「学芸会」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 学芸会とは

2021-08-23

オタク生活引退したいのに引退できない

メインでやってるソシャゲウマ娘FGOデレステガルパとシャニマス。これがまた全部つまらない。

一応、メインストリーは追ってるしキャラ実装されるたびにガチャもそれなりに回してるが飽きた。やることが同じすぎる。メッセージもひたすら同じ。ハイハイみんな頑張ってて尊い

アニメ。今期は大体見てるが全部つまらない。昔ハマってたラブライブスーパースターズやひぐらしは楽しめるかと思ったが、展開ワンパのゴミすぎて視聴意欲が失せてしまった。

漫画。東リベを今更読む。新宿スワンの方が面白かった。以上。ゴミ

映画ゴミすぎる。

ワイスピ。いくらなんでも論理破綻しすぎ。孤狼の血役所広司に支えられてただけのゴミ仁義なき戦い()みたいなことしたいだけの学芸会

FGO映画、元のテキストの良さで誤魔化してるだけのゴミ。尺くらい取れ。

かぐや実写版かぐや様役が全然可愛くない。邦画学芸会だなという再確認

ゲームラッシュデュエルかいうのをやったが、ゴミデッキくらい最初から好きに組ませろカス

小説。テスカトポリカを読んだ。アウトロー気取りのサブカル。何十年同じ文脈で食うんだ。北斎のやつ。何十年(以下略

マジで日本の文化娯楽産業って終わってんなって思うよ。

いや、ハリウッド韓国ドラマ香港映画も見てるんだけど全部カスアメコミっぽいインビジブル?とかいアニメ観たけどアレもゴミ

ザ・ボーイズかい逆張りのクソつまらないドラマ二番煎じ

ウェブトゥーンだっけ?縦読み漫画も読み始めたが低所得者ゴミ向けの漫画しか思わんかった。ゴミ向けに作ってるからだろうが同じ情報を何度も出し過ぎ。

オタク趣味って本当に良いことねえな。

オタクのやつらってさ、マジで何が楽しくてこんな生活してんの?最近からなくなってきたわ。

2021-08-09

ジャンプ+の某人気漫画が全く刺さらない

展開が(全部)陳腐

これ見たことあるなってのしかない。

たとえばゴールデンカムイとか読んでると「なにこの展開……俺こんなの知らねえぞ……」ってのが結構あるじゃん

それが「この展開知ってる~~~映画とかで散々見た奴~~~」とサンドイッチされるからいい感じにサクサク読めるのよね。

全部見たことある展開だと既出感だけでバランスが悪くて読み心地が悪い。

鬼滅が流行ったのも多分その「なにこの展開……なに?」って所が結構あったからじゃねえかな。

アクション作画がショボイ

・動きは分かりやすいが静止画のようで迫力がない

・迫力のあるっぽい動きを描こうとしてるがゴチャゴチャしててわかりにくい

このどっちかしかない。

つうかどの動きも漫画ありがちな動きのコピーばっか。

ポーズ集でもトレスしてんのかってレベル

あと全体として動きに骨格や指先がちゃんと追いついてなくてマリオネット感がある。

おいおい中にちゃん筋肉入ってるのかこの人間どもって状態ね。

ギャグセンスが古い

昭和か。

一周回って新しいのかな?

キャラテンプレ

あえてテンプレをなぞることでどういうキャラか一目で分かるようにしてるんですよってのは分かってるんですよ。

でもそれにしたって陳腐なのが多すぎない?

記号化が激しすぎるでしょ。

それで中身には個性が詰まってるならいいけど、中身もテンプレっていうね。

言動全部テンプレじゃあ学芸会見てるような気分になっちゃうよ。

その辺は一枚絵とかにも現れてて「このキャラってこういうキャラなんですよね」ってお互いに確認するかのごときテンプレポーズテンプレ小物と一緒に決めてくる。

「いいえ、ちょっと個性出してほしいですよ」とこっちは言いたいけど、金出して買ってる層は「テンプレキャラテンプレヤッター」なんだろうね。

まり俺に刺さらない

俺が漫画に求めてるのって

個性

・意外性

・細部のディティー

なんだと思うわけよ。

でもジャンプ+で人気のあの漫画は「無個性テンプレを見本をなぞるように描く」ことで人気を博しているわけだ。

これは俺には刺さらいね

相性がここまで悪いとなんでこれ流行ってんだろって悩んでもしゃーないな。

2021-08-08

パリ五輪PVショボくなかった?

SNSとか見ると「東京ショボすぎパリ凄い」「パリかっこいい」「流石!」みたいなの見かけるけど、東京ショボすぎは置いといてパリも割とショボくない?

しろ東京がこんだけチンケに終わったあとにせめてパリぐらいは格好良く決めてくほしかったのに結局アイツらも伝統芸能五輪やってる感のキメラ出してきてなんじゃそらと。

パリからとりあえず音楽しますよってそのセンス日本から取り敢えず盆踊りしますわと根っこは一緒じゃねーかと。

もしかして真っ当なクリエイター達にとってはもはや五輪なんて窮屈でクッソださいから関わりたくない案件みたいになってんのか?

いやほんま今度の五輪こそかっちょいいの来てほしいと思ったのに「風力発電!ドヤァ😤」とかやってくるからなんじゃこりゃとなったわ。

そういう先生の顔色伺いながらの学芸会みたいなのやってるのは老人に牛耳られた日本でもうお腹いっぱいだよ

東京五輪2020閉会式のまとめ

前回の:

東京五輪2020開会式のまとめ

https://anond.hatelabo.jp/20210724074919



選手入場後のCG良かった

スカパラ

スカパラに合わせて踊るダンサーショボい

→この辺りから共感性羞恥が刺激され始める

二刀流けん玉振り回している奴がいた

演出コンテクストが汲み取れず彼らが何をしたいのか理解不能

脈絡なくLiSAの紅蓮華が少し流れる

→鬼滅が人気だから適当に入れただろ?

DJ松永

→すごい人なのだが、フィーチャーされず演出と噛み合っていなかった

→何故こんな無駄遣いをするのか・・・

・南国にいそうな鳥みたいなダンス

アイヌエイサーなど民族舞踊からまり日本盆踊り紹介映像

・会場で盆踊りし始めて真夏日本が冷えっ冷えに

→座り込んで踊りを見てすらいない選手散見される

パリ五輪演出映像作品のみ

橋本聖子挨拶

五輪マークに蛾が止まったままスピーチが始まる

小学生が育てたあさがおに勇気を貰ったと言及するも、枯れていた写真SNSに出回っていたため微妙空気

開会式同様に長話をはじめるバッハ

橋本聖子より長い、女の話より長い

大竹しのぶの小芝居で締め

演出サイズ感が合ってない

→これを劇場でみたら迫力合ったんだろうなと思った

その他雑感

スカパラベースとした演出だったが、スカパラだけじゃ寂しいから間に適当に曲を挟んだ印象

コンテクストが不在、何をしたいのか理解不能ごった煮の鍋食わされているような感じ

演出プランは決まっておらず、導線だけ決めてあとはダンサー適当に踊らせていた気がする

開会式学芸会なら、閉会式はお遊戯レベル

盆踊りは本当に酷かった

辞任した小山田小林賢太郎臭は無に等しく消えていた

閉会式予算165億円?信じられないね

以上

2021-08-05

小山田圭吾いじめ問題月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)の記事の一部書き起こし

クイック・ジャパン』『ロッキンオンジャパン』以外で、小山田いじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、

メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、

案の定これを利用して、拡散元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事外山恒一氏のnote記事反論している。

また変な扇動しかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。

なお、カドカワ記事フリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士世界塔」の発売直後に刊行されたもので、

アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。

月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352

きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。

幼稚園ときに、巨人土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初記憶ですかね(笑)土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビ土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。

すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。

普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。

小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校身体障害者の人が多いんだけど、特別クラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校ときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。

小学校ときは成績は良かった。運動会リーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣消しゴム流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲消しゴム流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャカプセルを出すと効率悪いのね。

ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分スーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)

小学校ときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいタイトルで作文書かれてね(笑)別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいついかにして迫害たかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃん印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)

運動会リーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。

音楽幼稚園からアニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのときイナズマン』のLPサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)

テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメ再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャート信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方チャートだとフリッパーズ・ギター四国全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。

あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆ジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフ志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。

中学になると、人当たりが悪くなって。クラス友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達クラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としかさなくなった。

Kはね、体がでかくて、小学校ときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。

同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子テープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマンブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときクイーンかな。

その頃、初めてエルヴィス・コステロインペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌グラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテックカメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチシングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面音楽にどっぷりいった。

そういうふうにして中学生のとき洋楽を聴いてると、みんな馬鹿自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。

ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテックカメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コード名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。

高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスなっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)クラスにいるときは、Kとしかさなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドル写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外小説を読みながら歩いていたという話をきいた。

ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校友達かいたから。

変な高校でさ。普通レベッカとかBOØWYコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンクニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスコピーやって出てた。授業中はウォークマンヘッドホンコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。

小沢中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水ジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったか一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)

※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソードアルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめ関係する箇所は上記だけなので以降は省略。



読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。

そして問題記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、

自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。

小山田圭吾問題の最終的解決|外山恒一|noteより

まず第一に、これは小山田氏が、自分いかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。

ーーー(省略)

それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりエスカレート過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的ことなのではないかと思うのです。このことはむしろ世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身イジメ加害経験真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそも最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオンジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。



また、件のブログの反論としては、”自分判断で「障害者虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、

フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。

下手したら、「障害者虐待アピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。

2021-07-26

コロナ禍の「自粛」で各種伝統芸能エンターテイメントを追い詰めておいて、学芸会以下の五輪開会式には165億投入って、誰が考えても頭おかしいだろ。

関係者全員全財産没収でも生ぬるいわ。

2021-07-25

日本好きな人ほどあの開催式には怒ったほうがいいと思った

あの継ぎ接ぎ、チグハグ感、それがそこにあるべきという必要性を感じない、目の前に落ちてた素材をなんとなく陳列しました、みたいな雑感

もっと日本文化現代ポップカルチャーを存分に活かした魅せ方はできたはずで、大人の事情で魅力的な素材を手に入れられなかったとしても、あの素材をもっと素晴らしく魅せる演出のやり方はいくらでもあったように思える それこそ、野村萬斎MIKIKO椎名林檎らはそれができる人材だった

日本ほど昔から現在も幅広く独自文化が発展しまくっている国は世界でも有数、つまり日本という題材は魅力的な素材がいくらでもあって、それは素材が乏しい題材に比べたら圧倒的アドバンテージを誇っているはずなのに、あの出来であることを恥ずかしく思う コロナ禍といえ準備期間も金もあったはずで、その金がどこかに消えて組織脆弱で人が辞任して、そういう問題含めて結局結果を出せてないのだから、本当に恥ずかしい

ゲーム音楽だってもっとやり方はあっただろう ドラクエFFモンハンの曲だって日本人の半数以上〜七割が知ってるかどうかくらいじゃないか

王貞治ら三人衆なんて、今の若い子が知らなくても無理ないし、すでに過去の人なのだから、そんな方々を表に引き摺り出すのも、過去の栄光日本人がいつまでも縋っているように見える

元ネタを知らなくても、カッコよさやおしゃれさ、演出センス次第で「何か良い!ワクワクする!」と思わせることはできる MIKIKO案のAKIRAバイク演出とか、正にそうではないか

ゲームオタクや老人、芸人らの知る人ぞ知るみたいなノリでキャッキャ盛り上がってる様を世界どころか日本にすら見せつけて正直恥ずかしいし、日本の素晴らしさを知っているからこそ、もっと出来るはずだったのに、という悔しさがある

あんなにも金をかけておいて、本当に手作り学芸会を見ている気分だった

コロナは仕方ないとして、悪いのはIOCバッハか、組織委員会か、電通か、なんて突き詰めてもしょうもない 多分全部別ベクトルで悪い

唯一、そのノリだからこそ凄く良さを出せてたのはピクトグラムだったと思う あれは万人受けは難しくても、わかりやすく優しい面白さで、手作り感があるからこそ演出の妙が光って”イイ”と思わせるコントだった

anond:20210725021411

全体が学芸会ぽいんだよね。

クラス素人出し物を順番に見てる感じで統一性もなければ、

文句なしに褒められるほどの技量もない。

2021-07-24

anond:20210723225938

俺は消去法で自民党投票する層だけど、さすがに今回の開会式には「ハァ?」となった。

まず長い。長すぎる。せいぜい60分以内にまとめろ。

深夜に学芸会みたいなお遊戯を何時間もダラダラやって、アホかと思った。

こんなことに税金を浪費してんじゃないよ。

あと菅を始め、多くの人間天皇陛下に対して無礼すぎ。

anond:20210724133649

評価って期待と結果のギャップだと思うんだよね。

簡単からイラスト描いて」「プログラム直して」って意見には、怒涛のような非難コメが集まる

こういうのは与えられた時間や対価で実現可能な結果に対して、要求する側の期待があまりに過大だから製作側の視点から要求側が非難されている。

オリンピック演出学芸会レベルって意見散見する

この場合は与えられた時間や対価で実現した結果が、要求する側の期待に対してあまりに過小だから製作側が要求から非難されてるってことだと思う。

6000億円の当初予算を最終的に2兆円を超えるのではないかと言われるほどまで膨れ上がらせて、開催も1年延期してこれですか?と。

やってもやらなくても良いことを「やりたいです」と自ら手を挙げて一方的推し進めて、その予算は客(=国民)の財布から高い金を勝手に抜き取って使って、出来上がったものがしょぼしょぼだったら客はぶち切れでしょう。経緯が経緯だけに客の期待レベルはかなり高まってしまっているので、その期待レベルを超えるのは容易ではなく、必然的に悪評価につながる可能性が高い。

こういうのは自分がその分野の専門か否かに関わらず、こういうものだとしか言いようがない。自分で作れないフランス料理を食べに行って、高い金を払ったのにその期待に見合わないものが出てきたら、やっぱり好評価はしにくい。控えめに言って、値段の割に自分の口には合わなかったし、また食べたいと思わないといった評価をするのではないか

まあ実際の開会式は見てないんで個人的評価差し控えるけども。

自分の専門外を軽視するはてなー

オリンピック演出学芸会レベルって意見散見するけど、

「お前やれ」って言われて、あの規模・あの内容のもの作れる?

 

自分絶対無理

 

簡単からイラスト描いて」「プログラム直して」って意見には、怒涛のような非難コメが集まるのに、

どうして自分の専門外の分野をそこまで軽視できるのか分からない。

思想の左右とか関係なく。

anond:20210724074919

終始、学芸会のようなしょぼい演出共感性羞恥心が刺激される

「まとめ」じゃなくて「俺の感想」じゃん

東京五輪2020開会式のまとめ

・終始、学芸会のようなしょぼい演出共感性羞恥心が刺激される

1972年ミュンヘン五輪殺害されたイスラエル人選手への追悼が五輪史上初めて行われる

・参加国入場時に流れるゲームBGMの数々に沸き立つちょろいオタクたち

あいうえお順による参加国入場で台湾本来チャイニーズ・タイペイの「ち」の並びとすべき所を台湾の「た」の並びにぶっこみギリギリラインを攻める

台湾人大喜び、Weibo中国人発狂

想定外タイミングで入場してきた台湾選手団にびっくりした中国メディアが別番組に切り替え、それが終わったら中国選手団の入場シーンが終わっていて中国人発狂

・予定時間を大幅に超えたバッハ挨拶で、女の話は長い発言で辞任した森の伏線回収

天皇陛下が開会宣言で「祝う」とすべき所を「記念」に変えてオリンピック憲章違反、暗に五輪開催への怒りを表明

・長過ぎるバッハの話に疲れ果てた菅と小池天皇陛下の開会宣言での起立に遅れる

学生運動に明け暮れていたおっさんたちの為のイマジン

→参加国入場後にこれを流すセンス×

ドローンショーは割と良かった

ピクトグラムはたくさん覚えてて凄いなぁと思った。努力賞。

→書けと言う人がいたから追加

・王、長嶋松井巨人3連星

おっさんホイホイ

長嶋氏の五輪リスペクトする姿勢に感銘を受けた(腕の状態についてカミングアウト)

聖火リレーラスト大坂なおみ

安直だが悪くはなかった

以上

2021-07-23

開会式感想

学芸会の劇と校長の長話二本立てを見せられるとか何かの拷問かな。

入場行進はすごく良かったのに、盛り上がった気分が吹っ飛んでさらマイナスにめり込んだんですけど。

やっぱラーメンズは2流だな

2021-07-04

テレビドラマ「ハコヅメ」が放送始まる前から酷いのが分かって辛い

結論から言えばキャストが駄目だ。

まずムロツヨシ交番所長、キャラが合ってない

千原せいじ。こんなキャラいたっけ?オリキャラ

三浦翔平山田裕貴は謎のイケメン枠

西野七瀬は演技が不安・・・

これコケたらキャストのせいになっちゃうぞ。

どう考えてもキャスティングした奴と脚本担当演出家ないしシリーズディレクターが悪い奴だ

こういう面子が出るという事はつまり原作改変が確実になされるだろう。

から不安ばかり募る。辞めてくれよ、ハコヅメは学芸会じゃないんだ

不当に漫画まで酷評されるかもしれない。愛読者だけどキャストミス過ぎて見る気が失せるわ

2021-07-03

だれが好き好んでいじめられ芸発狂芸の学芸会をみるんだろ

2021-06-29

ウマ娘イベント、遂に世界観を投げ捨てる

簡易あらすじ 1/8話だけネタバレ

VRゴーグルバーチャルリアリティゲームをやる

ゲームデータバグる

ゲーム世界を救うためにグラスとエルが転送される

令和のゲームイベントの姿か?これが?

まずウマ娘関係なさが凄い。

VRゴーグルバーチャル世界に行くので元が何者でも関係がない。

まりウマ娘でやる意味がない。

たとえばこれがアイドルモノでやるのならキャラクターの意外な一面という感じになるのかもしれないが、競走馬モチーフとした擬人化キャラでやっても元のキャラ個性が減るので結果として没個性的な話になる上にキャラ性質が減るので総合力でマイナスになる。

そして展開のテンプレっぷりがヤバイ

ゲームプレイしてたら~~ではなくいきなりゲームがぶっ壊れる。

そしてそれを雑に救いに行く。

話の雑さも酷いし伏線もなにもない。

今までのイベントであればキャラクターの掘り下げという部分があったが、今回はエルとグラスという今までも散々掘り下げたキャラのいつものムーブしかないので掘り下げられる要素がない。

SSRカードの柄がネタバレになっているので語ってしまうがゴールドシップ魔王(ウマ王)として君臨しているのだが、それもキャラクターイメージそのまますぎてなんの驚きもない。

学芸会レベル茶番を延々と見せられることになるという地獄のようなイベントストーリーである

前回のイベントもひどかった

終わったイベントなので起承転結ネタバレしてしまうので注意。

ウェディングドレスが似合う女選手権が開催される

・参加したウマ娘はなぜかアスレチックコース突破させられる

アスレチックコースの途中でリタイアしかけるヒシアケボノマヤノトップガンが助ける

・皆で仲良くゴールしてウェディングドレスを着る

酷い。

何が酷いってレース中に他のウマを助けるというシーンの競馬に対する侮辱たるや。

おててつないで仲良くゴールという文化は、そこに平等世界を目指す文脈があるから成立する。

だがウマ娘世界観は平等ではなく競い合って最強を決めることに意味を見出す文脈の上にある。

プロボクサーリングでいきなり「殴り合いなんて良くない!KOするまで殴るなんて俺は出来ない!」と相手選手にかけよって傷の介抱を始めたらそれがどれほどの人に対してのどれほどの侮辱になるだろうか?

競走馬キャラクター化させるという道を選んだ以上、絶対に守らなくてはならない文脈はあるはずだ。

それを平然と破り捨ててきたのだ。

ならせめて最初からレースもどきなんてせずに、お裁縫だのお料理だのナンパ大会だの大食い大会なりをしていれば……いやそういった催しであったとしてもそれが「競う」「試す」「目指す」といった要素を含むのならば、個人の戦いに他者が介入することは間違いだ。

競走馬達が併せのトレーニングをするのは、それがトレーニングから成立するのだ。

同じ馬主の馬が他の馬を妨害するという展開、同じ馬をターゲットにした同士による協力的な潰し合いだってレースには確かに存在する。

しかし、自分が1位を狙える展開で、チームオーダー存在するわけでもないのに他の馬のために勝利を譲るような馬がいるだろうか?

いない。

そもそも強い競走馬は闘志や競争心を美徳として兼ね備えるものだ。

擬人化美少女ゲームに出てくるレベルの超有名馬であれば、そのどれもが他のものを蹴落として自分が最強になることを目指す生まれついての勝利絶対主義馬のはずだ。

それが自身勝利を目前にして他人のためにゴールから遠ざかる?

そんなストーリーがあっていいのか?

勝利よりも大切なことがある」

そんな物語はたしかに美しい。

だが競走馬世界はその文脈を踏みにじっていくから美しい。

勝利よりも大切なものはない」

その世界からこそ数々の夢が、それが散る姿が輝いていくのだ。

負け続けてもレースに出続けたハルウララがなぜあんなにも人気があったのか?

それは勝利絶対世界でそれでも負け続け、それでも走り続けたからだ。

絶対価値永遠にたどり着くこと無く、それでもそこになにかがあると思わせ続けたからだ。

勝利するということに勝る価値がないはずの世界に、負け続けながら居続けたことが人々の心に強く映った。

そして、何度も負けながら勝ちを目指し続けていた。

それに比べてウェディングイベントマヤノトップガンはなんだ?

というかこんな描かれ方をして本物のマヤノトップガンファンは許せるのか?

1回目は偶然 2回目も偶然 3回目は

次のイベントクオリティによっては、ウマ娘という作品に対して語られてきた「原作へのリスペクト」を疑わなきゃいけないんだろうな

2021-06-17

ホラーからってダイコンを使ってもいいという幻想は捨てろ

ホラーは引きが7割、残りの3割が演者リアクション

3割は十分でけーんだよ。

キャーキャー言わせとけばええわと思ってアホなアイドルとかキムタクの娘とか軽率に入れたがるけど、見てりゃわかるんだよ。恐怖のキャーなのか、キャーって言ってくださいって言われてとりあえずのキャーなのか。

とりあえずのキャーはダメなんだよ。萎えるんだよ。蒼井そらアンアンと一緒なんだよ。プロなら今日微妙だなと思いながらもめちゃくちゃ気持ちよさそうにあえぐんだよ。

アイドルにもしょうもないタレントにもそれができない。

あー、これ怖くないんだな。と、見てる人間に思わせたらもうダメなんだよ。それ以前に「なんやこのダイコン舐めてんのか」って内容以前の違和感を持たせたらもっとダメなんだよ。清純派女優がへそピしてるのがチラチラ見えたら集中できないだろ。

プロ使え、プロをよ。

ホラー監督はすぐに「ホラー映画の地位が低い」って言うけどそりゃそうだよ。ゴミみたいな素材使ってやってんだから挙句の果てには低予算で作るのがカッコイイみたいな美学を語りやがる。

カッコよくねーよアホが。こちとら金払って見とるんじゃ。学芸会見せんじゃねぇよ。せめて低予算でもそれを感じさせない作りにしろ

日本ホラー映画に期待してる奴なんか数少ないんだぞ。そいつらにしょうもないゴミ食わせて金をむしるような真似をするな。真面目にやれ真面目に。

2021-06-15

グッドバイ・マイ…

グッドバイ・マイ…」という脚本がある。

中学生向けに書かれたもので、商業舞台で見ることはまずない。

海外で通っていた日本人学校学芸会で、中学部が毎年演じていて、強く心に残っている。

日本人学校とは言え、1年で全員が入れ替わるわけではないから、キャストも被っているし、去年も見た内容なのに、なぜか毎年強く惹き付けられた。

自分も当然、中学生になったらあの芝居を演るんだと、どんな演出にしようか、どの役を演ろうかと、悩んでいたが、あっさり帰国が決まり、結局一度も演じることはなかった。

生きることに迷ったとき、いつもこの舞台のことを思い出す。

私の魂も、迷い、傷付き、絶望することを知りながら、それでも産まれてくることを、生きること選んだのだと。

生きることを、産まれることを選んだ「産まれて間もなく捨てられる未来」の魂の泣き声が、一度聴こえなくなったあと、助けられたのか再度聴こえだしたシーンが一番印象に残っている。

絶望から希望への転換。

絶望的な人生を知らされた魂たちが、「それでも精いっぱい生きる」と宣言する。

私もそうやって、産まれおちて、生き延びることを決意したのだ。

できることなら、この脚本を演じたい。

全ての役を演じてみたい。ひとり芝居ではなく、誰かと作り上げる舞台の、かけあいの中で、全ての役を。

グッドバイ・マイ…続く言葉は明かされない。演者や観客一人ひとりに、解釈が託されている。

私は私の解釈言葉を入れ、それを「お守り」として心に持っている。

2021-05-23

anond:20210523125858

AIの入ったダッチワイフとは一緒に旅行もいけないし映画もみれないし喧嘩もできない。

より子育てができない。

小学生の子供と一緒に海で泳いだり、山でキャンプしたり、虫取りしたり、自由工作で変な物作ったりしたい。

運動会応援にいったり、学芸会で頑張る姿や卒業式見て泣いたりしたいわ。

大人になったら一緒に飲み屋に行ったりしてみたい。

AIダッチワイフではどうにもならない。

2021-05-06

続・物語作家になりたい人たちへ

【1】

 まず、私の投稿に対して「こういう規則押し付け創作の芽を摘む」というような声が有ったので、以下ではその声に答えたい。

 日本では割りと「創作においては『論理』に頼らない『直感』こそが正義である」という信仰が強い。しかし、現実は逆である。きちんとした創作を生み出すためにこそ、創作家には規則論理必要なのである

 例を挙げよう。映画業界の話である欧米をはじめとする諸外国とは異なり、日本には映画に関する専門的な教育・訓練を行うまともな機関が無い。そのため、映画仕事を志望する人間は、専門的な教育や訓練を受けたくても受けられない。業界全体が、昭和時代と何も変わらない『徒弟制度』に頼りきりである業界志望者は、論理的・合理的ノウハウも身に着けられないまま、無駄に年月を重ねる。結果として、まともな監督脚本家スタッフも育たない。つまり「まともな作品」を撮れなくなり、現在日本実写映画は「まともなビジネス」として成立しなくなった。

 映画役者供給する演劇業界も、実写映画業界と似たり寄ったりである。大半の劇団は良い演劇をすることよりも、地方自治体を唆して税金寄生することや、稽古や親睦を名目にして性的関係を結ぶことの方に熱心で、肝心の本業である演技や演出学芸会レベルのままである

 日本実写映画業界演劇業界は、指導名目スタッフ役者に灰皿を投げつけたり暴力を振るう類いの人間たちが「名監督」や「名演出家」扱いされている始末である。片や出演する演技者の方も、演技の専門的な訓練を受けていないミュージシャンとかが大役をゲットする。こういう紛い物たちが日本映画業界演劇業界蔓延っているのは「論理的・合理的ノウハウの訓練を行うシステム」が無いかである論理的な指導ができない人間は、監督演出家を辞めるべきだし、演技の訓練をしていない人間は、演技の仕事を去るべきである

 それはともかく、漫画小説作家を目指す人間は、実写映画業界演劇業界が手遅れに近い状態になってしまっているのを「他山の石」として、まずは「論理的・合理的ノウハウ」を身に着けるように努めてもらいたい。

 そうすれば、日本実写映画ドラマで頻繁に見かける「よく考えもせずに『何となくそれっぽいから』という理由だけで、悪人たちが悪企みの会議をしている場面で部屋を暗くしてみた」とか「とりあえず竹中直人佐藤二朗ムロツヨシに滑稽な表情と動きをさせておけば、それでコメディっぽくなるだろう」といった馬鹿描写貴方物語作品の中でしなくて済むだろう。

【2】

 次に「セオリーから外れているけどヒットした作品も有る」というような声も寄せられた。これに対しても以下で答えたい。

 野村克也インタビューで言ったことで有名になった「勝ちに『不思議の勝ち』有り。負けに『不思議の負け』無し」という喩えが有る。論理に依らない成功の例は確かに有り得るが、それは謂わば「宝クジが当たる」ようなものである。もしも「宝クジに当たる人間も世の中にはいるのだから自分はあくせく働くのは止める」と言い出す人間がいたとしたら、その正気を疑うだろう。

 物語を書くこと、創作活動をすることは、宝クジを買うように運任せの行為なのか?それは違う。人間頭脳を使う営みなのである。ならば、創作活動において頭脳を使って論理規則活用することの、いったい何が悪いというのか?そんなに頭を使って書くのに抵抗を覚えるならば、いっそコックリさんに頼って自動書記でもしてはどうか?それは冗談だが、仮に偶然に頼るにしても頼り方が有る。

 蜘蛛という生き物がいる。その中でもコガネグモジョロウグモなど、網を張って獲物を捕らえる種類がいる。網に獲物が掛かるか否かは偶然であるしかし、網を張らねば偶然を捕らえることはできない。創作活動において論理規則活用することは、謂わばクモが網を貼るようなものなのだ理解してもらいたい。

【3】

 「とりあえず最後まで書くのが重要」という声には強く同意する。物語作家の志望者は、まずは作品を一本書き上げてもらいたい。しかし、そのためにこそ、論理規則有効なのである登場人物生命の息吹を与えて、物語を完走させる上で、論理規則活用することは、手助けにこそなれど決して枷にはならない。むしろ始めにきちんと考えないままで何となく執筆に着手してしまい、結果として執筆の途中でガス欠になって未完成で投げ出す人の方が、物語作家の志望者には圧倒的に多いのである。それを避けて最後まで書き切るためにこそ、論理規則活用して欲しい。

【4】

 「文章力画力があれば、何も起きない平凡な日常生活描写でも読者を惹きつけられる」というのは、嘘ではないが、しかし本当でもない。それだけの力を持つような文章力画力というのは「何を書く・描くべきか」を把握していなければ、物語作家志望者も身につけようが無い。そして、何を書く・描くべきかを把握するには、やはり論理規則に則った思考必要なのである。また、何も起きない平凡な日常生活は、無手勝流簡単に書ける・描けるものではない。観察力もまた出発点は論理規則である

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん