はてなキーワード: 大卒とは
先日、センター試験があった。
もう3年前のことになるけれど、毎年この季節になると受験勉強のことを思い出す。
彼は私と同い年の大学生だ。大学の部活の話などでよく盛り上がったりした。
そしたら、
「え?あぁ俺、推薦なんだよね。だからセンター試験受けてない」
と彼は答えた。
「あ、そうなんだ!評定平均高かったんだね、すごいな」
そう良いながら、彼への気持ちがどんどん冷めていくのを感じていた。
中卒でも、高卒でも、専門卒でも。高専卒でも、大卒でも、院卒でも
そういえば、うちにも推薦入試制度があるが、仲の良い友達は皆私と同じ一般入試組だ。
知らず知らずのうちに、推薦組とは親しくならないようにしていたのかもしれない。
大学には行きたい、けれど一般入試は受けたくない、楽な方法で受かりたい
そういう魂胆が透けて見えるような気がしてしまう(考えすぎだろうか)。
一般で受けて受からないような大学に推薦で入っている人もいる(大学での成績は大抵悪い)
調べてみると、世の中には一度も
ペーパーテストを伴う入学試験を受けたことのない人間はたくさんいるらしい。
彼らに対する気持ちは、ずるい、というのとは違う。単なる軽蔑だ。
推薦をもらえるように良い成績を維持したのだから、その対価として推薦を勝ち取ったのだ
と言う人もいるかもしれない。
推薦入試の人に大しては、どうしても「逃げて楽な道を選んだ」という印象がつきまとう。
あんなに好きだったのにな。
東京に生まれて中高一貫・大卒と田舎高卒ってその時点で生きてる世界が違うよな。
東京のやつは「いまどき大学行かない奴とかいるの?」とか、マジで言ってるし。
俺の出身中学(田舎)で大学まで進学しているのは10パーセントくらいだし、田舎じゃ高卒デキ婚が当たり前。
でも、東京で生まれ育って就職してる人はそんな底辺の世界なんて想像できないし、逆もまたしかりなんだろな。
むしろ、田舎高卒は東京育ち大卒の世界を知らないで、ずっとその地元で生きて死ぬのが幸福なのかもしれん。
で、そのことを一番実感できるのは、田舎の底辺から東京の大学とか大企業とかに行った奴。
東京でのうのうと育って暮らしてるやつは、底辺を見て「自己責任」とかのたまう権利はないと思う。
東京という場所と、理解と経済力のある両親のおかげで、本人の努力はついでぐらいのものにとどめるべきだ。
田舎の底辺は単に運が悪かっただけ、生まれる場所が悪かっただけで、かわいそうなもんだとおもう。
そもそも田舎高卒は、自分が底辺ってことさえ知らないから、可哀そうというのはお門違いだけど。
いやだから抽象的にでもどんな事実があるのかと。根拠云々以前に判断基準ってものがあるでしょ。
いやだから抽象的な判断で事実はないだろアホか。世間一般の基準で見て抽象的にマイナスだということを述べた上でその要因を考察してるわけでしょ。
30代・40代がマイナス評価で20代以下と50代以上をプラス評価しているとするならば、その評価点は何なのか。
「Aがマイナスだ」という命題を述べると「A以外はプラス」だという命題を帰結できるとかちょっとオツムが足りてない人だと確信されてしまうからやめておこうな。
自営業は比較的早くに影響があったけど、バブル崩壊当時ってそんなに大事になると思われてなかったんだよ。あくまで一時的な不況で、まあ3-4年で日本経済にももう一度波がくるだろうと楽観視されてたので、サラリーマンの給与についてはしばらくの間手を付けられていなかった。そこからの日本の歴史を知っている感覚で過去を振りかえると、バブル崩壊の瞬間に何もかも変わったように思えるかもしれないけど、俺の記憶ではかなりの間、楽観視して、ぼやぼやして何も手を打たずに数年放置されてたの。少なくとも、バブル崩壊が直接的に生活に影響を与えるまでにはタイムラグがあった。投資のレベルではバブル崩壊時からマイナス局面に入っているけど、生活のレベルとしては消費者物価指数でデフレになった1998年くらいからが、自分の感覚としてもバブル崩壊のヤバさが生活に出てきてた感じ。
98年デフレや指標の悪化は消費税でますます悪化させたというだけでしょ
そもそも株価の暴落自体は89年をピークに90年にかけて一気に起こってる
・明らかに更生や同情の余地の無い屑夫なのに、「私がこの人を支えていけばいつかまともになるかも……」とか「この人も可哀想な人なのだから私が支えないと……」等と更生を期待したり生い立ちに同情したりする。
・明らかに自分に非の無いことで理不尽に怒鳴られたり殴られたりしても、怒らせた自分の非を探して自分を責める。
・基本的に要求せず、全て誰かの言いなり。自分というものが有るのか無いのか知らないけど、とにかく主張というものをしない。
・無駄に料理や裁縫などのドメスティックなスキルが高い。これがあるから夫は妻を生かさず殺さずで囲おうとする。これが無ければ向こうから捨ててくれるかもしれないのに。
・子供の前で殴られ、子供の前で泣き、子供の前で夫に赦しを乞い、その後子供に駄目な母で御免なさい的なことを言って謝る。子供は板挟み。
・越えてはならない一線というものを理解できなくなっている。例えば上述した子供を巻き込んだDVもそうだが、例えば、夫に唆されて自分の実家に電話をかけて両親からお金をせびるといった背徳行為等に関しても、夫に言われればやってしまう。
・家事全般もそうだが、所謂女子力的な要素も無駄に高い。無駄に付き合いも広く、小金持ちのママ友達が多い。故に見栄を張りたくなるのか、あるいは意地なのか分からないけど惨めな自分を認められない。
・田舎育ちなので、都会に対して妙な拘りがある。故に実家に頼るとか実家に帰るといった選択肢がとれない。
・大学時代に親父に引っかけられて卒業後すぐ家庭に入ってしまった為に社会経験がアルバイトくらいしかない。その為自立するという選択肢が浮かばない。
・基本的にお人好し、悪く言えば人を見る目が無い。故に変な人との付き合いも多く、以前お金を盗まれたことも。
・要はメンヘラ
・まず学がない。
・学が無い上に、努力というよりも才能で無駄に仕事で成功を納め小金持ちになってしまった為、学の大切さを知らない。故に、学を軽視する。
・学を軽視している為、子供が宿題をしていると「勉強なんかするな」と怒る。学を軽視している為、「高校出たら働いて今までかかった学費を返してもらう」という素晴らしい( )教育方針を持っている。
・教育方針から分かる通り、学を軽視し、金銭を何よりも重視する。人や物の価値を金銭でしか計れない。
・学を軽視しているので、習い事等を一切許さない。反面無駄な成金的贅沢を子供に沢山経験させることには熱心。
・学を軽視している癖に学にコンプレックスがあるので、大卒の妻にコンプレックスを持っている面倒臭いオッサン。
・当たり前だけど、些細なことでキレて、些細なことで殴る。加減を知らないので痣が残っても気絶してもお構い無し。子供の友達が来ていても殴る。自分の両親兄弟の前でも殴る。赤の他人の前でも殴る。実の息子さえも殴る。とにかく殴りまくるがケチなので物だけは殴らない。
・無駄に容姿がまともで、口が上手く、女にモテる。愛人がいる。
・愛人と子供の交流を平気でさせる無神経。ちなみに愛人も殴る。
・一応子供に愛情があるらしく、割りと構ってくる。しかし幼稚ですぐキレるサイコ父さんなのでいい迷惑。
・基本的に独占欲が強く、子供も妻も自分の思い通りであってほしいと願うし、そうでなければ許せない。例えば子供が友達を作ったり友達と遊んだりすることを嫌うし、妻が自分以外の男と交流を持つことも嫌う。(友達と遊んでると機嫌悪くなるのだけは止めて欲しかった……)
・要はメンヘラ
以上
イケハヤが飼ってるアシスタントは現在3人。全員2016年3〜4月に高知に移住した。シミラーウェブで調べたここ半年の月間PV数も乗せてみる。
「北のウォーリー」を自称し、ウォーリールックで高知市内をうろついてる大卒1年目。中央大卒。有名な弁論部に所属していた。ウォーリーには似ていない。
元々精神的に脆い部分があった上に就活に失敗してしまい、新卒カードを捨て逃げるように高知へ移住した。
普段はゲストハウスでバイトをしながらたまにブログを書いている。更新回数が少ない理由は明らかではないが、仲間と遊ぶのが忙しい様子。
自称ローカルライターとしての活動として普段仲間と飲んでる居酒屋を紹介する傍ら、地元北海道を紹介するエントリーを書いているが、北海道エントリーは内容が薄い。
ブログやTwitterを少し眺めるだけで突っ込みどころがたくさん見つかるのが悲惨。1月7日に「昨年度はお世話になりました」とツイートする頭の悪さ、プロフィール欄の年齢やブログタイトルの変更に伴う諸々の修正を怠る詰めの甘さ、エントリーのもくじすらまともに作れない能力の低さ、立ち上げた企画を2〜3日も持たずに投げ出す飽きっぽさが就活失敗の原因だと思う。
収益報告はなし。
マイナーイケハヤアシの中では数少ない「自称」炎上経験者。高知へ移住する際、東京から自転車で向かおうとして失敗したことが話題(3ブクマ)になった。
涌井メディアデザインという事業を立ち上げ、Webアプリ、iOSアプリ、Androidアプリのリリースのサポートをしてるらしいが、儲からない様子。
彼の目標はうつ病を治すこと、事業を軌道に乗せること。どっちも高知で貧困に喘いでいる間には達成できなさそうなのが悲しい。ブロガーとしてやっていく気がないのは独自ドメインを取得していないことからもわかる。
事業やうつ病の影響で更新回数こそ少ないが、この人にしか書けなさそうな精神病についてのエントリーがたくさんある。3人の中では一番読んでみたいと思わせるようなことを書いてる。
イケハヤのブログで記事を書いた経験があるので、多分気に入られている方なんだと思う。
高知のスティーブジョブズを自称する男。埼玉県に在住していたころからブログを熱心に更新しており、内容は3人のなかで一番薄っぺらいがとにかく更新回数が多い。でも毎日じゃない。
ブロガーとしての実績はゼロだが、経験はあるため新規ブロガーを支援する活動をしており、何度か実績報告エントリーが投稿されている。
地元新聞からミニマリストとして取材を受けたり、仲間と旅行に行ったり毎日楽しそうだが、収益報告はなし。
ここ半年は月間9〜12万PVで推移しているので、副業としてはまあまあのレベルで稼げてそう。
今、写真の勉強をしているが、写真家と呼ばれる人達が高学歴になってきたので学がない自分にとっては非常に辛い時代になってきた。
写真家と呼ばれる職業の人達が意外と高学歴が多い。ここでいう写真家とはプロカメラマンと呼ばれるような職種の人達ではない。
今でこそコンセプチュアルアーティストとも芸術家とも呼べるような写真家達だ。
以前は東京写真専門学校やビジュアル系専門学校卒やどこかのカメラマンのアシから写真技術を駆使しながらも作品を完成し、コンテストに応募し
優秀の美を飾るようなことがステータスだったが、ここ最近の写真作品はどれも現代アートのようにコンセプト重視となってきたため、写真技術だけ
ではなく写真と言葉、ステートメント、ポートフォリオの見せ方、プレゼンが重視になってきたように思える。
港 千尋ー早稲田大
奥山由之ー慶応義塾
木藤公紀ー東北大学
・・
そのほかにも最近の写真受賞をしている方を見るとコンセプトがしっかりしておりとても哲学的で視点が面白い。
プレゼンスタイルも高学歴だと簡単だし、コンセプト文章を作るのも簡単なのだろう。
勿論、これだけではないので東京芸大であったり、京都市立芸大、その他の多摩美、日大、武蔵美、大芸大なども
多くいるが、それらの人は芸大できっちりと教育を受けてきた人達ばかりだ。他にも海外で写真を学んできている人もいるだろう。
写真ポートフォリオレビューでもフランス人やアメリカ人のポートフォリオレビュアーが増えてきており、一通りに
まずは英語が最低でもできていないと自分の写真の意図が通じない。自分はF欄大卒であるが故に英会話はおろか人のステートメントさえ理解できない、
書けない、プレゼンすらできる能力もない。はっきり言う「バカ」だ。
「明るい部屋」や「写真論」を読んでもプンクトゥムも理解できず3行で寝てしまうという始末。
元々、コンセプト写真は海外写真家が活発に制作してきたものではあるものの、写真の技術とセンスはなんとかなるが、頭を使って文章を組み立てる
特に最近は写真家と名乗る人が少なくなってきており、写真=芸術とみなし、芸術家と自称する人も多いので写真家と呼ばれる人も少なくなってきたように
思えるし、InstagramやSNSの発達で従来の写真表現の在り方も日々変化しつつある。それらにもうついていけない。
写真集は集めてみるものの、どの写真が良いのかわからない。自分が良いと思った写真は周囲からは「そんな写真家の写真集が良いの?」
と揶揄される始末。マイナー・ホワイトやピーター・ウィトキンなどの写真には特に強く惹かれるが未だに「どこが良いの、そんな写真が。」と言われる。
マイナー・ホワイトが良いと言ってる時点で写真を見る目やセンスすらないのかもしれない。
時給900円の単純作業を2年半やっています。これを始める前はニートでした。無い内定で卒業しました。
コミュニケーション能力がなくやる気も計画性も他人への思いやりも持ち合わせていません。
いぼ痔で水虫で若ハゲでワキガで短小包茎童貞で中学からずっと友達ゼロです。
すごく当たり前のことに気がついたんだけど気がつくのとそれをアレすることはまったく別のなんだよな。結局無理すぎて死にたさしかない。
わたしは日々人に迷惑をかけながら生きています。申し訳なさなど微塵も感じていませんでした。なぜなら「自分が得するために他人に迷惑をかけてるわけじゃない。それに一番損してるのはおれだから。改善しなきゃいけないのはわかってるけど無理なもんは無理」という甘えた考えがあったからです。
これからもその考えを改めることはありません。いや、ダメだとはわかってるんです。あ、やっぱわかってないです。
無理なもんは無理。
単純作業しんどい。作業自体はしんどくないし、諦めて開き直れば人間関係などどこ吹く風。
毎日毎日同じこと繰り返して、それはただ生存を続けられるというだけの金にしかならなくて、将来も何もあったもんじやない。自業自得だけど。
口先で自業自得だの自分が悪いだの言ったってなんにもならない。
わかってるわかってるって言い張ってもなんにもならない。
面接とかまじで無理だからね。無理としか思えないからもう3年以上受けてないし実際無理だからね。
やってみなきゃわからんだの始まらんだのいうレベルじゃないんだここまできたら。
今後の人生で一番若いのは今なんだからどうにかしたかったら今すぐなにかするしかない。わかってます。でも無理なもんは無理なんです。
まともな職に就きたい。結婚だの子育てだの絶対に望みませんから。
自分だけ楽しく生きていきたいよ。
最近の日本のゲームがメチャクチャ品質に優れてると思うのは、表現のリアルさだな。表現の良いものを据置機・携帯機で販売し、その補助としてPCゲームを利用している。1970年代からトンデモ文化だったゲームは今や大衆文化。従来型ゲームを残し、進化させたことが奏功したともいえるよね。リア充の人は、アニメを見て、そこからPCのオンラインゲームなりスマホのゲームをしている人がいると思う。パズドラを深く楽しみたい人は3DSのみならずスマホを買う。ソシャゲとはオンラインゲームに近いスケールのものであって、中毒性質のない古典型とは違う。オタクならよくわかると思う。ゲーオタにとって任天堂やソニーのそれはXBOXとともに本格的にゲームを楽しむための機械。事実上のネトゲであるソシャゲは難易度が低く、リア充の遊びであって敷居が低い。深く味わうにはPCゲーム買うほうがよほど効率的だ。
こうしたゲームを含んだサブカルオタク圏というものがあり乗り物文化・非大衆文化がある。さらにそれと構造を共有する文化があって、それは「サブカル性」の存在が日本文化の繁栄を実現している場所なのだ。問題は、それ以外のもの。そこには深く楽しむのための技術がない。
たとえば中国には据置機ゲーム開発メーカーがないという。PCソフトゲームこそあるが、その品質も据置機にすら負けていることは、マリオを愛する日本の人間にはよくわかっている。ソシャゲ嫌いがほとんどだからね。韓流台流ゲームはアメリカ流のそれと比較するべき水準ではなく、どちらかというと和製オンラインゲームと似ていると思う。サブカルの拡張ために発展した据置機文化と共有できる要素がない。単に特殊アイテムを買うときだけに金を払わせるので収益性がない。ミーハーはともかく硬派からの評価は高いといえない。
アジア諸国の交通が長い間道路に依存していてそれを鉄道が補っているように、韓国や台湾や中国は鉄道オタクに対する理解が遅れている。アジア諸国はマイルドヤンキーが多いから、中韓台より事情は悪いかもしれない。「日本は異常なんだからいいだろ!」とヤンキーに言われそうだけど寛容性は大事よ?大卒の元ギャルにお世話になったことがある。ギャルはいい文化だと言っていた。誇らしげだった。しかし「リア充」という感覚ではなく「元ギャルの人」という意識があるような感じだった。鉄道好きだって「鉄道オタクではなく元変わり者」という感覚が古い世代にはあるはずだ。車・バイク好きのオタクに以前噛みつかれたが、それこそヤンキー文化のソフト版が車・バイクカスタムフェチでしょう。痛車好きは一応オタク文化だが、敷居が低いこと、イメージの悪い時代の存在、極めて似ている。鉄道好きも車・バイク好きもマイルドヤンキー化しているし硬派の存在を無視した大衆化だそう。道での繋がり傾向のサブカルとは違うのだ。
2000年代に不良の衰退でまともになった点や文化的歴史の位置づけにおいて、バイク文化とキモヲタ文化は似ている。どちらもへそがないものだ。しかしこれらはマイルドヤンキーとは違い、縦方向の上下があり、そこでは繋がりが途切れることない。バイクは1970~1990年代世代、キモヲタは1990年代世代が変わり者の集まりになっている。一方、鉄道路線と鉄道趣味の人口密度の関係はどうか。負の相関関係にあることは誰にでもわかる。とにかく地方ほど鉄道好きが多い。おまけに観光地化も進んでいる。足を引っ張る人間もいる。都会にこそアンチがいるどうもバイクよりかは可愛いバッシングに思える。
ソシャゲが生誕10周年を迎えるが普遍的なビデオゲームとの性質の違いがはっきりしているように、将来この溝は埋まらないと思う。そして、2000年代以降の最近に量産された書物にはこういうパターンが多い。物凄い売り上げになるが、誰にも知られない…。この手の似非サブカル文化がよくないのは、サブカルとは消費者の構造の違いがありすぎるのに、内実を伴う本当のオタク文化のようにビジネスの方向性として普遍化してしまうこと。しかし財界の都合はどうであれマイルドヤンキーの割合が高くなり、民度もばらつきが出てしまう。そこに道の繋がりはなく、完全な単細胞になる。
結果的にハイカルチャーでもなければ、サブカルでもない中途半端なサブカルチャーが寂れる。ギャル文化は(業界面で)のイメージが凋落して久しいがその人達の評判もクソッタレてるでしょ?ヤンキーみたいな末路を追うことになるんです。いい加減な文化はみんなどこも。もちろんアニメ好きや鉄道好きに対するバッシングもあって1989年の宮崎勤ショックや2002年の西武鉄道ショックがまさにそうなのだが、低迷期はわずか10年弱だったし、現在ではむしろ好かれている文化ので、私たち鉄道好きはほんとはめちゃ好かれ者なんだよね。「汚い日陰者」から一転して大成功ってすごすぎるよ。
最近の都市部では駐車場や駐輪場料金も安くなっているのに、いざ買うとなるとかなりの金額がかかり、トータル費用が原付バイクだけとっても最大で10万円台はいささか敷居が低いとはいえない。ロードバイクですら5万円以内で始める事等やろうと思えば可能だ。持続的に利用できて、かつ一定の敷居の高さがあればいいわけ。鉄道は厳かな仕来りを残しつつ観光要素があるのは非常に優秀で、バスもその点では平成以降は充実の流れがある。
最近流行っている鉄道不買運動は、田舎や外国から来たよそ者が参加できない、敷居が高い。しかし難易度の面でも非常に中途半端。ひどいと最低限度の駐車場駐輪場はおろかガソリンスタンドが整備されておらず、都会特有の曖昧な道路交通マナーとあって運転もめちゃくちゃ大変なのである。あれは遅かれ早かれにわかに終わる運命にしかないと思う。別に日本の大都会で増え続ける都市鉄道嫌いと車・バイク好きをDISってるわけじゃないが、日本ではロードサイド文化もろとも車社会は終わる運命にあるし、車やバイクは都市部ではスポーツ用具以外もはや意味ないし、アジア諸国を手本にした再開発を実行したらその発展の犠牲で欧米由来の都市文化の居場所が消えうせるのは必然でしかない。したがって現代であれば満員電車も大量の外国人も必要悪なので、日本は本当の意味で観光大国化がしたいなら防災などの予算などで余った分を人口増加対応に充てればいいと思う。歩道と車道を分離して歩道の容量を拡張する。近年では鉄道の整備に努めているようだが、例えば鉄道だけを取って鉄道の女性専用車が役目を終えたら、その跡にグリーン車を設置したらいい。乗客を分散させるのだ。
神奈川県の横浜の郊外はかつて、関東特有の田舎文化があった。昔の相鉄はローカル線同然だった。それが昭和時代の経済成長で都会の仲間入り。どれ程すごいかと言うと、昔は関東の仙台同然だった横浜の郊外が仙台市とは比べ物にならないような高度なニュータウンへと変貌したというのだ。話がそれてしまった。
電車男でサブカル文化が変わり、鉄道に対するイメージすらJR九州の躍進で変わった。縁の下の人を守り続けることが日本文化の持続可能性のポイントであり、もちろんそれを各現場の人が一番わかっていると思うんだよな~