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2019-03-14

anond:20190314154438

議題はあくまコンテンツを残すか残さないかだからな。

本当に嫌なやつはその一人でめちゃめちゃやるだろうから

その人を可能な限り特定できるようにしておけばいいだけでは。いたずら防止も含め。

適当に嫌だって言っている人はそこに時間を割かないよ。

それは逆に残して欲しい人も同じだって話。

クラウドファウンディングとか

署名できるサイトコンテンツ版と思えばいいんじゃないか。

https://www.change.org/ja

愉快犯を除けばコンテンツ時間を割く人ってだけで勝手住み分けができると俺はおもうけどな。

実際の人権問題だったら流石に一人の意思で決めるのは俺も無しだよ。

ただ現実クレームが少人数でさも大人数の意見のようになっているんだよ。

万人に受けるコンテンツなんてないから、この場合悪意が自然と優位なんだよ。

一般ユーザー側も拡散して見せないと、コンテンツが縮小してくだけな気がしていてな。

外国人労働者日本に来てはいけないという英文記事を作ったらどうか

政府に向かって日本はまだ受け入れ態勢ができていないと文句を言うのも大事だと思うんだけど、潜在的な「外国人労働者」向けの英文記事を用意して、SNSシェアできるようにしたらいいんじゃないかな。

しばらく前に国際機関職員の方の講演を聞いた時、ミャンマーではFacebookがよく使われていて影響力があるメディアになってると言ってた。ロヒンギャ問題でもフェイクニュース拡散に大きな役割を果たしたそうだ。今回は、SNSの影響力を人々を不幸にさせない方向に使ったらいい。

潜在的な「外国人労働者」はたぶん東南アジアあたりの途上国にいるのかな。その人たちに届くように英文で、技能実習生パスポートを取り上げあられてるとか、東京入管で死にそうになって救急車を呼んでも乗せてもらえないとかの人権侵害状況を、コンパクトにまとめたらどうだろう。英文記事最近よく目にするタイトルの付け方に合わせて、5 reasons you should not come to work in Japan みたいな感じで。

英語で書いておけば、それだけで拡散する層が広がるし、現地語に翻訳してくれる人も現れるはず。

はてな村にたくさんいるように見える賢い人たち、外国語が得意な人たちの出番だよ、きっと。

2019-03-13

anond:20190313154449

コカイン依存性はそんなに高く無い」と都合のいい事を書く活動家たちがtwitterを書いて、それを拡散するインフルエンサー

https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/h19-2/html/3_2_3.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%9A%84%E4%BE%9D%E5%AD%98

精神依存度は、3.0が依存度最高の指標で、2.8とヘロインに次ぐ高さ。何が「パーティードラッグと呼ばれ…」だ。

本当に都合のいい事しか書かない。

嘘松男が湧くことは女の責任

女性が性被害にあったコメント拡散するとすぐわく嘘松男。

これは我々女性責任だ。

彼らはまずそんな事件がまわりで頻繁に起きていることに覚えがない。

自分をふくむ「男性」が見に覚えのないことで犯罪者扱いされることに怒り狂う。

ではなぜああいったコメント、ツイが爆発的に拡散されるかと言えば、

女性経験則でそれが起こることを疑いなく感じてしまうからだ。

日本なら実にありうる話だ

実際によく起きている話だ

昨日も、今朝も、にたような事が起きた、起きていた

という体験、目撃がいやというほどあるからだ。

から、ありもしない話にパニックを起こし、ヒステリックに取り乱しているわけではなく、現実には我々は静かで、ひややかに、ああ、またこんなことがあったのか、とRTし、ブクマしている。

痴漢被害母親女教師には話すのに父親に、男性教師には話してこなかったから。

から匿名でいい、これからももっと起きたことを外に発信しよう。

男性からたくさん叩かれても、嘘認定されても構わない。

こんなにも日常的に女性は性被害にあっていて、レイプされていて、それを告白してひどい二次被害にあっていくことを可視化しなくちゃならない。

どんなにつらくて怖くて痛かったか、伝えなきゃいけない。

特に日本人は匿名性があることに関して黒い感情に忠実になることがわかってきた。

ばれなきゃなにしてもいいとおもうやつはたくさんいる。

性犯罪をしてもそれが表に出てこないとしたら?被害者がこんなことがあったと暴いていかないなら、匿名性のある性犯罪エスカレートしてしまうのは明白だった。

ケンカがしたいんじゃない。我々は卑劣男性と戦ってくれる男性の助けが必要なのだ

2019-03-11

二次創作交流などに関する愚痴です

近頃二次創作界隈の連中に対してうんざりしてます

流れてくるものに対してそれほどスルースキルはないもの

反応してしまう。

sns向いてないと言われればそれまでですが。

無断転載、トレパクといった様々な事案を

いちいちsns拡散晒し者にしたり

集団で袋叩きするゴミみたいな腐女子が凄く許せない。

法律だ、著作権だ、ネットテラシーだいう割に

ネットいじめに加担してるということ

自覚がない。

そんなにネットいじめが楽しいのかと問いたい。

他人の不幸は蜜の味ってか。

想像力ある作家が皆して、画面の向こう側にいる人間がどのようになったのか

この後、どのような暮らし人生になっていったか想像することも

出来ないなんてどんだけ二次創作界隈の連中は落ちぶれたのか。

マスコミ最低!でも一部の方はいいひとなんですけど…

という内容が拡散していくパターン結構あるんだけど

最低な人についての話は非常に具体的に書いてある一方

その「一部のいい・まともなマスコミ」の例が挙がることは基本ないので

はいはい俺らはマスゴミですよ」って開き直ったり(そもそも圧倒的人材不足&斜陽により新入りでも特に信念とか無い人が多数)

まともなひとも評価される機会が無いし数字も取れないしで流れに迎合していったり立場が狭くなった結果

こうやって各局似たような感動話か悲痛な話、あんま抗議が来なさそうな無難な内容をこの時間ゴールデンプライム帯の特番で流して

角度のあるドキュメンタリーは深夜、BSローカルでひっそり流してるという現実

この日が近づくたびに毎年見せつけられてる気がする

ただ単に衰退しているだけか

震災から8年か

うそんな昔から増田やってるのか

 

当時振りかえってみるとみんな相当混乱してたな

被災地の状況、デマ拡散について

幸い被災地で略奪が頻発してるなんてデマはもうでなくなったけど

今でも注意拡散ためならデマ正当化されるなんてこという輩いるな?あれなんなの?

https://togetter.com/li/1324822

実際の児童被害は顔見知りのいるところで行われる。

こういう情報拡散することで、最近の下記のような被害がどれだけ防げるというんだろう

https://bunshun.jp/articles/-/11006?page=1

こういう風潮続く限り、またデマが出かねないのでしつこく語り続けていく必要があると思う。

東日本大震災では、日常より際立って犯罪率が上昇することはなかった。

 

今後のエネルギー政策に関して

これもう決着ついたよね?

原発国内ではもう作られない。海外への輸出も失敗した

https://buzzap.jp/news/20181217-sell-nuke-plant-to-uk5/

再生可能エネルギーの方が割安になった今、ほぼ原発に頼る必要はなくなったわけだ

https://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201901/CK2019010502000124.html

震災直後の段階で早いとこ原発に見切りをつけて太陽光に注力しとけば

日本受領産業に育てられたかもしれないし

東芝あんなになることはなかっただろうし

フラッシュメモリもまだまだ日本技術だったんだろうけど

あしかたないね。次の産業を興そう

anond:20110602193012

2019-03-10

anond:20190310221320

どうせこれからしばらく生き甲斐絶つなら、これまで抱えてきた感情とその感情を向けてきたあらゆる対象もろとも心中するくらいの心づもりでいようと思ったので巨大感情をぶつけてから一時撤退することにしました。

誰が見てくれなくてもいいけど見てくれた誰かが刺されてくれたら、それで好きだったその人から嫌われてももう良いやという気持ち文章します。

遺書かな。もうそれでもいいや

後を濁す気満々で申し訳ない。

私としては巡り巡ってファンレターだと思って書きます

(一部方々におかれましては重複してお伝えしている内容ではありますが良かったら今一度受け止めて下さい。)

(一度鍵垢でべらべら喋って怒られたことをまた喋ってるのでいよいよ距離を取られたら寂しいなあと思っていますが極力これきりにしたいので許して下さい、出来ればやっぱり嫌われたくないです)

私は根本的にSNSに向いてないと常々思っていました。

というのも数値や関係が一目で可視化されている文化圏の中で交流を兼ねながら創作活動をするということが自分には致命的に向いてないと思ったからです。

数値が見えるというのは時として嬉しいものなんですが時としてすごく残酷だと思います

とりわけ数値で自己他者とを比較できてしまうという点においては自身の実力を図る手段であり、時として自信になり得る要素でもありましたが、交流していくにあたっては自分にとってはデメリットしかありませんでした。

まず、自分創作物というのは贔屓目も謙遜も抜きに見ても、描けない人から見たら描けてはいもの、絵の上手い人から見たら稚拙だと思われる傾向のものだったと思っています

なまじ創作物解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたので、そのときジャンルCPによっては目に留めてくれる人が多く、その中にはとても絵の上手い方もいらっしゃった、くらいの。

その辺りの側面はひとまず抜きに、「好み」とかの話でなく、絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を私は持っていませんでした。

主観的ものなんだから一概にそんなことはない、なんて言い出せばそうなんですが創作活動を続けていく中で「絵を描く層」を限りなく客観視したとき自分が感じた自身立ち位置は少なくとも「どちらかといえば上手くない」というものでした。

(「上手くない」「どちらかといえば上手くない」「「どちらかといえば上手い」「上手い」の4段階として)

私が今から話すのはフォロワの中でも上記4段階において「上手い」に属する人=神絵師の方々に対しての感情です。

「神絵師」という判定こそその人の主観いくらでも変わる認識ですがpixivで1千ブクマを安定して得てるとかフォロワが何万居るとかそういう数値的なものでなく、此処で記す「神絵師」というのはあくまで『絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を持てていると私が判断している人』というものであることをまず始めにご理解下さい。

前述の通り、私は自己脳内ヒエラルキーにおける絵が上手い人種ではありませんでしたが、

前述の通り、なまじ創作物(主に漫画ことなんですが)に解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたのでそこを見てくださった方であったりあるいは横の繋がりであったりで神絵師の類にあたる方々との繋がりがそこそこにありました。

絵がどうとかどうでないとかありにしても無しにしても、とにかく自分と繋がって関係を築くことを良しとしてくださった方なわけですから、その時点で神絵師だとかそうじゃないだとか抜き交流していければ完結する話なんですが、自分に関してはそれができなかった為しちめんどくさいことになりました。

好きな作品についてや日常雑談について語るにあたっては「同じ路線感性」があれば絵の良し悪しとか関係なく楽しめます

でも、関係を持った人たちが「絵を描く人」である以上、日頃の会話の中にはどうしても「自分たちの作品について」の話題が時として出てきます

特に女性間で顕著なんですが作品を作る人という括りであればどっちにしろこういった話題が出てくる瞬間が私はとにかく苦手でした。

「Aさんは本当に絵が上手い」「そういうBさんの絵に私は憧れてるんだよな」

フォロワの間でそういう話になる度に私は心底しんどくてたまりませんでした。

そういう流れになるたびに身を潜めて出ていかないようにしました。

実際Aさん、Bさんは自分の中では神絵師で、私自身本当に大好きな作品を生み出す方々ではありましたがその流れで私が「わかる、AさんもBさんもどっちも最高なんだよな」とか話題に乗るなんて死んでもできませんでした。

万一にでも「そういうムツさんだって漫画上手いじゃん」とか言われたらそれがその人にとっての本心であろうと私は本当に死にたい気持ちでいっぱいになるからです。

それがその人にとっての本心であろうと。

何でしょう、流れの中とかでなくふと出てきた言葉だと真に受けられるんですけど。

万一にでも気を遣われたという可能性が拭えない流れの中で褒め言葉を貰うのは作品に限った話でなくて苦手なんですけど作品に関しては過剰になってしまいがちです。

というのも私は自分の中で完全に勝手に「神絵師」と「そうでない自分」とを区切ってしまっているからだと思います

はいくら親しい人であったとしてもその人が自分の中で神絵師という括りとして認識されているだけである一定話題に対してはその人達に対して勝手距離感を感じてしまっているように思います

そういう垣根抜きに自分作品を良いと思って下さってる方に対してその認識が失礼なことなんだと分かりながらも区切らずにはいられませんでした。

自分のことを目に留めてはくれない神絵師が多いのは自分が神絵師ではないから、という落とし所が必要だったからです。

…例えば、金銭的な問題を考えなくて良いものとするのであれば安くて味はそこそこのものより高くておいしいものばかり食べていたいと思うのは普通感覚だと思います

性格が同じような人であれば顔が普通の人より良い人を選びたいと思うのも普通感覚だと思います

自分の絵は誰が見ても上手いものではないから絵の上手い人が自分作品を見てくれているというのは基本的にすごいことだと思っていて、ありがたいことだと思っています

(絵を描く人描かない人関係無しに、自分作品を見て下さってる方々には感謝しかないのですが「顔の良い人達とばかり付き合いのある顔の良い人が普通自分と付き合ってくれている」ことが特にすごいという話です。)

普通、神絵師はそうでない自分作品をまず目に留めようとしないんだという当たり前の現実をそれでも私には受け入れて納得するための理由必要でした。

作品柄であったり人脈であったり、万人が見てくれる創作物なんてまずありません。

ただ、割合的な問題としてやはり「自分と繋がりのある神絵師達」と繋がりのある神絵師には私は見て貰えない傾向にあったなと思うので。

尚、ここまで誰がどうとかそういう話でなく自然の摂理の惨さを私が受け入れるのが下手くそという話です。

誰も悪くはなくて強いて言うなら勝手意識している自分ただ一人が悪いです。

作品を見てくれる人が一定数いる」という事実がまず本当にありがたいことでその点については本当に本当にありがたいと思っていて、

正直、神絵師でない括りの中で自分作品を見て何かを感じて下さった方は本当に多い方だと思えていて、自分はむしろ贅沢な類なのだと思っています

贅沢な類だと思えていたからこそ神絵師の括りには居なくても自分創作者としての現状にはとても満足していました。

それでも自分が神絵師の括りには居ないことで発生する「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」に対する現実は神絵師とそうでないもの区切りがあるという根拠を踏まえておかないと納得しきれませんでした。

から私は神絵師になりたいとかそういうわけでなく(いや朝起きて気付いたらなってたとかならなりたいですけどそもそもとして私は絵を描くのが好きなわけでなく自己解釈アウトプットする手段として絵を描いてるタイプなので絵を描く努力とかしたくないか結論として「なりたいわけではない」になるんですが)、それでも「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が自分より大きいという意味で「神絵師」という人達が羨ましいと思っています

(ある神絵師に先日とうとう「神絵師になる努力もしてないのに羨ましいって感情一方的にぶつけてくるのはずるいと思う」的なことを言われてしまいましたが神絵師になりたいわけでもない(=厳密にはなるための努力を諦めきっている)のに一方的理不尽感情をぶつけるのは確かにずるいなと思いました。本当にごめんなさい。)

そんな具合で、私は自分の中で持てているものを見て頂けてることを最大限ありがたいと思いながら、それでも自分では持てないものを持てる人達を私は心底羨んで憧れていて、大好きだと思いながらも一線を引いてしまっていてそんな一線が交流をすると、時々とてもめんどくさい感情自分の中で生み出していました。

完全に特定できる物言いでめちゃくちゃ申し訳ないんですけど、

最近だと神絵師分類のフォロワ2人と限界さぎょいぷで盛り上がっている最中「次のイベントどうする~~申し込もうぜ~~」みたいな流れでやいやいするまでは良かったんですけど

「隣接しよう~~~」ってなったとき正直私は心底死にたいと思っていました。

そこで嫌と言えば良かったのかもしれないですけどフォロワ2人的には「仲の良い人が隣に居て欲しい」以上も以下もない感情から出た提案しかなくて、そこに自分みたいな神絵師だとかそうでないだとかの汚い区切りとか全然加味されていないことが完全に分かっていたので自分の薄汚い感覚でNOとは言えなかったし言ったとしてその理由が「神絵師の隣は現実を思い知らされて嫌だから」だとか完全に「えっ…」て感じだと思うし自分自身、垣根抜きに親しい付き合いをしてくれる二人と気の合う関係を築けてることが何より嬉しかたからNOなんて言いようがなかったんですけど。

絵師サンドされた日には死ぬと思っていましたが実際サンドされて死にたいと思っていました。

ジャンルでの活動が長く、自分の本を楽しみにしてくださってる方が一定数いてくださったことは知っていたので両隣は大盛況で自分のスペースだけ閑古鳥なんて事態にはならないことは分かっていたんですがそれでも胃は少し痛かったです。

実際、両隣のフォロワと繋がっているもの自分とは繋がっていない神絵師の方が自分のスペースを避けて両隣に挨拶しているとことか見えたりしたので。

よく見てるなって感じですけど私はたまに神絵師フォロワのフォロワを覗いてわあ、こんなに神絵師からフォローされてる…とか思いながら薄暗い感情になったりとかする性悪自滅くそ野郎なので

(いやでも必要なんですよ…とある絵師(私は一方的に好きなだけ)の作品についての話を神絵師フォロワ(神絵師とは相互)とするにあたって相手相互フォロワの気安さとして喋るけど私は一方的好きな人としての温度差がそこにあることを予め認識して精神を防護しておく必要があるから…)

この辺りをくまなく喋ると大体「見なくて良いとこまで見て、考えなくても良いとこまで考えすぎてるところが生き辛そう」って言われます

本当にその通りだと思います

いやそれでもそうやっていろんなところに目を向けるからこそ自分を見てくれる一人一人に対する有り難みを感じられているとも思っていて、だからこそ持てる力の範囲でも自信を持てているとも思っているので私は一長一短なんだと思っています

逆に自分なんかよりよっぽど「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が遥かに広い神絵師のはずなのに自己肯定感の低い人達見ると本当に嫌になります

大体そういう人達って軒並み「ネットの外のリアル自分人間的に問題がある」ところを引きずってるんですけど、そうでなくて、少なくともネットにおける「絵が描ける」ことそれだけで「描けない人」がどう逆立ちしても手に入らない沢山の自信の種と関係の間口がごろごろしてることに気づいて欲しいなあと常々思います

いやまずフォロワの多さといいねの多さとブクマの多さに目を向けて欲しい。

あいつら大体「カップリングの力だから」「旬のジャンルから」「女の子から」とか何とか言うんですけど、過大評価を真に受けない保険にしてるんだか知らないですけど、私からしたらその発言は軽はずみだとしても本当に好きな人も多くて付けてくれてるであろう何百何千の人達からいいね蔑ろにしてるようにも取れるから私はそうやって付けられる自信を一向に付けない人を見るのが腹立たしくて嫌いです。

(と思う感情すら自分劣等感正当化するためのエゴだと言ってしまえばその通りだとも思うので押し付けるのは良くないですよね、本当に各位には申し訳ない。でも言わなかったとしても内心そう思ってることには変わりなかったです。)

でも気の合う話ができて一緒に居て楽しいと思う人達だってその人達です。

私はその人達の人柄が好きで作品が好きで絵柄が好きで、何より一緒に居て楽しいと思えるからこそ、少しでも自信を持って欲しくてついついそういう感情吐露しがちなんですが先日いよいよ怒られました。

そういう感情ネット上では見せたくなくて、少しでも信頼してる自分からこそ打ち明けた部分だったのにSNSで鍵垢で、主語こそださなかったもの特定されかねない形で引用してしまったので。

本当に申し訳ないことをしてしまったなあと思うと同時、それでもやっぱり私は大好きなその人がいつまでも持てる自信を持てないままでいることが嫌で嫌で仕方なかったです。

という感情だけ主張しておけば何かまだ良い感じな風に見えなくもないんですけど私そこに対して「自分の持てないものを持ってる人が自信が無いと惨めな気持ちになる」ってろくでもない私情までぶつけてるから駄目なんですよね

すいません、ごめんなさい、結局私は自分感情エゴ込みで吐き出さずにはいられない性分のクソ野郎でした。

でも本当に、もうどうしたら伝わるのか私には分かりませんがそういう感情を吐き出した人達のことが、自己肯定感が低いところを除けば私は本当に大好きです。

前述したようにその神絵師当人にとっては「親しい人との関係」の中に自分の神絵師物差しみたいなくそ概念を突っ込まれ区別した上で会話をしてしまうから、私個人が抱く劣等感由来のあらゆる感情って本当に仲良くしていく上で心底不要ものなんだなと痛感しています

それでも私にとっては自信の糧になった部分もある切っても切り離せない要素です。

そこを踏まえない友達付き合いを私が徹底できれば何よりなんですけど、付き合いを続けていく中でどうしても一方的劣等感押し付けしまう場面というのは今後どうしたって出てきてしまうように思っています

冒頭で述べたように極力これきりにしたいとは思いますけど性根としてそういう感情根付いてることには変わりないです。

ああ、なんか、そういう見方をされていたんだなあと感じてしまったらどうしようもないのかもしれませんがこんなくそみたいな性根を抱えた自分とも、また喋ったり遊んだりして頂けたら嬉しいなあと思います

本当に一方的で身勝手感情だとは思いますが。

自分のことだと思ってる思ってないに関わらずとにかく私というろくでもない人間関係を築くことを良しとしてくださってるあらゆる方々、本当にいつもありがとうございます

本当にろくでもない性悪なので自分から遊びに誘うことも憚れる上、実際これからしばらくイベントを断つ身の上でお会いできる機会なんてフォロワが関西に遊びに来てくれるときくらいしかないと思いますが遊びに来た際には誘って頂けたら喜びます、と誘い受けをして締めたいと思います

あと良かったら前述の記事同様に拡散の上、思ったこと述べて貰えたら嬉しいです。

賛否や縁を切りたい等内容は問いませんのでご意見感想お待ちしております

最後最後までろくでもないな

ここまで吐き捨てきってしまって、またSNSというかツイッターフォロバする形で性懲りも無く再開するかは正直ちょっとからなくなってきましたが、ひとまず今まで本当にありがとうございました

またお会いできたら嬉しいです。

それでは。

交流してくださっていた神絵師の皆々様へ

どうせこれからしばらく生き甲斐絶つなら、これまで抱えてきた感情とその感情を向けてきたあらゆる対象もろとも心中するくらいの心づもりでいようと思ったので巨大感情をぶつけてから一時撤退することにしました。

誰が見てくれなくてもいいけど見てくれた誰かが刺されてくれたら、それで好きだったその人から嫌われてももう良いやという気持ち文章します。

遺書かな。もうそれでもいいや

後を濁す気満々で申し訳ない。

私としては巡り巡ってファンレターだと思って書きます

(一部方々におかれましては重複してお伝えしている内容ではありますが良かったら今一度受け止めて下さい。)

(一度鍵垢でべらべら喋って怒られたことをまた喋ってるのでいよいよ距離を取られたら寂しいなあと思っていますが極力これきりにしたいので許して下さい、出来ればやっぱり嫌われたくないです)


私は根本的にSNSに向いてないと常々思っていました。

というのも数値や関係が一目で可視化されている文化圏の中で交流を兼ねながら創作活動をするということが自分には致命的に向いてないと思ったからです。

数値が見えるというのは時として嬉しいものなんですが時としてすごく残酷だと思います

とりわけ数値で自己他者とを比較できてしまうという点においては自身の実力を図る手段であり、時として自信になり得る要素でもありましたが、交流していくにあたっては自分にとってはデメリットしかありませんでした。

まず、自分創作物というのは贔屓目も謙遜も抜きに見ても、描けない人から見たら描けてはいもの、絵の上手い人から見たら稚拙だと思われる傾向のものだったと思っています

なまじ創作物解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたので、そのときジャンルCPによっては目に留めてくれる人が多く、その中にはとても絵の上手い方もいらっしゃった、くらいの。

その辺りの側面はひとまず抜きに、「好み」とかの話でなく、絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を私は持っていませんでした。

主観的ものなんだから一概にそんなことはない、なんて言い出せばそうなんですが創作活動を続けていく中で「絵を描く層」を限りなく客観視したとき自分が感じた自身立ち位置は少なくとも「どちらかといえば上手くない」というものでした。

(「上手くない」「どちらかといえば上手くない」「「どちらかといえば上手い」「上手い」の4段階として)

私が今から話すのはフォロワの中でも上記4段階において「上手い」に属する人=神絵師の方々に対しての感情です。

「神絵師」という判定こそその人の主観いくらでも変わる認識ですがpixivで1千ブクマを安定して得てるとかフォロワが何万居るとかそういう数値的なものでなく、此処で記す「神絵師」というのはあくまで『絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を持てていると私が判断している人』というものであることをまず始めにご理解下さい。

前述の通り、私は自己脳内ヒエラルキーにおける絵が上手い人種ではありませんでしたが、

前述の通り、なまじ創作物(主に漫画ことなんですが)に解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたのでそこを見てくださった方であったりあるいは横の繋がりであったりで神絵師の類にあたる方々との繋がりがそこそこにありました。

絵がどうとかどうでないとかありにしても無しにしても、とにかく自分と繋がって関係を築くことを良しとしてくださった方なわけですから、その時点で神絵師だとかそうじゃないだとか抜き交流していければ完結する話なんですが、自分に関してはそれができなかった為しちめんどくさいことになりました。

好きな作品についてや日常雑談について語るにあたっては「同じ路線感性」があれば絵の良し悪しとか関係なく楽しめます

でも、関係を持った人たちが「絵を描く人」である以上、日頃の会話の中にはどうしても「自分たちの作品について」の話題が時として出てきます

特に女性間で顕著なんですが作品を作る人という括りであればどっちにしろこういった話題が出てくる瞬間が私はとにかく苦手でした。

「Aさんは本当に絵が上手い」「そういうBさんの絵に私は憧れてるんだよな」

フォロワの間でそういう話になる度に私は心底しんどくてたまりませんでした。

そういう流れになるたびに身を潜めて出ていかないようにしました。

実際Aさん、Bさんは自分の中では神絵師で、私自身本当に大好きな作品を生み出す方々ではありましたがその流れで私が「わかる、AさんもBさんもどっちも最高なんだよな」とか話題に乗るなんて死んでもできませんでした。

万一にでも「そういうムツさんだって漫画上手いじゃん」とか言われたらそれがその人にとっての本心であろうと私は本当に死にたい気持ちでいっぱいになるからです。

それがその人にとっての本心であろうと。

何でしょう、流れの中とかでなくふと出てきた言葉だと真に受けられるんですけど。

万一にでも気を遣われたという可能性が拭えない流れの中で褒め言葉を貰うのは作品に限った話でなくて苦手なんですけど作品に関しては過剰になってしまいがちです。

というのも私は自分の中で完全に勝手に「神絵師」と「そうでない自分」とを区切ってしまっているからだと思います

はいくら親しい人であったとしてもその人が自分の中で神絵師という括りとして認識されているだけである一定話題に対してはその人達に対して勝手距離感を感じてしまっているように思います

そういう垣根抜きに自分作品を良いと思って下さってる方に対してその認識が失礼なことなんだと分かりながらも区切らずにはいられませんでした。

自分のことを目に留めてはくれない神絵師が多いのは自分が神絵師ではないから、という落とし所が必要だったからです。

…例えば、金銭的な問題を考えなくて良いものとするのであれば安くて味はそこそこのものより高くておいしいものばかり食べていたいと思うのは普通感覚だと思います

性格が同じような人であれば顔が普通の人より良い人を選びたいと思うのも普通感覚だと思います

自分の絵は誰が見ても上手いものではないから絵の上手い人が自分作品を見てくれているというのは基本的にすごいことだと思っていて、ありがたいことだと思っています

(絵を描く人描かない人関係無しに、自分作品を見て下さってる方々には感謝しかないのですが「顔の良い人達とばかり付き合いのある顔の良い人が普通自分と付き合ってくれている」ことが特にすごいという話です。)

普通、神絵師はそうでない自分作品をまず目に留めようとしないんだという当たり前の現実をそれでも私には受け入れて納得するための理由必要でした。

作品柄であったり人脈であったり、万人が見てくれる創作物なんてまずありません。

ただ、割合的な問題としてやはり「自分と繋がりのある神絵師達」と繋がりのある神絵師には私は見て貰えない傾向にあったなと思うので。

尚、ここまで誰がどうとかそういう話でなく自然の摂理の惨さを私が受け入れるのが下手くそという話です。

誰も悪くはなくて強いて言うなら勝手意識している自分ただ一人が悪いです。

作品を見てくれる人が一定数いる」という事実がまず本当にありがたいことでその点については本当に本当にありがたいと思っていて、

正直、神絵師でない括りの中で自分作品を見て何かを感じて下さった方は本当に多い方だと思えていて、自分はむしろ贅沢な類なのだと思っています

贅沢な類だと思えていたからこそ神絵師の括りには居なくても自分創作者としての現状にはとても満足していました。

それでも自分が神絵師の括りには居ないことで発生する「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」に対する現実は神絵師とそうでないもの区切りがあるという根拠を踏まえておかないと納得しきれませんでした。

から私は神絵師になりたいとかそういうわけでなく(いや朝起きて気付いたらなってたとかならなりたいですけどそもそもとして私は絵を描くのが好きなわけでなく自己解釈アウトプットする手段として絵を描いてるタイプなので絵を描く努力とかしたくないか結論として「なりたいわけではない」になるんですが)、それでも「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が自分より大きいという意味で「神絵師」という人達が羨ましいと思っています

(ある神絵師に先日とうとう「神絵師になる努力もしてないのに羨ましいって感情一方的にぶつけてくるのはずるいと思う」的なことを言われてしまいましたが神絵師になりたいわけでもない(=厳密にはなるための努力を諦めきっている)のに一方的理不尽感情をぶつけるのは確かにずるいなと思いました。本当にごめんなさい。)

そんな具合で、私は自分の中で持てているものを見て頂けてることを最大限ありがたいと思いながら、それでも自分では持てないものを持てる人達を私は心底羨んで憧れていて、大好きだと思いながらも一線を引いてしまっていてそんな一線が交流をすると、時々とてもめんどくさい感情自分の中で生み出していました。

完全に特定できる物言いでめちゃくちゃ申し訳ないんですけど、

最近だと神絵師分類のフォロワ2人と限界さぎょいぷで盛り上がっている最中「次のイベントどうする~~申し込もうぜ~~」みたいな流れでやいやいするまでは良かったんですけど

「隣接しよう~~~」ってなったとき正直私は心底死にたいと思っていました。

そこで嫌と言えば良かったのかもしれないですけどフォロワ2人的には「仲の良い人が隣に居て欲しい」以上も以下もない感情から出た提案しかなくて、そこに自分みたいな神絵師だとかそうでないだとかの汚い区切りとか全然加味されていないことが完全に分かっていたので自分の薄汚い感覚でNOとは言えなかったし言ったとしてその理由が「神絵師の隣は現実を思い知らされて嫌だから」だとか完全に「えっ…」て感じだと思うし自分自身、垣根抜きに親しい付き合いをしてくれる二人と気の合う関係を築けてることが何より嬉しかたからNOなんて言いようがなかったんですけど。

絵師サンドされた日には死ぬと思っていましたが実際サンドされて死にたいと思っていました。

ジャンルでの活動が長く、自分の本を楽しみにしてくださってる方が一定数いてくださったことは知っていたので両隣は大盛況で自分のスペースだけ閑古鳥なんて事態にはならないことは分かっていたんですがそれでも胃は少し痛かったです。

実際、両隣のフォロワと繋がっているもの自分とは繋がっていない神絵師の方が自分のスペースを避けて両隣に挨拶しているとことか見えたりしたので。

よく見てるなって感じですけど私はたまに神絵師フォロワのフォロワを覗いてわあ、こんなに神絵師からフォローされてる…とか思いながら薄暗い感情になったりとかする性悪自滅くそ野郎なので

(いやでも必要なんですよ…とある絵師(私は一方的に好きなだけ)の作品についての話を神絵師フォロワ(神絵師とは相互)とするにあたって相手相互フォロワの気安さとして喋るけど私は一方的好きな人としての温度差がそこにあることを予め認識して精神を防護しておく必要があるから…)

この辺りをくまなく喋ると大体「見なくて良いとこまで見て、考えなくても良いとこまで考えすぎてるところが生き辛そう」って言われます

本当にその通りだと思います

いやそれでもそうやっていろんなところに目を向けるからこそ自分を見てくれる一人一人に対する有り難みを感じられているとも思っていて、だからこそ持てる力の範囲でも自信を持てているとも思っているので私は一長一短なんだと思っています

逆に自分なんかよりよっぽど「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が遥かに広い神絵師のはずなのに自己肯定感の低い人達見ると本当に嫌になります

大体そういう人達って軒並み「ネットの外のリアル自分人間的に問題がある」ところを引きずってるんですけど、そうでなくて、少なくともネットにおける「絵が描ける」ことそれだけで「描けない人」がどう逆立ちしても手に入らない沢山の自信の種と関係の間口がごろごろしてることに気づいて欲しいなあと常々思います

いやまずフォロワの多さといいねの多さとブクマの多さに目を向けて欲しい。

あいつら大体「カップリングの力だから」「旬のジャンルから」「女の子から」とか何とか言うんですけど、過大評価を真に受けない保険にしてるんだか知らないですけど、私からしたらその発言は軽はずみだとしても本当に好きな人も多くて付けてくれてるであろう何百何千の人達からいいね蔑ろにしてるようにも取れるから私はそうやって付けられる自信を一向に付けない人を見るのが腹立たしくて嫌いです。

(と思う感情すら自分劣等感正当化するためのエゴだと言ってしまえばその通りだとも思うので押し付けるのは良くないですよね、本当に各位には申し訳ない。でも言わなかったとしても内心そう思ってることには変わりなかったです。)

でも気の合う話ができて一緒に居て楽しいと思う人達だってその人達です。

私はその人達の人柄が好きで作品が好きで絵柄が好きで、何より一緒に居て楽しいと思えるからこそ、少しでも自信を持って欲しくてついついそういう感情吐露しがちなんですが先日いよいよ怒られました。

そういう感情ネット上では見せたくなくて、少しでも信頼してる自分からこそ打ち明けた部分だったのにSNSで鍵垢で、主語こそださなかったもの特定されかねない形で引用してしまったので。

本当に申し訳ないことをしてしまったなあと思うと同時、それでもやっぱり私は大好きなその人がいつまでも持てる自信を持てないままでいることが嫌で嫌で仕方なかったです。

という感情だけ主張しておけば何かまだ良い感じな風に見えなくもないんですけど私そこに対して「自分の持てないものを持ってる人が自信が無いと惨めな気持ちになる」ってろくでもない私情までぶつけてるから駄目なんですよね

すいません、ごめんなさい、結局私は自分感情エゴ込みで吐き出さずにはいられない性分のクソ野郎でした。

でも本当に、もうどうしたら伝わるのか私には分かりませんがそういう感情を吐き出した人達のことが、自己肯定感が低いところを除けば私は本当に大好きです。

前述したようにその神絵師当人にとっては「親しい人との関係」の中に自分の神絵師物差しみたいなくそ概念を突っ込まれ区別した上で会話をしてしまうから、私個人が抱く劣等感由来のあらゆる感情って本当に仲良くしていく上で心底不要ものなんだなと痛感しています

それでも私にとっては自信の糧になった部分もある切っても切り離せない要素です。

そこを踏まえない友達付き合いを私が徹底できれば何よりなんですけど、付き合いを続けていく中でどうしても一方的劣等感押し付けしまう場面というのは今後どうしたって出てきてしまうように思っています

冒頭で述べたように極力これきりにしたいとは思いますけど性根としてそういう感情根付いてることには変わりないです。

ああ、なんか、そういう見方をされていたんだなあと感じてしまったらどうしようもないのかもしれませんがこんなくそみたいな性根を抱えた自分とも、また喋ったり遊んだりして頂けたら嬉しいなあと思います

本当に一方的で身勝手感情だとは思いますが。

自分のことだと思ってる思ってないに関わらずとにかく私というろくでもない人間関係を築くことを良しとしてくださってるあらゆる方々、本当にいつもありがとうございます

本当にろくでもない性悪なので自分から遊びに誘うことも憚れる上、実際これからしばらくイベントを断つ身の上でお会いできる機会なんてフォロワが関西に遊びに来てくれるときくらいしかないと思いますが遊びに来た際には誘って頂けたら喜びます、と誘い受けをして締めたいと思います

あと良かったら前述の記事同様に拡散の上、思ったこと述べて貰えたら嬉しいです。

賛否や縁を切りたい等内容は問いませんのでご意見感想お待ちしております

最後最後までろくでもないな

ここまで吐き捨てきってしまって、またSNSというかツイッターフォロバする形で性懲りも無く再開するかは正直ちょっとからなくなってきましたが、ひとまず今まで本当にありがとうございました

またお会いできたら嬉しいです。

それでは。

ネットの閉塞感ってなんだろう

昔はもっとネットサービス出てたと思うんだよね。

Twitter炎上だとかブロックだとかもう色々あると、次の何かに移動すればいいやって感じで気楽だった。


閉塞感が結構ある。Twitter炎上し始めたらメディアの人がワーッと寄ってきて、今これが炎上してると拡散器で広めて、広告費で稼いでさ。

問題を何も解決してないし。次もアクセス数稼げれば儲かるから、どこかのバカがやってくれないかなという感じではないのか。


Airbnb資産持ってる人が更に資産集める仕組み。Web2.0辺りだと、既存権力を拡大するよりかは色んな人にチャンスを、というのでもっと反対されていたと思うのね。


Uberシェアリングエコノミーで新しい経済だとかいうけど、個人が所有する車活用地球にやさしいかいうけど、

車買うのにローン払うのが必要な人がやってるじゃん。車の保険も所有者が払ってさ。

で、アメリカだとチップ上乗せして払っても、本人にはいかなくて最低賃金補填するだけになってさ。

食っていけないか仕事掛け持ちとか、なんでそんなに称賛されるんだ。


何か作品を作ったら人気が出るように代わりにシステム宣伝してくれるとかだったらいいけど、

作品作ったら色んなところで宣伝まで個人でやって、そしたらアクセス数見て、売れてるからウチでも掲載してって連絡くるでしょ。

2019-03-08

兵庫県警サイバー犯罪対策課は弱者見せしめに吊るす魔女裁判所だ

Net IB News: 「みんなで逮捕されようプロジェクト」がネット上で拡散中~サイバー犯罪対策課は「自分の子どもにもそんなことが言えるのか」と反発

https://www.data-max.co.jp/article/28329

兵庫県警サイバー犯罪対策課のコメントがひどい。

「いたずらだったことは重々承知しているが、現行法では懲役、もしくは罰金刑になる犯罪

ならない。運用おかしい。まぁこれは最初から分かっていたことだ。ひどいのはこの後だ。

安易に行っている者への警鐘インターネットモラルの向上を意図していた」

若年者という社会的立場の弱い者を、見せしめのために人権侵害し、晒しものにした、と自白している。

警鐘にするためには晒し上げないといけない。だからこそ補導した後、報道させた。報道させて広く晒し者にしないと警鐘にならないからだ。

ある程度ひどい目に合わせないと警鐘にならない。だからこそ単に注意するのではなく、補導家宅捜索書類送検した。

これだけは許してはいけない。魔女裁判である警察権限濫用した蛮行である人間尊厳に対する冒涜である

補導家宅捜索書類送検、いずれも人権制限であり、正当な理由なしに振るわれた場合には人権侵害である

すべて国民は、個人として尊重される(憲法十三条)。見せしめ晒しものにされるためだけにその人権侵害されてよい訳はない。

国民は、警察の考える「モラルの向上」のための道具ではない。

モラルを一つ向上させるためだけに、その都度全国の中学生から一人が選ばれ、家捜しされ補導され、「モラルが向上しましたよかったですね(中学生のその後など知ったことではない)」となるような社会にしてはならない。

警鐘を鳴らすために、警鐘の数だけ人間犠牲にするようなことをしてはならない。人間警鐘にされるために生まれてきたのではない。

特に警察の考える「モラルの向上」がとてもとてもとてもささいなことである今回の件ではなおさらである

個人攻撃する意図があったものではない

見せしめにした時点で個人攻撃である

警察という国家機構強い力を持ち、補導家宅捜索・送検やその経歴等が人生に及ぼす大きな影響を理解していない。

その濫用市民に直接的な害を与えることを全く自覚していない。

このような見識の者に警察権を行使させることは許されない。

自分の子どもにもそんなことが言えるのか」

自分の子どもが補導され、全国にその事実報道されても「娘は安易に行っている者への警鐘となりインターネットモラルの向上に貢献できた」と言えるのか。

元教え子らの要望裸踊り動画教諭懲戒処分

https://www.yomiuri.co.jp/national/20190307-OYT1T50251/

 静岡県教育委員会は7日、下半身露出して踊る姿を自ら撮影した県東部の県立高校男性教諭(52)を、減給10分の1(6か月)の懲戒処分とした。教諭は同日付で依願退職した。

 

 教諭は1月上旬、親しかった元教え子らから「何か面白いことはないか」などと言われ、自宅で下半身露出して踊ったり逆立ちしたりする動画5本をスマートフォン撮影して送った。動画はその後、勤務する高校の生徒に拡散した。

 

 教諭相手が喜ぶだろうと思った。後悔している」と話しているといい、県教委は、教諭不特定多数に送りつける意図はなかったと判断している。

 面白いことって………後悔する前に気づかなかったのか。

 生徒が生徒なら、教師教師だなあ………

まあ、人間なんてそんなもん

明日は我が身! スマイリーキクチに聞く「ネットデマ」との戦い方

https://withnews.jp/article/f0170613002qq000000000000000W03610701qq000015255A

正義感」の裏側には

「19人の名前出身地を聞いても、全く知らない人たちでした。年齢は17歳から46歳まで、職業バラバラ。ただ大半の人に共通していたのは、デマを信じて『正義感からやった』と供述したことです。しかし本当に正義感のある人が集団で、匿名で、誰かを追い詰めるでしょうか。『チンカス社会ゴミキクチ』なんて書き込むのが、どこが正義なんだと」

「私は被害者なんだ、ネットにだまされたと言い出す人も多かった。2ちゃんねる書き込みコピーしただけだと主張した人もいました。なぜ犯罪なんだ、元の書き込みをしたヤツが悪いんだと。他人言葉は徹底的に責任追及するのに、自分言葉責任はとらないのだなと恐ろしく感じました。検事さんから起訴しなかった理由を『調書にはすぐ謝罪するとあった』と説明されましたが、そのとき謝罪に来ていた人は一人もいませんでした」

 「ネット炎上防止の講演会などを聞きに行くと、参加者に『悪口を書いちゃダメ』と教えていることが多いんですね。しかし私を中傷した人たちは罪の意識希薄で、そもそも悪いことをしている自覚が無かった。単に『悪口ダメ』と言って防止策になるのか、いつも疑問を感じています

怒り感じたら「寝かせて」

――キクチさんは、子どもたちへの講演会でどんなアドバイスをしているのですか。

 「ネットにはフェイクニュース陰謀論など、人の怒りをあおって拡散を狙う情報にあふれていますネット情報に怒りを感じたときほど、その情報を寝かせてくださいと伝えています。それが加害者にならない方法ですと。しかも今、その怒りはSNSなどで簡単に共有できる。共有すると、怒りは増幅します。みんな怒っている、だから俺は異常じゃ無いんだと安心できる。そうして罪の意識がないまま、他人を傷つける加害者になってしまう」

 「この事件は許せない!と思ったときこそ、すぐにツイッターなどで拡散しないでください。数日間、1週間と時間をおく。そのあいだに冷静になるでしょうし、ネット情報もふるいにかけられて、情報の真偽が明らかになっている可能性があります

 「そしてネット情報を疑うこと。知名度の高いサービスでも、情報を書き込んでいるのは匿名他人であることが多い。たとえばウィキペディア辞書代わりに使う人も多いですが、ずっと私は自分の項目に『殺人事件に関与』したと書かれていました」



違う立場になったら今までの経験なんてほとんど役に立たないってことよ。

殺人犯にまで仕立てられて得た教訓でも忘れちゃうのが人間

2019-03-07

anond:20190307155016

最近バイトテロと呼ばれる行為は昔からあったよ

ただネットの普及で拡散やすくなって表沙汰になりやすくなっただけ

正規とか非正規無関係だよ

2019-03-06

バズっている「子宮全摘系の都市伝説」のツイートをまとめてみた。

まとめ主は通りすがり部外者だよ。とても情報がたくさんあって有益なんだけど、いかせんちょっとわかりにくかったので整理してみたよ。

https://twitter.com/LazyWorkz/status/1101976141944877056

大雑把に把握すると

1. 現在ツイッターで出回っている、「子宮全摘事件」が実際に起こったものであるかの検証

2. 「トイレの子供系の都市伝説一般についての分析

3. 「期待する効果が得られるならば、デマ都市伝説手段となっても良い」への反論

もうちょっと細かく把握すると

1-1. 現在ツイッターで出回っている、「子宮全摘事件(以下本件とする)」が実際に起こったものであるかの検証

1-2. 「本件」が偽だと推測された理由は、古典的都市伝説フォーマットやその拡散過程類似しているため。また以前に「本件」と酷似した「偽情報拡散事象」があった。

1-3. トイレにて子供暴行される事件は実際に存在し、かつ報道基本的に行われている。が暗数もおそらく存在する。

1-4. 「本件」については限りなく偽情報に近いと判断できるが、確定するためには警察などの公的機関に聞く必要がある。「誰も消防車を呼んでいないのである状態」だが、そもそも発生場所がわから管轄する署が分からない。

2-1. 「トイレの子供系の都市伝説一般についての分析

2-2. ぶっちゃけこれがメインだから分量多すぎてまとめらんない。パワーワードとしての「子宮全摘」などについての議論がなされている。

3-1. 都市伝説への反対

3-2. 子育てをする若い母親への注意喚起が「都市伝説」で行われることへの反対

3-3. さら一般化して「期待する効果が得られるならば、デマ都市伝説手段となっても良い」への反対

4-1. 筆者の主張(をリライトしたもので読み取り間違いが確実にあるので、面々におかれてはオリジナルテキストにしっかりあたってくださいませ)

4-2. 「架空犯罪を流布するのは、たとえ善意動機でも、現実犯罪被害者をおとしめる冒涜である

4-3. 陰惨な架空犯罪蔓延は、前近代的犯罪抑止方法で、かつ弱者負担を強いる方法

4-4. 犯罪注意喚起根拠は、事実または仮定の話を元とするべきであり、有名な創作実話を混ぜて信憑性を下げ信用を失うべきではない

4-5. 適切な対策事実から。ひどい現実を、地道に、ひどい現実として提示していくべき

4-6. 「デマ許すまじ」

デマ拡散庶民が防ぐ単一解と、それに逆行するはてブスターシステム

デマを防ぐためにリテラシーを、とかネット情報はすべて疑いましょう、とかいうような意見が飛び交っている。

しかし、そんなもの必要ない。単純に、1日おいてからRTして意見するだけでいいのである

そもそもデマかどうかの判断をド素人あなたがしようとすることが間違っている。

あなた知事でも大企業社長でも議員でもない。

あなた発言が一日遅れたところで救える命も解明できなくなる事柄もない。

日置いておくだけで、ネット自動両論併記になり、識者が突っ込みを入れてくれるかもしれない。

社会に対してアクションするのならば、それからでも全く遅くはない。

そもそも、学があれば、とかリテラシーがあれば、とか情報に接する態度が、とかいうのは、自分は引っかからない人間でいたいというバイアスにすぎない。

かつてリテラシーなんてのは確率発動のスキルにすぎない、と言っていた人がいるが、勉強をすることで引っかかる確率は減らせるのかもしれないが、ひっかかるときはひっかかるのである

まあ、でもそんなことはみんな分かっているのである

ではなぜみんながいっちょかみをするか。

それはSNS社会が早いもの勝ちだからである

先にうまいことをいった人間承認欲求を総取りできる。

それはある種の負の側面として仕方ないといえば仕方ない。

しかし、その競争を促進するシステムはてブにはある。

上位10人しか表示されない「人気のコメント」欄である

あそこには、100ブクマより前に入り込めばひたすらスターが伸びていく。

そして100ブクマよりあとからいくらコメントしたって負け犬の遠吠えしかならない。

から反応速度の速い短絡的な連中ばかりがスターを集めるのである

こういった状況に反旗を示すために、みんなすべてのブコメを読んでスターを送りましょう

2019-03-05

あるところに売れないマンガ家Bがおりました。

むかしむかし、ではなく現代のおはなし。
学生の頃から友達マンガを見せるのが好きで、マンガを描き続ける学生時代を送った彼は、
首尾よく新人賞を取り、デビューしたものの、連載は打ち切り
辛うじて単行本は出たものの、全く売れませんでした。

編集者に新作のネームを見せるものの、反応は芳しくありません。
Bは学生時代の友人Aに長電話愚痴ったり、ドス黒いツイートをしてみたりと、
失意の日々を過ごしていました。

ある日、Bがツイッターを見ていると、一つのツイートが回ってきました。
それを見たBは驚きました。そのツイートで「××が〇〇する話を描きました」と言ってアップされていた画像は、
自分が描いたマンガだったのです。

Bは激怒しました。
これが自分作品であると示すために、原稿データ画像amazonリンクを貼ってリプライしました。

プロ作品自炊してマンガ家になりすます、そんな卑劣奇行ネット民は飛びつきます
一連のツイートは瞬く間にまとめれられ拡散なりすましアカウント大炎上
ネットニュースにも取り上げられ、なりすましアカウントを消して逃亡。Bには多くの人からかいリプライがよせられました。

これはひどいなりすまし地獄に落ちるべき」「応援してます単行本買いました」「承認欲求は決して満たされぬ地獄恐ろしい恐ろしい」等々。
塞翁が馬、というべきか、結果的にこの炎上騒ぎで電子書籍が売れ、紙の単行本にも重版がかかりました。
もちろん大ヒット、などというにはほど遠いのですが、いくつか読切の依頼なども舞い込み、
Bのマンガ人生は再び動き出しました。

今日もBはマンガを描き続けています


*************************


以上がおれの身に起きた小さな事件顛末だ。
激怒したおれは、ツイッター社になりすまし犯の情報開示を求めた。
あきらかな著作権侵害ということもあり、情報はあっさり開示された。

犯人は、学生時代からの友人A、赤尾だった。
怒り狂ったおれは、あいつのところへ押しかけ、怒鳴り散らし、
自炊の為に裁断されていたおれの単行本だった紙束を投げつけ、
絶交を告げた。赤尾の額からは血が出ていた。赤尾は何も言わなかった。

それから一週間、赤尾の事を振り切るように新作のネームに没頭していたおれに、
ふと一つの考えが浮かんだ。

おれはあいつに酷い事をしてしまったのではないか

いや、作者に無断で単行本自炊してネットにアップする、
これは許されない行為だ。それは確かだ。
あまつさえ赤尾は自作のふりをしたわけで、そこに弁護の余地はない。

だが、無断でアップされなければ、おれはここまで怒らなかったろうし、
そうなれば、ただのツイートとして、ネットの海に埋もれていたのではないだろうか。

承認欲求を満たしたいゲス野郎勝手作品なりすましツイートされた悲運のマンガ家」
という物語があればこそ、あのツイートはバズり、結果としておれのマンガが多くの人のところへ届いたのではないか

そして赤尾はそれを計算していたのではないか
赤尾は、たびたび売れないマンガ家の愚痴を聞いてくれた。
学生の頃からずっとおれのマンガ面白いと言ってくれていた。
言い続けてくれていたのだ。

とはいえ、もうそれを確かめることはできない。
純粋に悪意なら、確かめ必要がない。
また、確かめて、もし赤尾の行動が善意だったとしたら、
おれは赤尾の行為真意を世に示さなければいけない。

そうすると世間は一連の行為自作自演の延長にある恥知らずな行動と受け止めるだろう。
だとしたら、それを明らかにすることは赤尾の望みに反してしまう。


遠い日の赤尾の言葉がおれの頭の中で乱反射する。
「お前のマンガ面白いよ。たくさんの人に読んでもらうべきだよ」
赤尾はあいつなりのやり方でそれを果たそうとしたのではないか

怒りにかられたおれは、あいつがどんな表情をしていたかすらろくに覚えちゃいない。
あのとき
それ以前にあのツイートをしたとき
おれの単行本裁断して自炊したとき
あいつはどんな顔をしていたのだろうか。

おれはどうすればいいのだろう。
どうすればあいつに、報いることができるのだろう。


炊いた、赤尾に。

今日も女は心が狭い

こういう感覚男性向け作品に向けて叩くのがクソフェミ

まともに受け取っちゃあいけません

ツイ廃糾弾ばかりでうんざり

あなたのちっぽけな正義感は誰かを幸せにしているのか?

不快な気分をばら撒いてるだけじゃないのか?

楽しいことや優しい話を拡散しようよ。

2019-03-04

女叩きのデマ否定されない

トイレでの性犯罪とか、男に不利な話はすぐ証拠もなしにデマデマだと躍起になって否定される。

一方この「女子生徒が男子トイレに入ってその場にいた男性逮捕された」という明らかな女叩きデマは何年も繰り返し拡散されている。

女子生徒が男子トイレに入ってその場にいた男性逮捕」は嘘ニュースです

https://togetter.com/li/1027219

デマとわかっても「今の世の中は起こりかねない。女が悪い」と結局女叩きされる理不尽さ。

AEDデマも、「今の世の中では起こりかねない。女がセクハラと騒ぐから悪いんだ!」「問題提起としてはいいんじゃないか」「やはり女を助けられない!」というデマ正当化するコメントが溢れかえった。togetter にも。

なら性犯罪子宮摘出の話も、「性犯罪ばかり起こす男が悪い」と言われてもいいのに。

anond:20190304113525

トゥゲッターでもあるの?

オタクが別のコーナーの自分ブランド処分して笑顔奥さん写真を貼ったり、思ったより安くてショックって瞬間のお父さんを貼ったり、ひどい印象操作をして拡散してあの炎上騒ぎを起こしてたのは本当に酷かったか番組見てる人には引っかかって当然だと思う

著作権法改正

漫画家出版社困惑している中、このまま通そうとしているのは、違法ダウンロードから著作権者利益を守ろうという表向きの理由に隠れて、政権に都合の悪いニュースや論評の拡散を防ぐために使いたいんだろうと思ってみてるんだけど。

ついでにEUリンク税みたいなのも入れちゃえば、それなりのもの(いきなり完璧もの作ると反発きついからね)完成しちゃうよ。

やったーっヽ(´ー`)ノ

『LEFT ALIVE』の惨状確信した日本ゲームメディアの死

『LEFT ALIVE』というゲームがある。日本の多くのゲーマーを満足させることができなかった。

要するに大多数のプレイヤーからクソゲーと言われている作品だ。今年のクソゲーオブザイヤーノミネート作品とまで言われている。

もちろん自分も定価で予約して買った組だが、あまりの出来にいつゲオに売りに行くべきかを考えている。

閑話休題クソゲーが生まれ理由は多々あるだろう。ただプレイヤーである自分には関係ない。

ただゲームを論評するゲームメディアはどうだろうか。多くのプレイヤーから厳しい評価を受けている本作に対する否定的レビューがなぜないのか。

一般プレイヤーより早くプレイできるのだから、その内容を伝えるのがゲームメディアとしての「ジャーナリズム」だろう。それがクソゲーであってもだ。

それではなぜ批判的なレビューが書けないか。それはシンプルな話でゲームメーカースポンサードしているからだ。

Webゲームメディア収益源は広告であるGoogle AdSenseなどのバナー広告などである

だがGoogle AdSenseだけで食っていけるほど景気の良い業界ではない。

そこにゲームメーカーがつけいる隙が生まれる。「そのバナー広告の欄をうちが買いますよ」と。

ゲームメーカーからすればゲームメディアを読んで自ら情報収集をするようなプレイヤーは上客だ。

ゲームの購買欲はもちろん、SNSなどでの拡散も期待できる。テレビCMより、量販店CMより効率の良い広告枠だろう。

ゲームメディアバナー広告なんて費じゃないほどのお金が転がり込んでくる。基本無料ビジネスを存続させるためにスポンサー必要だ。それは地上波フリーペーパーもなんだってそうだ。

すると何が起こるか。スポンサーに対するネガティブな事は書けなくなる。それがどんなクソゲーでも。

仮に書いたとしたらそのメーカーからは二度と広告はもらえないからだ。

ジャーナリズムとしてのゲームメディア存在意義はどこにあるのだろうか。

提灯記事を書くのがジャーナリズムだろうか?それは地上波通販番組と同じではないだろうか?

こうして読者から信用されなくなったゲームメディア広告枠としての価値もなくなり、

PVも稼げない、企業から広告がもらえない。そうしてやがて衰えて死んでしまうだろう。

それではゲームメディアが生き残るために向くべき方向はどちらなのだろう。

お金を落としてくれるゲームメーカーなのだろうか、真摯情報を届けるべき読者なのだろうか?

2019-03-03

anond:20190303175601

積極的に反対したい人もそれほど多くないだろうからお互い象徴的なイメージを使って印象操作しあうのは自然な流れだと思う

ただオタに画像拡散されるJKはかわいそうだと思った

2019-03-02

都市伝説習合について

Momo challenge」というものにわかに出てきたので。

結局はフェイクニュースだったらしいけれど、まあ都市伝説らしいなぁと。


Momo challenge」はアプリだったり、動画サイトで閲覧している所に突然登場する。

最初の画面ではひきつった女性の顔(実際はアート作品不正使用なのだが)が出てきて、指令を表示する。

それで、その指令を聞かないとひどいことが起きるだの、答えても指令がどんどん過激になるだの……そういった概略になっている。

何故話題になったかは時の運だとは思うけれど、非常に都市伝説のある特性を有した作品ではあるなぁと思う。

その性質とは、都市伝説習合である


そもそも都市伝説というのは、人々の噂の集合体である

様々な媒体を介して、話に尾ひれがつき拡大解釈が行われたり、ものによっては意図的改竄すら行われつつ、それらは拡散されていく。

一方で淘汰された都市伝説は、大半は消滅するが、残りの半数くらいは性質のみが抽出される。

そして、それらを掛け合わせて新しい都市伝説魔改造されるか、既存都市伝説に上書きされて「習合」していくのだ。

例えばかの「怪人赤マント」は、「赤い紙 青い紙」の選択/即死性と、「口裂け女」の行動範囲習合してできた都市伝説である

現代でも、八尺様が山女や悪皿の性質を有していたり、こっくりさんお稲荷様が同一視されていたり。

神仏習合……とはいかないまでも、数多くの都市伝説が合わさり、進化をしているわけである


さて、件の「Momo challenge」であるが、これの元ネタ実在のものであるが「青い鯨」だろう。

詳細は最近ジャンプで似たものを扱っていた漫画もあることだし割愛する。

ここに、本家にはない「指令を聞かないとひどいことが起きる」という都市伝説特有ルールを破ることに対する懲罰性が加わった。

動画サイトを介する」部分は貞子をはじめとする近代ホラーの一要素だし、「突発的なポップアップ」は「赤い部屋」の性質である

また動画サイトの方では一方的な通告のみを行うため、「件」の性質も含んでいるのかもしれない。

この様に性質を分解してみると非常にパッチワークされて作られた都市伝説であることが分かる。


ここまで顕著に多作品が継ぎ接ぎされた都市伝説はあまり例がないため、習合が多い都市伝説の中でも貴重なサンプルケースである

今後もこのような習合性を活かした作品が洗練され、新たな都市伝説へのブレイクスルーに繋がっていくことを楽しみにするばかりである

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