幸せってたぶんその人にとっての生きやすさ(あるいは息やすさ)なんだろうな。それがベース。何よりも大切な基盤。
生活保護とか金がどうこうってのじゃなくて、愛だの恋だの、モテるモテないコミュニュケーション能力云々とかじゃなくてさ、もっと根源的に平らかな思想があると思う。
無論、そういったことが基盤になってる人だっている。パーソナリティーの基礎として人格にとっての重要な位置を占めている人は確かにいることだろう。
将来を見通して計画的に目標を乗り越えていくことが、すなわちその人にとっての生きやすさを保証したり実証することだってあることだろうし。
だからそう言った人々を否定したり馬鹿にしたりするつもりはない。そもそも幸せの基盤を比較できる確かな尺度を持ち得ていないから判断できない。
人は人、自分は自分。つまりはそういう事で、どんな基盤だって正解だろうし、間違っている部分があるのだと思う。
話がズレた。平らかな思想について。その上に積み上げられていく、幸せを形成するたくさんの部品について。そんな事のはずだったのに、どうにもダメだ。
まあいいか、こんなポエムチックなもので。いやポエムにすらなってないか。とにかくもうこれでいいや。
幸せはその人にとっての生きやすさ(息やすさ)に相応/比例する。
すごく当たり前のことだったけど、ちょっと前に気がつけたので取り敢えず記念に残しておこう。
それにしても、こう云った一瞬の「気づき」には鮮度が大切だね。三十分ほど間を空けるだけで随分とツヤが落ちてしまう。
信じられないほど便利になった。
「11時までやっていて定価で商品が売ってて珍しいものが沢山あるよ!」
って大騒ぎになった。
親同伴で「連れて行ってもらうところ」だった。
そのうち24時間営業になって、ジャンプが日付変更と当時に棚に並ぶので
こっそり夜に家を抜け出して買いに行くようになった。
その頃は景気が良くて高い時給のために大学生が店番やってたと思う。
でも身の回りはどんどん便利になっていくのに、
それに合わせるかのように仕事も忙しくなっている。
24時間スーパーがこんな田舎にって思ったけど自分も使っている。
そこの店員さんも深夜シフトで人を減らしているのに終電で人がドバッと来ると
手が足りないのに優しく接客してくれる。
夜明けにコンビニに行っても奥から仮眠をとっていたっぽい人がつらそうに出てくるけど、
メール便一件でも迷惑な顔もぞんざいな接客もせず対応してくれる。
国内メーカーのノートPCを誤って落っことした時にカスタマーサポートに連絡した時も親切に丁寧に話を聞いてくれた。
集荷には宅急便の人が梱包材を持ってきてくれたのでPCとACアダプタと保証書だけ渡せばよかった。
幸い、ブラックではなく残業時間も管理されていて残業代もしっかり出る。
でも、慢性的に誰かが調子悪くて、誰かが徹夜作業でそのままアラートがでないか職場待機していて、
うつ病でやめていく。
家賃手当、家族手当がないけど既婚者男性の妻は例外なく専業主婦になっている。
経理など事務系の仕事は子会社にアウトソースされていて常に「若い女性」が担当している。
共働きのご夫婦の奥さんは昔だったら日中のパートだけだったけど、
夜っていっても水商売じゃなくて、24時間スーパーの深夜シフトだったりコールセンターの夜勤だったりする。
くたくたになって子どもの学費や家計のために働いている。そして親の介護も。
ちきりんさんじゃないけど、便利になっているけど幸せは減っている。
内需から外需に産業形態をシフトととか抜本的なことも必要だけど、
何をすればいいんだろう。
(コメ欄に書いてみたのだが、承認制なのか出てこないのでこちらにも ← 他のコメは載ってるようなので、意図的に無視された模様)
(さらにブコメでもっと適切な資料が出てきた http://www.escj.or.jp/news/2006/061020_gijyutsu.pdf via comma3 http://b.hatena.ne.jp/comma3/20110629#bookmark-48771386)
結論(熱中症になったら全く意味がない)には全く異論はないのですが、交流系統の場合、専門外のひとが想像しないいろいろとややこしいことがあるようで、「90%超えたら不安定になる」は必ずしも嘘とも言い切れないようです(個人的には95%ぐらいまでは平気なんじゃないかと思ってますが)。
ちょっとわかりやすい資料がないのですが、例えば古い論文で恐縮ですが、以下の文献をご参照ください。
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/123456789/5588/1/No26p75.pdf
これは沖縄電力の例なので、東京電力とはまた事情が異なりますが、ポイントとしては「安定状態と過渡状態がある」ということと「過渡状態に陥いった時に、回復できるかどうかは系統の余裕(追記: 及びバランス)に依存する」という内容についてのシミュレーションである、ということです。想定されているのは「事故」で、例えば漏電や地絡などといった事故が発生した場合に発電機が系統から離脱します(過渡状態)。そこから安定状態に持ち込むための制御ができるかどうか、という問題だと思います。
図8(←誤り: 図6)以降が事故からの復旧のシミュレーションで、横軸が時間、縦軸が周波数ずれになります。で、並列同期運転している交流発電機ですが、周波数ずれが一定を超えるとどんどん系統から外れていってしまうことがわかります。もちろん、総供給量もその分減ってしまいますので、需給が逼迫していると、ほっとくとどんどん発電機が離脱してしまい、最終的には全域停電につながる、というストーリーもありえます。(追記: もちろん、そうならないように安全回路が施してあります。想定内の事故であればその回路で切り替えるので、一般の利用者が気がつかない間に過渡状態から回復するはずです。)
と、いうわけで、一般論として間違いであると断ずることは難しいと思います。もちろん、過渡安定度がどの程度あるのか、という点については東京電力に聞かないとわかりませんが、閾値があるわけではなく、100%に近づくにつれリスクが徐々に高くなる、ということだと理解しています。あとはリスク(どの種類の事故がどの程度の確率で起きるか)の見積りになりますので、そこをどう見積って最大供給量を出しているか、というところがわからないと、何とも。
まぁ、自分も素人に毛が生えた程度の非専門家なので、間違ってるかもしれませんが、ご参考までに。
# ああ、専門外ゆえに全く間違ってるような気もしてきた‥‥‥
人生の中には悲しみがある。
けれども、悲しみに押し流されて
しまわないように。
また、
暗い考えにふけってもならない。
こころを喜ばせよ。
震えるこころをなぐさめよ。
心痛はおまえを
シラの書 第30章
「部屋が女の溜まり場になっている」(http://www.geocities.co.jp/ocult_utopia/)
幽霊が見えるという若い男が、2chのオカルト板の住人に唆されて、
部屋にいる若い女の幽霊とコミュニケーションを取ってからの顛末をまとめたものである。
>>1の若い男が律儀なヤツで、いちいちオカ板に報告するものだから、
一連のエピソードがストーリーとして読みやすくまとめられている。
>>1の語りが本当かどうかは別にして、なかなかよくできた話で、
幽霊的な怖さは殆どなく、ホロリとする結末でまとめられている。
オカ板住人は当時相当な盛り上がりだったようで、
>>1を励ますために、なんとオカ板住人の少なくとも数十人が、
自室で、全裸で、「びっくりするほどユートピア!」と絶叫しながら、
自分のケツを両手でタタいて踊り狂っていたというのだ。
で、何が言いたいかと言うと、このエピソードのクライマックスを迎えた日付である。
この日は、オレが以前、10年ちょっと勤めていた一部上場企業を退職した日である。
オレが最終出勤日として胸を張って会社に出かけた日、
日本の別の場所のどこかでは、そのようなことが起こっていたとは、感慨深い。
>>1によれば、当日>>1に起こったことは実に感動的なできごとだったようだが、
たとえそうであっても、その前夜に「びっくりするほどユートピア!」と全裸で叫んで踊っていたヤツが、
全国に数十人はいたであろうことはほぼ確実だ。オレにとって特別だった日に。
この前久しぶりっていっても2ヶ月ぶりに母親にあったわけ
そしたら「お父さんがぼそっとあんたはもう帰って来ないのかなっていってたよ。お父さんも馬鹿よね~。俺ちゃんの就職は他県でするのに帰って来れるわけないじゃないってお父さんにいったのよ」
その時は俺も母親につられて笑ってたんだよ。帰れるわけないじゃんって感じで。
もうそれだけで俺クタクタ!しかも研修先俺の一人暮らしの家から遠いし、しかもしかももう熱すぎて研修行きたくねえのなんの。
初日にし挫折寸前ですよ!!!汗でべとついた身体でとぼとぼ歩いてるとさ、なんかヘッタクソな歌が聞こえるわけ。その聞こえる方に少しづつ歩いて行くと一軒の居酒屋についてそこからヘッタクソな演歌が聞こえてくるんだよ!コノヤロー下手くそっていってそそくさと逃げようかと思ったら俺呆然ときいてんのw
で、親父の言葉が脳内再生だよ!俺の頭の中には親父のしょぼんとした顔が浮かんでくるんだわこれが!
そしたら不意に泣いちまってさ。止まらねえわけよ!
俺の親父って母子家庭だったから親父っていうのの存在が分からねぇから、俺ちゃんと上手くスキンシップがとれないって昔母親からきいたの思い出してもっと泣けて来るわけ!
そうか親父は不器用だけど親父なりに俺を思ってくれてたんだなぁって!
ああやべぇ!くそ!なかせんじゃねぇよ!
そんな感じなことを言って、中学教師になった奴がいる
希望が無い(-1) → 終わりを望む(-) が それを止める材料として 恐怖がある(+2)
プラス/マイナスはポジティブネガティブの意味ではなく拮抗していることを指します
この二つを対比してしまうと
希望が恐ろしく無い(-10000) → 終わりを望む(-) が それを止める材料として 恐ろしいまでの恐怖がある(+20000)
他にも色々表れます。
回答者の話をさせていただきますと、まず前提として、回答者は長生きを望んでおりません。終わりを望んでおります。
その時点で-です。現時点での死を積極的に行いはしませんが、未来に対しての希望というものはございませんので、マイナスとなります。そうなると、そもそもの「長生きを望む(+)→恐怖がある(+2)」これが成り立ちません。長生きというのを1秒たりとも長生きとおっしゃるならば話は別ですが、回答者が申しているのは、漠然とした未来のことを差しております。恐怖とは、死に対する抑制には成り得ますが、決して積極的な生への渇望には成り得ません。ですから、恐怖=希望とは成り得ないというのが私の考えです。
仮に、私の考えを無視してそれを厳密に数値化したとしても、回答者の場合「長生きは望まない-1 死にまつわる恐怖+1 =0」となります。本文をご理解いただいておれば分かると思いますが、回答者はただなんとなく生きております。それは生まれ落ち、現状について意思を持たずに維持しております。それはまさに0の状態です。もしマイナス要因が加算されれば死ぬでしょうし、プラス要因が加算されれば長生きを望むかもしれませんが、現時点ではどちらに振れることもありません。
話を戻しますが、あなたのおっしゃることは、恐怖=希望という図式になるのでしょうか。死への恐怖は長生きの希望と同等のものでしょうか。数字の上で、生存年数を測る事だけを考えればそうかも知れませんが、中身はどうでしょうか。私はそうは思えません。残念ながら。
また、私個人的には幸不幸は数値化出来るとは思っておりません。飢餓で死のうが憂鬱で死のうが、死という結果に対してのマイナス度合いは同等だと考えております。裕福が人間の悩んだ末での自殺も、貧しい人間にもたらされた必然的な死も、死という結果に差異は無く、同等と考えております。あなたのおっしゃる-1であろうが-10000であろうが、それが死に至る絶望には変りないというのが私の考えです。
別にお前は優しくもなんともないと思うぞ
ハッタリはばれると怖いぞ
誰かを騙して、追求されて、苦しいの?ねえねえ?
相手のだめなところを探したってなんの解決にもならんだろ