はてなキーワード: 慶應義塾とは
これまで、帝大卒はたくさんいたけど、東大卒総理は鳩山だけ。一方で1925年以降生まれの早稲田卒総理は6人(海部、福田康夫、小渕、森、野田、岸田)、慶應は二人(橋龍と小泉)である。
東大卒は官僚として国を率いるもので、総理大臣になんかならない、という意識があったかもしれない。
そんな中、今回総裁選に出ていた候補は、上川、加藤、茂木、林、小林と半数以上が東大卒、しかもそのうち4人がハーバードに留学している超学歴エリートだった。なんか意外じゃない?私は意外。
ところで東大組(とか医学部組)はわかる通り、本当に重要な学歴マウンティング情報は出身高校に隠れている。なんか実は同じ高校組でつるんでたりすんのよ。そこでこの5人(+断念した斉藤健)の出身高校を見なければならない。偏差値はこちらの合格確実ライン。掲載のない高校は?とした。たとえば雙葉学園系は高校募集がないと思う。あとは、数字がある高校より偏差値が高いということはない。
候補者 | 出身高校 | 偏差値 | 第一回投票 |
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林芳正 | 下関西高校 | ? | 65 |
小林鷹之 | 開成 | 69 | 60 |
茂木敏充 | 足利高校 | ? | 47 |
上川陽子 | 静岡雙葉高等学校 | ? | 40 |
加藤勝信 | 都立大泉 | ? | 22 |
斎藤健 | 筑駒 | 72 | -- |
みんないろんなところから東大に行っているのである。必ずしも県下最上位高と言うわけでもないよ。中学入試至上主義の誤謬がよくわかる表だ。
これまでは、偉い政治家と学歴の相関はかなり悪かったと思うが、このように相関が出てきているところ、それでもなお有名中高出身者は少ないのである。小中はみんなのびのびと学び、スポーツし、楽器を奏で、プログラミングをした方がいいね。
ところで高校視点では、推薦人集められなかった斎藤サンが最高学歴であった。とはいえ高校入学組である。筑駒(もしくは灘)の中学入学組がわが国の学歴の頂点であることは論を俟たないため、このグループの総裁候補の出現が望まれる。もしくは中学入試なんて役立たねえよ、って社会に向けて発信してほしい。笑。
候補者 | 出身高校 | 偏差値 | 第一回投票 |
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高市早苗 | 畝傍高校 | 52 | 181 |
石破茂 | 鳥取西高校 | ? | 154 |
小泉進次郎 | 関東学院六浦高校 | ? | 136 |
河野太郎 | 慶應義塾高 | 64 | 30 |
野田聖子 | 田園調布雙葉高校(中退) | ? | -- |
どう見てもこちらの方が大物揃いで、得票数も桁がちがう。よ〜するに、東大卒が5人いたけど、上3人は非東大、っていう総裁選だったわけです。唯一有名校の河野さんはボロボロだったし。
大学まで見たって、やっぱり学歴なんかじゃない、と言うことか。やっぱり本当の学歴エリートは総理大臣なんて目指さないのか。それとも、東大卒なら小物でも総裁選出馬までいけるという意味なのか。皆さんはどう思いますか。
今回は人数が多かったおかげで、学歴厨にはおもろい総裁選でございました。統計見るにはサンプル数が多いに限る。私が学歴至上主義かどうかは皆さんにお任せします。
「地下のナマズが暴れると地震が起きる」説はいつごろ廃れたのか、について調べていた
おおよその流れは掴めてきたので一旦ここにまとめる
結論から言うと、明治元年(1868年)ごろから急速に地震鯰信仰は失われたと思われる
オランダの辞典をもとに、地震がなぜ起きるかを科学的に説明した内容を翻訳した
鯰絵が大流行した
しかし「鯰絵が流行した=民衆は地震の原因を鯰だと信じていた」と等号で結んでいいのか?という点はちょっと怪しいと思っているのだが……
というのも江戸時代末期の時点で、江戸の町民はお化けや妖怪の実在をどうやらあまり信じていなかったように資料を見ていると思えてくる
お化けや妖怪の実在を信じない人が地下の大鯰を信じるというのは不自然に思える……という感覚は21世紀に生きる人間の感覚だろうか
『泰西地震説』は学者が読むような専門書で、一般民衆にはあまり読まれなかったのだろうか?
江戸時代にもいくらかは民衆が読むような蘭学書が流通していたようなのだが、地震の原因を科学的に解説するようなものはなかったのだろうか?
当時は陰陽五行思想を信じる人が多かったはずなのだが、この思想では地震をどのように説明している?
鯰絵について語られた本でKindleで買えるものが無いため、追加調査は図書館か本屋で資料を入手してからになる
小幡篤次郎、後の慶應義塾長、『学問のすゝめ』を福澤諭吉と共著した人物
地震の原理について、『泰西地震説』で解説された内容とだいたい同じ説明がされている
こういう本をわざわざ出版する必要があったということは、これに書かれた知識は当時広く知られていなかった……とみることができるか
西欧に追いつこうという強い意欲が見える気がする
明治初期の就学率は今と比べると低くはあるが、この本によって一部の若者に対して啓蒙が行われた
これによって明治に生きた若者は地震鯰を迷信と見なすようになったのであろう
「私の父は地震鯰のような俗説を信じていてやれやれだ」みたいな記述がこの時代にもし存在すれば嬉しいのだが……
また、教科書ではなく大人が読むような啓蒙本はどのようなものがあったのだろうか?
民俗学方面からばかり攻めていたが、明治維新に関する読み物を探すのもありか?
M5.5程度で揺れはそこまで大きくなかったようだ
この地震を体験したジョン・ミルンというイギリス人が地震研究に関心を持ち日本地震学会を創設した
濃尾地震
科学者が地震調査のため派遣された、のような記事が新聞に載っている
ただ「鯰絵が描かれた=民衆が地震の原因を鯰だと信じていた」にはならないだろう
『江花叢書』第1巻
当時のエッセイ的な読み物
関東大震災に対する四方山話からの流れで「地震と大鯰」という題が名付けられた項がある
一部引用する
鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。大地の下には大鯰が生棲して、平生は辛抱強くじつとして動かぬけれども、どうかした拍子に其の尾鰭を動かすと大地が震動するのであると云ふので、我邦では正直に之れを信じ、
「正直に之れを信じ」という表現から、今は信じる人はいないというニュアンスを読み取る
「おじいちゃんが子どもの頃は地震の原因は鯰だと思っていてね」と語る人がいてもおかしくない年数だ
科学とか西欧合理主義が流行った結果、地震鯰信仰のような俗説が廃れたんだろうなあ
ひと段落したら明治大正を生き延びた俗説で何か面白いものがないか調べてみたい
先に読んだ方が民俗学的視点が備わって調査の全体の見通しがたつかもしれない
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明治時代より前の時期の日本において、「なぜ地震は起きるのか?」のような原理の解明を目指した学者がどうにも見つからない
あるいは調べ方が悪いのか……
幕末の日本人は地震ナマズを信じていなかった、ではいつ頃まで信じられていたのか?
もしそうだとすると「地震の原因がナマズというのは俗説だ。本当はこのようなメカニズムだ」という探求が行われていてもいいではないか
見つけることができない以上、ナマズ説を信じていたのかもしれないと消極的にだが認識せざるをえない
儒教においては「陰だか陽だかの気が地面から噴き出る時に地面が揺れる」のような説明がされているらしい
日本の儒学者はそれを信じていた?だとすると江戸の民衆のその説をどの程度認知していた?
あるいは「ナマズが原因ってことはないだろうけど、本当の原因が何かと聞かれると分からんなあ。詳しいことは学者先生に聞いてくれ」というスタンスが大多数か
日本人の宇宙観を調べた時にも思ったが、当時の天文方は観測と暦の作成にばかり注力していて「なぜ?」という問いを立てない
調べることだらけだ、学生の頃に日本史や世界史を選択しておけばよかった
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また、火山、雷雨、地震の3つセットを司る龍神がいるという信仰もある
ナマズが俗説ってそういうこと?
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しかし本来は本業に関する勉強をして給料を増やす努力をすべきなのだろうが、仕事と関係ない本ばかり買って読んでしまう
悲しいね
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トラバやブコメにあまり反応しないようにしているのだが(そこそこの確率で不毛なので)、今回は必要を感じた
鯰絵はアマビエブームと近いものを感じるという意見には強く同感
ただ、いろんな本や資料に「昔の日本人は本気で地下にいるナマズが地震の原因だと信じていました」と書かれているんだよな……
これに強い疑いを抱く
しかし、アマチュアの私が思いつくようなことをプロの研究家が思いついていないわけがない……
なにか根拠があるはずと信じる
清書の予定は……調査がひと段落したときにあるいはありえるかもしれない
追加調査は資料入手待ちとか頓挫とか色々な理由でできていないことが多い
追加調査の結果を追記しようとすると買った本の内容丸写しみたいになりかねず、倫理的にどうなの?という気分を拭えず自分の中だけで調べた結果を味わうこともそこそこある
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先行研究
神や仏に敬虔に祈りを捧げない一方で迷信深い、この点は現代日本と地続きに感じる
この庶民の信仰の深部に最も接近した欧米人は、明治に来日したアメリカの女性教育者、アリス・ベーコンであろう。彼女は「村を見おろしている岩の頂上は天狗が作った」。「天狗はもうこの森から去って今はいない」。さきほど「山の神様の使いである大きな黒蛇が、いましがた、ここを通った」と説明する陽気な老女に接し、「神秘で不可思議な事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど」、「すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感を私たちの心に湧きあがらせてくれた」と表した。
考えてみれば迷信深いお婆さんは昔は迷信深い若き女性だったかもしれないわけで、幕末だとその考えがスタンダードだった可能性があるわけだ
この引用箇所は別の文献からの孫引きになるのでこういうことするのは本当はよくないのだが……
該当箇所は『逝きし世の面影』という本からの引用……kindleあるじゃないか、買います
これを書いた渡辺京二という方の著作はすべて読んでもいいかもしれない
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現代を生きる信心深いキリスト教徒にとって「神は実在する」と「妖精/人魚/ドラゴンは実在しない」の考えは矛盾なく両立するのではないか
(「実在」という言葉の定義をしっかり言語化しないととまずい気配を感じる……)
同様に幕末の江戸町民にとっても「神/仏/龍神/大鯰は実在する」と「妖怪/お化けは実在しない」の考えは矛盾なく両立する可能性がある
一般に「役不足」と「役者不足」の誤用については以下のように説明されると思う。
「役不足」とは「能力に対して役が不足している・地位が低すぎる」という意味だが、逆に捉えて「役に対して能力が不足している・地位が高すぎる」と誤用されることが多い。「役に対して能力が不足している」ときは「役者不足」と言うべきである。
こうした言説について少し検証してみたい。
精選版 日本国語大辞典
やく‐ぶそく【役不足】〘名〙 (形動)
① 振り当てられた役に対して不満を抱くこと。与えられた役目に満足しないこと。
※滑稽本・八笑人(1820‐49)四「くじ次第にして、役不足(ヤクブソク)をいひっこなしだよ」
② その人の力量に対して、役目が不相応に軽いこと。軽い役目のため実力を十分に発揮できないこと。
※文科大学挿話(1926)〈川端康成〉一「人間の才能は役不足の時代に衰へてしまひ易いものなんだ」
③ (誤って、役に対して自分の能力が足りないの意と解したもの) 役割を果たす力がないこと。荷が重いこと。
※続一等サラリーマン(1952)〈源氏鶏太〉「続・三等重役」の撮影現場を見て「僕は社長の息子なんてのは役不足だね。やっぱり、会社の給仕の方が、いちばんピッタリだよ」
「能力に対して役が不足している」は② の用法だ。ところが何故か① の用法と分かれている。日本国語大辞典は、古い順に語義を並べているので、つまり本来の用法は①で、あとから②の用法が生まれた、ということだ。いったい役不足① と役不足② は何が違うのか。
結論を言うと、役不足①における「不足」とは単に「不満」の意味でしかない。
ふ‐そく【不足】〘名〙
① (形動) (━する) たりないこと。欠けていること。また、そのさまやその箇所。不完全。不十分。欠点。
② (形動) (━する) 満足でないこと。不平に思うこと。また、そのさま。不満足。不満。不平。
つまり「役不足」は不足①ではなく不足②の用法だということである。「もっと良い役をやりたい」というだけでなく「自分はこの役には向いていない」とか「こんな重い役はやりたくない」とかそういう不満もひっくるめて「役不足」なのである。
里吉は何を考へたるか、今更遅八刻(おそまき)の役不足
「アノ若 イゝヱ貢さん 妾(わたし)は萬の何テ、人にないから ヤッパリお岸にでもして貰へば好(よか)った、色気のある…」
これは『伊勢音頭恋寝刃』という演目をやる役者が「自分には万野の役は向いていないからお岸の役のほうがよかった」と文句を言っている場面である。万野は悪役だが重要な登場人物であり、お岸と比べて端役だということはないので、これはただ向き不向きの話でしかないことがわかる。
明治23年の右田寅彦『垂氷の月』。
「何時までもお心易く交際(つきあっ)て妹を一人拵へたと思召して下さいましよ」
女性が「これからは兄妹のように付き合いましょう」と申し出るが、男性はそれを断り「あなたを妹だと思うなんて役不足だ」と言う場面。このあと「そうですよね私ごときが妹などと迷惑ですよね」「いや妹ではなく妻だと思っているのだ」という少女漫画ばりの展開になるが。この「役不足」を現代的に解釈するとやや不自然で、ここは「兄のような立場には不満がある」とだけ理解すべきだろう。
此創立五十年紀念理財学会に於て私は非常にむづかしい役目を言い付かつたので、少々困つて居る所でありますが、併し今更役不足を言つた所が追付かぬ、其役目は慶應義塾に於ける経済学研究の変遷に就ての講演をせよと云ふ、余程これはむづかしい事である。
「非常に難しい役目」に対して「役不足」だと言っているので、現在の解釈では誤用だと思われるだろうが、これも「役不足」を「役目に対する不満」と言い換えればすんなり意味が通る。
実は日本国語大辞典で誤用例として挙げられていた以下のセリフも、
これは「社長の息子役には向いていないから演じたくない」という俳優の不満なので、本来の「役不足」の意味からすれば正しいのである。
参考:https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonokenkyu/5/3/5_KJ00006039255/_pdf/-char/ja
ちなみに、現在誤用だとされている用法、すなわち「役に対して能力が不足している・地位が高すぎる」という用例は、いつごろから現れはじめたのだろうか。そもそも、どういうつもりでその語を用いているのか判断が難しいところだが、たとえば明治36年の月露行客『三百年後の東京』。
「お話の男は貴郎に似ているやうじやありませんか、ホホホホ」
「爾(そう)だと結構ですが情けないことには私はその男に似てはいません誠に意久地なしで、併し貴嬢が能くその婦人に似ていますよ」
「いいえ、妾こそ其役には適当(はまり)ませんが、貴郎はその役割に不足はありませんよ」
「ぢや拙者には荷が勝ていますが、無理に其役を務めたなら、貴嬢はその情婦の役を努めて下さいますか」
「妾しにその婦人の扮(いでたち)が出来ますものなら、真似て見ても可(いい)のですが……」
「本統ですか、貴嬢それは、私の役不足を許して下さいますか、若(もし)もそれが真実であつたなら、私は此の世に他の望みがありません」
これは「役に不満がある」でもなし「役が軽すぎる」でもなし「役に対して能力が不足している」と解釈しなければ読めないのではないか。
現在のところ「役者不足」は「役者としての能力が不足している」と説明されることが多い。一方で、「役者不足」という言葉が多くの辞書に載っていないことを根拠として「役者不足などという言葉はない」あるいは「役不足の誤用を説明するために新しく生み出された言葉である」とされることも多い。
もちろん、単純に「芝居に出る役者の人数が不足している」という意味での「役者不足」の用例が存在するのは当たり前である。それ以外の、熟語としての「役者不足」の用法を探してみたい。
これ等のチームが一枚看板たる以上の投手に配するに、力ある捕手をとらへ、しかして二三の力強き打者を加へたならばさういつまでも呉下の阿蒙たるべきものでないと思ふが、如何せん役者不足の憾みがある。
あるいは昭和9年『隣人之友』。
白井喬二といふ男は一時直木あたりが黒幕で大菩薩峠の向うを張らせようとヤツキとなつて、身振りこはいろべたべたとすり寄つて見たものだが、そのうち黒幕の直木が舞台へ踊り出してしまつたので、ここもと少しテレた形だが、役者不足でこんどはヨタものどもが白井あたりを担ぎ出すの幕となる
これらのように、「役不足」よりは用例は少ないが、「役者不足」が「人材不足」「戦力不足」のような意味で使われることはあったようだ。
妹尾「僕は凡て役者不足のやうな感じがさせられたんです。溝口監督がメガフォン執って此のシナリオを用ひたら、まだまだいい映画が出来る筈だと思ひます。」
これはどう捉えるべきだろう。「実力のある役者が出演していない」という意味なのか「出演した役者の能力が足りていない」という意味なのか。
次には、久光公では役者不足である。かかる思い切った大経綸は、先君のやうなその力量手腕が天下にみとめられている人にしてはじめてできることで、久光公では荷がかちすぎる。
男が風景の素晴らしさを妻に語っている場面で、これも「能力不足」のほうか。
これは「財界人物めぐり」と題したコラムのタイトルだが、戦後の財閥解体や公職追放で大人物がいなくなったことを嘆くものなので、「人材不足」の用例である。
と、こうして見ていくと「役者不足」という熟語は昭和初期から使われていたようであり、そして当時から「人材不足」と「能力不足」で用法が並立していたようでもある。
・それが次第に「役が足りていない」と解釈されて「能力に対して地位が低すぎる」という意味に限定されるようになった
・それがさらに「役に対して能力が足りていない」という意味でも使われるようになった(明治末?)
・転じて「人材が足りていない」という意味で使われるようになった(昭和初期?)
・さらに「能力が足りていない」という意味でも使われるようになった(昭和初期?)
・ただし「役不足」と比べると用例はかなり少ない
周り見てりゃそれ体感的にも分かるだろうに
追記:
「知能については後天的要因の影響の割合が大きい」とか断言調に嘘ばら撒くブコメとか
知能の定義がとかろくに調べもせずに言うブコメが多いので追記したい。
日本だと
慶應安藤寿康教室の慶應義塾双生児研究プロジェクト、首都圏ふたごプロジェクトが有名だけど
18年間総数1万組の双生児ペアに関して知能・学力や性格、精神疾患や発達障害などを調査して
神経質、外向性、開拓性、同調性、勤勉性といった性格については30〜50%が遺伝要因
知能については70%以上、学力は50〜60%程度が遺伝要因であるとしている。
知能を構成している因子を知識・技能・思考・判断・意欲・関心・態度等の基礎能力として
・文章完成
・符号交換
・図形分割
・乱文構成
・ソシオグラム
・単語完成
・重合板
・類似反対語
上記項目を測定し算出している。
また、総計1455万8903人の双生児を対象とした1958年から2012年までの各国多施設での2748件の研究をメタ分析した報告でも、「パーソナリティ(性格)」「能力」「社会行動」「精神疾患」における遺伝率は49%以上とされている。
Tinca J C Polderman, Beben Benyamin, Christiaan A de Leeuw, Patrick F Sullivan et.al (2015) Meta-analysis of the heritability of human traits based on fifty years of twin studies, Nature Genetics
養子になった子と養い親、産みの両親のそれぞれのIQの相関関係を比較した養子研究法という調査も行われている。
この結果も養子が幼いうちは、ある程度の養い親とのIQの関係性が見られるが
中学生~高校生になると、養い親とのIQの関係はまったくなくなり
逆に養子と本当の親の相関関係は、養子が幼少の頃こそ関係性は低いが、成長するに伴って関係性が高くなる。
という幼少期は子どもの環境によってIQは変化するが、成長していくにつれて遺伝による影響が大きくなってくるという再現性のある結果が得られている。
第105回全国高等学校野球選手権記念大会は、慶應義塾が8-2で仙台育英を破り、107年ぶり2度目の優勝で幕を閉じた。
TVで見ていたが、俺としてはどちらが勝っても良かったものの、もう少し僅差だったらより良かったという感想だ。
ネットでは、試合中も試合後も、慶応義塾の応援についてあれこれ言われている。
慶応の得点後、肩を組んで揺れる人々がアルプス最上段まで映されていたことから、想いを持って声援を送る関係者が、きっと、仙台育英よりも多かったのだろう。
だから、仙台育英を必要以上に威圧して、プレーに影響を及ぼしたみたいなことがつぶやかれている。
しかし、例えば、美爆音などと呼ばれる学校の応援もあるし、大声援自体は他校でもみられる
(「美爆音」という言い方はキモいと思うが、その学校の応援を甲子園で耳にした際は、明らかに音が2,3段階ぐらい大きく、感動した)。
結局のところ、頭も良くて、さわやかイケメン選手も中にはいて、それでいて慶応な上に、甲子園で優勝できるほど野球もうまいという、勉強はからきしでスポーツに全振りして今日の慶応の姿を見るまではそこそこな青春だったと思っていた人や、青春を謳歌できなかった人や、学歴コンプレックスにさいなまれる人に至る割と広範囲に対して、ほとんど完璧な文武両道を見せつけたことへの妬みが「応援批判」に込められているのだと、俺の中で勝手に解釈している。
男子校で女子がいないという、ネットが優しくなってくれそうな要素も全く効果を発揮していない。
本題はここからなのだが、これがもし、早稲田の付属校だったらどうだったのだろうか。
107年ぶりに対抗するためには、甲子園初出場で初優勝したという想定で進める。
調べていないけれど、早稲田実業以外の早稲田の付属校で、甲子園出場経験のない学校あるよね?
そこは、坊主非強制で、慶応並に頭も良いし、今日の慶応に負けないぐらいの大声援。
8-2で仙台育英を破り初優勝。
さて、ネットはどうだろうか。
全く根拠はないのだけれど、慶応の方が色々言われてたんじゃないかと俺は思ってしまう。
慶応は慶応ボーイ感、早稲田は泥臭い→スマートでカッコいいのは慶応みたいな刷り込みなのだろうか。
あくまで俺の中では、慶応も早稲田も同じぐらいの「頭の良い学校」である。
しかし、なぜか世間は、慶応によりコンプレックスを感じてしまうのではないかと想像してしまう。
甲子園決勝で、早稲田付属校VS慶応付属校の早慶戦が行われたら、とんでもないことになりそう。
見てみたいね。
私は千葉県酒々井町で生まれ育ち、千葉県立佐倉高等学校を卒業し代ゼミから一橋大学商学部に入るまでは安穏と過ごしていた。在学中ストックホルム商科大学に留学し、ローベン島の離宮で行われたパーティーで知り合った貴族達と関わるうちに彼らの有色人種虐殺計画を知った。一橋大学商学部卒業後に神戸大学医学部医学科と医学研究科にてストックホルム貴族達の陰謀を暴くため研究に打ち込むも怯えた教授達から医局と学会を追放。サナトリウムにて亥鼻の工作員たちから拘束される屈辱を受けた。
現在、ストックホルム貴族達との決戦を決意しリクスダーゲンに向け、私をベルナドッテ王朝に代わるスウェーデン国王に推戴するよう働きかけている。
数日前に諸事情があり東京へ赴いた。ストックホルム貴族達による有色人種虐殺計画に対し、国王陛下の行政府がどのように対応しようとしているのか、或いはしていないのかを確認するためであったが、結果的にペールエリック・ヘーグベリ大使閣下にお会いすることは叶わなかった。急に伺ったこちらにも非礼はあるが非常に残念である。
せっかく東京まで来たのにこのまま帰るのはあまりにもつまらない。六本木の蔦屋にて東京医学社と慶應義塾出版会の雑誌や書籍を数冊買い込むと、そのままタクシーに乗ってしばらく東京を流し、面影橋のあたりで降りた。
かつて日本女子大学の女性と交際していた学生時代、雑司ヶ谷、早稲田、高田のあたりをよく散策したものである。
しばらく神田川沿い、目白通りをふらついてからリーガロイヤルホテル東京に向かいガーデンラウンジで買い込んだ雑誌を読むことに。
最近思うが、社会人になってしばらくしてから何らかのやらかしをするのは慶応大卒が多いように思う。あまりいい噂を聞かない。
慶応大卒や在学中の普通の人には本当に申し訳ないが、そう思う。もちろん自分は慶応大卒の素晴らしい人たちもたくさん知っているので、全員が全員そうだというわけではない。一部のおかしな奴らが出張ってきているのだろう。
しかし、今までうっすらと感じていたのが最近顕在化し表層意識に上がってきて、確信レベルになった。
完全に偏見であるため統計をとったわけではないが、昔感じていた「慶応」という雰囲気はもはやなく、GMARCHどころか日東駒専あたりに感じている。話の内容のレベルも低く、幼稚である。
そのため「慶応卒です」と言われても「学力が高いのだろう」とは全く思えない。そうではなく「頭がいいと思い込んで驕り高ぶっているけれど、そんなにでもない」というふうに見えて、まず嫌なイメージを受ける。
つまり「学力は日大レベルだけれど、プライドは慶応」というような印象を受ける。そのため、日東駒専と比較するのはかえって日東駒専に失礼かもしれない。
少し調べたが、慶応大の受験科目はかなり偏っている。まあ別に他大学もそうで、慶応大も昔からそうだと思うが、「英語ができる」という点でかなり通過できることが多い。
参考情報として、記事の最後に入試情報を転記しておく。見たい人だけ見てほしい。
入試情報を見ると、どの学部でも合格最低点が60%付近であるが、これはどこの大学でもそうであるから特にこれ以降言及しない。
慶応大学は、基本的に英語科目がかなりの位置を占めている。もともとは福澤先生が漢学ののち蘭学、蘭学から英語に切り替えて学び、海外で学ばれたあとに慶應義塾を創設された流れから、英語が尊ばれているというのは理解できる。
そして世界をリードするような存在を鍛え上げるというような精神でこれまでやってきた大学なのだと思う。
しかしながら、しっかりと英語ができるような人材はもういきなり海外に行ってしまうような時代になった。「なった」というより、とっくの昔にそうなっていた。国内の経済学部でMBAを目指しにいくというよりも、すぐにでも海外でMBAを取りたいのだ。その海外のMBAにも影が差しているかもしれないがそれは今回の話ではない。
「慶応というのは頭がよい」というブランドが確立されていたため、こうした受験科目等を見ると、そのブランドを手っ取り早く手に入れるにはかなり穴場になっているように思う。そして「私立最高峰」のようなプライドがあるためなのか、非常に嫌な人間が多い大学だなと考えている。「俺/私は、頭が非常に良い」と驕る雰囲気を感じるのだ。自信があるというよりも、人を見下す態度が凄まじいのである。他の私立大学や国公立大学卒にはあまり無い共通性である。
これは、以前であれば問題は無かったのかもしれない。そのプライドに見合った学力・努力・精神があるため、多少のわんぱくは許容されていた。しかし、その驕りはそのままに、学力と精神だけが落ちてきているのではないか。
驕り高ぶっている人を見ると「慶応っぽいな」と思う。そしてそれが当たっていることが多い。
つまり、「英語はある程度できるんだけれども、海外留学できるほどではなく、他の科目はよくわからない。でも人からはすごいねと承認されたい」という人には「慶応」というブランドは魅力的なものに映るらしいのだ。特に今の子どもたちの親よりも少し上の世代や祖父母世代にとってはそうだ。少子化もあるのかもしれない。
慶応というブランドを作り上げてきた人たちが少なくなってしまい、ブランドへのフリーライダーの数が閾値を越えてしまったのかもしれない。ブランドが食い尽くされたように思う。
随分前からジョークとして「おれ、ケーオー!」などのように少し小馬鹿にされてネタとして使われることがあったが、徐々に「おれ、ケーオー!」しか無いのではないか、と思うようになってきた。
見ていてこちらの方が恥ずかしくなる。
今はまだいいのかもしれないが、そのうち「慶応か……慶応は英語ができるだけで無知なんだよな……プライドは高いし……」とされて、他の私立大学にその座をドンドン奪われるのではないかと思う。
「1万円札だけが好きな人が行く大学」のようになっているようで、福沢諭吉先生が好きな自分としては残念な気持ちだ。
もちろん、自分のことをルサンチマンや学歴コンプレックス保持者だと笑ってもよい。そういうところも、慶応っぽいのだし。
https://passnavi.obunsha.co.jp/univ/2370/subject
https://www.keio.ac.jp/ja/admissions/docs/tokuten2023.pdf
合格最低点: 205(58.5%)
合格最低点: 266(63.3%)
合格最低点: 247(61.7%)
省略
合格最低点: 290(58%)
合格最低点: 257(64.2%)
合格最低点: 246(61.5%)
合格最低点: 294(58.8%)
合格最低点: 169(48.2%)
サークルの新歓にまつわる話し合いで表題の話を切り出しました。今後飲み会が増えていく時期ですので、ちょうど良いタイミングだと判断したからです。
詳細は後述しますが、反対意見ばかりで賛同は得られませんでした。
話を切り出した時は自分の意見や理由について整理できておらず、話し合いがうやむやになってしまったため、私が表題のように考える理由を整理してみたいと思います。
この2年間、対面での活動が制限され、多くの大学サークルが存続の危機に立たされています。特に、対面での課外活動をメインにしているサークルにとっては致命的で、実際に我がサークルと同じ活動をしている他大サークルがつぶれています。
幸い、我がサークルはコロナ禍の影響を受けながらも新入部員に恵まれ、順調に活動できています。今年度は対面での活動が解禁され、2年ぶりの新歓合宿ができるようになりました。
しかし、コロナ情勢の先行きは依然として見えない状況にあり、予断を許さない状況です。引き継ぎの失敗や新入生不足など、サークルが消滅するシナリオは数多く考えられます。
さて、私が未成年の飲酒をやめさせたい理由は、「法律で禁じられているから」という至極全うな理由に加え、サークルの存続に関わる問題になりかねないと考えているからです。
ここ十数年で未成年飲酒への社会的な認知が進んでいます。大学サークルの飲酒関連のトラブルや事件がネットやニュースで大きく取り沙汰されることも、今では珍しくありません。さらに、コロナ禍で飲み会への風当たりが強いことも見逃せません。
このような情勢から、飲み会がらみのトラブルはサークルの存続にかかわるようなリスクとなりえます。何らかのトラブルが起こった場合、大学側や学生保護者、一般世間が事態を重く見ることは想像に難くなく、大学当局からの活動停止処分や新入部員の激減などの事態を引き起こす可能性があります。
また、新歓で新入生に安心してサークルを楽しんでもらうことを考えたとき、未成年飲酒が横行する現場はあまり望ましいものではないと考えます。
新歓の時期は、信頼関係が完全にできていない先輩や同期たちに囲まれる状況になります。このような状況下では、たとえ飲酒を強要せずとも、「空気を読んで飲んだ方がいいのでは」と感じる人もいるではないでしょうか。
新入生に安心して新歓を楽しんでもらうために、彼ら・彼女らのストレスとなりうる要因はできる限り減らすよう努力するべきであると私は考えます。
前述の通り、部員の意見はおおむね反対ではっきりと賛成してくれる部員はいませんでした。この項では部員の反対意見とそれに対する私の考えを記述します。
・強制して飲ませたりせず、飲みたい人だけ飲むよう配慮すればよい
→本論にも書きましたが、たとえ「無理して飲まなくてもいいよ」と新入生に伝えたとしても、新入生が実際に断れるかどうかは別問題だと思います。
ほんの数ヵ月前まで高校生だった彼ら、彼女らにとって、大学生という存在は我々が考える以上に大きい存在に感じるでしょう。我々に飲酒を強要させる意図はなくとも、立場上新入生が飲酒を強要されているように感じてしまうこともあると思います。
・50年以上、このやり方で問題もなく存続してきたのだから大丈夫だろう
→近年の未成年飲酒に対する風当たりの強さに加え、コロナ禍という戦後類を見ない出来事の最中にあります。今までのなあなあなやり方を今後も続けられる保証はありません。
今後、未成年の飲酒に対する風当たりはますます強くなる一方だと思われます。今、飲酒意識の改革が求められる時期にあるのではないでしょうか。
飲酒した未成年に対する罰則は無し。未成年に酒類を販売した場合は50万円以下の罰金に課せられるが、成人の親や監督者が未成年の飲酒を見逃した場合は科料で済んでしまう。
大学からの懲戒処分としては、学校によるものの、停学から退学、訓告など幅が広い。
・同志社大舞踏サークルの合宿で、男子学生(当時19)が飲み会で一気飲み。後に急性アルコール中毒で死亡。(2016年)
・近畿大学の学生(当時20)が、テニスサークルの飲み会で飲酒後に急死(2017年)
・専修大学の男子学生(当時18)が、サークル仲間との旅行先で飲酒後に死亡(2017年)
慶應に落ちた。経済も商も文も法も全部落ちてた。古文がどうしても苦手で小論文が超得意な私には慶應しかなかった。英作文や小論文を予備校の先生に添削してもらうたび、自分の慶應合格・明るい未来を確信してやまなかった。今まで習った先生みんな「君は絶対慶應受かるよ」しか私に言ってこなかった。なのに落ちた。今は私の人生が灰色一色である。私ってこんなにバカだったのか。
慶應ぜんぶ不合格を前にして、GMARCH以下全勝という称号は何の価値ももたない。とりあえず、受かった中で一番雰囲気が好きでずっと行きたかった学科が一番充実してる学校に行くことにした。それなりに楽しみだ。でも、私の行く学校は慶應じゃない。一年間の努力は何の意味ももたなかった。友達と遊んでいても一人で夜食を食べていてもこの事実がどっしりと私にのしかかって、とてつもなく悲しく、虚無感に襲われることがある。こんな状態で春から大学生になれるのか不安で仕方がない。春から大学生として生活することよりも、MARCHの合格5個で慶應合格1個と交換してくれるシステムがあったりしたらいいのになんてどうしようもなくアホなことを考えている。
慶應義塾は私をいらないって言った。いったい何を以て私のことをいらないって言ったのか考えてしまう。アタワルパを知らなかったからいらないって言ったのか、英語の選択肢がAのところをアって書いたかもしれないからいらないって言ったのか、下手したら私の人間性とかがすっごく嫌いでいらないって言ったのか、もはやわからない。自己採点した限り落ちた理由は見つからなかった。でも結局のところ、私は慶應に入るために何かが足りなかったわけで、現に私は落ちている。その足りないなにかは3枚の解答用紙の中にあって、その3枚を見ただけで私をいらないって言ったんだろうけど、なんか人格が否定されたようでむなしい。勝手に傷心している私はやっぱりバカだなと思う。
たった3枚の紙きれは私の何もわかるはずないのに。私はこれから大学に入って哲学を勉強するし、勉強の他にも人間として成長していきたい。気持ち悪いくらい細かい世界史の用語を覚えるのはもうやめて、もっと外に目を向けたい。そんな私の意志とか慶應は知らない。小論文にしても600字や1000文字で私の何がわかるんだ。これ以上果てしなく落ち込むのはやめて、今日買ってみたドイツ語の語学本を進めてみる。
もう落ち込むのはやめよう、もう二月も終わる。