぐらい迷い続けていたら、何故だかどんどん値引きしてくれて、結局25万になった(石38万、リング5万のセミオーダー。こんなに安くなるとは思ってなかった)。ダイヤモンドシライシの副店長お姉さん、あの時はありがとう。
指輪をつける習慣なんてなかったし、欲しくもなかったけど。毎日外すことなく身に付け続けている嫁を見て、自分もそうしようかなぁという気になり、あまり外さなくなった(寝るときも付けている)。
こういう知識って無縁(?)で居たからか皆目分からない。ただの世間知らずって言われると耳が痛いけど。
私も彼氏も増田とあまり年齢も変わらないんだけどこんなに差があるとへこんでしまった。
私の彼氏もあなたのようにしっかりしてたら私はどんなに楽だったんだろうか。。。
必要に迫られて調べるようになれば(あなたの場合、これからだ)、すぐにこれぐらいの知識は手に入るよ。俺は本来、全然しっかりしているタイプではないんだ。そもそも結婚を決めた時点で100万の借金があるというのはかなり致命的だよね。
嫁は、よくもこんな俺を信頼して待ってくれたと思う。その信頼に応えたいと今も思ってる。
そもそもお金が無いだけが問題じゃないのか!?
うわーーーどこから手をつけよう!!貯金からだよバカ者っていう話かーー
どこから手をつけるか?ネックになっているのは、外食費なんでしょう?外食費を削減できれば、ダイレクトに貯金にまわせるわけだから。そこをクリアできる目処がたたない限り、前に進むのは難しい気がする。放置しておいてもいいが、いつかはメスを入れなければならない部分だと思うよ。
「食いたいもの食うために働いてるんだ!食い物は我慢せん!」がいつものセリフ。
でも大食らい。すごい食う。食費がすごい圧迫しそう。コワー
観察記録、見せてもらった。これはスゴイ。。まとめると、コンビニで朝飯+夜食+タバコで1200円。一服がてらスタバで1500円。ランチ1200円。夕食1000~3000円。
同棲して朝晩一緒に食事してみるのはどう? 手作り弁当を持たせてあげることができればなお素敵(抵抗なければ)。あとは、スタバでの費用が結構ばかにならないねぇ。そんなにコーヒー好きなの?うちのコーヒー好きな上司は、挽いてもらった豆を持参して、デスクでドリッパーつかって飲んでるけど。
http://www.cakesjun.net/coffee/STABAnikki-6.html
まぁ、こういうのは本人が問題意識持たないとどうにもならないんだけど。彼がどれぐらい本気で結婚したいのか?とか。結婚後の生活をどう考えているのか?とか。夢と現実と両方の側面から、地道に話し合っていくしかないんじゃないかなぁ?夢と現実を同時に話すよりも、夢は夢で大きく広げて。その後に、現実的な話をつめて、また夢を話して・・・みたいにメリハリをつけて話し合う・・・とか、試してみるとよいかも。
「不当なルールを守る義理はないので「ルールなんだから当然」は全然当然じゃないだろう、当然。 - 腐男子じゃないけど、ゲイじゃない」をみて脊髄反射的にエントリ。
「私服の何がいけないのでしょうか」ってことですけど、まず、中学生ですよね。お洋服って、ユニクロで買ってもTシャツ一枚1000円前後しますし、セレクトショップにいった日には、ちょーーーーー安いところで4000円以上、普通の裏原系でも8000円くらいからスタートで質によって値段は色々、私がいつも行っている代官山の店だと13,650円~はします。
まあ、別にカリスマバイヤーがコーディネートしなくても、クオリティにこだわらなくとも、私服調達には最低1000~2000円はかかるということです。
そして、お洋服って、次々と流行が変わってきますから、放置しておくと、いわゆる「増田でファッション講義を受ける人」になります。それを放置しないためには、3ヵ月に1度は、頑張った私へのご褒美が必要になりますよね。中学生だと、義務教育の期間は普通、アルバイトとかできないじゃないですか。なのに、服を買うと、定期的にお金が出ていく訳です。
で、ですけど。そのお金はどこから出てくるのかっていう話です。
「カツアゲ」は言語道断ですし、カツアゲをしてなければ親からですよね?いずれにしても、中学の段階で、嗜好品に恒常的にお金を費やす行為に慣れていくのは、感心しない感じです。
ちなみにALL ABOUTをみると、中学生のおこづかいの相場は以下のとおりでした。
<中学生>
・最も多く回答された金額2,000円
・平均額2,738円
・最も多い回答の金額帯1,000-2,000円(27.7%)
・次に多い回答の金額帯2,000-3,000円(24.1%)
最も多い回答の金額帯が1000-2000円なわけですから、Tシャツ代1000-2000円だと、下手するとそれだけで1か月のお小遣い使いきっちゃうってことで・・・。下着代はこづかいとは別にもらっている子が多いかもしれないとも思いますが、Tシャツ代親があげちゃうかなぁ。あげちゃうとしたら、親も困った親ですよねぇ・・・。
そういう訳で、私個人の考えとしては、中学生の段階で、自分でお金を稼ぐ能力もないのに、お洋服のような嗜好品にお金をかけることを覚えるのはイクナイと思います。自分でお金稼げるようになってからしろっていうことです。そういう意味では、ニコニコ動画プレミアム会員も同様です。
固い話をすれば、そういうものに対してホイホイお金を与える親はわが国の戦後民主主義の弊害の最たるものと思うし、そうじゃなくて、こっそり自分でお金を調達しているとすれば、おおかたは、善からぬことにかかわらざるを得ないことになるのではないでしょうか。
あ、あと、教育的根拠はよくわかりませんが、思春期や中二病のときのようなホルモンバランスが崩れがちなときに、奇抜なファッションをさせると、心が乱れたり、社会のいち歯車としての自覚が根付かないとか根付くとかいう話もありますね。まあ、心への影響はいかほどかよくわかりませんが、受験の際の内申書には、なんだかとてもよくない感じはしますね・・・。
一つは卒業旅行の為(それ以外にも学費のためなどと理由はある)にバイトしてお金を溜める人
もう一つは親のお金を使う人
前者の方はそれなりの努力をしていると思うので、私は特になんとも思わない。
でも正直後者の方は見ててちょっとイラっとする。
別に自分はいけないからと僻んでる訳ではないが・・・。
いくら家庭の財布事情が違うとは言え
何か納得行かないものがあったりする。
それで「自分は浪費家だから~」「頑張った自分へのご褒美(*´艸`)」で済ませてるからイラっとする。
そういう奴に限って大した努力をしていない。
頑張ってる自分みたいなのを必死にブログで演じてるだけだと思う。
これを俗にスイーツ(笑)と言うのかもしれないけど。
親の金で卒業旅行にいったレポを何回も更新しててうざいので、ブログ読むのを辞めた。