はてなキーワード: 大卒とは
別に働いてお金ためてから学校に行く人なんていくらでもいるよ。
現実的じゃないなんてまったく思わないけど。
あと年収だけで考えるなら、大卒と高卒では生涯年収が5000万以上違うらしいけど、大卒以下だったらさほど差はないらしいよ。
http://synodos.jp/politics/19136
これ読んでおかしいなと思った点
労働力の確保はもはや手遅れ気味ではあるが――現状、米仏独と異なり、日本に来る金銭的・社会的メリットがもはやなさすぎるので、そこのあたりのちゃんとした待遇・権利保障・教育システム、多様な職種・生き方が併存可能な形を整え――移民や外国人労働者に三顧の礼できていただくしかない。
何しろ「安い賃金で働く移民」が大勢いるのだから、企業は賃金を低く抑えることが出来てしまう。
日本人が働き口を見つけるには、更に低い賃金で働くときだけで、可処分所得が一向に増えない状況が生まれてしまうが、そんな社会は望ましいだろうか?
それでもまだ来たいと言ってくれているひとたちがいる。来てくれているひとたちがいる。そして、なにより実際に来ているひとたちがいる。
そして実際に移民が大量流入したら、失業率が悪化したり、親の貧困を引き継いだ格差が広がる一方だろう。それこそ、新自由主義の負の側面以外何者でもない。
北田暁大さんは、そう言うが、それ逆じゃないの?
治安に関しても疑問が。
「外国生まれの人口比」に関しては、日本はOECD先進国のなかでは実質的に最低の数値、1%ほどにとどまる。独米英仏のように10%を超える状況にはなっておらず、治安の悪化を心配するような段階にすら到達していない。
敗戦直後、日本の治安が良かったなんてどのデータをみたらいえるのか、「昭和30年代」がどれだけ貧しく犯罪の多い社会であったのか、お忘れになったのか。
移民を入れたら、その「昭和30年代」がやってくるかもしれないじゃん。移民に職を奪われ、働いても給料が増えない日本人が、清く正しく生きようとするかね?
上野さんとも北田さんとも違う意見かもしれないが、移民大量流入後の日本でもし治安が悪化したら、その主役は移民じゃなく無職の日本人だと思うよ。
世代間再配分を果たそうにも多くの団塊世代にはそれが難しい。貯蓄額・資産の大きい人びとの資産が、社会的な再配分に向かっていない状況は、上野氏自身が属する「団塊」世代内での断絶を示している。「逃げ切れる団塊」などほんの一握りの人たちであり、そうしたなかで「おひとりさま」などと提唱するのは、社会政策としては絵空事に近く、再配分をなにも考えていないことの証左である。
でもさ、
どれだけ上野氏をはじめとした左派が「アベノミクス」を否定しようと、ここ数年の新卒就職率は高卒・大卒ともだいぶ改善されており、ご存知の通り大学院志願者は低減傾向にある。
上野さんがお花畑なのはそうだとして、北田さんだってお花畑でしょ。
それを踏まえて言えば、移民を制限して、何とか国内で再分配を苦しんででもやるしかないよ。
それをやらないで移民を入れても、分配の議論が混乱するだけだよ。
そんなことを思いました丸
当方、男30才。
彼女と別れて、久しぶりに遊びたくなったのでここふた月ほど、最近話題のマッチングアプリと、昔ながらの出会い系サイトを両方使ってみた。そうしたら、文化が全然違うので、ちょっと書きたくなったので、寂しい思いをしていて、これらのサービスを使おうと思っているであろう、はてな村諸兄の参考のために筆をとる。
マッチした人100人くらい、会った人10人、セックスした人3人
国産のサービスも何個か使ってみたが、メッセージ機能が有料だったり、そもそも有料だったりするので、即辞めた。
口コミで回ってるのだろうか、友達に教えてもらったという子が多い。そして、マトモな人が殆ど。マトモというのは、会うことに代金を求めたり売春などをしない、という意味と、人間としてという意味の2つがある。
このアプリは、あくまで出会い方がスマホアプリだったというだけで、人間関係の構築の方法は、リアルの社会でやるそれとほぼ変わらない。但し、マッチのやり方がプロフイール写真とプロフィール文を見て、いいと思ったらLike、違うと思ったらNopeとやる点は、通常の社会よりかは、えげつないかもしれない。
まずマッチングしたら、メッセージで自己紹介して、相手のこと聞いたり、共通の話題を見つけて関係を構築していく。その分時間は要し、最短でもマッチしてから会うまでには数日はかかるが、会った時はそれなりにお互いを知っているので(仮にそれがでたらめだとしても)、話題は弾む。それなりに小難しい話でも打ち返せるだけの教養を持っているし、会話の引き出しが多い。
属性は多様だが、基本的に大卒で、メガバンクやメガベンチャーなど優良大手企業や、士業など、「ハイスペック」な人も多い。(Facebookのアカウントとリンクしているので、調べたら裏も取れる。)そのため、言葉遣いや服装、立ち居振る舞い、食事の所作もきれいだ。本気で付き合ってもいいな、と思った人もいる。
メッセージした人30人くらい、会った人3人、セックスした人0人
使ってすぐに、そもそも目的が違うのだと分かった。メッセージの殆どは、売春を匂わすものなのだ。掲示板はカテゴライズされていて、売春系(大人向けと表記される)と、普通のものの2つがある。しかし、普通の掲示板の方に投稿したり、投稿を見てメッセージを送っても、売春に誘われることが多い。
ここでは、一般的な人間関係ではなく、「割り切った」関係を求めているのだろう。その分、夕方に投稿しても、その日の晩御飯に行けるくらい、短時間で話がつく。
また、ご飯の誘いにもにも交通費を求めたり、買い物(恐らく「買え」ということなのだろう)と一緒じゃなきゃ駄目と言われたり、シンプルに食事に行く行為自体に対価を求めたりするのだ。
それでも、ご飯に行こうという投稿に対して、反応があり、会う約束までなった人がいたので実際に会った。
ただ、話してみると全然話が合わない。勿論、日本語としてのコミュニケーションは成り立っているし、外形的には普通の雑談なのだけれど、会話が浅い。別に国際問題の話や、小難しい話をしたい訳ではない(もちろん話題をふっても怪訝な顔をされる)。恐らく、女性側は「(タダで)ご飯を食べる」こと自体が目的であるので、会話はあくまでその場が気まずくならない程度の添え物でしかないのも、コミュニケーションが難しい理由の1つだろう。
また、会った3人共食べ方が汚い、箸やカトラリーの使い方が下手、言葉の使い方がよくない、服装が本人に合っていないなどの共通点があった。性格は人が良すぎる子と、性格悪いと感じた子と2パターンあったので、どちらもいるのだろう。
出会い系は、面倒なやりとりなしで、手っ取り早く会ったり、お金の力でセックスするならいいのかもしれない。お金持ちが遊ぶ分には、いいのかもしれない。(釣り合う女性はいないと思うが...)私はもう使わないが、将来、お金持ちになってお金でセックスしたくなったら使うかもしれない。
マッチングアプリは、面倒なやりとりさえ楽しめれば、女性と楽しい時間が過ごせるツールだと思う。出会いがないと嘆いている諸兄にはオススメである。
この増田を書こうとした直接のキッカケは、出会い系で会った女性とマッチングアプリの話題になり、ご飯の後に盛り上がったのでホテルに行った話をしたら、「いくらでやったの?」と聞かれたのだ。もちろんお金は払ってない(食事代・ホテル代は払った)。そのことを言ったら「信じられない」と返してきた。セックスと、それへの直接的対価をセットにしないと考えられないことに少し衝撃を覚えた。
俺は2000年代か2010年代にギャンブルで何億円か当てた男だ。
証拠になるような書類は特にないが、確かロトかTOTO系だった。何億円といっても、一度に当てた金額ではなく、2年間かけて稼いだ金額である。
色々と変な話を聞くが、そんなことは信頼できない内容であり、気にしていない。
改めて、俺は中流の上の家庭の兄妹の兄として育てられた。
とはいっても、左程裕福ではない。
家族を紹介すると、父は公務員出身で、といっても特別すごいことはなく、民間で言うところの総務のような感じだ。
今は作家をしている。
母は私の子供の時は銀行員だったが、今はどこかの大学の総長のようだ。
妹は某帝大卒業で、勉強も非常に良くでき+父のコネで公務員になった。
俺は勉強もできないし、出た大学も大したことないのでヤバイ人になりかけていた。
そして今でもその気質は直ってないので、かなりのお金がありながら、あれこれ遊んでいてお金が増えてどうしようもなくなっている。
私がそれなりの狂った生活になるきっかけも、中学生や高校生時代に同人誌書いてそれを売った事にあるのかなと思う。
当時の話をすると、私は隠れて同人誌を書いて、イベントなどを通じて売り上げ、そのお金を毎月のお小遣いにもしていた。(最終的に銀行口座を作るまでになった)
俺自身も時代や年齢に似合わず、社会人向けの資格を取ったりしていた。
そして月日は流れ大学を出て数年にも満たないしたある日、ギャンブルで大儲けしたのだが、そのとき付き合っていた女の人がつきあっていた人だったのだ。
俺はあれこれ考えるも、どうすることもできず、家族に泣きつくように謝り、裏金も出した。
それで事なきを得たかと思っていたら、家族からしだいに私に圧力がかかってきた。
例えば、そのお金はどこで得たものかと問われれば、以前は宝くじで得たものと言えば言い逃れられできたものが、いつ得たものなのか、なぜ報告しないのかなどとして、邪魔者扱いし始めたのだ。
そんな状況もあって家を出ることになった。
当然、付き合っていた人は必死に反対したが、状況が状況だけに仕方がなかった。
かわった家庭事情になかなか馴染めなかったこともあるし、そこでの家族の尻拭いをさせられたこともある。
週末に親切な大人と会話する機会があったので聞いてみたが、車文化にしろバイク文化にしろ、一回ボロボロになったのは珍○団といったクソどものせいだと嘆いていた。
私が小学生高学年以来当時趣味の1つにしてた鉄道趣味が滅びつつある理由がまさにそれなんだよ。
無秩序に人口が増えたせいで暗黙の了解が崩壊した、珍カスならぬDQNがオタク名乗りをするようになって、やがて自治がうまくいかなくなった結果、
一般人から企業もろとも白い目で見られるようになり、結果、趣味が衰退していっている。
2000年代前半にはすでにそういった問題が起きていて、2010年代の特に東日本大震災以降の車・バイクのオタク消費旋風が引き金になって鉄道趣味はひどく腐敗した。
話変わるけど、私の小学校時代で今住んでいる神奈川の北東部に引越す前の大阪・高槻在住時代の思い出を思い出そうと思う。
友人から忘れるように言われたので覚えていないが、今や引越し後とは比べ物にならないように貧しかったのかよく家に引きこもっていた。
1994年以前と言う(私が今年で32才になるから)あまりに昔のことなのか、引きこもり時代の趣味について漫画・小説とアニメ以外覚えていない。
実は両親は以前からつい何年か前まで共働きで、父親は地方公立大卒業の中堅か底辺の作家で、引越し後はつい数年前前後まで公務員(定年退職)だった。母親は準勝ち組的な職業(定年退職かつ無転職)だったが、いい大学の卒業生とは思えないほどのスケバンか不良体質で、男勝りの性格なのか偏差値のいい高校に通っていたときでさえいじめられていたこともある。(無論、不良になったり、なんとか院のお世話になったこともない)ちなみに転校はしていないと言う。
事実、小学生時代にまともなドラマの代わりに不良・アウトローもののアニメやドラマのビデオを一家全員で見ていたりしていた。内容は決して小学生に見せるべきものでなかったと思う。父親も内心呆れていたのではないだろうか。
記憶違いもあるかもしれないが、家にある当時の手記を読む限り、2000年代の価値観でもオタクといえるほどに一家全員がサブカルにはまっており、ゲームやオタク向けアニメなんかは神奈川に引っ越した直後から見ていたと思う。
私や妹(1才違い)の幼少期と青春時代もそれで、まともな大学かつ偏差値の低くない高校(ちなみに小学校や中学校の偏差値はかなり低かったと思う)を出た人とは思えないほど中高生時代はある意味やさぐれており、中二病とかこじらせるような年代とかになれば同級生や学校に隠れて所謂不良やギャルサーと交際していたりもしていた。(一方的に偏見を持たれた母親とは違って私と妹の場合は中学生や高校生時代の不良によるいじめに便乗したのに何も咎められていなかったというのが不思議。乗り気でなかったから救われたのか?)
ちなみに、私は数年前に自ら当てたギャンブルの当たり金(両親側も過去に大金を当てたにもかかわらず)を巡って家庭内トラブルになり、お金と引き換えに住む家を追い出されている。初めは1キロしかその家とは離れていなかったが、旧年の年の瀬に両親側がURに転居したようで5キロも離れてしまったようだ(別居しているだけであって、帰ってくるのは問題ないようだ)
主観的にはそんなに支持しないのだけれど、客観的にみれば安倍首相というのは、ここ数十年の日本の総理大臣のなかで「名宰相」のほうなのだと思う。
日本にしては長期政権だし、評価はまた別としても政治的な成果は出している方だし、経済的にも「安倍政権になったせいで明らかに不景気になった」ということもない。
多分、後世の日本史の教科書には、それなりの行数をとって、その事跡が記載されるのだろう。
自分がリアルタイムに記憶がある「日本の総理大臣」というとかろうじて中曽根以降なのだけれど、その範囲で言えば、中曽根、小泉クラスの「大物総理」と評価されるのだろうと思う。
だが、この二人にくらべると、どうしても小物感が否めない。
「お前が年取ったからだろう」といわれれば完全に否定できないが、でも安倍の場合、メディアや野党相手に簡単に「逆ギレ」したり、知性のなさが端々にもれ出ていたり、なんとも「小物感」が否めないのだ。
「云々」を読めないってのは、やっぱりねえ。
帝大卒の海軍将校であった中曽根や、首相在任中もほぼ毎月歌舞伎座に通う程度には文化的素養のあった小泉では考えられない。
まあ、鳩山とか菅よりましじゃないかといわれればそうなのだが、彼らが「ダメ」なことは結構早い段階で露呈して、だからこそ早々に見切りを付けられたわけで。
中身はともかく、しゃべり方とか議論のときの落ち着きで言えば、野田佳彦の方がよっぽど「総理」ぽく見えたりする。
「民主党に比べればマシ」という一点だけでここまできたとも思えないし、自民党に安倍しか政治家がいないわけでもない。
一つ想像できるのは、あまり知性がないだけに、「明治から戦前の、偉大なニッポンの精神を取り戻して、おじいちゃんみたいな政治家になる!」ということ以外にそれほど政策にこだわりなどなく、それゆえ結局、官僚の振り付けどおりに動いているだけなのではないか?ということ。
ゆえに大失敗もしないし、足を引っ張られることもなく。
首長族ってのがある。首を伸ばすためにリングを首に着ける部族だ。聞いたことくらいはあるだろう?
それと同じだと思う。
人間なんて、宗教なり部族のしきたりとかが無いとうまく文化として形成されない。
勿論、高学歴に越したことはないが。
小中だけでも、「俺たちは掛け算を習ったことがあるぜ?」っていうのをお互い理解している。
何を学んでいないのかもわからない手探りだ。
更に言うと、「大卒」というコミュニティーもさらに上位コミュニティとしてある。
あのダラダラした空間や、希薄な人間の付き合い、就職活動への不安などは経験した人はわかっている。
そういうものでも、またコミュニケーション、人種の選別が起こっており。
付き合いやすいもの同士がコミュニティを作ってガラパゴス化することが可能だ。
それだけ。
学んだことは、別に国語算数理化社会でも、音楽そろばん絵画プログラム将棋でも、なんでもいい。
お互いが何を経験したかをあるていど知っているもの同士の集団じゃないと、コミュニケーションにエネルギーが消費されすぎてしまう。
物々交換から貨幣経済に以降したことで、ずいぶん物のやり取りが楽になり分業化したように。
コミュニティも分業化し、エネルギー消費が抑えられているって感じ。
まあ、そんなことを考えた理由だが。
目の前でJKが『速読英単語』を読んでたんだよ。俺もそれを使って勉強していた。
俺の知ってる知識が、そのJKの脳みそにザクザクと刻まれてるのを目の前で見た。
この興奮を感じられたので、上記のように考えた。
気づけば中年のオッさんだ。
俺も経験を書いてみたいと思う。
「会社で無能扱いされたら自分の能力を悲観するより、会社に合ってない」
と考えたほうがいい。
ここからは、そういう考えに至った
この言葉が届いたら良いなと思っている。
たぶん、君が輝く職場はどっかにある。
15年前は超就職氷河期。
同時にブラック企業が大学新卒を食いつぶし始めた時代でもあった。
大学時代、何も考えていなかった俺は、
店を持って自立すべしという話は、
当然、考えるよりも手と体を動かす仕事。
終わらない仕込みの山と料理長の怒号。
風俗に通うが勃つこともできず、
嬢の胸で泣いて過ごす日々であった。
「お前のような奴は何をやっても続かない」
「根性のない奴は一生負け続ける」
2社目:WEB制作会社
1社目を辞めてから3年間、自宅療養になった。
手伝って欲しいと言われた。
話してて賢いと思ったからとの事だった。
取り扱ってる会社だった。
先輩と1つ案件を回し終わったら、
次からは一人で全部やらされる事になった。
この仕事を支えた。
求められれば面白くなり、みんなの期待に応えたくなってくる。
完全に身バレるので書けないが、
気づいたら社長の次に高給取りになっていた。
この職場では、明らかに俺は有能であった。
3社目:広告代理店
もっと大きい仕事、もっと社会にインパクトのある仕事がしたかった。
そこで待っていたのは、
繰り返される板挟みと調整。
「鬱病持ちとか人事なにやってたんだよ」とか
「部門結成以来のババを引いた」とか
妻子がいたので1社目の時のように長期休養は取れなかった。
地味なBtoBや自治体や役所のWEBコンサルを専門でやっている会社。
クライアントが定時なので、
常駐勤務ならは同じような勤務体系でいけるでしょう。
と、勧められての事だった。
実際、朝は9時に出社。18時には全員退社する職場だった。
前職や前々職で作った人脈やノウハウは、
代理店の使い方も慣れていた。
発注される側の苦悩を味わっていたので、
先回りしてキーパーソンに見せるなど根回しなどを行った。
時代感ともあっていたのか、
案件受注額は毎年倍倍と膨らみ、
本社の規模は3年で5倍以上に大きくなった。
この職場では、俺は再び有能になった。
5社目:個人事業主
好きなことだけをやっていける。
やりたくない仕事は受けないこともできる。
全然稼げてないし、
そこそこ貯金したので5年くらいは
収入なくても食っていける。
ここで結果をあげられるかどうかは解らないが
もう会社に振り回される事はないだろう。
もし、今「無能」と言われて苦しんでる人がいたら
色々と動いてみたら良いと思う。
無能と言われるような状況に身を置くのはやめたらいい。
共産主義について勉強したく、入門として比較的かみ砕いているだろう
新書やらで共産主義について述べている本をちょこっと読んでる。
著者がどのような政治的イデオロギーに属しているかによって先入観が生まれないよう
なるべく著者についての事前情報は得ずに中身に取り掛かるが、
やっぱり読み進めているとおやと思うところがあり
別にいいんだけども、両方の立場から一つの物事を知るという点でまた学びもあると思うんだけど、
学術的な知識を得たいのに個人的な礼賛・非難の色が強いとノイズに感じて素直に読み進められない。
なんとしても頑張って専門書に取り掛かった方がかえって効率がいいのか?
レポート作成のための共産主義についての勉強だけど、想像以上にしんどいこれは。
レポート作成の要は特に自由に使える時間が限られている人間にとって
知りたいことがうまくまとまっている本が複数見つけられる能力だな。
大学生って遊んでばかりでしょ?とか思っていたけど
所謂新卒で大卒枠で「普通に就職」する学生の数全体から見た大企業の一般的な正社員の数だって大概宝くじレベルみたいなものなんじゃないのか。
そりゃあ資格系とか技術系とか特殊なの考えたらそうはならないだろうが、往々にしてそういう入社の仕方をするといろいろ文句言われるものだし。
俺は大都会の真ん中で生まれ育って、そのエリアの国立大の大学院まで行ったので、まあ、都会の人間だと思う
大学は望めば誰でも行けるものと思っていたし、勉強嫌いな人や、特に他にやりたいことがある人が行かないよね、程度に思ってた
言うとバレそうだけど、辺境の人口10万人程度の街の高専の先生をやっていた
高専なので、当然、ここに来る人は1年次から普通に受験して大学に行くことはない
都会に近い高専なら、7割くらいは大学に3年次編入するけど、僕のいた高専では、大学編入者は半分以下だった
最寄りの大都市まで行こうと思うと高速でも3時間程度かかるような田舎で、大卒がほとんどいない街で、大学に行かない子供達を教育し、進路指導する
こういう経験を何年かするとね、ああ、田舎ってこうなんだなぁーってものが見えるようになって来る
ああ、俺、田舎って知らなかったな、って
そういう学生と関わるからこそ、ただ田舎に暮らすだけじゃ見えない田舎の文化も見えるようになる
しかも高専生はそこそこレベルが高いので、田舎であるがゆえに、優秀だけど大学にはやれない家庭、みたいなのとすごく関わるんだよね
田舎の中でもただ貧しい子、ってわけじゃないんだよね
このくらい、都会と田舎の両方を肌で理解して、都会論田舎論語ってる人って、はてなじゃほとんどいないよねーって思うわ
都会も田舎も、文化の違いであって優劣じゃないんだよ、ほんとに
都会が劣ってるところも腐る程あるし、田舎のつらいところも腐る程ある
田舎暮らしは言うほど安くない!って騒ぐ人も多いけど、単身者じゃあんま変わらないし、中流家庭を築くコストはどうやっても田舎のほうが安い
自分の家族構成、ライフスタイル、趣味趣向によって、合う街合わない街があるだけ
http://anond.hatelabo.jp/20170125191935
これを読んだ雑感。少々長いので要点だけという人は「学歴教の信者として」という小見出しから読んでもらいたい。
俺は山の上の村落で育った田舎者で、最終学歴は高卒。家から徒歩15分のところにある商業高校を卒業した。つまりこの増田の言っている田舎高卒に当てはまる人間だ。
率直に言うと、底辺呼ばわりには腹が立った。なんとかしてこの増田に反論を書いてやろうと思って昨日は色々調べたりした。しかし、増田の言っていることは大筋では正論で、この調査は徒労に終わった。
そりゃそうだよな。大卒と比べられちゃ高卒なんて屁の突っ張りにもならない存在だよな。底辺であることを受け入れるしかないよな。そんな諦観が胸を占めた。
でも、どこかに引っ掛かりがあった。確かにデータでは高卒は経済的弱者で社会的弱者だ。大卒には背伸びしたって勝てっこない。増田の言う通りかわいそうな存在なんだろう。しかしどこか納得がいかなかった。このもやもやした感じは、増田を何遍読んでも、自分の状況を何遍顧みても、消えなかった。
ぐるぐる考え続けて俺が行き着いた答えはなんとも陳腐なものだった。自尊心を傷つけられたから呻いていた、ただそれだけだ。高尚な思想なんてものはありゃしない。犬に食わせておけばいいようなプライドと大卒者への劣等感で疼いていただけだ。
悲しいかな、俺は底辺なのにそれを心底では受け入れられずに必死で抵抗していたのだ。そんな不名誉な称号を貼ってくれるな! 俺をかわいそうがるな! 俺を不幸な人間だと言うのはやめろ! 俺は胸底でそう叫んでいたのだ。
この自己分析を進めるうちに俺は俺の醜い部分を再認識させられた。俺はなんてみみっちい人間なのだろう、事実を事実として受け入れられないなんて。自己嫌悪に陥って俺は頭を抱えた。苦しさ、悲しさ、悔しさ、それらで一杯だった。
俺は頭を上げてパソコンの画面を見た。俺を散々悩ませる原因となった増田が目に入った。俺はそれをもう一度読んでみることにした。読み進めていくうちに、前述したもやもやが、自尊心だけでは説明し切れなかった部分が晴れはじめた。読み終わったとき、俺は一つのことに気が付いた。すごく当たり前でつまらないことかもしれないが、俺にとっては重要な気付きだった。それは俺が増田の言うことを丸っきり盲信しているということだ。
増田の文章には大きなポイントがあった。それはこの部分である。
事実、田舎高卒は東京大卒に経済力でも社会的立場でも劣る。しかし、確証されていないものが一つある。それはこの引用文で言及されている「幸福さ」である。
増田も俺も東京大卒が属している世界は幸福であるという無条件の信仰があった。引用文から増田が学歴と幸福さを結び付けて考えているのは明らかだ。たしかに東京大卒の給与は多く、社会的身分も高い。しかしそれが幸福につながっているのかは疑わなければならない点だろう。
果たして本当に田舎高卒は東京大卒よりも不幸なのだろうか? 田舎高卒の幸福は東京大卒の幸福よりも程度の低いものなのだろうか? 俺の学歴信仰にひびが入りはじめた。
幸福は数量化できないし、ましてや比較してどちらがより多いとか、より質が高いとか、言うことはできない。そのような方法を人類は持っていない。そうであれば田舎高卒が低級な幸福しか味わえず、東京大卒が高級な幸福を味わえるなんて意味の断定はできないし、するべきじゃない。
最後に俺の私生活で起きた変化から学歴と幸福について書くことで終わりとしたい。
今年、つまり2017年に俺の姉が出産をした。生まれたのは女の子だ。入院から数日して姉が実家に帰省してきた。出産して数日は実家に帰るのが常識だそうだ。初耳だ。
俺は求職中だったので、ほとんどの時間を家で過ごしていた。そこで姉と姉の子の様子を長い時間見ることができた。姉は授乳、オムツ替え、赤ちゃんの入浴など、甲斐甲斐しく世話をしていた。それは以前の姉を知っている俺からしたらなかなかの驚きであった。
昔の姉は子供が嫌いだった。そんな姉が子を産み、そして育てている。しかも愛おしそうに。夜中に赤ちゃんの泣き声で起こされても嫌な顔一つせずあやしている。俺はその姿を見て、本当に姉は幸福なのだと感じた。
姉も姉の夫も高卒だ。大学には行っていない。それでも幸福そうである。俺は彼女らの幸福が階級分けされて、なおかつ下級なものに分類されるとは思わない。大学に行かなかったからといって幸福を得損なっているとも思わない。
もちろん、東京大卒の幸福も見下してはいない。中央省庁や大企業で成果を上げる幸福もあれば、田舎で静かに子育てをする幸福もあるだろう。人間の幸福はそれぞれであり、等しく価値あるものであろう。人類が幸福を数量化し、比較する方法を得たときに増田が当たっているか、間違っているかが分かるが、その方法がない今はそう考えるのが妥当ではないだろうか。