『LEFT ALIVE』というゲームがある。日本の多くのゲーマーを満足させることができなかった。
要するに大多数のプレイヤーからクソゲーと言われている作品だ。今年のクソゲーオブザイヤーノミネート作品とまで言われている。
もちろん自分も定価で予約して買った組だが、あまりの出来にいつゲオに売りに行くべきかを考えている。
閑話休題。クソゲーが生まれる理由は多々あるだろう。ただプレイヤーである自分には関係ない。
ただゲームを論評するゲームメディアはどうだろうか。多くのプレイヤーから厳しい評価を受けている本作に対する否定的なレビューがなぜないのか。
一般のプレイヤーより早くプレイできるのだから、その内容を伝えるのがゲームメディアとしての「ジャーナリズム」だろう。それがクソゲーであってもだ。
それではなぜ批判的なレビューが書けないか。それはシンプルな話でゲームメーカーがスポンサードしているからだ。
Webのゲームメディアの収益源は広告である。Google AdSenseなどのバナー広告などである。
だがGoogle AdSenseだけで食っていけるほど景気の良い業界ではない。
そこにゲームメーカーがつけいる隙が生まれる。「そのバナー広告の欄をうちが買いますよ」と。
ゲームメーカーからすればゲームメディアを読んで自ら情報収集をするようなプレイヤーは上客だ。
ゲームの購買欲はもちろん、SNSなどでの拡散も期待できる。テレビCMより、量販店のCMより効率の良い広告枠だろう。
ゲームメディアもバナー広告なんて費じゃないほどのお金が転がり込んでくる。基本無料のビジネスを存続させるためにスポンサーは必要だ。それは地上波もフリーペーパーもなんだってそうだ。
すると何が起こるか。スポンサーに対するネガティブな事は書けなくなる。それがどんなクソゲーでも。
仮に書いたとしたらそのメーカーからは二度と広告はもらえないからだ。
ジャーナリズムとしてのゲームメディアの存在意義はどこにあるのだろうか。
提灯記事を書くのがジャーナリズムだろうか?それは地上波の通販番組と同じではないだろうか?
こうして読者から信用されなくなったゲームメディアは広告枠としての価値もなくなり、
PVも稼げない、企業からも広告がもらえない。そうしてやがて衰えて死んでしまうだろう。
寄付金で運営しても裏切るものは出る